二人の闘いと勝利
「くっそー、しつけーなーもう!」
ゼファのミンデル襲撃というか、無計画な攻撃は失敗に終わった。
元より成功するはずのない無謀極まる襲撃だったのだ。
ヴィルフィング平原近くの森でニヴラス軍を見掛け後を付けた先にて、勢いのままに襲撃をかけてしまったのだからこうなるのも仕方ない。
結果が全て。いまこうして逃げていることが正しくその結果であった。
「オレってなんでこう考え無しにやっちゃうのかな」
いつもの悪いクセだ。怒りに我を忘れるとつい暴走気味に突っ走ってしまう。
直そうとしても直らない自分の性分につい愚痴をこぼしながら後方を見遣ると、未だ迫らんと追い掛けてくる人影一つ。
多くの兵士の追っ手こそ振り切れたが、まだ完全には振り切れない。
「いい加減諦めて帰れってんだ!」
振り切れそうにない相手から未だ執拗に追い掛けられていたのだ。
遠目に見える追手は一人、腰下まで届く長い髪の女。僅かに蒼みを帯びる艶やかな黒髪は鬢の髪もまた長く胸の下まで届くほど。
深い蒼色の服は動きやすさを重視したのだろう。丈が長く膝下まで掛かるスカートには両腰の目いっぱいにまで切れ込みが入っており、剣士としての激しい動作にも支障をきたさない様子で。駆ける度に翻る生地からは、綺麗な太腿が覘き見えた。
毛束の先で纏めた左右の長い鬢の髪を激しく揺らしながら駆けてくる、年の頃二十と少しといった風貌の女剣士。
「あいつ、たしか氷牙の剣って奴だよな」
ミンデルに向けて投げたブーメランを弾き返して邪魔したやつ。
交戦にもならない交戦ながら実質ゼファが唯一闘った相手だ。
その追い掛けてくる女剣士を振り返り、走りながら過ぎったのは、逃げるのをやめて彼女を倒すという考え。
「さっきは大勢だったから逃げるしかなかったけど」
彼女一人ならば、どうにかなるかもしれない。
「こういう森って言ってみりゃあオレの庭みたいなもんだし」
ゼファはシーフ。入り組んだ場所や狭い所。
また、鬱蒼と生い茂る木々の立ち並んだ森など、まさに自分の領域と云えた。
「いっちょやってやるぜ!」
捕まえるまでいつまでも追い掛けてきそうなあいつを逆にやっつけてやる。
そう思ったのは多勢に無勢で地の利もない先程までとは異なり、いまは一対一。
そしてこの場所が自分の庭である森という場所と、好条件が整っている為だ。
「そうと決まれば──!」
ゼファは手近な草むらに潜り込み、回収していたブーメランの投擲体勢へと移りながらその時を待った。
相手との距離は大して離れておらず、一拍を置かずにやってくるだろう。
その瞬間を狙うのだ。但し、ただ狙うだけではいけない。それでは先程と同じ結果を招き寄せてしまうだろう。
(だったら……あの手、使ってみよう)
ある意味、自分の握るこの武器の最大の利点を。
そしてその瞬間が訪れるまでに時は掛かることなく。
ザザザッ──。
地面を踏みしめる音に聞き耳を立てていたゼファの、手にしたブーメランに力が入る。
僅かな時間で迫り、直ぐ間近までやってきたニヴラスの女剣士はもう目の前にいた。
「おかしいね、この辺りに逃げてきたはずなんだが……どこへ隠れた?」
声は直ぐ傍。そして仕掛けるべきタイミングは──。
“いま”
「オレはここだよッ!」
潜んでいたゼファは好機を逃さず飛び出した。
「なッ──!?」
足下に転がり出て来た子供の姿に一瞬驚き距離を取った彼女、氷牙の剣。
しかしそれも束の間のこと。対処するには充分すぎるほどの間を持つ彼女は、飛び出すと同時に自分へと向けて投げられたブーメランを、一度目の時と同じ様に弾いた。
「何──!?」
いや、厳密には弾く必要すらなかったそれは、彼女の脇を大きく逸れて後方へと飛んでいったのだ。
「……ふ、あはははっ。何処に投げてんだい小僧?」
来るなら躱すか弾くか。防御するのは当然だが、投げた先はまるで彼女に当たりそうもない方向だったのだ。
「あれであたしを狙っていたのだとしたら、少々冷静さを欠いたお粗末な投擲と云わざるを得ないよ」
氷牙の剣から見てそれは破れかぶれの末の暴投としか思えなかった。
「うっせーッ! 焦って狙いがずれたんだよ!」
追い詰められた末のささやかな抵抗か。
実に子供らしい浅知恵だ。
「まあ、仮に直撃の軌道だったとしても、そんな馬鹿の一つ覚えみたいな手がこのあたしに通用するわけないんだよ。わかったら観念してあたしの剣に斬られな。なに、痛みもなく一瞬で終わらせてやるよ。ニヴラスに楯突いたんだ、それなりの覚悟は出来てるんだろ?」
じりじりと距離を詰める氷牙の剣。彼女とゼファの距離は五メートルあるかないか。
「中々足が速いようだけど、あたしの突きからは逃げられないよ」
この距離なら必殺の技を躱されることもない。
「へん! お前一人だったらオレだって負けねーぜ! それに逃げ続けてばかりじゃつむじ風のゼファ様の名が廃るってもんだ!」
まだ減らず口を叩くか。度胸だけは褒めてあげよう。
構えた剣を刺突の体勢へと変えた彼女は、少年へ引導を渡そうとし。
「言うね……ならば、くらえ氷牙の──」
舞──。そう口に出そうとした。
しかしそれは──。
「ガハッ──!!」
不意に感じた頭への衝撃に技を繰り出すことなく終わった。
「ぐうッ……ッッ!!?」
鈍器を用いて力の限り殴られたような激痛が頭部に走る。
後ろから襲い来た打撃。高速で突き出されるはずの剣は手よりこぼれ落ち、視界が揺らいだ。
「こぞ……うッ、なに、をッ……!」
回答は目に映った物。足下に落ちた木片こそが、彼女の疑問への直接的な答えであった。
「ブー、メランっ──?!」
あさっての方向へと投擲されたブーメランだ。
「へへん! どーんなもんだい! オレだってちょっとくらいは頭を使った闘い方も出来るんだからな!」
種明かしをすれば簡単な事だった。少し強い風の吹く今日、この森の中は草木の音に満たされている。
此処より離れた戦場では戦の音が他の音を掻き消していたが、この森は違う。
“いくさ”の最中、戦場の音に慣れてしまった耳は、自然の音に紛れた“木”が、森の木々の間を潜り抜ける音を拾えなかったのだ。
要は、投擲されたブーメランは最初から彼女を狙っていたということ。
正面からではなく、後ろから。
完全に油断していた。勝ったと、追い詰めたと思ったからこそ、注意力が散漫になっていた。
ただの子供、大人であり一流の剣士でもある自分が、こんなただの子供相手に負けるわけがない。
形勢を逆転された彼女の心に慚愧の念が押し寄せる。
力量も技術も、全般的な実力も、確かに氷牙の剣の方が上。
しかし、窮鼠猫をかむ。東方の諺にもある追い詰められた者と追い詰めた者の決定的立場の差が、時に勝敗を覆させる。
「感じでわかるんだ。木の隙間と葉の位置関係で、どのくらいの力加減で投げればどの位置に戻らせることが出来るか。こちとら伊達にシーフやってねえんだぜ?」
得意気に種明かしをするゼファを前に、頭部への打撃が予想以上に強かったのか、彼女の視界が霞み始めた。
「くッう……・、こ、このくらいのことでッッ、あ、あたしに勝った気で……ッ」
尚も闘志を喪わない氷牙の剣であったが、差ほど時間を要することもなく膝から崩れ落ちると、その場に倒れ伏してしまった。
薄れ行く視界が映したのは、緋色の髪の少年が立つ姿。
(あたしは……、こんなガキんちょに……負け──)
自分が地に伏し、少年が地に立つ。
勝敗は最早明らか。
「ううッ……」
やがて彼女の意識は、眠る時に感じるような微睡みの中へと静かに落ちていった。