南アフリカの最南端に位置するアガラス岬。
まだ魔族なんてふざけた存在が世間一般に現れるまではここも『希望岬』などと呼ばれていた美しい岬であった。ただある事象により希望とは程遠い『絶望岬』と呼ばれる光景に様変わりしている。
黒々と荒れ狂う厚い雲。渦を巻くようにして辺り一帯を覆い隠している。
そのどす黒い渦の中心に吸い込まれるようにして水面が天へと向かい、竜巻のように昇っていく。
世界で確認されているだけでたったの五ヵ所――魔界と人間界を繋げる“門”の姿だ。
魔界門。現在存在が確定しているもので、日本に三箇所、露欧連合帝国に一箇所、そしてアガラス岬に一箇所だ。
門とは言うものの姿形は不一致が多いい、露欧連合帝国で確認されている“門”は実際に鉱物で形成された門であるらしいが、ここアガラス岬の門は渦巻く竜巻のような姿をしている。
「楽しいハンティングだ。さくっと終わらして、俺たちは
通信機越しにフランシスの声が届き、グレイグのかすれた笑い声が聞えた。
“門”の周囲を旋回するヘリの中で私たちは占拠されたイージス艦ハンニバルを探していた。
二世代前のイージスではあるがステルス機能を搭載した船を捜索するのは少々骨の折れる作業だ。ズムウォルト級の最終艦であるハンニバルはそれこそ最高傑作を目指し作られた戦闘船舶で、他の船舶と比べても並みの装備ではない。
「台湾危機」で米連は大きく戦争産業を発展させた結果、生まれた化け物の末っ子。
このヘリに詰まれている機材では間違いなくハンニバルを見つけきる事はできない。衛星で捜索できればすぐなのだが、占拠した者の頭がいいのか、運がいいのか、“門”が作り出した分厚い黒雲のせいで衛星画像は真っ黒だ。
『眼凝らして探せ、巣穴はこの近くにある』
パイロットの通信が入り、より深く黒々とした辺りに眼を向いた。
「俺たちにとっていい舞台じゃねえか。ハンニバル、英雄の名前だ」
「人食いの方かもしれないわよ。狐だし、きっと
「洒落になってねえよ」
アナベルとフランシスがそういい、土俵の名前を笑い話に変えようとしていた。
だがフランシスの言うとおり、かなり笑えない。
昔のトマス・ハリスが書いた推理小説の
登場人物レクターは知能犯で、完全警備の牢獄から逃げ遂せるだけの力と頭を持ち合わせ、青年期に幾人もの軍人を殺し、それを調理し食べている。
グレイグの
レクターは死肉を弄んでいる。
私たちの乗り込む『ハンニバル』は、英雄か、それとも怪物か――
「見えた……ハンニバルだ」
グレイグが指差した先にそれがいた。
三角形で出来た鋼の城が黒の世界を航行している。現在進行形で魔族に占拠されている現代科学の海を渡る城、イージス艦『ハンニバル』がいた。
『ステルス滑空に入るぞ。振り落とされんなよ』
電子装備の要塞である『ハンニバル』に輸送ヘリのステルス滑空など意味を成さない。
雀の涙も意味を成さないが、この輸送ヘリは
ヘリに大きな振動が伝わり、ジェットコースターの下りのように腹の中が浮き上がるような感覚が襲う。小窓から見えたヘリの補助翼が大きく可変し、まるで梟が獲物に襲い掛かるような羽の開きようだった。
人工筋肉と
徐々に『ハンニバル』に接近する。
「ハハッ、こいつは面白い! みんな楽しい狩りを」
グレイグが錯乱気味に言う。
「ええ、楽しい狩りを」
「ああ、キリストもビビる楽しい狩りだ」
アナベルもフランシスも笑って答え投下姿勢を取った。
私も静かにホルスターの留めを外して言う。
「楽しい狩りを、
壁に寄りかかりアイナは投下姿勢を取った。ふと背後の投下ハッチが開き、アイナたち狼を黒暗の海へと投げ捨てられた。
肌に纏わり着くような生暖かな潮風、眼前に『ハンニバル』を捉え着地態勢を取りながら体を風に乗せ滑空していく。鋼の城は人気がまるで無く静まり返っている。
まるで無警戒。生物的余裕か、はたまたハンニバルの操作を知らないだけなのか。
どちらにしろ私が滑空侵入するルートは人が全くいない垂直発射装置の真上。
体を半回転させ錐揉みしながら、体を大きく広げ全身で風を受け速度を殺していく。
これでは狼というより猫だ。
着地と同時に体を捻り新体操のように体を躍らせ、空中で押さえれなかった速度を削り封殺した。
「見事な着地だ」
「お前もなフランシス」
アンテナ類に掴まっていたフランシス。
準備運動は終わったと言いたげな顔でアンテナから降りた。
フランシスはオートマグの撃鉄をカチカチと打ち鳴らし、
艦橋のほうで散発的に銃声が鳴り響いていた。
「グレイグたちも狩りを愉しんでるな。乗り遅れるなよアイナ」
「お前もな」
私とフランシスは同じタイミングでジャンキースターに火を灯し、苦味の中に甘みの混じる煙を肺に含ませた。準備は整った。――
小ざっぱりした通路を走りぬけ、天華と呼ばれる妖狐を探す。
敵は一匹だけだが、グレイグたちの発砲回数から聴いても明らかに複数人の敵対者がいる。
魔物。いや、きっと人間だ。
天華は人間の行動を操るという妖術を使うと調べでわかっている。
妖術と言ってもそれは模様や匂い、感覚器官から得た情報から一種の催眠術であるという事がわかっている。そのために私たちは一部感覚情報を遮断するナノマシンを注入し、操られなくなっている。
奴らの姑息な手は私たち人間には一切聞かない。
嗅覚に引っ掛かる気色の悪い香り。階段を飛び降り、受身を取りつつ銃を構えた。
そこに居たのは人であることをやめた海兵であった。
恍惚と言った表情を浮かべ中が、ズボンを膨らませ絶え間なく射精していた。
気の抜けるような姿が体から滾らせた殺意だけは隠し切れない。
私を捉えた瞬間に、手に持った小銃が揺らめきこちらを向こうとしていた。
相手よりも先に私の銃が眉間に銃口が向き、引き金を引こうと指に力をかけた瞬間に悪い癖が出る。
(……ッ)
撃つ相手の過去を、その者を厭うもの達の姿が頭をのなかを掠めた。
ふとトリガーに掛かっていた指の力が抜けてしまう。
――こいつは、操られているだけ。殺してしまってはダメだ。
そんな考えが思い浮かび私に躊躇を植え付けていた。どうにかして助けられないのか、膝や肩を撃ち割ってはどうだろうか、そうすれば無効化が出来る。
だが相手は待ってくれない。銃口が私に向き快感にとろけた表情で私を撃とうとしていた。
「アイナッ!!」
怒声と共にフランシスが階段から飛び降りた。
天井に張り巡らされたパイプの一本を掴み、敵の額に弾丸をぶち込んだ。
ボシッ、と奇妙な開通音と共に敵は支えの無くなった人形のように崩れ落ちた。
「まだ躊躇を棄てられねえのか、おめえはよォ」
「操られてるだけだ……こいつらは操られてるだけだッ!」
「ッ!!」
フランシスは私の胸倉を掴み挙げた。
「いいか、ハンニバルの乗員にはとっくの昔に殺害許可が下りてんだよッ!! 殺していい不必要な人材だ。おめえもこの仲間になりたいのか。いやだろ、なあッ!!」
「こいつらにも家族が――」
「家族なんていねえよ!! ここが占拠された時点で乗員の親族には死亡通知が行ってんだッ!! 疾うの昔にこいつらはこの世にいない、シャバに戻っても受け入れられねえ!!」
フランシスは私を怒鳴りつけて言い聞かせた。
こいつらは死んでいる。そう、死んでいる社会的に。
既にこいつらの社会保障番号は抹消され、今までに残した経歴は死者としての経歴と書き換わっている。書類上この世に存在するわけのない人間たちなのだ。
生きて戻れても人間として登録はされず、生きるすべは非合法のものとなる。
そうするしか生きる術が残されていない。
「いつお前はそんなに甘ったれるようになった。魔族をぶっ殺すって言ってたおめえはどこに行った?」
「こいつらは――人間だ」
胸倉から手を放したフランシス。
不機嫌そうな表情は顔に張り付き落ちそうに無かった。
「おい何だよこりゃあ……」
フランシスが睨みつける先にいたのは屍した兵士がいた。
死んでいるはず、額に穴を開けられ脳味噌をぶちまけて死んだ筈。
だがその兵士は自前の二本の足で立っていた。
額より空いた穴と、眼と口より黒々とした霧が漏れ、顔を覆い隠す。
「――――――」
兵士が発した言葉は人語ですらなかった。
人の叫びではない。人の喉より発声できる言葉ですらない。
人外の声。明らかな魔族の寄生から生まれる、
引き金を絞る軋みに反応したのかハーフ・デーモンは床を蹴り上げ、壁天上、あちこち跳ね回る。
骨の折れる異音、肉の潰れる怪音。寄生魔獣の身体強化に宿主の肉体が耐えられていない証拠だった。
左腕を振り、敵がいれば足を掬い上げるように銃を横に凪いだフランシス。
ダンっと銃声が鳴り、弾頭が火花を散らしながら壁を沿うように天上に這い上がる。
壁より突き出たボルトに跳弾した弾丸は天上のライトにさらに跳弾。
狙って行われた故意的な弾道遊び。
あちこち跳ねていたハーフ・デーモンのこめかみに跳弾させた弾丸が吸い込まれるように着弾した。
「なんだこいつッ! ド頭にぶち込んだ筈だぞ!」
こめかみを打ち抜かれた筈のハーフ・デーモンは飛び回る勢いで壁に自らの体を叩き付けた。
床へと転がり、激しい痙攣を起こしながら立ち上がる。
その姿は活発なゾンビのそれと変わりない。マーク・フォースター製のワールド・ウォーZに登場するゾンビのようだった。
余りにも人間とは違う動きをするそれに私の背筋に悪寒が舐めた。
私もこれを人間とはもう見れなかった。完全な別生物、害獣だ。
膝立ちで瞬時に発砲。一秒も満たない間に四連射。
だがハーフ・デーモンの生命力は異常を極めた。
両手で床を叩き、天井に跳ね上がる。逃げに徹する動きで、艦の奥へとまるで
「あ、あれはなんだっ!」
「知るかッ! あんなの聞いてねえっ!」
妖術の使い手である天華はさきほどのような異常な怪物を作り出す業はない。
となれば答えは一つしかない。
もう一人、ないし複数体の魔族が『ハンニバル』を占拠している。
フランシスが忌々しそうに舌打ちをした。想定外の事態だった。
幾ら処刑執行権の獲得試験だったとしても、米連軍がガセの情報を渡してくるとは考えられない。
となればこの状況は完全なイレギュラー。おそらく“門”より出てきた別種の魔族。
だがこんな寄生魔獣を繰る魔族の話など聞いたことがない。
影のような煙を上げる魔獣。人体に入り込みケダモノに仕上げる。
「死霊術――
「馬鹿言え、あんな血の気のいい死霊がいて堪るか。それに
筋肉が強張り、こめかみがズキズキと疼く。
興奮と緊張が綯い交ぜとなり
忘れ掛けていた興奮。今まで人に対して向けていた殺意が、人だからくすんでいた殺意が芽を出した。ああそうだ、今回の敵は魔族なんだ――お母さんの仇なんだ。
ふるりと体を震わせて、今まで押さえ込んでいた報復心を呼び覚ます。
敵だ、敵だ、敵だッッ!!
「フッ、ようやくお前が戻ってきたなアイナ」
「ああ。忘れてた、こんな気持ちだった。こんな胸糞悪い気持ちが大事だったんだな」
グリップを強く握り締め、私たちは敵を探し駆け出した。
洗脳された兵士――撃つ。
黒の煙を上げる兵士――ヘットショット。
奇声を上げる整備兵――弾丸のプレゼント。
ここにいる人間は私とフランシスと、アナベルとグレイグだけ。
あとは敵、あとは全部全員――魔族だ。
『後部甲板、ヘラジカが現れたっ!!』
通信機からアナベルの声が届く。
私たちで決められた合言葉で異常事態であることを知らせていた。
ヘラジカ――私たちの合言葉だった。雪山の中での最も会ってはならない野獣、即ち出会った時点で異常事態だ。その異常事態が後部甲板で起きている。
鉄扉を蹴り上げ、後部甲板に辿り着く。
そこにいたのは真っ黒な煙を身に纏う――「何か」であった。
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