「ただいま。……あら、デスクにいないと思ったら。おジャマだったかしら」
「うふふ。そうかもね」
「何を言ってんだか。おかえり、ミリア」
「タバコは多めに買って来たわよ。それに蒸留酒と、豆茶も。故郷でごちそうだった『こーひー』とか言うのは、たぶんその豆茶の事だと思うわ」
「そりゃあ楽しみだ。タバコは半分を先生に渡しといてくれ」
「フラン、まさかまた吸い始めたの? せっかく禁煙したのに」
「頭の中がお花畑のあなたとは違うからいいのよ。どうせ吸うなら、マール産の葉がいいわ。早くちょうだいよ」
「はいはい。じゃあ、豆茶を淹れてくるわね」
ミリアがフランにタバコを渡して部屋を出て行く。
セックスの合間にちょっと話しただけのコーヒーを、よくも覚えていたものだ。
たしかにコーヒーは貴重品で、しかも金を出せば飲めるようなものではなかった。口にしたのは勲章を貰いに帝都に行った時だけで、それも毎回ではなかったはずだ。
我ながら現金だとは思うが少し気分が浮上したような気がして、出しっぱなしだったドッペルゲンガーの視界が映るウィンドウに目を向ける。
「へえ」
「どうしたの?」
「ヤツめ、俺の3分の1の能力しかねえくせに、ポイズン・フロッグってのをクロスボウの1撃で仕留めた。にしてもでっけえカエルだなあ。食いでがありそうだぜ」
「経験値は?」
「俺には来てる。ドッペルゲンガーの方は、やっぱり経験値バーってのすらねえらしいな」
「召喚中はカズヤくんのHPMPが常時3分の1減少で、ドッペルゲンガーの能力はそれに連動だもの。でも、安全にレベルが上げられるのは何よりね」
「まあ、クスリが抜け切ったら俺も戦闘に出るけどな。本命の乗り物や武器は、今のドッペルゲンガーに持たしてたら、絡まれた時に厄介そうだから使ってねえだけだし。早く試してえよ」
頭が撫でられる。
微笑みこそ見せてはいるが、どこか浮かない表情。
フランは俺を手元に置いておきたいだけなのか。
それとも、この身を案じてくれているのか。
わからないまま、ウィンドウに視線を戻した。
そこには、二足歩行ではあるが体表が鱗のようなもので覆われた異形の存在が小さく映し出されている。
「うっわ。フロッギーってのは人型なのかよ」
「ええ。出たの?」
「ポイズン・フロッグの腹を裂いて、ドッペルゲンガーが自転車の前に戻ったらすぐだ。初めてモンスターらしいモンスターを見たが、こりゃスゲエな。まるで、二極化前の映画だぜ」
「映画?」
「ああ、そっか。あっちにゃ、人間や風景をまるで切り取ったように写し取る機械があってよ。それで人が芝居するのを撮影したり、人工的に創ったステータス画面みてえので現実にはいねえバケモノを追加してそれと闘わせたりして、娯楽としてそれを観劇する文化があったんだよ」
「それは。是非とも見てみたいわね」
「俺のレベルが上がりゃ、可能かもな」
「楽しみにしてるわ。マール産のタバコ、吸ってみましょうか」
「ああ。頼む」
草の汁に虫が群がるとそれに突進してきたポイズン・フロッグとは違い、かなりの知性があるらしいフロッギーは、葦の隙間からエサを観察するだけで草原には足を踏み入れようとしない。
その手には穂先が石ではあるが手製の槍と、太い木の枝を束ねたらしい盾まで持っているのだから当然か。
「はいどうぞ」
「サンキュ。……ふーっ。いい味だ」
「でしょう。このカズヤくんが持ってたタバコは高原で育てられた葉だから、かなり風味が違うのよ」
「へえ。そういやあの街は、高原にあったんだよな。拉致られてる最中は、坂道になんて気づける余裕もなかった」
「それはそうでしょう。あれだけ痣だらけ傷だらけにされて、あんな薬まで投与されながら……」
「拷問としちゃ下の下さ。あれなら、餓死するまでだって耐えられた」
「できるならその2人を、この手で殺してやりたかったわ。魔法や攻撃スキルなんて使わず、最も痛みを感じる神経からメスで切り刻んでゆくのよ。スキルで血止めだけはしながら、ね」
「怖えっての」
そう呟いたフランは、歯軋りまでしている。
ありがとうと言えばいいのか判断できないので、黙ってまたウィンドウに目をやった。
ドッペルゲンガーは膠着に飽いたのか、自分から動く事に決めたらしい。
俺ならカエルの腹を裂く前に自転車のカゴに入れてある革紐を足に結び付けて、伸ばしていたそれを引っ張ってフロッギーを誘うだろう。
そうでなければその場からクロスボウを撃って、数匹を仕留めて残りの動きを見る。
マール周辺での狩りは初なのだし、狩りのたびに目に入った獲物をすべて仕留められるはずもない。
何より大切なのは、今日を無事に終えて明日に繋げる事なのだ。
命と引き換えに100人の赤目を殺すより、1つの季節を生き残って1000人の赤目を殺した方がいいに決まってる。
「お待たせ。あら、ドッペルゲンガーが動いたの?」
「よくわかるな、ミリア」
「そんな目をしてたらね。さっきは忘れてたけど、フランがいるなら蔦を解くわね」
「ああ、そういやこうやって先生の肌に触れてりゃ拘束されてなくていいんだったな。頼むよ」
「まったくもう、ミリアったら。せっかく身動きすら取れない美形ショタを膝枕してウハウハしてたのに」
「それは残念だったわね。はい、豆茶。フランから手を離したらこぼしちゃうから、気をつけて飲んでね」
「サンキュ。……ああ、こりゃ間違いなくコーヒーだ。しかも日本のより、なんとなくだが香りの質がいい気がする」
「それはよかったわ」
ドッペルゲンガーは荷台から特に何も取らず、そのままポイズン・フロッグの死体に向かって歩を進めている。
ポイズン・フロッグは5メートルほど舌を伸ばして子供の頭ほどもある虫を捕食していたので、その死体はフロッギー達のいる葦原から約45メートル。
クロスボウはボルトの装填に手間がかかるので、その距離で突撃されると少しばかりドッペルゲンガーが不利だろう。
「フロッギーってのは、動きが素早いのか?」
「湿原や沼地なら、発見してから逃げ出しても手遅れね。足の裏に水かきがあるの。だからその分、平地では速度が落ちるわ。子供がかけっこをするくらいの速さかしら」
「んじゃ、俺が操作する必要はねえかな。ああもうまったく、自信満々で歩きながらタバコまで咥えやがって。誰に似たんだか」
「似たっていうか本人よね」
「まあ、それは突っ込まないでおいてあげましょ」
ドッペルゲンガーは力士ほどの大きさのポイズン・フロッグに歩み寄ると、ボルトを装填したクロスボウを地に置いて背負っている片手剣を抜いた。
どうやらフロッギーをおびき寄せるのが目的ではなく、査定所に持ち込めば金になるポイズン・フロッグの舌を切り落としに来たらしい。
その作業中にフロッギーが仕掛けてくれれば最良。
膠着の継続を相手が選ぶなら自分から仕掛け、あとは成り行きに任せるといった感じだろう。
ドッペルゲンガーはまず、ポイズン・フロッグの頬を裂いてその口を広げた。
そしてフロッギーの群れなど意にも介していないような素振りで、その舌を切り落としにかかる。
人型で粗末ではあるが武器を使うほどに知性のあるフロッギーは侮られている事を察したのか、1匹が前に出かけて仲間に止められている。
作業を終えてそれをチラリと見たドッペルゲンガーは、舌を自転車の方角に投げ捨てて水筒をケースから抜き出した。
片手剣の刃に水をかけ、タオルでそれを丁寧に拭う。
性格は最悪でも、武器の手入れをきちんとするのはもう1人の俺であるゆえか。
「沼地はポイズン・フロッグの舌1本で終わりかな。フロッギーは5、6匹いるが、遠巻きに眺めてるだけで仕掛けてこねえや」
「臆病だからこそ厄介なモンスターなのよ。まだ昼前だから、別の狩り場を見学でもすればいいわ」
「そうね。荒野まで足を伸ばしてもいいし」
「なるほど。……ってマジかよ、あんのバカ野郎」
「ど、どうしたの?」
「あのバカ、ポイズン・フロッグの死体にションベンひっかけてやがる」
「……は?」
「それ、どうにかして私達も見れない?」
「ったく。食いもんにションベンかけるなんざふてえ野郎だ」
「お、怒るとこそこなんだ……」
「どっちもさすがねえ」
ポイズン・フロッグはフロッギー達の食料。
勝手に縄張りに人間が入り込んでポイズン・フロッグを狩っても、放っておけばその大部分が手に入るからこそ、知性のあるフロッギーは成り行きを見守っていたのだろう。
それが縄張りで勝手に獲物を狩り、舌だけ取って、本来ならば自分達の胃袋に収まるはずの肉に小便をかけられているとなると、もうガマンなどできないらしい。
2匹のフロッギーが駆け出す。
「戦闘開始だ。やれやれ……」
先を走るフロッギーの眉間にボルトが突き立つ。
走る勢いのまま地を転がった仲間を見ておぞましい叫びをフロッギーが上げたが、ドッペルゲンガーはニヤリと笑いながら新しいボルトを装填した。
「せめてチンコはしまおうぜ、兄弟」
2匹目は心臓。
まるで、照準をたしかめるような狙いの付け方だ。
3匹目は喉。
派手に喀血したフロッギーが地に転がるよりも早く、ドッペルゲンガーはクロスボウを投げ捨てて背負っていた片手剣を抜いた。
「おいおい、白兵戦まで試すんかよ」
「大丈夫なの? カズヤくんはずっと銃で戦ってたんでしょ?」
「平気よ。あの剣捌きなら。ね、カズヤ?」
「そうは思うが、なんせ身体能力も3分の1だからなあ」
残るフロッギーは2匹。
ドッペルゲンガーは士官学校時代にいつも日本刀を腰に差していた白兵戦教官から教わった脇構えで、それを迎え撃つつもりらしい。
いいからチンコをしまえ。
そう俺が口に出す前に、ドッペルゲンガーも駆け出した。
走る2匹の真ん中に向かって。
見る間に距離が詰まる。
もう、フロッギーの叫びが鼓膜に痛いほどの距離だ。
「ふっ」
呼気だけ伴った斬撃。
力の抜けた、悪くない振りだ。
「ったく。遊び過ぎだ、タコ」
先に擦れ違ったフロッギーの上体が血を噴きながら落ち、残された少しの肉と皮で繋がったまま駆けて足を縺れさせる。
「どうなったの?」
フランが言うと同時に、切り返しの一閃。
首を飛ばされたフロッギーも、数歩走ってから地に音を立てて転がった。
「フルチンで残る2匹の間に突っこんで、どっちも斬り殺したよ。あのバカ、何を考えてんだか」
フランが安心したように息を吐き、ミリアはそれ見た事かとでも言うように微笑んでいる。
そんな2人を、グッと抱き寄せた。
「え、なになにっ!?」
「あらあら」
「あんなバカ、心配するだけムダだ。あの様子じゃ夕方まで帰って来ねえから、3人で愉しんでようぜ」
「ま、まだ昼前よっ!?」
「血が滾ったのね。カズヤくんの世界では、男の血の滾りは女のカラダで冷ますんでしょ。いいわよ。たっぷりかわいがってあげる」
「そんなんじゃねえさ。まあ、なんとなくだ」