「……神奈」
額に手を当ててため息をつかれた。
顔色が悪い。二日酔いだろうか。そういえば息がお酒臭い。
それなのに叩き起こしたわけだから、不機嫌なのもわかるけど。
「おまえな……、だから売春はほどほどにしろとあれほど」
「そんなこと関係ありません。いいから結論だけ言ってください」
バサッ、とカルテを机の上に放り投げて腕を組みながら担当主治医の男――平塚昭夫はぶっきらぼうに言った。
「妊娠は可能だ」
目を見開いた。
まさかと思っていたが、まさか本当にそうなったなんて。
こうして医者の言葉を聞いてようやく信じることができた。
「……本当ですか」
「間違いなく排卵は起きている。卵巣にも異常が見当たらない。更年期特有の収縮もなくなっている。数ヵ月前の診断からは考えられんがな」
「何が一体起きたんですか」
「それは俺が知りたいよ。年齢的に言ってもあり得ない現象だ。おまえ今年でいったいいくつだ」
女性にそれを不躾に聞くこの男。
平塚は、広大さんが若い頃から恵子さんの主治医代わりとして雇い、事情をすべて把握していた。
元々はドイツの外科部長まで昇りつめた男だが、派閥闘争で窓際に追いやられ、嫌気がさして日本に帰国したのを広大さんが拾ったらしい。
私と恵子さんの出産も彼が行った。腕は確かだが、広大さん曰く、異世界人の女に興味本位しか持たないこの男を彼はあまり信用していなかった。
「128歳です」
「……化け物か。いや、そういうものだとわかっていたが」
「本当に子供が産めるのですね」
「産めるかどうかは別だ。妊娠が可能なだけだ。言っておくが胎児がまともに成長できるような胎盤なのかどうかの保証はない。レントゲン結果も見たが――こればかりは実際に妊娠するまでなんともいえんな」
「なんとか言ってください。せっかく妊娠しても産めないんじゃ話になりません」
「おまえ、妊娠するつもりなのか」
呆れたような驚くような、入り混じった表情を向けられた。
彼から見れば老婆が何を世迷言を言ってるんだといった感じなのだろう。
「結婚相手ができました。彼との子供を産むつもりです」
「……そいつはおまえの正体を知ってるのか?」
知るはずがないだろう。
私の正体を知っていた広大さんでさえ、結婚することはしなかった。
「…………。神奈。いいか、産めば母体の無事は免れない。帝王切開しかないだろう。仮にそうしたところで胎児が五体満足であるかどうか。それでも産むつもりなのか」
「はい」
「……たく。広大のやつ、厄介な女を残したものだ」
薬品棚からいくつかの錠剤を取り出してきた。
「経血検査をしてみたが特に異常は見当たらないので排卵誘発剤は必要ないだろうが、フェマーラだけ処方しておく。これは閉経後の乳がん治療薬だが不妊治療にも使用できる。PCOS――多嚢胞性卵巣症候群にも有効で卵胞の発育を促す作用がある。一番妊娠しやすいのは排卵前5日から排卵日までだから、タイミング的には次の排卵まで待つ必要があるが、おまえの場合……」
パソコンの画面から過去のカルテを引っ張り出した。
そこと現在の検査結果を照らし合わせている。
「やっぱりな、普通の女とは違うと思っていた。結論から言うと、排卵後も妊娠は可能だ。ウサギを知ってるか?」
「はい?」
「ウサギだよ、子孫繁栄に進化した動物で、子宮が二つある。あいつらは妊娠中にさらに妊娠することができる。要するに何らかのアクシデントで片方の胎児が亡くなっても、予備で補うようになってるわけだ。それと同じことがおまえにも言える」
「……つまり?」
「排卵後も受精可能だということだ。デラ=グラントの女性特有のものだと思うが、卵胞の生成量が多すぎる。これだけあれば受精の確率は格段にあがるだろう。もっとも相手次第ではあるがな」
それでこの男。
あれほど私にコンドームをつけろとうるさく言っていたのか。
まだ広大さんに買われたばかりの頃だが、昔、妊娠の可能性が高いとしつこく念押ししていた。
こんな年齢でそんなはずがないと甘く見ていたら案の定――彼との子をあっさり身籠った。
「その男は、あれか。まだ若いのか?」
「高校2年です」
「……17歳くらいか。それなら確実に妊娠できるだろうな」
「お世話になりました。また伺います」
「もう来ないで欲しいがね。次に来るときはプローブの用意でもしておくよ」
ふわあ、とあくびをかみ殺して手で追い払う仕草をした。
実際、かなり面倒見がいいのは助かるが、この男は私を研究対象としか見ていない。
だからこそそこを利用している。
ともかく。
母体に負荷がかかる可能性が高いけれど、子供が産めることはわかった。
産みたい。
なんの奇跡でもいい。たくやくんの子供が欲しい。
前に広大さんの子を授かった時以上の強い想い。
あの頃は、ただ彼との絆が欲しかった。
でも今は――。
たくやくん。
あなたから授かったものを今度こそ手放したくなかった。
携帯に連絡してみたが繋がらない。
一応留守電にメッセージは入れておいたが、不安なので念のためSMSも残しておく。
学校には来ていなかった。
どこかで寄り道でもしているのだろうか。
気になり、早退して彼女の家まで行ってみることにした。
そんなに遠くなかった。隣駅だ。家からでも歩こうと思えば歩ける距離だった。
着いたが――。
本当にここなのか?
やたらでかいマンションだ。この18階らしい。高層じゃないか。
一昔前のタワマンといった感じだった。
ともかく居るかどうかだけでも確かめようと近づいたそのとき。
変な男がエントランス付近をうろついていた。
「……あの男は」
間違いない。あの夜、神奈を抱いていた男だ。
そういえばマンション前にでかい車が止まっていた。あの男のものか。てことはあいつ、かなりの金持ちらしい。
こんな朝早く――まだ8時前だ。
神奈の登校時間でも狙っているのか。
また殴り倒してやる、と腕を捲ったが、――なんと。
神奈が呼び出しに応じて下りてきた。
「…………」
家に居たのか。
なんで携帯を無視したんだ。
いや、そんなことより。
神奈が……男と話している。
そいつはおまえを買った男じゃないのか。
話すことなどないはずだ。だが。
神奈は、男から金を受け取っていた。
「…………」
そうか。
俺があの晩、殴り倒したから、まだ金は貰っていなかった。
だが彼女は売春はもうしないと約束した。
それは龍蔵寺以後という意味か。だったら。
もう金を受け取ったのなら、その男に用はないはず。
……だが。
神奈は。
男に肩を抱き寄せられた。
「……っ!」
さすがにもう見ていることができず、走り寄って男を再び殴り倒した。
そのままエントランスの床に転がる男に見向きもせず、神奈の腕を引っ張った。
「たくやくん?」
「神奈、さっき渡された金を寄越せ」
50万近い札束だった。
それをそのまま男に投げ返し、失せろ! と怒鳴りつけると、男は殴られた頬を庇いながらその場から逃げていった。
金はきっちりと全部拾いあげていったが。
それを見てから再び神奈へと向き直った。
「なんであんなやつから金を受け取ったんだ!」
しかも。
あれだけの額だ。あの晩だけの金額じゃない。肩を抱き寄せていた態度からも明らかだ。
あいつは神奈を再び買おうとしていた。
「…………」
「神奈。金が必要なら言ってくれ。頼むからもう売春はしないでくれ」
「…………」
「約束しただろ。もう二度としないって!」
「たくやくん。……あのお金は、そうじゃありません」
「え?」
「脅しているんです、彼を。口止め料です。売春をバラされたくなければ金を出せと言いました。あの人は市長です。たくやくんに殴られた後、身元が割れることを恐れて私を脅しにきましたが、逆に脅し返しました。……これで」
――カチッ
ポケットから出したボイスレコーダーの再生音が鳴り響いた。
『……はぁ、ふぅ、……たいした女だな、何回イかせる気だ』
『次は3万です。……出せますか』
『くそっ……、はぁ、……わ、わかった。払う、払うから』
『後払いは信用しないことにしています。今この場でスマホアプリから振り込んでください』
『こ、……これでいいか。ほら、残高を確認しただろ、だからもう一度……!』
…………。
録音していたのか。
しかもこの音声。間違いなく市長のものだ。何度かニュースでの会見を見たことがある。
じゃあ、神奈の肩に手をかけていたあれは。
あれはなんだったんだ。
「もう一度やらせろと言ってきたので、……懲りない男だと」
「俺が殴らなければ、やらせていたのか?」
「どうでしょうか。逃げられると思いますか。だからたくやくんに応答しませんでした。駆けつけてきてくれると信じていたので」
負けた。
彼女のほうが一枚も二枚も
だけど、……よかった。
ちゃんと俺との約束を守ってくれていたのか。
「神奈。……もう危ないことはするな」
「はい」
「学校にも来てなかったから心配したんだぞ」
「早退してきたのですか」
「来て早々にね。今さら戻るわけにも」
「学校へ行きましょう」
「…神奈」
「普通の学生は、この時間は朝のホームルームです。行きましょう、たくやくん」
腕を自然に搦めてくる。
傍目には仲のいいカップルにしか見えないだろう。
……今は。
そうすることが、神奈にとって一番大切なことのように思えた。
美月さんと付き合っていた頃。
ところ構わず隙を見ては学校内のあちこちでセックスした。
もちろん何度かホテルや美月さんの自宅ですることもあったが。
どちらかといえば、――スリルを求めていた。
普通にセックスするだけよりそのほうが何倍も感じたからだ。
見つかるか見つからないかのあの緊張感。声を抑えて互いの口づけで喘ぎを消しながらの交合。イくとき彼女がビクビクと背を引き攣らせながら絞り上げるように俺の射精を促す。その興奮に病みつきになっていた。
昔――親父が。
そうやって亜由美さんとしているのを見たことがある。
あの頃は亜由美さんのことをまだ知らなかった。親父の研究室に行く学生の一人かとその程度に思っていた。
なぜあのとき親父は書類を届けるように俺に言ったのか、今ならわかる。
彼女を犯すのを見せつけるためだ。そのための興奮剤として俺を呼びつけた。当時はそんなこともわからず、研究室の窓から見える激しいセックスに、ただ魅入られていた。
夏季休暇中の大学構内だ。人の気配はほとんどない。
だから俺を呼びつけた。
普通のセックスよりもそのほうが何倍も興奮する。息子に見せつけるという、その変態じみた行為に。
俺は――堕ちた。
あのときの亜由美さんの表情、感じている時の身体の痙攣、助けを求めるかのように伸ばされた腕、その手を乱暴に羽交い絞めにする男の手、しまいには呼吸するたびに連続して絶頂する彼女の姿。
たまらなく興奮した。
まだ15歳くらいの頃だ。高校に入って間もない。それなのにあんな激しいセックスを見せつけられて、どうにかならないわけがない。
その後、いろんなアダルトAV等を見ても無駄だった。抜けなくなった。それなりに性欲はあったが、あのときの興奮が強烈すぎて、他のどんな女体を見ても色あせてしまう。
そんなときに美月さんと身体の関係が始まった。
最初は本当に性欲だけ満たされれば満足だった。やはり本物のセックスの興奮は何にも勝るものだ。それまで自信喪失しかけていたが、美月さんとの危険な情事のお陰もあり、彼女が悦んで求めるほどの勃起が得られるようになった。
その後は……。
まあ、なんだかんだあって、破綻した。
美月さんのせいにはできない。俺がおかしくなっていたのだ。狂っていたとも言える。性に貪欲になりすぎた。
だから射精衝動を耐えることでしか感じられなくなったのは、俺の自業自得だ。
美月さんと別れてやっとそう思えることができた。俺に幸せな結婚はできない――そう彼女は言った。正しいと思う。俺は幸せな結婚なんて望んじゃいない。
ただ自分に従順な、組み敷ける女が欲しい。
俺の根源的な欲求はそれだった。
だが妙なフェミニストもある。女性を傷つけたくはなかった。美月さんに容赦なくやっていたのは、そうすることで彼女が悦ぶからだ。
澪が。
俺に好意を寄せているのには気づいていた。
彼女の想いはわかりやすい。つれない態度はその裏返しだ。彼女を一度でも抱いてしまえば、もう澪は俺に陥落するだろうということはわかっていた。
わかっているからこそ、傷つけたくなかった。
俺が欲しいのは、――傷つけることを恐れるような女じゃなく。
傷つけてもいいから欲しいと思える女だけだ。
――神奈。
やっと巡り逢えた。
親父の愛人だった女。
抱けば抱くほど、彼女に憑りつかれていく。
美月さんのときとは違う。
亜由美さんに抱いた劣情とも違う。
不思議な高揚感と期待感が、彼女を通して伝わってきた。
神奈になら。
何をしても、……許される気がする。
教室に入る前に神奈の手に紙を握らせた。
あらかじめ書いておいたものだ。
目くばせをして後でこっそり見るように伝えた。神奈は察したのか紙をポケットに隠し、遅刻したことを教師に詫びた。
「以後気を付けなさい」
「……はい」
「有馬も席に戻れ。早退はなかったことにするから」
まだホームルーム中だった。
一限目はまだなので早退処理も面倒なのかもしれない。
その後、上の空で授業を受けた。
放課後――彼女を呼び出した場所へと行くと。
先に来ていた。こっちを見て一瞬嬉しそうな表情をしたが、すぐにいつもの態度へと豹変した。
こういう女の裏表の行動は、見ていてわかりやすいだけに痛々しさすら感じる。
「何の用? こっちは忙しいんだけど。見ての通り調べものがたくさんあるの」
島津澪。
俺と美月さんとの情事を目撃し、その後疎遠になっていた。
だがそうも言っていられない。彼女が元凶であることに間違いなかった。
歴史研究室に呼び出したのは、ここなら何かと理由をつけて彼女が来やすいと踏んだからだ。
扉を閉める。
そのまま澪の元へと近づいた。
「な、なによ」
口応えをするのを封じるように。
彼女の腕を取り、無理やり口づけた。
「んんぅっ……?!」
ねっとりと。
舌を絡ませ、歯列を割り、彼女の戸惑いを煽るように咥内を荒していく。
たぶん――初めてだ。
だからこそ執拗に攻めた。最初にこうすれば抵抗を封じられる。話をつけるためには必要だった。
「あ、……っ、ふぁ……」
澪の舌先を絡め、唾液を啜り、喉元まで食らいついていく。
……ほら。
もう目が潤んできた。俺のことしか見えていない。
落とすのはこんなにも簡単なことなのに。
俺は今までこれをずっと躊躇っていた。ただ傷つけたくない――そのためだけに。
「あ、りま……くん……」
指先で唇をなぞると、澪は力が抜けたかのように俺にしがみついてきた。
「澪。……神奈の噂を流したのはおまえか?」
神奈の下駄箱にあった罵詈雑言の手紙の中に。
売春という言葉が書いてあった。
それを知るのは俺だけのはずだ。
他に知る人間がいるなら、この女しかいない。
なぜなら――神奈の客だったのがあの男なら。
島津市長は澪の父親だ。
どういう経緯でかはわからない。だが父親が神奈を買ったのを知ったとしか思えなかった。
澪は。
一瞬驚いたような顔をしたが、……突如。
藻掻くように離れようとした。肯定しているのも同じだった。
だが逃すものか。
再び彼女の唇を奪った。
「ん、んん……っ!」
今度はただのキスなんかじゃない。……本物の大人のキスだ。
神奈にしかしたことがない深いディープキス。
彼女の舌の根が震え出してきた。俺の動きについてこれなくなっている。そのまま陶酔したままでいろ。
すぐに喋れるようにしてやる。
そのまま。
彼女を机の上に押し倒し、わずかだが抵抗する手足を無視し、服の下に手を忍ばせていった。
下着の隙間から乳首を摘まむ。足を割り開き少しずつ彼女の身体を蕩けさせていく。
再び唇を離した頃には、呼吸を荒げて泣きそうな顔で俺を見上げていた。
「だ、……って、……パパを……惑わせた、のよ……あの女が」
「澪。神奈はな、俺と付き合ってるんだ」
「え……?」
「つい二日前だ。おまえの父親とやってる最中の神奈を見て、俺は彼女を自分の家に連れて帰ったんだ」
「な、……んで?」
「最初はただの好奇心だ。平たく言えば興奮した。その後、神奈と寝た。ぶっちゃけると俺はそれで神奈を手放せなくなったんだ」
「…………」
「澪。神奈を中傷するのはやめるんだ。俺の女だ。彼女を傷つけるような真似はしないでくれ」
「有馬、くん……」
「やめるならこの続きをしてやるが、どうする?」
澪の表情が。
躊躇い、戸惑い、切なさ、苦しさ、……万華鏡のように変わっていく。
どれを選択したとしても、彼女にとっては苦渋であることに変わりない。
だが。
澪は腕を伸ばしてしがみついてきた。
「……うん。やめます。やめるから、……して」
「ちゃんと誓約書を書くか?」
「書くわ。なんでも書くから。……お願い」
「いい子だ、澪。じゃあ足を開くんだ」
素直に言う通りにしてくる澪の頬に軽くキスをすると。
下着も下ろさず、彼女を勢いよく貫いた。
涙を浮かべる澪に少しだけ罪悪感が湧く。
だが。
俺はもう――神奈のためなら何をしてもいいと思っていた。
さあ始まりました。(カンカンカン←ゴングの音)
たくやくんの女性遍歴、本編スタートです。
今までスタートしてなかったのか。
澪との情事はいずれ本編にも登場するかもしれません。気分がのれば。