唐突な縁談だった。
相手は二つ年下の、さる伯爵令嬢であった。
先方の伯爵は先の西シーウァ王国とのいくさで命を落とし、今は当主の弟、令嬢の叔父が取り仕切っているのだが、評判はあまり良くないようだ。西シーウァが軍を引き上げてからは大公家に連なる有力貴族に擦り寄っていて、縁談はその絡みであろうと思われた。
"遺跡"を所有する権利がいずこにあるかというのは、微妙な問題を含んでいる。
グリムワルド家が領有する土地で発見された遺跡である以上、本来はキャシアスの管理する土地、グリムワルドの財産として主張するべきなのだが、帝国の遺跡が内包する意味はあまりに重く、グリムワルド家ただ一門にて抱え込むには規模としても道義としても度が過ぎていた。また先に公子テオルが帝国の再興を掲げたことは記憶に新しく、ともすれば野心を触発された輩がキャシアスを担ぎ出し、テオル公子の後に続こうとするのではないかという懸念は拭えなかった。
然るにグリムワルド家としては遺跡の権利一切を大公家の預かりとし、余計な面倒を遠ざけてしまいたいところなのだが、ネス大公ラウルは重病、公子も死亡して大公家の権威そのものが揺らいでいる状況ではそれもままならない。
そこで先頃、キャシアスはナザリへ出向いた。
ゼペックと警護の従僕を数人連れただけの軽装だった。フランは伴わなかった。
遺跡について諸々の折衝をこなし、ホルム伯爵からネス公国へ改めて忠誠を誓い、歴史の権威を我が者とする意志はないことを周知する目論見だった。
縁談という形でちょっかいを出されたのは、迂闊と言えば迂闊だった。
父の死から一年が過ぎており、キャシアス自身がいい加減身を固める年頃だ。予想して然るべきだったかも知れない。
思い浮かぶのは貴腐葡萄の妖しい香と柔い薄絹。生臭く陰気な遣り取り。キャシアスへ持ちかけられた縁談とあってはアルソンに助け船を出して貰うわけにもいかず、穏便に断ろうと苦心した挙げ句、話が拗れた。
相手の伯爵令嬢を激怒させた原因はキャシアスが穏便な断り方をしなかったためであったが、キャシアスから相手の体面を考える余裕を奪ったのは彼女が放った侮辱だった――キャシアスはフランに語る口から、その辺りの事情をぼかした。
ホルム伯が女中に懸想しているという噂が貴族達の間でとうに広まっていることも、それがフランを同道させなかった理由であることも伏せた。
熔けた蝋のようなどろどろとした熱い悪意をぶちまけられてキャシアスが保てた自省は、腕力を振るわない一点のみだった。人目のある中で手酷く彼女を罵倒してしまった。
一連の流れを「断ろうとしたが拗れた」の一言に押し込めて、キャシアスは言葉を継ぐ。
「何日かして、刺客に襲われた」
フランが息を呑む気配がした。
「アルソン殿にも累が及んだ。俺とアルソン殿は無事に済んだが、アルソン殿の家人(けにん)に犠牲が出た」
刺客は手練れが六人。キャシアスがアルソンと会食していたところを狙ってきた。三人を斬り、一人逃がし、二人捕らえた。その残った二人をゼペックが尋問し、都にたむろする胡乱な商人の顔役が差し向けたことを白状させるに及んだ。
暗闘において身分卑しからぬ者が刺客を差し向ける時、決して自分の手ではやらない。容易く名と顔を辿られてしまう。金で雇うのが良い。もっと言えば、口が硬くてやり手の代理人を恃むのが一番良い。だから貴人に取り入る商人というのは、往々にして血生臭い所望に答えるべく備えている。
キャシアスはゼペックと組んで刺客の元締めを追い詰め、捕縛し、尋問した。
刺客を差し向けたのは縁談相手の母親、伯爵家の第二婦人だった。
「捕らえた顔役の男を伴って、先方の屋敷へ出向き、面会を申し入れた。すると、門前にて不幸があったので喪に伏していると断られた。押し入ってみると、御当主殿に令嬢の寝間へ通された。第二婦人と令嬢が亡くなっていた。胸を突いて」
火を見つめて、息を継ぐ。
フランは、息を潜めている。
「前の晩、第二婦人が俺に刺客を差し向けたことを白状し、娘を殺して自害に及んだのだということだった。第二婦人は貧しい家の生まれだったそうだ。ために令嬢の良縁を切望していた。だが俺が令嬢を面罵したため体面に傷が付き、今後の縁談にも障りが出るというので恨んでいたのだと……御当主殿はそう言っていた。謝罪され、その場で賠償も約束された。引き下がる他なかった……」
「創(きず)は、自害のものでしたか」
キャシアスが息を吐く間に、フランの問いかけが滑り込む。小振りな横顔は表情を消していたが、静かな憤りが陰影めいて滲んでいた。炎を見つめる瞳には淡々とした確信があり、この分ではキャシアスが伏せた部分も見抜かれているかも知れない。
「……二人とも手練れの一刺しだった。奥方の亡骸は躊躇い傷を見せかけてそれらしく装っていたが、初太刀は心臓を一突きだ。盾に取られたのだろうな。最初からそう仕向けられていた。令嬢が俺を挑発したのも。……俺が阿呆だったばかりに、死人が出た」
慌ただしくもひっそりと後始末を終え、犠牲になったアルソンの従僕を弔って、キャシアスはアルソンに言われた。戦場で肩を並べていた時と同じ、含みのない、槍のように真っ直ぐな物言いで。
「早く身を固められるのが良いですよ」
その後の成り行きは混み合っていた上に、キャシアスの目と耳では全てを捕らえられなかった。貴族達の対立。テオル公子の遺児を巡る主導権争い。遺跡と帝国の名はいまや盤上に入り乱れる一石でしかないこと。キャシアスの下手がアルソンの瑕疵になったであろうこと。都に立ちこめる焦燥の臭い。背景には伝え聞く異教徒達の動向と西シーウァの胎動がある。そして大河神殿、雷王の執行者達は沈黙している。
国境に位置し、遺跡という厄介ごとを抱えたホルムが混迷する情勢の中でどうなるか、誰にも分からない。大河の女神ですら知るまい。始祖帝を退けた今、己は用済みなのではないか、火種となる厄介ものに過ぎないのではないか。また徒に犠牲を出すのではないか。ずっとそう疑わずにはいられなかった。果たして、血は流れてしまった。その悔恨が安易な自責を呼び、そして今夜の醜態。キャシアスは甘ったれた己を重ねて悔いた。
「半端な気構えだった。決めておくべきだった」
酒精に火照る顔を火で炙り、眼を細める。
「父上の役目――継ぐなら継ぐで、辞すなら辞すで、相応しい仕方がある。決めた以上は、相応しく振る舞うべきだった。俺が自分で決めたのだと父上に言うはずだったのに、こんなざまでは、まったく……」
「……」
「フラン、さっき、できることがあればと言ってくれた」
「はい」
「戯れ言に付き合ってくれるか」
「はい。なんなりと」
フランの細い指に力が籠もるのを、キャシアスは感じた。
「もしも仮に、だが」
「はい」
「俺がグリムワルドの子でなかったら――大河に流されて後、母上でなく、他の誰かに拾われて育っていたら、フランとはどうなっていたと思う……」
「……そうですね。正直申し上げますと、想像も付きません。あたしが一緒にいるキャシアス様はグリムワルドの御子ですし、あなたはカムール様によく似ておられますし……そうでないキャシアス様、というのは思い浮かびません」
「似ている?」
「はい。血の繋がりはなくとも、振る舞いや、言葉遣いや、立ち姿――育ちの中で子は親に似通ってくるものですから」
「そうか……そうかな」
「それにキャシアス様がキャシアス様でなかったら、あたしだって自分がどんな風に育っていたか、想像ができません。今ここにいるあたしは、あなたと一緒に生きてきたあたしですから。……だから、あなたがあなたでなかったら、あたしも違う人間になっていたはずです」
「……どうかな。フランは俺がいてもいなくても、お転婆でちょっと抜けているのは同じに育っていただろうと思うが」
「酷いです。大体、キャシアス様だって子供の頃は大概でしたよ」
キャシアスが冗談を言うと、フランはわざとらしく口を尖らせた。そしてじっとキャシアスを見つめ、改まって切り出す。
「――なので、キャシアス様。言葉遊びだとしても、あたしには考えつかないです。グリムワルドの家で育ち、あたしがお仕えしてきたあなたは、今ここにいるあなたの他にはいません。例え神様や、人知を超えた何か、神秘のモノが命や月日を操ってそのように差配したとしても、それはあなたやあたしによく似た別の誰かに過ぎないんです。本当の意味で今ここにいるあたしやあなたは他にいません。絶対に、そればかりは、何者にも侵せないことです」
断言するフランの目を覗き込むと、凪いだ水面の瞳に確たる信念が煌めいていた。神殿の説教のような物言いだが、趣は真逆だ。しかし、フランはすぐにハッと両手で口元を覆い、恥じらいに俯いてしまった。
「……えと、申し訳ありません。戯れと仰ったのに、偉そうなことを」
「いや。感心していたし、面白いと思った。学僧殿の説教よりかは面白い。今のはフランの考え方なのか」
「それもありますが……家訓のようなもので、こういうことを日々考えるようにと」
「家訓か。レンデュームの?」
「はい」
「ゼペックからもフランからも聞いたことがなかったな」
「そんな大層な話ではありませんので、お話するほどのことでも……」
「どういう教えなんだ?」
「そうですね……掻い摘んでまとめますと……」
「うん」
「人の命はひとつきりです。無為にはできません。しかし、必要ならなげうつ時もあります。必要でなくても投げ捨ててしまったりします。必要だったのか他にやりようがあったのか、得てして終わった後でないと分かりませんし、結局分からなかったりします」
「うん」
「そしてお役目やいくさのため命を賭けることがあったとして、それで必ず上手くいくかといえばそうではなく、報われない死に終わることも有り触れています。価値の軽重は定かならず、軽んじられたり重んじられたりします」
「ふむ……」
「一人一人、一つ一つは掛け替えのないものですが、血筋や家に連なって流れを成し、絶えず入れ替わっているものでもあります。一見確かなように思われて、掌に大河を掬うような空虚で形のないものです。そういうことを折々に考え、論じ、日々見つめ直すべし……と、概ね、そんなような教えです」
「信仰のようなものか?」
「神様は神様で拝んでいますけど、それとはまた別ですね。いくさの心構えと言った方がいいかも知れません」
「軽んじても執着してもいけない、ということか」
「はい」
「人の生き死には大河の流れ、か……言われてみれば皇帝達もそうだった。始祖帝はそれに抗おうとした」
「そう、ですね」
「流れの果てに俺がいて……災厄が起きた」
「キャシアス様っ」
「卑下するつもりはない。だが、事実そうだった。そして俺は打ち破ることができた。俺にはフランや父上や、皆がいたし、力を貸してくれた人達がいた。巡り合わせが後押しをしてくれた。何か一つ違っていれば今こうしてはいられなかっただろう。今もって仕果たせたのが不思議でならないほどだ」
遺跡の中の出会いが胸を過ぎる。生者と死者、人と人ならざる種族、友と敵と――そして大河の女神。全ての流れは始祖帝の意図したものか、神々の思し召しか。その中でキャシアスの意志がなしえたことなど、どれほどのものであったか。
「だが、次はどうだ、俺の次は……そして、その次は……」
「……」
「なあ、フラン、俺の継いだ流れは、次に繋いで良いものだと思うか。俺には、ここで絶やすべきだと思えてならないんだ」
左腕に温もりが触れる。フランの指先。ただ肌着の上から触れただけ。
フランが息を整えている。
「……あたしには」
フランの指先がほんの少し、肌着を摘んだ。
「あたしには、学者様がたのように難しいことは申せません。見たままのことしか分かりませんが」
「フランの見たことが聞きたい」
「……確かに、酷いことや惨いことが沢山ありました」
「うん」
「けれど、あなたに出会わせてくれたのが、その元があれだったなら、あたしには悪いものだとは思えないんです。少なくとも、根から枝葉に至るまでまったくの悪いものでは」
「俺には……心底おぞましいとしか思えない」
「あたしの見たままは、今ここにいるあなただけです、キャシアス様。そしてキャシアス様が悪しきに連なるかたであるはずがありません」
フランがあまりにきっぱりと言い切るので、キャシアスは苦笑いを漏らした。
「それでは筋立てが逆さまだ、フラン。俺がどうあれ、俺の父祖は――」
「人は流れに連なると同時に、掛け替えのないものでもあると申し上げました。キャシアス様は立派なおかたです。尊い人です。それをこの世にもたらしてくれた縁を、軽んじることができましょうか」
真っ直ぐに見上げるフランの黒い瞳から、キャシアスはいつしか目が離せなくなっていた。
フランの指が肌着の袖を掴んで震えている。酒精のためだけでなく紅潮した頬。唇を引き結び、射貫くような眼差しがみるみる潤む――張り詰めた吐息が鼻先をくすぐる。
フランの匂い。
唐突に、腑に落ちた。
キャシアスがフランを愛し、信頼し、どこか片隅で疑い、今こうして罪に怯えている胸の内、その心を育んできたのは今に至るまでの過去であり、伯爵の嫡子と臣従する一族の娘という互い身の上、共に過ごした日々の移り変わり、幼馴染みの友情、主従の忠、男女の愛欲――その全てであってどれか一つではないということだ。
その端緒が、呪わしくとも確かに己を産み落とし、父母に引き合わせた出自にあるとするならば、受け入れなければならない。
それを否定するのは、己を捨ててしまうことに等しい。
フランはキャシアスなどよりよほど筋を弁えているがため、キャシアスが己を否定することをキャシアス自身よりも案じ、憤ってくれていた。
キャシアスは軽く首を傾げて、フランの顔を覗き込んだ。
うっかりすると唇が触れ合いそうになる。
フランの黒い瞳は今や一杯に涙を湛え、必死の眼差しでキャシアスを射貫き、
「だから、だからキャシアス様、その」
「……ああ」
「キャシアス様の御子なら、きっと良い子ですっ」
キャシアスの懊悩を一刀の元に斬り捨てた。
そしてとうとう黒い瞳から滴が溢れる。
唇を引き結び、半ば睨み据えて来るフランと対面して、キャシアスは自然と力の抜けた笑みを浮かべていた。
「済まない」
「……」
「単なる戯れ言のつもりが、妙な話に付き合わせてしまった」
「いえ……」
「泣かせるつもりではなかった」
「泣いてなんかいません」
「俺はここにいる俺だけ。フランはここにいるフランだけ、か」
「はい」
キャシアスは杯と葡萄酒の瓶を掴んで隅に除けた。
そうして左腕に触れるフランの手指を捕まえ、抱き寄せると、フランの体は羽根のように軽やかで、容易くキャシアスの胸に納まった。
フランが胸に顔を埋める。
キャシアスの胸板に嗚咽がさざめき、涙の熱さが肌着に染みた。
「厭じゃあないか」
「厭なはずがありません」
「俺は、フランを疑って、挙げ句に、あんな」
「あたしがしたことです、キャシアス様。あたしが身の証を立てるために。あたしを想ってくださるなら、どうかそれを貶めないでください」
「……済まない」
「……」
フランが深く顔を沈め、控えめに背中へ手を回す。
待っている。
というくらいは、キャシアスにも分かった。
「俺はフランが愛おしい。フランはどう思っているか、教えてくれ」
「ずっとずっと、お慕いしていました」
真っ先に触れ合ったのは頬。熱く濡れていた。
耳まで赤く染まったフランの顔は大層暖かかった。