※この作品はR-18です。

ダンジョンに性交を求める眷属の物語   作:kuracjaponski

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第五章 -神酒-

 

 その日は雨だった。オラリオでは一日中雨が降り続くという事はあまりない。だが不思議なこともあるもので、リリが思い出せる限りでは昨日は一日中雨が降っていたし、一昨日もそうだった。

 

 雨は嫌いではなかったが、この時ばかりは雨粒が降りしきる空へ向かって悪態を吐きたくなるほどに心が荒んでいた。どことも知れない街角の軒下で、一夜中ずっと泣きじゃくっていたからだ。

 

 みすぼらしい服装は、既に泥だらけだ。肌にべっとりと張り付いたローブが気持ち悪くて、思わず脱ぎ捨ててしまいたくなる。でもそんな事をすれば、きっと自分は寒さに凍えて死んでしまうだろう。

 

 ここの住人は皆知っていた。空が強い日差しで人々の肌をこんがり焼くことに飽き始めると、今度は人々の頭を雨でびしょびしょにして遊ぶ。そんなお遊びを繰り返しているうちに街路樹は赤く色を変え始め、皆に秋の到来を知らせるのだ。

 

 お日様がメレン港の方角から昇り始める頃、少しだけ空が明るくなってきた。するとリリは、辺りが濃い霧に包まれている事に気付く。リリには霧というものが良く分からなかったが、きっとそれは雨が石畳(ラストリカート)をぱちぱちと叩いて弾け、粉々になった物なのだろうと思った。

 

 早朝の気温は低い。びしょ濡れになって民家の壁にもたれ掛りうずくまっていると、あまりの寒さに体が小刻みに震え始める。いや、もうずいぶん前から震えっぱなしだったのかもしれない。

 

 リリの意識はあまりはっきりしていなかった。雨だけではなく、霧までもリリを苦しめに来ているからだ。

 

 昔、窓の外から見た時には抱きしめたいほど綺麗だと思ったオラリオの雨は、今や命を吸い尽すまで離れない死の抱擁の様に感じられた。

 

 「…くしゅん」

 

 小さな鼻をすすって、ぶるっと身震いをする。雨が止んでお天道様が昇れば、きっとこんな苦しみも笑い飛ばせる程暖かくなるのだろう。リリはもう一度曇天を見上げた。

 

 そこには分厚い雲が何重にも重なって、暖かい陽射しを決してリリまで届けないように遮っていた。

 

 そうだ。誰も自分には優しくしてくれない。ファミリアの仲間だけではない。自分の両親もだ。彼らは自分に愛情を示してくれた試しなどなかった。今でも記憶にあるのは、酒瓶を手に嬉しそうに顔を赤らめる父親の大きな手だ。まだ小さい自分が近づくと、その腕はリリを殴り飛ばした。母親はと言うと、泣きじゃくる自分に近づいて来るや否や、何か汚い言葉で罵ってから何度も頬を引っ叩いた。

 

 その時からだろう、自分が産まれてくるべきではなかったと悟ったのは。

 

 リリの周りに在るありとあらゆるものが、決してリリを幸せにしてはならないと神様に言いつけられているのだろう。冒険者もそうだし、家族もそうだった。そんな環境にいよいよ我慢出来なくなった自分は、昨晩ファミリアから逃げ出してしまった。

 

 頼る当てもなければ、夜露を凌ぐ宿を取るための蓄えもなかった。そもそも、無計画で飛び出してきただけだ。ずぶ濡れの泥だらけになったとて、いったいどうして文句が言えようか。

 

 雨足は強まっていく。冷たい風はリリから決して離れるものかとして、頑なに自分の周りで音を立てながら舞い続けている。心臓が冷たい手で握りつぶされているようだ。それが寒さのせいなのか、悲しみのせいなのかは分からない。ただ、遅かれ早かれ、この鼓動はその手によって止められてしまうのだろう。

 

 すると背を凭れていた民家の壁が、がたがたと振動した。頭上で鎧戸が跳ね上げられ、優しそうなお爺さんが窓からリリを見下ろした。

 

 「…おや?お嬢ちゃん、こんな所で何をしているね?凍えているではないか。はやく中へ入りなさい」

 

 それからの事は、あまり覚えていない。とにかく次の瞬間には、毛布に包まって暖炉の火に当たっていた。その暖かさは強烈だった。人類がいかにして火によって救われてきたのかを、自分はその時に実感したのだ。

 

 それ以来、暖橙色を見る度にその時の事を思い出すようになった。いつも暖かくリリを包んでくれた火だけは、決して自分を裏切らないのだと知った。その優しい暖炉の炎に包まれた瞬間から、リリの幸せな日々が始まったのだった。

 

 

 

 「おじいさん、このお花はどこに置けば良いですか?」

 

 リリは小さい体を覆いつくすほどの大きな花を持っている。

 

 「あぁ、向日葵は適当に置いとくれ。いや、待てよ。そうじゃの、向日葵はお客さんに一番最初に見てもらえるような場所に置いて貰おうかのう」

 

 「わかりました!」

 

 たっぷり土の入った鉢を落っことさないように慎重に運びながら、リリはそれを店外に置いた。一つでは足りないので、何往復もして大きな向日葵が植わった鉢をたくさん店の外に並べていく。しばらくすると、花屋の入り口は美しい向日葵で綺麗に彩られていた。

 

 「あら、リリちゃんはセンスがあるわねぇ」

 

 お婆さんが朝食の買い出しから戻ってきた。紙袋からは焼き立てのパンの香ばしいにおいが漂っている。

 

 「おや、もう飯の時間か。どれ、リリちゃんや。ちょっと休憩にしよう」

 

 あの日お爺さんに拾ってもらってから、既に数週間が経った。

 

 リリは彼ら老夫婦が営む花屋を手伝いながら一緒に暮らしていた。ファミリアから出るまでは全く知らなかった事だが、世の中にこんなに優しい人たちがいるなんてことは、彼女にとっては衝撃的な事実だった。

 

 食事だけでなく、暖かい布団にかわいらしい洋服まで彼らは惜しみなくリリに与えてくれた。子供を設ける事が出来なかった彼らにとっては、リリの存在は特別なものだったのかもしれない。しかしそうした事実を差し引いても、彼らはやはり優しく寛大で、尊敬できる素晴らしい人物だった。

 

 綺麗な花たちに囲まれる生活は、まるで天国のようだった。毎朝、焼き立てのパンの芳醇な香りと色とりどりの花束から漂うかぐわしい匂いに包まれて朝食を取ることは、全くもって至福の一言だ。

 

 こんな生活が出来るのだと知っていれば、自分はもっとはやくファミリアから抜け出したものを…。そんな風に後悔する事も、幸福な日々を過ごしていくに連れて徐々になくなっていった。 

 

 「リリちゃんは、どの花が一番好きかね?」

 

 ある日お店を閉めた後、お爺さんはリリにこう質問した事があった。

 

 彼女にとって、こんなに素晴らしいお花の中から一番を決めるなんて言うことは、殆ど不可能にも思われた。しかし強いて言うならば、自分はお日様の様に明るい色をした向日葵が好きだった。だからリリは無言で向日葵を指さした。するとお爺さんは大きな向日葵をよいしょと持ち上げて、リリの前に置いた。

 

 「これは、リリちゃんに上げようかのう。飛びきり綺麗な一株じゃが、寒くなってきたせいで少し元気がなくなってしもうた。このまま買い手がつかないまま店頭に並べるのも可哀そうじゃ。リリちゃんの部屋に、飾っておくとしようかの?」

 

 お爺さんの優しさに、リリは飛び上がって喜んだ。そんな様子を愛おし気に見守るお婆さんは、「良かったねぇ」と言ってリリに甘いお菓子を手渡した。二人に何度も何度もお礼を言ってからリリは大急ぎで階段を駆け上がり、向日葵を自分のベッドのすぐそばに置いた。

 

 その夜の事は死ぬまで忘れないだろう。

 

 皆が寝静まった頃、リリは通りで妙に騒がしい声が聞こえて起こされた。

 

 何事かと思って階段を下りていくと、鎧戸が壊されて一階の店内にいくつもの松明が投げ込まれる。その中の一つが店内に置かれていた花に火を付けた。瞬く間に炎が燃え広がり、リリが大好きだった向日葵が赤い炎に包まれた途端、ものすごい速さで萎んでいき真っ白な灰になってしまった。

 

 「おらぁッ!いるんだろ、アーデ!邪魔するぜぇッ!」

 

 店の扉を蹴破って、【ソーマ・ファミリア】の連中が店内に雪崩れ込んできた。彼らは鉢をひっくり返しては花に火を付けていく。石造りのお店はそう簡単に燃えたりはしないが、お花は別だ。赤い炎に触れた途端に、彼らは生気を抜かれたように真っ白い灰に変わってしまう。ずっと自分の味方だと思っていた炎は、一瞬にしてリリの敵に成り代わっていた。

 

 リリは悲しみに堪らなくなって叫んだ。

 

 「ザニスさま!?お願いです、どうかこんなひどい事は止めてください!?」

 

 二階から老夫婦が大急ぎで降りてきた。彼らは目を丸くしてザニスとその取り巻きを見つめている。

 

 「あ、あんたたちは何者だ?こんな事をして一体何になると言うのかね!?私たちがあんたに何か迷惑でもかけたというのか!」

 

 「あぁ、かけたぞ」

 

 ザニスの一言に、リリは凍り付いた。彼らがどうしてここに乗り込んできたのか最初は見当もつかなかったが、愚鈍な自分でもその彼の言葉で理解することが出来た。

 

 彼らは自分を罰しに来たのだ。無断でファミリアから抜け出そうとするなど言語道断。けじめも付けずに逃げ出せるほど【ソーマ・ファミリア】は甘くはないと言うことだ。

 

 「わ、私らが何をしたというのですか…?」

 

 お婆さんは恐る恐るザニスに声を掛けた。彼女の瞳には、はっきりと恐怖の色が浮かんでいる。当然だ。お店をこんなに無茶苦茶にされてしまっては、当然のことだ…。

 

 「直接的な原因がお前たちにある訳ではない」

 

 ザニスは冷たく言い放った。

 

 「そこのアーデが無断でファミリアを抜け出したのだ。俺たちは今日、そいつを取り返しにきただけだ」

 

 老夫婦は信じられないという顔でリリを見つめた。

 

 「…ファミリアの一員だったのか?冒険者じゃないって、リリちゃん、あんた最初に言ったじゃないか!」

 

 ひどい。あんまりだ。大好きだったお爺さんを傷つけてしまった。自分のついた嘘によって、彼らのお店を滅茶苦茶にしてしまった。自分はなんてひどい奴なんだろう…。

 

 「嘘を吐いていたのか、アーデ?お前は俺たちに狙われるだろうことも、俺たちがその気になれば平気で店の一つや二つは潰すことが出来るということも、何も伝えていなかったという事だな?」

 

 土や硝子が散乱し、灰になった花にちりちりと赤い火が灯っている。大好きだった向日葵は、今や見る影もない。それは老夫婦も同様だった。リリが大好きだった彼らは、自分が巻いた炎によって真っ白く燃え尽きてしまっているようだった。

 

 「お前は残酷な奴だな、アーデ。お人好しの老人に匿ってもらって、彼らに迷惑を振りかけてなお、謝罪の言葉すら出ん訳だ」

 

 その通りだとリリは思った。全ての責任は愚かだった自分にある。それなのに、どうして自分の口は動かないのだろう。どうして何も言えないのだろうか?

 

 居たたまれない思いで、リリはお爺さんを見た。しかし彼の目には、今やはっきりと敵意が見て取れる。あの優しい眼差しは、無言の非難を自分に語り掛けていた。

 

 そして体を震わせながら、お爺さんはリリに叫んだ。

 

 「はやく出ていけ!この薄汚い疫病神め!」

 

 

 

 次の瞬間、リリはソファーからがばっと起き上がり、その勢いで床に転げ落ちた。

 

 「いたっ…」

 

 頭を押さえながらむくりと起き上がり外を見やると、雨が降っている。

 

 今朝の夢は、もう何度も見た事のある夢だった。彼らの生活を滅茶苦茶にしてしまったあの日は、悪夢となって何度も枕元を訪ねてきていた。

 

 (止まない雨は無いって言いますが、雨は止んでもまた降るものです)

 

 あの日以来、リリは雨が大嫌いになった。

 

 しかし文句は言っていられない。今日はファミリアの集会だ。主神ソーマ様に脱退を申し込み、それを受け入れてもらえなければ、自分はもうおしまいだ。

 

 数時間しか寝れていなかったが、リリにはそんなことはもうどうでもいいように思われた。空腹や睡眠不足など、もう慣れっこだ。

 

 リリは大きなあくびをしてから、ボロボロになった窓からしばらくの間降りしきる雨を眺めていたのだった。

 

 

 【ソーマ・ファミリア】の本拠地(ホーム)には、既に大勢の団員が集まっていた。彼らにとって、ここに集まるのは特別なことだった。老若男女問わず【ソーマ・ファミリア】の冒険者たちは、ここに住んではいない。では誰がどこに住んでいて、何をしているのかという事になると…実はそれもよくわかっていなかった。

 

 ただ分かっているのは、彼らが一月かけて金策に奔走し、ステイタスの更新と神酒が配られるこの集会を待ちわびているという事だった。

 

 無論、神酒は無料で配布される事はない。その献金額に応じて配られる。多額を献金すればするほど、長い間美酒に酔うことが出来る。ただそれだけの、簡単なシステムだ。

 

 しかしそんなシステムで運営するからこそ、ここの団員たちは神酒が持つ魔力に憑りつかれ、理性を失った獣の様な者達ばかりになった。その魔力に打ち勝つ耐性を持つ人間は極僅かだった。第二級冒険者であり団長を務めるザニスなどはそうだし、副団長のチャンドラ・イヒトもその僅かなうちの一人だ。

 

 あとの者は善と悪の区別も分からず、ただ欲求のままに神酒に溺れていく。四六時中、毎日酒を飲んでいようとも、それを咎めるような人間はここにはいない。

 

 むしろ、その持ち主を刺殺して酒を奪いどこかへ消えていく…そんな人間(クズ)ばかりだ。

 

 リリは広間に集まる団員を押しのけて、主神の姿を探していた。主神はまだ広間には来ていないようだ。一度広間を出て、彼女は主神ソーマが座す部屋を目指す。自分の退団を懇願するタイミングは、今しかない。ザニスの姿が見えない今こそ好機と考え、リリは階段を上がっていく。

 

 リリは酒に溺れ自分の命すらも手放していく彼らを、可哀そうだとは思わなかった。彼らがどれだけ神酒に酔っていようと、いずれ素面(しらふ)に戻る時が来る。その時に己を恥じ、断固とした決意でその誘惑と向き合えば、神酒への依存は必ず克服できるものであるはずだったからだ。

 

 そう、自分の様にだ。一度自分は、一滴の神酒に溺れ餓鬼に成り果てる寸前まで堕ちた事があった。しかしある時に突然、暗い空に霹靂(はたた)が迸るように意識が戻った。それからと言うもの、リリはわざとファミリアの上納金を納めず、この集会に出ても決して神酒を貰おうとはしなかった。それが自分なりの神酒に対する回答だった。

 

 そうやって抵抗しようとすれば、どうにかなるものだ。それなのに抵抗する姿勢すら見せず酒に溺れ蒸発していくほかの者たちは、結局『自ら望んで破滅している』にすぎない。

 

 だから、自業自得だ。そんな愚かな者たちに同情してやる義理などない。もともとそんな余裕も自分にはなかったのだが。

 

 リリは階段を上り切り、主神の部屋の扉の前に立った。深呼吸をして、扉をノックする。すると「入れ」と主神の声が部屋から聞こえてきた。リリにとっては、主神の声を聞くのがこれで人生で二回目だった。リリは部屋に入り、開口一番にファミリア脱退の懇願をするつもりだったが、実際にその扉を前にすると緊張で胸が爆発しそうになり逃げだしてしまいくなった。

 

 意を決して足を運び主神の部屋に入った時、リリは絶望した。主神の隣でザニスが仁王立ちし、意地悪そうな笑みを浮かべて自分を見つめていたからだ。

 

 これは起こりうる可能性の中でも一番厄介な状況だった。ザニスが横から茶々を入れてくれるのであれば、主神が自分の要求を受け入れてくれるとは到底思えない。

 

 「お前の言いたい事は分かる。ファミリアを脱退したいと、ソーマ様に懇願しに来たのだな?」

 

 主神に助け舟を求めようと視線を送るが、ソーマはぶつぶつと独り言を言いながら羊皮紙とにらめっこしている。リリは完全に無視されているようだ。きっとソーマにとってリリの存在など、夏のブヨよりも目障りな存在なのだろう。

 

 ザニスの問いかけに、リリはただ無言でうなずく事しか出来なかった。

 

 この主神は酒造り以外に無頓着な事は知っていた。まともに取り合って貰えると思った自分がバカだったのだ。今更自分の行動に後悔をし始めるリリの様子を見て、ザニスは口端を釣り上げ、邪悪な顔をより一層醜く歪めて笑った。

 

 「ハハッ。考えてもみろ、お前は大切なファミリアの仲間の一人だ。ザニス様が簡単に手放す訳がないだろう?だがどうしてもと言うのなら、受け入れてやる。一千万ヴァリスを脱退金として支払えるのであればな」

 

 そんな金額、自分に払えるわけがない。もちろんザニスはその事を見越して設定した金額だろう。

 

 「…私には三百万ヴァリスしかありません。どうかザニスさま、三百万でリリを自由にしてください…」

 

 「…と言っていますが、どうされますかソーマ様?」

 

 突然声を掛けられたソーマは迷惑そうに一瞥してから、低い声で唸った。

 

 「任せる…」

 

 「では、今の要求は却下します」

 

 「任せる……」

 

 終わった。これでもう自分にこのファミリアを脱退する術はない。一千万ヴァリスを貯めれば脱退できるなどと浮かれられるほど、リリは愚かではなかった。ここの連中の事だ。あの手この手でリリから金貨を奪い取りにくるに決まっている。

 

 貯めれば奪われる。その繰り返しだ。

 

 「ということだ、アーデ。さて、集会を始める時間だ。先に降りていろ。お前が故意に献金を怠り、義務を蔑ろにして金貨を溜め込んでいたことに対する処罰は後ほど行う」

 

 そう、このようにして、リリが貯めた財産は片っ端から奪われて行ってしまうのだ。もうどうすることも出来ない。

 

 絶望から始終顔を俯いてしまうのは、もう仕方がないことだ。一体誰がこんな状況で笑っていられるだろうか。リリはこれから陥るであろう最悪の状況を、出来るだけ考えないようにして階段を下りて行った。

 

 

 

 先ほどの大広間の中心では、大きな酒樽を囲むようにして団員が居並んでいる。その酒樽を挟むようにして立つザニスとソーマが、皆の注目を一身に受けている。

 

 「これから【ソーマ・ファミリア】の定例集会を始める。いつものように、各々の献金額によって神酒ソーマが与えられる。では副団長のチャンドラより始めよう」

 

 厳めしい顔つきのドワーフが前に進み出た。リリは彼の顔に大きな青い痣が付いている事に気づいた。その目つきには明らかに敵意が籠っているが、ザニスはそんなことは歯牙にもかけず長い羊皮紙に視線を落とす。

 

 「…チャンドラ・イヒトには、五十万ヴァリスの献金によって二十杯分の神酒が与えられる」

 

 周囲がざわめいた。チャンドラはザニスから大きな杯を受け取り、酒樽から酒を汲み取り自分が持っていた大きな水筒(スキットル)に注いでいく。その作業が終わるとチャンドラは輪に戻っていき、一口ぐいっと仰いだ。周囲の人間は羨ましそうにその様子を見つめている。

 

 (チャンドラさま、あの痣は一体どうしたのでしょう…)

 

 リリはチャンドラの痛ましい顔をしげしげと眺めた。このドワーフの副団長は厳めしい顔をしてぶっきらぼうな性格だが、心から腐った他の団員とは違う。決してリリに優しかったというわけではないが、もし彼がこの派閥の団長だったなら間違いなくリリはもっと幸せに過ごせていただろう。

 

 チャンドラがザニスを団長の座から追いやるような事になったら、きっと自分は嬉しさのあまり神酒で飲み明かすに違いない。

 

 やがて一人、また一人と名前が呼びあげられていく。今の所皆がそれなりの額を献金しているようだったから、リリのそばで順番を待つ団員たちが妙にそわそわし始めた。きっと自分の番が来る前に酒樽の中身が空っぽになってしまわないか、不安でたまらないのだろう。

 

 「…ピヤーネツ。アド・ピヤーネツ」

 

 名前を呼ばれると、ひょろりとしたヒューマンの男が出てくる。足元が覚束ない様子だ。きっとここに来る前にも何杯か引っかけてきたに違いない。顔は赤く、目の焦点が合っていないようだ。

 

 「お前は今月の献金額が十万ヴァリスに届いていないな。先月もそうだ。ノルマを達成できない団員には神酒ソーマは与えられない。罰則として、ステイタスの更新も行われない」

 

 ひょろりとした男が叫んだ。

 

 「そんなっ!ふざけんじゃねぇぞ、こっちはさ、うぃっく!…酒がねぇとやってらんねぇんだ!今月の稼ぎがわりぃのは、てめぇが先月酒を寄こさなかったせいだ。くそっ、ぶっころしてやる!」

 

 男は剣を抜きザニスに飛び掛かろうとした。リリは、ザニスが串刺しにされて死んでしまったらどんなに喜ぶだろうと思った。だが期待に反して、ピヤーネツと呼ばれたその団員はザニスに肉薄する前に足が縺れて地面に倒れ込んだ。

 

 「いてっ…うぃっく。くそっ、誰かもっと酒を恵んでくれ…うぃっく」

 

 「…このキチガイを黙らせた奴には一杯余分に与えてやる。誰かさっさと始末しろ」

 

 ザニスがそういうなり、団員のほとんどがピヤーネツに飛び掛かった。人が揉みくちゃになって彼に群がったと思うと、次の瞬間には彼が喉元を切り裂かれて絶命していた。

 

 一人の男が返り血を全身に浴びて喜びの雄たけびを上げた。

 

 「カヌゥ、よくやった」

 

 それはリリにも面識がある男だった。その男はザニスと並んでリリが最も憎んでいる団員の一人だ。あの冒険者に辛酸を舐めさせられたのは、一度や二度ではなかった。それにしても、本当に屑ばかりの集団だ。酔っぱらう方が哀れなのは言わずもがな、平気で団員を殺してしまうなんて正気だとは思えない。

 

 出来る事なら、一刻もはやくこの場から逃げ去ってしまいたい。そのままオラリオの外へ出て、放浪の旅に出てみようか…。いや、自分にそんなことは出来る筈がない。例え変身魔法を使ったとしても、絶対に不可能だろう。オラリオは逃げ去る者に寛容ではないし、常に門番が脱走者に目を光らせているからだ。

 

 「…リリルカ・アーデ」

 

 リリはどきっとした。今しがたの出来事に意識が向いていたから、急に自分の名前が呼ばれたことに驚いて飛び上がりそうになった。リリは輪の中心へ歩いていき、酒樽を前に俯いた。

 

 絶対にザニスと目を合わせたくないと思ったからだ。

 

 「…リリルカ・アーデ。お前はここ数か月の間、一銭も納めていない。私はそれが、お前が愚鈍で弱いせいだと信じていたが…どうやらそうではないらしい」

 

 信じていた?ふざけたことを。最初から分かっていたくせに…。しかし。これからザニスによる公開処刑が始まるのだ。

 

 「紳士淑女の諸君」

 

 ザニスは低い声を響かせて、ファミリアの団員に問いかけるように言った。

 

 「この女は、ファミリアを脱退したくて金貨を溜め込んでいたのだ。それも、三百万ヴァリスもだ。義務を蔑ろにして逃げ去るなんていうことを、我々は許して良いものだろうか?」

 

 『『絶対に許されない!!』』

 

 リリを取り囲む連中が汚い野次を飛ばす。その中でもひと際目を開かせて激怒している人間がカヌゥだった。もう放っておいてくれ…。出来る事なら一思いに喉を掻っ切ってしまいたい。リリはそんな事を考えながら始終俯いている。

 

 「当然許される事ではない。アーデは罰せられるべきだ。そこで私はお前たちにこう問うのだ。このじゃじゃ馬を矯正するには、一体どんな仕打ちが必要だろうか?」

 

 「そんな事は簡単だ!」

 

 カヌゥが輪の中で大声を張り上げる。リリは耳をふさぎたくて仕方がなかった。

 

 「年頃の娘だ。一晩中犯してやれば、従順になるものです!何ならザニス様、俺がその役目を受け持ってもいい!」

 

 周囲の男たちの目つきが変わった。リリは自分の未来を見てしまった気がした。きっとこの連中に輪姦(レイプ)され、明日にはぼろ屑の様に横たわっているに違いない…。

 

 「それは一理あるな、カヌゥ。採用だ」

 

 ほらね、とリリは内心自嘲する。

 

 「だが些か度が過ぎる。だからこうしよう。溜め込んだ金貨をファミリアに献上するのであれば、一年間のファミリアへの無償奉仕だけで許そう。献上しないのであれば、我々の慰み者になってもらうとしよう」

 

 更にザニスは続ける。

 

 「また、献上したとしても今後同じ過ちを繰り返せば、アーデは我がファミリア専用の性奴隷となる」

 

 大広間は言いようもない熱気に包まれ始めた。女たちは面白おかしく野次り、男たちは股間を膨らませて今にも飛び掛かってきそうだった。今やここにいる全員がリリを標的にしている。しかし、金貨だけは絶対に渡したくない…。そう心に強く念じた途端、思わず言葉が飛びて出来た。

 

 「…じょ、情報があります!近々ギルドが【ガネーシャ・ファミリア】の精鋭部隊を連れて【ソーマ・ファミリア】を査察に来るそうです!この情報はリリが必死に努力して入手したものです!?どうかこれに免じて今回は見逃してくださいっ…!」

 

 リリはどうして自分がその事を言ったのかよくわからなかった。しかし、それはでっち上げではなく確かな情報だった。【テルクシノエ・ファミリア】を訪れた時に入手したものだ。咄嗟の発言を思い返してみても、なかなか妙手に思えてきた。査察を事前に察知できれば逃亡や隠蔽に苦労するはずがないので、本当ならば確かに価値のある情報なはずだ。事実、団員は明らかに動揺していた。

 

 しかしザニスだけはその邪悪な笑みを崩していない。

 

 「…なかなか賢い取引だ、アーデ。だが済まんな。ギルドがこそこそ嗅ぎまわっているのは数日前から察知しているし、こちらで先手を打っておいた。おいお前、ここへ来い」

 

 ザニスに声を掛けられた人物は団員の輪からは離れており、壁に寄りかかっていた。ザニスに声を掛けられてゆっくりと輪の中へ入り込んでくる。

 

 仮面で顔を隠していたために表情は伺い知れない。身長は百六十センチほどだろうか。華奢な体つきだったが、洗練された足運びから熟達の剣士を思わされる。リリは、それがもしかしたら女性かもしれないと思った。しかし肌を一切露出せず、全身をマントで覆い隠しているから、男だと言うことも十分あり得そうだった。

 

 ザニスはその人物を紹介する。

 

 「これは俺が依頼した用心棒だ。【ガネーシャ・ファミリア】クラスの派閥が相手だとうちの戦力だけではどうしようもないからな。前々から確認していた依頼書(クエスト)の中から、より安全で信頼性のあるプロに仕事を依頼しておいたのだ。なに、抜かりはない。実力は折り紙付きだ」

 

 相変わらず用意周到な男だとリリは思った。しかしそうなれば、自分の情報はあまり価値がなかったのではないか…。

 

 「そういうことだ、アーデ。お前の情報は価値がない。だから最初に戻るとしよう。溜め込んだ金を渡すか、渡さないか。どちらだ?」

 

 頭が考えるよりも先に、リリの口が反射的に答えた。

 

 「…溜め込んだお金なんてありません」

 

 次の瞬間その言葉が悪手だったことに気づかされる。熱を帯びた顔つきのザニスが合図すると、一斉に男たちが飛び掛かってきたからだ。

 

 「や、やめてっ…!」

 

 リリの悲鳴は熱狂にかき消された。自分はまるで先ほど息絶えた男の様だ。このまま死んでしまうのなら、それはそれでいい…幸せなんて皆無の人生だった。今更なんの後悔があるだろうか。

 

 しかしリリの甘い考えは裏切られる。男たちがズボンを下ろし、いきり立ったペニスを露にして自分の体を乱暴につかんだ時、言いようもない嫌悪感が胸に広がっていったからだ。

 

 それは本能の叫びだった。

 

 「やめてっ…!ザニスさま、お金は全部払います!こ、これが金庫の鍵です!」

 

 リリは首から下げていた鍵をザニスへ放り投げた。

 

 「こ、これでどうか止めてくださっ…あっ!?」

 

 しかし男たちに力づくで下着を脱がされる。もうだめだ、おしまいだ…。リリがそう思った瞬間、ザニスは冷たく言った。まるで面白くないという口調で。

 

 「お前たち、やめろ」

 

 その一言で群がっていた男たちは離れていく。間一髪、救われたのだ。リリがそうほっと胸をなでおろしていると、カヌゥが恨めしそうな目つきでザニスを見つめているのに気が付いた。

 

 「甘すぎませんかね?ザニス様」

 

 そんなカヌゥの発言を無視し、ザニスは何事もなかったかのように再び羊皮紙を読み上げ始めた。ただし、その片手にはリリの金庫の鍵が握りしめられている。

 

 

 定例集会が終わり悲喜交々の団員が大広間から去っていく中、リリは未だに呆然と突っ立っていた。

 

 「アーデ、災難だったな?」

 

 ザニスに声を掛けられても、リリはどのような反応をしたらいいか分からず無言で佇んでいた。男たちに犯されかけた事が、精神的に大きなダメージを与えていた。

 

 「なに、落ち込むことはない。これから一年間俺の奴隷として無償奉仕が出来るのだ。幸せだろう?」

 

 「ファ、ファミリアへの無償奉仕のはずでは…?」

 

 ザニスは口端を吊り上げて言った。

 

 「同じことだ。俺がソーマ様にこう聞くとする。『アーデの奉仕内容ですが、一年間私の個人的な奴隷として奉仕するという事でよろいいですか?』すると奴はこう答える。『任せる…』とな。しっかり躾けてやるぞ、アーデ」

 

 リリはもうおしまいだと思った。ついに堕ちるところまで落ちたのだろう。奴隷として飼われた挙句、いずれどこかへ売られるのだ。まったく、本当に幸せな人生じゃないか…。

 

 「…それよりも、お前はモンスターにも姿を変えられるな?」

 

 「…?」

 

 リリは訝し気な表情でザニスを見た。一体この期に及んでどんな質問だ。

 

 「なに、ちょっとした商売も手伝ってもらうぞ。お前の『変身魔法』を使ってモンスターをおびき寄せ、売り払う。簡単だろう?」

 

 「モンスターに商品価値があるとは思えませんが。それが奉仕の内容ですか?」

 

 「くくく、どうだろうなぁ。お前の出来によっては俺を悦ばせる必要が出てくるかも知れん。とにかくその仕事をうまくこなせれば、最悪の事態は避けられるかもしれんぞ?」

 

 リリは理解した。ザニスはこの要求を吞ませるため、あれこれと吹っ掛けてきたに違いない。恐らくザニスの言うモンスターの商売というものが危険極まりないか、とてつもない汚れ仕事だと言うことだろう。そして付け加えれば、私腹を肥やすのに十分な金が転がってくるということだ。

 

 「…わかりました。それで自分を守れるなら、リリにはそうするしか選択肢がありません」

 

 「くくく、賢いなぁ、アーデ。献金の方も気を付けることだな。次にノルマを達成できなかったら、お前の体で稼いでもらうことになるからな。毎月五十万ヴァリス、きっちり支払えよ」

 

 「なっ…ノルマは十万ヴァリスの筈です!?」

 

 ザニスは愉快そうに「お前だけ特別だ。喜べ」と言って去っていった。残されたリリは再び呆然と立ち尽くしている。

 

 (五十万ヴァリスなんて、稼げるはずがありません…)

 

 下級冒険者の一日の稼ぎは、せいぜい五千ヴァリスだ。五十万なんて貯まる筈がない…それこそ第二級冒険者にでもならない限りは…。

 

 リリははっとして顔を上げた。いるじゃないか、いいカモが。一日に十万ヴァリスも稼いでその全てを自分に奪われた哀れな冒険者が。

 

 絶望しかないリリの瞳に、このとき微かに希望の光が灯っていた。

 

 

 

 【ソーマ・ファミリア】の廊下で、カヌゥはザニスを問い詰めていた。

 

 「ザニス様っ!いつになったらアーデをやらせてくれるんですか!?変身魔法の情報も、あいつが金貨を溜め込んでるってことも俺が教えたんですぜ!?」

 

 狭い廊下を歩きながら、カヌゥは口角泡を飛ばす。そんな彼をザニスは邪険に扱っている。

 

 「黙れ、カヌゥ。文句があるなら自分で奪ってこい。あいつの金は俺が頂いたが、迷宮探索時のバックパックにはまだお宝が詰まっている筈だぞ?雑魚が危ない橋を渡るんだ。緊急時用に魔剣だって持っていてもおかしくない。お前もここでのし上がりたいなら、欲しいものは自分で奪え。そのついでに一発二発ぶち込んできても、俺は文句を言わないぞ?」

 

 カヌゥは逆らうことも出来ず、ただ歯がゆい思いに顔をしかめていた。

 

 「ちくしょうっ…俺は諦めねぇ。諦めねぇぞ…」

 

 未だ激情を抑えられずに壁に八つ当たりをしながら去っていくカヌゥの後姿を、柱の陰に隠れた仮面の人物が見送っていた。その者はふぅとため息を吐き、窓の外を見た。明け方から降り始めた雨は今もぽつぽつと降り続いている。光のない曇り空のせいで、今が真昼間だというのにもう夕刻時のような暗さだ。

 

 怒りを爆発させたカヌゥとは対照的に、ザニスは至って冷静そのものだ。影に隠れるように寄りかかっていた仮面の人物の着物が、柱と同じ乳白色で、柱と完全に同化していたので、ザニスは危うく見逃すところだった。そしてその人物のもとに歩を進める。

 

 「こんな所に隠れてコソコソと何してやがる?お前は雇われの用心棒だ。余計な詮索をせず、その馬鹿げた戦闘能力でこちらの身の安全だけを考えていればいい」

 

 その人物は言葉を発する様子もない。その仮面の下にどんな表情を浮かべているのかすら、ザニスには分からなかった。はっきりしているのは、酒場の依頼書に記載されていた通りこの人物は第一級冒険者と同等の実力を備えており、副団長のチャンドラとの立ち合いで彼を一瞬で五十メートル先まで吹き飛ばしていたという事だ。

 

 そのお陰でチャンドラの顔半分は大きな痣で埋め尽くされたが、そんな事を気に掛けるザニスでもなかった。

 

 「まぁいい。お前は有事の際に俺たちを守るのが仕事だ。だが守るべき場所はここじゃない。これから俺たちの酒蔵へ向かう。いいか、決して場所は口外するなよ?」

 

 「……」

 

 仮面の用心棒は黙って頷いた。それから二人は【ソーマ・ファミリア】のから出て、雨がぽつぽつと降る曇り天気の中オラリオの中心街からどんどん離れていった。

 

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