『えっち』から始まる恋があってもいいじゃない? 作:カゲロー
糖分を意識したのですが、なかなかに難しいものです。
「そう言えば、ちょっぴり気になったんだけど」
「ん? どうした、葵?」
修学旅行の出発を翌日に控えた前夜、各々の荷物の最終確認をしていた海斗は、自分の分を手早く済ませた葵へと問い返す。
「いやね、この間実際に見たんだけど、海斗くんってものすごく強かったりするのかな?」
思い返されるのは、満員電車と言う狭い閉鎖空間の中で凄まじい無双っぷりを披露したあの時の光景。
周囲の乗客たちが巻き込まれてはたまらないとばかりに距離を開けていたとはいえ、それでも自由に動けるスペースはほとんどなかった。
だというのに、10人近い成人男性を無傷でボッコボコにできたのはいったいどういう事なのか?
「ん~……まあ、そこそこ? 剣道の有段者を素手で瞬殺できる程度かな? ――っと」
さらりとすごいコトを言ったことに、本人は自覚していないのだろう。驚いてぽかんとした表情で自分を見つめる葵に気づかない。
やがて、荷物の確認を終えたらしく肩を解しながら立ち上がった海斗が葵のいるソファーへと座り込んでくる。
眼鏡を外してテーブルに置き、目元を揉みほぐしていた海斗の頭へ、するりと伸ばされる白い指先。
水を搔き分け、まるで人魚のように水中を支配できるほどの力が秘められた少女の指から逃れること敵わず、あっさりと捕獲されてしまった海斗の頭が横方向へ引っ張られてしまう。
なすすべも無く横倒れした海斗が頬に感じたのはふかふかのソファーの反動感……ではなく、柔らかくも暖かい柔肌の感触であった。
「ちょ、葵!? いきなり何を」
「えへへ~、いっぺんやってみたかったんだ~」
何時もよりも楽しげで上機嫌な声を身近に感じとり、海斗の体温が瞬く間に急上昇。
現在、彼はソファーに腰掛けた葵の膝の上に頭を乗せて横向きに寝転がった状態……所謂、膝枕と呼ばれる体勢だった。
生まれて始めての体験に、心臓の鼓動が早鐘を打つかのように暴れてしまうのが抑えられない。
もっとすごい情事をしてきただろうとはツッコンではいけない。
何せ、彼はいまだに少年と呼ばれる多感なお年頃。恋文や告白といったお約束な手順をすっ飛ばして子づくりをかましてしまったが故に、こういった『普通の恋人』がするようなアクションに激しい照れを感じてしまうのだ。
海斗は必死に
女の子のプライド的な物を木っ端にしてくださった
実に微笑ましい光景であると言わざるを得ない。
下の階で集束マイクに全神経を集中させて聞き耳を立てていたプロジェクト関係者や黒服さん達が、まるで自分のことのように錯覚させるほどの初々しい恥ずかしさで身悶えさせている事からも、彼らが順当にラブップル(注 :
それはともかく、逃げ出そうと暴れる海斗を素早く捕獲した葵が取り出したのは、竹でできた棒状の物体。
片先にまっしろいポンポンみたいな綿毛が、逆側の先端部分がスプーンのように緩やかな曲線を描いている。
ソレはまさに日本を代表するリラックスアイテムの一つ……『耳かき』であった。
「あ、あの、葵さん? ボクはもう自分で耳掃除も出来ないお子様じゃありませんことよ?」
「関係ないよ~、だって私やりたいだけなんだも~ん♪ ――はい、ふぅ~……」
「うひぃ!?」
無謀な姿を晒した耳の穴を優しい吐息で擽られて、海斗は思わずすっ頓狂な声を上げる。
その反応に気を良くした葵は、悪戯っ子な微笑を浮かべながら、ゆっくりとくすぐる様に耳かきを動かしていく。
逃走は諦めたのか、それとも葵を怪我させたくないからなのか、真っ赤な顔を必死に隠しつつくすぐったさに耐える海斗の仕草を堪能しながら先ほど中断した話の続きを促す。
「それじゃあ、さっきの続きを聞かせてほしいな。どうしてそんなに強かったりするの?」
「……せめて後にしてくれませんか?」
「ヤ♪ 恥ずかしさとくすぐったさで身悶えしながら、詳しい説明をしてくださいな~」
「悪魔かお前っ!? ――あだっ!?」
「ホラホラ、動いちゃ『めっ!』 だよ。耳の中は繊細なんだから、怪我しやすいんだから。……っていうかさ、入り口近くがカサブタだらけなのはどーゆーコト?」
「……自分、不器用なんで」
耳かきの先端でこちょこちょ弄ってみると、黒い塊……カサブタがボロボロと崩れ落ちていく。
細かい破片を丁寧にすくい上げながら、あちらこちらに出来ているカサブタの数に呆れずにはいられない。
実は力加減が上手く出来ない海斗は意外と不器用で、自分で耳かきを使おうとすれば、まず間違いなく耳穴の内側を傷つけてしまうのだ。
女性に触れる時や料理をする時などの場合は愛しむように丁寧な手つきに出来るのだが、何故か自分のことになると大雑把になってしまう。
だから自分で耳掃除をしてしまえば、その度に生傷をこさえているのだった。
「しょ、しょうがねーだろ。バイトする様になってから、自分をいじめるような訓練を繰り返してきたんだから! 自分の身体は痛めつけていいって、無意識に思っちまうんだよ!」
「いや、いい訳になってないし」
アダルトビデオの出演者という仕事をこなしてきた海斗であるが、実はそれ以外にもアルバイトとしてドラマや映画のスタントマンも務めていた。
何故スタントマンをと言えば、映像に映り、第3者の視線に晒されてしまう配役と言う立場上、やはりある程度の鍛え上げた肉体美は必要だと考えたからだ。
たしかに、平均的な肉付きの男優も少なくは無いが、海斗はいまだ10代、この若々しい年頃の少年というキャッチコピーで両親が売り出してしまっていたので、健康的な肉体美を作り上げなければならなくなってしまったのだ。
かと言ってジムに通う余裕など小遣い的な意味で皆無だし、自己鍛錬では心が緩む。
そこで考え付いたのが、スタントマンのアルバイトをすることだ。
受け身が出来て当たり前、時には時代劇の殺陣のエキストラとして模擬刀を振るい、時にはスパイ物のアクション映画で主人公を走って追跡する下っ端役をこなしていく。
そういう仕事を請け負っていけば必然的に身体を行使することになって肉体は引き締まるし、運が良ければ指南役のトレーナーから無償で格闘技の手ほどきを受ける事も出来た。運が良ければ、撮影する時に相手取った俳優から技をかけられて体で覚える受け身稽古ができる機会まであったのだ。
元より、格闘技や剣術と言った武闘に関する才能を秘めていた海斗は、そうした生活を数年続けたことで本職の達人顔負けの技術と戦闘能力を身につけたのだ。
故に海斗がその辺に蔓延る粋がっているだけのこけおどし連中などに引けを取ることなどありえない。
それが大切な女の子を護るためならば尚の事だ。
海斗が昔の撮影の話を面白おかしく話してやれば、葵は興味を惹かれたように瞳を輝かせる。スタント云々の話は初耳だったのだろう、好奇の感情が見え隠れしている。
それでも指先は一切ブレずに、こしょこしょと優しいマッサージを繰り出していく。
気を緩めたらこのまま眠ってしまいそうな心地良い空間をもっと堪能したくて、海斗は談笑を続ける。
緩やかな空気の中、旅行前日の夜は緩やかに過ぎて行った。
――◇◆◇――
あっという間に時は流れて、修学旅行当日。
集合場所である校門前には、集合予定時間の1時間前だと言うのに少なくない生徒達が集まりつつあった。
仲の良いグループで集まり談笑しているものだから、かなりの喧騒であると言える。
海斗と葵はいったん裏門から外に出ると、壁を伝って外回りに歩いていた。
普段は部屋を出るタイミングをずらす等のしているのだが、旅行先ではお互いに同じ班であり、一緒に行動していてもおかしくないだろうと言う理由から並んで歩いていた。
道すがら同学年の生徒達から何やら言いたげな視線を向けられていたが、海斗は元々そんなものを気にするような繊細な性格をしておらず、葵も頼れる存在がすぐ傍にいるためか平然としている。いや、むしろ鼻唄を歌いだしそうなほど上機嫌に見える。やはり旅行と言うだけあって、何時もよりもテンションが高くなっているらしい。見れば、海斗もどことなくウズウズしている風に見える。
そのためか、あらかじめ部屋の備品として用意されていた旅行用の鞄が、色違いのおそろいだという事に気付いていなかった。
肩が触れ合いそうなほどに近い距離で並びながら歩いていた葵は、ふと、海斗が肩に担いだ筒状のケースが気になった。
「ところでさ、海斗くん。その担いでいるのって、いったいなにが入っているの?」
「ん? これか? これは……あ~……秘密だ」
意地悪な顔をする海斗を見上げる葵の頬が徐々に膨らんでいく。荷造りする時も教えてくれなかったので、かなり気になっているらしい。
「ま、安心とけ。別にヤバいもんじゃないのは確かだから」
「じゃあ、教えてくれてもいいじゃないの~!」
「それは駄目。向こうについてのお楽しみって奴さ」
「けち~~」
こうして周囲の学生たちが呆気にとられるほどの仲睦まじさを振りまきながら、2人は集合場所に向かうのだった。
海斗と葵が集合場所に到着してから間もなく、他のメンバーも続々と到着していく。
「ほら、言いかげん自分の足で歩きなさいっての! あっ、葵おはよ――って、なんでアンタが葵と一緒にいるのよ!?」
「ふにゃぁあああ~~……、あ~、海斗っちだ~、オハヨ~♪」
「おっす」
「無視してんじゃないわよ!」
「朝っぱらから喧しい奴だな……出発前に点呼もあるし、バスの席も班毎に決められているんだから班員同士が一緒にいるのは普通だろうが」
「ぐぬぬ……!」
「さ、早苗ってば……もう」
「おーい! 葵、皆、おはよう! ――って、何事!? なんで羽村さんと高宮が睨みあってんの!?」
「桐生、ちょうどいいところに! お願い、早苗を止めて!」
「ええっ!? ちょ、マジで何なんだ!? と、とりあえず羽村さん、落ち着いて!」
「あっ、ちょ、邪魔しないでよコラ!?」
「だから駄目だってば!?」
「うっさい連中だな……」
「あ、あはは……」
「すぴ~……」
低血圧な桃花を引っ張ってきた早苗が、仲良く一緒にいる海斗たちを見つけて突っかかり、そこで到着した桐生が窘めるなどのトラブルはあったものの、大きな問題は無いまま集合時間を迎える。
引率の教師達が点呼を取るように大きな声で指示を出し始めたので、海斗達も慌てて列に並んだ。
各班の点呼が終了した頃を見計らい、生徒達は次々と運送バスに乗り込んでいく。
3泊4日の修学旅行、開始。
バスに乗って1時間ほどで空港に到着。そのまま、流れるような動きで飛行機に乗り換えて空の旅へ。
空港での待合時間がほとんどゼロで済んだ事もあり、生徒達は疲れる様子も見せず、動き出した機内で思い思いに過ごしていた。
窓から風景を眺める者、仲の良い友人達と語らう者、持参した本を読む者等々……皆、この瞬間を全力で楽しんでいた。
そんな中、窓際の席を宛がわれた海斗は離陸早々に夢の中に旅立っていた。実は乗り物に弱く、何らかの乗り物で移動する際は基本眠りっぱなしなのだと聞かされていた葵は、そういえばバスの中でもずっと寝ていたのを思い出し、くすくすと笑う。
隣の席で本を読み進めていた早苗が怪訝そうな目を向けてくるのをなんでもないと返しつつ、横目で顔との寝顔を盗み見てみる。
すぐ隣の席にいる桐生がクラスメートらしい男子と談笑していると言うのに、全く意に反さずに眠りこけている。
葵が、そんなに寝てばっかりいると今夜眠れなくなっちゃうよ~? と、お母さんみたいな事を思い浮かべている内に、飛行機は沖縄の琉球空港に降り立つのだった。
十分な睡眠をとって気力全開な海斗が、空港に降り立って早々大きな欠伸をかみ殺していると、隣に人の気配を感じた。
目尻を擦りながらその気配に目を向けると、そこには自分の鞄を持った葵が苦笑を浮かべていた。どうやら大口を開けていた所をしっかり見られてしまったらしい。
誤魔化す様に鼻頭を掻いて視線を彷徨わせれば、こり固まったカラダを伸ばしている者、空港備え付けの沖縄案内図を手に取って自由時間にどこへ行こうかと相談している者が目に留まる。
「そう言えば、あの煩い女が見当たらんな?」
葵と一緒にいればどこからともなく表れて金切り声をあげる喧しい女、と言うのが早苗に対する海斗の認識のようだ。
「あはは……早苗ならホラ、あそこだよ」
言われるまま葵が指さす方向へと視線を向けると、備え付けのベンチに横たわり、青い顔で唸り声を上げている早苗と桃花の姿があった。
桐生はそんな彼女たちを介抱しているらしく、せわしなく動き回っている。
そう言えば保険委員だったなと他人事のような簡素をお思い浮かべながら、どうしたんだ? と、事情を知っていそうな葵に聞いてみた。
すると彼女は苦笑を浮かべながら、
「実は機内で配られたクッキーにあたっちゃったみたいなの」
「……大事じゃないのか、ソレ?」
責任者がかなり叩かれそうな問題だと思った海斗の認識は間違っていない。
だが、今回の場合は……
「そのクッキーがね、ハバネロシュガー味チンギスハン風味だったみたいで」
「……なんだ、そのハズレ臭漂う素敵なネーミングは。 てか、それを喰ったのか?」
「う、うん」
「……バカなんじゃね?」
「そんなハッキリ言っちゃ駄目だよ!?」
明らかな地雷臭がプンプン匂うような危険物を、よりにもよって乗り物の中で口にするとは……。これが若さゆえの過ちという奴かと、海斗は戦慄を隠せない。
結局、彼女たちの他にも地雷を自ら踏み抜いた
幸い、一晩寝れば問題ないだろうと同伴していた保険医の先生のお墨付きが貰えた事もあり、旅行中の宿泊施設“ホテル冬景色”へと向かう事になった。
「経営者は、どんな思いがあってこの名前を名づけたんだろうな」
「う~ん、実は冬国育ちだったとか?」
「それとも逆に生まれてこの方雪を見たことが無いから、まだ見ぬ白銀に染まった風景を連想したとか?」
「あっ、それもありそうだよね~、あはは~」
「だよな~、はっはっは」
「ちょ、2人とも! そんなこと言ってないで、羽村さん達を運ぶの手伝ってくれよ!?」
完全に脱力した早苗と桃花を両脇に抱えた桐生が、おぼつかない足取りでバスから降りてきた。
テニス部のエースの称号は伊達ではないようで、脱力しきった同年代の少女2人を抱き抱えてみせている。まあもっとも、両腕が激しくプルプルしているのがどうにもしまらないが。
「「無理」」
「即答!?」
「仕方ないだろ? 俺が手を貸そうとすると、歯を剝いて威嚇してくんだから」
「私の時は、大丈夫だからの一点ばりで……」
班員同士で協力するように引率の先生からお達しがあったので、手を貸そうとしたところ、海斗は「誰がアンタなんかの手を借りるもんですか! とっとと向こうへ行きなさいよ!」と噛み付かれ、葵は「大丈夫よ。これくらい私だけでもなんとかできるから」とやんわりと断りを入れられてしまっていた。
「まあ、そういう訳だから頼んだ。役得だと思えよ、色男」
「あ、でも二人にえっちないたずらしちゃ駄目だからね? 桐生って、そういうイベントに事欠かないから」
「いや、そんな事しませんから!? 人をラッキースケベみたいに言わないでくれないか!? って、ああっ!? 何事も無いようにチェックインしないで!?」
「「がんばって~」」
「ホント息ピッタリだな、君ら!?」
桐生の悲鳴をBGMに、何食わぬ顔で宛がわれた部屋へと向かう、何気にヒドイ海斗と葵であった。
それでも、抱き抱えた際に“うっかり”早苗達のおっぱいを鷲掴みにしてしまって、「キャー、桐生クンのえっちー!」 的なお約束イベントを起こしていたのだから、プラマイゼロと言えるのかもしれないが。
「はぁ~……」
と、疲れた溜息を溢すのは浴衣に着替えた桐生だ。一連のグダグダのせいで葵とほとんど話せなかった事で落ち込んでいるらしい。
“ホテル冬景色”は、生徒の半数近くがトンデモクッキーによって軒並みダウンしている事もあって、割りと静かであった。
旅行中寝泊まりするこの旅館にでは、各班の男子と女子用の部屋が設けられており、彼らの場合は海斗と桐生の二人部屋が宛がわれていた。
窓辺で本を読みながら時間を潰していた海斗は、夕食を済ませてからずっと続いている桐生のため息がいい加減に鬱陶しくなったらしく、手に持った小説を閉じて立ち上がった。
「溜息を連発するな、うるさいだろうが」
「あ、ゴメン……はぁ~」
咎められると謝りはするが、すぐさま溜息生産器へと逆戻り。
ここで友人であるのなら事情を聞いたり、相談に乗ったりするのだろうが、生憎海斗にとって桐生と言う存在は碌に話もしないクラスメートでしかなく、そこまで気を遣ってやるほどの関係性は無い。
そもそも、今回の班決めの時も、手っ取り早く済ませようと言う進行役の提案に従ってくじ引きで決まった結果でしかないのだから。
「ちょっと冷たい物でも買ってくる」
「あ、うん……はぁ~」
(うぜぇ奴……)
クラスメートに向けるにはあまりにもひどい評価を降しながら、海斗は財布を片手に部屋を後にした。
そのまま自販機のある所まで足を進めていると、向こうの方から歩いてくる少女の姿に気づいた。もしやと思い、声を掛けてみる。
「竜ヶ崎?」
「あれ、海斗くん?」
今気づいたとばかりの表情を浮かべたのは、海斗と同じ薄い青色の浴衣を身に纏った葵だった。風呂上りなのだろう、ほのかに石鹸の香りが漂ってくる。
髪は入浴の邪魔にならないように束ねられており、湯上り故に桜色に上気した肌と相まって、いつもと違う雰囲気を醸し出している。
思わず、目を奪われてしまった海斗は、葵の「海斗くん?」の声で我に返ると、誤魔化す様に咳払いをつく。
「何でも無い、ってかお前、今名前で呼んだか?」
「あははっ、大丈夫だよ。周りには誰もいないし」
「やれやれ、そんな気の緩みが一番危ないんだけどな……、いや、まあ良いか。ところで他の二人は相変わらずか?」
「うん、布団の中でうーうー、唸ってたよ。折角の旅行初日なのに寝込んじゃった事、すっごく悔しいみたい。……それで海斗くんは何をしてるの?」
「うん? ああ、アイツ溜息ついてばっかりで喧しいから抜け出してきた。ジュースを買うって誤魔化してな」
「溜息? なんで?」
「知らん」
にべも無く切って捨てると、もう目と鼻の先に在る自販機へと向かうことにした。
親しい友人と呼べる間柄でもない海斗に、桐生の内情を推し量ることなど不可能なのだと判断したようだ。なんとも淡白な反応を返す海斗に困ったような笑みを浮かべつつ、葵は海斗の後を追ってきた。
カルガモの雛を思わせる仕草に海斗の頬が緩む。
「どした?」
「えっと、少しだけお話ししても良いかな?」
おずおずとはにかみながらそんな事を言う葵の不安そうな瞳を見て、海斗に『断る』コマンドを選択できるはずも無く、自動販売機が置かれている休憩所で、就寝時間ギリギリまで他愛のない談笑に華を咲かせるのだった。