自分は厳格な聖職者だという自負があり、日々の全てを神に捧げて生きてきたつもりだった、それなのに。
クロードは数日前の出会いを繰り返し思い出してしまう自分に悩んでいた、いや、正直にいうて怯えているといってもよかった。
外国人で女だから珍しかったのかもしれない。
あれから気になって一度、店を尋ねてみたが、女には会えなかった。
当たり前だ、最初の出会いからして偶然なのに会えるという確かなものなど何もない、それなのに。
女に深く関わってしまうと道を踏み外してしまうことになりかねないと昔から言われていたし、それで聖職者の地位を捨てた人間を見てきた。
自分は決して、そんな事にはならないと心に深く誓っていた。
なのに、何故、こんなにも気になるのか。
髪の色、顔立ち、着ているものからして特別、美しいというわけではない、それなのに。
それは偶然のめぐり合わせだった。
あれからクロードは何度か、この店を訪れていた、そして今日、熱心に棚の本を見ている女の姿を見つけたとき、どうやって声をかけようかと一瞬迷った。
だが、気配に気づいたのか、女が振り返った、同時に自分を見ると不思議そうな顔になった。
「クロード神父様、でしょう」
声をかけられ、すぐには返事ができなかったのは緊張と戸惑いのせいかもしれない。
「またお会いしましたね、本がお好きですか」
頷きながら女は本屋の人が珍しそうな顔をするんですよと女は笑った。
楽しそうな笑顔にクロードは女性は珍しいでしょうからと低い呟きを漏らすと、何故か決まり悪そうに言葉を続けた。
「パリにお住まいですか、名前を伺っても」
仮面の男は不安を感じていた、女の態度や様子にだ。
何があったのかと聞こうとするのだが、会話の糸口が掴めずにいた、そして、女の方から予想もしない言葉を聞かされた。
地上で暮らしたいという、男は驚いた、何故、急にそんな事を言い出したのかわからず、いや見当もつかず、しばし呆然とした。
外に出て、どこで、どうやって暮らすというのか、今現在、自分が生活の面倒をみているのだ、それなのに。
すると女は教会で働きたいと言い出した、常時、人手が足りなくて困っている、手伝ってくれるなら外国人でも構わないらしい、仮面の男はしばし呆然とした。
「神父様が」
教会の人間、聖職者が女に声をかけたのかと男は内心驚いた、困っている人間がいれば救いの手をというのは決して珍しいことではない。
クロード神父と女の口にした名前に問いかけると以前、店で会った神父だという。
長身の壮年の男の顔を思い出し、仮面の男は妙な気分になった。
女が自分から教会で働きたいと申し出たなら考え直すように言ったかもしれない。
だが、神父から申し出たなら、聖職者といえど、自分の想像に男は嫌な予感がした、外国人なら何か問題が起きれば内緒で事を納めるともできる。
このとき、女の顔をまじまじと見ながら男は尋ねた。
「ここを出て行きたいのか」
彼女の姿を寺院で見つけた時、正直、安堵した、だが、その気分は長くは続かなかった。
寺院を出て背中に感じる気配と足音を聞きながら、説明のつかない気持ちには苛立ちばかりが募った、どうしてと思うが、その理由、この感情には覚えがあった。
いや、わかったのだ、今更ながら。
クリスティーナ・ダーエが初めてオペラ座の舞台に立ったとき、誇らしい、勝利の気持ちで体中が満たされた、だが、それは偶然にも現れた彼女の幼なじみ、ラウル・シャニュイの出現によって、あっけなく打ち消されてしまった。
嫉妬という感情を、初めて知ったのだ。
あの若い貴族がクリスティーナに近づき、話しかける嬉しそうな笑顔を見ると腹が立った、目の前から消したい、できる事なら殺してしまいたいとさえ思ったのだ。
正直、殺してしまおうかと考えた。
だが、そうしなかったのは色々な問題があったからだ、友人だと言いながら周りを番犬のようにうろつくペルシャの元役人、ナーディル・カーン。
もし殺人が何が何でも真相を突き止めようとするだろう。
こちらが、どんな偽装をしたとしても突き止める筈だ、それを考えると安易に行動を起こすことはできなかった、それに、もし彼女が知れば、自分に対してどんな感情を抱くか、あえて危険を犯す事はできない。
彼女の、この恋の為なら、自分はどんな犠牲をも払う覚悟があったのだ。
だが、今の自分には彼女に対する愛情も恋の熱も・・・・・・。
女が教会で働きたいと言い出したこと、神父が申し出たこと、それを快く思わない自分の感情をなんと説明すればいいのか。
女が目の届かないところへ行ってしまうかもしれない、それだけのことでだ。
若い修道僧の呼びかけに、フロローは思わず振り返った。
「どうかされましたか、ステンドグラスが何か」
あまりにも熱心に見ている様子に、もしかして破損か汚れでもと心配した修道僧の言葉にフロローは、慌てて首を振った。
数日前の事をフロローは今更のように思い出していた。
声をかけると、振り返った相手は女で、何故か、泣いていた。
理由を聞く事も、そこから立ち去る事も離れる事も、何も言えず、あのとき自分は思わず女の体を抱きしめようと手を伸ばそうとしたのだ。
(淫らな気持ちや感情などを抱いていたわけではない、私は)
信者が待っています、その言葉にフロローは頷き、そして一度だけ振り返った。
寺院の扉に向かって・・・・・・。