絵とモデル、色々と詰め込んでマス。
クリスティーナ・ダーエが群舞の若い娘と言い争いをしたらしい。
だが、そんな話を聞いても仮面の男は驚きはしなかった。
この世界では役者、ライバル心から足の引っ張り合いなど、ましてや口喧嘩など決して珍しくない、いや、可愛いものだといってもいいだろう。
多少の事なら支配人の自分が口を挟むと大事になるので、見て見ぬふりをしていた。
オペラ座内で大きな噂になる事もなかったので安心していた。
だが、それから数日後に、これだ。
舞台の終わった後、客らしき女性がクリスティーナ・ダーエの頬をぶったのだ。
本人に聞こうとしたが、最初はなかなか口を開こうとしなかった。
だが、黙っていてはよくないと思ったのだろう、ゆっくりと口を開き、静かに話し始めた。
「数日前、髪の白い女性と話をして、言い合いのようなものを少し」
「ようなもの、少し、か」
遠慮がちな言葉だ、だが、原因はそれではないのか。
妹を侮辱されたからと言い残して去った女性は身なりから最初は貴族の奥方かと思ったかと思ったが、後で調べてみると実業家らしいということがわかった、それも一部では有名らしい。
クリスティーナは言葉を続けた。
あの女性は街中の浮浪者達や私娼とも親しそうに話をしていて、そんな事は普通なら考えられない、貴族でも平民でもない外国人、ましてや女性が。
「娘だと言ってますが、嘘です、侯爵は子供のできない体とか、だから、決まっています」
男は叫んだ。
「彼女が侯爵の愛人だと」
聞いたのですという言葉に、仮面の男は何か言いかけたが言葉を飲み込んだ。
「そんな話、どこで聞いたんです、支配人さん」
女は肩を竦めながら、ふふっと笑った。
「侯爵と私は仲が良くないとはもうしません、でも、そういう事は大抵の場合、秘密にしておくものでしょう」
確かにと仮面の男は頷いた。
今目の前にいる女、侯爵の愛人が絵の買い手であり、燃やした事を突き止めて、クリスティーナと争った相手だと知った時は驚いた。
だが、調べても真相に近づいたと思えば肝心なところで行き詰まってしまうのだ。
「絵を燃やしたのは正当な代価というより画家に対する援助です、私は芸術を理解するほど高尚な人間ではないですから」
「そうですか」
案内された室内の装飾は、どれも素晴らしいものに見える、以外だと思っていると侯爵の形見に頂いたものですと言われて返事に困ってしまった。
「絵のモデルが気になりますの」
話を向こうから切り出してくれたことに男は、ほっとした。
「仮面の下と同じだから」
「そう、そうかもしれません」
自分の顔の下に傷があることを、今では大抵の人間が知っている。
唇の端の部分が盛り上がっているのは正面から見れば一目瞭然だ、初対面の人間でもわかる、ただ口に言葉に出さないだけなのだ。
「モデルは私の妹です」
そんな答えが返ってくるとは思わなかったのか、仮面の男はしばし相手の顔を凝視した。
「正直、モデルなどは、正直に言います、ご理解頂きたいのですが、私は、あれを裸婦像とは思っていません、芸術家が何というか分かりませんが、妹にとって、生きている証のようなものです」
空になったカップに、お茶が注がれるのを男は仮面の奥からじっと見つめた。
そのときドアをノックする音と女の声がした、仮面の男は首をわずかに動かして後ろを見た。
「妹ですわ」
女はにっこりと笑い、開いたドアに向かって手招きをした。