夕暮れ時である。カルバート共和国の山中にある閑静な温泉街。以前は仕事の合間にたびたび訪れていたが、クロスベルのアルカンシェルに籍をおいてから、多忙ゆえに足が遠退いてしまっていた。
「いい空気……やっぱりたまにはここに来ないとだめですね」
散策を楽しみながら、リーシャは以前世話になっていた民宿に足を向ける。ここまでの旅程で疲れたわけではないが、日頃の疲れを取ることが目的なので、そろそろ目的の温泉に浸かりたいところである。
「ごめんください」
「ああ……いらっしゃい。おお、リーシャさんじゃないか」
「あら、お久しぶりじゃない。来てくれて嬉しいわ」
民宿の主人の夫婦は懐かしそうにリーシャの顔を見るなり喜んではくれたものの、次の瞬間顔を見合わせていた。
「うむ、来てくれて嬉しいんだが……」
「ひょっとして、お邪魔してしまいましたか?」
「いや、丁度いま、お客さんがいてね。団体のお客さんの隣の部屋なら空いてるんだが」
「宴会とかするかもしれないし、うるさくなるかもしれないから……」
「そうなんですね。私は構いませんけど……」
温泉さえ楽しめれば、多少のうるささは問題ない。
「そうかい。申し訳ないね。大部屋のお客さんにはうるさくしすぎないようには言っておくから……」
「ありがとうございます。」
リーシャが通されたのは大部屋である。団体客のいる部屋とは襖で仕切られているだけで、話し声がどうしても聞こえるが、クロスベル旧市街のアパートも遮音性が高いわけではないので、気にならない範囲ではある。
ん、と、延びをしたリーシャは、衣服を手早く浴衣に着替える。浴衣にも関わらず、リーシャの抜群のスタイルは胸や臀部が強調された形となってしまう。そういったことに無頓着なリーシャは気にしないまま温泉に向かった。
「気持ち良かった……♪」
白い肌を上気させたまま、風呂上がりのリーシャは浴衣をまとい大部屋に戻る。騒がしい声が部屋にたどり着く前からするので少し興はそがれたが、久々の温泉の心地よさが勝り上機嫌のままである。リーシャが自室の障子にに手をかけようとした瞬間、隣室の男が酒気をただよわせたまま、部屋から顔をだす。
「こんばんは」
軽く頭を下げて挨拶だけすると、中年の男が目を丸くした。まじまじとこちらを見つめてくるので、リーシャは首をかしげた。
「……?あの?」
男ははっとしたように首を降り、ニヤニヤとしたまま頭を下げる。
「いやいや、すみません。その、ちょっと五月蝿くしてしまって……」
「いえ、おきになさらず。楽しんでください」
自分のせいで楽しい時間を邪魔する形になるのも少し申し訳ない、という気持ちがリーシャにはある。
「いやいや、本当、申し訳ない……」
「本当に気にしないでください」
男が平謝りしつつ部屋に戻ると、静かに、という声が聞こえた。本当に気にすることはないのに、などと思いつつ、気遣いに感謝して、灯りを消して早めに眠りにつくことにした。