何処かの国の風習
それはハルス島北部に位置し、何処の国にも属すことなく発展を遂げてきた自治都市、アレクソニアに到着した頃のことだった。
「いやあ剣士の姉さん美人だねえ。そんだけの器量ならプレゼント貰える男が飛び上がって喜ぶだろうねえ、まあ羨ましいこって」
千年王国=ミレニアム時代。ちょうど200年ほど前にはその大帝国の総督府があったこの自治都市は、現在では大陸とハルス島を結ぶ港町として栄えている。アレクソニアの北に広がるアレリア海を通じて、北北東にはタルチネア王国領ヤルマータ。北北西には同王国領トリアンタと繋がっており、北東にはフォーレシア諸島、その更に北東にはミレウス島、極東のヤムネシア王国へと繋がる海の交差点とでも称すべき都市であった。
そんな土地柄、各国各地方の文化や風習が入って来る事も珍しくなく、通りを歩いていた氷牙の剣は、北東からこのアレクソニアへと渡り来たという商人に声を掛けられて、ある国にあったという風習について説明されていた。
「あっしの出身地域ではちょうど今頃になると女から恋慕う男へとなにかをプレゼントするってー風習があるんでさあ。姉さんにはいねえのかいそんな相手。居たら是非ともなんぞ買ってっておくんなさいよ~っ」
手をもみもみ、愛想笑いを浮かべながら氷牙の剣になにか一つでも買わせたいらしい商人に、興味なさげに彼女は「男ならぬ男の子ならいるけどね」とだけ返す。そう男の子。“男”ではなく“男の子”と。
普通、男というなら成人男性・青年を思い浮かべるだろうが、彼女が思い浮かべたのは小さな体躯をした男の子。元気いっぱいで好奇心旺盛で、やたらと無鉄砲に問題ごとへと突っ込んでいく困った少年のことだった。
思い浮かべるという事の意味は、その少年がこの場に居ないことも同時に表していた。
(ったく、あのガキんちょの好奇心にだけはこのあたしも負けちまうよ)
困ったことにその彼女の事をこの上なく愛している少年、彼女の恋人であるゼファは、アレクソニアへ到着してより間もなく自分とはぐれて迷子になってしまったのだ。
ゼファが自身の予想を超えてくる行動を起こすのは自分自身が彼の少年と恋仲となる切っ掛けとなった密事より前──ミンデル将軍への無謀な奇襲攻撃のときよりそうであったし、南カルタグラ王都カナーンにおいても、アレクソニアへ向う道中でも悉に目にしてきたというのにこの有り様。
到着した直後『この街は大きくてひとの往来も激しいからあたしから離れるんじゃないよ』、そう注意していたにも拘わらずふと目を話したときにはもう居なかったのだからどうしようもない。ゼファの持つ好奇心をまだまだ甘く見積もっていた証明だと、
自分自身に安心と油断があったのだろうと、自らを戒めた彼女は、とにかくゼファを捜そうと動き出したい──と、そんな焦りの最中にいたところを、この商人に声を掛けられて足止めされているのだった。
「ほお、年下の旦那さんかい? 姉さんから視て男の子ってーと16,7くらいなのかねえ いや~いいね~羨ましいぜその旦那さんは」
事情も知らずに長話をして引き留めてくる商人の話は途絶えない。早く探し出さないとまた厄介毎に首を突っ込みそうで放っては置けないというのに……。
話を止めない理由はわかる、要はなにか買っていけといった無言の相図なのだ。
「12だよ、あたしの胸くらいまでしかない背丈の小柄な12のガキんちょだよ」
氷牙の剣はもう買うしか無さそうだと考えつつ恋人の特徴を掻い摘んで話してやろうと、胸下へかけて垂れ下がっている彼女自身の左右二本の長い鬢の髪。
その毛先の位置より少し上あたりを手刀で“とんとん”と二回ほど叩いてやっては恋人との身長差を商人に教えてやった。
「好奇心が旺盛すぎてこの街に着いた途端はぐれちまうようなガキんちょでね。まあ旦那かどうかってなら一応旦那さね。結婚の約束もしたし、それを見越しての付き合い方もしてるからね」
手を繋ぎ歩く、共に食事をし共に寝る、密事はしっかりと最後まで。一度ならぬ二度三度四度、そして五度と行いながら子宝に恵まれても良いという覚悟で互いの愛を確かめる。
そもそも絶対王政のこの世の中。子供であるゼファの子種を受け入れ、それが元で命が芽吹こうとも男女関係に年齢の制限など無いのだから生めばいい。彼女としてもゼファとの子は欲しい。ゼファも氷牙の剣との子は欲しい。愛し合っているのだ。それが普通の思いというものだろう。
もし制限があるとするのならば階級差における制限だろう。王族と貴族は子を儲けても良い、しかし王族・貴族と一般庶子──平民の間では基本的にいずこの国であろうと禁止されている。血統を重んじる王族や貴族の血に、平民の血が混ざるなどあってはならないといったところだ。
因みに氷牙の剣は平民出である。この腕一本でのし上がっては来た物の平民には違いない。おそらくゼファも平民の筈だ。でなければ自由に世界を旅するなど許される訳もなく育ての親は盗賊ときている。そんな王族や貴族など見た事も聞いたこともない。
故にお互い愛し合って子宝を授かるための行為を行っても障害はないということになる。
「じ、12っ!? こりゃ驚いたっ! 12歳たァまたえれー年下の旦那さんだ!」
面食らっている商人。それもそうだ。倍近い年齢差の大人と子供で夫婦だと教えられれば誰だって驚く。これが30代と20代なら未だしも、彼女の場合は20代の自分と12の子供。この年代でこれだけの年齢差ともなればまったく受ける印象も変わろうもの。
といっても別段誰にどう思われようと氷牙の剣には所詮どうでもいいことだった。自分たちがしっかり愛し合っているその事実がある。それを他人に口出しされる筋合いもなければ反応も気にならない。淡泊なのか剛胆なのか、とにかく彼女はそういう人間だった。
常に戦場(いくさば)で生きてきたのだ。ある程度他人に対して淡泊にもなるだろう。出逢ったときの彼女が平然とゼファを、幼い少年を殺そうとしたように。同僚の死を視ても憐憫の情もわかなかったように。
(ま、淡泊の度合いだけでみるなら、あたしなんかよりミンデル将軍の方がずっと淡泊なんだけどね)
かつて将軍の側近を務めていたからこそ、その為人を知っていた彼女は心中で自嘲気味に考えていた。そんな自分がいまや小さな子供と結婚の約束をして、隣を歩くパートナーとしてその少年の旅に付き合っている。そうしてカナーンの宿においては数知れないほどの愛の確かめ合いさえ行ってきた。
出逢ったその日の内に初めてを散らされた。散らされたが自らその求愛を受け入れてもいた。それだけでも彼の少年の持つ人柄は、淡泊だった彼女自身をも引き付けるところがあったのだ。
「こりゃ驚きやしたぜっ、姉さんほどの器量好しがなんだってまたそんな子供を?」
「色々とあったんだよ。短い間ではあったんだけどね色々と有り過ぎたのさ……。とにかくその旦那がいま迷子になっちまって捜してるところなんだから、これ以上長話してる暇なんてあたしにはないんだよ。悪いけどいい加減にしなっって言わせてもらいたいんだが?」
腹が立ってつい口調が荒くなる。素の言葉遣いが荒いから余計にそうなってしまうのも致し方無しだが、商人もこれで食べているのだから中々引き下がろうとはしなかった。その商売魂は大したものだと褒めてやりたいと思わないでもない物の、こちとら、あの好奇心の塊みたいなゼファを捜しているところなのだから早く解放してもらいたいものだ。
「姉さん姉さん、お急ぎだってなーわかるがそうカリカリしなさんなって。この通り内ではぐれたってんなら順当に捜してきゃあ見つかるもんさ。なんたって子供の好奇心を擽るようなものが山ほどあるんだからねえ」
持ち前の好奇心に火を付けられて一軒一軒の露店をじっくり眺めていそうなゼファ。路銀の管理は氷牙の剣がしているのでなにも買えはしないが、それでも興味津々で視ていることだろう。店の主人の迷惑も考えずに。
(ハァ~ったく、じーっと眺めてあれこれ考えてはその場でねばってる光景を簡単に思い浮かべられるよ……)
確かにこの商人の言うことは尤もだった。好奇心が強いなら露店に足止めされる。あのゼファなら充分ありそうなことだ。だからといってまだたった12の子供に過ぎない彼の事、恋仲であるからこそ余計氷牙の剣も心配する気持ちが大きくもなる。
ともかく商人の長話に付き合っている暇はないとして、なにか一つ、なんでもいいから買ってやれば放してくれるだろうと思い、並べられている品を視た。
「ああそうそう、今日らあたりだったか、恋人や旦那さんにね、彼女さんや嫁さんからプレゼントを贈るって風習の日だったのは」
自分の出身地の風習の話をまた切り出してくる商人、あくまでもなにかを買わせたいという気持ちが嫌なくらい伝わってきた。
「しかたないねえ……」
根負けした氷牙の剣は、並べられた商品を一つまた一つと、目を移しながら見ていく。
そこらでも買えそうな物、見たことのない品、他国から渡り来た商人だけあってそれなりに珍しい物も揃えてはいるようだ。
自慢ばかりされたが、充分自慢できる物を取り揃えているだけあってどれも少しばかり値の張る品ばかり。
無論、旅に影響が出そうなほどに高価な品を購入しようとは彼女も端から考えてはいないのでそこらあたりは無視していた。
(うん?)
と、物色していた彼女の目に、ある一つの商品が目に止まる。銀細工らしく、日光を反射して輝くそれは、よく見ると、どうやらブローチのようだった。
鳥が羽ばたく瞬間に広げる翼の形をした銀のブローチだ。いままさに飛び立たんとしているようにも、すでに大空を羽ばたいているようにも見える。
それが目に止まったのは『風になって空を飛びたい』そんなゼファの願望を聞いていたからだったのだろう。翼を持つ鳥はどこまでも飛んでいく。
自由に、好きなときに、好きなだけ。パタパタと大空を羽ばたいて、どこまでも、どこまでも。
「……」
育ての親を亡くして旅をするゼファはまるで鳥と同じ様な、自由な生き方をしてきた。苦しいこともあっただろう、食事に有り付けず飢えに飢えていたときだってあったことだろう、それでも彼はその生き方を貫いていまを旅している。
そして氷牙の剣は、剣に総てを懸けて、腕を磨き、日々の鍛錬の末に、いまの領域へ辿り着いた自分は、同僚の氷牙の斧たちの死体を目にして、自分にもまだ遥かに届かぬ頂きがあることを思い知らされた。思い知らされ恐怖した。
そんな恐怖する自分を乗り越えて高みを目指せるものなら目指してみたい。まだ見えぬ剣の高峰は、鍛錬という翼を羽ばたかせて飛んで行けば、いつの日にか辿り着けないものだろうか。
いま氷牙の剣は終わりのない、当て処のない旅をゼファとしている。翼を求めて羽ばたきたいと望む少年と、やはり剣士としての更なる高みを目指すといった、翼〈鍛錬)無しには届かない場所へと羽ばたきたい自分の二人旅。
「これ、貰うよ」
まるで自分たちの生き方や生き様を模している。表しているかのような銀細工を、氷牙の剣は手にとっていた。
「おっ、お目がたけぇなあ姉さん。その銀細工はちょうどあと二個しか残ってなかったんでさあ」
ホントか嘘か分からない商人の言葉に、氷牙の剣は『それならふたつとも』と、同じ翼を象ったブローチをふたつ購入する。
ある地方においてはプレゼントを贈る風習の日という今日に、このブローチを買ったのは、もちろんゼファへのプレゼントとして。そしてふたつ買ったのは単純なお揃いであるという意味ではなく。
「まいどあり~っ」
あの少年と、ゼファとつがい(夫婦)となり共に飛んでいく自分たちの旅路といういまを表す、彼女なりの想いを込めてのものであった。
翼は一つでは羽ばたき飛ぶことはできない。二つ揃って初めて羽ばたける。
ゼファという片翼と、氷牙の剣という片翼を併せることで空を飛ぶことができるのだ。
二人の持つそれぞれの翼を息を合わせながら羽ばたかせて空を飛びたい。
氷牙の剣はたったひとり愛する少年ゼファと共に空を問いたいという気持ちになっていた。
そう、どこまでも、どこまでも、空の彼方にまでも。
「気に入ってくれたら嬉しいんだけどね、ブローチなんて女物のアクセサリー、気に入ってくれるかのねえあの子は」
先までと打って変わっての微笑みを見せる彼女の紺碧の双眸は、その二つにして一つである銀の翼に向けられていた。