部長、アメリカって強いんですね
現在、私はキャリー部長を抱きかかえながら我が家へと帰ってきていた。
あの辺り、所謂ラブホテル街が近く、そこら辺りに逃げ込もうと考えもしたのだけど監視カメラが備え付けられているので危険性を考慮し、家まで連れてきたのだった。
道すがら、一度社に戻った方が良いのではないかとも提案したのだが、彼女が「警官が張ってるだろうから戻れない」と言ったので。
警察とは、この人もこの人で今田氏と同じくなにかをしでかした後のようだった。
とそんな事情もあり身体を休めることが出来て、身を隠すことが出来る場所を考えた末、監視や人目とは最も無縁なボロアパートの二階角部屋。
私の住処に来て貰ったのである。住人同士の交流もなく、誰もが無関心なここならば怪しまれることもないだろうし、一時的な隠れ家としては十分な条件を備えているのでは無かろうか。
そして彼女を抱きかかえていた私の腰は、既に重量40kgのコーヒー豆袋を荷下ろし荷揚げをし続けた、新人の港湾作業員のようになっていた。
簡潔に述べれば腰痛。これが明日か明後日には筋肉痛へと変わるので、本域で動けなくなりそうならば有休を採らせていただきたいところだ。
幸いにもこの場には勤め先の重役が居るわけだし、理由も御存じである以上容易にご承諾いただけそうな物だが。
しかし忘れてはいけない、私はこの女性に対して水を掛けてしまったことを。あれがあるからにはまだ油断してはならないのだ。
「はあ、はあ」
相変わらず部長の息は荒い。重労働をした私よりも息切れが酷かった。
私は万年床となっている煎餅布団に部長を寝かせ、痛む腰を押さえつつ何度も伸びをしては伸縮運動を繰り返しながら消毒用の薬箱を取りに行く。
絹亀の薬箱。昔から定期的に来る薬屋さんの箱だが、何年か前に廃業したらしく、長年設置させてくれたお礼だと中身丸ごと戴いた品であった。
安月給で働く私では医者も碌に係れない為に、ちょっとした体調不良の際にはとても助かっていた。
「部長、傷口の方、見せていただけますか?」
「はぁ、はあ、ありがとう、でも……大丈夫よ。お腹を、蹴られはしたけれど……、外傷は無い様子だから……、はあ、はあ、……それより、貴方こそ……大丈夫なの? 短い時間とはいえ、その歳で私を抱き上げていたのだから」
「お気遣いの程痛み入りますが、私の事なら大丈夫ですって。それよりも差し支えがなければ腹部などを見せてくださいませんか。酷いようなら手当をしなければなりませんので」
上半身を見せろ。肌を見せなさい。それその物が女性の反感を買う言い方なのだが、事が事。
部長はそっとレザースーツのスカートを少しまくり上げ、シャツの下に見えるなだらかな腹部を惜しげなく晒してくれた。
こうなると下着もガーターも丸見えなのだが、相手が私のような老人だからか警戒心も羞恥心も見せずに堂々とした装いだった。
「どう? 傷跡みたいなものは、残ってないでしょう?」
剛胆なのだろうか、アメリカ人故の性格的風土的大胆さからなのだろうか、割とオープンな方のようだ。
「さ、触っても……、構いませんか?」
患部と思わしき場所である腹部。目で見るだけではなく実際触らなければどんな具合か分からない。
あまりに酷い痛みがある場所で応急処置でも可能ならばしてさしあげなければ。
けして性欲的な意味を持たない事ながら、こう、若く美しい女性の下着やら太腿やらを目にしていると、私のような年寄りでも興奮を隠せなかった。
老人だろうが男とはいつまで経っても女性が好きなようだ。今更ながらの新しい発見だった。
「はあ、ふう、ええ、大丈夫」
「痛かったら言ってください、医者、呼ばないと行けないので」
柔らかな白い肌にそっと触れてみる。
「んッ……」
小さな声が息に混じって漏れたが、痛いという感じではない。
今度は今田氏に蹴られたという腹部を擦ってみる。
柔らかくてすべすべとした白い肌。触っていると変な気分になってくる。
こう、むらむらとした少年時代の青い頃に感じたような感覚だ。
「あんッ……少し痛いわ。鈍痛のような、鈍い痛み……、強いて言うなら、打撲に近い、感じ、かしら」
痛いと感じた箇所をできるだけ丁寧に指圧を加えながら、マッサージを行いほぐしていく。
ほんの気休め程度ながら、何もしないよりかはずっといい。
人の指や身体にはある程度の自然治癒力を促す微少な力があるというのだから。
「ん、んんッ……はあ、あ、ちょっと、くすぐったいわ……そんな触り方、やめなさい」
「す、すみません、変なつもりはないので……痛みの方はどうです?」
「それほど、感じないみたいね……。はあ、はあ、吐血していたから、内臓系の、どこかが、傷付いたのかも知れないけれど……、はあ、はあ……、素人には、どうすることもできないわ」
ただ、見る限りでは痛み自体も割と弱いようだし、案外外傷からの内部症状の方は軽いのかも。
吐血自体も一時的なもののようだったし、痣などの外傷もない。口の中を切ってもいなかった。
となればいつまでもスカートをたくし上げたまま下着を放り出させているのも悪い。
スカートの裾を掴み、下ろしていく私は意外にも純白色だった彼女の下着を見納めながら、ふと彼女にどうしてこんな事態になっているのかを訊ねてみた。
「あの、なにがあったのかお訊きしても?」
好奇心からではない。ただどうしてこんなことになっているのか、できれば知っておきたかった。
なにせ自分も半分巻き込まれたようなものだし、こうして追われている部長を匿った以上否応なしに無関係では居られなくなってしまったのだから。
「はあ……、はぁ、はぁ、そう、ね……。いいわ、巻き込んでしまったもの。助けられた、お礼もあるし……、話してあげるわ……」
ただ一つ、教えてくれると前向きな彼女の呼吸がいつまでも落ち着かないのがやはり気になる。
全力疾走した短距離走の選手や、ゴールテープを切ったばかりの長距離走の選手。朝から晩まで重労働をして仕事を終えた直後の土木港湾作業従事者並みに荒い息が、ここまでずっと収まる気配を見せないのだ。
「部長、その大丈夫ですか? 先程から、ずっと息苦しそうですけど」
「ええ……、大丈夫よ……命に、別状あるものでは、無いからね、はあ……、はあ……、貴方、M・Dプロジェクトは、知っているわね……?」
「あ、ええはい、もちろん、お訊きしたことはございますが」
先進技術研究と兵器開発が主たる業務である軍需企業I・E・Mの社員でM・Dプロジェクトを知らない者はいない。
I・E・M本社、支社問わず全力を挙げて開発している最新鋭兵器開発プロジェクトだ。
人工的に作り出された生体脳を極限まで凝縮し、チタンで外殻の装甲を施し、念動力(サイコキネシス)で自らを動かす超伝導技術を組み込むことによってプラズマを自在に操る力を持つ兵器、それがM・Dだ。
個人が強力な兵器で武装して闘うようになった現代都市ゲリラの増加。
時代背景の都合上、小型で自立行動を可能とする兵器の開発が急務となってきた。
そんな中で生み出されたM・D=Merciful Doom 究極生体兵器M・Dは強力な破壊力を持ち、これからの都市ゲリラ殲滅のために大きな力を発揮するとして益々の改良と研究開発が進められてきた。
聴いた話だとこのM・Dで破壊出来ない物など地球上に存在しないと言われている程強力な兵器だ。
確かキャリー部長もそのM・Dの数少ないホルダー(保持者)だった筈。
M・Dのホルダーは適合者が少ないらしいので、彼女を含めて数えるほどしか居ないのだとか。
しかし、それがどうかしたのか?
「私の呼吸が落ち着かないのは、その損傷したM・Dが……、私の生体エネルギーを……、大量に吸いとっているからよ……」
「は──はあ?! え、M・Dが損傷って……」
ただの清掃員でも知っている社の究極プロジェクトととして開発されたそのM・Dは、信じられないことに核攻撃にさえ耐えられるという圧倒的な耐久性能を持っていたはず。
それが損傷するなどと──。
「何が有ったんですか!?」
「はあ、はぁ、まあ……端的に言えば、M・Dのことが、かなり研究されていた、ということね」
その後、彼女は今夜なにがあったのかを包み隠さずに話してくれた。
今田元部長の娘さん、今田由加里さんもまたM・Dのホルダーであること。
日本警察の特殊部隊による非合法作戦によってI・E・M日本支社総合研究所『WOMB』への侵入を許し、結果としてホルダー今田由加里さんの身柄を警察に奪われてしまったこと。
警察に保護されたその娘を取り返すためにキャリー部長自らが部下のサイボーグと共に警視庁ビルを襲撃したこと。
しかしウォーリアーという警察の特殊部隊に阻止され、作戦は失敗してしまったことなど。
正直訊かなければ良かったという危ない話ばかりを聞かされてしまった。
M・Dの損傷はそのウォーリアーの隊員と戦闘した時のものらしい。
そして、何とかあの裏通りの路地まで逃げてきたところを今田氏に襲われ、部下として使っていたサイボーグを破壊されたとのことだ。
やっぱりとんでもない会社だな、うちの会社は。
「でも、貴方のおかげで助かったわ。貴方がきてくれなければ私は今頃どうなっていたか」
笑顔で私にお礼を言うキャリー部長。
こんな美人に笑いかけられたことなど初めてであった為に、いい歳をした老人の癖して無駄に緊張してしまった。
「い、いえ、部長が無事で何よりです。それより、これからどうしましょう?」
指名手配とかされているんじゃないかと言う私に対して、それは大丈夫だと彼女は言う。
「知っていると思うけれど、I・E・M本社は米国政府に圧力を掛けることも出来るわ……もちろん、米国政府を通じて日本政府や官僚機構にも、そしてその下の日本警察にも……ね」
現行犯逮捕か、いま此処で捕まらない限りは大丈夫。
一度アメリカ本社と連絡が取れれば何も問題はないと自身たっぷりな彼女。
確実にバレている犯罪でも揉み消すことが出来るなんて、本当につくづく怖ろしい会社だ。
逆に言えば内側に居る人間に取っては心強くもある。
有能な者限定だろうが危険からの防衛度で言えば世界有数のセキュリティを誇る会社であることに疑いの余地はない。
同時に第二次大戦以後、未だ以てアメリカに頭が上がらない日本に、日本人としてはなんとも複雑な感情が湧き起こってくる。
それ言う私も日本人で、眼前のアメリカ人に頭が上がらない立場であるが故にとやかくは言えないのだが。
「とにかく、早く本社と連絡を取らないといけないわね……電話、貸してくれない? さっきの戦闘で私のは壊れてしまったのよ」
懐より取り出された部長の携帯電話は物の見事に破損していた。
画面にも罅が入り、もはや使い物になりそうもない。
というわけで連絡手段を持っているのは私だけとなる。
私は自分の携帯を取り出して部長に手渡した。
「どうぞお使いください。型は古いですが、通話は可能ですので」
これだけハイテク化された科学技術の世の中にあって私が取り出したその電話は、見事なまでのガラケーであった。
ガラパゴス携帯。今はもう化石に近い、時々、本当に極希に、私世代以上の老人が使っているのを見掛ける程度。
「こんなものまだ使ってる人が居るなんて、驚きだわ」
仰るとおりですよ。時代に取り残された老人の一人なので私は。
「新しいのは使い方がわからないんです……なにぶん、古稀の、70になる老人なものでして」
来月には71だ。立派なお爺さんだ。
家族の一人も居ない、独居老人なのだ。
「歳なんて言い訳にならないわよ、いつの年代も向上心がある者こそ社会の上位者になれる、この私のようにね」
部長の居る場所は、非情さをも求められるような激烈な競争社会でしょう。
私のような臆病な人間にはとても付いていけませんよ。
まあ、携帯や機械の扱い方の話では部長の仰るとおりでしょうが。
「とりあえず、一度くらい触ってみなさい、新しい機種をね」
そう言うと彼女はどこかに連絡を取り始める。
繋がると同時に話し始めたのは英語だった。
「────、──―、────」
さすがは外国人、なにを喋っているのかさっぱりだ。
英語なんて会話もできないどころか、単語すらまともに扱えないのだからどうやったって私には聞き取ることができなかった。
聞き取ってもまあ意味不明な単語や内容なのでどうでも良いと言えばどうでもいいことだが。
多分日本支社経由で本社へ連絡しているのだろう、ことの次第についての報告に。
そうして通話すること約30分が過ぎる頃、ピッと通話を切る音がしてキャリー部長が私の電話を返してくれた。
「国際の長時間電話をしたから来月の電話料金が面白いことになってるでしょうね」
上手く行ったのだろう。余裕たっぷりに微笑んで見せた部長はとんでもないことを言った。
国際電話? アメリカに掛けたっていうのか?! 日本支社を通して本社に話を繋げているとばかり思ってたのになんてことだッ!
まずいと思い料金を確認しても今日の通話分は明日にならないと出ないので確認のしようがない。
「なに、文句でもあるのかしら」
流し目を贈られたこちらは泣き寝入りするしかなかった。
相手が相手だ逆らいようがない。しかし。
「冗談よ、事も上手く行ったし貴方の携帯料金来月分全額社に付けておきなさい、私名義で経費として落としてあげるから」
「……」
心臓に悪いアメリカンジョークだ。
来月の給料が全額吹っ飛ぶところだったのだから。
そしてどうなったかを部長は話してくれた。
まず本社へと繋ぎ、日本支社の開発部部長今田俊明がなにをやらかしたかの報告。
次に警察に目を付けられた挙げ句に貴重なホルダー今田由加里を奪われてしまったこと。
その後、後任として日本支社の全権を預かった彼女が警視庁を襲撃しホルダーの奪還を試みた物の、対M・Dを想定していた警察の特殊部隊に阻まれ失敗こと。
自らは逃亡先にて今田俊明に襲われ、今田俊明の口よりホルダー今田由加里は取り戻されたとのこと。
現在由加里は今田俊明の手の内にあり、某かを行おうとしている。
以上を本社に通達し、自らの指名手配や罪状についての一切を本社の側から米国政府、そして日本政府警視庁に圧力を掛け、今田俊明のみに向けさせた。
晴れてメル=キャリーという容疑者は警察のリストから消えたということになる。
とまあ、そういうことらしかった。
改めて思う、この会社の危険度について。
アメリカはアメリカ大統領が動かしているわけではないと昔から陰謀論じみた噂はあったが、どうも本当らしかった。
結局、世の中金と権力なのだろうか。
そしてさりげなく今田氏へと罪をなすり付けたことで復讐を果たしている辺り、キャリー部長自身もあらためて相当抜け目のない人だと思った。