もう、馬車に揺られて何日目かもわからない。
喉の渇きはそうでもないから、おそらく7日にはなっていないだろう。
朝から夕暮れまで馬車で進んで、夕方から朝までは魔法で作ったとかいう小屋の中。
その移動のたびにパラリシス・ニードルとやらを使われて意識を失うし、ブタがネズミの目を盗んであの麻薬らしき物を俺の肛門に捻じ込むたびに意識が混濁して、正確な日時がわからない。
だいぶ殴られたり蹴られたりもしてはいるが、そんなのは蚊に刺されたようなものだ。
「そろそろだべ、ガニス?」
「ああ。肉バイブの首に縄をかけな。逃げ出したり大声を上げそうになったら、思い切り絞めるんだ。ここで捕縛されるくらいなら、殺した方がいいに決まってるんだからね」
「まだオラのションベンもうんこも食ってくれねえがら、殺したぐねえなぁ」
「肉バイブ次第さ。前後の幌を下ろして準備しな。もうスミス・トンネルは見えてるんだよ。ここだけは用心しないと」
「ブラックスミスの街に寄らねえんだば、荷物検査はねえもんな。ありがてえだ」
「当然さ。このトンネルは神代街道なんだ。その途中に勝手に街を作った連中が、なんで街道を歩く渡り人の荷物を検査するってんだい」
トンネルに街。
ついに、待ちに待ったチャンスが来たか。
……ここで巧くやれば、ネズミとブタを殺せる。
待ちきれない。
射精なんかより、ずっと待ち遠しい。
便秘だからちょうどいいと笑いながら自分のケツ穴で肉棒を咥え込んでアヘるネズミを、メシだと言っては俺の顔に小便と大便を垂れ流すブタを、やっと殺せるのかと思うと、それだけで生きていた意味があるようにすら感じる。
「スミス・トンネルに入ったぞ」
「う、動くんじゃねえど。なんかすりゃ、すぐこの紐で絞め殺すだ。ずうっとガマンしてるうんこ垂れ流しながらビクンビクンして、もう2度と射精でぎなぐなるんだど。嫌ならしずがにしてろ、な?」
ああ、嫌だな。
テメエらを殺せず俺だけが死ぬなんて、絶対に許せねえ。
馬車が止まったのは、トンネルに入って30分ほどした頃だった。
ネズミの喚く声が聞こえる。
「いやだから、ブラックスミスの街に権利があるとかないとかじゃないんだ」
「嫌だね。こっちは急いで次の街に向かわなきゃならないんだ。ドワーフ臭いブラックスミスなんかに寄りたくないから急いでるってのに、何の権利があってその時間を奪おうってんだよ。ええっ!?」
「だから何度も言っているだろう。グラン地方で逮捕権を与えられている御仁が、この馬車を調べてくれと言っている。ブラックスミスはグラン地方には含まれないが、その要請には可能な限り応えたい。やましい事がないなら、ちょっと荷台を見せてくれたらいいだけじゃないか」
「嫌だね。こっちは急いでるし、何の権利もないのに荷を見せろなんて言う連中が盗人じゃない保証なんてありゃしないんだ。あんまグダグダぬかすと、ヘベリンの街の領主様からブラックスミスの首長に正式な抗議がいくよ。さっき見せたように、アタイはヘベリンの御用商人なんだからさっ!」
奴隷商人の間違いだろうと言ってやりたいが、それができないほどの力が首に巻かれた革紐には加わっている。
話しているのはネズミと、ブラックスミスの街とやらの兵士か何かをしている女。
ここが正念場だ。
この忌々しい鎖さえどうにかできたなら、スキルが使えるはず。
「だ、大丈夫だ。ガニスはいっつもうまくやるだ……」
その囁くような声だけでなく、革紐を握る手も震えていた。
いざとなったら俺を手早く殺すため、ブタは俺を自分に寄りかからせる形で荷台に座っている。
首は自由に動かせるので、革紐が締まるのをガマンしてブタの肩を顎で叩いた。
「お、おどなしぐ」
ブタの言葉が止まる。
俺が限界まで首をひねってブタに顔を寄せ、そっと目を閉じたからだ。
「……も、もしかして怖いんだか?」
小さく頷く。
「殺されたぐねえんだな?」
また頷き。
目は閉じたままで、震えて見せる芝居さえしてやった。
「今まで殺そうどしたこどはながったもんな。キ、キスしていいがら殺さねえでくれってこどが?」
頷く。
まだネズミの声がする右に首を勢いよく振ったところを見ると、迷ってはいるらしい。
鎖で縛られているのは、胴と手首と足首。
膝は動かせるので、閉じていた膝を開いた。
「おお……」
クスリを肛門に捻じ込まれてから勃起したままの肉棒が、ハッキリ見えているだろう。
そのまま小さく腰を動かすと、ブタは生唾を飲み込んだ。
「キスしてチンポをシコシコしてくれってこどが?」
頷く。
いい加減に落ちろ。
「しょ、しょうがねえなあ」
言葉のわりに、酷いがっつきようだ。
俺の口に舌が捻じ込まれ、肉棒が痛いほどの力で握られる。
拉致されてから初めてのキスは、殺したばかりの獣の脂肪に舌を突っ込んだような感触と、それを腐らせた肥料に顔を突っ込まれたような酷い臭いがした。
だが、これでこそこっちの世界の女。
軽く咳き込む芝居。
そうするとブタが革紐を少し緩めたので、巨大なナメクジの方がまだマシだと心から思える舌に俺から舌を絡めた。
驚いて動きを止めたブタが、それに応えようと舌を躍らせる。
もう少しだ。
このまま動けば、まだ革紐が俺の首を絞める。
人は細い紐を首に回して背後からおんぶでもするように担ぎ、2、3度その体を揺すってやるだけで死ぬ。
戦場では、俺もよくやった。
また咳き込む芝居。
「き、気持ぢっこよぐしてやっから、声を出すんじゃねえぞ?」
革紐が、完全に外れた。
「ぶぎゃあっ!」
咬み千切った唇の一部を、口に流れ込んできた血と一緒に荷台の床へ吐き捨てる。
その血が赤い事すら不思議だ。
ブタは、その血まで汚物の味がするのか。
思いながら、全身に力を込めた。
前転。
正面には馬車の幌があるが、ボロボロなそれは俺の体重でも突き破れるだろう。
ムリなら俺はブタに殺されるかもしれないが、異常を察したブラックスミスの街とやらの兵士が2人を始末してくれるはず。
ビリビリッ
そんな音の後に来たのは、衝撃。
俺は倒れ込んだ石畳の上で、必死に人影を探した。
左には馬。
ただそれは馬車に繋がれていて、その御者席には人間、いや、天使がいた。
金髪の天使が俺を見下ろしている。
「そこの天使。この鎖を切ってくれ、頼むっ!」
「切ったらどうするの?」
「あの2人は俺がぶっ殺す!」
「見たところキミは低レベル。そこで驚いてる御者は、最低でもレベル200はあるわよ?」
「知るかっ! 殺さなくちゃなんねえヤツは殺すっ!」
見つめ合う。
「こんのガギぃ……」
ブタが出てきたか。
時間がない。
その巨体なら、石畳の上にある俺の頭を踏みつけただけで殺せるだろう。
「くそっ。ガキはいいから乗れ、ヒジー! 逃げるぞっ!」
「逃がすかよっ! 頼む、天使! コイツらだけは、この手でっ!」
天使が溜息を吐く。
「ウィンド・カッター。……これでいいかしら?」
「ありがてえっ!」
天使の一言で、俺を縛る鎖はものの見事に断ち切られていた。
跳ね起きる。
全裸だろうが勃起したままだろうが口の周りがブタの血で汚れていようが、どうでもいい。
「補給要請、低級片手剣っ!」
金持ちのボンボン士官のように見栄えのいい日本刀なんか持っていなかった俺は、このくらいの長さの山刀を愛用していた。
ご丁寧に槍まで持って荷台から降りたブタだって、これがあれば殺れる。
「こんのぉガーギィー! ひぎにぐにしでチンポ食ってやるだあっ!」
俺が幌を突き破って飛び出しただけなので、たしかに距離は近い。
だから獲物が槍でも突きにくいのはわかるが、だからって大上段からの振り下ろしは愚策だ。
そこは、石突で俺の頭蓋を砕くべきだろうに。
そんなだから、人間じゃなく豚だってんだ。
風が唸る。
威力だけは大したもの。
振り下ろされた槍を、半身になって避けた。
地を蹴る。
「地獄でクソでも喰らってろ、ブタ」
脂肪しかないどてっぱらに、片手剣の剣先をぶち込んだ。
「げ、ぶうっ」
手首を返して、抉る。
そのまま、左へ刃を進ませた。
肝臓さえ損傷させたら、後送されて手術を受けても助からない。
赤目の数を確実に減らすため、身に染みついた動き。
片手剣の柄を離して、後方へ跳んだ。
「ぐ、そっ……」
最後の力で俺の頭のあった位置へ裏拳を放ったブタが、地響きを立てて倒れる。
馬車。
御者席で、ネズミが俺を睨みつけていた。
「テメエ、よくもヒジーをっ!」
「借りは返す主義ってだけさ。次は誰だかわかってんよな?」
低級片手剣、召喚。
そう思うだけで俺の右手に、音もなく剣が握られた。
慣れれば思念のみで。
スキルの説明にそうあった通り、俺は慣れてしまったのだろう。
生まれ育った日本と同じ、このクソッタレな世界に。
「男が女に勝てるかよ、しかも低レベルのお坊ちゃんがっ!」
背を悪寒が駆け上る。
敵に奇襲された時なんかに、よくこれを感じた。
死ぬ。
そう覚悟しながら、何度この身を地べたに投げ出した事か。
ただ、今はそうしなくていいと俺の勘が言っている。
正面。
間違いなく、狙いは俺のツラだ。
「ここだっ!」
片手剣を跳ね上げた。
キインッ
そんな硬質な音と、手応え。
火花も散った気がする。
折れた片手剣の半分ほどが石畳に落ちる音に、ネズミの呻く声が重なった。
「ま、魔法を剣で斬った、だと……」
「終わりだよ、ネズミ」
「バ、バケモノがあっ!」
跳ぶ。
縛られていいように肉棒を弄ばれていた時の体の重さがウソのようだ。
御者席のかなり上まで、俺は跳んでいた。
半ばからポッキリ折れてしまった片手剣を捨てる。
「低級片手剣、召喚」
出っ歯だけでなく、何度も俺の精液を受けた喉奥まで丸見えの、ブサイクなツラが迫る。
その肩口に片手剣の切っ先を入れながら、御者席に着地した。
「バケモノかもな、赤目の子だし。あばよ、ネズミ。借りは返したぜ?」
剣は肩口から垂直に入り、心臓を貫いている。
そんなネズミが声を出せるはずもなく、どうっと馬車から落ちた。
「ふうっ。さあて、問題は俺がどう扱われるかだ」
御者席に腰を下ろす。
服を着たいしタバコも吸いたい。
そして何より水が飲みたいが、静まり返ったこの状況がどう動くかを見極めなければ。
「満足したみたいね」
「とりあえずはな。ありがとうよ、天使」
「冗談はやめてちょうだい。それで、これからどうするつもり?」
「……10人くれえいる完全武装の兵と、命を救ってくれた天使に刃向かいたくはねえ。ただ俺は、コイツらに拉致監禁されてたただの被害者なんだ。それだけは言っておく。捕縛なんかしねえってなら、とりあえず水とタバコが欲しいな」
「誰かこの子に水とタバコを」
「はっ、はいっ」
どうやら天使は、兵士よりも立場が上らしい。
渡された木製のカップに満たされた水を飲み干すと、自分の鼓動がやけに早く感じた。
次に渡された1本のタバコを咥え、その兵士が出してくれた魔法の火を点けて吸い込む。
「ふーっ、生き返った。ありがとうな、兵士さん」
「あ、ああ」
「じゃあ質問をするわね、被害者さん?」
「おう。なんでも訊いてくれ」