蔦に縛られて、壁に寄りかかっている。
ここはフランの家のリビングではなく、ベッドルームだ。
患者を診るより、治療方そのものや医者が処方する薬剤の研究が主な仕事だというフランは、俺にいくつかの薬を与えてからスキルだか治療魔法だかで毒抜きを施し、研究室を兼ねているという診察室へ向かった。
この朝も美味いメシを俺達に作ってくれたミリアは、掃除なんかをしてから買い物に出かけるのでもうこの部屋にはいない。
「へえ、ずいぶんとお行儀のよさそうな冒険者ギルドじゃねえか」
ドッペルゲンガーがギルドのドアを開けて中に足を踏み入れても、酒場スペースでジョッキを呷る女冒険者達からは野卑な言葉が上がらない。
視線こそ痛いほど集めてはいるが、静かなものだ。
ミリアの話ではブラックスミスの街の兵士達の前で犯罪者2人を俺が自分の手で始末したので、冒険者の昇級に必要な特別貢献度が上がっているらしい。
なので迷わず、業務カウンターに足を向けた。
「ええっと。男性が冒険者ギルドにどういったご用向きでしょうか? 依頼でしたら役場にある、冒険者ギルド出張所で承ってますけど」
「こんなでも冒険者でね。ギルドカードの書き換えを頼みたい。これだ」
「はぁ。でも街を渡るだけならいくらでも方法があるので、貢献度なんて1も上がりませんよ?」
「変化なしならそれでもいいさ。相場のボードを見てるから、終わったら呼んでくれ」
「じゃあ、確認だけ」
「ああ」
あの街の冒険者ギルドと建物内はほぼ同じで、入り口の正面の壁には依頼書が所狭しと貼られたボードと、付近で採取可能な草花や狩猟の獲物の買い取り値段が書かれた黒板がある。
その黒板の前に移動して、今日の獲物の相場をまず確認した。
ミリアとフランのアドバイスで草原での狩りよりは歯応えがありそうだと、初日は水運の盛んな川の向こうにある沼地へ出かける事に決めてある。
大蛇のモンスター、ナタルンダの皮が完品で5000D。
この世界で初めて女を抱いて得た金と同じ額が手に入るそれは、見つけてもまだ手を出すなと2人にキツく言い含められていた。
なので狙いは、その下に名前が書いてあるフロッギーとポイズン・フロッグ。
フロッギーは薬の材料になるという目玉1つが100Dで、ポイズン・フロッグは食用になるその舌を根元から切り落とした物が1本300D。
肉も腿と肋の辺りなら骨1本ごと周りの肉を持ち帰れば100Dだそうだが、解体して運ぶ手間を考えたら他の獲物を探した方がいいらしいので、舌だけ取ってそのまま放置する予定だ。
フロッギーはポイズン・フロッグを食うし沼地に狩り尽くせないほどいるから、それでいいらしい。
どちらもドッペルゲンガーが俺が召喚した武器を使えば問題なく狩れるそうだが、ナタルンダが姿を見せたらそのエサであるフロッギーとポイズン・フロッグは諦めて沼地を離れると約束させられている。
そんなんでいくら稼げるやらと本体で溜息を吐くと、業務カウンターの方から叫ぶような声が聞こえた。
「せ、先輩っ。10級から7級への一足飛びなんて、何かの間違いじゃないんですかっ!?」
そう大声で喚いたのは、ドッペルゲンガーがギルドカードを渡した若い女の職員だ。
舌打ちをしてカウンターを見遣ると、先輩と呼ばれた女がすまなそうに頭を下げてから立ち上がる。
「カズヤ・ホリノウチさん、お待たせしました」
俺がカウンターに歩み寄ると、女はまず後輩の不手際を詫びた。
そうしてから犯罪者を2人斬った功績で、俺が7級へ昇格したと事務的に言葉を繋ぐ。
いきなり7級とは少し驚いたが、ミリアとフランが楽しみにしてろと言っていたのはこれか。
「そんじゃ、俺もあの依頼書をここに持ってくればそれを受けられるって事か」
「はい。まずは依頼に関する説明をするのでおかけください」
「いらねえよ。おせっかいな先輩冒険者に聞いてるんでね」
「いえ、規則ですから。どうしても聞きたくないとおっしゃるのでしたら、ホリノウチさんに依頼を受けていただくわけにはまいりません」
「……わあったよ。聞こう」
「ありがとうございます」
女の対面にあるスツールに腰を下ろす。
依頼の受け方や完了報告の仕方、それだけでなく依頼を受ける際の注意点までミリアとフランに聞かされているので、わざわざ職員の話を熱心に聞いたりはしない。
聞くフリをしながら、頑迷そうに結ばれた淡い色の唇や、地球で言うメイド服のようなギルドの制服を押し上げる、Dはありそうな胸のふくらみに目をやっていただけだ。
「……以上です。ご理解いただけましたか?」
「ああ。たっぷりと堪能させてもらった」
「は?」
「なんでもねえさ。今日はこの街での初仕事なんで、依頼は受けず狩猟だけを目的にする。また戻ったら換金を頼むよ」
「先程は新人が失礼いたしました。重ねてお詫びさせていただきます。どうかお気をつけて。あなたに、狩猟神様のご加護がありますように」
「ありがとよ」
こういうマジメそうな女を、余裕なんて欠片もなくなるまでアヘらせるのがいい。
そんな事を考えながらスツールを離れると、40になるかならないかといった女が煙管を咥えて俺を待っていた。
女冒険者がよく着ているビキニ型のレザーアーマー姿で、大きな弓を背負っている。
この世界の女は髪色に属性が現れる者が多いと聞いているから、緑色の髪をしたこの女はミリアも使える風属性魔法を操るのだろう。
たしかに、弓とは相性がよさそうだ。
「はじめましてだな、坊ちゃん。このマールの街の冒険者ギルドに世話役を任されてる、アガサってババアだ。茶を1杯だけ付き合ってくれるかい?」
「ああ。グラン地方には世話役ってのがいて、それには敬意を払って接しろとおせっかいな先輩に言われてる。ケツを撫でながら茶を飲むくらいならいいぜ。まあ、撫でるのは俺の方だが」
「その言葉のどこに敬意が含まれてるのかじっくりと話し合いたいが、まあいい。おいで」
「あいよ」
ミリアとフランが言うには、ソロを貫くにしても他の冒険者との関わりをすべて拒絶するのは絶対に避けた方がいいという話だった。
俺は人嫌いではあるが抱けるくらいの容姿をした女は嫌いではないし、元の年齢から5つ上程度なら充分にストライクゾーン。
茶の1杯くらい付き合うのに否はない。
「まず訊ねたいのは、この街にどのくらいの期間滞在するか。そしてその間、パーティーを組むつもりがあるかどうかだ。面倒だろうとは思うけど、後でパーティーに勧誘されまくるよりは楽だと思うんでね。答えてほしい」
「期間はまだわからん。パーティーは組むつもりがない。これでいいかい?」
「男なのにソロで街から出るのとは、かなり腕に自信があるんだね。カウンターから聞こえた話も納得って感じか」
「身の丈に合った獲物しか狙わねえってだけの話でね」
「それが冒険者の基本にして、生き残るのに最も必要な秘訣だよ。どこいらで稼ぐつもりか聞いてもいいかい? なんかしようってんじゃなく、逆に帰りが遅かったりすれば助けに行けるように聞いておきたいんだが」
「今日は沼地。明日からはまだわからんよ」
俺がそう答えると同時にエプロンをしたおばちゃんが運んできてくれた茶は、木製のカップの底が透けて見えるほど澄んでいた。
おばちゃんと奢りだと言うアガサに礼を言って口に運んでみると、ハッカのような香りが口中に広がる。
「ははっ。メンシル茶は苦手そうだね」
「い、いや。慣れたら美味いんだろうなとは思う」
「そうかい」
茶を飲みながらまずアガサが言ったのは、このマールの街を含めたグラン地方に居を定めている女冒険者以外は信用するなという話だった。
ネズミとブタの2人でそれは身に染みているので、黙って頷いておく。
それから、沼地までの道程とそこでの狩りのコツや注意事項。
そのほとんどと、ナタルンダが出たら武器を投げ捨てででも逃げ出せというのも、ミリアとフランの話と同じだ。
「ああ、そうだ。何の事かはわからんが、主治医から世話役に会ったら伝えろって言われてたんだ」
「うん?」
「5つ星の2つが保証するってよ。俺にゃ意味がわかんねえんだが、心当たりはあるかい?」
アガサが咥えっぱなしだった煙管をポロリと落とす。
煙は上がっていなかったので問題はなさそうだが、大した驚きようだ。
「大丈夫かい、姐さん?」
「あ、ああ。平気さ。……そうか。理解したよ」
「俺も理解したいんだがね」
「その必要はないって事さ。引き留めて悪かったね」
「なんだかなあ」
ああは言ったが、かなり苦手な香りのする茶を一息で飲み干した。
口に運びながら鼻で息をしたら、もうカップを持ち上げる気にはなれないだろう。
「おやおや」
「ごちそうさん。そんじゃ、俺は行くよ」
「ああ。悪かったね、時間も茶の味も。次はエールか豆茶でも奢るよ」
「ありがてえ。じゃあ、またな。姐さん」
「しっかりお稼ぎ」
背を向けたまま手を振ってギルドを出る。
長袖に革製のコートまで着ているドッペルゲンガーでも少し肌寒いが、空は晴れているのでひさしぶりの冒険者仕事をするには悪くない日和だ。
ギルドの横に停めておいた自転車は、そのままの姿で秋の終わりの風に吹かれていた。
日本では牛乳配達に使われていたそれに跨り、本体でフランが紙に書いて壁に貼ってくれた地図をチラリと見てからペダルを踏み込む。
沼地へは北門から出て、まずは橋を渡る必要がある。
北門にいたやはりきわどい衣装の門番は自転車を珍しそうに見て、できればこんなを乗り回すのは街の外だけにしてくれと言いながらも、男が1人で防壁の外に出るのを本気で心配したので時間を取られたが、アガサという世話役にも伝えたフランの言葉を口にするとすぐに通用口を開けてくれた。
その言葉の意味を考えながら、馬車が並んで通れるくらい大きな石橋を渡る。
「聞いてた通り、神代街道っての以外は土が剥き出しの道なんだな」
この辺りにある神代街道は、山に挟まれた形でマールのど真ん中を通って突き当りにあるグランドールまで続く、それ1本のみであるらしい。
なので狩場や採取場所、近隣の集落や村へ行くには、こういった田舎道を進むしかない。