マールの街の馬車通用口を潜ってそのまま直行したフランの病院は、名医が営むにしてはずいぶんとこぢんまりとした、診療所と呼ぶのが相応しいくらいの平屋の建物だった。
診察室や処置室、1部屋しかない病室よりも、その奥にある生活スペースの方が広いのだ。
ちなみにドッペルゲンガーには地球の迷彩服や戦闘服ではなく、フランのリクエストでこちらの世界の男が着る服を補給要請で召喚して着せてある。
動きやすいが露出を控えたそのキジュメナとかいう服一式は、製薬などを生業とする事を夢みるそれに向いたクラスを持って生まれた男が、師である医者や薬師に帯同してフィールドワークに出る時などによく着られる服なのだそうだ。
フランの家の生活スペースのリビングに落ち着くと、慣れた様子でミリアがメシを作ると言ってすぐに立ち上がる。
ついでのように棚から灰皿を出して俺の前に置いてくれたので、病院に併設されている家ではあるが禁煙する必要はないらしい。
「世話になるなあ、先生」
「こっちも夜のお世話をしてもらうから、お互い様よ」
「へえ。昼までは、あんな怒ってたのにか」
「それとこれとは話が別だもの。で、ドッペルゲンガーをどうするの? 私の仕事中はミリアの蔦で本体が拘束されてるから、ドッペルゲンガー単独で冒険者としてレベル上げ?」
「昨日から、1度もモンスターを見かけなかったからなあ。そんな平和なこの辺りで、経験値や金を稼げるんかよ?」
「私やミリアくらいのレベルになると、街道辺りをうろつく弱いモンスターはあちらの方から避けてゆくのよ。カズヤくんレベルなら、普通に姿を見かけるし襲っても来るわ」
「ほんじゃ、レベル上げと生活費稼ぎかねえ」
俺とフランの前に木製のジョッキが置かれる。
泡が見えるので、エールだ。
「サンキュ、俺の天使ミリア」
「や、やめてってば。こんな時間から」
「夜ならもっと言ってって事ね」
「ははっ。しかし、生活費と治療費をなんとか稼いで渡さんとなあ」
「だから気にしないでって言ってるでしょ。ねえ、ミリア」
「そうね。あたしもフランも、10級の冒険者からお金なんて受け取るつもりはないわ」
「でもなあ」
「おまけに落ち人だしね。こっちじゃ落ち人は、無条件で大事に扱われるから。たまにその信奉者なんかもいて、普通に生活費なんか受け取ってたら私とミリアが因縁をつけられるわ」
「なんで、落ち人ってだけで大事にされなきゃいけねえんだよ?」
「目立たず生きて死んでゆく落ち人も多いけど、何かしらやらかして人の心を惹きつける落ち人が多いからよ」
「俺ぁそんなのはゴメンだね。まあとりあえずドッペルゲンガーのオートモードを試すついでに、ミリアのメシの準備でも手伝ってもらうか」
フランが握っている俺の手に少しだけ力を込め、ミリアには視線で合図して、何かあったら遠慮なく拘束なり攻撃なりしてくれと伝える。
2人が頷いたのでソファーの横に立たせたままのドッペルゲンガーをオートモードにすると、俺の顔をした少年はまずニヤリと笑った。
「よう、オリジナル」
「へえ。自分が紛いモンだって自覚はあるんかよ?」
「ふざけんな。オマエはオレで、オレはオマエさ。便宜上、オリジナルって呼ぶだけだ」
「反意は?」
「ねえよ。オマエを殺せば、オレも死ぬ。そうすんのは、オマエが赤目以下のクソ野郎にまで堕ちた時さ」
「そうかい。なら、心配ねえな。メシの準備をするミリアを手伝ってやってくれ。赤目の記憶があるんなら、行軍や野営の知識もあるんだろ。手伝いくれえはできるはずだ」
「任せろ。行こうぜ、ミリア。なんならキッチンで、ナカにたっぷりと注ぎ込んでやるよ」
「……俺の許可なくミリアと先生を抱くのは禁止な。どうしても女が欲しけりゃ、単独での稼ぎに慣れたらオートモードで狩りに出してやる。そん時に女でも漁っとけ」
舌打ちを残して、ドッペルゲンガーがキッチンと思われるドアに1人で消える。
「さすが、カズヤくんの分身ねえ」
「人格の再設定って、できねえんかな……」
「自分で自分の性根を叩き直すしかないでしょうね」
「ミリア、なんかされそうになったら蔦で拘束すんだぞ?」
「平気よ。いくら落ち人でもレベル28、しかもその3分の1の能力しかない男の子にどうこうされるはずがないわ」
「ならいいけどよ。まあ、オートモードでもその視界はウィンドウに表示されてっし、意識を向けりゃ声も聞ける。なんかありゃ駆けつけるよ」
「そうなったら私の手は離れてるから、ミリアはドッペルゲンガーと薬で射精したくてたまらない本体に2人がかりで犯されるのね。楽しそう」
「ねえよ、タコ」
……ありそうで困る。
ミリアもキッチンに向かったのでエールで唇を湿らせてタバコを咥えると、フランが生活魔法の火種を出してくれた。
「サンキュ。マッチは片手じゃ使いづらくてな。明日は、オイルライターにしとくか」
「なんなら今すぐにMPを回復してあげるけど?」
「後でいいさ。どうせヤリまくるんだろ?」
「夜が明けて朝になるよりも当たり前ね」
「へいへい。まあメシを待ちながら、この辺りの狩り場事情でも聞かしてくれよ。元冒険者なら、かなり役に立つ話が聞けそうだ」
「ええ、いいわよ。28ならニュービー学院は卒業してるレベルだから、まず草原で採取しながらオオカミとゴブリン。それが余裕そうなら、オーク狩りかしらね」
ニュービー学院とはダンジョンと呼ばれる魔窟で、ここマールの街にあるそれは、レベル1から最初にスキルが増える25までのレベル上げにかなり適した場所であるらしい。
このグラン地方には4つの街があるが、そこの義務教育を終えて防壁の外に出る職業、兵士や各学業分野の実務志望者、木こりや漁師、他の地方ならチンピラのような存在ではあるがいざ事あらば戦闘に参加する予備役のような冒険者になる事を選んだガキ共を、学校を卒業したらこのマールへ送って、補助金まで出してレベル25まで育ててから就業させているそうだ。
前にグラン地方の中心都市であるグランドールに本店を構えるニムがこの地方の冒険者はレベルが高いと言っていたのは、そういう理由だったのか。
「なんか思ったより、しっかりまとまってんだな。こっちの人間は」
「グラン地方が特別なのよ。小さかったけど、元は1つの国だったんだし」
「それも落ち人が?」
「ええ。だから気をつけなさい。4つの街には、それぞれ領主がいるわ。グランドールだけは議会があってそれが政治を司っているけど、領主である元王族は今でもグランドールからではなくグラン地方からの追放権を持っているの。落ち人だと知られれば、かつての栄光を取り戻そうとカズヤくんを取り込みにかかるでしょうから」
「他の落ち人は知らねえが、戦争しか知らねえ俺に何ができるはずもねえよ」
「領主達もそう思ってくれればいいけど」
政治なんてのは、マトモな神経で関わっていられるものじゃない。
それは中尉という立場から東日本陸軍を見ていただけでも、身に染みて知っている。
「そんなのに巻き込まれるのはゴメンさ。俺は戦って金を稼いで、夜にはこうやっていい女のおっぱいでも揉みながら酒を飲めりゃそれでいい」
「んっ、もう。いきなりおっぱいを揉むなんて、いけない子ねえ」
「こんな巨乳をしてる先生が悪いのさ」
腰に回した手を上げて形のいい巨乳のずっしりとした重みを楽しみながらエールを飲んでいるとドッペルゲンガーがツマミを運んできたが、肩を竦めて見せただけでキッチンに戻っていった。
「ところで、ドッペルゲンガーには銃を持たせるの?」
「それは悩んでる。銃だけじゃなく、小さなのだけど地球の乗り物も出せるからな。ただ、どう考えても目立つ」
「そうよねえ」
「だからこっちの世界で使っても問題なさそうなモンを先生とミリアに判断してもらって、しばらくはそれを持たせて仕事に出すかな。フル装備で動くのは、誰が何を言ってきても対処できる本体の俺がいる時だけだ」
「それが安心ね」
目的はとりあえず生活費。
ドッペルゲンガーが獣やモンスターを倒して、本体に経験値が入るならさらに良し。
服はあのままでいいとして、装備は短剣にボウガン。それからカゴを背負わせて。
「なあ、ドッペルゲンガーって腹が減ったりするんか?」
「ないみたいよ。本体が満足していれば、それで大丈夫。水分の補給や睡眠もね」
「……まるで、生体兵器だな」