エメラルド編集部はまだ比較的時間的に余裕のある時期だけど、高野さんは新人の漫画家のお世話とそれに関しての担当決めだとか、新年度を迎えるための部署間の会議とか首都圏外のフェアや販促系の出張とかで仕事に忙殺されていた。
もちろん帰る家は一緒なので家では二人の時間も取れるのだけど、『お疲れ気味』の顔を見ると中身の薄い雑談を続けるのを躊躇して「もう休みましょうか」と言ってしまう。
かくいう俺も会社に新年度から入ってくる新人のための部署プレゼンの担当になってしまって、雑雑とした業務外の仕事に振り回されている。
ホワイトデイはねぎらいの意味も込めて、何か高野さんにバレンタインのお礼をしたいな・・・。
そんな風にこの数日を思って過ごしていた。
そして今日はそのホワイトデイだ。
去年のホワイトデイはチョコカレーのお礼だと言って高野さんが一日俺の言うことを聞いてくれた。
もともと何もいらないという俺に高野さんがあまりにもしつこく言うので「じゃあ一日俺の言うことを全て聞いてください!」と言ったからだったのだけど調子に乗って過ごした一日のつけは身体で払わされたのだったっけ・・・。
今となってはいい思い出だとも言えなくないけど?(笑)
編集長は今日も打ち合わせとかで椅子を温める暇もないようだけど、俺はプレゼンの資料は人事にメール添付で提出したので一応肩の荷が下りたところ。
今日は木佐さんのお誕生日だと聞いていたので、日ごろのお世話に感謝を込めて、小野寺の家が懇意にしている和菓屋さんでおすすめを詰め合わせてもらってプレゼントをした。
和菓子は日持ちがしないので実は昨日の月曜に一日早いですけどと渡したうえで、席に戻らない編集長を残念に思いながらお昼ご飯も木佐さんにごちそうしますねと誘って今一緒に食事をしている。
本当なら二人で木佐さんを誘うはずだったんだけど・・・。
まあ、時間も限られているのでラフな定食屋さんのようなお店なんだけどね。
この童顔で三十路とは相変わらずすごいなと木佐さんがおいしそうに食べている顔ぼんやりと見ていると、その長いまつげがふわっと上がって視線が合って、「りっちゃん、ホワイトデイはどうすんの?」って聞かれてしまった。
木佐さんは、さすがに俺の恋人が編集長だとは思っていないだろうけど、バレンタインに何らかの出来事があったことは察しているみたいだったので、当然お返しも考えていることを言っているのだろう。
「た、他部署の皆さんには今日朝一でお礼巡りをしてきました。」
「知ってるよ。ありがとう。多いから大変だよね。みんなの上納で間に合った?」
「あ、大丈夫です。編集長もいっぱい出してくれましたので。」
バレンタインに部署に来たプレゼントは適当にみんなで残業のお供にして食べた。
中には一粒ン百円というものもあったようで(美濃さんが教えてくれた)、それは口の肥えた人にと俺はご遠慮した。だって・・・、そんなもん呪いがかかってそうで怖い・・・。
バレンタインにもらえば当然お返しが必要なわけで、個人にはもらわないエメ編なので一番下っ端はまとめて買い出しに行って、配るもの当然俺の仕事だ。
朝から間違いのないようにメモを片手に巡礼のように行脚したのだった。
「っで、プライベートはどうなの?」
「えっと・・・。それは・・・。」
「今日はデートの約束してるの?」
デート、の約束はしてない。
だって、同じ家に帰るんだし・・・。
「えっと・・・。」
木佐さんは歯切れの悪い俺の返事にじれるでもなく、むしろ面白がっているようにも見えて・・・、さすがにこの辺りは年長者の貫禄かなと感心したところで、
「昨日のお菓子、すごくおいしかった。ありがとう。」
と、肩をすくめ首を少しかしげて花の顔(はなのかんばせ)をほころばせた。
わ・・・。木佐さんの必殺技だ、これ・・・。
俺がすっかりその可愛らしい顔に見惚れていると、目の前にすっと小さい袋が差し出されて、「これ。俺からのお礼。りっちゃんの好きな子に食べてもらって。」と、今度は小悪魔のように口角だけ上げて涼やかに笑った。
「きっとすごく仲良くなれるから。」
意味深な言葉を残して・・・。
▽
ホワイトデイというからには食事は白にしようと決めていた。
実は俺はこういうイベントって疎いタイプだ。先輩以外との恋愛経験が皆無に近い(付き合った子はいてもラブラブとかほど遠い状態だった)俺に、記念日とかってハードルが高い。
だから大きなイベントぐらいは何とか頑張ってのっかって行こうと思っている。
なぜならば、口にこそ出さないけど高野さんはこういう事にロマンを感じるタイプらしい(?)から。
ロマンチストだよな。不遜な態度もよく知れば照れ隠しだってわかるようになったし、挑発するような言動も同じだ。
きちんと付き合うようになって、みるみるうちにそういう部分が高野さんから消え、以前宣言した通り俺を甘やかすだけの人になった。
とは言っても、俺がつけてしまった傷はなかなか深いようで、大元にある不安までをもぬぐい去ることはできない。
しかしさすがに今日明日で俺が高野さんのもとを去るとは思っていないようだから、あとは俺が少しずつその傷を薄くしていくしかないと思っている。
傷跡は消えないしどこかに癒着をしているのかもしれないけど、時々うずく痛みには手を添えてさすってあげることはできる。
ずっとずっとこれから一生近くにいるんだから。
俺はそう決めたんだから・・・。
今日はエメ編のみんなもそれぞれ用事があるようで、三々五々定時付近で皆姿を消した。
俺もその流れに便乗して次々ある会議で席にいない編集長を置いてさっさと帰った。
なぜなら今日のお料理は白いシチューにする予定だったから。
それから白いものと考えてジャガイモのサラダ。嫌いなマッシュポテトではあるんだけど、マヨネーズがたっぷりかかってれば大丈夫。
シチューもサラダも女子ならニンジンをハートに切ったりするんだろうけどその考えはすぐに却下した。
俺にはそんな余計なことまでするだけの料理スキルがないから。
そして白いスパークリングワインと当然白いごはん。
最後のデザートに、ケーキ屋さんで買った白いチョコのケーキ。
バレンタインは二人でチョコケーキを作って贈りあった。
掛けに負けて俺からってことになったのに、高野さんが作るって言ったから俺が拗ねて・・・。
結局二人でって言って始めたのに全然俺は戦力にならなくて、高野さんが上手にまとめてくれたんだ。
俺のしたことは洗い物とラッピングのリボンを縛る事ぐらいだった。
全然ダメだ、と思うものの何だかそれでもいいかもって最近思えてきた。
きっと神様がダメな俺のために高野さんをくれたんだ。
だから頑張る気持ちは捨てないけど卑下する必要がないのかもしれない。
▽
サラダの芋が冷えて、やっと完成したころに高野さんから『今駅、もうすぐ家につく』とラインが来た。
お疲れ様と返事をしてお風呂の準備を始めたときに、ふと昼間木佐さんからもらった小袋を思い出した。
好きな子に食べさせる、仲良くなれるもの?
開封すると中からは箱入りの白いトリフチョコが2個出てきた。
以前のバレンタインの時のような一粒何百円もするものなのだろうか?
高野さんにあげればいいんだよな?
俺はそれもテーブルの端に置いてお皿をカウンターに並べているとドアのチャイムがなった。
▽
俺たちはサプライズをしない。
高野さんが「サプライズでこそこそすると、考えてぐるぐるするから禁止にする。」と、ある時宣言したからだ。相手を想ってするサプライズで喧嘩したりするのは本末転倒だ。
だから今日も「お料理を作って待ってますね。」とラインで知らせておいた。
だから高野さんは家で料理が帰宅を待っていることは承知の上だ。
「おかえりなさい。お疲れさまでした。」
「・・・。」
高野さんが返事をしない。あれ?
「やり直しだな。」
「え?」
「見本見せるから、お前ドアから入ってきて。」
意味わかんない・・・。
高野さんのバッグと一緒に外に追い出されて仕方なくチャイムを鳴らし「ただいま。」と部屋に入るとすごい決め顔の高野さんがそこにいて、「おかえり~。ごはんにする?お風呂にする?それとも・・・、俺?」とお約束のセリフを吐いたのだった。
「馬鹿ですか!」
あ、久しぶりにこのフレーズが口から出た。
「イベントにはこれくらいの演出は必要だ。仕事の上司にするみたいに挨拶すんな!」
その言葉を聞いてああそうかと分かった。
家だもんな。仕事じゃない。
むすっとした恋人の顔をもう一度見てやり直しだ。
「おかえりなさい。お疲れさまでした。ま、政宗さん。」
言った端から顔がブワっと熱くなるのがわかった。名前呼びなんて初めてだ・・・。高野さんからなんのリアクションもないから顔が熱くなると同時にどんどん居たたまれなくてうつむいてしまう。
「おまえってさ・・・。」
そんな俺を高野さんがぐっと引いて腕の中に納め、俺の背をさすりながら
「史上最強・・・。」
と言った。
▽
「うまそうだな。」
高野さんは配膳した料理を見てそう言ってくれた。
味は・・・。市販のルーだからきっと間違えてないはず。サラダは、しょっぱくなければリカバリーが効く・・・。
白いシチューにはパンかなという気もするけど今日は白つながりで白飯。
最悪漬物とかで食べてもいいし。(後ろ向き)
「ホワイトデイなので白にしてみました。」
そういうと高野さんは椅子に座りながらああ、と小さくうなづくように何回か首を上下させた。「それから、」と俺はキッチンのカウンターの向こう側に置いておいたものをガサリと手に取って高野さんに手渡す。
高野さんにきっと似合う真っ白いバラの花。敬愛と誓いの花言葉を持つ。
同じ部屋に今はいるんだから結局俺も見ることになるんだけど、気持ちを届けたかった。何度でも何度でも。
おいしいって思ってくれるだろうか?綺麗って思ってくれるだろうか?
何かをする時、いつだって高野さんがどう思うかばかり考えてしまう。
ストーカー気質は今も昔も変わらないみたい。そう言えば昔それをうざいって言われたことがあったっけ。
確かにそういう俺ってうっとうしいよな。
高野さんが俺を一番に思ってくれるのは分かる。
でももし一番ではなくなったら。そんな日が来たら俺はまたきっぱりと拒否されるんだろうか?
高野さんが俺に不安を持つように、信じる信じないというところ以外で俺も不安を持ってしまう。触れるつもりはなかったこの人が手に入った時から俺の中で何かが変わった・・・。
この独占欲。
高野さんに知られたくない俺のダークな部分。
だめだ笑え、俺。
今日は恋人とのイベントの時間を楽しむのだ。
▽
「律に今日はホワイトデイしてもらったから俺からのお返し。」
高野さんがそう言って、俺の頬に手添えて首に手を回した。
「律に似合うと思って。」
それは細い銀のリングで、途中に下にむけて短いチェーンが伸びていて、先に桜の花びらのモチーフのついたチョーカーネックレスだった。
「以前の指輪と同じ作家のもので律はやはり桜が似合うと思って。」
俺の首元と薬指の指輪を見て満足げに微笑んで、高野さんが自分の服の袖をあげようとするので俺はその手を止めた。
「俺が・・・。」
そう言ってケースの中に残ったペアであろうブレスレッドをそのすっとした腕にはめると、高野さんは再び満足そうに綺麗な顔で微笑んだ。
強そうに見えて弱い人。
きっとこれは俺につける首輪だ。
こんなものであなたの安寧が保証されるなら俺は何本でも身に着けよう。
でもね、これは俺からの楔でもあるんですよ。
あなたを手放さないっていう証なんですから。
「本当はさ、誕生日にって思ったんだけど、出来上がったの見たら我慢できなかった。」
相変わらずこらえ性のない人ですね。
「高野さんにもよく似合ってます。桜は俺にとっては高野さんそのものです。」
腕の銀の輪をさすりながらふふふと笑うと高野さんがまた嬉しそうに笑った。
▽
食事は激まずということなく終えられ一応ホッとした。
ケーキもスパークリングもおすすめを買っただけあってとてもおいしかった。クリーム系の食事だったから明日は醤油系のおかずが食べたいなと漠然と思っていたところで、「それなに?」と高野さんが木佐さんにもらった箱を指して言った。
ああ、と忘れていた俺はそれを木佐さんにもらったことを告げて中身のチョコを開いて見せ、
「好きな子と食べると仲良くなれるそうですよ。おまじないがかかってるのかな?高野さん今食べますか?」
というと高野さんが「お前それマジで言ってる?」とクックッと笑った。
マジってなに?ふざけた内容は一片もなかったと思うけど?
小さい箱に入った白く丸いチョコは特別な意味を持つものだったのだろうか?
どうも俺には恋愛系には無理が多い。
「それさ、ラブチョコじゃね?」
「ラブチョコ?」
名前を言われても全くピンと来ない。まあ仲良くなれるって言うからにはラブは入ってるのかもしれないけど?
あまりにも反応のない俺にじれたのか「媚薬入ってんじゃね?ってこと。」と高野さんがストレートな言い方に替えて告げた。
「はあ!?」
「木佐がくれたってことはそんなやばいもんじゃないだろうけどさ、少しいつもより良くなるかもよ。」
媚薬の入ったチョコ?そんなもんあるのか?よくなるって・・・、それって・・・。
言葉を失っている俺に高野さんがまた少し意地悪い目をして、チョコを箱から一つ取り出して俺の口元に差し出した。
「せっかくだから試してみる?」
瞳が妖艶な色をして光る。
「お風呂がまだで・・・。食事の後片付けも・・・。」
その白い丸いものを見ながらその後を想像してつい言い訳を探している自分を別の自分が見ているような錯覚に陥る。
食べたらどうなるんだろう?
いつだって抱き合う時は高野さんにおまかせな俺だ。
たとえ自分からその唇に顔を寄せても結局いつも高野さんに翻弄されてしまう。
きもちよくなって欲しいと思っていても結局いつも俺が気持ちよくなってしまって何にも分からなくなってしまう。
うす緑にさえ見えるスパークリングに酔っているのだろうか?
それともこのシチュエーションに?
まさか食べる前から何らかの効果があるとか?
高野さんのヘーゼルの瞳に吸い寄せられるように、そのチョコを高野さんの指ごと口に含んで口の中で転がすとカカオの少ない白いチョコの甘い香りが喉の奥から鼻に香った。
口の中の高野さんの指が俺の唇をさすりあげるように端までなぞり俺から離れた。
引き止めたい・・・。
そう思ってしまったのが目に出たのか「俺にも半分ちょーだい。」と高野さんにあっという間に唇をふさがれてしまう。
口の中で割れたチョコからは洋酒のようなとろりとしたものが流れ出ていて、合わされた高野さんの唇で吸われて舌でからめとられて飲み込んだのはチョコか唾液かもわからなくなった。
気が遠くなる。今食べたばかりのチョコよりこの刺激の方がよほど強烈なんじゃないのか?
喉を通ったチョコが胃に落ち着いたのかそこが熱いような気がしてくる。
いつ効いてくるんだろう?
▽
男だからそれなりに性欲処理は必要なのだろうと思う。
しかし今はそれを自分でどうにかする必要がない。
なぜならば俺には恋人がすぐ近くにいて、少し寄りかかるだけでいつだって俺のことを満足させてくれるからだ。
ただ、このところ忙しくてお互いにゆっくりと抱き合う時間などなかった。
付き合う前の俺はどうしていたんだろう?
今の俺は高野さんでなければ満足なんてできない。一人で男として処理をしようとしてもだめなのだ。
「律のここ、久しぶりだ。」
高野さんの細く長い指がデニムの上から尻をさすって深い所を押すようになぞると、それがこれからのことを連想させて身体がブルっと震えてしまう。
おれもです。
そういいたかったけど、すぐに高野さんに唇をふさがれて言葉を外に出してあげることはできなかった。
肌を合わせたい。肌の熱を直接感じたい。
もうチョコの効果が出ているんだろうか・・・。
もどかしい気持でいると高野さんがパーカーをバサッと勢いよく脱いだ。
次にカットソーを下から脱ごうとしている手を止めて、高野さんの身体に纏いつくそれを俺はつまんでグイッと上に引きあげると、露になった肌が目の前で艶めかしく揺れる。
ろくに運動なんてしてないはずなのに筋肉もついて締まってる腹に俺はみとれ、思わずさすってしまった。
「欲情する?」
高野さんが頬を軽くつまんで言うので「俺のもんなんだなって思うと何だかうれしい。」と頬をつまんでいた指をピッと交わして胸の尖りにチュッとキスをすると高野さんがグイっと荒く俺を引き寄せた。
「おいたはだめだ。」
耳元で低く響く声は愛しい恋人のそれだ。身体が金縛りにあう。いつだって俺はこうやって呪文にかかって何もできないままに快楽の海でおぼれてしまうんだ。
▽
へとへとのまま翌日仕事に行くと隣で木佐さんが笑っておはようと言った。
「昨日チョコ食べたみたいだね。どうだった?」
木佐さん・・・。どうだったって・・・、それ・・・。
「あのチョコボンボン、中に本物の強いお酒入ってるから一つでもあっという間に酔っぱらって気持ちよくなっちゃうでしょ?」
とにっこりと可愛く笑った。
「酒飲ませてグイグイってちょっと下心ありで下品な感じだけどさ。チョコでほろ酔いでさあ、しっぽりなんていい感じじゃね?」
俺は呆然として昨日の自分の痴態を思い出していた。
お酒?媚薬じゃなかったの?!
あのあと何度イッても止められなくて、最後には高野さん自身を口で愛撫して自らの手でこの身体の中に収めたのだ。
木佐さん!なんて紛らわしいまねを!
その夜、真実を知った高野さんが喜んで今日もシてと甘くねだったのは・・・。
誰にも言えない二人の秘密のできごとです。
お し ま い