※この作品はR-18です。

ダンジョンに性交を求める眷属の物語   作:kuracjaponski

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第四章 -老魔法使い-

 

 翌日、ハムザが目を覚ますと既に十時を回っていた。いつもの五時起きから解放され心ゆくまで眠れたことで、体調がすこぶる良い。テント内では命とリリがのんびりお喋りをしていた。

 

 「あ、おはようございます、ハムザ殿」

 

 「おはようございます」

 

 二人に挨拶され、ハムザはのそりと起き上がる。大きく伸びをしてから、一つ欠伸をついた。

 

 今日はこれから命と模擬戦を行う予定だったので、ハムザは簡単な朝食を摘まんでから剣を取った。半日何をして過ごしたいかと昨夜命に訊いたところ、「模擬戦がしてみたい」と彼女は答えたのだ。

 

 しばらくのんびりしてから、二人は稽古の準備をする。金属音に目を覚ました主神が起きて来て、お腹が空いたとリリに言う。

 

 「おぉう、今日は命とデートか、ハムザ。それならリリ、私達もこれから出掛けよう。森の近くに良い空き家があるらしくてな、見に行きたいのじゃ」

 

 そろそろ引っ越しをというリリとハムザの願いは、最近になってようやく主神に届き始めていた。一時期は奇妙な彫刻を大量に買い込むという前歴があり、スペースを埋めることに関しては躊躇いのない主神にとっても、広い我が家を得ることは悪いことではない筈だ。

 

 「なんで森なんだ?」

 

 確かに、とハムザの問いに命は同調した。

 

 「住むなら街の中心に近い方が、何かと便利ですが……」

 

 「芸術神(ムーサ)は森に住むからじゃ」

 

 良く分からんな、とハムザは立ち上がる。それからリリとテルクシノエに手を振って、命と外へ出た。

 

 暖かい日差しが心地良い。冷たさの混じった風が通り過ぎる度、命の綺麗な髪の毛がさらさらと揺られた。美しい彼女の横顔に見とれながら、ハムザはのんびりと公園まで歩いて行った。

 

 公園では、【タケミカヅチ・ファミリア】の面々が集まり、主神のもとで稽古を受けていた。極東式の剣術は見ていて面白く、体の前で構えた剣を素早く振ったり、突いたり、払ったりしながら色々な型を繰り出している。

 

 タケミカヅチ派の面々はこちらに気が付き、全員がおーいと手を振った。主神が歩み寄ってきて、ハムザに握手を求める。

 

 「ようやく来たか、こちらはもう温まっているぞ。さぁハムザ、早速桜花と打ち合ってみろ」

 

 竹刀を手渡されたハムザは、どう持っていいか分からなかったのでいつものように片手で持った。だが、すぐにタケミカヅチに駄目出しをされる。

 

 「死に手だ。そうではない、こうやって正面から、傘を差すように持つのだ」

 

 言われるがままに手を持ち替え、取り合えず形になったので大男のヒューマン、桜花と対峙する。命は見守る列の中で、目を輝かせていた。どうやら自分の技を見るのが楽しみなのだろう。

 

 「手加減するつもりはないぞ、俺だってLv.2だ」

 

 桜花は睨みを利かせ、奇声を上げて飛び掛かって来た。

 

 「きぃぃぃぃぃぇぇぇぇぇぇ!!!」

 

 「うわっ…」

 

 突然の奇声にハムザはびっくりして、桜花の突進を回避した。人間とは思えない不思議な声を上げる大男。今のは何だったんだと開いた口が塞がらない。

 

 「逃げるな、黒い変態(ブラック・パーヴ)。行くぞっ!」

 

 「うぃぃいぃぁぁぁぁぁああっ!!!」

 

 再び繰り出される奇声に面食らいながらも、振り下ろされる竹刀を受け止め、手首を回転させて素早い突きを繰り出す。

 

 桜花はまるでその動きを見越していたかのように一歩後退り、突きは空を切った。

 

 すれすれの間合い。だが、ハムザの攻撃は僅か数センチだけ届いていない。完全に見切ったと、桜花はにやりと口元を歪めた。

 

 それから奇声と共に繰り出される素早い技の数々。全てをぎりぎりの所で捌き続けながら、ハムザは隙を見て胴に前蹴りをお見舞いする。

 

 「ぐっ……!?」

 

 桜花は一撃をもろに受け、後方へ吹き飛んだ。彼はすぐさま立ち上がり、声を張り上げる。

 

 「反則だ!」

 

 だが、タケミカヅチは腕組みをしながら、彼の言葉を否定した。

 

 「これは剣術練習ではない、模擬戦だ。桜花、枠にとらわれずあらゆる手を想定しなければ、冒険者を相手に一本取ることは難しい」

 

 良かった、とハムザは安堵する。相手は何か油断していたようだ。取り合えずこれで一勝。勝ちには違いない。続いての相手は命だった。

 

 「はじめっ!」

 

 タケミカヅチの合図と共に、命は懐へ急接近を試みる。ハムザは突きを繰り出して牽制するも、命は優れた動体視力で竹刀の軌道を読み切り、そのまま一直線に懐に潜り込んだ。

 

 だが、命の顔にハムザの膝が飛ぶ。思わず後方宙返りによる緊急回避をするが…ハムザは飛び上がり、空中で一回転してから追撃をお見舞いした。

 

 「ぐっ……!?」

 

 何とか竹刀の攻撃を小手で防いだ命だったが、着地の態勢が崩れ、そのまま地面に叩きつけられた。

 

 「…いっぽぉぉぉーーぅん!!」

 

 タケミカヅチの不思議な奇声と共に、模擬戦は終了する。どうやらまた勝てたようで、ハムザは安堵した。

 

 「…命ちゃんでも勝てないなら、私には無理かなぁ~…」

 

 千草はもう戦意喪失しているようだった。タケミカヅチはしげしげとハムザを見つめ、腕組みを解き、なるほどな、と首を縦に振る。

 

 「単純なステイタスの差だけではないな。見事な技の冴えと状況判断だ。才能だけではなく、経験が豊富なのだろう。あらゆる武術を収めた相手との実戦経験がな」

 

 生まれはどこだ、と問うタケミカヅチを軽くあしらって、ハムザは命の手を取り体を起こしてやった。

 

 「流石です…お強いとは思っておりましたが、まさか秒殺されてしまうとは」

 

 肩を落とす命に、励ましの言葉を投げかけてやる。

 

 「まぁなに、訓練を重ねれば誰だって強くなる。今日は飽きるまで打ち合ってやるよ。椿の奴とやるよりは、遥かに楽だからな」

 

 命ははにかんだ笑みで俯きながら、恥ずかしそうに顔を上げる。

 

 「私は…強い方が好きです。だからきっと、ハムザ殿に打ちのめされる度……いえ、なんでもありません」

 

 ●

 

【タケミカヅチ・ファミリア】との模擬戦後、命は午後をハムザ達と過ごすことにした。二人は途中でじゃが丸クンを買い、本拠まで歩いて行く。歓楽街に入り、裏通りを歩いて行くと…異変に気が付いた。

 

 人だかりが出来ている。本拠がある方面から、黒い煙が立ち昇っていた。思わずハムザは駆けていた。角を曲がり、一直線に走っていくと…燃え盛るテントを前に泣き叫んでいる主神の姿が目に飛び込んできた。

 

 慌てて駆け寄った。

 

 主神の背中を摩りながら、リリが「大丈夫、大丈夫ですよ…」と声を掛けている。

 

 「一体何事ですか!?」遅れて命もやって来た。

 

 目の前には、慣れ親しんだ本拠が炎に包まれて黒煙を吐き続けている。そして、涙に濡れる主神の足元には…彼女の一番の宝物だった額縁が、ばらばらに散らばっていた。

 

 「私の…私の子供たちの…け、傑作が!」

 

 主神は手を血まみれにしながら、ガラスのかけらを集めて繋ぎ合わせようとしていた。だが、それが無駄な努力なのは一目瞭然だった。どうやら三人が書いた詩や俳句は、全て燃えてしまったらしい。加えてリリが昨日お婆さんからもらった花束も、火に包まれてしまっただろう。あんなに蕾が咲くのを楽しみにしていたのに…。

 

 「誰がこんなことを?」

 

 「【アポロン・ファミリア】です」ハムザにリリは簡潔に言う。

 

 「昨夜の腹いせのつもりでしょうが…こうなっては、黙っている訳にはいきません」

 

 ハムザの中で、静かな怒りがめらめらと燃え始めた。【アポロン・ファミリア】め、戦争がしたいのか?自分達にちょっかいを出して、無事でいられるとでも思っているのか?

 

 愚かだ、あまりにも愚かな連中だ…。

 

 拳を握りしめ、ハムザは泣き濡れる主神を抱きかかえる。

 

 「リリ、命、ついてこい。もうここは本拠には出来ない。拠点を移そう」

 

 「嫌じゃ!嫌じゃ~!わたしの…ひっく…うぅ~!」

 

 暴れる主神を無理矢理抱えて運び、野次馬に怒鳴り散らしながらハムザはメイン・ストリート方面へ走っていく。リリと命も、暗い表情で後ろから着いてきた。ハムザはギルドへ行き、エイナに簡潔に報告した。本拠が【アポロン・ファミリア】によって燃やされたと聞いて、彼女は青ざめていた。それから地下へ降り、旧牢獄まで主神を運んだ。レヴィスは全員の表情から異常事態を察知したらしく、興味深そうにハムザの行動を眺めていた。

 

 主神をレヴィスの隣の檻に入れ、ハムザは皆に告げた。

 

 「戦争だ。アポロン一派は全滅させる。これから俺達は強くならなければならん。各自、決戦に備えるように」

 

 状況をレヴィスにも説明してやると、彼女はつまらなそうに鼻を鳴らした。どうやら【アポロン・ファミリア】などには興味がないらしい。だが、そんなことはどうでもよかった。この【怪人】を手なずけてしまえば、大きな戦力になる。オラリオ全体を売ってでも、【アポロン・ファミリア】は壊滅させる。ハムザの頭には、それしかなかった。

 

 哀れな主神の姿を見ると、その想いは一層強くなった。

 

 「命、ここでレヴィスと主神の様子を見守っていてくれ。俺はリリを連れて、戦争に向けた準備をするぞ」

 

 「分かりました」と命は答え、主神の横に座り込んだ。背中を摩られると、主神のすすり泣きが地下に鳴り響いた。

 

 「ハムザ……」消え入るような声で、テルクシノエは言う。

 

 「仇を、討ってくれ…」

 

 あたりまえだ、と。眦を決して、ハムザはリリと地上へ向かう。

 

 根絶やしにしてやるぞ、愚かな【アポロン・ファミリア】め。

 

 

 「それで、どうするおつもりですか?」

 

 階段を駆け上がりながら、リリはハムザの背中に声を投げ掛ける。

 

 「やることは簡単だ。強くなるには、強い女とセクロスをしなければ。ついでにお前も強くならないとな…魔法、とか」

 

 一体何を考えているのやら、とリリは黙り込む。二人は受付に居るエイナを呼び出し、廊下の柱の影で会話を始める。

 

 「…何か、クエストはないか?魔導書(グリモア)が報酬だったり、それが買えるくらい高額なやつが良い」

 

 エイナは即座に首を横に振った。

 

 「そんな都合のいいクエストなんてないわ。それより、大丈夫なの…?本拠が燃やされたって、本当なの?」

 

 「あぁ、本当だ。アポロンがやった。でも、今はそんなことを話している場合じゃない。どうにか強くなるために、行動しなければ」

 

 う~ん、とエイナは顎に手を添える。それから、あっと何かを思い出した。

 

 「そう言えば、一つだけ興味深い依頼があったわね…クエストというよりかは…誰にでも出来る、少額報酬の依頼よ」

 

 「それはどういった物でしたか?」

 

 エイナは「本当に役に立つかは分からないけど」と前置きしてから、二人に言う。

 

 「稀代の大魔術師と呼ばれたオッティー・スタンコ氏の娘さんが…父の介護をする人手が欲しいっていう依頼が出してるわ。報酬は少ないんだけど…大魔術師オッティーと言えば世界中にある魔法書の半分は、その人が所蔵しているっていう噂もあるくらい…凄い人なのよ」

 

 ハムザは意味がよく分からなかった。オッティー・スタンコという名前は聞いたことがなかったし、そんな凄い奴がいるなら、どこかのファミリアに所属して大活躍をしている筈なのに。

 

 エイナの優し気な眼差しはそんなハムザの心の動きを読み取ったかのように動き、彼女は更に詳しく話を続けていく。

 

 「…何だっけなぁ。『魔法認知障害(マジック・ディメンティア)』っていう病気を患ってから…オッティー氏は一線を退いたの。それで、娘さんが屋敷を開ける時は…誰かにオッティーさんを介護して欲しいっていう依頼が、たまーに出るのよね」

 

 「なるほど」リリはもう理解したようだった。

 

 「上手くいけば蔵書の魔導書(グリモア)の一つや二つ、入手できるかも知れませんね」

 

 「でも、盗んだり、無理矢理奪ったりしたら駄目よ。ギルドから厳しい罰則が下りるから、絶対にね?」

 

 ハムザは頷いた。だが、場合によっては罰則すら辞さないだろうということは、リリもエイナも十分に理解していた。

 

 

 それから二人は依頼を受諾し、指定されていた屋敷へ行った。まだ指定時間まで余裕があった為、出迎えてくれたおばさんは二人にお茶を出す。

 

 「ありがとね、助かるわ。お父さんの病気はねぇ、ちょっと特殊で…。何も分からないのよ。食器の使い方も、トイレの仕方もね。それにふらふら出歩きたがるものだから、世話する方は大変でねぇ」

 

 そうですか、とリリは相槌を打つが、その目はしっかりと豪華な屋敷を隅々まで観察していた。ハムザも同様に、どこに魔導書(グリモア)が保管されているのかと首を回す。出来ればこの訪問を無駄足にはしたくなかったので、二人は何とか戦果を見つけてやろうと意気込んで来たのだが…だだっ広い応接間には豪華なシャンデリアと革製のソファー、頑丈そうな机が置かれているだけで、本の姿はどこにもない。

 

 「今日は娘の学区で授業参観があってねぇ、どうしても家を開けなきゃならなかったのよ。直前まで依頼受諾の知らせがなかったから、諦めかけていたんだけど…助かるわぁ」

 

 それから他愛ない会話に付き合ってから、おばさんはオッティー・スタンコが眠る寝室へ二人を案内した。オッティーさんは白い髭をたっぷりと蓄えた老人で、全身をベッドに縛り付けられて身動きが取れないようにされていた。

 

 「縛るのは可哀そうだけど、本人のためなのよ」

 

 おばさんは一つずつ拘束を緩めながら、一言二言二人に言った。

 

 「この前なんか、逃げ出して庭の雑草をむしり食べていたんだから」

 

 拘束が解かれたオッティーさんはむくりと起き上がり、だらしなく口を開け、生気のない白くなった目でぼんやりと虚空を見やった。

 

 「それじゃ、お父さん。私は出掛けますから、何かあったらこの人たちに言って下さいね」

 

 無反応な老人を置いて、おばさんは嬉しそうに「よろしく~」と言い残し、部屋を出た。取り残された二人はまじまじとオッティー・スタンコを眺める。

 

 「………」

 

 老人は無言のままぺろぺろと唇を舐め始めた。それから近くにあったティッシュを手に取り、口に放り込んだ。

 

 「な、なんだぁっ!?」

 

 ハムザは後ずさった。すかさずリリがもぐもぐとティッシュを食べる老人の口に手を突っ込み、ティッシュを無理矢理引っ張り出した。

 

 「うぇぇぇ…」

 

 べとべとになった手を拭きながら、リリはオッティーさんに言った。

 

 「ティッシュを食べてはいけませんよ。食べ物ではないのです」

 

 「………?」

 

 オッティさんはリリをしげしげと眺めた。それからリリに指を差し、虚ろな目で言った。

 

 「犬がいるぞ。おかしいなぁ、犬がいる」

 

 ハムザは思わず噴出した。空笑いをしながら、リリはその言葉も否定した。

 

 「リリは犬ではありませんよ、オッティーさん」

 

 それからリリは少し怒ったように腕組みをし、息を吐いてから部屋を見回した。

 

 「多分…お腹が空いているのではないでしょうか?何か食べさせて上げましょうか」

 

 「冷蔵庫に食事を用意してあると言ってたな」

 

 ハムザが部屋に設置されている冷蔵庫を開けると、そこには色々なゼリーのような液体がお皿に用意されていた。

 

 「…ジジイはゼリーしか食わないのか」

 

 「きっと嚥下能力の問題ですよ、ハムザさま。年を取ると飲み込む能力も下がるんです」

 

 そういうものかと納得しながら、ハムザはゼリーをスプーンでよそい、オッティーさんの口に突っ込んだ。

 

 「ごふっ…!?」

 

 オッティーさんはゼリーを噴き出した。急に食事を突っ込まれ、びっくりしたのだろう。リリはハムザからスプーンを奪い取り、優しく「ご飯ですよ~」と声を掛けてから食べさせてやった。

 

 もぐもぐと口を動かしながら、オッティーさんは食事を取り始めた。時折意味不明な発言をしていたオッティーさんだったが、数十分かけて完食した。もうこの頃には、オッティーさんはハムザのおもちゃになっていた。

 

 「なぁオッティーさん、目の前にいるのは何だろう?今通り過ぎたぞ?あっ、ここにも飛んでる、なぁ、これなんだろうな?」

 

 意味不明な発言をさせる度に面白いので、ハムザは適当なことを言い続ける。オッティーさんは始終無言のままだったが、たまに思い出したように変なことを喋るのだ。

 

 「……この人、幻覚が見えてる。変な人だなぁ」

 

 ハムザはそれはお前だ、と腹を抱えて笑う。もう『魔導書』なんてどうでもよくなっているようだった。それからリリはオッティーさんをトイレに連れていくと言った。ふらふらとベッドから立ち上がり、手を引かれて老人はトイレへ向かう。

 

 「ここから先はハムザさまがお願いします」と、リリはトイレの外で待つことにした。仕方がないのでハムザはボケ老人の手を取り、トイレに案内する。

 

 「終わったらちゃんと言うんだぞ」

 

 そう言って手を離した。オッティーさんはきょろきょろと見渡してから、立ってする方の便器に座り込んだ。それから、ズボンを履いたままぶりぶりと音を立ててうんちをした。

 

 「リリ、ヘルプ、ヘールプ!!」

 

 慌ててハムザがリリを呼ぶも、時すでに遅し。トイレは途轍もない臭いで満たされてしまっていた。

 

 だが、幸いなことにおむつを履いていたお陰で、最悪の事態は免れた。リリはぎこちない手つきで新しいおむつを履かせ、「もう疲れました」と言ってぐったりとソファーに座り込んだ。あどけない顔にまじまじと浮かんだ疲労の色に、介護の大変さがにじみ出ている。

 

 ハムザも同様だった。ボケ老人の介護がこんなに疲れるものだとは…これで報酬が五百ヴァリスなんだから、まるで釣り合ってない。誰も依頼を受けない訳だ…。

 

 本当に介護ばかりをしていても仕方がないので、ハムザは屋敷を散策した。だが、困ったことに殆どの部屋は空っぽだった。一人娘と老人の二人暮らしなのだろう。おばさんの部屋にも入ってみたが、これといって目ぼしい物はない。資産があるにしても、金庫に預けているのだろう。とてもこの屋敷に金目の物があるようには感じられなかった。

 

 リリのもとへ戻ると、オッティーさんは落ち着いている様子だった。ぼーっと虚空を見つめ続け、動く気配はない。

 

 「何か見つかりましたか?」

 

 首を振って答える。リリはそれを予期していたかのように、「やはりそうですか」と言った。

 

 「他人を家に招き入れることに抵抗がない人でしたから、セキュリティは万全だということです」

 

 ハムザは部屋を眺めてみた。彼の寝室には沢山の本が棚に並んでおり、もしやと思ったハムザはその一つを手に取ってみる。

 

 

 『魔法史に於ける変身魔法の存在と、その可能性』

 

 

 魔導書(グリモア)ではない。何となく著者を見ると、オッティー・スタンコと書かれていた。

 

 「おいリリ、このボケ老人、変身魔法について研究していたみたいだぞ」

 

 どれどれ、とリリはハムザの肩越しに本を覗き込んだ。それから何かを思い出したように機敏に動き、宝物を探す盗賊のような顔つきで本棚を調べ始めた。

 

 「どうしたんだ?」と問うハムザに「ちょっと待っててください」と答え、リリは順番に本の題名を調べ始めた。

 

 「『変身魔法の魅力』、『ゼロから始める変身魔法』、『とある変身魔法の目録』…。ありました、これです」

 

 一冊の本を抜き取り、リリはぱらぱらとページをめくる。そして変身魔法について言及されている項目を指差し、抜け目ない表情でハムザを見つめた。

 

 「この本、以前【ロキ・ファミリア】の本拠で読んだことがあります。変身魔法は危険な魔法として数えられるべき、ということが書いてありましたよ」

 

 「ふむ、奇妙な老人だな」

 

 興味を抱いたので、ハムザも本棚を調べ始めた。端の方まで行くと、日記帳のようなものが置いてあった。それを手に取って、ぱらぱらとページをめくってみる。

 

 

 『11月のある日。私はヴォイヴォディナ周辺にあるマルティクという寒村に来た。寒さが老いた体に堪えるが、残された時間が少ない。力を振り絞って、変身魔法の存在を確認したという手紙を送って来た老婆と会った』

 

 

 筆跡はしっかりしている。とても目の前で涎を垂らすボケ老人が書いたものには思えなかった。次のページを読む。

 

 

 『また無駄足だった。老婆は幻惑魔法にかかっており、お湯の沸いたポットを指差して『狸に変化した』と言い続ける。彼女の一人息子で、遺産を食い潰していた元冒険者の男に問い詰めると、彼は自分がやったと自供した。実にくだらない。私の最期の旅が、このように終わってしまうとは。ついに生涯存在を見つけることが出来なかったが…私は変身魔法の使い手が必ずいると、今でも確信している』

 

 

 「なぁ、リリ」ハムザは思わずリリに聞いてみたくなった。

 

 「変身魔法って、そんなに珍しいもんなのか?」

 

 当の本人も困惑しているようだった。

 

 「どうなんでしょうね」本を棚に戻し、肩を竦めて見せる。

 

 「昔のファミリアの記録や英雄譚には、似たような話は出てきますが…たまたま最近は少ないだけではないでしょうか?」

 

 「う~ん。変身って言っても大した魔法じゃないだろうけどなぁ」

 

 「リリもそう思います。意外とリスクがあるんですよ、別人に間違えられることで、良からぬトラブルに巻き込まれたこともありましたから」

 

 「ま、そうかもな」日記帳を閉じて棚に戻して~、ハムザはオッティーさんの目の前に立つ。

 

 「せっかくだから、ボケ老人の前で変身してみるか?」

 

 リリもその気だった。生涯をかけて探し続けた変身魔法を見たら、きっと喜ぶかもしれない。例えボケボケになって訳が分からなくても。

 

 「やってみますか」

 

 ぼうっとしているオッティーさんの目の前で、リリは魔法を詠唱した。

 

 「【シンダー・エラ】」 

 

 身体を包む光が消えると、そこにはアルミラージが立っていた。耳をぴょこぴょこと動かして、赤い目をぱちくりさせている。愛らしい姿の怪物だ。

 

 途端に、オッティーさんの曇った瞳に生気が漲ってきた。涎を拭い、目をこすり……オッティーさんは驚愕と共に勢いよく立ち上がった。

 

 「アルミラージじゃっ!??」

 

 慌てふためいて逃げようとする老人を捕まえて、ハムザは落ち着かせようと声を掛ける。

 

 「大丈夫、あれは人間だ。変身しただけだ!おい、暴れるなって、ボケ老人」

 

 「誰がボケ老人じゃっ!?」

 

 オッティーさんはハムザの頭を引っ叩いた。それからベッドの傍に立てかけてあった杖を手に取り、機敏な動きでハムザを叩き始める。

 

 「おいっ!ジジイっ、急に元気になりやがって!やめろ、馬鹿っ!」

 

 揉みくちゃになる二人。

 

 リリは大慌てで変身を解くが——その光景を目にしたオッティーさんはその場にへたり込み、夢見るような声で呟いた。

 

 「へ、変身魔法じゃ……」

 

 

 

 それから二人は魔術師オッティー・スタンコの病が急に治ったことを理解した。どうやらショックが頭の回路を繋ぎなおしたらしい。正常な認知能力を取り戻した老人はリリに何度も感謝の言葉を述べ、何度も変身魔法が見たいとおねだりをし続けた。

 

 「でも、どうしてそんなに変身魔法を探していたのですか?ありふれた魔法だと思いますが」

 

 数十回は変身してへとへとになったリリに聞かれると、オッティーさんはゆっくりと答え始めた。長年の夢であった変身魔法の発見に、老人は目に涙を浮かべながら。

 

 「それは大間違いじゃ。良いか、お二人。神に恩恵を授かる事で、地上の人間は新たな扉を開く。身体の強化、魔法の発現。これらは一貫して、とある目標を持っておる」

 

 少し間を置いて、オッティー・スタンコは続けていく。

 

 「神に近づくのじゃよ。つまり、恩恵を深め、器を昇華させ続けた先にあるのは…神に成るということじゃ」

 

 「神に成る、ですか?」リリは目を丸くして問う。

 

 「そうじゃ。魔法というのは、神の奇跡の再現に過ぎないのじゃから…その答えに気が付く者は少なくはない。後天的であれ先天的であれ、魔法の発現は神への第一歩。そして神の奇跡の中でも最も多く語られているのが…変身魔法じゃ」

 

 オッティー・スタンコさんは穏やかな足取りで歩き、戸棚を引き、ローブを引っ張りだした。それを着て、帽子を被り、大杖を持った。驚いたことに、そこに立つ人物には先ほどまでのボケ老人の姿の見る影もなかった。大魔導士然とした外観、厳めしい額、荘厳な眼差し。稀代の大魔法使いオッティー・スタンコがそこに立っていた。

 

 「大昔の英雄譚には如実に現れておる。女神アテナはテレマコスを説得するために別人に成り代わり、父親の捜索を彼に命令した。偉大なるゼウスは牝牛に変身し、美しきエウロペーをクレタ島に連れ去った。変身魔法の使用例は枚挙に暇がないのじゃ。それだけ強力であり、便利な魔法だということじゃな」

 

 「そうなんですか……リリはずっと、大したことがない魔法だと思っていましたが…」

 

 老人はすぐさま否定する。知性に満ちた蒼い瞳が、情熱できらきらと輝いている。

 

 「大間違いじゃ。死の魔法、復活の魔法、そして変身の魔法。これら三つこそ、真なる神の奇跡。変身魔法とは他の二つと同様とても希少で、素晴らしいものなのじゃ」

 

 「じゃあ、呪詛はどうなんだ?俺は精神疲弊にさせる呪詛を使えるぞ」

 

 ハムザを値踏みするように眺めた老魔術師は、白い髭を触りながら語る。

 

 「精神疲弊を招くというのはかなり強大な魔法じゃな。だが、変身魔法には及ばない。呪詛という点では、お主には死の魔法を扱う才能があるとも捉えられる。死の魔法こそ最強の呪詛じゃからな」

 

 「使い方には気を付けなければならんぞ」老人はリリに忠告した。

 

 「その手の魔法は、使うべき時に使うのじゃ。闇雲に使うよりは、出来るだけ使用を控えるのが賢明というものじゃな」

 

 「分かりました、そうします」リリは素直に頷いた。

 

 

 「——あら、お父さん、楽しそうにお話しているのかしら?」

 

 その時、おばさんが部屋に戻って来た。父の姿を見るなり駆け寄って、二人は抱き合った。

 

 「…戻ってこれたの、お父さん!」

 

 

 母と娘は長い間抱き合っていた。老魔術師は『魔法認知障害(マジック・ディメンティア)』に罹っていた時期について説明した。それは曇った硝子越しに隣の部屋を見ているような感覚で、細部までは状況を認識できないが、人々がどんな感情を持っているのかは分かる、とのことだった。

 

 娘が悲しんでいたのも当然分かっていたし、からかわれた時も、馬鹿にされた時も感情は動いていたと言う。そしてアルミラージの姿を見た途端、驚いた衝撃で硝子が壊れ、元に戻れたらしい。

 

 オッティー・スタンコは二人に感謝の言葉を述べ、古びた鍵をリリに手渡して言った。

 

 「私は余生を静かに過ごすとする。もう人生の目標は叶えたのでな…。その鍵を持ち、旧大聖堂にある聖リシャール像の彫刻を調べてみると良い。私の研究の全てがそこで見つかるだろう。好きに使いなさい」

 

 二人は謝礼の五百ヴァリスを受け取ってから、言われた通りに旧大聖堂を目指した。オラリオ西南部にある廃墟。神の降臨以降、使われることのなくなった宗教施設。二人がそこへ着くと、まず目に入ったのは無数の崩れた彫刻と、板の打ちつけられた正面門。

 

 建物は【ロキ・ファミリア】の尖塔群に劣らないくらい巨大だった。かつては豪華な場所だったのだろうが、今ではあちこちが崩れ、窓は割れ、鳥の巣が沢山作られていた。

 

 ハムザは無理矢理に補強板を引っこ抜いて、門を開いた。埃っぽい空気に満たされており、虫食いだらけの古びた絨毯の上を歩いて行くと、暗い内部の中に壁に添っていくつもの彫刻が居並んでるのが見えた。

 

 「…なんだか、不気味ですね」

 

 割れたステンドグラスから差し込む光が、蜘蛛の巣だらけの懺悔室を照らしていた。そこを通って、彫像の名前を一つ一つ確認していく。

 

 「聖フロリアン…聖フランチェスコ、ウィリアム王…三世。あ、あった、聖リシャール」

 

 リリがとことこと寄ってきて、入念に像を調べ始めた。

 

 「鍵穴は…ないですね。う~ん」

 

 リリは像をまさぐった。すると、がこん、と音を立てて像の右肩が沈んだ。

 

 大きな音が大聖堂に響き渡る。大理石の棺かと思っていた物がスライドし、地下への階段が現れた。

 

 「何か不気味だが…いくしかないよな」

 

 まず先にハムザが地下へ進んで行く。松明もなかったので、暗闇の中を手探りで一歩一歩降りていった。何十段か降りると、開けた場所に出たのが空気で分かった。後ろからやってきたリリがぶつかった。

 

 壁のあたりをまさぐり続けていると、ランプのようなものに触れる。スイッチを探すと…見つかった。電気の弾けるばちばちという音を鳴らしてから魔石灯の明かりがゆっくりと広がっていき、広い室内を照らしていった。

 

 「うわぁ……」

 

 リリは感嘆の声を上げる。そこは見事な図書館のようだった。張木の格子が石造りの建物に巡らされ、木製の本棚が理路整然と居並んでいる。中心には女神の彫像が置かれており、本棚は一階と二階とに別れていた。丈夫そうな机がいくつも置かれていて、机には溶けたまま固まった蝋燭がいくつもくっついていた。

 

 「これが研究の成果ってか?」

 

 適当に本を手に取ってみた。人を殴り殺せるくらい分厚い本には、錠がかかっていた。意匠をこらした革表紙には真っ赤な宝石が埋め込まれており、綺麗な文字が刻まれている。

 

 「これ何て書いてある?」

 

 リリはその文字を見て、あっと息を飲んだ。

 

 「魔導書(グリモア)ですよ、これ」

 

 リリはその棚の本を一冊ずつ調べあげた。なんと、横1M、縦2M程の大きさの本棚に敷き詰められた本の全てが魔導書だった。

 

 「…あのボケ老人、本当に凄い奴だったんだな…」

 

 ハムザは椅子に座って、もう一度周りを見回した。見事な図書館だ。もしかしたら、この図書館をリヴェリアに贈ってやったら喜ぶかもしれない。どうせエルフなんて本が好きに違いないし、あわよくばおっぱいを揉む約束の後、本番に持ち込めるかもしれない。

 

 「よし、良い物を手に入れた。リリ、魔法を覚えておけ。もう一つくらい持っていても損はしないだろう」

 

 「でも…」とリリは魔導書を片手に首を傾げる。

 

 「全部、鍵が付いていますよ?」

 

 「あのなぁ、オッティーさんから鍵を貰っただろ?それを使ってみろよ」

 

 あぁ、そうでしたとリリは鍵を取り出して、錠に差し込んだ。思った通り、それは魔導書(グリモア)の鍵だった。

 

 「では、一つ持って帰ります。一度テルクシノエ様達と合流しましょう、そろそろ心配し始める頃でしょうから」

 

 

 リリもハムザも、老人の世話や大聖堂の探索で少し疲れてしまっていた。だが、地下牢に戻った時の命ほど憔悴してはいなかった。レヴィスの一挙手一投足に注意を払い続け、女神の慟哭に律儀に付き合い続けた結果…命は今にも倒れそうなくらいふらふらになってしまっていた。

 

 なのでハムザは命にまた明日来るようにとだけ伝え、本拠に帰らせた。それから主神には今日あったことを伝えるが、彼女は未だに泣き続けていたので会話にならなかった。

 

 ハムザがリリと今後について議論をしていると、隣の檻からレヴィスがこちらに向かい、声を掛けてくる。

 

 「お前達の状況が芳しくないのは分かった。だが、腹が減った。何か食事を持ってこい」

 

 仕方がないのでハムザはレヴィスと夕食を探しに行くことにした。こんな牢屋では料理などは出来ないので、何かを買って来なければいけない。

 

 ローブに全身を包ませて、レヴィスを外まで連れていく。出来るだけメイン・ストリートから離れた場所を歩き、ハムザは五枚ピザを買った。冷めないようにそそくさと帰ってくると、リリの笑顔が飛び込んできた。

 

 「魔法を覚えましたよ、今、テルクシノエ様にステイタスの更新をして頂きました」

 

 「おぉ、そうか」ピザを配りながら、ハムザはリリに聞く。

 

 「それで、どんな魔法だったんだ?」

 

 満面の笑みでリリは答える。

 

 「魔法名は【レーテー】といいます。効果は…忘却魔法です」

 

 「…忘却魔法?結構えげつないんじゃないか、それって…?」

 

 そうかもしれませんね、とリリは微笑んだ。

 

 「使い道は十分に考えますよ。でも、何だか思い直しました。きっとリリは戦闘ではお役に立てなくても、他のことならうまくやれると思うんです。卑屈になるのは、もうやめにします」

 

 リリの吹っ切れた顔は、とても明るく魅力的だった。

 

 

 

 

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