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二人して夜警をかいくぐり、薪小屋から二階の窓に飛び上がって、足音一つ立てずに領主の間へ入り込む――幼少から訓練を受けた密偵であるフランはともかく、伯爵たるキャシアスもなかなかどうして堂に入った身のこなしだ。かの遺跡の探索は言ってしまえば敵地潜入の果てない連続であり、その始まりから終わりまでを切り開いたキャシアスは自然と、こういう騎士らしからぬ所作に熟練していた。しかし仮にもホルムを預かる伯爵とあろうものが、自分の居城でこそこそと人目を忍び、夜更けの自室に未婚の娘を連れ込む体たらく。父が見たらなんと言うだろか。キャシアスは今更ながらに己の不品行を省みた。「悪童の夜遊びではあるまいに」というフランの一喝が胸を刺す。彼女の言う通り、己を卑下していたのだ。いや、そんな上等な物ではない。いじけて自棄になっていたのだ。
いったん頭と体が冷えてしまうと寒さは思いの外身に染みて、居室に辿り着いた時には暖炉に薪を入れるのも億劫なほどだった。外套を与えたフランが気に病むといけないので努めて強がってはみたが、やはり見透かされていたようであり、キャシアスは部屋に入るなり服を剥ぎ取られ、汗を拭かれ、替えの肌着を着せられて子供のようにベッドへ押し込まれた。さっきとは逆だった。
フランはキャシアスに毛布を被せると、暖炉で燻る灰に薪と火口を放り込んで手際よく火を起こした。そしてキャシアスが脱いだ肌着を抱えてベッド脇で深々と一礼すると「今夜はこれで失礼をいたします」と丁寧に述べて踵を返した。キャシアスは咄嗟に引き留めようとして彼女の背に手を伸ばし――辞めた。
だが、フランは立ち止まった。
フランは裂けた胸元を押さえて、ゆっくりと振り向いた。揺れる暖炉の火に、象牙色をした愛らしい顔が照らされていた。静かな微笑を湛えていた。
「キャシアス様、何か、お申し付けがございますか?」
「……いや」
キャシアスは頭を振った。このままフランと別れ、眠り、目覚めた朝には想いを元通り胸の内に押し込めて、これまで同じに接するであろうことが辛かった。久しぶりにフランと話した今夜の切欠を何事もなく終わらせたくないという切望があった。しかし着衣を損じたフランを留めるわけにもいかなかったし、何よりフランに、かの夜のことを連想させるのではないかというのが申し訳なく、また恐ろしかった。
キャシアスが歯切れ悪く「用向きはない」と伝えても、フランは立ち去らずにいた。深呼吸するほどの間を置いて、フランがゆっくりと、しかし有無を言わせず切り出した。
「では、お飲み物をお持ちします」
「いや、フラン」
「着替えてから参りますので、少しお待ちいただけますか――」
「いやいい、フラン――」
「失礼いたします」
フランは改めて一礼し、足音を立てずに部屋を辞した。
キャシアスは頭を抱えた。フランがこういう風に問答無用になるのは、決まってキャシアスが不甲斐ない時だ。己はどうやらよほど酷い顔をしているらしい。先ほどの立ち合いの説諭といい、つくづく至らなさが身に染みる。よくぞ見限ってくれないものだと思う。
フランがキャシアスの女々しい負い目を見透かして、それをつつかないよう敢えて強引な態度を取ったのだというくらいはキャシアスにも分かる。彼女が"忘れている"ことを示すべく、殊更悠然と振る舞い、わざわざ一度部屋を出た後に戻ってくるなどと言い出して。
――あなたがあたしになさることで、嫌なことなど、ありません。
さっきの言葉は本当だ。少なくともフランは、本当であることを示すべく努めている。
それに引き替え、己の言葉のなんと浅薄なことか。
――フランを疑ったことなど、あるものか。
キャシアスはフランを疑い、挙げ句に汚した。その始末を今もってつけられずにいる。
このざまをフランはどう思っているだろうか。父が見たらなんと言うだろうか。己はなんという醜態を、父が起居したこの部屋で晒しているのか。
領主の間には、まだ先代ホルム伯、亡きカムールの気配が残っている。寝起きのたびに、書を捲り事案をまとめている時のふとした間隙に、余念なく武具を検めている時にすらも、今の己は父に誇って貰えるだろうかと疑いが湧く。執事にして父の腹心であったゼペックに、それを打ち明けたことがある。ゼペックは言った。
「カムール様も儂もそうでありましたよ。先代のように立派にやれているかとね」
父の背中。大きく見えていつの間にか背丈を追い越していた。最後は地に伏したままで見上げた。キャシアスを庇った父の背から、忌まわしい切っ先が生え出る様を見上げていた。
偉大だった父。しかし、神ならぬ身に浮世の諸事を全て円く納められたわけではなかったし、間違いを犯さぬわけでもなかった。だが少なくとも真摯に騎士たる義務を果たし、常に思慮を怠らなかった。幼少の頃から、いずれその跡を継ぐのだと思うたび誇らしく、同時に恐ろしくて息が詰まるようだった。己もああなれるだろうかと。
囚われなくて良い、血の繋がりはないのだからこの地を出ても良い、と、そう打ち明けられたのは父が死ぬ少し前だった。実の子ではないと知らされ、誇りと恐怖にともに皹が入った。それでも幼少から生まれ育ち、守ってきた土地を出て行くなど考えられなかった。父の息子であることを誇りに思っていた。
父が生き長らえれていれば――
その意志を伝え、父に認められることができていたら、皹はゆっくりと消えただろう。血の繋がりに関係なくカムール・グリムワルドの息子だと言って貰うことができれば、そうできただろう。だが、キャシアスが意志を落ち着ける前に父は死んだ。キャシアスを庇って死んだ。
父の死後、町の皆はキャシアスを頼ってくれたが、負い目故に素直に応えることはできなかった。それでも尚、災厄の元凶を求めて遺跡に分け入ったキャシアスは己の出生を知った。遺跡の最深部、皇帝達の墓所深くに潜む石の町がキャシアスの生まれ故郷だった。血族同士で交わり、始祖帝の血を繋いできた哀れな異形達の誰かが父母だった。あの瞬間に何を感じたかと言えば、何も感じなかった。ただ冷たい凪が降りたばかりだった。誇りも恐怖も失った人間はこうなのかと、他人事のように考えたものだった。
キャシアスを繋ぎ止めたのはフランだった。
――カムール・グリムワルドのお子――
――あたしの主――
真剣な、真っ直ぐな眼差しでキャシアスを呼んだ彼女の声は、少なくともキャシアスに恐怖を呼び覚ました。恐怖というのは失うものがあるから感じるのだ。キャシアスにまだ失う余地のあるものが残っているのだと、フランは教えてくれた。キャシアスはおののき、震え上がった。使い物にならなくなったキャシアスを庇って、仲間達は危険な墓所から苦労して地上に引き上げてくれた。
フランを犯したのは、その夜だ。
付き添って看護してくれた彼女を寝台に引きずり込み、衣服を引き毟り、その柔肌を汚した。フランの肌に刻まれた傷跡に歯形を、爪痕を重ね、唇を貪った。覆い被さるキャシアスを見上げる目に僅かでも嫌悪の光があれば、手が触れる肌身に忌避の震えがあれば、夜が明ける前に己の首を切ろうと決めていた。
フランは抗わなかった。
彼女は苦悶の呻きすら噛み殺して、ただただキャシアスを抱き締め返し、頬を髪を撫でた。猜疑の目に微笑みを返し、貪るような卑しい口付けを受け入れ、ぎこちなく触れた舌を戯れさせ、純潔を引き裂かれながらも手足を強く絡みつけて離れなかった。
「お忘れください」
フランの声は優しく、抱擁は暖かかった。燃え上がるような衝動が去った後、キャシアスはフランに抱き縋り、見苦しく泣いた。身勝手に許しを請うた。フランは陵辱を受けたその乳房にキャシアスを抱き締めてくれた。
「あたしが身の証を立てたかったのです。あなたの疵に付け込んだり、あなたに僅かなりとも責を感じさせたり――そういうつもりはなかったんです。あたしの我が儘です。それに、あたしはちっとも嫌ではありませんでした。だから、このことはどうかお忘れください……」
忘れられるわけはなかった。だがキャシアスは忘れたように振る舞うよう努めた。フランも変わりなくキャシアスを助けて働いてくれた。ただ、暫くぴたりとくっついて片時も離れようとしなかったのは、やはり自害を案じられていたのだろう。
災厄の元凶を討ち果たして後、キャシアスはフランと近しい仲間の幾人かを頼みにして再び墓所へ潜り、産みの父母がいる石の町を訪れた。
町は静かに死に絶えていた。
始祖帝が滅び、とこしえたるアーガデウムが崩れ去ったことを察知したのであろうか。
地底の町に潜み暮らす異形の白子達は、揃って己の喉を刺していた。
一人として生きながらえた者はおらず、一つの躊躇い傷もなかった。
生まれつき手指の変形が酷かった者、病み衰えた者、或いは幼すぎて短剣を扱えない者達は家族や伴侶が手を下したようだったが、やはり抗った様子はなかった。
全員を弔うまでに半月ほどかかった。仲間達に揃って休むよう諫められるのも聞かず、キャシアスは最後まで立ち働いた。己自身の面影がある異形の民を、何人も何人も弔った。
動いている間は何も感じず、むしろネルが酷く泣いて宥めるのが大変だったものだが、最後の一人を墓地に送った途端に意識を失い、それから三日、目が覚めなかった。
フランは、黙って寄り添ってくれていた。
フランに求婚をしてみようかと考えたことはある。
ずっと以前から、そういう想いはあった。
かつて幼友達であり、長じては懸命に仕えてくれる歳の近しい娘だ。憎からず思わないわけがなかった。そして恐らく、家同士でのそういう話もなくはなかったのだろう。レンデュームの長の家から若い娘を侍従に添わせるという話が、なんの意図もなく降って湧いたはずがない。幼少を共に過ごすことで想いが通えば。他に優先するべき縁談がなければ。フランの実家の誰かがそう推して、ゼペックとカムールは反対も強制もせず受け入れた――そんなところではなかっただろうか。果たしてキャシアスは誰に言われるでもなく、フランに淡い想いを抱くようになった。お転婆でいたずら者だったフランに連れ回された子供の頃の思い出。分別が身について隔たった寂しさ。直向きに奉公や修練に励む彼女を目で追っていた。勤勉なフランを見て己も刻苦勉励せねばならぬと気を引き締めたものだった。そのくせ、たまに迂闊で危なっかしいところは相変わらずであり、別の意味でも目が離せなかった。そういえば料理は結局上達しないままだった。
幼友達から若君と女中になっても、年に一度か二度くらいはキャシアスかフランのどちらかが不始末をやらかし、子供の頃のように結託して後始末をしたものだった。幼友達の顔で笑い合うことだって、全くなくなったわけではなかったのだ。
遺跡の災厄を経てからは、事情が変わった。
フランは命を預ける仲間となり、頼みの懐刀になった。主従であると同時に対等な仲間として役割を分担した。フランが身軽に動くために荷物の多くをキャシアスが背負ったし、交代で休息し、相互に背中を守り、同じ火を囲んで共に食事をした。多くの人が――親類や友人が犠牲になり、幾度も死に瀕しては血反吐を吐いて斬り抜けた酷い冒険であったが、信を置いた仲間達と過ごすふとした瞬間は楽しかった。その記憶の中で、フランが近しく寄り添ってくれているのが嬉しかった。そして、奈落に落ちかけていた己に手を伸ばしてくれた。一層、フランは離れがたい存在となった。
フランはどうであるか、分からない。
彼女は忠を尽くしてくれる。
キャシアスの思い上がりではなく、確かに慕ってくれている。
だが、それは女としての思慕と同列にして良い想いだろうか。
フランをそういった枠組みに当てはめることは侮辱かも知れない。キャシアスが関係を求めれば、主人たる立場を嵩に着た命令になってしまうかも知れない。現にあの夜、フランは主の猜疑を晴らすために純潔を捧げることさえ厭わなかった……
ホルムとレンデュームの間柄にも変化が生じている。レンデュームが臣従を誓った父は既に亡く、嫡子たるキャシアスは実子ではなく、レンデュームが魔将に襲撃された際の救援も後手に回った。引き続きホルムに忠を誓うか、情勢を利して郷士としてかつての独立を取り戻すか、里では意見が割れていた。西シーウァとの戦場に出た若長ギュスタール――フランの弟は行方を眩ましている。里に見切りをつけて出て行ったのか、或いは、他の事情があるのか。
レンデュームの民が心を寄せるフランを妻に娶れば、ひとまず問題は解決するだろう。家同士の結びつきは否応なく強まり、腹の内はどうあれ、レンデュームはグリムワルド家と近しい関係を続けざるを得なくなるだろう。
つまりは、フランを利用するということだ。
領地を家を守る騎士たるもの、縁談とはむしろそうあるべきだ。だが、幼馴染みとして長年想いを寄せ、背を預けた仲間でもある彼女を道具に貶めるのは我慢がならなかった。
だが、フランは求めれば決して断らないだろう。彼女の心持ちがどうであれ、ホルムと里のために、当主たるキャシアスのために、身を差し出すだろう。そのフランを、己はどのような顔で抱き締めるだろうか。
――彼女の忠節を利用し、保身と欲望を果たすだけになるのではないか。
――ましてやフランを辱めた俺が、今更何を求めることができようか。
その疑念が、キャシアスを留めていた。
そして何よりも、誰かと契り子を成すということが恐ろしい。
子。
脳裏を過ぎったのは、産みの父母達の果てしない葬列。
己と交わった女は、あれに連なる子供を産むのだ。
弔いが終わって一月が過ぎた頃になって、ようやくキャシアスは思い至った。
――あたしの主――
微笑むフランの言葉に、キャシアスは逃げた。伴侶でなくとも、主従としてフランは忠を尽くし、一緒にいてくれる。契りを結ばずとも、子を成さずとも――
控えめに戸を叩く音がして、応じるとフランが入ってきた。女中服は着替えていた。抱えた盆にワインの瓶と素焼きの杯をひとつ。キャシアスは毛布から這い出し、暖炉の前の長椅子に掛けて待っていた。
「お待たせいたしました」
「済まない」
「とんでもございません」
フランから杯を受け取り、ワインを注いで貰う。
キャシアスは尻を落ち着けているが、フランは立ったままだ。
杯の半分を一息に飲み干す。
喉が潤い、微かな酒精が胃の腑を暖める。幾分、気持ちがほぐれる。
ぼんやりとフランを見上げる。フランは傍にいて瓶を捧げ持ち、静かに目を伏せている。
世間一般からすれば非常識なほど近しい。伯爵と侍従としては。
友としては、遠い。
それを受け入れるべきだろうか。
迷った末に踏み出した助けになったのは勇気でも決断でもなく、酒精と、疲労から来る思考の鈍化によるものだろう。
杯を一息に干してフランに差し出し、キャシアスは誘った。
「フランも、どうだ」
――己は、また試すようなことを。
ちくりと胸の内から咎め立てる声がする。
フランは侍従として固辞するだろうか。それとも。
フランが答えるまでの一瞬に満たない間が、恐ろしく永い。
「――恐れ入ります。では、少しだけ」
あっさりと。フランは誘いを受け入れ、楚々とした挙措でキャシアスの隣に腰掛けた。キャシアスは頽れそうな安堵と共に瓶を取り、杯にワインを注いで手渡す――フランに食事を給するというのも、思えば本来はあるはずのないことだ。探索の最中に物陰で急場の拠点を据え、休息を取った時にこうやっていた。初めのうち、フランはしきりに恐縮していたものだったが、いくさの理を重んじる密偵の習性は主従を脇に置いての連携にすぐさま慣れた。キャシアスが覚えたての料理をフランに振る舞うのは楽しかったし、彼女と向かい合って取る食事は懐かしく、新鮮でもあった。
「こういうのは、久しぶりですね」
ワインを一口飲み下して、俯き気味に彼女がはにかむ。袖から覗くほっそりとした手指が杯を包み、落ち着かない様子で弄んでいる。
「剣のお稽古をして、水を分け合って、傷の手当をしていただいて――それでこうやって席を共にしていると、なんだか不思議に思ってしまいます。ついこの間まで、いつもこうしていたのに――なんて、まるであの時が当たり前だったように考えてしまって」
「俺も……」
「はい」
「俺も、同じことを考えていた」
「……」
「当たり前であったように思ってしまった。思えばああやっていたのは、ほんの幾月かばかりだったのに」
「そうですね……ええ、そうでした」
「色々、あり過ぎた。あまりにも色々のことがあって、まるであの頃が生きていた全部になってしまいそうだった。……みんな、多かれ少なかれ、そう感じていると思う」
「はい……でも」
「うん」
「こうやって、キャシアス様とご一緒させていただけるのは、嬉しく存じます」
「……そうか」
「はい」
「そう、思ってくれるか」
「はい」
フランの小さな唇が杯に触れる。目で追いそうになって、逸らす。
ワインの瓶を挟んで隣り合った間は、温もりと息遣いを夜気を越して伝えてくる。
沈黙が降りた。
フランは両手に包み込んだ杯をちびりちびりと飲んでいて、その気配を傍らに、暖炉の火が揺れるのを見つめていた。俯いたフランの頬が、炎の色を照り返して赤く染まっていた。
キャシアスの胸に言葉が浮かんでは、そのたびに飲み下した。
フランが隣に居てくれる。
それだけで己には過ぎたことだと思えた。
薪が爆ぜる。
窓の外で風が吹き抜けていく。
炎の温もりに肌身を炙り、微睡むような時間が流れていたかと思っていたところ、唐突にフランが「あっ」と声を出した。どうしたと聞けば、「あたしばかりが飲んでいて」と申し訳なさそうに飲みさしの杯を差し出して来て、キャシアスは何やら照れ臭い気分を覚えつつ杯を受け取り、がぶりと飲み干した。
フランが瓶を取り「お代わりは――」と尋ねる。「いや、十分だ。ありがとう」と辞する。その衒いのない、なんでもないやりとりがただ嬉しい。
「今日は済まなかった、フラン」
「いいえ。差し出がましい口を――」
「いや、言ってくれて嬉しかった」
「恐れ入ります」
「他にも、何か腹に据えかねるようなことがあれば、言って欲しい」
「それは……」
「頼む」
「……では」
フランは静かに顔を上げて、黒い瞳にしっかりとキャシアスを映した。
「都で、何か……いいえ。探るようなつもりはないんです。あなたがあたしをお連れにならなかった以上、理由も目論見もあってのことだと思います。ですが、あなたはそのようなお顔をされています。あたしで力になれる余地があったかも知れないと、そう思ってしまうんです。ですから……もし、今これから、あたしに何かできることがあれば、お申し付けください」
「……やっぱり酷い顔をしているか」
「あ、いえ――」
「いや、分かっている。分かっているんだ」
長椅子の端に立てかけた刀を撫でる。帰って早々ネルに研ぎを頼んだ刀。ネルが綺麗に消してくれた血の曇りと剣戟の跡。ガリオーやネルが話したはずはないが、刀を受け取りに行ったフランは当然、察するところはあっただろう。といって、己の佩刀をフラン以外に預けるつもりはなかったから、それは仕方のないことだった。
思えば、これもまたフランに甘えていた。話さないという素振りを示せば、彼女は詮索をしないだろうという。
ほぅ、と息を吐き出す。
体をよく動かし、フランの酌を受けたためか、これまでになく気分が解れていた。ずっと肩をいからせていたことを、今ようやくにキャシアスは気付いた。
炎を見つめて、キャシアスは徐に切り出した。
「都で、縁談があった――」