「根室 虎丸、参りました!」
「ご苦労、少佐」
入室の許可を得た後、緊張と共に扉を開ける。重厚な印象である、木製の扉は造りが良いのか思ったより大きく開いてしまった。敬礼をする僕に答えたのは、入り口正面の大きな執務机についている中将だ。
赤みを帯びた陽が窓から射す、薄暗い執務室には彼一人。
齢六十を超える海軍中将は、何故かとても疲れている様子だった。
「……さて、既に命令が下っているが君は明日より『提督』となる」
「はッ! 光栄であります!」
『提督』。
それは艦娘と呼ばれる海の、人類の守護神を指揮・運用する海軍の誉れ。選考基準は軍機とされており、選考に応募はしたものの競争率の高いその立場にまさか自分が選ばれるとは夢にも思っていなかった。
二十年前。
人類は突如現れた謎の敵、深海棲艦との戦争に突入した。
正確には、戦争と言えるかはわからない。何せ奴らには領地を寄越せだのといった要求も、宗教的観点からの主張もない。国家にも属してもいない。
ただ、海を、その上の空を進むモノを破壊する怪物。
その性能はありとあらゆる兵器による攻撃を無効化、さらに火力はどれほど厚く硬い装甲でも簡単に撃ち貫く。いくら速く動こうがその攻撃からは逃れられない。
そんな物理法則を無視しているとしか思えない性能な上に、数は無尽蔵。文字通りの底無しの物量が海の底から湧き出るように襲い掛かり、半年も掛からず世界の海とその上の空を支配した。
航海と航空の自由を失った人類はありとあらゆる手で母なる海と取り戻さんと、考え付く数多の作戦で反抗を続けたが人知を超える怪物に勝てるはずもなく敗退に次ぐ敗退。
そうして、誰もが諦めていくようになった頃。
彼女達が現れた。初めに、妖精と呼ばれる小人達。そして、艦娘だ。
艦娘達はかつての大戦で実在した艦の名を持ち、それらを模した砲や艦橋……艤装と呼ばれる装備を身に纏い、深海棲艦への反抗を開始した。その性能は人知を超える怪物をいとも容易く撃破、この国の制海と制空を取り戻して見せた。
まさしく救国の女神達。
そんな彼女達が我が国に求めたのは資材や食糧などの僅かばかりの物資や活動拠点、そして極少数の指揮官だけだった。
曰く、彼女達にはそれが必要らしい。自身らを指揮運用してくれる人間、『提督』が。
瞬く間に子供のなりたい職業ナンバーワンは男女問わず『提督』となった。
これまで苦しめられ続けた深海棲艦、それに唯一対抗し得る艦娘達。それを指揮する『提督』という立場。海軍人事省は多忙を極めた。
そんな競争率の高い立場を、僕が何故射止めることが出来たのかはわからない。
海軍大学を卒業し、訓練に訓練を重ねた。しかし艦娘に関しては軍機の為に何一つ教えられない。教練も一般的な海軍軍人に必要とされる内容だけだ。だから、艦娘を指揮する立場になるまで要される能力は知る由もない。
もう明日には『提督』となる僕にすら、艦娘についての資料が開示されるのは鎮守府着任後という徹底っぷりだ。
だが、僕は選ばれた。
「最後に、もう一度問う。君は、この国の為に命を捧げられるか」
「はッ! お国の為、護るべき国民の為! この命果てるまで全てを捧げます!」
「……全てを、か。宜しい、明日の準備を進めたまえ、少佐」
僕は、何か間違っただろうか?
返事を聞いた中将は、僕の言葉に眉間の皺を深くして目を伏せる。間違っていないはずだ、訓練学校でも同じ宣誓をしている。軍人がその命を捧げるのは当然のことだ。
しかし問い質すわけにもいかず、中将の言う通り敬礼して退室する。
明日から僕は『提督』だ。
誉れ高いその名に気分は高揚している。明日は、栄光に輝いていた。
◇
「お疲れ様です、中将」
「……ああ」
何度やっても慣れることのない、慣れてはいけないやりとり。
これから『提督』となる者に対して最後通告となる問答を行う。やっても無駄であることは分かっている。
指名された時点で、私は彼らを捧げなければならない。
新品の白の軍服に身を包んだ青年。彼は、婚約者がいたはずだ。
これから支えるべき家族、その為に待遇の良い『提督』を志した彼。あの真っ直ぐに私を見つめてきた、希望に溢れている瞳が糾弾する。私は、また罪を重ねた。
「ふふっ、今回の着任も問題なく終えられて良かったですね」
「……ああ」
青年が退室した後、断りもなく入室した彼女。
隣室から様子を伺っていた彼女に対してせめてもの抵抗として同じ言葉を返す。
黒の長髪、どこか幼い印象だが眼鏡で知性を感じさせる少女。
女学生が着る制服のような衣装。
大淀型一番艦、大淀。
私の監視役を勤める艦娘だ。私に、真実の告白を許さない為の監視役。
『提督』。
政府が喧伝し、国民が讃えるそれ。何時まで、この秘密は守られるというのか。
――『提督』とは生贄の代名詞だ。
『提督』となる彼らは知らない。国民も、知らない。軍や政府の中でもこの秘密を知るのは一部のみだ。
人類の仇敵たる深海棲艦に対して、そして人類に対しても無敵の強さを持つ艦娘が求めた代償は、彼らだった。
『提督』を下さい。
喧伝されている立場、存在ではない。
――『提督』とは、ただの艦娘の番。種馬、母体だ。
既に国内で確認されている艦娘。百を優に超える彼女達が求めるのは一貫してそれだ。
艦娘とは。
未だ研究の最中にあり、結論を見出せない彼女達。
分かっていることは、まず深海棲艦に対し唯一有効な戦力を持つこと。
その繁殖に、人を必要とすること。
人類の救世主、それに間違いはない。
彼女達は理性があり思考があり人類とコミュニケーション可能な知性を持つ。
だからこそ、軍に、政府に交渉を行った。
人を護る為に、艦娘の数が必要であると。
自身らを増やす為に、人が必要であると。
事実かどうか、今も研究が続けられている。
しかし、彼女等艦娘の要求を断ることは出来ない。
何しろ人類が対抗し得ない深海棲艦、それを圧倒する艦娘。彼女達は人類の上位存在だ。人類がその要求を断れる理屈は存在しなかった。
そうして、艦娘と政府による密約が交わされた。
その内容について、様々な議論、憶測が飛び交った。
艦娘側の要求は、『提督』としてその生贄を差し出すこと。繁殖の為に必要な人間を、ただの交配相手である人間をあくまで人類の守護者、誉れ在る立場の軍人として差し出すこと。
政府は混乱した。
何故、そのような要求をするのか理解できない。問い質しても答えない。
人類を交配に使う下位生命体として捉えるのならば、その深海棲艦すら圧倒する力で支配してしまえばいい。それが、人類の持つ価値観における最大効率だ。
理解は、追いつかぬまま。
結局の所、政府はその要求を呑んだ。
生贄となる人間の選定については困窮を極めた。何せ、どんな扱いを受けるかも分からない。
最初の生贄は、海軍トップの息子だった。
艦娘達が拠点とする場、今では鎮守府と呼ばれるそこに他の人間が立ち入ることは許されなかったが、盗聴機や敷地外からの観察は見過ごされた。
正しく英雄的な行動を行った青年、彼の行く末はある者には悲惨に、ある者には羨望で見られただろう。
陵辱に次ぐ陵辱。代わる代わる、或いは一人の艦娘にひたすらに精を搾られ強奪され続ける毎日。艦娘に求められる『提督』とは、性奴、または番だ。
しかし、艦娘達の要求により外部にそんな真実を晒すことは叶わない。
そんな状態のまま、次の『提督』を要求され続けた。
だから政府は、軍は誉れ高く未だ困窮にあるこの時代で待遇の良い『提督』候補を募集し続ける。
集まった『提督』候補達は、プロフィールや写真をまるでカタログのように並べられて艦娘達に選ばれるのを待つ。
艦娘が選択に至る理由は不明。人の価値観における美醜は理由には数えられていないようだ。
女性の形である艦娘の番であるに関わらず、男性のみならず女性が選ばれることもあった。
わかっているのは、生殖可能な年齢であることくらいか。
実際、既に彼女らの要求の成果は上がっている。
人との交配によって新たな艦娘が誕生しているのが確認されているのだ。
半年程の妊娠期間、半年程の成長期間。一年程で成体として艦娘は完成する。
母体が艦娘の場合のみならず、人間の女性だった場合も同じようだ。人間の場合、その生殖機能を改造されている可能性があるという。まさしく、化け物の所業だ。
当然、そんな要求に屈するべきではないという意見は噴出した。これでは、屈する相手が深海棲艦から艦娘に代わっただけであると。私も、そう思う。
しかし、艦娘の要求を断り深海棲艦、場合によっては艦娘とも対立すればこの国は、人類は死に絶える。
交渉として『提督』を差し出すことを渋った時、艦娘はその艦載機によって無人索敵機を撃墜した。外部には深海棲艦によるものと発表されたが、間違った選択をした政府には艦娘によって通告が、脅迫が行われた。
できれば、殺したくない。だが、こちらの要求を断るのであれば。
我が国は、新たな主を認めた。
表向きは優秀な海軍軍人によって指揮運用される艦娘、それによって深海棲艦からの脅威から我が国は護られると。艦娘達は、救国の女神であると。
実際は、彼女等が求めた生贄でしかないというのに。
彼女等の求めた生贄を、その元に送り続ける私は罪を重ね続ける。
これまで、艦娘達の元へ行って戻ってきた者はいない。いずれ名誉の戦死か戦闘中行方不明として処理されるだろう。
極秘に値するこの事実を胸に仕舞い続け生贄達を艦娘達の元、鎮守府へ。死地へと送り続ける。
――命を捧げるという、生贄達を騙し続ける。
生贄が捧げられる鎮守府は人の尊厳が奪われる地獄か。もしくは快楽に甘く浸り続ける極楽か。
「さぁ、次の『提督』がそろそろいらっしゃいますよ」
大淀はそう言って隣室へと身を隠す。同じだ、同じことをし続けるのだ。
罪悪感を隠し続けろ。
もしこの秘密が暴かれれば、国民は許しはしない。艦娘と人類の関係は破綻する。そうなれば、全てが終わる。
ノックの音に、入室を許可する。次の生贄は、孫娘と同じくらいの年頃の少女だった。