素直な子供と恋をするということ
避難船に乗ってのギート王国領脱出。
追っては無く、ギート攻略軍の総司令だったミンデル将軍の戦死に右往左往しているのだろう帝国軍東方司令部よりの追加派兵──ギート占領軍の到着にも時間が掛かる為に難無く南カルタグラへと逃げ延びることができたあたしは、取り敢えずの宿探しとして王都カナーンの市街地を歩いていた。
(おかしなもんだね。ミンデル将軍の身辺警護を務めていたあたしが、交戦国たるカルタグラに、同じく交戦国だったギートの騎士や避難民と共に逃げてくるなんてさ)
それもこれも将軍への奇襲を試みた、無謀で無鉄砲なガキんちょの所為だった。
あの子が居なければ、いまあたしは此処に、この国に足を踏み入れることはなかっただろう。
いや、それどころではなかったのかも。
あの子の誘い──あたしの相棒となったつむじ風の二つ名を持つ少年ゼファの、「氷牙の剣と一緒に旅をしたい」という思いと意思を受け、その手を取ったあたしは。
しかしせめて最後に自分が立つ戦場となった平原を見ておきたいと、あの子と二人であの平原のニヴラス側の陣となっていた丘を確認し、そう考えざるを得ない物を見てしまった。
あたしが見た物……、それは、ミンデル将軍の身辺警護隊【氷牙の盾】の筆頭たるあたしの部下、氷牙の斧と氷牙の矢の死体だった。
豪快な髭を蓄えた大男、氷牙の斧は、両手首より先を切り落とされて苦悶の表情のまま息絶えており。
細身の男、氷牙の矢に至っては、体を縦に真っ二つにされ目を見開き絶命していた。
一目で分かった。切断面の鋭さから見て同一の得物と、同一の人物による仕業だと。
そして同時に思う。どうやればこれほど綺麗なと形容すべき断面を残す斬撃や、若しくはこれを可能とする技を繰り出せるのだろうか……。
並の修練では不可能、血反吐を吐くような厳しい鍛錬を何年にもわたり続けて、ようやくいまの領域へと辿り着いたあたしでさえも、絶対に無理だと断言できるほどの鮮やかさ。
斧は恐らく両手首を切断されてからも少しの間は生きていたのだろう苦しみ抜いた末の死だったと思われるが、矢は正に一瞬の死を与えられていた。
切られたことにも気付かない、自らの身に何が起ったのかも知覚できない一瞬の死だったに違いない。
もしもあたしがこれを成した人物と闘っていたら……。
いまでも思い出せるあの時の衝撃と恐怖……、あたしは、あたしは知らずあの子に、ゼファに命を助けられていたのだ。
あの子を追い掛け、あの子と闘い、油断が招いた敗北とあの洞窟で受けたあの子からの求愛。
あの子はあたしという女を確実なる死から逃れさせていた。
戦場へと戻らせないよう、事の全てが終焉を迎えるまで、あの子はあたしを拘束していた。
そう、疲れと体力を気にせず求め続けたが故に消耗したあの子が風邪を引いたこと──それさえもが予定調和のように思えるほど、あの子はあたしを自分の元へ留め置き続けていた。
愛とは幸せを運ぶという捉え方をされる時もあるが、あの子は愛を以てあたしを助けてくれたのかも知れない。
「と言ったって、本当のところはあくまでも偶然なんだろうけどね」
無論分かっている。ゼファがあたしに惚れたのも、あたしを求めたのも。
あの子の求愛を受け入れて、迸る幼くも熱い想いをあたしが受け止めたのも。
「重なる偶然が必然に変わったのも、あたしが、あの子が、そう変えただけ……選んだ先に必然が待っていた。それだけだ」
生まれた流れに身を委ねて結果的にいまという現実が開かれただけで、所詮神様ならぬ人の身には、運命や未来など不確定なことを確証として捉える事などできないのだ。
ただ事実として、あの子はあたしを救った──これに何か特別なものを感じないで居られるほど、あの子の求愛を受け入れたあたしとあの子の関係は浅くない。
「さぁ~てそれじゃ不確定な扉をまた一つ叩いてみようかね」
七件目。この扉の先もまだ泊まれるのか泊まれないのか分からない。
何事も選び進んだ先で一つ一つ決まっていくのだから。
あたしとあの子の関係が、敵味方のそれから大きく変化したように。
物事は積み重ねを経て幸にも不幸にも繋がるのだ。
“あー悪いなぁ剣士さん、いまギート王国からの避難民を優先的に受け入れてるから一般の人はちょっとお断りしてるんだ”
そう、こうして七件目の宿が断られたのも、あたし自身が選んだ結果であるように。
*
「十一件目でようやくかい……」
結局あの後三件も断られ、十一件目にして“ギート方面から避難してきた旅人”ということで、なんとか宿を確保できた。
ただ一般扱いな為に三割増しほどでの料金で決着となり余計な金を使わされる嵌めになってしまったのだが。
「仕方ないか、泊まれるだけマシってものだね」
最悪港や路地裏で野宿も考える状況だっただけに、あたし達はまだ運がいいと言えるだろう。
宿から出て港へ向う途上では、敷物を敷き、地べたで休んでいる多くの人を見てきた。
南カルタグラの王都と云えども捌けないだけの人数が集まっている辺り、祖国ニヴラスの拡大主義に追われる人の多さを実感せずにいられなかった。
「出奔する形になっちまったとはいえ、ニヴラス人のあたしがどうこう言える立場じゃないか」
それにいまはもう一介の旅の剣士でしかない。
風の吹くまま気の向くまま、風にさすらう少年の旅路に付き合うだけ。
気持ちを切り替えて港へと足を踏み入れたあたしは、座り込んで辺りを窺いながら忙しなく表情を変えている緋色の髪のガキんちょに呼び掛け、手を振った。
「ゼファ、宿みつけたから行くよ」
「りょうかーい」
こっちに気付いて立ち上がったゼファは明るい笑顔で走ってくる。
そして勢いを殺すことなくあたしに飛び付いてきた。
「へへーんだ、つっかまっえたーっと」
飛び付いたまま、両手をあたしの腰に回して抱きつくと、ぐっと胸に顔を押し付けて埋めながら擦り寄せてくる。
服越しでも擦り寄せられるとくすぐったい、さすがに変な感じにこそなりはしない物の、擦り寄せられる感触に胸が疼きだすのは止められなかった。
「ちょっ、なにす──」
僅か十二の子供でしかないゼファは当たり前なんだけど背が低い。並んで立つとあたしの胸に顔が、頭も顎に届くかくらいで大人と子供の差を感じさせられる。
こんな子供の求愛をあたしは受けたのだ。あたしを求める熱意と想いに負け、あたしにまで好意を抱かせずにいられないほどの情熱的な求愛を、あたしは幾度も受けていた。
年齢も地位も、大人も子供も関係無い。そこにあるのは男と女だけとはいう物の。あたし自身、あの洞窟であれだけの求愛を受けなければきっと子供以上の目で見ることは出来なかっただろう。
しかし少なくともいまあたしは、この子を子供として見つつも、“恋人として”見れるだけの心を持っていた。
好きという感情面での求愛でも、交わりという肉体面での求愛でも、あたしはこの子と男と女になれている。
ただ一つだけ、どうしても接し方の違いだけは出てしまうのだ。
「いい匂い……氷牙の剣の匂いオレすっげー好き」
こういうところなどがそう。二人だけで過ごせる場所ならともかく、人目のある場所でも気にすることなくあたしに甘えてくるこの子の癖。
服越しとはいえ胸に顔を埋めてあたしの匂いを吸い込んだり、体の前に下がるあたしの鬢に鼻や唇を付けたり。
子供らしさを発揮しながらも一方では何処であろうと隠すことなく好意をぶつけてくるから、恥ずかしいやら嬉しいやら。
「こっ、こらっ」
擦り付ける顔を左右に振るい周りの目があることに気付いても。
「ねえ氷牙の剣、いつか絶対オレのお嫁さんになってよ?」
こんな率直な言葉をあたしに向けて投げ掛けてくるのだ。
「馬鹿っ、こんなとこでなに言い出すんだよこの子はっ! ひ、人が見てるだろっ!」
とにかく対処に困ってしまう。抱きつかれていると胸が激しく鼓動を打ちならし始め。
娶りたいなど口にされたら顔や耳まで熱くなり、大人の余裕を奪い去られてしまう。
「別に見られたってかまわねぇもん」
好きだから、あたしを愛してるからと腰に回された腕に力を込められた。
キュッと締め付けられる胸。この息苦しさと心地良さは、ゼファが目覚めさせたあたしの“女の部分”を刺激しているとき必ずやってくる。
女は男からの真剣な愛を受けて至上の幸福感を得られるというそれを、この子は子供ながらに教えてくれた。
好きな気持ちに素直になる、子供の特権だ。素直に、純粋に、あたしを好きだと求めてくるから、あたしはこの子の求愛を受けた。
探りながらの好意、遠回しな伝え方。そんな落ち着いた同年代の男からの求愛や、下心丸出しの下卑た求愛ならば、いずれもあたしに通用することなどなかったろう。
子供故の素直さがあればこそ、あたしを求めたいと言ったあの時のこの子の心情を伝えられていたからこそ、あたしはこの子を……。
あたしだとこうはいかない。まして恋などこれが始めてであるあたしにはどうしたらいいのか。
この子に体を視られても相手が子供なだけに恥ずかしく感じないというのに、それ以前に自ら女を意識してこなかった所為か男に肌を視られたところでだからどうしたと返せるくらいに男の視線が気にならない。
だが今のように多くの目がある場所で積極的な好意を見せられると、あたしはなぜか狼狽してしまう。
男に惚れちまうと、女は何か変わっちまうのかね。
剣に生きて女を捨てていたあたしみたいな女でさえ、この子に求愛されたことで変わっちまったっていうのかい……?
「えへへ~、氷牙のけーん♪」
「も、もうっ……いい加減にしなって……!!」
この子の無邪気さが嬉しい。
好きだからと我慢しない子供らしいこの子を、あたしはあたしで好きだよ。
この子があたしに惚れたように、あたしもこの子に惚れた。
求められるのも、求めるのも、あたしとこの子の間にだけ成立する。
これが最初で最後なんだろうね。
きっとあたしは生涯をこの子と共に送ることになる。
この子と旅をし、この子に見られながら剣の腕を磨き、この子と未だ見ぬ国を巡りながら、やがてこの子の子を授かり、生む。
剣士としての夢や生き方を変えず、さりとて女としての生き方も見つけた。
このガキんちょと出逢って、恋慕われちまったことで、あたしの生き方は変えられたんだ。
「ところでさ、宿、どんな感じだったの?」
「その前に放してくれないかい?」
「ヤダ……もうちょっとだけこのままでいたい」
「甘えん坊だねぇ」
もういい、取り敢えずこの場は開き直ってしまおう。
あの洞窟でこの子の求愛を受けたときのように。
「宿の中はギートからの避難民やら撤退してきたギート騎士団の兵士なんかでごった返してたよ。騎士団と避難民全員をカルタグラの王城で収容するのはさすがに無理なんだってさ、それで急遽王都中の宿が引き入れにかかったらしくて何処の宿も殆ど埋まっちまってるよ」
あたしは宿の様子を訊いてきたこの子の頭を優しく撫でる。
「なんとかギリギリ空いてた宿で二人部屋取れたんだけど、生憎と端っこの一番狭い部屋しかなかったよ。それだってギート方面からの民間避難船に乗船してきたこと話してやっとだったんだ」
緋色の髪を繰り返し撫でながらあたしも自分の心に素直になってみた。
「状況が状況だもんね、仕方ないよ。ああでもオレ達だって避難民みてぇなもんだし、それで受け入れてくれたのかな」
あたしはこの子が好きだ。確かに倍も歳の離れたガキんちょで、好奇心旺盛で、向こう見ずな無鉄砲。
「甘ちゃんだねぇあんたは。あたし等は“旅人”なんだろ? その体で交渉したんだから吹っかけられたに決まってるじゃないか……、あんたの所為で実際にこうして旅の道連れになる嵌めになっちまったんだから、しっかりしておくれよ相棒?」
これからもずっと苦労させられるだろう、こんな風に人目も気にしないで甘えられるんだろう。
だけどあたしはそんなこの子の素直さが好きだ。
子供の癖してあたしを求めずにいられないほどあたしを想うこの子が好きだ。
「ゼファ、ちょっと背伸びしてみな」
「えっなんで?」
「いいからやりな」
「わ、わかったよ……」
腰に回された腕が背中の方へと上げられる。
そして込めた力と反発するように背伸びをしてきたこの子の、その可愛らしい小さな唇を。
「ん──」
首だけを下に向けたあたしは自らの唇で静かに塞いでみた。
少しの間だけ、そのままの姿勢で。
「んっ──ン……」
口づけを続けながら、閉じた瞳を開けてみる。
幼い顔つき、足らずな背丈、必死のつま先立ちが大変なのか。
それともあたしからの口づけに照れてくれているのか。
耳まで赤いゼファの様子にあたしは恥ずかしさの中で高揚感を覚える。
ああ、あたしは、こんな子供に惚れちまったんだね……。年端も行かない子供に。
素直にあたしだけを見て、あたしだけを求める。敵対していたその直後に、あたしの生を喜びながら求愛してきた子供に。
「ふぅ……」
やがてゆっくり離れると、もう一度緋色の髪を撫でながら言った。
「さっきの返事だけど、いつかはゼファの妻になったげるよ」
「ほ、ホントっ!?」
「ああ本当さ。あたしだってあんたを好きなんだ、あたしを嫁にしたいってあんたが言うなら、応えないわけにも行かないだろ……いつかは、ね」
望んでいたんだろう返事をくれてあげると。
「いやったぁっ!!」
抱きついていた手を放したゼファが飛び上がる。
その様子にやっぱり子供だと思わずにいられないあたしは、あらためてこんな純粋な子供の求愛を受けたからこそ、あたしもまた女である自分に目覚めて、女として惚れてしまったんだと。
そう、自らの中で噛み砕き、確信しながら、自分の荷物を手に取った。
「ほらなにやってんだい置いてっちまうよっ!」
「あっ! ま、まってよ氷牙の剣っ!」