夢の続き~after the school idol~ 作:果樹 椿姫丸
1. 新天地
匂い。
懐かしい匂いだ………パンの焼ける匂い、朝の香り…………。最近はずっと俺が当番だったから、この香りと野菜を切る音を聞くのは、随分久しぶりのことのように感じる。
?ということは――――
「にこ……にー?」
「ごめんね、にこちゃんじゃなくって」
クスクスと、悪戯っぽい声。あれ?この声は―――
「南……さん………!?」
「おはよう、虎太郎くん。………それと、南さんじゃなくって、ことりでしょう?」
そうだ。今思い出した。俺は今、諸事情により南ことりさんと同棲しているんだった!
「すみません、その……ことり………さん?」
「うん♪ご飯出来てるから、顔洗っておいで」
「は………い」
俺、矢澤虎太郎は高校二年生。今は高校生活二度目の夏休み中で、姉さん――矢澤にこの計らいにより、夏休みの間の1ヶ月を、ことりさんの家で過ごすことになっていた。
……とは言っても、過ごすのはことりさんの実家ではなく、ニューヨークのことりさんの家で、である。高校を卒業後、ことりさんはニューヨークの服飾系の専門学校へ進学、その後下積みを経てデザイナーとなり、現在では10代の女性に人気のファッションブランド・ミナリンスキーの女社長として世界で活躍している……らしい。
「…………」
そして、この家はそのことりさんが寝床兼仕事場として借りているマンションで、服のデザインを考える時なんかは、ここに1日籠って作業をするらしい。話を聞く限りだと、ことりさんが他の社員の方と直接交流する機会は、あまり多くないようだ。取引先の人との話し合いや会議への出席、そして服のデザインなんかが主な業務らしい。もっとも、口にしないだけで、細かいお金の計算や経営戦略なんかも、その仕事のうちの一つなんだろうが………。
「………ごめんね、簡単なのしかないけど」
リビングへ移動し、席につくと、ことりさんは恥ずかしそうに笑った。空港で会った時は前よりも大分落ち着いて大人になった印象だったが、こうしてたまに見える表情は昔のままで、やっぱり素直に可愛いと思う。
「……いえ、出してもらえるだけでも嬉しいですから」
「………ううん、ちゃんとここで生活する分のお金はにこちゃんから貰ってるから、これくらいやって当然だよ」
最初は断ったんだけどねー、と続けて、ことりさんは笑う。流石にこちらから何もなしでは、申し訳ない……。確かにことりさんと姉さんは度々交流していて、最早他人という仲ではないのだろうが、だからこそこういう所はしっかりしなければ駄目だろう。姉さんもそれが分かっていたから渡したに違いない。
「食べよっか?」
「はい!」
「「いただきます!」」
きつね色に焼けたトーストに、ふわふわのスクランブルエッグ、それから………俺が普段食べているものよりも、少し長めで、そして肉汁がしっかり溢れているウィンナー。確かに簡単なものではあるけど、どれも(多分)高級なものばかりだ。さりげなく横に置かれたブラックコーヒーとコーンスープも、朝の始まりを演出しているようで………詰まるところ、どれも美味しい。こういう所に気配りが出来るのは、ことりさんの魅力の一つなんだと思う。
「………虎太郎君、ごめんね」
「えっ?」
「今日は、夕方まで帰れそうにないの。……ちょっと他の企業さんに呼ばれてて」
「あっ………そうなんですか」
参ったな………。外に出ようにも、俺は日本語以外さっぱりだし………。
「だから、今日のお夕飯は外で食べよ?それまではここでテキトーに過ごしてて大丈夫だから」
「はい……」
テキトーにと言われても、俺はまだこの家に来て日が浅い。正直まだ少し落ち着かないけど………、ことりさんもこう言ってくれているし、夕飯の時間まではくつろがせてもらおう。
「「ごちそうさまでした」」
「皿………洗っときますね」
「良いのに………」
「泊まらせてもらってるんですから、これくらい当然ですよ」
「………そう?じゃあ、甘えちゃおうかな」
言いながら、ことりさんは掛け時計を確認する。……かえって気をつかわせてしまったかもしれない。
「あの、急いでるんなら、もう出て大丈夫ですよ」
「あっ………そう?じゃあ、ごめんねー」
「お仕事、頑張って下さいね」
「うんっ!………あっ」
「?」
「お昼は、そこのチラシのお店に電話して来てもらってね?お金はそこに置いてるから」
デリバリーってことか。
「わかりました」
「うん、それじゃあ……行ってきます!」
「………行ってらっしゃい」
うーん。やっぱりまだ慣れないなぁ。
「あっ」
そういえば、俺………英語喋れないのに、
「どうやって注文するんだよ………」
結局、この後俺は“オススメ”という意味の英単語をネットで調べ、店で一番人気なのであろうピザを、一人堪能したのだった………。英語なんか一生使わないと思っていたし、姉さんもあまり頭は良い方ではなかったから今まで真面目に英語を勉強したことはなかったのだが………まさかそれを後悔する日が来ようとは。帰国後はもう少し真面目に勉強した方が良いかもしれない。
夕方。まだ暑い季節ということもあり、空は依然青いが……、ことりさんは朝言ったとおりに帰って来た。
「おかえりなさい」
「ただいま。………1日家の中で退屈だったでしょ?ご飯食べに行く前に、少し外に出てみない?」
「外……ですか」
願ってもない。ことりさんと一緒なら、俺の英語力でも安心だ。
「うん………デートだねぇ」
悪戯っぽく、ことりさんは笑う。
「からかわないで下さいよ」
「えへへ、虎太郎君すぐ赤くなるから………楽しくって」
やっぱりからかってたのか。……どうやらことりさんは少しSっ気がある人らしい。俺はあまり人にイジられるのは得意じゃないので、正直勘弁して欲しい。ましてあの空間に男女二人きりなのだから、嫌でも意識してしまう。
「………む。怒ってる?」
「怒ってませんよ。………服、着替えてきますね」
「………あ、私もスーツ着替えなきゃ」
「じゃあ俺寝室で着替えてきますね」
「うん」
………そういえば、姉さんはどうして俺をことりさんと同棲させているのだろうか。……事の発端は、確か………進路希望調査の話だったような気がするが。
「――――」
……まぁ、何にしても、あの姉さんのことだ。何か考えがあるに違いない。昔から、意味のないことはやらない人だったし……。そういう、ある種の無駄のなさが、現在の姉さんを生み出したのかもしれない。
矢澤にこ―――姉さんは高校を卒業後、スクールアイドルではなく、プロのアイドルとして活動を始めた。μ´s時代の人気もあり、確実に人気を集めていき、暫くで“トップアイドル”と言っても差し支えない存在になった。しかし、25歳の春、姉さんはアイドルを引退………女優として活動を始め、現在まで至る。前とは立場が違うが、テレビでドラマや映画を見れば、姉さんがよく映っている。今では日本を代表する演技派女優になりつつある。我が姉ながら現実味がない。
でも、姉さんは………もう、
「虎太郎君、そろそろ行こっかー?着替え終わってる?」
「あっ……はいっ、すぐ出ます!」
姉さんはもう………皆のアイドル、宇宙ナンバーワンアイドルにこにーじゃない。
マンションを出た後、ことりさんの車で10分程走ると、広い公園に着いた。……なんでも、前にライブ前の練習で利用した、思い出の場所らしい。姉さんに聞けば何か知っているかもしれない。
「結構広いですね」
「うん。………朝、μ´sの皆でここをぐるっと一周走ったりしてたんだよ」
「へぇ………」
「この辺りには思い出の場所が多くて……だから、事務所はあそこのマンションにしたんだ」
茜色に染まり始めた空を見上げて、ことりさんは微笑む。その輝く瞳と薄赤く染まる頬は、スクールアイドルだった頃の自分を思い出し、懐かしんでいるだけでなく、その頃の高揚感や感動を今に再現しているようだった。
「ここも………大切な場所の一つなんですね」
「うん!」
ことりさんは俺の方に視線を落とし、笑う。夕焼けを背景に、その薄茶色の髪が、風に揺れた。―――綺麗だ。心の底からそう思う。
「虎太郎君はどうかな?………この場所は好き?」
「俺は………」
この公園には、日本と違う独特の雰囲気がある。……何というか、公園にいる人々の笑顔が絶えないのだ。植えられた木々の緑も、光を受け美しく輝いている。………自然の美しさもそうだが、人々の表情もまた眩しい。良い場所だと思う。
「そうですね………この場所が……というよりは、この空間って言えば良いんでしょうか………多分好きだと思います」
「そっか……なら良かった!」
その後、ことりさんに一通り公園を案内してもらい、気が付けば太陽は沈んでしまっていた。……ことりさんと過ごす時間は、とても楽しい。………何というか、ことりさんと一緒に過ごすと、空気が弛緩するのだ。これは昔からだった気がする。ことりさんは、所謂癒し系の女性なのだろう。
「お夕飯、近くのレストランにしようと思ってるんだけど、大丈夫かな?」
「はい!」
今夜はレストランか。ここに来てから結構贅沢させてもらってる気がするな………。
更に車で五分程走ると、ことりさんおすすめのレストランの場所が見えてきた。………少し身構えていたが、思っていたよりは庶民的な店構えで、俺は少し安堵した。
「良かった………」
「………やっぱり」
クスクス。いつもの悪戯な笑い。………全てお見通しなのだろうか。
「やっぱり………って?」
「虎太郎君、あんまり高級志向なお店にしちゃうとかえって緊張しちゃうと思って、このお店にしたんだ♪」
つまり……朝のうちには俺の考えを読んでたってわけか。
「助かります」
ほんと、この人には一生敵いそうにない。将来の旦那さん、全部見透かされてるみたいで大変だろうなぁ。……まぁ、ことりさんって美人だし、可愛いし、お金持ち(多分)だし、手先器用だし、料理だってあんなに美味しいんだから、モテない理由ないんだけど。
「………よし、入ろっか?」
「はい!」
店内の心地好い喧騒と、色々な匂いが混ざりあった美味しい香りが、俺の全身を包みこんだ。
はい。始まりました、今回は虎太郎君の物語です。虎太郎君は高校二年生ということで、アニメ版ラブライブより11年後の世界を描いています。当然μ´sの皆は大人になっているので、ことりちゃん以外の皆の成長した姿もどんどん描いていきたいですね。虎太郎君はニューヨークでことりちゃんと過ごし、どう変わっていくのか。……それは今後のお楽しみです。どうか最後までお付き合い下さい