ダンジョンに性交を求める眷属の物語 作:kuracjaponski
テルクシノエがギルドを後にしてメインストリートへ出た時、どこからともなく音楽が聞こえてきた。
「…そうか、もうそんな時間か」
辺りはオレンジ色の夕陽に照らされ、仕事を終えて帰宅する晴れやかな住民たちや、ダンジョンから帰還した冒険者で賑わっている。
約束の時間に遅れないよう、主神は歩を早めた。
行き交う冒険者や住人達の間を縫って足早に歩くこと十数分、テルクシノエは『豊穣の女主人』に到着した。大きな木製の扉はいつも同様開き放たれており、店内は既にずいぶんと賑わっている。
今も女神の前を歩いていた冒険者風の一団が店内に入り込んで行く。テルクシノエには、その様がまるで大きな口が次々に人々を飲み込んでいくようだと感じられた。
テルクシノエが理由もなくただ入口で呆けていると、中から店員が顔を出して彼女に声を掛けた。
「女神…テルクシノエ様?」
「おや、リューちゃん、だったかの」
美麗と誉高いエルフの中でもずば抜けて美しい容姿を持つリューだったが、彼女はそのまじめすぎる性格ゆえに、いつも唇をきつく結び、対面する者に厳しい視線を投げかける癖があった。
もし彼女がシルの様に、微笑みとはにかみが異性に対して極めて殺傷能力の高い武器になるということを知ってしまったら、このお店は愚かな下心に取りつかれた男たちによって、もっと繁盛しただろう。
しかしリューはリューだ。自他共に認める不愛想は、そう簡単には笑顔を漏らさない。
だからこの時もテルクシノエはリューの非難がましい鋭い視線にたじろぎ、『用がないなら早く帰れ』と言われているような気がしてならなかった。
しかしここでビビッてしまっては、女神としての威厳が廃る。彼女は無意識のうちに威圧感を垂れ流すリューに対して、本来の目的を思い出し威儀を正す。
「…ハムザ、来ておるか?」
間髪入れずにリューが応える。
「ハムザさんが来るのですか?」
今度はリューがたじろぐ番だった。どれだけ無愛想で有名なリューであっても、ハムザに笑ってくれと頼まれれば、笑ったかもしれないのだ。
以前ハムザが【ロキ・ファミリア】を相手に盛大に啖呵を切った事を、リューは今でも『この上ない程高潔で勇気ある行動』だと思っているらしい。本当はただ阿呆が酒に酔って醜態を晒しただけの筈なのに、リューはそれ以来ハムザに一目置いていた。
だからリューはその高貴な騎士が再び自分の前に現れると知って、急に自分の髪が乱れていないかとか、給仕服に汚れが付いていないかなどと気にし始めたのだった。
当のハムザ本人はと言うと、あまりに真面目すぎるリューにほとんど逃げ腰で、持ち前の快活さと大胆さをすっかり失って『豊穣の女主人』に来ることさえ拒むほどだった。
今朝、そんな逃げ腰の彼をテルクシノエが何とか説得して、ここで二人で落ち合う約束を取り付けた。しかし、肝心のハムザはまだ店内にはいないようだ。
(まさか今更ビビッて逃げたなんていうこと、ないじゃろうな…?)
外で待つわけにもいかないので取り合えず店内へと入っていくと、容姿の整ったウェイトレスたちが女神を一瞥し、一斉に声を上げた。
『いらっしゃいませ~!』
(何だか全く別の店に入ってしまったような気分じゃ…)
神とは言え一応女性に分類される彼女からしてみれば、その雰囲気はまるで眉目秀麗な女性たちが哀れな男たちを標的に、接待をしながら言葉巧みに金貨を巻き上げる形態の店と、何ら変わりがないように思われるのだった。
リューに案内され席に着いてしばらく待っていると、ようやくハムザが店内に現れた。
するとどこからともなくリューが疾風の様にやってきて、ハムザと対面した。
「来ていただけて光栄です、ハムザさん。神テルクシノエ様が既にお待ちです。私がご案内差し上げてもよろしいですか?」
椅子をひっくり返し他のウェイトレスをなぎ倒しながらやってきたリューに、ハムザは度肝を抜かれていた。驚いて言葉を失って立ち尽くしていると、より一層険しい顔を作るリューが無言でハムザの手を引き、恐ろしい程の力で席に引っ張っていった。
その様子を眺めていたウェイトレスたちは次々に囁いている。
『うわぁ…リュー、本気じゃん…』
『あんな冒険者のどこが良いか分からないニャ。ただの酔っ払いにしか見えないニャ』
『しっ、クロエ!あんたリューに殺されるわよ…』
リューによって半ば無理矢理に着席させられたハムザは、彼女がテーブルから離れるなり安堵のため息を漏らして正面に座る主神に話しかけた。
「こ、殺されるのかと思ったぞ…。あの顔、俺に積年の恨みでもあるのかというくらい鬼気迫る表情だった…」
「そうじゃな、お前がエロい事が大好きで女を可愛い穴としか考えていない様な紳士だと彼女が知ったら、きっともっと素敵な表情が見れるじゃろう」
ハムザは、絶対にそんな瞬間に立ち会わないぞと強く心に誓った。リューが注文を取りに来たり、大切な騎士様のご用命に預かることはないだろうかと彼らのテーブル付近をうろうろしている時、彼はまるで生きた心地がしなかった。
「しかしお前、一体どこをふらついていた?約束の時間はとうに過ぎておる」
実は自分はロリコンであるという事を気にするあまり、ここに辿り着くまでに五回は道を間違えてしまったのだ。しかしそんな事は口が裂けても絶対に言いたくない。
注文した料理を食べ、美味い酒を飲み始めてしばらくすると、次第にハムザはいい気分になってきた。自分がロリコンでも全く問題がない気がした。今ならまともに話ができる気がしたので、彼は近くをうろついていたリューに視線を送る。
するとリューはすぐさまその視線を感じ取り、無表情で近づいてきた。
「追加のご注文はありませんか?」
「おう、追加の注文はな、リューちゃんとセ…」
テルクシノエがぎりぎりでハムザの言葉を遮り、大きな声でリューに話しかけた。
「リューちゃん!こいつは酔っているのだ。実は酒に頼らないと忘れらないくらい辛いことが起きたのじゃ」
リューは首を傾げた。辛い事とは、一体何だろう。私に力になれることはないものかと期待しながら、彼女は女神の次の言葉を待った。
「可哀そうに、運命という奴はいつも立派な男に辛い仕打ちをするのじゃ。それも仕方ない。鋼をより強度に鍛えるために、職人が槌で叩くのと同様じゃ」
リューは耳を傾けている。ハムザは意味が分からないという表情で主神を見つめていた。
「リューちゃん、高潔の士には、そうなるために必要なだけの試練が科されるのじゃ。ハムザは今、その大きな試練に直面し悩んでいる」
いよいよ我慢できなくなったリューは、意味深な言葉を発した主神に問いかける。
「なにか私に手伝えることがありませんか?」
「おぉ…お前もまた、立派な志を持っているようじゃ。だが聞いてしまえば、もう後戻りはできんかも知れんぞ?それでも良いか?」
「構いません」
鋭い眼光を放つリューの体を、真っ赤になったハムザがエロい目で舐めるように眺めていた。
(可愛い顔してるし、おっぱいも大きくてエロいなぁ…。あのケツを掴んで、たっぷりバックで犯してやりたいなぁ…)
リューがその視線に気づかない程、主神の話に引き込まれていたのは幸いだった。主神は心の中で愚かな眷属に舌打ちしてから、まっすぐに自分を見つめてくるリューに言った。
「実はな、ハムザはとある少女を救おうとしておるのじゃ。その少女はまだ子供なのにも関わらず、女郎屋で働いている」
リューは眦に力を込めて言い放った。
「許される事ではない。誰がそんな事をさせている?」
「わからん。だが、【ソーマ・ファミリア】が関わっているのは明白じゃ」
「その根拠は?」
テルクシノエは少し間を置いて、グラスを手に取った。
「ハムザが一度だけ迷宮探索を共にした【ソーマ・ファミリア】のサポーターがな、その少女が売春をしているという情報を漏らしたのじゃ。正義感に駆られたハムザは彼女の情報を元に実際に少女に会った。そして恐ろしい事に、その少女はもう長い事売春をし続けているらしいのじゃ。まるでそれが悪い事だとは思いもしないという事を言っていたらしい。のう、ハムザ?」
夢見心地で呆けていたハムザは、急に話題を振られて驚いてグラスを手から落としそうになった。そしてリューに向かって赤くなった顔をぶんぶんと縦に振る。
「なるほど」
テルクシノエがグラスに注がれた酒をゆっくりと飲んだ。リューは拳に力を込めており、今にもそれを机に叩きつけそうだった。
「合点がいきました。闇派閥がよくやる手口です。少女を若いうちから飼いならし、貞操観念を崩壊させて体を売らせる。そしてその利益で懐を潤す」
「そうじゃ。そういう悪の所業を、ハムザは見過ごせない。しかし少女の居場所も、サポーターの居場所もわからんのじゃ。分かっているのは【ソーマ・ファミリア】が非常にきな臭く、汚れた悪事に手を染めている可能性が極めて高い…ということだけじゃ」
リューは感慨深げな表情でハムザを見つめた。酒で真っ赤に染まった顔は、なぜかリューには怒りに震えているせいだと思われたからだ。
「連中は隠れるのが上手いし、隠すのも上手い。根城を見つけるのは難しいでしょう」
「そうじゃな。まぁ、ハムザは最近寝ても覚めてもそのことばかりじゃ。昨日など少女の身を心配するあまり、一睡もできなかった様子だ。こちらとしても、打てる手は打っているが、何分いざという時の戦力が足りんのじゃ。当面はそれが問題でのう」
リューはテルクシノエを見た。なるほど、聞けば後戻りはできないとは、まさにその通りだ。こんな話を聞いて見過ごせるほど、自分は器用ではない。ましてや目の前の立派な男性が、自分よりも力の劣る冒険者が、必死の想いで少女を助けようとしているのに…一体どうやって力のある自分がそれを傍観できようか?
震える拳をさらに強く握りしめ、リューは勢いよくそれをテーブルに叩きつけた。
途端にテーブルは轟音を上げて砕け散った。食器が空中に舞い、盛り付けられていた料理が床に散乱した。何事かと他の客が目を丸くするよりも早く、厨房の奥からけたたましい怒鳴り声が轟く。
「リュー!!何やってるんだい!さっさと片づけて厨房の手伝いをしなっ!!!」
真っ赤になって事の成り行きを見守っていたハムザだったが、これはずいぶん参ったようだった。主神がありもしない話をでっちあげ、またしても自分がリューにとって英雄のようになってしまった。一体こんな状況から嘘がバレたら、自分はどうなってしまうのだろう。
目の前で砕け散ったテーブルとまき散らされた料理や赤い葡萄酒が、まるでリューの一撃によって爆発した自分の体の中身のようじゃないか。
リューを怒らせてしまったら、きっと自分はこのテーブルの様になるに違いない。そう考えるとハムザは恐怖で震えあがり、食事も喉を通る気がしない。
あまりの出来事に呆然としていると、見覚えのある可愛いウェイトレスがぱたぱたと足音を鳴らしてやって来る。
「すみませんっ!ハムザさん、お怪我はありませんか?いま片付けますので」
「あ、シルちゃん」
給仕服の良く似合うシルは急いで散乱した食器や料理をひとまとめに袋に詰め、主神とハムザを別の席に案内しようとする。しかし丁度混雑する時間だったこともあり、空席が見つからない。厨房ではリューがごつい女将に怒鳴り散らされ小さくなっているのが見える。
(あのリューちゃんにも、頭があがらない奴がいるもんなんだな…)
空席がないため困ったシルは、二人に相席で良いかと聞いてきた。美人とだけなら構わないというハムザの提案を主神が却下し、席を変えるため二人は人影のあるテーブルへと向かっていく。
「ベルさんとは、お知り合いでしたよね?ベルさん、ハムザさんの事はよくご存じのようですので、少しの間だけ相席してもらってもいいですか?」
白髪のヒューマンの少年が、席に座ってパスタを頬張っている。しかしハムザの目はベルのそばに置かれていたいかにも古臭そうな本に止まった。
「よう、童貞。飯食いながら読書とは生意気じゃないか。何の本を読んでやがる?」
口をもごもごと動かして食べ物を飲み込もうとするベルに代わって、シルが答えた。
「ハムザさん、ベルさんは明日迷宮探索がお休みでお暇らしいので、たまたま店内にあった本を一冊貸してあげたんですよ」
何かを新しく頼まなければならないので、メニューを片手に適当にシルに声を掛ける。
「シルちゃん、もしかして本が好きなのか?」
「はい、大好きですよ?もしかして、ハムザさんもそうなんですか?」
ハムザの目は、『牛ヒレ肉のステーキ、フォアグラソ―ス』で止まった。九千ヴァリス。今自分の財布にいくらあるかを思い出せないのだが、まぁこれくらいはいってもいいだろう…。
「おう、俺は本が大好きだ。俺も何か読みたい。おすすめはあるか?」
シルは目を輝かせ、ハムザにあれこれと早口でしゃべり始める。
「いっぱいありますよ!ハムザさんはどんな種類の本がお好きですか?純文学とか、推理物とか…もしかして意外と英雄譚ですか?」
ハムザは猫人の店員に簡単に酒とステーキを注文し、目を輝かせるシルに向き合った。
「濡れ場の多い本」
「…えっ?」
驚くシル。ベルと主神がふきだした。
「わからんか?性的描写の多い本だ。好きなのは」
「それってエロ本じゃあ…?」
ベルが突っ込みを入れると、ハムザに頭を叩かれた。シルは当惑した表情でなんと言ったらいいか分からないようだ。主神は愉快そうに成り行きを見守っている。
「シルちゃんにはまだ早いか。まぁいい。おいガキ、お前の本を先に読ませろ」
半ば強引に本をひったくられても、ベルには為すすべがなかった。ハムザは運ばれてきた酒をぐいっと一気にあおった。喉が焼けるように熱い。試しに本を開き、少しだけ読み進めてみる。
『魔法は先天形と後天系の二つに大別することが出来る…』
『魔法とは興味である。後天系に事限っていえばこの要素は肝要だ…』
ハムザには単語そのものは理解できたものの、結局その文章たちが何を叫んでいるのか全く理解できていなかった。
それでも文字は頭の中で流れていく。
『欲するなら問え。虚偽を許さない鏡はここに用意した』
自分の顔が見える。なかなかイケメンだ。口が動き、問いかけてきた。
ページをめくる。
『では、始めるぞ』
なんでこいつはこんなに偉そうなんだ?
『お前にとって魔法とはなんだ?』
うるさいなぁ。
知るかボケ。
まぁ、せいぜい魔法なんて不確かなものだ。
男は剣ひとつでのし上がるものだからな。
ページをめくる。
『魔法とはどのようなものだ?』
鼬の最後っ屁。
ちゃちな小細工。
臆病者や弱者に相応しい。真の強者は、魔法などに頼らない。俺のようにな。
ページをめくる。
『お前は魔法を求めていないのか?』
そうは言ってない。これだからお前ってやつは。
魔法を超える魔法。常識を打ち破る型破りな能力。
そういうものだ。俺が欲しいのは。
ページをめくる。
『ではお前が欲する魔法とは?』
息を吹きかけるように命を抜き取る。
ぼろ屑たちにかけてやる慈悲だ。
ページをめくる。
『魔法になにを求めるのだ?』
いわなくても分かるだろう。
一撃必殺だ。
どんな馬鹿も一瞬で葬る悪魔の力だ。
それ以外には何も必要ない。
ページをめくる。
『欲深い奴だ。それ相応の対価を払うことになるだろう』
腹立つなぁ。
お前になんかびた一文払ってやるものか。
何が対価だ。糞くらえだ。
お前の母ちゃん犯されろ。
ページをめくる。
『下品なやつだ』
文句あるか?たこすけ。
ページをめくる。
『そうだな。だがそれが俺だ』
光が弾け、いつの間にか自分は暗闇の中を漂っていた。遠くから音が聞こえてくる。
がやがやと、耳障りな音だ。
「おい、起きろ。たこすけ」
テルクシノエがハムザの頭を叩いた。
「……ん?」
状況が呑み込めずにいると、店員がやってきた。リューだ。
「…今日は疲れていたようですね、ハムザさん。お酒を飲んで、眠りに落ちてしまうとは。もっとお話が出来ればと思いましたが、生憎もう閉店です」
寝てた、のか?自分がどれくらいの時間寝てしまっていたのか見当も付かないが、会計を済ませて店を出ていく人の波は既に少なく、自分たちが店に取り残された最後の客だと分かった。
給仕服を着た店員たちが忙しそうに食器を片付けている。調理場の奥から女将がこちらに睨みをきかせている。どうやらさっさと退散したほうが身のためらしい。
「あ、そういえば俺のステーキは?」
「わしが食べた。昨日の仕返しじゃ」
ふんと腕組みをする主神に肩を竦め、ハムザはさっさと勘定を払い、店を出た。涼しい夜風が肌を撫でた。オラリオの星空はまるで魔法はかかったように綺麗だった。
狭い通り道を抜けて薄暗い歓楽街の路地裏に辿り着いた時、我らが【テルクシノエ・ファミリア】の
「なんじゃ、こいつ。ハムザ、知り合いか?」
(げっ…)
あの時の少女だ。ハムザの心に今も影を落とすあの日の出来事。自分をロリコンの道へ誘う事になった妙にエロい体つきをした猫人の少女が、二人の目の前に座って寝息を立てている。
主神は彼女を蹴っ飛ばして起こした。
「はっ…?あ、リ…えっと。ミャーは寝ていましたか?」
彼女はすっと立ち上がり、埃を落とすようにぽんぽんとローブを小さな手で叩いた。
「ハムザさま、言われた通り来ましたニャ。昨晩と同じで、前金五万ヴァリスですニャ」
再び突き付けられる選択に、ハムザは狼狽する。
やるべきか、やらざるべきか。またしても、それが問題だった。
もう一度少女と抱き更なるロリコンの道へ身を落とすか。あるいは過ちを正し、正常な自分をもう一度取り戻すか。
路上に佇む少女はあまりにも幼く見える。一度ヤってしまってからハムザの中に蓄積された後悔と罪悪感は、そう簡単には無視できないほど大きくなってしまっていた。
(セクロスするのは成人になった女だけって、昔から決めていたのに…こいつはどう見ても十二かそこらじゃないか)
ハムザは決心した。据え膳を食わない方が良い時もあるとしたら、きっと今がその時だ。
「すまんが、今日はそういう気分じゃないんだ。帰ってくれ」
「そ、そうはいきませんニャ!?じゃあ四万ヴァリスでどうですかニャ…」
猫人の少女は食い下がる。ハムザの決意は揺らいだ。縋りつく少女を強引に押しのけてテントに入ろうとすると、少女のお腹が鳴った。
「なんじゃ、お腹空いているのか?こっちへ来い。食べ物くらい食べて帰ったら良いぞ」
成り行きを見守っていた主神はお腹を空かせたみすぼらしい服装の少女に同情したのか、視線で中に入れと合図を送る。
少女は逡巡したものの、それに従った。テントの内部はとても豪華とは言えなかった。質の良さそうな古ぼけた調度品が数個おかれているだけで、羊皮紙や羽ペン、インクなどが絨毯に散乱している。
「…誰も片づけをしないのですかニャ?」
「するわけないじゃろ。物が散らかっているように見えても、実際は在るべき場所に在るだけだ」
怠け者の論理は自分に理解できないものだ。しかしここで文句を言っても仕方がないので、物が散乱した部屋で唯一奇跡的に空間が確保されている場所を見つけ、そこに腰を下ろす。
女神が乳香を焚くと、室内が高貴な香りで満たされる。不思議と、その匂いを嗅いだ途端ここがとても神聖な場所に思えてきた。少女にとって少し意外だったのは、乱暴で変態だと思っていたハムザが、今の所自分がファミリアの
「ハムザさまは、いつ頃から冒険者稼業を始めたのですかニャ?」
試しに話を振ってみると、以前に訊いた時と同じ答えが返ってきた。
「二、三週間くらいだろ。そんな事より、ほれ。これでも食っておけ」
ハムザは器に盛られていた果実の類を、そのまま少女に手渡した。
(二、三週間であんなに強くなってしまったら、私のこれまでの努力は一体何なのでしょうか?本当に、理不尽な世の中です…)
手渡された器から葡萄を一つ、また一つと摘み口に入れる。
「…おいしいですニャ。でも、こんなおもてなしを受けてしまったらご奉仕しないのは失礼ニャ。今なら三万ヴァリスぽっきりで、中出しもOKですニャ」
「……う、うるさい。俺はもう惑わされんぞ、ロリの魔力には。ほれ、さっさと喰わないか」
促された少女は今度はバナナに手を付ける。
「ハムザさまは、慈善活動でもしているのですかニャ?冒険者にしては、珍しいですニャ」
それは少しおかしな質問に思われた。食事の際に隣人が集まってわいわいと騒ぐのは、祖国では誰でもしている当たり前の事だ。彼にしてもそれは同じ習慣で、例え相手がホモであろうとも、夕食などで集まってくるならば極力追い払ったりはしないように心がけていた。
「飯はな、大勢で食った方がうまいんだ。それに今日一日起きた事を語り合う相手は多い方が楽しいだろ。俺はしんみり独りで飯を食うなんて事は淋しくて好かんな」
ハムザは更に付け加える。
「まぁ、祖国じゃみすぼらしい奴には食事も分け与えてやるのが普通だが、俺の場合は可愛い女の子限定だ」
「そうですかニャ…」
文化の違いですか、と彼女は思った。
テルクシノエは炭を炙っており、真っ赤になった一欠けらを水煙草の上に置き、煙を吐き出し始める。
「…マリファナですかニャ?」
「ばかもん。これは水煙草というものじゃ。オラリオにはマリファナもあるが、これは煙草じゃよ、お前も吸ってみるか?」
少女はホースを手渡され、ちょびっと口を付けて煙を吸い込んだ。すぐにごほごほと咽せる。
「な、なんですかこの味はっ!?」
「ははは、初めてには強すぎたか?これは煙草味の水煙草じゃ」
(そ、それって普通に煙草を吸った方がいいんじゃあ…?まぁ野暮な質問は、しないでおきますか…)
「しかし、よく食うな。そんなに腹が減っていたのか」
ハムザの言う通り、少女は大盛りの果物を既にほとんど平らげてしまっていた。
「はいニャ。リ…ミャーはとってもお腹が空いておりましたニャ。テルクシノエさまとハムザさまは、とってもお優しい方々です。どうもありがとうございましたニャ」
すっと立ち上がり帰ろうとする少女を、主神が引き留めた。
「まぁ、待つのじゃ。まだそう遅くもない、少しリリちゃんについて聞きたいことがあるのじゃ」
「…?」
少女は訝しげな視線を女神に送る。変身しているとは言え、自分はリリだ。一体聞きたい事とは何だろうか。考えてみても、身に覚えはなかった。少なくとも現段階で、【テルクシノエ・ファミリア】に対しては。
無言を貫くリリをよそに、女神は水煙草をふかしながら質問する。
「リリちゃんと【ソーマ・ファミリア】の関係について知っている事を教えるのじゃ。それと、お前もあのファミリアの団員なのか?」
リリは冷や汗が垂れる思いだった。神に対して、通常下界の人々は嘘を吐けない。当然リリも同様だった。女神と相対し率直な質問をぶつけられたこの感覚は、きっと魂が天界へと昇り生前の行いに対する審判が下される時の質疑応答と、何ら違いがないのだろう。
女神の質問を吟味してから、嘘にならず、尚且つ答えられる範囲の回答を何とか捻り出す。
「ミャーは【ソーマ・ファミリア】とは無関係ですニャ。でもリリちゃんはあそこの人たちに虐められていますニャ」
「そんな事は初耳だがな。あのガキ、君に嘘を吐いているんじゃないか?あいつ、盗人だから平気で嘘を吐く。油断ならん奴だぞ」
バレていましたか、とリリは心の中で呟いた。しかし、この連中が自分に対して敵対的だとわかったのは収穫だった。今後は二度と近づかない方が良いとわかったからだ。そうと決まれば、長居は無用。出来るだけ早く会話を切り上げて、さっさと撤収するのが一番だ。
そうでもしないと、質問の内容いかんではとんでもない事になりかねない。最悪、身元がバレてこの野蛮人にまた犯された挙句、ギルドに突き出されて牢獄にぶち込まれるだろう。
しかしそれでも、ザニスに捕まった時の生活よりはマシかもしれないが…。
「リリちゃんはとてもいい子ですニャ。悪いのは全部【ソーマ・ファミリア】の連中ニャ。御馳走を頂いてごめんですけど、ミャーが知ってるのはこれくらいですニャ。では、そろそろミャーは帰りますニャ」
リリはありがとうございました、とぺこりとお辞儀をしてからテントから外に出ようとしたが、テルクシノエがもう一度引き留める。
「まぁ、待て待て。良い情報をやろう。うちのファミリアはギルドと細くない繋がりがあってな、ギルド長のノイマンから近日【ソーマ・ファミリア】に査察が入るだろうという情報を教えて貰ったのじゃ。理由は奴らに聞いた方がいいだろうが、まぁごまんとあるだろうな。場合によってはそのままギルドと結託したとある巨大なファミリアが、武力行使をも厭わない対応をするそうじゃ」
「そ、それは本当ですかニャ?」
確かに、【ソーマ・ファミリア】の団員たちはステイタスを偽ることなど勿論、脱税や人身売買などにも手を染めている。それでも今までギルドのちょっかいが出てこなかったのは、団長のザニスが徹底的に情報を秘匿しているからだ。
「まぁ、本当かどうかは近日わかる。それに確証がなければ、話したりなどしないのじゃ。では、帰って良いぞ、気を付けろよ」
テルクシノエとハムザに見送られ、リリは歓楽街の路地裏を歩き始めていた。
(あの情報がもし本当ならいい気味です…。あんなファミリアなんて潰れてしまった方が、リリは幸せになれるでしょうし)
しかし、ザニスは長年あくどい犯罪行為を繰り返しながら摘発を潜り抜ける頭脳を持った男だ。仮にギルドが【ソーマ・ファミリア】の本拠地に査察に来ても、既にそこが蛻の殻だったなんていう事になりかねない。
事実、【ソーマ・ファミリア】の実態は本拠地にはない。彼らが際どい仕事をしている場所は秘匿されているし、末端の自分には知り得ない情報だ。そういう理由もあって、自分にはどうしてもあのザニスが捕まる光景を想像できなかった。
結局、自分の命運は明日のファミリアの集会で分かる。主神に対し、所持金三百万ヴァリスで脱退を申請する。ただそれだけだ。
今はそれが受け入れられなかった時のことなど、とても考える気にはなれなかった。