fantôme de l'Opéra 出会い 作:木桜 春雨
そしてヒロインの罪の告白。
エリックだ、名前を呼んでくれないか」
少しでも近づきたい、距離を縮めたいと男は自分の事を名前で呼んでくれるようにと頼んだ。
そして暇さえあれば彼女の部屋を尋ねた。
少しでも近づきたいと思ったからだ、そして、拒絶されない限り、彼女を抱いた。
といっても最初の夜のような全身汗だくになり、獣のような欲望をむき出しで溺れるような行為は避けた。
「ベッドを作り直すって」
その日は男は朝食をすませると女の元を訪れ、仕事に取りかかった。
ベッドを作り直すと言うと女は何故と不思議そうに尋ねた。
二人で過ごす夜が事が増えてきたからだと言いかけたが、最後まで口にするのをしなかったのは多少の恥ずかしさがあったからだ。
「近いうちに友人がやってくる、会ってくれるだろう」
「ええ、それは約束したでしょう」
「君の事をなんと言って紹介しよう、同居人と説明しても納得しないかもしれない」
「そうね、私娼というのは」
男は叫んだ、娼館の女でも、許可証を持たない、金の為ならどんな人間だろうと相手をする、そんな女と目の前にいる女を同じだと。
「恋人では、駄目か」
「駄目でしょう」
優しい声だが、きっぱりと言われてしまい男は内心落胆した。
「愛してはくれないのか」
抱き合って、キスも、体も、一線を越えたというのに。
「あなたがオペラ座の怪人で地下に隠れ住んでいるからというわけではないの、理由は別にあって」
言葉が最後まで続かなかったのは抱擁とキスのせいだった。
「何故、教会で会うんだ、ここでは駄目なのか、エリック」
彼女の希望なんだと仮面の男はわからない、何故、急にそんな事を言い出したのかと困惑気味に答えた。
「その女性は記憶がないというが、外国人という以外何かあるのか」
「何かとは」
「外見的特徴だ、記憶がないというが、もしかして捜索願いが出ているかもしれないだろう」
「心当たりがあるのか」
「いや、君の話を聞くと女性にしては色々なことを知っている、学校は無理でもちゃんとした教育を受けているように感じる」
仮面の男は無言になった、出会いからして普通ではなかったので、そんな事を気にも求めていなかったのだ。
「市井の人間なんだろうか、もしかして、どこかの貴族の」
「囲い者か、愛人だというのか」
「あり得ない事ではないだろう」
「いいや、彼女は初めてだった、男を知らなかった、囲い者、愛人だと侮辱だぞ、その言葉は」
「エリック、君は」
ナーディル・カーンは驚いた。
そして君は彼女と、そういう関係なのかと問いつめるように尋ねた。
「ああ、寝たよ、彼女を抱いた何度もだ、そして夜を過ごしている、言っておくが」
「わかっている、ペルシャにいた頃の君を知っている、どれほどの罪を犯しても、女性に対して、君は、それだけは」
「ああ、よくわかっているじゃないか」
やはり、この男は自分をよく知っている、殺さないでおいてよかったと思いながら、正直、不安になった。
貴族が外国人を淫猥な怪しい宿や阿片窟で売買して愛人として買っているという話は今でもよく聞く。
彼女がそんな環境の下にいたら、それが嫌で逃げ出してきたのだとしたらどうだろう、あり得ないことではない。
このとき、男は不安を覚えた、ナーデイル・カーンの言葉はあり得ない事ではないからだ。
嘘をついていたとしても、それが身を守る為のものだとしたら責めることができない。
三日後に教会で会うという約束をしたことを、このときになって男は後悔していた。
初めて出会ったときと同じ服装で女は外に出るという女の言葉に最初のうち男は首を縦には振らなかった。
ドレスを仕立てたとしても数日はかかるから間に合わないのとはわかっている、なら、オペラ座の衣装部屋から拝借して、せめて女性らしい格好をと思ったが、女は激しく拒否した。
そうでなくとも自分の白髪は目立つ、ひらひらとしたスカート姿で外国人だとわかれば尚更、奇異な目で見られる。
そういわれると男も強くは言い返すことができなかった。
自分の名前を思い出せないのです、気がついたら真っ暗な地下下水道に迷い込んでいて、歩き続けていました、そして、この人に助けられたのです。
淡々と話す女の言葉をナーディル・カーンは黙って聞いていた。
「あなたは自分のことを何も覚えていないというのですか、マドモアゼル、その、なんとお呼びしたらいいのか」
「ナーディル・カーンさん、あなたは自国で警察長官という立場だと聞きました、では、ここではパリではどうなのでしょう」
「正式にという訳ではありませんが、要請があれば頼まれて仕事をすることもあります」
女は頷いた。
「あなたは捜していたのではないですか、そして今、目の前にいると確信しているのではないですか、ごめんなさい」
女は最後の言葉、ごめんなさいは仮面の男に向けられたものだった。
女はナーディル・カーンに向けて女は両手を差し出した。
一ヶ月前にパリの街で火事が起きた。
貴族の館が燃えたのだが、犯人は捕まらなかった。
「火をつけました」
その告白にナーディル・カーンは、女ではなく自分の隣にいる男、仮面の男に視線を向けた。
「エリック」
だが、男は答えようとはしなかった。