ダンジョンに性交を求める眷属の物語 作:kuracjaponski
「それで、ここはどこだ?」
幸いなことに落下した先が地底湖だったことで、冒険者達は全員無事だった。ハムザは気を失っている命を地面に寝かせてから、難しい顔で地図を確認しているリリの肩に手を掛けた。
「さっさと地上に戻って、この子の治療をしてやろう」
だが、リリの反応は薄い。何やらブツブツと独り言を呟いた後、リリはハムザを見上げて言った。
「ここがどこだか、リリには分かりません」
周りを見渡すと、この場所に落ちてきた様々なパーティが狭い洞窟内でごった返している。冒険者達は、大小様々にいくつものグループに固まって議論しているようだ。
どこかで大きな声が響いた。
『力のねぇ奴らは俺について来い!一人あたり百万ヴァリスで地上へ連れて行ってやる!!』
冒険者の中でも目立つ、一際大きい体の男が周囲に呼びかけるも、反応は冷たい。
『チッ。いいか、てめぇら!生き残りたきゃあ俺の下で動け!俺様は、長年Lv.2をやってるトール・ファミリアのウェドンだ!!』
だが、大男の叫びに耳を貸そうとする冒険者は一人もいなかった。そして、輪の中で静かに周囲を観察していた青年が声を上げる。
『こんな状況だ。いがみ合うのではなく、手を取り合って脱出するべきだ』
『文句があるのかい、ボクちゃん?』
大男は猫なで声で囁く。
『お友達同士でおててを繋げば怖がらずに済むのかな?見知らぬ場所に来て、もうママが恋しくなっちゃったの?』
大男の取り巻きがわざとらしい笑い声を立てた。
『俺の親は女神じゃない。男神アポロンだ』
周囲の冒険者はざわめきたった。
『アンタ、アポロン・ファミリアか!良かったぜ、アンタに着いてきゃ安心だ、もちろん助けてくれるよな?』
調子の良いヒューマンが彼に握手を求める。
『アポロン・ファミリアの冒険者、アタシの体を好きにする代わりに、地上まで連れてってくれよ』
アマゾネスの戦士が色目を使う。
わちゃわちゃと彼の周りに人だかりが出来てしまったので、大男はつまらなそうに舌打ちを打ってから仲間と話し始めた。
「…どういうことだ?」
その様子を見ていたハムザはリリに答えを求める。
「つまり、【トール・ファミリア】なんかより、【アポロン・ファミリア】の方が遥かに格上ということですよ」
「なんだ、そりゃ。こいつら本当に冒険者か?自分の力でどうにかしようとしないで、最初から人頼みだなんて、お里が知れるぞ」
リリはぐうの音も出せなかった。何故ならハムザさえ許してくれるのなら、自分だって【アポロン・ファミリア】の庇護を受けて地上に戻りたいと思っていたからだった。
「それで、ここはどこなんだ?」ハムザは再びリリに問いかける。
「そりゃあ、未開拓領域に決まっているじゃありませんか」
獣人やドワーフ、小人族、アマゾネス、エルフなど様々な種族でごった返している広間で、リリの声が遠くまで飛んでいって反響した。
ざわめきが一瞬にして、冷水を打ったように静まりかえった。
『…未開拓領域』
『まじかよ…そういうことか、やべぇぞ、おい……』
平静さを失った冒険者達は絶望のうめき声を上げ始める。
「なんだ?つまり、地図にない場所に来てしまったのか?」
焦燥感を募らせる他の冒険者とは異なり、ハムザは落ち着いていた。リリは彼に頷いた。
そしてハムザの決断を促す。リーダーとして、パーティの行動を決めるのは貴方だ、というような顔つきで。緊張から、彼女の額に汗が浮かび上がっている。
「ふむ…そうだな。こういう状況には、慣れてる。バックパックはどうした?」
「バックパックは、穴に飛び込む前に投げ捨てました。リリは丸腰です」
それが何を意味するのか、ハムザにはよくわかった。致命的ということだ。いつもリリが腰から下げている緊急用のアイテムを除けば、パーティが持つ資源はほぼゼロ。この状況で生き延びるのは、骨が折れるだろう。
「それで、どうするのですか?【アポロン・ファミリア】と協力して脱出しますか?」
リリがそう言った途端、近くを歩いていた【トール・ファミリア】の大男の足を、ハムザが引っ掛けた。
「てめぇ、何しやがる!?」
怒鳴る男にも怯まず、ハムザはすっとぼけた声を出した。
「どうした?ちゃんとママに歩き方を教わったのか?」
男は口元を釣り上げ、あからさまな敵意をむき出しにする。
「おいおい……まさかテルクシノエ・ファミリアか?黒い変態、ブラックパーヴさんのお出ましだぜ!見ろよ、お前ら!猿みたいに発情した、間抜けな変態野郎だぜ!」
取り巻きの仲間がせせら笑った。リリは拳をぐっと握りしめてハムザをちらりと見たが、彼は全く意にも介していないようだ。
「おいおい、ビビって声も出せないのか?それとも頭の回転が遅いのか?こいつは助からねぇな。何が最速ランクアップだ。受付嬢たらし込んで、虚偽の申請を無理やり通しただけだろうが。こちとら長年Lv.2だ、舐めてんじゃねぇぞ!」
挑発を受けてもビクともしないハムザを、リリは不思議な目つきで眺めている。ハムザという男は、実は我慢強い性格の持ち主なのかも知れないと、リリは彼を少し見直した。
「ふん、こっちのオチビちゃんは
「言ってしまったな、馬鹿め」
ハムザはすぐさま剣を引き抜いて、大男の腕を切断した。
「ぎゃあああああっ!?」
悲鳴を上げて倒れる男の胸に、剣をひと刺し。男はあっさりと絶命した。【トール・ファミリア】の団員は驚愕に顔を染めながらも応戦しようとしたが、ハムザの剣速に全く対応しきれず、一人二人と切り裂かれていった。
突然の戦闘に場は騒然となった。【アポロン・ファミリア】の男や猛者らしい装備に身を包んだ冒険者らを中心に、全員がハムザに敵対的な目を向ける。
「…主神と仲間を馬鹿にされた。泣き寝入りしろってのか?」
『一理あらぁな。自業自得だ』
集団のリーダー格らしき、鞭を持ったドワーフがそう言った。それから何もなかったかのように冒険者達は好き勝手に動き始めたので、ハムザは場が収まったのを確信した。
「…どういうことですか?」
リリはハムザに問いかける。
「つまり、飛んで火にいる夏の虫ということだ。あの馬鹿、わざわざ突っかかってきて殺される理由を俺にくれやがった」
なるほど、とリリは納得する。だから挑発を涼しい顔をして受け流せた訳だ。獲物が罠に掛かってくる様子を思い浮かべれば、多少悪口を言われても気にはならないだろう。何故なら、結果的に自分が勝つのだから。
それから周囲の冒険者達は連盟を組み、大きな二つのグループが出来上がっていた。【アポロン・ファミリア】を中心にした一団と、ドワーフの
だが、やはりハムザ達に声を掛けて来る冒険者は一人もいなかった。相手に非があるとは言え、同業者殺しを平気でやってのける人物とは、皆関わりたくなかったのだろう。
二つの連盟が広間を去ってしまうと、狭く感じていた広間がとても広く感じるようになった。それと同時に、孤独感と不安がリリの胸に忍び込む。
「…本当にこれでよかったのでしょうか?」
ハムザ、リリ、そして命。取り残されたのは三人だけ。ハムザは誰も居なくなったのを確認してから、【トール・ファミリア】の亡骸を調べ始めた。
「しめた。
奪い取ったバックパックに道具を詰め、ハムザはそれをリリに投げた。
小さな体でそれを受け止め、リリは危うく後ろに転びかけた。バランスを持ち直し、バックパックを背負う。そしてテキパキとしたいつもの口調で言う。
「なんですか、もともとやり合って奪い取る算段だったのですか。それでわざと気の短そうなこの人の足を引っ掛けて、喧嘩を売ったと」
「まぁ、そういう解釈も出来るだろう」
リリの表情は、先程より明るくなっているようだった。
「しかし、納得行きませんね。相手の実力も図らずに喧嘩を売るのは、得策ではありません。もし相手が自分の力量を凌ぐ猛者だったら、一体どうしていたのですか?」
ハムザはすぐにはリ返答しなかった。リリにいつもの小言が戻ったなら、取り敢えず安心だ。そう考えてから伏している命を抱え、リリに先へ進むように合図してから言った。
「長年Lv.2で燻ってる雑魚だ、相手にならんのは、最初から分かっていた」
●
地底湖の広間を抜けるには、狭い通路を通らなければならなかった。
気を失った命を抱えて何とか外へ出た【テルクシノエ・ファミリア】は、言葉を失う。
目前には、巨木が連なる深い森が待ち受けていたのだ。
「中層ってのはずいぶん緑が多いんだな?」ハムザは近くの岩のそばに命を寝かせ、自分も腰を下ろした。
なるほど、絵から飛び出してきたような鬱蒼とした森の中にいると、ここがダンジョンであることを忘れてしまいそうだ。
草木が生い茂り、苔に覆われた大きな岩がいくつも散らばっている。蔓は好き放題に木肌に絡み、木々は思いのままに枝を生やす。手つかずの自然、リリの頭にぱっとその言葉が浮かぶほど、見事な空間だった。
あくまでも、木の根が這い回っているような迷宮特有の壁を除けば、の話だが。
「…この空間、特徴的には『大樹の迷宮』のようですが…」
「大樹の迷宮?」
「はい。大樹の迷宮は19階層から24階層に広がる森林型迷宮です。と、いうことは…もしかしたら、上の階層を目指せばすぐ18階層…つまり
リリも地面に腰を下ろし、先程ハムザが奪い取ったバックパックの中身を入念に調べ始めた。中には三本の
「これ、何でしょうか?」
リリはその奇妙な金属を取り出した。だが、ハムザにはさっぱり分からなかった。
「こいつらの荷物、中層の探索にしては軽装すぎやしないか?」
ハムザは携帯食料を半分に折って、リリに手渡した。
「確かにそうですが、みんながみんな遠征をする訳ではありませんし、慣れたLv.2の冒険者達ならこのくらいで十分なんだと思いますよ」
「いや、それにしてはあいつら随分弱かったぞ。まぁ、別にどうでもいいか。ボウガンやら魔剣やら、リリの武器になる物が無かったのは痛いか。ハズレを引いたらしいな。何なら剣でも振ってみるか?」
「冗談はよしてください。とにかく、そろそろリリ達も動きましょう。他のパーティが
ハムザは毅然として表情を崩さず、気を失っている命の顔をじっと見つめていた。それからおもむろに口を開く。
「俺たちは、しばらくここで拠点を作る。命を抱えての移動は危険だし、それでなくとも、すぐにリヴィラに着く保証などどこにもない。ゆっくり腰を据えて、態勢を立て直してから攻略に出る」
リリは納得がいかないと反論しようとしたが、伏せる命を見て、ハムザの言うことも一理あると思い直した。
「リーダーがそう言うのならリリは従いますが…。長期間滞在出来るほどの余裕はありません。この迷宮で、一体どうやって怪物から身を守り続けるおつもりですか?」
それができるなら、と。リリは条件を出すかのようにハムザに問い質す。
「大丈夫だ。敵は全部やっつける。心配するなよ、俺はこう見えて、サバイバルは得意な方なんだ。木があればシェルターを作れる。森があれば腹を満たせる。ここが迷宮なら、それこそ皮や骨など資源には困らんだろう」
●
迷宮の天井を覆い尽くす水晶が輝きを失いはじめ、森には夜が訪れていた。
【テルクシノエ・ファミリア】よりも早く広場を発ち、脱出地点を目指して大勢を引き連れていた【アポロン・ファミリア】は、怪物との戦闘により既に十数名の死者を出していた。
それでも大半の冒険者達は未だに無事で、気力も失っていなかった。それは彼らを率いるリーダーの優れた統率力に拠るところが大きい。
「トゥリウス様、冒険者達には明るくなるまで待機する旨を伝えておきました。それから、食料分配のルールを説明したところ、大半は受け入れてくれました」
「ご苦労、アカンサス」
トゥリウスと呼ばれた青年は、火をじっと見つめながらエルフの魔道士に礼を言った。
「なんとかなりそうですね。大樹の迷宮のようだったけど、出現する怪物は13階層以下のようだし、そこまで強くはないわ」
そう言って安堵するエルフの魔道士。
【アポロン・ファミリア】の冒険者達は、火のそばに固まって軽食を取っていた。
「あぁ、まったくだ。あんな大人数について来られちゃ流石に厳しいだろうとは思ったが、そこはトゥリウスだ。完璧な指示で、部隊を再編しちまいやがった!」
盾役のヒューマンは豪快に干し肉を頬張ってから、トゥリウスの背を叩いた。
「大したことはない。頭が優れていても、動くのは結局手足だ。君たちの貢献がなければ、俺なんて本当に大したことはないさ」
褒められた当の本人は端正な顔立ちに笑みを讃えて、仲間の貢献に言及し、自らの謙虚さを示した。
「まぁ、とにかく今は休息を最優先で考えよう。食べ終わったら火を消して、寝袋に入るんだ。夜番は…そうだな。ナディル、君に任せる」
盾役の男は待ってましたと雄叫びを上げた。それに呼応するように仲間が彼に激を飛ばす。
その時、弓を携えた狩人、エルフの男性冒険者が小声で聞き返した。
「…火を消すのですか?この迷宮で、獣から守れる火を消してしまうのですか?」
焚き火に土をかけてから彼に向き直り、トゥリウスは静かな口調で言ってやった。
「アルサッド、ここに獣は居ない。いいかい、ヘル・ハウンドが、つまり【
エルフの狩人は仲間からからかわれ、はにかんで黙り込んだ。それから【アポロン・ファミリア】はトゥリウスに倣い火を消し、夜番をするナディル以外の全員が寝袋に入って、休息を取りはじめた。
【アポロン・ファミリア】やその他の派閥の冒険者達が火を消すと、森の迷宮には暗闇が訪れる。まだ僅かに赤く光る炭が、唯一の光源だった。
そして、夜番をしていたナディルはすぐさま異変を察知する。
―――暗闇で、何かが蠢いている?
「………なにもんだ?」
影の主は応えない。だが、その『なにか』はずるずると暗闇を這いずり、こちらの様子を伺っているようだった。
ナディルは考えた。皆を起こすべきだろうか?…いや、その必要はない。きっとウォーシャドウか何かだろう。それくらいの怪物なら、一人でも十分だ。
片手に槌を構え、ナディルは闇で蠢く物体に近づいていった。
その時、まだ微かな火を灯していた炭からついに明かりが消え、灰に変わった。
怪物はその瞬間を好機と捉え、ぐんぐんと体を大きくさせ、ナディルに覆いかぶさった。
「っ!!!?」
ナディルは目を大きく見開いて、その姿を捉えようとした。だが、何も見ることが出来ない。まるで周囲の闇全体に押しつぶされたようだった。
怪物は地面に食い込んで身動きが取れないナディルの首に、鋭い何かを当てた。死を悟ったナディルは、ありったけの力を振り絞って大声で叫んだ。
「……っ!?なんだっ!」
突然の悲鳴に【アポロン・ファミリア】を含む冒険者達は飛び起きた。急いで松明に火を灯し、周囲を照らすと、そこには首と胴体が切断されたナディルの死骸が転がっており、地面が血溜まりになっている。
「…ナディル…っ!そんな!」
悲痛の声を上げるアポロン・ファミリアの魔道士を、影の怪物は鋭利な爪のようなもので切り裂いた。
『ぎゃああああああああっ!』
魔道士の体はぱっくりと開き、切り口から血が噴出した。パニックに陥る冒険者達を、影の怪物は次々に屠っていく。【アポロン・ファミリア】や他派閥は、暗闇の中で状況も掴めずに、ただただ一方的に蹂躙されていく。
「っ…!退却だ!総員、どこでもいい、安全な場所へ逃げろ!これよりアポロン・ファミリアの庇護は、受けられないものと思え!!」
トゥリウスはそう告げて、暗闇の奥へと駆け出した。生き残った【アポロン・ファミリア】は愕然とした表情で彼の後を追った。
そして残された冒険者達は【アポロン・ファミリア】への悪態をぶち撒けながら、あるいは死の淵の絶叫をあげながら、どこかへと散らばっていった。
●
暗闇で休息を取ろうとした【アポロン・ファミリア】とは異なり、【ガネーシャ・ファミリア】に率いられた冒険者の一団は闇の迷宮を進み続け、最速脱出を試みていた。
彼らは何手にも分かれて
彼らは一旦洞窟の前で止まった。そしてリーダーの男は俊敏な小人族のシーフに、洞窟内の様子を見てくるように命令した。
髭面の小人族は松明を持って洞窟に入っていった。そして間を置かずに、すぐに部隊の元へと戻ってから言った。
「怪物の臭いがひでーや。まちげーなく奥にヤバいなにかがいらぁな。んでも、洞窟じてーはそんなに深いもんじゃねーで」
リーダーの男は報告を受けてから少しの間考え込んだが、すぐに唸るような声で指示を出す。
「なら、陣形を組むか。洞窟内の怪物を誘い出して、この場所で集中砲火だ。よっしゃあ、お前ら気合いれてけ!出口はすぐそこだと思え!」
大声を挙げて気合を入れた冒険者達は、早速魔道士を中心に後衛を組み、盾役を大量に前線に配置して弧を描くように陣形を作る。そして戦闘中に光源をしっかりと確保出来るように、松明を沢山作って地面に突き立てた。
「よっしゃあ。準備は出来たか。釣りは俺がやるぜ」
リーダーの男はそう言って陣形の中で胸を張る。彼に同じ【ガネーシャ・ファミリア】の男が声を掛ける。
「ニコラス、頼んだぜ。ヘマだけはしてくれるなよ」
「バカ野郎…ルシオ。どんだけ場数を踏んでると思ってやがる」
二人は笑いあった。
このやり取りは、強敵に挑む際の常となっていた『儀式』だった。未知の恐怖に心が折られないよう、緊張をポジティブな自信に変えられるよう、彼らはいつもこのやり取りを欠かさなかった。
その儀式を終えたニコラスは、無言のまま洞窟に入って行った。暫く何も起きなかったが、突然獣の大きな声が轟き、彼がとてつもない勢いで吹き飛ばされてきた。
前線の盾で受け止められたニコラスは、多量の血反吐を吐き出して悶え苦しんだが、仲間に抱えられて、命からがらに陣形の外まで連れ出された。
『………シルバーバック、だよな?』
【ガネーシャ・ファミリア】は思わず息をのみ、異形の怪物を見上げる。
その怪物は、姿形はシルバーバックそのものだったが…サイズが大違いだ。
「バカ野郎ッ!さっさと魔法を打ち込んじまえ!!!」
ニコラスの叫びによって、魔道士達は目を冷ましたように魔法を発射し始めた。既に詠唱が完了しており、魔力の充填が終わっていた魔法の集中砲火が、巨大なシルバーバックを襲った。
『やれぇぇぇぇぇぇぇぇっ!』
幾つもの光や炎、突風や氷塊が怪物に降り注ぐ。
一分ほど続いた魔法の砲撃が終わり、地面を抉る魔法で発生した粉塵が舞う。
「嘘だろ、おい…」
土埃が収まると、そこには。
無傷の怪物が、凄まじい形相で冒険者達を睨んでいた。
「………っ!?」
ニコラスは大慌てで陣形の中心へ飛び込んだ。そして鞭を構え、大声で全員に命令する。
「【ガネーシャ・ファミリア】の連中は俺を援護しろ!腕に覚えのある連中もだ!それ以外はさっさと撤退しろ!こいつは雑魚の手に負える相手じゃねぇッ!!」
シルバーバックは目の前に飛び出してきたニコラスに、大きな腕を振り下ろした。
「うおおおおおっ!?」
間一髪で避けたニコラスだったが、頬に冷や汗が滴る。
「あと一発でも食らったら、やべぇ…」
その怪物が腕を振り下ろしただけで、地面には大きな穴が空いていた。その様子を見た冒険者達の殆どが恐れをなし、一目散に逃げていく。
残されたのは【ガネーシャ・ファミリア】数名と、腕に覚えのある冒険者が数名。
ニコラスは彼らが自分の後ろで武器を構えるのを見て、意を決する。
「……おめぇら、見てろ。俺がこいつを調教してやる」
「やめろ…逃げよう、ニコラス。こいつをやるには作戦が必要だ、引こう、ニコラスッ…!」
ルシオの懇願に、彼は耳を傾けなかった。そして鞭をしならせて、シルバーバックに飛びかかった。
●
「なんか悲鳴が聞こえた気がする」
その頃、未だに最初の洞窟付近に居た【テルクシノエ・ファミリア】は、木製のシェルターを三つ拵えており、丁度作業を切り上げて焚き火に当たり始めていた。
「気のせいだとは言えませんね。恐らくどこかのファミリアが襲撃されたのでしょう」
「そうかもな。とにかく、火を絶やさないように気をつけろ。火は獣を遠ざけるだけではなくて、気力も回復させる。人間には欠かせないものだ」
リリは頷いて、新しい薪を一つ追加した。
この日、ハムザとリリはずっと拠点作りに集中していた。不必要な枝を切り落とした木の棒を幾つも作ってから、地面を掘った。掘り起こされた土に木の棒を斜めに突き立て、簡易的な屋根を作る。そして穴の上に木の棒を敷き詰めてから、剥ぎ取った樹皮を敷くことで、ベッド付きシェルターが出来上がる。
作業の途中には怪物が襲撃に来たが、個体の強さは13階層のものと代わり映えせず、ハムザの敵ではなかった。だが、リリは口々にその数の多さを懸念していた。
個体の強さは大したことがないとしても、数が多ければどんどん厄介になる。それも日を重ねることによって、肉体的、そして精神的疲労が倍増していくだろうと。
そんなリリの意見を元に、【テルクシノエ・ファミリア】は長期戦への準備を整えていた。
モンスターが産まれ落ちる壁面に気を遣いつつ、周囲を丸太で作る防御柵で囲み、怪物の視野を遮ってしまえば守りが楽になるだろう。また、地底湖から流れる川が少し先にあったので、飲み水の確保に苦労することはない。問題は食料だったが、さすが森林型迷宮なだけはあって、果実肉やベリーなどが、ちらほらと散見した。リリの見立てでは、この周辺だけの食料で三日分くらいにはなるだろうし、少し先まで行けばもっと手に入るだろうとのことだった。
このようにして怪物を撃退し続け、命の回復を待つ。あわよくば他派閥と合流し、さらなる情報を得る。彼らの作戦は、根気よく、我慢強く耐え凌ぐというものだった。
暫くの間焚き火を見つめ続け、二人は沈黙していた。
焚き火は二人に安心感を与え、体を芯から温めていた。暫くすると命が起き上がって来て、深々と頭を下げた。
「本当に申し訳ありません、ハムザ殿、リリ殿…。私が不甲斐ないばかりに、お役に立つどころか、足手まといに——」
「いいから、いいから」
眉を下げ、美しさを捨て悲愴な面持ちを作る極東の剣士をいやらしい目つきで眺めながら、ハムザは彼女の言葉を遮る。足手まといになってくれた方が、随分と都合が良い。見知らぬ美人とお近づきになれるのならば、問題が起きる方がかえって好都合だ。きっと火の中に夏の虫が飛び込むのは、燃え盛る炎の中に苦しむ美女の幻影を見たからに違いない。
男というものは、ラッキースケベのためなら便所に篭ることだって厭わない。どぶの中にだって嬉々として身を潜めるものだ。ならばどうして、怪物の渦の中に居た彼女を見捨てることが出来ただろうか。
「悪いが、命ちゃん。謝罪の言葉なんかでは、詫びの気持ちは伝わらない。言葉なんて所詮は空気に過ぎないからな。だが命ちゃんが本当に礼をしたいのなら、手段はいくらでもある…俺の好みの手段が」
(危機をやり過ごし、己の知力と武力によって勝ち得た報酬――つまり美女とのセクロスは、紳士たる男が行使すべき正当な権利だろう…)
「いけませんよ、ハムザさま」
だが、そんな男の浪漫を引っぱたき、地面で悶え苦しむのを笑顔で踏み潰すのがリリだ。
「そういうのは、命様が元気になってからお願いしてください。リリ達は今、非常に危険な状況の中にいるのですよ」
命は二人の会話を理解できず、不審に首を傾げている。何か良からぬことを話している気配ではあったが、命は体調を戻すことに気持ちを集中させるため、目を閉じて再び横になった。
リリはハムザに夜番を任せ、自分も横になろうとした。シェルターに行こうと立ち上がった時、その目が見知らぬ人影を捉える。
「…誰か来ますよ」
ハムザは立ち上がり、遠くからその人物を見た。
に身を包み、しなやかに歩いている。どうやら女性のようだった。その女が近づいてくるに連れ、彼女がとんでもない美人だということが分かった。燃えるような赤髪を揺らし、蛇のような目で鋭くこちらを睨みつけている。
ハムザが前に出て、その女に立ちふさがった。
「敵ならここは通行止めだ。味方なら、その剣を下ろしな」
女は鼻を鳴らし、剣を持つ手を下げる。すると、剣先から血が滴り落ちた。
「…敵でも味方でもない。興味がない」
そう言って、辺りを見回した。彼女の目はシェルターを捉え、そこで眠る命に移り、最後に作りかけの防御柵で止まった。
「美女に興味がないと言われるのは、ショックがでかい」
ハムザは注意深く彼女の視線を追いながら、そう言った。
「…ここで何をしている?」
「そういう質問をする前に、まずは自己紹介をするべきだろう。二人の出会いに、乾杯」
だが、彼女はハムザには答えなかった。暫く無言のまま佇んでいたが、思い立ったように剣を持ち直した。
「…死ね」
一瞬で間合いを詰め、その女はハムザに拳を叩きつけた。異常とも言える程の速度で放たれた一撃は、ハムザですらかわし切ることが出来ず、腹部にまともに重撃を食らって倒れ込んだ。
リリは目前の光景に言葉を失っていた。あのハムザが、一撃で倒されてしまうなんて。相手はLv.3か、あるいはそれ以上ということか。
「………」
足元に崩れ落ちてピクリとも動かないハムザに、その女は不自然に視線を送る。だが、面倒臭そうに鼻を鳴らし、鮮血が滴る剣先を、ハムザの体目掛けて一気に突き落とそうと剣を掲げた。
その僅かの隙を見計らい、ハムザはくるりと手首を回し、女の太ももを斬った。
慌てて飛び退く女は舌を鳴らし、不愉快そうに目を細める。
「死んだふりとは、小賢しい奴だ」
「油断大敵だ。全く、お前は何者だ?」
女は剣を投げ捨てて言う。剣の代わりに拳を作り、指を鳴らしながら。
「お前こそ、一体何者だ。何故ここに居る」
「説明するのは、面倒くさいなぁ〜」
ハムザはまるでパーティの最中に踊るように、ひょうきんな調子でふざけてから、ゆっくりと手を掲げた。リリは息を呑む。
いつものおふざけだが…目が笑ってない。本気ということか。
右手を女へ向け、決然として魔法を放つ。絶対に使いたくないと言い張っていた魔法を、躊躇いもなく。
『【イェベン・ティ・マーテ――…】』
魔力が右手に収束し、呪詛が放たれるというその瞬間。
「ッ!?」
女は危機を察した獣のような速度で木の上へ飛び退き、荒い呼吸で瞠目した。
「こら、逃げるな」
突然飛びのいた彼女にびっくりしたハムザは、うっかり詠唱を止めてしまっていた。
「今のは…なんだ。あぁ、くそ。まぁ、もういいか…」
「おいおい、どういうことだ?やるのか、やらんのか?」
ハムザには答えず、女はくるりと背を向け、どこかへ飛び去ってしまった。
「魔法を使うつもりだったんですか?」
「あいつは、ヤバい奴だ。出し惜しみしてたら死んでいた。全く、厄介な奴が混ざってたもんだ。ありゃ、殺人狂だな。まともに会話も出来んらしい」
「どこのファミリアでしょうね…?」
「さぁな。とにかく逃げてくれたんだから、良しとしよう。ほれ、さっさとシェルターに戻らんか。見張りは俺がやっておくから、お前は出来るだけ眠るといい」