"GIRLS und PANZER" R-18版短編集 作:キルロイさん
はるばる日本海を渡って来た北風が、三国山脈を始めとする山脈を越え昼夜を問わず関東平野に強く吹き降ろされる風景は、この地方の冬の風物詩になっていた。
既に深夜になる時間帯であるため日本の家屋であれば当然のように存在する雨戸も堅く閉じられているのだが、絶え間なく吹き付ける強風によって雨戸はカタカタと震えていた。
そして、その部屋でこれから眠りにつく一人の少女も、布団に包まりながらこれから起こる事に不安を覚えながら震えていた。
彼女は島田流戦車道家元の娘であり名前を愛里寿という、弱冠13歳ながら大学生という稀に無い才能を持つ少女であった。
明灰色の美しく艶やかな髪を持ち身長135センチメートルという小柄な体格である彼女が、ボコというキャラクターをモチーフにしたフード付きのパジャマを着込み、同じキャラクターのぬいぐるみを抱いていた。それはシスターコンプレックスを持っていない者でさえ愛らしさを感じさせる姿であった。
この日、彼女は特別な理由もなくふらりと実家に帰って来て、家人や使用人を大いに驚かせた。
特に母親である千代はこの行動に不審を抱き、娘に理由を尋ねた。
だが、愛里寿の答えは素っ気なかった。
「何となく戻って来たかったから戻って来た」
その彼女の答えに千代は益々不信感を大きくした。だが、これ以上詮索するつもりは無く、愛里寿が自発的に話すまで待つつもりであった。
世間の13歳ないし14歳の少女は恋、体、友達関係、学業、将来の事で悩みながら日々成長している多感な時期である。幾ら愛里寿が飛び級で大学生になった非常に有能な人物であったとしても、それは同年代より異様に頭の回転が速いだけであり、心は年相応である事を忘れていなかったからだ。
愛里寿がこの時期に実家に戻って来た理由は、不眠の原因となっている奇妙な夢を見ないで済む方法を探し求めるためであった。
学園艦に乗艦している医師の診察を受けた事もあったが、今まで見てきた夢の内容があまりに恥ずかしい内容であり赤の他人へ話すには中々勇気がいる内容であった。だから、愛里寿は「色々悩み事があって寝付けなくなりました」としか医師に話せなかった。
医師としても、患者である愛里寿からそのような大雑把な説明だけで診断せざるを得ず、ごく一般的な処方として数日分の睡眠薬を渡す事しか出来なかった。
当然ながら愛里寿にとっては何も変わらない結果となった。睡眠不足は彼女の体を蝕み、気力や体力を少しずつ削り取っていった。
例の夢を見てから朝を迎え寝ぼけまなこで鏡を覗き込んだ時、顔に疲労に色が浮かんでいる事に気づき愕然とした彼女は遂に母に相談する事を決意した。
だが、実家に着いた途端にその気力が揺らいでしまった。もう一日待とう。今夜、あの夢を見なければお母様に相談する事は止めよう。そう考えてしまった。
幾ら母と娘の関係が良好な島田家においても、娘の立場として母に余計な心労を掛けたくない一心で秘密にしたい事があるからだ。
結局、この日は千代と取留めのない話をしてするだけで一日が終わり、就寝前の支度を整えてから布団にもぐり込んだ。
夜になっても風は弱まる気配を見せなかった。
冬でも青々とした葉を湛え続ける庭木はざわめき続け、固く閉じられている雨戸が震える音と共に彼女の耳に程良い音量で流れ込んで来る。常夜灯も消灯し漆黒の闇に包まれた部屋の中で、彼女はそれを子守唄のように聞きながらまどろみ始めた。
そして、あの夢を見ないで朝が迎えられる事を願いつつ眠りについた。
◆◇†◇◆
この日、彼女が初めて撫でられた部位は唇だった。
夢うつつであり意識が朦朧としていた愛里寿は、いつものように顔を背け奇妙な現象から逃れようとした。
だが、この日はいつもと様子が違った。すぐに彼女の唇に温かみのある何かが密着した。まるで誰かの唇のようだった。
「んむ? んん!?」
虚構である夢の世界に居るにも関わらず、妙に現実感がある何かが彼女に触れた事は今迄に一度も無かった。
予想していなかった展開に困惑し始めた彼女が夢から覚め、やっとの思いで目を開くと目の前に現実世界では有りえない光景が広がっていた。
「……何、これ? 私、まだ夢を見ているの?」
思わず一人で呟いたが、その声は虚しく部屋に響くだけだった。
何時の間にか点灯している常夜灯の光を背景にして、何かが部屋の中空に浮かんでいた。
それは彼女にとって忌むべき存在であり、そして既に彼女の手によって現実世界から存在を消した筈の物体であった。
「どうして、あの筆が……」
どんと焼きの炎で焼いたあの筆、間違いなく彼女の手によって燃え盛る炎に投げ入れたあの筆が、目の前に浮かんでいた。
俄かに信じられない光景を目の当たりにした愛里寿は、未だに夢を見続けているかと思い自分の頬を抓ろうとした。
だが、利き手である右腕を動かそうとした途端に、更なる困惑に襲われた。
何時の間にか掛布団が取り払われていたのだ。それだけではなかった。腕が動かないのだった。
「右腕がダメなら左腕よ」と力を込めるが、こちらも動かなかった。
彼女が何度か腕を動かすうちに、彼女は朧げだが状況が掴めてきた。
どうやら両腕とも、手首のあたりを何かで拘束している様子であった。
金属のような冷たさは感じられず、紐が巻き付いているような感触もなかった。
ただ木綿のように柔らかいがずっしりと重みを感じさせる何かで押さえられているような感触であった。
では、足はどうだろうかと考え足に力を入れるが、こちらも同様に動かせなかった。
足がダメなら体ごと動かせばと思い付き、上半身を起き上がらせようとした。
だが、体を少々捻る事は出来ても、宙に浮いている筆に背中を向けるようには出来なかった。
四肢が拘束されている状況を完全に把握した愛里寿は、次第にこみ上げて来る恐怖に襲われた。
もう、何がなんだか分からない。誰でもいい。私を助けて。
錯乱しつつあった彼女は、ありったけの力を声に変換して大声で助けを求めた。
「お母様、お父様、助けて! 誰か助けて!」
だが、しばらく時間が経過しても何の反応もなかった。
もう一度大声で助けを呼ぼうとしたが、その時に初めて気づいた。
就寝前に聞こえていた、庭木がガサガサと鳴る音や雨戸がカタカタと鳴る音が一切聞こえないのだ。
耳を澄ましても聞こえるのは彼女の呼吸音だけであった。
「どうやって、音を遮ったの?」
時には煩いだけで鬱陶しく、時には頼もしさを感じさせ、
困難な状況でも確実に歩み続ける意思を感じさせる履帯が、大地や大岩に噛み付きながら前進し続ける動作音。
そして共に戦い愛里寿を戦車長として尊敬の眼差しで見つめてくれる搭乗員達との雑談。
そのような様々な音に溢れている戦車の車内と比較すると、この部屋は彼女の鼓膜が破れて音が聞き取れなくなったかと誤解してしまう程の異様な静けさが支配していた。
「そんな、こんな事が……」
有りえない筈の光景、有りえない筈の静けさ、有りえない筈の状況。全てが有り得なかった。
これが愛里寿ではない女の子であれば既に気絶していたかもしれない。
だが、直径75ミリや88ミリ、更に600ミリの砲弾が音速を超えて飛び交う
これから彼女の身に起こる事を考慮すると、この時点で気絶しておけば傷が浅くて済んだのかもしれない。だが……。
◆◇†◇◆
愛里寿が抵抗を止め目の前に浮かぶ筆を注目し始めた。
筆は愛里寿が身じろぎしなくなった事を理解すると静かに降りてきて、パジャマの胸元にあるボタンの上に止まった。
そして、筆は先端が整っていた穂先を鋭利な刃物のような形状に変化させていった。
「えっ、うそ……」
次々に起こる展開は彼女にとって理解出来ないものであり、これから起こる事も注視するしか出来なかった。彼女の困惑を余所に筆はパジャマの合わせ目にある隙間に挿し込み、ボタンを一つずつ弾き飛ばしていった。
「な、何をしたいの……」
これから筆が愛里寿に何をしようとしているのか察した彼女は、それから逃れようとして右へ左へと体を動かした。だが、既に拘束されているので彼女の抵抗は無駄だった。
幾つかあるボタンを弾き飛ばしながら腹部まで下りてきた筆は動きを止めず、そのまま合わせ目の終端まで到着した。そして、下腹部を目指してパジャマを切り裂き始めた。
「そ、そんなぁ!」
パジャマが切り裂かれるにつれ次第に露わになる、白さが際立ち滴り落ちてきた水滴を弾き飛ばす程のハリがある肌は、就寝前より冷たくなった部屋の空気に晒され次第に赤味が増していった。
パジャマがビリッビリリッと切り裂かれる音を聞こえると彼女は悲しくなった。
お気に入りのパジャマが傷ついていく事が悔しかった。
だが、それより母親にさえジロジロと見られたくないアレが筆によって露わにされるのがとても恥ずかしかった。
筆は目的の位置までパジャマを切り裂き終えたらしく、再び彼女の胸元の上にまで戻って来た。
彼女のはだけたパジャマの間に見え隠れする、グレー色の布地にハート型や星型のマークを鮮やかなピンク色でプリントしたジュニアブラジャーと、フロントに小さなピンク色のリボンが縫い付けられた同色のジュニアショーツが、赤味を増した肌と一緒に常夜灯の朧げな明かりによって闇から浮かび上がっていた。
筆は愛里寿の姿を堪能するかのように暫く留まっていたが、やがて筆は降りてきた。
そして、日に日に高さを増しつつある、小さな二つの丘に挟まれた谷筋とジュニアブラジャーとの間に生じている隙間に穂先を挿し込んだ。
「止めて、それ以上は止めて!」
愛里寿の懇願もむなしく筆はジュニアブラジャーを切り裂いていった。
ビリッという音が聞こえなくなった途端に筆は器用に右へ左へとブラジャーだった布地をパジャマと一緒に捲りあげ、彼女の胸を露わにした。
恐ろしさ、悔しさ、恥かしさが混ぜ合わさり、表現しようがない感情に満たされた彼女は嗚咽が混じる声で彼女なりに抗議の声を上げた。
「どうして、私、何かしたの? 何か悪い事でもしたの?」
愛里寿の声に反応したのか部屋の空気が一瞬震えた。
次の瞬間、愛里寿は自分の目を疑った。常夜灯の光以外は闇に包まれている部屋に何かが居たのだ。
それは自然の摂理では床や壁に現れるのだが、それを無視するかのように愛里寿の目の前にいた。
「か、影……」
光に晒すと向こう側が透けて見える程に薄くて黒い布地から、人間の輪郭をトレースして切り出したかのようにそれは存在し床に足を密着させて立っていた。
『影』という表現しか出来ない存在であった。
「あ、貴方は誰?」
「名前は……、どうでもいい」
「『影』って呼んでもいいかな」
「好きにしろ」
影は冷たく感じる声で答えた。だが、愛里寿の問いかけには丁寧に答える様子であった。
「貴方は何しに来たの?」
「お前が筆を燃やしたから、ここに来た」
「貴方は筆なの? いつ、どこで燃やしたの?」
「とぼけるなよ! お前がこれまでしてきた事は全て見ているのだからな!」
「うぐっ」
そう言われてしまうと返す言葉が出ない。愛里寿の沈黙を肯定と受け取った影は話を続けた。
「俺は筆ではない。筆を作った職人だ」
「へえ、そうなんだ」
「あの筆は俺にとって傑作だった。今迄に何本も筆を作って来たが、その中で一番手間暇を掛けて作った最高傑作だったのだ。だがお前は俺が渾身込めて作った筆を燃やした。お前の字が汚いのは俺の筆のせいだと決めつけた。だから俺は許せないのだ」
「もう一回作れば」
「それが出来れば苦労しない」
「どうして?」
「俺はもう死んでいるのだ。俺の体はもう存在しないのだ!」
「そうなんだ。じゃあ、私は関係無いじゃない。早く出て行ってよ」
「……」
今度は影が絶句した。その隙に愛里寿は反撃した。
「だって、死んでしまったらその時点でジ・エンドだよ。幽霊なら幽霊らしく、影から影らしく生きていくべきじゃない? そもそも貴方が生きている時に幽霊さんからちょっかいを出されたら嫌がるでしょ。だから、私に意地悪しないで」
「……おい、あっさりと言うな」
「本当のことじゃない。死んだから筆が作れないからっていう理由で私に意地悪するのはおかしいよ。貴方の行動は八つ当たりって言うのよ。男としておかしいでしょ!」
「なあ、お前が筆を燃やした行動は何て言うか分かるか? 俺が懇切丁寧に教えてあげようか?」
「ぐっ!」
ブーメランのように帰って来てしまい次の言葉が出てこない愛里寿に、影は更に話を続ける。
「いいか、良く聞け。あの筆はお前の母親がお前の大学進学祝いとして特別に注文した筆なのだぞ」
「そうなんだ」
「一般的に大学への進学祝い品は万年筆やボールペンだが、お前の母親は筆を選んだ。そもそも、お前はあの筆の価格を知っているのか」
「えーと、一万円かな?」
「50万円だ」
「ご、ごじゅうまん……」
「市販されている書道用の最高級の筆でも10万円強だ。それを理解した上でお前の母親は俺に発注したのだ。50万円の価値がある筆を作れってな」
「そ、そうなんだ」
「だから、俺はそれ相応の価値がある筆を作ろうとした。あの筆は手で掴む軸に、お前の名前以外に島田家の家紋や戦車の模様が入っていた事を覚えているか。あれは蒔絵という日本の伝統的漆工芸で装飾したのだ。俺が筆職人として人間国宝になられた大先生の口ぎきで蒔絵職人の大先生を紹介してもらい、何度も頭を下げて作って下さった工芸品なのだぞ。穂先にだってこだわったんだ。馬、山羊、狸といった獣から刈り取った体毛から上質の物を選ぶために日本や中国を駆け回ったのさ。そうやって掻き集めた体毛から最上級の物を選んだのさ。太すぎても細すぎてもダメ。枝毛もダメ。そうやって選び抜いた体毛から更に太さが均一になるように何度も梳いて刈り揃えたのだ。穂先を軸に固定するニカワだって……」
愛里寿は延々と続く影の解説を聞き流しつつ、「お母様、何を考えておられるの?」と心の中で呟いていた。
一般的に大学進学祝いの贈答品で50万円を費やすのは尋常では無い。だが、千代の金銭感覚では「普段よりちょっと奮発した」程度の感覚であった。
確かに千代は金銭感覚が一般的感覚からずれており、惜しげも無く大金を注ぎ込む事があった。ギャンブルに注ぎ込む事が無い事が幸いだが、慎重に資金を運用する者から見れば彼女は大胆不敵を通り越して見境なく行っているように見えた。
だが、千代の言い分では「必要な所に必要な額を投入しているわ。何か問題がおありかしら」となる。
彼女の言葉に間違いは無い。彼女の大胆な決断があったからこそ、島田流戦車道は日本国外に道場を幾つか開設し日毎に門下生を増やしていた。
しかし、その資金繰りは危ういものであった。
毎年のように国からの補助金が得られるからこそ戦車道の流派として存続する事が出来るのだ。
もし、次年度の補助金が打ち切られた場合、海外の道場は閉鎖するだけではなく国内にいる門下生達からの月謝を増額しないと組織として立ち行かなくなってしまう事態に直面するが、それは別の話とする。
延々と続く影の話に興味を失い始めた彼女は、彼女らしくストレートな言葉で話を打ち切らせようとした。
「今迄ずっと聞いてきたけれど、それって貴方の自己満足じゃない。意味が無いよね」
愛里寿として精一杯考えた言葉であった。
だが、残念な事に、この発言は鋭利な刃物のように影の心に突き刺さった。
まだ13歳の彼女が知っている語彙は少なかったからだ。
おまけに無表情で話したので余計に彼の心をささくれさせた。
誰もが忘れている事だが、愛里寿は戦車道以外の事については年相応の女の子である。
まだ「手間暇かけて作っていたなんて知らなかった」というような発言をしておれば丸く収まったのだが。
「あったまに来た!」
「えっ?」
「俺は筆でお前の体に落書きするだけのつもりだった。だが、もう許さん。お前を徹底的に虐めてやる」
「えっ? えっ!?」
「お前、俺がこれからする事が分かるか? 」
「わ、分からない」
「お前がまだ経験していない世界を思う存分味あわせてやる」
そう言うと、影は筆を愛里寿の胸に下ろしていった。