「終わったよ。旦那」
呼び声にフランシスは目を覚ました。
青白い水銀灯で照らし出された寝台の上でここがどこであるかを思い出す。
「調子は?」
「ぼちぼちだ。脳機能状態は基本値に止まってる、付随機能に関しても許容範囲内に止まってるよ」
「ガンは弾ける訳だ」
Yシャツの袖に腕を通し、主治医に向き合う。
フランシスの
蘇らせた魔科医の桐生美琴から逃げ出して以来、ずっとこの医者に掛っていた。
診察台で頭を捻る主治医は気難しそうに唸る。
「旦那は日本で言う高次脳機能障害って……何度も言ったか。旦那はそれなんだ」
「それで? 高なんちゃらは体に問題が発生するのか」
「出ないけどもっと大切なもんに問題が出てる、ここじゃどうにも出来ないな。私の知人のヘロイン中毒魔科医に掛かるか、フラタニティをさっさと抜けてちゃんとした病院で治療を受ける事だ」
「それが出来たらとっくにやってるよ」
リクルートスーツを整えて、椅子に座り主治医と向き合う。
脳のレントゲン写真を貼り付けた主治医は説明を始める。
「旦那の脳味噌は随意機能、体を動かす命令系統はしっかりと働いてる。でも当たり所が悪い。ここだ見てくれ」
脳の一部分を指差した主治医。脳味噌のを縦に輪切りにした写真の真ん中に指差す。
「弾丸が右脳の海馬を僅かだが削り取ってる。その後の処理がよかったみたいだけど、旦那は定期治療を逃げ出しちまってその機能が失いつつある」
「機能を失ったらどうなる?」
「ひどい物忘れ、健忘症の症状が顕著に出る」
主治医は肺がん検診推進の広告チラシを裏返した。
「だからいつもこれをやっている。今から旦那がタカマガハラに来てから何をしたか、覚えている単語を一つずつ言ってくれ」
「単語か……傭兵、殺し、フラタニティ、後……なにか……」
フランシスは想像以上に単語が思い浮かばす首を捻る。
主治医は、傭兵、殺し、フラタニティ、の三つをチラシの裏に書き記しカルテに書き記す。
いつも通りの診断結果に頭を掻きながら診断を終えようとするが、フランシスはもう一つ単語を言った。
今までとは違う単語が出てきた事に少々驚きを隠せず、それを書き記す。
その単語は名前であった。
「――アイナ」
フランシスの
夜勤の眠気も吹き飛んでしまう。
「だ、旦那! 誰だそれ、どういった関係性で記憶した!」
「――アイナ……オレの女で――
フランシスは唸っていた。唸って答えを搾り出した。
「仲間」
空に広がる鉄の都市。
欲望と利権と革命の群集が混ぜ合わさった見捨てられた街。
誰もが羨む天空都市の末路がこれでは神は住むことはできず、見捨てることしかでないだろう。
アーデルハイトもその一人であり、この街に住む者たちは見棄てていた。
そうするしか手は残されていない。
タカマガハラの中央区に存在する巨大な“
その姿は真っ黒な三角柱で、「公式」にはタカマガハラの電力事情を一手に支える高効率熱量変換電力発電機とされている。
そのてっぺんで腰を下ろし街を俯瞰していた。ここから見る景色はどこよりも綺麗である。
住まう者たちがどれだけ欲望に意地汚い連中であったとしても、彼ら電気を消費し街に灯す光たちは何よりも美しいのだ。作り出す者たちは醜くともそれらが生み出すものは至極の芸術が産まれている。
何たる皮肉だろうか、これを
「――私のために人々があなたを罵り、迫害し、ありもしない事で悪口を浴びせるとき、あなた方は幸いです」
「マタイの福音書、五章十一節の言葉でしたね。信仰に篤い方だったとは驚きです」
顔を傾け声の主を見た。
グレーのスーツに身を包んだダンディーな顔の男。どこか眠たげに垂れた上目蓋が黒目を半分隠し、底知れぬ輝きが眼に宿っていた。
“
この場に居られる人間は、米連、露帝、日本の極限られた人間と“
「日本の官僚にしては宗教に詳しいのだな。ジェネラル山本」
「過去の文献は魔族が多く関わっております。自然と宗教方面に傾くのも当然です」
内務省公共安全庁対魔災三次対策室「
日本の持ちうる魔に対する最高の武力、対魔忍を統率する男だ。
「ご無沙汰ではないか。鷲津マテリアル社の一件ご苦労」
「国内の問題には無干渉のはずでは?」
「動向は確認する。こちらも国防が懸かっている」
隣に腰を下ろす山本は缶コーヒーを渡してくるが、自前のウイスキーボトルを見せて断る。
気温の調整で温かなタカマガハラであるが、ここまで高所に居れば
「
「フラタニティの件でしかないだろう」
「……私を通されても困ります。私は魔族に対しての対策しか行っておりません。『人』の討伐は専門外ですよ」
「皮を被りおって……フラタニティの件は少なくとも矢崎宗一の闇金が絡んでいるのだぞ」
「その話は初耳ですね……」
「だろうな。取っておきのジョーカーだからな」
山本を無理にでも協力させるにはこのカードが一番効果的だ。
日本政権与党「民新党」の幹事長であった矢崎宗一。すでに死亡を確認されているが、奴が残した影は日本にとって非常に大きい弱点の一つだ。
タカマガハラと同じく地下都市ヨミハラで兄弟が経営する違法娼婦館で莫大な闇金を作り、資金洗浄、違法薬物、テロリストとの係わり、ノマドとも関係が疑われていた。
最近の話ではあるが矢崎宗一は塵も残さず消し炭にされたのは対魔忍の仕業と言うではないか。
そんな失点を僅かでも挽回できる餌をアーデルハイトはチラつかせているのだ。
食いつく事は請け合いだろう。
「エドウィン・ブラックで手を焼いているのですがね」
「タカマガハラには
「……フラタニティの件に割ける人員は限られてきます。選抜するのも一苦労ですよ」
「殺しはやらせん。こちらの仕事だ」
無理にでも引き受けてもらわなくてはならないのだ。
タカマガハラには決して呼起してはいけない「魔」が眠っている。
「引き受けましょう。ただ質問を」
「なんだね?」
「火急すぎます。本国で何か不穏の動きでも?」
至極当然の質問だ。あまりにも急ぎすぎていた。
山本は寒さに耐えるように自動販売機の熱すぎる缶コーヒーを開け身を暖めた。
「今回のフラタニティの事件、米連にとって恥部に等しいとの達しだ」
「それで私たちにお鉢が? イーグル&サンクチュアリの武力で制圧できるでしょう」
「この街の三龍五兵八陣が何たるかも知らない馬鹿共だ。柱に傷を付けられては堪らん」
「設計を担当した対魔忍ならそのような馬鹿はしないと?」
「そういうことだ。時間はないぞジェネラル山本。米連は強引な手段を使ってもこの一件をもみ潰したい」
「軍事侵攻でも行うので?」
「
“
このタカマガハラが建造された本当の目的。人口増加などちゃちな理由などではない。
人口増加で上空に建造する理由など微塵もない。そうしなければならなかった理由が発生したのだ、上空に建造させるだけの脅威があったからタカマガハラが生まれたのだ。
「『
「そうですね……『
“
米連、日本、露帝とそれらすべての神経を尖らせなければ、エドウィン・ブラック以上の災厄が溢れ出す。そうならないためにも――
「現状こちらに割ける人員は二人程度です」
「充分だ。フラタニティさえ制圧できれば
混沌の引き金はちょっとした事で引かれる。
その引き金が世界の終焉を与える引き金だったとしても。
「あなた方は、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなた方を高くしてくださるためです」
「あなたの思い煩いを、一切の神にゆだねなさい。神があなたのことを心配してくださるから――ペテロの手紙第一、五章の一説ですよね?」
「君は官僚より神父のほうが似合っているよ」
美しい夜景にウォッカを呷る。不思議と落ち着いた気分にさせる。
見捨てるべき市民、守るべき体制。
大いなる矛盾の都市、いつもこの風景を見ると己に問いかける。――この
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