内容を少し変更しています。
図書館で会ったり、喫茶店でお茶を飲んだりしたことは今までに何度かあった。
といっても、まだ片手の数にも満たない。
だが、これは違うでしょうと、おにぎりを食べながら落ち着いてと美夜は自分に言い聞かせながら、三個目を口に放り込んだ。
昨夜は、なかかな寝付く事ができず朝食は会社途中のマックでモーニングを食べたが、昼前になると空腹感を感じるのが不思議だった。
(いや、朝からダンボールの梱包、埃が蓄積した棚や倉庫内の掃除とか、体力を使っているからよ)
そんな言い訳をしながら、やはりおにぎりは塩昆布と梅とおかかは王道だと思い、食べている、扉の開く音がした。
主任が戻ってきたのだろうかと思って、そちらを向いたまではよかった。
自分はひどく間抜けな顔をしていたのかもしれない、だが、相手もだ。
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
随分と間抜けな返事だ。
「げ、元気そうだ」
相手が話しかけてくるが、口におにぎりを詰めて無視すると、さあ、仕事の続きをしなければと立ち上がる。
(何故、この人が来たの、いや、いるの)
「市村さんは留守かな」
「もうすぐ帰ってくると思います」
昼ご飯を買いに行った筈だ、とにかく、はやく戻って来てほしいと思っていると、また声をかけてくる。
「荷物の整理かい」
手伝おうかと言われて思わず結構、仕事ですからと答えそうになったとき、ドアの開く音がした。
「沢村、どうしたんだ」
「いや、ちょっと近くまできたものだから」
仕事で来たわけではないのか、暇なのと思っているといきなりまた勢いよくドアが開いた。
「美夜、いいもん持って来たわよ」
いきなりドアを開けて入ってきた今川辰美は二人の男の顔を見ると、あらと驚いた顔になったが、気にする様子もなく持っていた紙袋を友人に手渡した。
「何、これは」
「チョコレート、これを渡すのよ」
「ええっ、ちょっとそれは、いくらなんでも」
「ウィスキートリュフよ、好物らしいわ」
「好物って」
「リサーチ万全、先生に協力してもらったから」
「そ、そう、それは」
心強いと心底思えない、何か、不安を感じるのは気のせいだろうか
渡された紙袋は濃い青色、リボンもかかっていて、高級感も感じる。
「コルドナ・バティスリーのチョコって最近、人気が出てきたのよ」
「高いんじゃ」
「トリュフ四個で五千円」
思わず無言になった、一つ千円以上、いや、パッケージの外装も高級そうだ。
お金を払うよと言うといいのと、にっこりで返された。
(怖い、その笑顔、何かあるんじゃ)
「投資だからね、これから先、協力して貰うから」
「何を」
「会社を辞めるの、それで、あんたにサポートしてほしいと思っているのよ」
突然じゃないと聞くと、辞めようと思ったのは一時間前に決めたから、あっさりと返事が返ってきた。
「ほら、あたし、お嬢様育ちでしょ、会社、あわないんだわ」
見かけは決して、そうではないのだが、今川辰美の家は裕福だ、だが、本人は至って普通の振る舞いをするので知っているのは限られた人間だけだ。
自分はお嬢様育ちなんて普通の女が口にすると何を言ってんだ、この女はと反感を買いそうなものだが、美夜は納得した。
「そう、結構、続いたわね、半年も務めたんだもの」
「自分でも褒めてあげたいくらいよ」
頷く女二人の会話は、男達には筒抜けと言ってもよかった。
「まあ、そういうことで、チョコを渡して、晩ご飯食べて」
「ありがとう、なんだか、色々と世話をかけてるわね」
「先生からのお言葉を伝えるわよ、頼られるのが嬉しい性格だから甘える事、これ絶対だからって、大抵の男は頼られると、うーん、これではアドバイスにはならないわね」
「甘える、アドバイスをありがとう」
「これが、結構というか、一番難しいのよね、甘えるの下手だから、あんたは」
きっぱりと長い付き合いの友人に言われると言葉に詰まってしまう。
「とにかく、頑張れ」
う、うんと頷きながら、女二人は、このとき、初めて気づいた。
自分達に向けられた男二人の視線に。
仕事中だというのに思わず時計を見てしまう、残業になりませんようにと思いながら。
余裕をもって待ち合わせは六時ぐらいにと曖昧にしていたのは大人の気配りというやつだろうか、仕事が終わると急いで着替えた、普段からノーメイクなので、ここで化粧をするというのはやめた。
前日には顔のムダ毛を剃り、化粧水をばしゃばしゃ、乳液、早めに寝たのだ。
朝、起きたときに肌の調子もいいと思ったのは絶対、気のせいではない筈だ
よし、これから行くわよと思いつつ、会社を出ようとして、入口のロビーで美夜は固まってしまった。
白髪の外人、コートを姿の老人の姿に、思わず見間違い、世の中には似た人がいるっていうけど、どう見ても、あれはと思った時、自分の姿に気づいたのか、こちらを見た相手が手を振った。
本人、どうして、何故、自分の仕事場を知っているのか、頭の中でぐるぐると思考が回り緊張してきた。
「あ、あのディヴィさん、どうして」
「驚いたかい」
教えてもらったんだよ、友達からねと言われて、思わず彼女は感謝の祈りを捧げたくなった、心の中で神様、いや、辰美、先生、ありがとうと跪きたいぐらいの気持ちになった。
仕事が終わった自分を待っていてくれるなんて、ラブコメマンガ、映画のようなシチュエーションではないかと。
「足下、気をつけなさい、さっきまで少し雨が降っていたから滑りやすいよ」
何気ない会話、だが、そんな言葉も嬉しいと思ってしまう自分に驚いた。
以前、付き合っていた人とはどうだった、だが、思いだそうとしたが、はっとした、今は目の前の事だけを見ていたい、余計な事を考えたらどこかで失敗しそうな気がする。
映画館に着くと以外と人が多いことに驚いた。
周りは、ほぼ、いやカップルだ、チケットがペアシートなので無理もないが、正直緊張すると席に着くと老人は飲み物を買ってくるからと席を立った。
「あ、あたしが」
「いいから、君は座って待ってなさい」
思わず頷きながら、深く席に腰をかけるとため息が漏れた。
(なんだか、夢みたい)
いや、そもそも出会いからして夢みたいだったのだ。
あの日、仕事で遅くなった日、天気は晴れだと思っていたのに、いきなりの雨に降られて、そのせいで電車まで遅れてしまった。
仕事、恋愛、そして今は寒さと空腹まで重なった挙げ句、とどめが駅の階段で転んだことである。
遅い時間だったので周りに人がいないのは幸いだった。
足をくじいたのか、手すりにつかまって立ち上がろうとしたとき、声をかけられた。
見ず知らずの人、しかも老人だ。
(どうして、雨が)
改札口を出て、駅の外に出ようとした足が止まった。
雨が激しくなっている、今日の自分は呪われているのと誰かに聞きたかった。
いや、悪運で呪われていると心底、思わずにはいられなかった。
家まで歩いて三十分はかかる、重い本の入った鞄を二つも抱えて歩くなんて拷問以外のでもない、タクシーで帰る、いや、財布の中の所持金は足りない。
それに、こんな時に限ってタクシー乗り場に車が一台もない、まあ、終電近くになれば無理もないが。
仕方ないコンビニでビニール傘を買って帰ろうと思って店に向かおうとしたとき、声をかけられた。
「君、待ちなさい」
振り返ると、先ほど階段で助け起こしてくれた外国人の老人だ。
「良かったら送ってあげるから、大きな荷物を持って大変だ」
「で、でも」
「大丈夫、僕はね」
ゲイなんだと言われて、にっこりと笑いかけられて、その笑顔に思わず見とれて、頷いてしまった。
初対面の相手の車に乗るなんて、結構、度胸がいるけど。
(それで、こうして知り合うなんて)
雨と暗さのせいで途中で道を間違えたりして家に着くまで1時間近くもかかった。
だが、怖いとか、嫌だとか、そんな気持ちはなかった。
老人の会話は自分の恋人、日本のこと、色々なことを、静かなゆっくりとした声で途切れることなく話しかけてくる、それがとても楽しくて、もっと話していたいと思ったぐらいなのだから。
今、自分の観ている映画がコメディだ、だが、どうしてと思わずにはいられない、涙が止まらないのだ。
映画の主人公は失恋した、本人もなんとなくだが、話の半ばあたりから感じていたのではないかという様子が伺えるのが多少の救いだろうか。
十代、二十代なら大声で泣いて友達と馬鹿騒ぎをして避けでも飲んで、明日から、またいい男を捜すぞ、なんて気持ちを切り替えられるかもしれない。
でも、女も三十路近くなって付き合う人間、友人関係の幅が決まってくると馬鹿騒ぎをして全て忘れるぞなんて気軽にはできないのだ。
ううっ、自分はもしかしてヒロインに共感しているのだろうか。
映画のクレジットが流れる間、涙はダダ漏れ、いや洪水だった。
館内の人が次々に出て行くが、涙で何も見えない状態なので席を立つこともできないまま、いや、せめて涙を拭かなければと必死になった。
「じゃあ、行こうか」
声をかけられて初めて、みっともない姿を晒しているんのではと気づいて情けない気持ちになってしまった。
「いいねえ、羨ましいよ」
映画館を出てしばらく歩いていると、楽しそうに老人が呟いた。
「な、何がですか」
「ヒロインに感情移入したかい、正直だなあ」
返事ができなかった、いや、困ってしまう、そんな性格だったら、今、隣にいる相手に何かリアクションの一つでも起こすだろう。
だが、言えないと思いつつ、笑いを返すのが精一杯だった。
「居酒屋というのは、あまり入ったことがないんだよ」
「そうなんですか、お酒は」
若い頃に比べたら飲まなくなったと言われ、では、何事も経験です、入りましょうと先に立って中に入った。
ビールを頼んで、枝豆、だし巻き卵、品数をあまり多くしてもまずいと思ったが、正直なところ映画のせいだ。
今、この時間が楽しくても、待っている未来はヒロインと同じ、ブロークンハートで泣くこともできずに打ちひしがれる未来なのだ。
それを思うと食欲も減退どころではない、なくなってしまう。
い、いや、駄目だ、暗くなってはせっかくのデートなんだから。
いや、相手にその気はなくても、これは自分の中では立派なデートなのだと美夜は自分に言い聞かせた。
「すみません、お客さん、相席をお願いしてもいいですか」
最近は相席居酒屋の店もあるので普通の店でも当たり前になってきている、二人して頷くとやってきたのは男女のカップルだ。
眼鏡をかけたサラリーマンと女性、まるでドラマに出てくるカップのような組み合わせで女性は化粧もはっちりと決めている。
やはり、自分も少しは化粧でもと後悔した。
だが、映画館であれだけ泣いてしまっては剥がれ落ち、みっともないどころではない。
これでいいのだ、無理して着飾ってポロを出すより、最初からもっともない姿を見せておいた方がいいだろうと自分に言い訳するのは正直情け亡いところだ。
「女性と映画なんて久し振りだ」
「ディヴィさん、もてたでしょう」
ビール一杯しか飲んでいないが、少し酔いもあったのでは、普段なら向かい合って座っていたら、こんな質問なんてできない。
そこは場の雰囲気というやつかもしれない。
すると、相手はにっこりと笑い頷いた。
やっぱり、年寄りで髪も髭も真っ白だが、若い頃毛はハンサム、イケメンだったのではと思う予想はビンゴだ。
それにしても、さらりと返されると納得してしまうから不思議だ、もし、ここで自慢げに昔の恋愛遍歴を自慢げにされたら、他人は何を言ってんだがと笑うところだが、自分は落ち込むのは確実だ。
「昔は色々と、女性を泣かせたことだね、今でも、この年になってもずっと、悪いことをしたと思っているんだ」
その女性はショックを受けたのかもしれない。
好きになった人がゲイだと知って、望みがないとわかれば泣くほどのショックを受けたとしても不思議はない。
「だから、もう女性を泣かせないと誓ったよ、だから君も僕といるときは、泣かないで」
その言葉に美夜は慌てて言い訳するように映画を観たからですと繰り返して、最後の一切れのだし巻きを口に放り込む。
甘い、甘すぎるわ、台詞が、いや、だし巻きが。
心臓が、なんとなく、どきどきするは決して気のせいではない。
気持ちを落ち着けないと、冷静になって自分と思い、店員に声をかけて巨砲のチューハイを頼んだ。