「な、何、俺は聞いてないよ」
電話の向こうから聞こえてくる慌てた声に辰美は驚いた。
「今頃デートしてるわよ、数年分の善行をしたわ」
「言ったよね、協力してくれるって、美夜さんは今、恋人がいないから今がチャンスだって」
その言葉に辰美は無言になった。
「それって、いつのこと」
半年前と言われて黙りこんだ、それはない、賞味期限を通り越しているといってもいいのではないか。
「その頃、あんたは試験とか言ってなかった」
「いつの話をしてんだ、とっくに合格したよ、たっちゃん」
「最近、忙しくてね、物忘れも、ちょくちょくと」
「そんなことより、美夜さんは」
「今頃、美味しく晩ご飯を食べているわよ」
「まさか、デザートは君、ベッドの中とかいうんじゃないだろうね」
ガキのくせにませたことをと半ば感心しながら、しかし、これは本気で好きなのだろうかと疑問に思ったのは無理もない。
「いや、無理、少し前まで年上の男と付き合っていたのよ、あんたは問題外というか、眼中にないいわ」
「僕には若さがある」
ああ、どこかのドラマのセリフそのまま、現実を見なさい、あんたと美夜と幾つ離れていると思ってるの、すると相手は黙りこんだ。
「年下彼氏は恥ずかしいのか」
「順くん、彼女は三十路半ばで君は未成年だ、おまけに美夜は君の事知らないと、おい」
返事はない、切られてしまったことに、あれが弟なんてと呆れつつ、辰美はベッドに潜りこんだ。
まったく、人の話を聞かないところは誰に似たのか、血の繋がりがないのに、周りの人間から二人ともよく似てるわねなんて言われるのは、こういう性格が災いしているのかもしれない。
「とにかく、あたしは眠るわね」
そう行って彼女は電話を切った。
「甘い物は好きだろう、デザートは」
メニューを見ながら、頼んだのはシャーベットだった。
口の中に入れるとひんやりとした感触に、ああ、自分の熱も、こんな風に冷めてくれたらいいのにと思わずにはいられない。
「今日は、本当に、ありがとう、そうだ、今度は僕が君を誘うよ、デートに」
「は、いえ、そんな」
「映画のお礼だよ」
デートになんて、普通のおやじ、オジサンなら余程自信があるか、勘違いした色ぼけしたオヤジじゃないと言わない絶対言わないだろう。
もし、ここが居酒屋でなくて自分の部屋なら床に突っ伏していたかもしれない。
「どこか行きたいところはあるかい」
いきなり言われても迷ってしまうのか、即答できない事が哀しい、目の前のシャーベットを睨むように視線を落としながら。
「ディヴィさんは、どこか行きたいところってありますか」
と返してしまった。
(ど、どうしようか、いや、こんな事、ああ、いや、決定権は任されたと思ってもいいのよね、しかし、どうする)
右に左に足がフラフラとするのは酔っ払ったせいではない、断じて、ビール一杯とチューハイをお代わりして、色々と食べてたけど、まだ多少のお腹の余裕はあるくらいだ。
楽しかった、ただ映画を観てご飯を食べただけだというのに、この時、ふと甘い物が食べたいと思い、はっとした。
(チョコ、渡した、いや)
記憶がない、覚えがない、いや、渡した記憶がない。
その瞬間、ほろ酔い気分だった頭の中を冷たい風が吹き抜けた。
もしかしてと思い、慌てて鞄の中を見たがない。
どういうこと、記憶が飛んでるの、すっかり忘れてどこかに置き忘れた。
映画館、いや、居酒屋、わからない、呆然としたのも無理はない。
あれは高級なチョコなのだ、友人が自分の為に用意してくれたのになんてこと、がっくりとしているといきなり携帯の呼び出し音が鳴った。
「忘れ物しただろう、いや、さっき渡そうと思って、歳をとると忘れっぽくていけない、これ、お菓子かな、チョコレート」
神様、ありがとうございますと祈りたくなる、思わず拳を握りしめた。
「それチョコレートです、よかったら食べてください」
「おや、誰かにあげるんじゃなかったのかい」
それは、あなたになんですと言いたいところだ。
「いいんです、二人で食べてください」
ここで、あなたに食べて欲しいなんて台詞を口にしたらまずい。
恋人と二人でと、強調したほうがいいだろう。
「ありがとう、イーサンと食べるよ、それにしてもなんだか、照れるね、恥ずかしいよ」
よかった、すごくよかった、ドジを踏んだかと思ったが、直接渡して、こんな台詞を聞いたら返事に、いや、顔を見るの恥ずかしい。
「おやすみなさい」
電話を切った後、思わずガッッポーズをしたくなった、よかった、チョコを忘れて本当によかった。
帰り道、足取りも軽く感じられ、アパートの前まで来たとき美夜は、はっとした、ドアの前に誰かいるのだ。
男、不審者、いや。
「美夜さん」
自分の姿を見つけたのか相手が近づいてきたのはいいが、いきなり目の前で転んだので驚いた。
「だ、大丈夫ですか」
顔をあげた相手を見て、思わず声をあげた。
「は、鼻血」
だが、青年はにっこりと笑った、顔からがつん、鼻をぶつけたので委託は内のだろうかなんて思ったが、気にする様子もなく相手はにっこりと笑った。
若い、しかも金髪でスーツ姿、自分の名前を知っているということは、どこかで会っているのかと思ったが。
「弟です、今川辰美の実は、お願いがあって、突然ですが一晩、泊めてもらえませんか、実はホテルの予約が」
見ると玄関の前にはスーツケースも置いてある。
友人の弟、しかし、ぜんぜん似ていないし、そもそも会ったのは随分と昔ではないだろうか。
「会ったのは、かなり前というか」
「もう社会人です」
相手を見ながら、とりあえず家の中にと彼女は立ち上がった。
「部屋の中、ちょっと汚れているけど、連絡したほうがいいかな、お姉さんに」
「いいえ、大丈夫です、心配をかけたくないし、それに子供扱いされそうで」
「面倒見がいいのよ、とにかく寒いから入って」
はいと元気よく返事をしながら青年はスーツケースを持ち、元気よくアパートの中に入っていった。
「彼女と付き合っていたのか、それは知らなかった」
会話がぶつりと切れてしまったのでたぶん駄目だったんだろうと市村は思った。
考えこむような友人の顔は他の人間が見たら普通に見えるだろうが、付き合いが長くなるとわかる、後悔、いや、落ち込んでいるのだ、それもかなり深くだ。
「ふられたのか、それともふったのか、会話が続かなくて、もしかして、セックスが下手だと言われたのか」
「全部、当たっているような気がする、体の関係もあったが、避妊しても絶対ということはないし、あまりしていなかったし、なんというかなあ、スキンシップというのが、あまりうまくいかなくて」
「悩むな、そんなことなら行動しろ」
「連絡したくても電話番号を消してしまったんだ、いや、なんというか勢いで」
それで後悔だと、自業自得というやつだと呆れた。
「つまり、彼女は昨夜、男と一緒だったのか、どんな男だ」
どう見ても六十代は過ぎてる、もっと上かもしれない、外人で髪も髭も真っ白な年寄りだと言うと友人は、ほっとした顔になった。
「いくら何でも恋人じゃ」
「そうか、外国ならじいさんと孫のカップルもいるぞ、それにな俺の連れがな」
「な、なにを」
「女の方が惚れてる、恋してると言うんだ」
「う、嘘だ、ろう、おまえから見てどうなんだ」
「わかる訳ないだろう、だが連れはバイセクシャルで、そういうことには敏感というか、感がいいというか」
やめてくれと遮られて市村は黙り込んだ。
これ以上何か言うと友人は立ち直れなくなるくらい傷つくかもしれない、昔からナイーブな性格なのだ。
「どのみち自然消滅なんだ、諦めたらどうだ」
「おまえは女には不自由していないし」
グチグチとした文句なのか嫌みなのかわからない小言を聞きながら、まずかったなと今更のように後悔した。
だが、どちらにしても、お終いだ。
木桜美夜がどんな性格をしているのかわからない。
だが、今川辰美が友人なのだ、社内で変わっている女性と言われている、そんな女の知り合いなら似たりよったりだろう。
「諦めろ」
心配する自分の身にもなれといわんばかりに市村は友人の肩をどんと叩いた。