旅の始まり1
身を斬るような寒さ。
だがミリアとフランが言うには、雪の降らぬうちはまだ序の口であるらしい。
俺も北海道で生まれたが、そこで暮らしたのは5歳まで。
それからは関東の幼年士官学校で寮生活だったので、雪国の生活の記憶は遠い。
「……っと。またいた」
原付バイクのブレーキを握る。
日本では二極化前、今では士官学校の教科書にも使われる新聞という物を配達したりするのに、よくこのバイクが使われていたらしい。
二極化後はガソリンが何よりも貴重だったので軍の輜重隊ですら馬車を使っていたが、前線近くの道路などに転がっているすべての車両からガソリンを抜いて回る人手などありはしないので、こういったバイクはそれらからガソリンを抜いて兵士達がよく勝手に乗り回していた。
なので、運転はお手の物だ。
それに俺は中尉に昇進した時の訓練でバイクや車だけでなく、置き物と化した戦車の操縦席でその動かし方まで教わっている。
「フロッギー以下の経験値でも、俺にしてみりゃお宝だ。悪く思うなよ」
毛皮の帽子にコート、原付バイクの荷台に括り付けてあるバックパックは、ミリアとフランがくれた報酬という名の贈り物。
それにMPが切れたらこれを使えと、どう見ても数打ちではない片手剣まで持たされている。
両刃だが鞘を払うと澱んだ空の下でも息を呑むような輝きを見せるそれは、きっと俺の切り札としていつの日か役に立ってくれるだろう。
その片手剣と一緒に背負っていた後装式単発銃の銃口を向けたのは、神代街道と並行して流れる川の岸辺。
そこを、大きなカニがのそのそと歩いている。
甲殻を100メートルの距離からでも撃ち抜けるのは、マールの街を出て5分もせずに確認済み。
トリガーを絞る。
パアンッ
かすかに上がる硝煙の向こうで、カニの眉間が弾けるのがハッキリと見えた。
銃の後部、右側にある部品を倒すようにして開けると、閉じていれば銃身に繋がる筒が露出する。
それを引いて出た薬莢が、石畳に落ちて小さく鳴った。
新しい弾を込め、街道に転がっている薬莢を思念だけで消す。
タバコが吸いたいような気もするが、あと少しでグランドールの街が見えてくるはずだ。
また銃を背負ってエンジンをかけたままのバイクに跨り、ギアをローへ。
「もったいねえ気もするが、まあいいさ」
カニは冒険者ギルドの査定所へ持ち込めば200Dにはなるらしいが、大きさが成犬ほどもあるのでハンドルの前にあるカゴには2匹ほどしか入らない。
放置してアクセルを開けた。
グランドールに着いてからの予定は決めていない。
急げばそこから南のメクサという街にも陽のあるうちに辿り着けそうではあるが、俺はあまり急がずにこの世界を見て回るつもりだ。
この世界を見て来なさい。
そして、いつかあたし達の元へ無事で帰って。
今朝早くに防壁の外まで見送りに来てくれたミリアとフランは、そうとだけ言った。
「なら、ゆっくりと見なくっちゃな」
走り出す。
初日ゆえ、装備は万全だ。
それを試すためにも、川のこちら側に獲物が出てほしい。
そう思いながら3速フルスロットルで石畳の街道を飛ばしていると、前方に願ってもないカモを見つけた。
幼年学校低学年生ほどの背丈に、緑の肌。
身に着けているのは粗末な手製の腰蓑のみで、武装は落ちている木を持ち手だけ削った鈍器。
ミリアとフランに聞いた、ゴブリンに間違いないだろう。
「こりゃあツイてるぜ」
ゴブリンの数は5。
玩具以下の出来だが武器を使うし、エサである人間を街道で待ち伏せしたりもする。
なのでそれなりに知能があるこのゴブリンは敵が強ければ早々に逃げ出すらしいので、50メートルまで距離を詰めてからブレーキを握った。
追撃は確実に必要だろうから、バイクからは降りない。
背負っている後装式単発ライフルを手に取り、撃鉄を上げる。
「年貢の納め時だ、子鬼ども」
ゴブリンはほぼ裸で痩せているのに腹が出ており、ガキの頃いた孤児の養育施設である寺の掛け軸に描いてあった餓鬼の絵にそっくりだ。
銃弾はコートと夏季迷彩服のズボンのポケットに各10発。それと腰のポーチに30発を詰め込んである。
どうせ明日になった瞬間に消えてしまうので、ケチる必要はない。
トリガーを引いた。
パアンッ
先頭のゴブリンが、後頭部から血と脳漿をぶち撒けて吹っ飛ぶ。
「次っ」
リロード。
それほど手に馴染んだ銃ではない。
だが、その目的は15で初めて赤目を撃ち殺した時と変わらないのだ。
装填を終えて銃口を向けても、ゴブリン達はまだ動きを決めかねて右往左往している。
「戦場じゃ、迷ってる兵士から死んじまうのさ」
退路を確認するためか、最後尾のゴブリンが俺から見て右方向、かなり遠くにある林に目をやっていた。
そのコメカミに、銃弾をくれてやる。
4発。
連続射撃でも、精度にブレは見られない。
こんな旧式の銃など日本では手に取った事すらないが、これなら長い付き合いになってもうまくやっていけそうだ。
最後の1匹が駆け出す。
向かうのはもちろん、ゴブリンの住処があると思われる林の方角。
「OK。そうなるよな」
後装式単発ライフルを背負い直し、アクセルを開けた。
身を斬るような寒さも、今は感じない。
伏兵も増援も見当たらないので、林を目指して走るゴブリンはただの獲物だ。
もしかすると俺は人を殺すのが好きなんじゃなく、獲物を追って野を駆けるのが好きなのではないだろうか。
フッと浮かんだそんな思いに、口の端が持ち上がるのを止められはしなかった。
セカンド。
サード。
自動遠心クラッチは楽でいいが、どうにも人の手に負えないはずのスピードを支配したと思えるような快感が薄い。
街道から草原へ。
乗り上げた瞬間、原付バイクは小さくだが跳んだ。
「っと!」
石畳と下草が生い茂る土の上では、グリップが違う。
走行中にグリップを失えば、2輪車であるバイクは当然だが吹っ飛ぶ。
そうなれば即死はせずとも怪我くらいはするだろうし、HPも大きく減るはずだ。
暴れた後輪をアクセルだけで宥めて、ゴブリンの小さな背を追った。
サイドミラーには、後輪が派手に削った土が飛び散っているのが見える。
30メートル。
そろそろかと思わないでもないが、自分の手でこれを撃つのは初めてだ。
外すはずがないだろうという思いを押し込める。
20メートル。
さすがに、そろそろか。
ゴブリンは足が遅いので、このままではすぐに至近距離。
ハンドルから左手を離して、右脇のホルスターに納まる拳銃と言うには少しばかり大きい、後装式単発拳銃を抜いた。
生意気に殺気を察したのか、走るゴブリンが振り返る。
「あばよ、バケモノ」
アクセルは緩めず、トリガーを引いた。
パンッ
走る勢いのまま、ゴブリンの小さな体が地を数メートル滑る。
「こっちも精度は悪くねえか。だが、あの感じじゃ……」
ゴブリンの死体を追い越してからブレーキを握った。
拳銃の装填をしながら死体に歩み寄る。
思った通り、後頭部から入った銃弾は顔面から突き抜けてはいない。
拳銃はライフルより射程が短いだけでなく、やはり威力にも劣るようだ。
「ま、当然だあな」
ライフルの装填も済ませてから、タバコを咥える。
補給要請で出したマッチを擦ってそれに火を点けると、遠くに見える林から鳥が飛び立つのが見えた。
ゴブリンはどうしようもないほどの弱さだが、それでも20や30が相手となると後装式単発銃で相手をするのは面倒だ。
その姿を見てしまえば、俺はゴブリンを殺す事よりもずっと強力な、経験値を得るという誘惑と闘わねばならない。
原付バイクに、咥えタバコのまま跨る。
「街を出て1時間でこれだもんな。楽しい旅になりそうだぜ」
セカンドでゆっくりと神代街道に戻り、タイヤが石畳を噛んでからギアをサードに上げた。
マールからグランドールまでは徒歩で4日、馬車ならその約半分で到着するという。
幼年学校時代から行軍訓練はさんざんやったが、士官学校を卒業間近のキツイと噂の名物訓練でも60kmずつを5日行軍という内容だった。
それがこうしてモンスターの相手をしながら進むなら、いくらこの世界の頑丈な女共でも50kmは進めまい。
一般人を連れて歩くならさらに進む距離は縮んで、下手をすると20から30kmも歩ければいい方だろう。
「コイツなら、昼前には着くか。グランドール、この地方で最大の都市。港もあるって話だし、ツマミはひさしぶりの海鮮料理に決まりだな」
この冷えた体を酒と熱々の海鮮料理で温められると思うと、どうしたって心が浮き立つ。
どうせなら具合のいい女のカラダにも巡り合いたいものだが、ニムは商会の仕事で忙しいだろうし、都会なら月に1度しかない射精日に酒場へ繰り出して性欲を満たそうとする男も多いだろう。
まあ女を抱けなかったなら、グランドールに2泊するだけだ。
補給要請で召喚した後装式単発銃や原付バイクは、翌日になった瞬間に自然と消えてしまう。
そしてMPは女の体液を吸収しないのなら、夜明けと同時にかなりの速さで自然回復。
なので1日をMPを使用せず過ごしたなら、レベル36の俺でも185しかないMPの倍、370のMPを使って次の街へ向かう準備が整えられる。
入院中に毎日、嬉々としてレベル上げに勤しんでくれたドッペルゲンガーに感謝だ。
「そういや、ヒマができたらオートモードで遊びに行かせてやるって約束してたな。ったく、ミリアとフランをなんでオートモードで抱かせねえんだって愚痴ってたし、ロクな事をしなさそうだから妙な約束なんてするんじゃなかったぜ」
思った通り、マールの街を出てから体感で3時間ほどすると、高い石造りの防壁が行く手に見えてきた。
街から街への行程で得た経験値は、そのバーの4分の1ほど。
それが多いのか少ないのかすら、俺にはわからない。
原付バイクは当たり前だがこの世界ではとても珍しく、封建制の街などでは貴族とやらにこれが理由で絡まれる可能性は高いという話だ。
だがグラン地方ではそう気にしなくていいとミリアとフランが言っていたので、そのまま門前にまで進んでからブレーキを握ってギアをニュートラルに入れた。
ちゃんと付いているキーを回してエンジンを切るが、何かあればすぐ逃げ出せるように、それは抜かないでおく。
「とんでもなく妙な物に乗ってるなあ、兄さん」
そう声をかけてきたのは、大中小3つの入り口を守るために配置されている女兵士の1人だ。
こちらの女は生活魔法のおかげで寒さや熱さを感じないので、雪の多いこの地方でも金属製のビキニアーマーを装備している。
下乳が拝めるほど胸がないのは残念だが、それでも眼福であるのに変わりはない。
「召喚系のクラスなんでね。ステータス画面を提示するから見てくれ」
「はいよ」
自分を拉致監禁した女を2人も殺しても、やめてと言いながら喘ぐ女の上で腰を振りまくっても犯罪歴に傷が付いたりはしないので、あっさり街に入っていいと許可が出た。
「この乗り物なんだが、スキルで出してるから明日になれば消えちまう。そこらのジャマにならねえ場所に置いといてもいいかい、姐さん?」
「いや。どんな乗り物でも、グラン地方じゃ馬や馬車と同じ扱いなんだよ。だから召喚したままにしておきたいなら、あっちに見える駅逓ギルドの預り所に金を払って預けてもらわないと」
「そんじゃ、消しちまうか。夜になりゃ消えちまうもんに金を払うのもな」
「悪いね」
「それが姐さんの仕事だ、謝んねえでくれ。じゃ、消したら中に入らせてもらうぜ」
「ああ。いい滞在になるのを願ってるよ、美少年」