ダンジョンに性交を求める眷属の物語 作:kuracjaponski
リリはダンジョンから街へ帰還し、浮かない足取りを下宿へと運んでいた。家と呼べるほどの場所ではなかったが、どこにも行く当てがなくなった時、リリの帰巣本能はいつもその場所を示していた。
古びた大きな扉を開けて中に入っていくと、老婆が皺だらけの顔にさらに皺を寄せてリリを睨みつけた。
「…胡散臭い連中が、これを持ってきたよ。読んだらさっさと洗い場の仕事をしな!」
老婆は「全く薄汚いったらありゃしない」と付け加えて、受付の奥へと消えていった。
手渡された手紙に、リリは首を傾げる。宛名も無ければ、消印も無い。誰かが手で届けたのだろうか。リリは封筒を開け、羊皮紙に書かれた文字を読み始めた。
『リリルカ・アーデへ
ファミリアの酒蔵である下記の住所へ
一秒でも早く来られたし
ザニス・ルストラ』
下の方には住所が記してあった。手紙の内容は、それだけだ。
一瞬だったが、リリは迷った。しかし一度でもザニスの命令を無視すれば、自分の寿命は十年も縮まってしまうだろう。とても気乗りはしない誘いには違いなかったが、手紙を読んでしまった以上その場所に行かない訳にはいかないだろう。
リリはそーっと下宿を抜け出し、老婆が提示した皿洗いの仕事をほっぽり出して記載された住所に向かった。
指定された場所は、都市南東部にある倉庫群の一角だった。その石造りの建物には、煉瓦屋根から一本の塔が突き出ている。リリは分厚い木製の扉を押し開け、広間に入っていく。こつこつと自分の靴音が響くが、それ以外の音はせず、建物内は静まり返っていた。
(…この様子だと、火急の事態という訳ではなさそうですね。ザニスがリリを呼んだのは、以前の仕事の件でしょうか、それとも…)
リリはぶんぶんと首を横に振って、その最悪の可能性については考えないようにした。
一階には人影がなかったので、二階へ続く階段を上る。数ある部屋の扉を開けていくものの、人影はない。しばらく廊下を進んでから、管理塔へ続く階段を上って行く。
結局最上階に着いてしまった。すると閉ざされた扉の向こうから、ザニスの声が聞こえる。
「アーデ、ここだ。入ってこい」
すると両開きの大扉が開かれた。リリはわざわざ扉を開いてくれたザニスに違和感を感じながらも、「ありがとうございます」と言って彼を見た。
「って、え…!?」
そこに立っていたのはザニスではなかった。リリが今日、ダンジョン10階層で置き去りにした冒険者だった。
「ハ、ハムザさま!?ど、どうしてここに…」
リリは目を丸くしてハムザを見やる。状況が良く飲み込めなかった。
「俺とザニスはな、
なるほど、お互い似た者同士の変態だ。きっと気が合うのだろう。だからもしザニスが縄で縛られて顔を青痣だらけにしていなければ、ハムザの発言を簡単に信じられただろう。
「…ご冗談を」
不可解なことは、たくさんあった。まず、自分を呼び出したザニスと主神ソーマが椅子に縛り上げられていること。そしてハムザだけでなく、女神テルクシノエの姿も見られること。そしてファミリアの他の団員の姿がどこにも見られないことと、一度だけ見た事のある綺麗なエルフの女性が、ザニスを憎々し気に睨みつけている。
テルクシノエが前に進み出て、リリを椅子に座らせてから体をロープで縛りあげ、彼女をザニスとソーマの横に並べた。
離れ際に、リリの耳元で女神が囁いた。
(ようこそ、今宵は最高のショーじゃ。ゆっくりと楽しんでいくが良い)
「……?」
「さて、罪人が出揃ったようじゃ。このファミリアには、かつて数百人の団員がおった。しかし彼らは襲撃の際に命を落とし、また生き延びた者は捕縛され、ギルドによってそれぞれの罪を追及されておる最中じゃろう」
(ファミリアの団員が捕縛された…?一体どういうことですか)
突然の状況に思考が追い付かなかったが、とにかくリリは体を締め付ける縄を精一杯の力で解こうとしていた。
テルクシノエは無人の観衆に語りかけるように続ける。
「従って今残ったのは、そこで縛られている三人と、こちらも同じく本拠地で縛られている副団長のチャンドラ、この四人」
(チャンドラ様まで?まずいです。本当にどうにか逃げ出さないと、このままでは…)
「そしてここに佇む匿名希望のエルフの美女、彼女こそこの【ソーマ・ファミリア】をたった一人で壊滅させた一騎当千の強者じゃ。綺麗な顔から想像も出来ない力のせいか、団員の半分は捕縛時すでに息絶えていたそうじゃ。どなたも、彼女の逆鱗に触れてはならぬ。その命が惜しければ」
柱にもたれ掛っているハムザが拍手した。エルフの剣士は少し照れくさそうに視線を泳がせてから、ザニスに再び厳しい表情を向けた。
「悲しいかな、今日ここでまた一つ命が——」
「アーデ…!この状況をどうにかしろ!俺を救えば、ファミリアでとびきりの待遇を用意してやるっ!」
ザニスはテルクシノエの演説を遮って声を荒げた。ハムザは芋虫の様に転がったザニスを「こら、女神はお楽しみ中だ。途中で叫ぶんじゃない」と言って蹴とばした。
「あー…こほん。ここでまた一つ命が散るじゃろう。眷属は眷属によって、神は神によって、その罪科を問われ——」
「主神様、ソーマ様!?お助け下さい!私が殺されてしまったら、もう神酒をお造りになりませんよ!?」
何度も言葉を遮っては叫ぶザニスを、テルクシノエが引っ叩いた。
「お前は黙っとらんか、ばかもんっ!」
それでもザニスは主神に訴える。
「ソーマ様、お願いします!どうにかこの蛮族達を黙らせてください!アーデ、お前も何とかしろ!」
「あぁもう、楽しい幕開きの時間を台無しにしおって。もういいハムザ、やってしまえ」
「了解」
ハムザは立ち上がり長剣を構え、ザニスに近づいた。
「ザニスよ、これよりこのハムザ様がお前の罪状を述べる。あー、とりあえずムカつくので、死刑」
そしてハムザは剣を振り上げ、ザニスの首筋に叩きつけた。
リリは悲鳴を上げた。首が床に転がり落ち、鮮血が撒き散らされる。エルフの女性が無表情で拍手した。ソーマは青ざめ、汗を垂れ流しながら震えている。
そしてそのソーマのもとへ、次にはテルクシノエが近づいていった。
「さて、次は私の番じゃ。剣をよこせ、ハムザ」
「…交渉しよう」
ソーマはハムザから長剣を受け取るテルクシノエに、縛られた体を揺すりながら言った。
「…
テルクシノエは満足そうに笑みを浮かべ、椅子に縛られ縮こまっているソーマを見下ろした。
「…よかろう。【リーテイル】及び【ソーマ・ファミリア】の全資産を、我が【テルクシノエ・ファミリア】に移管するのじゃ。ただ、神酒造りに必要な経費はこちらが捻出してやるから、お前は全てを投げ捨てて酒造りだけに没頭していれば良い。どうだ、これ以上ない程の慈悲だぞ?」
ソーマは解放され、瞳と口を大きく開いて、感激に声を震わせながらテルクシノエに感謝の言葉を並べてた。知っている感謝の言葉を一通り言い終わったと思われた時に、『じゃあやる事があるから』と言い残してソーマがどこかへ消えようとしたのを、テルクシノエが引き留めた。
「まぁ待て。まだやる事が残っておるのじゃ」
そう言って、全員の視線がリリに集まった。
リリは自分が産まれた時から所属していたファミリアが、実質解体してしまう瞬間に立ち会ったのだと悟っていた。本来なら大喜びして街中を駆け回るほどの出来事だ。しかし、リリの鼓動は別の意味で早まっていた。
(つ、次は私の番ですね…)
血塗られた長剣を携えて、リリの目の前にハムザの足が見えた。リリは恐怖で顔を上げる事ができず、目を閉じて俯いた。手足が縛られていなければ、耳も塞いでしまいたかった。
「お前の罪状を述べる」
だが無情にも、ハムザの声はリリの耳まで一直線に飛んできた。
罪状なら、いくらでもあげられるだろう。
ひとつ、装備を盗んだこと。ふたつ、魔剣で攻撃したこと。みっつ、変身してお金を巻き上げたこと。よっつ、醜く生まれてきてしまったこと…。
この他にもまだ何かとてつもない事をしでかしてしまったに違いない。リリの心は、まるで教師に自分の過ちを大勢の前で並べ立てられた時の様に焦り、たじろいでいた。
「お前のせいでロリコンになってしまったから、死刑」
かちゃり、と長剣が掲げられる音が聞こえた。全身が硬直し、強く目を閉じた。
(死ぬ思いをするのは、これで今日二度目です…)
今まさに剣が振り下ろされる瞬間、澄んだ声がそれを制止した。
「お待ちください」
リリが驚いて目を開くと、ハムザの振り上げられた右腕をエルフの女性が掴んでいた。
「何をする、リューちゃん」
「ハムザ様。その者からは屑に特有の嫌な臭いがしません。もう一度考え直してみては如何ですか」
それからしばらく、二人は意見を言い合った。その間、リリはまるで生きた心地がしなかった。頼むからこの変態を説き伏せて下さい、とリリはリューと呼ばれたエルフの女性に祈っていた。
リリの思惑とは裏腹に、はやく殺そうと息巻くハムザをリューがなだめきれずにいると、テルクシノエが歩み寄り口を開いた。
「…お前たち、焦るんじゃない。この少女はザニスとも、ソーマとも異なる状況に置かれている事を理解しなければいかんのじゃ。少なくとも、今日ここで何が起きたのかを教えてやってからでも遅くはないじゃろう」
女神の言葉に、ハムザは納得したらしく剣を下ろした。
「そうだな、こいつが何も知らんと言うことを、すっかり忘れていた。神様がそう言うんなら、好きに質問させてやろう」
三人はリリに向き直り、リリの言葉を待った。思い返せば、確かに不可解なことばかりだった。
「えっと…。それでは、どうやって【テルクシノエ・ファミリア】の皆様は【ソーマ・ファミリア】を壊滅させたのですか?」
簡単な事だ、と主神が答えた。
「まず、ギルドに査察を臭わせ、ファミリア周辺を嗅ぎ回らせた。それからお前に『ギルドが武力行使に出るかも知れない』という情報を流布させ、偽の用心棒を雇わせたのじゃ。それがこのリューじゃ。彼女がファミリアの戦力とその隠れ家を把握してから、あとはこちらの合図で団員を殲滅してもらっただけじゃ」
リリは納得がいかなかった。そんな簡単な罠に引っかかるほどザニスは甘くない。外部から人間を雇い入れる場合、何重にも予防線を張ってから招き入れるのが常だった。
「…良い案ですが、果たしてそんなに簡単にザニスが騙されるものでしょうか。現にファミリアの集会では『昔から存在する求職型
ハムザが主神の代わりに答えた内容は、以下のようなものだった。
ギルドと繋がっている【テルクシノエ・ファミリア】は、正規の
実際に依頼が来たのは予想通り地下組織の方だったが、その組織とギルドは存在を黙認される代わりに情報を提供するという密約を結んでいた。
そして依頼の受注を受けた管理人がギルドへ報告し、それが直接テルクシノエの耳に届いた。女神はそこで依頼をもみ消し、本来の用心棒に代わる偽者を送り込んだ、という事だったらしい。
「…しかし、もともと顔の知られている人物への依頼だったとしたら、ザニスは仮面をつけている時点で怪しんだ筈ですし、【ガネーシャ・ファミリア】による武力行使の噂も、真に受けない可能性もあった訳ですから…。懇意のファミリアに協力を要請するとか、管理化に置かれていない個人契約で雇い入れるとか、ザニスは色々考えていた筈です。あまり完璧な策には思えませんね」
リリのつぶやきに、リューが反応した。
「ザニスが、この悪党が選んだのは報酬後払いの依頼です。雇い入れるだけで何も起こらなければ、精々少額の謝礼を渡す程度で済んだでしょう。それに信用のない個人契約の依頼では、それこそ良からぬ輩を招き入れる可能性がある。この薄汚い狐は、石橋を叩いて渡るつもりがまんまと墓穴を掘ったという訳です」
「それに、私を怪しんだらその時点で拷問し、隠れ家の所在を吐かせるつもりでした。いずれにせよ、女神テルクシノエの策はどう転んでも成功していたでしょう。いえ、
リューの憎しみの籠った視線が、床に転がったザニスの生首に注がれた。
(このお方の逆鱗に触れてはならないと言うのは、こういう事なんですね…。しかしザニスは何を仕出かしたんでしょう。まぁ、聞かない事にした方が身のためですね)
リリはぞっとする感覚に身震いしてから、次の質問を考えた。今まで心を覆っていた死の恐怖が、薄らいでいくのが分かった。少なくとも彼らは対話が出来る相手だと言うのが分かった事が大きかった。
「…それでは、どうして【ソーマ・ファミリア】を狙って襲撃したのですか?それと、【テルクシノエ・ファミリア】はまだ発足して間もない団体で、間違いありませんか?」
テルクシノエは腕組みをして、女神の美しい相貌をだらしなく崩して言った。
「もちろん、金のためじゃ。神酒も【リーテイル】も調べるほどにその価値の高さがわかった。蓄えもあるだろうし、戦力も大きいようで小さかったからの。何せ、殆ど酔っ払いじゃないか」
確かに、その通りだとリリは思った。【ソーマ・ファミリア】といえば言わずと知れたオラリオの中堅組織だったが、その内実は酒を求めて我武者羅に金を稼ぎ、仲間を蹴落として競い合っているだけだ。そこに団結や結束はないし、人数という点を抜いてしまえばLv.2に匹敵する高い戦力を持つ者は数名だ。量よりも質が求められる現代の戦争においては、致命的とも思われる弱点だった。
「それにのう、私たちは数週間前に旗揚げした組織ではあるが、ハムザは既に第二級冒険者に差し掛かっているのじゃ。友好的な派閥に【ロキ・ファミリア】と【ヘルメス・ファミリア】もある。おまけにギルドのお墨付きじゃ。リューちゃんのような訳ありともコネがあるのは、ひとえにハムザの人格に因る所が大きい」
リリにはとても信じられない、いや、信じたくはない内容だった。たった数週間で【ソーマ・ファミリア】の何十年を上回ってしまう事なんて、考えたくはない。
一体この変態はどんな卑怯な手を使ってのし上がって来たのだろうかと訝しんでいると、ふと疑問が頭に浮かび上がってきた。
先刻ダンジョンで起きた事件、カヌゥに犯されそうになったあの状況を救った不可解な現象には、答えがあるのだろうか。突拍子もない質問だとは思いながらも、リリはテルクシノエとハムザなら何でも知っているに違いないという確信があった。そしてそれが、【テルクシノエ・ファミリア】の秘密なのではないか。
「お、お聞きしますが、リリはどうやってダンジョンで助かったのでしょう…?」
答えてやる、とハムザが言った。
「あれは俺の【魔法】だ。
(ガネーシャ・ファミリアとまで繋がりがあるとは、恐れ入りました。しかし、ずるすぎる効果の魔法ですね…)
ハムザの説明に、テルクシノエが付け加える。
「ついでに言うと、こいつはレアスキル持ちじゃ。セックスした数だけ強くなるとか、セックスした相手も強くするとか、そんな感じのスキルを持っておる。馬鹿みたいに成長が速いのは、そのためじゃな」
「リリはもう、開いた口がふさがりません…」
内容は何であれ、成長に作用するレアスキルに加えてチート級の魔法まで備えているとなれば、まさしく選ばれた者だろう。オラリオにおいては、強さが全て。その才能さえあれば、成功の方から自ずとやってくる。
それはまさに、リリが長年羨んできた『第一級冒険者』と並んで恥じる事のない稀有な能力に違いない。変態だと思っていた目の前の青年は、実はリリなど足元にも及ばない程に偉大な才能に恵まれていたと知り、彼に対するリリの目は変わった。
「そ、それでは…どうしてあそこでリリを助けたのですか?ハムザさま」
その声色に、非難の色はなかった。寧ろそこには期待の音色が存分に含まれていた。
「お前が助かったのは、たまたまだ」
ハムザの返答にリリは困惑した。
「た、たまたま…?」
「そうだ。お前が俺から盗んでいったこの短剣をよぉ~く見てみろ」
ハムザはリリのバックパックを漁り、短剣を取り出した。リリはそれを眺めた。すると柄と刃の真ん中に埋め込まれた黒水晶が、ひび割れて粉々に砕け散っていた。
「そ、そうですか!
しかし疑念は消え去らない。そもそもダンジョンからの帰り道、全くモンスターと遭遇する事がなかったのが、おかしすぎた。
机に置かれた兜を見つけた時、リリの頭はいつも以上に素早く回転し、一瞬にして事の全貌を見通した。
(そういうこと…そういうことですか)
すべては神の掌で、転がされていたに過ぎない。
ゲドやカヌゥがリリを狙いダンジョンで事を起こすのを、恐らくあのエルフの剣士あたりから教わり、それ止めるため彼らは前日に『明日リリと迷宮探索に行きたい』と声を掛けてきたのだ。
そして10階層でハムザがリリに攻撃的になったのも、短剣を取り落としたのも全て演技に違いない。リリにそれを盗ませ、本人はあの兜、ハデスヘッドを被り透明になってリリの後をつけた。見事に騙されたリリがカヌゥに捕まっているところを、ハムザは透明になりながら見守っていたに違いない。だからリリが死んでしまう直前で、彼は自分を助けたのだ。
それからはリリの道を先回りし、道に居たモンスターを全て片づけて行ったのだろう。だから帰り道はあんなにも静かだったのだ。地上に帰還してから下宿に戻るリリとは反対に、ハムザはこの酒蔵へ一直線に走っていき、リリを待っていたのだ。ザニスに手紙を書かせたのも、この中の誰かの仕業だろう。
しかしよくわからない事もあった。一体どうしてハムザはわざわざ姿を隠すなど回りくどいやり方でリリを助けたのだろうか。普通に『危険が迫っているから俺の傍を離れるな』と言ってくれさえすれば、きっと信じた…いや、信じる事はなかっただろう。
(そういうことなのでしょうね、きっと…)
そして今や、リリは自分の運命を悟った。いや、神意を悟ったと言うべきだろうか。人生で初めて、自分の未来が予め何者かに定められているという事に気づいた。
「そろそろ質問も終わりか。それじゃあ、もう一度審判を始めるぞ」
ハムザが血塗りの剣を携え、リリの目の前に立った。しかしもう怖くはなかった。リリは先ほどとは異なり、すべてを理解していたからだった。
顔を上げ、ハムザの顔を見据えた。ちゃんと見ると、意外と立派な男らし見えた気がした。赤い色をした目は、血生臭い闘争や殺戮というよりも、リリを暖かく包み込む暖炉の炎のように思われた。
(きっとリリの人生は、これから転機を迎えるのです。今までの苦労は、今日この言葉を言う時のためにあったのですね…)
ハムザが剣を振り上げようとした瞬間、リリは言った。
その言葉はリリが悟った神意そのもの、無言の神から自分へと伝えられた言葉そのものだった。
「…ハムザさま、どうかリリを、【テルクシノエ・ファミリア】に入れて下さいっ!」
リリは叫んだ。
ハムザは即座に答えた。
「はぁ?無理無理」
(え、ええええええええっ!?)
リリは驚愕した。
「ちょ、ちょっと待って下さい!?絶対こういう流れでしたよね!?それともリリがお馬鹿さんで、勝手に勘違いしただけですか!?」
「だってお前、うちに来たってやる事ないだろ。サポーターって言ったって、俺はもっとグラマラスな方が好みなんだ。お前の紹介する子はやたら小さいし、俺の好みに合わん。だからお前の居場所はないぞ」
必死になってリリは懇願する。
「そ、そんな事はありませんっ!リリはこう見えても役に立ちますよ!?サポーターとしての能力だってそれなりですし、その、ベッドの上でも頑張ります!だ、だから私をファミリアに入れて下さい、お願いです…!」
ハムザは「そうは言われてもなぁ」と言いながらぽりぽりと頭を掻いていた。テルクシノエに視線を送ると、女神は愉快そうに頷いてからリリの前に屈みこみ、視線を合わせた。
「よかろう、興味深い申し出じゃ。【テルクシノエ・ファミリア】に入団するあたって必要な物がある。入団金じゃ。二百万ヴァリスを今ここで用意できれば、お前の入団を認めてやろう」
リリは絶望した。
自分が勘違いをして、彼らはリリをファミリアに引き入れるためにあれこれ策を弄したのだろうと思ってしまったのが恥ずかしかったし、昇竜の勢いの感があるこのファミリアに入る事を想像してしまっていた事も、もう入れないのだと知ってからなおさらリリを苦しめた。
ハムザのレアスキルにかかれば、リリだって性交渉をする事で強くなれたかもしれないのに…。
リリが人生の中で何度も味わってきた絶望という苦みを、もう一度味わっている最中に女神は言葉を継いだ。
「…まぁ、お前が溝を這いずり回る汚らしい盗人ならば、その願いは叶わないじゃろう」
その通りですね、とリリは自嘲した。項垂れると、テルクシノエは矢継ぎ早に言葉を続ける。
「だが、今まで善行を積み重ねてきた正しい人間なのであれば、きっとその願いは叶うじゃろう」
リリにはそんな善行の積み重ねなど、想像も出来なかった。今までしてきた行いの中で誇れるものがあるとしたら、それは子供の頃に父親の誕生日にお店で買ったお酒を贈った事くらいだ。
父親は奪うようにリリの手から酒をもぎ取り、リリを蹴っ飛ばしたから、果たしてそれが善行だったかどうかも分からない。
あとは家に迷い込んでいた小さな羽虫を外に逃がしてやった事くらいだろう。胸を張って言い切れるほどの善行なんて、リリには到底思いつかなかった。
「もう、いいんです…」
リリはこのままハムザに首を斬り落とされても構わないという心境だった。
しかし女神は、もう一度だけ付け加える。
「なに、落ち込む事はない。お前が本当に善人だったかどうかは、今に分かる。ほら、階段を上ってくる足音が聞こえるだろう?」
塔の最上階へと石段を上る足音が、確かに聞こえてきた。その足音の主が一体誰なのか、リリには見当も付かなかった。足音は階段を上り切り、続いて廊下を進み始めたようだ。数秒の後、それは扉の前で止まった。ひそひそと話す声が聞こえた。リリにはその声色に聞き覚えがあったのだが、どうしても思い出せない。
こん、こんと大扉をノックする音が聞こえる。テルクシノエが合図をすると、扉が開かれ、二人組の老夫婦が現れた。
「おじいさん、おばあさん!?」
その二人は、リリがかつて花屋で働いていた時に世話になった老夫婦だった。
大声でリリの名前を叫んでから、手に持っていた大きな花束を取り落とし、二人は椅子に縛られた自分に駆け寄ってくる。
「あんたたち、何をしている!はやくこの縄を解き、彼女を解放しなさい!」
老いた男性は、老け込んで曲がってしまった体を無意識のうちにまっすぐと伸ばし、まるで何十年も若返ったような鋭い剣幕で威圧した。
「はやくするのだ!くそ、若造め!剣を寄こせ」
ハムザの長剣を奪い取り、老人はリリを縛る縄を切り裂いた。
「あーあ、ハムザ。何をやっておるのじゃ」
「だってこのじじい、目がイっちゃってるし…」
解放されたリリは、ぐったりと老人の腕の中に納まった。
「リリちゃん…済まなかった。本当に、済まなかった…」
「えぇ、本当に…」
老夫婦の腕に抱きしめられ、リリの目から涙が零れてきた。その暖かさは、昔路上で凍えていたリリを家に招き入れ、抱きしめてくれた時と全く変わらないものだったから。
リリはと老夫婦は嗚咽を漏らしながら、お互いに何度も何度も謝り合った。
「今はもうお前たちを邪魔する【ソーマ・ファミリア】は存在しない。これからは秘め事のない、真実の関係を築いていくのじゃ」
「はい、本当にありがとうございます、女神様…。わしらはこうしてもう一度リリちゃんに会うことが出来て、本当に幸せでございます」
老婆は背負っていた薄汚れた鞄を手に持ち、リリの前に差し出した。
「リリちゃん、これはあなたが毎月お店の前に置いていったお金ですよ。私らには、とても受け取ることが出来なかったの。だからどうか、このお金はリリちゃんが使って頂戴ね」
鞄に詰まっていたのは、眼が眩むほどの大量の金貨だった。罪滅ぼしのつもりでこれまでこっそりと置き続けた金貨が、これほどの量になっているとはリリにとっては予想外だった。
「そ、そんな……。リリは受け取れません、おじいさん、おばあさん…一体いくらあるんですか?」
「きっかり二百万ヴァリス、じゃ」
テルクシノエが答えた。リリは感極まって、もう一度大粒の涙を流し始めた。
「ぐすっ…うぅ…。テルクシノエさま……ハムザさま…。あなたがたは、ほんとうに、ほんとうに…」
リリは言葉が出ず、その後が続かなかった。しかし、そんな事はもうどうでもよかった。リリは泣き続け、老夫婦は彼女を愛おしそうに抱きしめていた。まるで本当の親子の様に。
「さて、これで入団金は用意できたな。後はソーマ、『
「無論、ない…」
ソーマは頷いた。その状況を見た老人が、リリに問いかけた。
「リリちゃんや…本当にこの人達は大丈夫なのか?女神様は素晴らしい神格者じゃが、この若造の方はどうみても——」
「だ、大丈夫ですよ、おじいさん」
リリは硬い表情で笑った。空笑いだったに違いない。ハムザは碌でもない冒険者に違いはないが、実力がある以上認めない訳にはいかなかった。
老人はハムザの前に歩み寄り厳しい表情で言葉を発する。
「おい、若造。リリちゃんを不幸にしてみろ、タダじゃ済まさんぞ。こう見えてもわしは昔、村一番の腕っぷしで——」
「わかった、わかった」
言葉を切り、ハムザは適当に返事をした。
そんな様子を見て、リリは思った。
【ソーマ・ファミリア】がお店を襲撃した時、連れ去られるリリをただ眺めていたあのおじいさんが、今では体を張って自分のために勇気を示してくれている。リリがそうだったように、彼らも辛い後悔の時を過ごしていたのだろう。
だからこうして再び元の関係に戻れた今、彼らは二度と後悔しないために、立ち向かおうとしているのだ。この変態冒険者に。
それならば…。
応えなくては。リリだって、二度と後悔はしたくない。もう二度と、この優しい二人を不幸にしたくない。
そのためには。
そうだ、自分は幸せにならなくてはいけない。これからの新天地で、しっかり元気にやっていると、胸を張れるようにならなければいけない。
(それがリリのためでもあり、おじいさんと、おばあさんのためなんです)
「…リリちゃん、これを受け取ってね」
リリは老婆から、大きな花束を手渡された。それはリリが一番好きだった向日葵の花束だった。眦が再び熱くなった。涙が自然と零れてきた。
老人も目に涙を浮かべ、リリを花束ごと抱きしめた。
「元気でな、リリちゃん。また時間があったら、顔を見せにおいで。きっと花たちも喜ぶだろう」
リリは抱えた向日葵の花束よりも輝く満面の笑みを浮かべて、大きく頷いた。
「…はいっ!リリは約束します、おじいさん、おばあさん!」
●
耳をすませば、鳥の鳴き声が絶え間なく聞こえてくる。
西日が流れる雲に隠れ、暮れなずむオラリオの天空は青空を残しつつ、ゆっくりと暗くなっていた。
そんな黄昏時にも、バベルの塔は空に突き刺さるように背を伸ばしている。だから通りを歩く彼らも、その塔を目安に歩いていけば良かった。
「しかしなぁ、あんな手の込んだ事をする必要があったのか?」
隣を歩く女神に、ハムザは問いかける。
「もちろんじゃ。人生は芝居だからな」
「そういうもんかねぇ。まぁ、神意に逆らうつもりはないけどな。一応言っておくが、いつも言うことを聞くとは限らんからな」
女神はわかったわかったとハムザの発言に頷き、隣を歩くリューに話しかける。
「それはそうと、いろいろとご苦労だったな、リューちゃん。仕事を放りだしての任務だ。骨が折れただろう」
首を左右に振り、リューは彼方を見やる。
「お礼は寧ろこちらが言いたいくらいです。あのような非道の輩を退治すると聞いたとき、私はお二人を誇らしく思いました。…それも、羨ましい程に」
リューは立ち止まった。
「それでは、私はこちらの道ですので。また、酒場でお待ちしております」
彼女はそう言い残し、暗がりの小路へと消えていった。
「…訳ありな感じだよなぁ。昔なにがあったのか、知ってるか?神様」
テルクシノエは何も言わず、ただその背中が消えた暗闇を見送っていた。
リリはハムザたちと別れてから、下宿へと戻っていた。荷物を整理し、引っ越す旨を伝えるためだ。扉を押し開け受付間に入った時、リリは言い付けられた仕事を放りだしてしまった事を思い出した。
「…どこ行ってたんだい?あたしが言った調理場の皿洗い、しっかり放り出してくれたみたいだねぇ」
「リリはもうここには住みません。【テルクシノエ・ファミリア】に正式に入団したんです。だからもう、雑用を押し付けても無駄ですよ?」
安い家賃の代わりに、この性悪老婆の言いなりになるのももうおしまいだ。自分もファミリアの看板を背負って立つ立派な団員になるのだ。たかが一般人になめられてはいけない。
「…お前っ!調子に乗るんじゃないよ、クソガキ!あんたみたいな薄汚いドブネズミなんて、ファミリアどころか売春宿が——」
「黙って下さいっ!今の私は、あなたを犬みたいに地面に這いつくばらせる事だって出来るんですよ?」
今までとは百八十度異なるリリの態度に老婆は度肝を抜かれたらしく、それ以降は何も言わなかった。リリは今までの意地悪に少しやり返せた気がして、とてもいい気分だった。
埃まみれの部屋に置いてあった数少ない荷物を鞄に詰め込んで、リリは下宿を後にした。
向かう先は唯一つ。自分の新しい家、新しい