※この作品はR-18です。

ダンジョンに性交を求める眷属の物語   作:kuracjaponski

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二章 ―試練―

 

 翌朝、鎧を着込んだハムザとバックパックを背負ったリリは主神の怒号を全身に浴びていた。

 

 「ばかもん!神をほっぽり出してセックスを楽しむ子がおるかー!お前達なんて無神論者じゃ!信仰心ゼロじゃ!あー!誰か私を拝んでくれー!」

 

 昨晩、誰も夕食を作る者が本拠(ホーム)にいなかったせいで、主神はお腹を空かせながら一晩中苦しんでいたのだ。女神は災難の元であるハムザに――エイナとのセクロスをたっぷりと楽しんで嬉々として朝帰りをしてきたハムザに、一片の慈悲すら見せぬと怒り狂い、喚き散らしていた。

 

 「そうは言ってもなぁ。神様、たまには自分で料理してもいいんじゃないか?」

 

 もっともらしい事を言うハムザに、テルクシノエは雷に打たれたかのように目を見開き、とてもひどいことを言われたといった態度でよろめいてから、ハムザの提案を断固却下した。

 

 「…お前は神を何だと思ってるのじゃ。私は神だ!お供えをするのは当然だろう!」

 

 「じゃあ、毎晩おまんじゅうを用意しておきましょうか?」

 

 「ばかもん!お饅頭で満足するかぁ!ステーキじゃ!羊肉が食べたいのじゃー!」

 

 怒りと空腹で、テルクシノエは涙を流しながら眷族に訴えかける。リリにまで――加入してまだ間もない新人にまで小馬鹿にされたと、主神の怒りはもはや悲痛に変わっていた。その姿は、威厳のある神というよりは、泥水で濡れた物乞いの様だった。

 

 朝っぱらから頭が痛くなるような声で、ご近所迷惑も憚らずに元気に暴れ回る小さな主神を目の前に、ハムザは面倒臭そうにぼりぼりと頭を掻き、専属シェフでも雇うかと提案した。リリもそれに同調し、早く引っ越しましょうと言葉を添える。

 

 つい先日の出来事だったが、【テルクシノエ・ファミリア】にはリリが【ロキ・ファミリア】の団員をだまくらかして奪った一億ヴァリスがあった。<豊穣の女主人>のウェイトレスの一人や二人、例えば良質町娘として人気のシルや、アルプス山脈の様に峻厳なエルフ――リューなどを引き抜くことだって出来るかもしれなかった。

 

 だが、そう考えた途端、脳内で女将の姿が過る。

 

 女将は人の頭よりも大きな拳を振り下ろし、酒樽を爆散させた。そしてハムザを睨みつけ、よくもうちの店員を垂らしこんでくれたねぇ、と出刃包丁を持ち出して舌なめずりをした。

 

 ぶるっと身を震わせ、ハムザは人知れず頭を振る。

 

 ――引き抜くのはやめておこう。俺にはまだやり残したことが沢山あるからな。

 

 

 「では、迷宮に行くついでにあのお店によって、一つ交渉をしてみましょうか?」

 

 リリの提案は、テルクシノエにとってとても魅力的に映った。

 

 確かにあの『豊穣の女主人』で料理人も務める彼女たちの誰かを引き抜く事が出来れば、毎晩ご馳走にありつけるに違いない。腹を十二分目まで満たす筈だった羊肉だって、今度は群れの一匹も残さず食らい尽せるだろう。邪悪な女神のちょっかいも受けず、眷属達と心ゆくまで。

 

 悪くないと、一瞬頷きかけた女神だったが、はっとした表情で我に返り腕組みをしてリリを睨みつける。

 

 「ふんっ、それはこいつの仕事だった筈じゃ」

 

 かろうじて食の誘惑に打ち勝った女神に対し、それもそうだと頷くのは団長ハムザ。だが、リリの本業はあくまでも迷宮探索時のサポーターであり、これから遠征やら探索やらでで留守にしがちな本拠を守る女神のためにも、料理のりの字も知らぬ哀れな神のためにも、誰かを雇うというのは良いアイディアに思われた。

 

 「今日の探索から戻ったら、おい、そうだな。三人で酒場にでも行って、どうするかを話し合おうじゃないか。とにかく、俺達は行くぜ。ダンジョンに出会いを求めにな」

 

 だが女神は依然として怒りを露にしながら、ハムザ達に容赦ない罵声を浴びせる。

 

 「ばかもん!お前たちは何にもわかっちゃいない!なーんにもじゃ!ほれ、さっさと行ってしまえ!ミノタウロスに串刺しにされて、キラーアントに切り裂かれて、ヘルハウンドに焼き殺されてしまえ!!」

 

 「今夜は焼肉をご所望みたいですね、ハムザさま」

 

 「うるさい!さっさと行ってしまえ、間抜けな眷属め!お前たちが留守の間、こっちは有り金を全部使って存分に楽しんでやる!神のために働いてくるのじゃ、間抜けな人間達め!」

 

 怒れるテルクシノエに追い立てられるように、二人はテントの外に追い出された。リリは肩を竦めてハムザに問いかける。

 

 「何であんなに機嫌が悪いのでしょうか?」

 

 「さぁ…。まぁ、あの気まぐれ女神のことだ。お前の言う通り、今晩は焼肉にしてやろう。きっと向こうから泣いて謝ってくるぞ」

 

 そんなことより、とハムザは付け加える。

 

 「そういえば、あの神様、ロキって奴に呼び出されている。迷宮に行く前に、ちょっと寄っていくか」

 

 リリは一通の手紙を懐から取り出して、目を落とす。

 

 『ちょっと相談ごとがあってなー。近いうち、遊びにきぃや』

 

 手紙に書いてあるのはそれだけだった。

 

 「そうですねぇ、ロキ・ファミリアのことですから、行って損はないでしょう。今更この前のことで怒られるということもないでしょうし」

 

 「そうだな。それに俺の次の標的はあの王族(ハイエルフ)、リヴェリアだ。俺はエルフを攻略した。次は王族(ハイエルフ)だろうが何だろうが、簡単に捌くことが出来ると言わざるを得ない。そう思うだろ?」

 

 リリは青空を見上げたていた。雲のすぐ下に、バベルの塔がそびえている。団長ハムザのお気楽でしょうもない無駄話を、はいはいそうですねと流しながら、二人は気持ちの良い晴れた午前の空気の中、軽い足取りで『黄昏の館』へと歩いて行く。

 

 

 

 誰も居なくなった本拠(ホーム)で、女神はふんと鼻を鳴らし、どすんと椅子に座った。

 

 柱に立てかけるように置かれた宝石だらけの額を眺めて、テルクシノエは溜息をついた。ハムザが書いた『おっぱい女神』とリリの『お詫びの一句』が、きらきらと輝く額縁の中にすっぽりと納まっている。

 

 しかし、その輝きが女神のお腹を満たすことは、決してなかった。

 

 

 

 

 「それでは行って参ります、タケミカヅチ様!」

 

 艶のある長い黒髪に青紫の瞳。

 

 菫色の戦闘衣から覗く肌は若く瑞々しく光り、街行く男達は神をも連想させる顔立ちの少女を、何度も振り返っている。

 

 「気をつけるのだぞ、命。ランクアップしたからと言って慢心してはいかんぞ、初心忘るるべからず、だ」

 

 ヒューマンで構成されたパーティの輪に囲まれ、命はタケミカヅチの大きな手で頭を撫でられた。頬を染め、嬉しさと恥じらいの混じったキラキラした瞳で主神に頷き、命は男神に背を向けた。

 

 【タケミカヅチ・ファミリア】の面々は彼女に倣い歩き始め、迷宮へ出発していった。

 

 「遠征、か…。よくぞここまで来た、と言いたいものだが」

 

 タケミカヅチは眷属達の成長に感慨深いものを感じながらも、手放しで喜ぶ気にはなれなかった。

 

 「無事で帰ってくるんだぞ……」

 

 【タケミカヅチ・ファミリア】は、今日初めて遠征へと旅立った。これが意味するのは、今まで攻略の中心としていた『上層』を離れ、その更に下にある『中層』へと足を踏み入れるということだった。

 

 上層と中層。わざわざこの様に分類化されているのには理由がある。中層と呼ばれる13階層以下は、上層と比べて格段に敵が強くなるからだ。

 

 初の遠征に出たその日に冒険者全員が帰ってこなかったという話は、ここオラリオではよく耳にするなんでもない『日常』だ。

 

 二強を形成する【ロキ・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】は、そうやって死んでいった名もなき冒険者達の屍の向こうに立つ、特別に優れた冒険者達。それは裏を返せば、彼らのように特別なものを持っていなければ、この迷宮で生き残り続けることは出来ないということだ。

 

 タケミカヅチは俯いたまま、石畳の裂け目をぼうっと見つめていた。

 

 「命にはその資質があるが、まだ若い。それに、他のメンバーには……」

 

 それ以上考えることは出来なかった。男神は顔を上げ、眷属が歩いていったその方角を見やる。

 

 バベルの巨塔が、青い空に突き刺さっている。だが、バベルはいつもに増して不気味で近寄りがたい雰囲気を纏っているようだった。

 

 

 

 ハムザとリリはバベルを通り越し、北側にある『黄昏の館』まで歩いてきた。

 

【ロキ・ファミリア】の本拠(ホーム)はいつもと違い閑散としており、衛兵の代わりを勤めているのは、【ヘファイストス・ファミリア】の団員達のようだった。遠征で本拠を留守にする彼らに代わりに、懇意にしている派閥として本拠の守備を頼まれたらしい。もちろん善意の警備という訳ではなく、それなりの対価は貰っているのだろう。

 

 「ほな、紅茶がええか、それとも珈琲がええか?」

 

 ロキはやって来たハムザとリリに、まず飲み物を勧めた。二人は珈琲を貰うことにし、大きなソファーに勢いよく座り込んだ。全身がすっぽり沈み込むくらい柔らかいソファーだ。さすがは大一級冒険者を多数抱えている最大級の派閥なだけあって、応接間の豪華絢爛さといったら目が眩むようだ。

 

 少しすると、ロキが珈琲を盆に載せて戻ってきた。

 

 「そんなごっつい装備して、これから迷宮探索行くんかー?ほんまは最初に世間話でもすればえーんやけど、時間がないなら、いきなし本題から話そか?」

 

 リリは礼儀正しく返事をした。ハムザはあまり興味がなさそうな様子でソファーに身を埋めたまま動かない。ロキは眉を下げて目を細め、話し始めた。

 

 「実はな、ウチら、イカれた連中とやりあっててな。食人花って知ってるか?」

 

 「食人花、ですか…?いえ、リリ達は聞いたことがありません」リリは首を横に振って答える。

 

 「まぁ、せやろな。食人花はなぁ、怪物祭(モンスターフィリア)の時に初めて出てきたんやけど、だいたいLv.3くらいの怪物で、調教師(テイマー)によって操られてる、まぁ新種みたいなもんや。それがな、祭りの時、街中で大暴れしてな。当然そうなったら天下のロキ・ファミリアは黙ってられへんやろ、アイズたんをひとっ走りさせて、さくっと倒しといたんよ。でもな、食人花が暴れたことで、一人だけ怪我人が出てしもうたんや。ほれハムザ、誰か分かるか?」

 

 ハムザはなぜそんな質問をされたのか意味が分からず、生ゴミを見るような目でロキを見つめつつ、ぶっきらぼうに言い捨てた。

 

 「お前は何故そんなことが俺に分かると思ったのだ?そんな雑魚は知らんし、興味がない」

 

 ロキは腹を抱えて笑い始めた。二人はまるで理解が出来ずに、きょとんとした顔つきでロキが笑い転げるのを眺めていた。そして、息も絶え絶えになったロキは呼吸を整えながら、何とか言葉を発した。

 

 「アハハ…ハハ、ハハぁ…それな、だれかっちゅーとー…ぐふふ、あははは…お前や、お前やで!ハムザ・スムルト!ひーひひひぃ、あー、おっかしー」

 

 「な、なんだって?」

 

 ハムザは最初は全く意味が分からなかったが、記憶をたどっていくうちに、色々と思い出し始めた。確か、シルバーバックがあのアホ主神を狙っていて…その怪物をあっさり葬り去ったあと…地面が爆発した。それで気がついたら『豊穣の女主人』でシルちゃんやリューちゃんに看護されていて…あぁ、そういえばあの時シルちゃんが口で一発抜いてくれたんだっけ…あれは素晴らしい体験だった…。

 

 「な、思い出したやろ?」ロキは言った。

 

 「なんでこの話をキミらに教えてあげたかっていうとなぁ、実はその食人花を操る調教師(テイマー)っていうのが、ごっつい美人やねんて。もちろんアホみたいに強いんやけど、それはもう美人みたいでな。そいつがウチらにちょっかい出してきてて、色々大変やねんなー。なんでも人と怪物が合体したような感じで、まぁ殆ど謎やねんけど、ウチらはその謎の美少女を、怪人(クリーチャー)と名付けて追ってんねん」

 

 ロキが『美人』と言葉を発する度に、ハムザはソファーから顔を出し、どんどんと前のめりになってロキの話に食い入り始めた。

 

 「謎だらけやけど、もちろん分かってることもちゃーんとあるで?今んとこな、その美人調教師(テイマー)の目的が地上にあることは察してるんや。他にも協力者が居て、迷宮と地上を繋ぐ独自のルートがあることも分かってる。でもなぁ、そいつ胸も尻も出るとこは全部出とるけど、尻尾だけはなかなか出さへん。今度の遠征で何か手がかりが掴めるかもしれんけど、ハムザ達やったら、その金髪グラマラス調教師(テイマー)を捕まえられるかもなー、なんて思ったり、思わなかったりしてるって、アイズたんが言ってたんや。夢の中でな」

 

 「なるほどな」

 

 ハムザは勇猛果敢な戦士たる勢いで背筋を伸ばし、ロキの手を取って握手した。

 

 「遠征は59階層だったかな?」

 

 ハムザの問いにロキは飄々とした態度のまま軽く聞き返した。

 

 「あ、なんや、もしかして興味あるん?」

 

 「いや」

 

 ハムザはすぐに否定しようとした。だが、出来なかった。

 

 「まぁ、少しだけな」

 

 「さすがやなー。それでこそ英雄の卵やで。ほな、まぁウチとしてはただ情報を喋ってただけやねんけど、そんなにハムザが興味あるんなら、もう一個特別な情報を喋っとかへんとなー?」

 

 ハムザは聞きたくてたまらない様子でウズウズしていた。

 

 「闇派閥(イヴィルス)が、きな臭いなー思っててな。オラリオのどっかに潜んで、機会を伺ってるかもしれん。復讐したくてしたくてたまらん奴らが、怪人(クリーチャー)と手を組んで息を潜めてるはずや。そいつらをとっ捕まえられれば、超巨乳金髪碧眼美少女調教師への道が開けるかもしれへんって、ガレスが寝言で言ってたらしいで」

 

 ロキはにやりと目を細める。反応の良いハムザを前に上機嫌だ。

 

 「裏社会で汚いことをしてる奴らを一通り洗い直してみたら、何か分かるかもな?ほれ、お前んとこはギルドと懇意らしいし、ハムザもそういうお友達はぎょーさんおるやろ?あ、これはレフィーヤがフィンにそう聞いてるのを、ウチがたまたま聞いてしもただけの情報やでー」

 

 ハムザはすっと立ち上がり、顎に手を当てて考えた。

 

 「なるほど、なるほど」

 

 そして顔を上げ、ロキに珈琲と情報への礼を適当に述べてから、さっさと部屋から出ていってしまった。リリは白い目でハムザの背中を追っていたが、目の前で満面の笑みで座るロキが薄気味悪かったので、結局自分も出ていった方が良いのだと悟りハムザの後を追って走っていった。

 

 

 そして、女神は。

 

 笑みとも困惑とも取れる表情を作り、足を組んだまま動かなかった。そしてぽつりと呟く。

 

 「…焚き付ければうまいこと動いてくれへんかと思ったけど…」

 

 ため息を一つ吐き、頭を抱えていた。

 

 「まぁ、あの様子じゃあ…無理やろなぁ〜………」

 

 

 

 ——13階層。

 

 中層。多くの冒険者達にとっての関門であり、上層とは一線を画すダンジョンの新たな領域。ここに辿り着く事が出来れば、立派な迷宮探索型ファミリアだと言える。

 

 燐光灯る、怪しげな迷宮の一画にて。

 

 ハムザは呑気に弁当箱を広げ、昼食を取り始めていた。

 

 ランクアップしたばかりとは言え能力の上昇は凄まじく、危なげなく12階層を踏破した。リリの見立てでは、いわゆる中層と呼ばれる13階層でも、ハムザがモンスターを相手に戦闘で後れを取ることはまずないということだった。二人は入り口付近で休憩(レスト)を取りながら、呑気にサンドイッチを頬張る。

 

 「はむははまお、あほお…げふん」

 

 「そんなに急いで食うな。喉詰まらせて死ぬぞ。ジジイじゃあるまいし」

 

 どんどんと胸を叩いて、リリは水を流し込んだ。

 

 「ごほん、すみません。えっと、要所要所でハムザさまの魔法を使えば、18階層まではすんなり進めるでしょうが」

 

 薄暗いダンジョンでも明らかに見て取れるように、ハムザは嫌そうな顔で首を振った。

 

 「魔法を使う気は、ない。それに今回の目的は59階層へ辿り着き、謎の金髪美少女調教師を捕まえることだ。それで帰ってシルちゃんの所で乱交パーティだ。もしまたインポになりでもしたら、目も当てられん」

 

 そんな彼を見て、呆れてため息を吐くことすら忘れ、リリは立ち上がる。

 

 「ランクアップ祝いです、乱交パーティではありませんよ。それに、もしハムザさまが算数のやり方を知っていれば、59階層に行くのは不可能だということが分かる筈なんですけどね」

 

 「算数なんてくだらんものは物置にしまっておけ。計算などという愚劣な行為は、詐欺師のすることだ」

 

 「馬鹿を言っちゃいけません。冒険者には身の丈というものがありますから、いきなり59階層へ辿り着くなんて出来る訳がありませんよ」

 

 空の弁当箱をしまい、リリはローブに付着した埃を払った。

 

 「さて、ともかく一つの場所に長く留まるのは危険です。さっさと13階層を探索して、引き返すとしましょう」

 

 未だにのろのろとサンドイッチを食べ続けるハムザを急かし、リリは地図を確認しながらそろそろと迷宮を歩き始めた。

 

 仕方なく、それに付き従う。ハムザは前を行くリリの背中の下、お尻の辺りが妙に色っぽいことに気が付いた。小さい割に…出るところは出ている。

 

 「それなら、【ロキ・ファミリア】が遠征の帰りに寄る18階層くらいまでは行けるようにしておきたいな。もちろん魔法抜きでだぞ。今日はこの最初の中層をさくっと攻略して、明日から18階層への道を探ろう。後は『リヴィラ』で奴らを待ち伏せして、例の美少女の情報を得ることにする」

 

 「良からぬことを企むのは、ほどほどにしてくださいね」

 

 地図に目を落としたまま、リリは答える。緊張感がなく、おふざけの事しか頭にない団長にはほとほと嫌気が差すが、彼を立派な冒険者に仕立て上げるのも自分の仕事だろう。取り合えず今のうちはそう思うことにして、リリは歯切れよく彼に答えた。

 

 「西の広間に行きましょう。途中、モンスターとの戦闘は避けられないと思いますから、しっかり集中して準備していて下さい。迷宮で油断は禁物です。いつ何が起きても対処できるよう、全力で警戒してくださいね」

 

 地図をしまいハンドボウガンを手に取るリリはハムザを一瞥した。まるで遠足にでも来たかのように、彼はのんきに口笛を吹いているではないか。

 

 (まったく、緊張感のないリーダーです)

 

 ピューピューとかすれた調子はずれの音に混ざり、その時、何かが裂ける音が聞こえた。

 

 「んん…?」

 

 亀裂から兎型のモンスター、アルミラージが地面にボトボトと落ちてくる。群れは天然武器(ネイチャーウェポン)を携え、二人を囲い込むように陣形を取り、深紅の瞳をぎらりと輝かせた。

 

 「九体です。いけますね?」

 

 サンドイッチを口に放り込み、ハムザは剣の柄に手を掛けた。

 

 「まふぁへほ」

 

 その瞬間、ハムザは壁際の一匹を剣で串刺しにしていた。予想外の素早さに狼狽したモンスター達だったが、すぐに天然武器(ネイチャーウェポン)を構え攻撃態勢を取る。その僅か数秒の動作の間に、ハムザはもう別の一匹を仕留めていた。

 

 リリは壁に体を押し当て、アルミラージと対峙するハムザの背中に隠れた。たった二匹を仕留めただけで、二人はモンスターの包囲を脱出し隊列を組み直すことに成功する。

 

 「おらおらァっ!」

 

 長剣を一閃。そしてまた一閃。

 

 暗い迷宮に銀色の残像が尾を引いて、モンスターは断末魔を上げて倒れていく。中層特有のモンスターによる連携も、圧倒的な速さと力の前には全くの無力だった。

 

 Lv.1のリリから見れば、まるで理不尽だと思われる程の能力の差。こちらが1M動く間に、ハムザは10Mも先に行っているような、そんな感覚だ。人間の限界を超えるということは、こういうことなのだ。極端な話、恩恵を授かり身体を強化した者は、バベルから飛び降りても死なない。石を殴っても拳が砕けない。重力すら無視して、殆ど空を飛ぶ。

 

 そして武器もまた武器である。恩恵を受けた鍛冶師による作品は、そんな化物達の動きについてくる。決して錆びない刃、折れることのない穂先、誰も傷付けることの出来ない鎧。そういう装備を纏った超人のような連中を、人々は畏怖も尊敬も込めてこう呼んだ。

 

 冒険者、と。

 

 そんな冒険者の一人であるハムザによって撃退され、最後の一匹となったアルミラージは角を突き出し捨て身の突進に出た。怪物の真紅の瞳と、それよりも深い色をした深紅の瞳が暗闇で光る。

 

 「ママのお腹に帰れ!」

 

 長剣で胴体を真っ二つに切断しようとハムザが薙ぎ払う直前——ボウガンの矢がアルミラージの瞳を貫いた。

 

 「ギィヤアァッ!?」

 

 怪物は地に倒れ、灰へと変わっていく。その最中、肝を冷やしたハムザは振り返る。フードの奥に隠れた目を抜け目なく光らせて、リリは魔石の回収を始めた。

 

 

 「ちょっとヒヤッとしたぞ、おい」

 

 「どこがですか、楽勝ではありませんか」

 

 地面に散らばった魔石を一つずつ拾い集めながら、少女は口を尖らせる。

 

 「いや、俺の股の間からボウガンを打つな。股間に命中していたらと思うと、ゾッとする」

 

 振り向いたリリの顔に、影が差した。可愛らしい顔に浮かぶ意味深な笑みが、なんとも不気味だ。

 

 「確かに、いつか手元が狂うかもしれませんね」

 

 ハムザはぶるっと身震いし、彼女に背を向けて前へと進み始める。

 

 荷物持ち(サポーター)。ダンジョン攻略の際に、アイテム回収を主に受け持つ非戦闘員。それがリリの役割だ。一部の冒険者からは侮蔑される程の、役立たず。生死を分ける迷宮攻略に於いて、弱者ほど忌み嫌われる立場はない。

 

 だが、リリは過去に【ソーマ・ファミリア】の荷物持ち(サポーター)として、そしてフリーの盗賊(シーフ)として、冒険者に何度も煮え湯を飲ませてきた。戦闘能力が皆無でも、支援役として役立つ術はいくらでもあるというのが、リリの見解だった。

 

 圧倒的に強く、反則的な魔法を持つが迷宮や怪物に対する情報が皆無のハムザ。そして弱く、戦闘に役立つ魔法もないが危機察知能力と知識、そして経験値で彼を支援するリリ。

 

 欠けている能力を補完し合う。これが迷宮攻略の基本、パーティの強み。

 

 いわゆる中層と呼ばれるこの層域にあっても、戦闘にてこずる気配はまったくない。

 

 それに兎が何匹湧いて出てこようが、それこそミノタウロスの大群が押し寄せてこようが、<魔法>さえあれば何とでもなる。

 

 先ほどの戦闘にあまりに手応えがなかったため、肩透かしを食らっていたハムザの心中を察し、リリはぽんとハムザのお腹を軽く打った。

 

 「この先にはいくらでも強敵がいる筈です。さぁ行きますよ、ハムザさま」

 

 

 

 

 ハムザは『中層』に落胆していた。

 

 アドバイザーのエイナやリリが、口を揃えて『中層は危険』だと言っていた。しかし、蓋を開けてみればなんてことはなかった。

 

 以前、うまいうまいと散々持て囃されている『ジャガ丸くんたこ焼き味』なるものを食べた時も、似たような失望を味わったものだ。

 

 二人は難なく13階層を攻め続け、既に地図の半分を踏破していた。

 

 だが、楽勝ムードの【テルクシノエ・ファミリア】に、試練(トラブル)が襲い掛かる。

 

 それは二人が大広間を抜け、狭い通路を進み始めてすぐのことだった。

 

 通路の先から、極東風のパーティが疾走している。リリは事故(アクシデント)の気配を察知し、ハムザの袖を引いた。

 

 ハムザが目を凝らすと、そのパーティはどうやらモンスターに追われているらしかった。負傷者もいるようだ。無意識にハムザが剣を持ち直した。

 

 「助けなければ」

 

 「正気ですか?」

 

 リリは耳を疑った。彼らとの距離がみるみる縮まってくる。そのパーティの中には、女性がいた。真っ直ぐな瞳で正面を見据え、唇をきゅっと結んでこちらへと駆けてくる。今までに見た事もない程に美しい色をした黒髪を揺らす姿に、どうやらハムザは見とれているらしい。

 

 その少女は焦燥しているように見えた。絡みつく彼女の視線に、無言の救援要請が感じ取れる。

 

 一団はすぐそこまでやって来た。そして、先頭を走る大男がハムザ達には目も合わせず、口元に軽蔑の色すら浮かべ、無言ですれ違った。

 

 一人、二人と冒険者達が二人の横を通り過ぎていく中、ハムザはずっとその女性を見つめていた。そしてその菖蒲色の女性剣士は、無念の表情を浮かべながら、最後にちらとハムザと視線を交わした。

 

 リリは生唾を飲み込んだ。やはり、これは――。

 

 盗賊時代に何度も繰り返し、最早お家芸にもなりつつあった、冒険者達への意趣返し。

 

 怪物を引き連れて迷宮内の狭い通路を逃げ回れば、怪物が新しい怪物を呼び、次から次へと追いかけてくる。群れを通り越したパレードさながらの大群を引き連れて、他の冒険者パーティと接触する。そしてそれを他人に擦り付けるのだ。

 

 冒険者達にとっては、危険な迷宮内で生き残るための非常手段であり、同時に間接的に他派閥を潰すための常とう手段でもある。この非道な行為によって潰されて来たファミリアは枚挙に暇がない。

 

 リリは大声を響かせる。

 

 「怪物進呈(パス・パレード)です!一旦上の階層に戻りま―――」

 

 大声を張り上げ退却を呼びかけようとした矢先、リリは言葉を失った。

 

 ハムザが長剣を引き抜いて、正面から雪崩れ込むヘルハウンドの群れと、真っ向から激突したのだ。

 

 彼の行動に驚いたのは、リリだけではなかった。菖蒲色の女性剣士は、思いがけない冒険者の行動に目が釘付けになり、足を動かす事を忘れて立ち竦んでいる。

 

 怪物進呈なる悪事を受けてもなお、彼は怪物の群れに立ち向かった。数えきれないほどの怪物達に囲まれ、揉みくちゃになりながらも、見知らぬ剣士が大群をなんとか押し留めている。

 

 「そんな…どうして…」

 

 その女性剣士は呆気に取られ、ハムザの戦闘を食い入って見つめていた。

 

 自分達と何ら変わらない下級冒険者のパーティに思われたのに、彼はどうして…。どうしてあんなに勇敢でいられるのだ。

 

 前方を行く冒険者達が「はやくしろ!」と怒号を上げるが、もはや彼女の足は地面にくっついて動かない。そしてその少女が叫んだ。

 

 「桜花殿、先にっ…!千草殿をお願いしますっ!必ず戻ります!!」

 

 桜花と呼ばれた大柄のヒューマンの冒険者は、無念そうに唇を噛んで僅かに逡巡する様子を見せたが、少女を信じるような顔つきで力強く頷き、パーティに退却を命じた。

 

 その様子に安堵した少女は、逃げていく仲間達への道を塞ぐように、怪物の群れと相対する。そして全身に力を込め、刀に手を掛けてから、跳ねるように飛び掛かった。

 

 「まったく、何を考えているのですか!?焼け石に水です!さっさと退却しましょう!?」

 

 リリの叫びは、けたたましい悲鳴や斬撃の音に掻き消えた。リリの思惑通り、少女が戦闘に加わったからといって、事態が好転することはなかった。群がる怪物に囲まれ、あれほどまでに成長したハムザが苦戦している。だが、怪物は次から次へと切り裂かれ、血を流して地面に転がっていく。詰みあがっていく無数の死体が、物量をものともしないハムザの強さを物語っていた。

 

 それでも戦線はじりじりと後退していった。ハムザ達が怪物を切り結ぶよりも早く、新たな群れが押し寄せて来る。群がる怪物を力任せに吹き飛ばし、ハムザが後退して姿を現した。見るも無残に、血だらけだった。

 

 「キリがない!ここまで時間を稼げたなら上出来か!?おいリリ!撤退するか!?」

 

 「リリはもう随分前から退却を呼び掛けています!ハムザさまのお耳が遠くなってしまっていることが残念でなりません!」

 

 一撃、一撃と怪物を屠りながら、頃合いを見てハムザとリリが退却しようとした矢先――先ほどの少女が、ハード・アーマードの突進を受けて吹き飛んだ。

 

 「あっ…!」

 

 少女は受け身もままならないまま地面を転がり、ぴくりとも動かなくなった。

 

 「まずいです!」

 

 ハムザはリリが叫ぶよりも前に、即座に為すべきことを理解していた。

 

 「急げっ!ありったけの回復薬を浴びせておけ!」

 

 少女はリリの足元で血を吐いたまま身動き一つせず、事切れたように動かない。焦燥に駆られ、枯れた声で叫ぶ。

 

 「それでどうするのですか!?撤退ですか!?殲滅する気ですかっ!?」

 

 「そうだっ!こいつらをぶち殺してから治療する!」

 

 激しい戦闘を続けるハムザの叫び声は、しかし夥しい数の怪物の群れに掻き消えていく。

 

 いつハムザの守りが決壊するかも分からない危機的状況の中、リリは出来る限り冷静さを保つよう努めながら、荒れる呼吸を整え、ハムザの言葉を咀嚼した。

 

 

 (自分達がこの人を見捨てて撤退するのは論外…!かと言って担いで撤退しても早急に治療しなければ助かる保証はない…?それならば撤退を視野に入れず真っ向勝負をするしか…!そうですか…それならば)

 

 

 「出し惜しみは出来ません…!」

 

 数M先では必死の戦闘が続いている。リリはベルトポーチ、バックパックから大急ぎで取り出した回復薬の全てを少女に振りかける。その回復効果がすぐに顕れたのか、意識を失っていた少女は目を開き、苦しそうな声を漏らした。

 

 その悲痛な呻き声が聞こえたのか、或いは何かを感じ取ったのか、絶望的な状況に生まれた手ごたえのような物を感じて、ハムザは決意した。横薙ぎの一閃で戦線を無理やり押し留めてから、片手を突き上げる。

 

 …不本意だが、魔法を使うしかない。美少女調教師とは異なるが、あんな美人の為ならば、インポとなる覚悟も決めてやろう——。

 

 

 「その必要はありません」

 

 

 その言葉のすぐ直後だった。

 

 リリが真横から怪物達へ飛び掛かったのだ。

 

 それまで一切戦闘に加担していなかったリリが前線に飛び出し、ハムザは呆気に取られていたが――彼女が振り下ろした短剣は、辺り一面に業火を生み出し怪物の群れを一気に焼き払った。それを続けざまに何度も振り下ろし、通路は灼熱の地獄さながらに阿鼻叫喚の様相を呈す。

 

 「今です!リリは治療に当たります!お願いですから一匹たりとも通らせないでください!」

 

 燃え盛る怪物達の死体を見て、ハムザは大いに安堵していた。少し離れたところに、業火から逃れた怪物が火を見て慌てふためいているのが見える。だが、大した量ではない。リリの短剣は大量の怪物を焼き払っていた。

 

 「魔剣か。まったく、何が荷物持ち(サポーター)だ。これじゃどっちがお荷物か、全く分からんな」

 

 

 

 

 「つぅっ…。あ、も…問題ありません。その…なんとお詫びしたらいいか…。モンスターを、押し付けてしまい…ご迷惑を………」

 

 「いいんだ。もとより君のように素敵な人を見過ごすことは、俺には出来ない。良かったら名前を教えてくれないか?」

 

 魔剣の使用により、怪物進呈を無事に切り抜けることが出来た。そしてリリの治療によって少女は一命を取り留め、今では言葉を紡げる程まで回復している。だが、依然として状態は芳しくないようで、横になった彼女は常に苦痛に苛まれているようだった。

 

 「はい…【タケミカヅチ・ファミリア】のヤマト・命と申します。えぇと、そちらは…」

 

 「俺達は【テルクシノエ・ファミリア】だ。俺がハムザで、こっちがリリだ」

 

 少女は小さく感謝の言葉を零してから、目を閉じて再び苦悶の表情を浮かべる。苦しみながらも、少女は必死に言葉を紡いでいく。

 

 「私たちの仲間は…どうなったのでしょうか…」

 

 「あいつらはまぁ、大丈夫だろう。それよりも自分の体を心配しろ。俺の見立てでは…助かる見込みは十に一つだ。このままでは命が危ない」

 

 「私はどうすれば…いいのでしょうか?このような身体では、何も…ぐぅッ」

 

 命の凛とした顔立ちが歪む。美しい少女が苦しむ姿に、ハムザは神妙に額に皺をよせ顔を近づけて言った。

 

 「俺が看病する。そうすれば助かる見込みは…ええと、一つに十だ。つまり、何の心配もいらないということだ」

 

 「…?えぇと、申し訳ありません…。私が不甲斐ないばかりに…回復薬まで…」

 

 何かを言いかけたハムザよりも先に、性分を抑えきれずにリリが刺々しく口を挟む。

 

 「魔剣一本に高回復薬数十本。五百万ヴァリスくらいは請求させて頂きますよ」

 

 「おいおい、そう言うことは治ってから言ってやれ。ショックで逝っちまったら、元も子もないだろう」

 

 ハムザが言う通り、五百万という金額を聞いて少女は目を見開き、さらに苦しそうに呻いた。

 

 「…私達はまだ、弱小ファミリアですので…そんな大金は…。でも、この御恩は、一生忘れません。絶対に、何倍にもして返します。例え…命がなくなっても…」

 

 「あぁ、そういうのはいいから」

 

 ハムザは目の前の極東風の美少女にどんなお詫びをさせようかとわくわくしていたが、遠くから地鳴りが聞こえてきた気がして耳を澄ませる。

 

 ゴゴゴ、と揺れは強まっていく。

 

 

「――これは…この音はなんだ…?」

 

 

 その不吉な音は、一つ苦難を乗り越えた彼らに告げる、更なる不幸の音。

 

 それはハムザの記憶の中に眠る、とある光景を呼び覚ました。

 

 まだ駆け出しの頃、一度だけ体験したことがあった。

 

 あの時は――そうだ、広大な広間を埋め尽くすほどのモンスターが、壁から生まれ落ちて来た……。

 

 

 「まさか、怪物の宴…?それにしても、この規模は…」

 

 

 リリの小さな声の後に、まるで階層全体に亀裂が走ったかのような音が響く。二人は身震いして身構えた。ボウガンをぎゅっと握りしめるリリの顔に、焦燥の色が焼き付いている。

 

 そしていつしか主神が言った言葉が脳裏に浮かんだ。

 

 (苦難は一人では来ない。必ずその連れを伴ってやって来るものじゃ。それを試練と見るか不幸と見るかは、お前達次第…)

 

 突然の出来事に思考は止まり、悪い予感だけがリリの体を駆け巡る。

 

 その予感は的中した。

 

 壁という壁、天井という天井全てに亀裂が走り——モンスターの唸り声が響いたのだ。

 

 まるで階層全域が震えているかのように。

 

 「階層全体が…怪物の宴!?」

 

 ふざけている、とリリは悪態をつく。あまりにもひどい冗談だ。とんでもない不運だ。こんなに運悪いのは、きっとハムザの新スキル、<悪運>のせいに違いないとリリは確信した。全くどうして、あんなに意味のわからないスキルを取ってしまったのか。理解が出来ない。

 

 「お二人は…はやく逃げなければ…」

 

 命は横になり、死人のように青ざめながら、そう促した。

 

 死地を悟ったかのように眦を決し、柳眉を釣り上げる。

 

 「私は、置いて行って下さい…これ以上、ご迷惑は…掛けたくありません!!」

 

 そんな少女を遮って、ハムザは無理やり横になった命を抱えた。

 

 

 不気味な呻き声が何重にもなって、壁という壁を伝い鳴り響く。もう一秒たりとも無駄には出来ない…すぐに決断をしなければ。

 

 「上に戻るぞ!一番近い出口は上層への階段だ!」

 

 彼らが地を蹴った瞬間、目の前に先ほどよりも多いのではないかと思うほどの大群が同時に産まれ落ちた。ぼとり、ぼとりと大群の背後にさらなる大群が産み落とされる音が聞こえてくる。ハムザは直感した。

 

 「まずい!塞がれたぞ、おいっ!後退だ!急げ、はやくしろっ!」

 

 これ以上の戦闘は流石に危険すぎる。自分の命よりも、彼女の命が。

 

 

 リリとハムザは踵を返し、出口とは別方向へと駆け始める。

 

 「おい、リリ!案内頼むぞ!」

 

 ダンジョンは、まさに壮観だった。

 

 壁や天井に走る亀裂から、怪物が雨の様に降ってくる。一本道の通路をひた走る彼らの真後ろから、生まれ落ちた怪物が群れをなして追いかけてくる。必死で逃げる彼らをあざ笑うかのように、迷宮は彼らが走りゆく先に亀裂を走らせて、怪物の雨を降らせている。

 

 怪物の合計数は百体や二百体という話ではないだろう。一秒ごとに膨れ上がる地鳴りの音も、怪物の叫び声も、全てが異常事態(イレギュラー)を物語っている。

 

 「くそっ、これが中層か。確かに上層とは大違いだ」

 

 「馬鹿言っちゃいけません!?これが通常だったら、今頃冒険者なんて絶滅しています!」

 

 吐き気を催す恐怖に、リリは振り返る気も起きなかった。出来るだけ冷静さを保つように高鳴る鼓動を抑えながら、頭で地図を浮かべた。

 

 背後からは凶悪なモンスターが涎を垂らしながら追いかけて来ているが、今だけは彼らの胃袋に収まる自分の姿を想像してはいけないと必死に言い聞かせる。

 

 前を走るハムザは命を抱えるせいで戦闘が出来ない。つまりは誰にも頼ることは出来ない。自分だけが頼りだ。リリは精一杯集中して、絶対に間違えないよう正確に地形を把握しながら前を走るハムザに道順を指示していく。

 

 「次の三叉路は直進してください!下へ向かいます!」

 

 汗を流しながら、息を切らせながら何とか辿り着いた途端、全員が青ざめた。一本道の先、ぽっかりと空いた丸い空間、その天井に——またしても亀裂が走った。

 

 一秒もしないうちに大量のモンスターが産み落とされ、中央と左の通路が塞がれた。

 

 「私は…どうか…置いて下さい……」

 

 腕の中で唸る少女を無視して、ハムザは叫んだ。

 

 「右しかない!とにかく行くぞ!」

 

 ハムザが駆け出した。リリは「ま、待って!」と叫ぶも、既に彼は右の通路に侵入してしまっていた。

 

 (駄目ですよ!?だって、このルートは…)

 

 「ちょっと待って下さい!このルートはこの先どこを曲がっても、最終的には行き止まりです!」

 

 殿を走っていたリリの真横を、特大の火玉がすり抜けていった。リリが後ろを振り向くと、ヘルハウンドの群れがもうすぐそこまで迫っている。リリは悟った。もう引き返すことは出来ない。それどことか…もう帰ることは出来ないのではないか。

 

 「とにかく走るぞ!速度を上げろ!」

 

 ハムザの叫びにリリは大声で応答した。前方に別の冒険者集団の背中が見えてきた。どうやらこの階層にいた冒険者達は追い立てられるように皆逃げ惑っているようだ。

 

 『おめぇたち、なに引き連れてきやがった!?』

 

 『ふざけんなっ!ちくしょう、ぜってぇ生き延びてやるからな!』

 

 『階層まるごと怪物の宴だなんて、聞いてねぇぞ!?』

 

 

 怒号を投げ合う冒険者集団に、ハムザは罵声を浴びせかける。

 

 「うるせぇぞっ!雑魚共!さっさと喰われて、時間を稼ぎやがれ!!」

 

 

 『なんだてめぇっ!?くそっ、生き残ったらぶっ殺してやる!!』

 

 先ほど丸焦げにされる寸前だったリリは叫び声を上げた。

 

 「争っている場合ではありません!?袋小路に誘導されているんですよ!そこで一網打尽です!このルートはもう、行き止まりなんですよ!?」

 

 彼女の言ったとおり、道なりに進んだ集団は行き止まりを前に立ち往生した。走ってきた方向から大群の暴走する音が聞こえてきて、全員が行き止まりを背に武器を手に取った。逃げられないなら、やるしかない。彼らに残された選択肢は、もはや一つ。

 

 しかしダンジョンはそんな決意をあざ笑う。狭隘な袋小路に逃げ込んできた獲物の真横から、そして真上から亀裂が走る音が鳴り響く。

 

 「おいおい…」

 

 ハムザは絶句した。追い込まれた袋小路に待っていたのも、やはり怪物の宴。前方からは怪物の大群が押し寄せてきている。そして立ち往生するこの場所からも、今まさにモンスターが産まれ落ちる。背後は壁だ。逃げ道など皆無。腕の中で、命が呟いた。

 

 「ハムザ殿…どうか…どうかわたしを置いて逃げて下さい…」

 

 もう、やるしかない。

 

 ハムザは決意した。魔力の限り魔法を連発して、どうにか生き延びなければならない。

 

 ここで死んでは、後悔してしまいそうだ。

 

 命をそっと地面に下ろそうと腰を落としたその時。

 

 『おい、穴が空いたぞ!』

 

 誰かが大声を上げた。

 

 振り返ると、行き止まりかと思われていた壁には大きく穴が開いていた。冒険者集団は我先にとその穴へ飛び込んでいく。ハムザは無言でリリを促し、そこへ飛び込ませた。

 

 最後に残されたハムザは後ろ向きで穴へ入り込む。目の前には、涎を垂らし、牙を剥き出しにして飛び掛るヘルハウンドの群れ。

 

 怪物と鼻先を掠める程肉薄した瞬間、壁は元通りに塞がり視界が真っ暗になった。モンスターが塞がれた壁に激突する音を聞きながら、ハムザは命をしっかりと抱えながら、大笑いして空洞に落ちていった。

 

 「ははは!あばよ、雑魚ども!」 

 

 

 

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