将来を有望視された青年が、冤罪で問題山積みの鎮守府に着任されました。 ~地獄の底からこんにちは~ 作:ガリアムス
「提督さんや、お久し振り」
マルキュウマルマル。華裏島唯一の、おんぼろの船着き場に停泊した一隻のフェリー。其の運転手が此方を見て、帽子を小さく上げて、アキラに言った。
「お久し振りです。その節では御世話になりました」
華裏鎮守府が受けている差別を骨身に思い知らされた、忌まわしき戦果報告会。フェリーで帰路に付く自分を励まし、再起する力をくれた
「良いってことよ。後ろのお嬢さん達もどうぞ」
「thank-you♪」
「ありがとうございます♪」
「よろしくお願いいたしますね」
アイオワ、サラトガ、吹雪がフェリーに乗り込み、座席に着いてシートベルトをしっかりと締める。其れを確認した運転手は、馴れた手付きで止め縄を棒から外し、船のエンジンを蒸かしつつ、ハンドルを回してフェリーを船着き場から離す。
『本日は全日本フェリーを御利用頂きまして、実にありがとうございます。
このフェリーは華裏島発、三笠桟橋行き。三笠桟橋行きでございます。到着予定時刻は11時45分前後を予定しております。尚、出航並びに到着の15分間は、船の速度の増減により、大きく揺れる場合がございます。
また、気象状況によっては到着が遅れる場合がございます。予め御了承下さい。
安全を考慮し、運転手の指示があるまでは、席を御立ちにならず、シートベルトをしっかりと閉め、手摺に御掴まり頂くよう、御協力をお願い致します。
それでは快適な船旅を御過ごし下さいませ』
雲一つ無い蒼天の下、四人を乗せたフェリーはぐんぐんと速度を上げて行く。近くに見えていた華裏鎮守府と華裏島は、段々と小さく遠退いて行き、軈て水平線の彼方へと消えて見えなくなった。
「日本のフェリーってこんなに速いのね!流石Japan quality!アキーラの所に来てから、驚かされてばかりだわ!」
「海と空…。故郷から見た青も良いですが、こうして船の上から眺める青も、とっても素敵…」
移ろい行く景色を見て、はしゃぐアイオワとうっとり眺めるサラトガ。性格が違うだけで、こんなにも感性が違うのかと改めて思うアキラ。
「あ!イルカ!アキーラ、イルカ達があんなに居るわ!」
アイオワが何かを見付けたらしく、青い海へ指を指しながら十字の切り込みを入れた椎茸のような目をして、彼に呼び掛ける。
彼女が見る視線の先、目を凝らし意識を集中させると、確かに水面を跳ねる複数の影が見えた。しかし其の影達はイルカと比べると、とても小さい。
「…アイオワさん。あれはイルカじゃなくて、トビウオ…flyingfishだ」
「flyingfish?」
「うん。イルカは本来、人なっこい性格で、船から手を振ると海から跳ねたり、水を掛けたりしてくるんだ。ダイバーさんが潜ったりしてくると、警戒せずに寄り添ってきたり、アクアリングっていう口から出す空気の輪っかで遊んだり、これが可愛くてさ。
で、イルカにしては余りに小さくて、船からかなり離れているし、前ヒレが体に比べて少し大きかったから、トビウオだなって判断出来た」
「司令官って物知りなんですね」
「…物知りって訳じゃない。昔働いてた所で、生きるために色々教わった。其れが今でも頭に残ってる。
自分で言うのもなんだけど…俺自身あんまり『出来た人間』じゃないんだよ。学生時代のテストだって赤点取らないギリギリの点数ばかりに、運動神経も突出した物も無い。
かといって手先が器用でも無ければ、何かしらの才能があった訳でもない。
ただただ、今日を生きるために。死に物狂いで、ひたすら努力した。だから今の自分が在る。それだけなんだよ」
遠く彼方を見る青年の顔に影が落ちる。
幾多の提督と共に、華裏鎮守府を其処に
生きる事を否定された。
努力を否定された。
頑張りを否定された。
あの日、血と涙を流して、内に封じ込めた感情を吐露した彼。何も無いからこそ努力した。生きるため必死になって働いた。何度裏切られ、何度も傷付き、それでもあの瞬間まで耐えてきた異常な精神力。
二十歳の青年がそうなるまでに味わった過去は、残酷で絶望を含んだものなのだろう。
「…すまない。重い空気にさせてしまって」
「…司令官」
気不味い。次に何を言ったとして、この空気を変えられる自信がない。サラトガはどうしようと言った具合で、吹雪と俺を見ている…。
どうすれば良いだろうか…
「アキーラ!」
不意に襟を掴まれ、引き寄せられる。同時に視界が真っ暗になり、頬や額…いや顔全体が温かな…
「コンゴーから聞いたわ。何か嫌な事が有った時は、こうゆうのをやれば、男の子は元気になるって♪」
上機嫌というか、してやったりといったアイオワの口調。どうやら自分は、彼女の魅惑の谷間へダイブをさせられたようだ。
確かに元気にはなるよ、主に下の部分がね。
…じゃなくて!
「む~!?むー!?ムムムム、むーむむーむーむむむ!」
「ほらほら♪これで元気になったでしょ?」
必死に抜け出そうと藻掻くが、後頭部を押さえて更に奥へと押しやるアイオワ。息が出来ないのと人肌の暖かさ、そして遠退く意識と鳴り響く彼女の心音。
やばい…これは…
『やめてッ!!!』
「ぷはぁ!助かふみゅん!?」
キュポン!とワイン瓶からコルクを引っこ抜くように、視界が広がり、息が出来たと思ったら、再び目の前が真っ暗になる。
顔面に掛かる圧力は、先程のアイオワに負けず劣らずのもの。
…まさか…
「あらあら、どうしたの?サラ」
『アキラは…アキラは私のですッ!アイオワにだって…譲りたくありません!』
サラトガは大事な人形を抱えるように彼をぎゅっと抱き締めて、子供の我儘のように涙目で言う。尚、其のアキラはサラトガの隠しきれないバストに顔面を潰され、再び息が出来ないでいます。
「フフ…『やっと言ってくれた』わね」
「…え?」
「私は貴女の、其の言葉が聞きたかった。私もアキーラの事が好き。そして彼を狙う娘は沢山居る。だから、此処で言うわ」
長い金髪を凪ぎ、サラトガに向けて指さしてアイオワは宣言したのだ。
「
サラトガは少し驚いた顔をしたが、軈てこう返した。
「
アイオワからサラトガへライバル宣言が放たれ、サラトガも売り言葉に買い言葉で応じる。
「アキラ、大丈夫ですか?」
「…………………………」
「?アキーラ?」
返事が無い。サラトガが自分の身体を彼から離すと、顔を真っ青にし、ぐったりしたアキラが其処には在った。
「し、司令官?…!?嘘、息してない!早く人口呼吸を!!!」
「アキーラ!?アキーラ!!」
二人の恋のバトルから一転、アキラの命の危険に直面するという状況に。
この後、自動操縦に切り替えて甲板の様子を見に来た運転手も、吹雪の指示で救命に加わり、其れから一分しない内に、彼は何とか息を吹き返す事が出来たのだった。
そしてアイオワとサラトガは吹雪にみっちりと説教され、アキラは本当にありがとうございましたと、運転手に何度も何度も頭を下げ、仕舞いには土下座するまでになったのである。
これらの原因によって、到着が二時間遅れたことは言うまでもない…。
* * *
『三笠桟橋~。三笠桟橋~。到着でございます。お降りの際は足元に御注意の上、落とし物をなさいませんよう、御気を付けくださいませ。
三笠桟橋~。三笠桟橋~。出口右側でございます』
ヒトヨンマルマル。
紆余曲折有ったものの、目的地である三笠桟橋へとフェリーが入る。高鳴るエンジンはゆっくりと終息し、船体に穏やかな波が打ち付ける度に水飛沫が跳ね、太陽の光と共に輝く。
「やっと着いた…」
「色々ありましたね…」
「本当にごめんなさい…提督」
しょんぼり顔でフェリーを降りるサラトガに、過ぎた事だから気にしないでくれとアキラは言い、彼女の手を取りエスコートする。そして四人は港出口で料金を払い、外へと出た。
三笠桟橋と言えば、隣近所に三笠公園と呼ばれる日本に唯一現存する戦艦の『三笠』が置かれており、一目見ようと外国人旅行者や、自分と同じ職業柄のパワースポットとして訪れる人々が多い。
そんな行き違う人の視線がサラトガとアイオワに集まる。普段着では無いため、艦娘であるとバレているわけでは無いのだが、それでもスタイルの良い超絶美人な外国人として、取り分け異性の視線をいっぺんに駆っ浚い、デート中のカップルは相手の足をヒールで踏んだり、耳を引っ張ったりとギスギスした雰囲気が生まれ始めていた。
アキラは吹雪達と其の場を離れ移動を開始しつつ、話始める。
「さてと…だ、此れから俺達は予約した民宿に向かう。道中、大本営の連中が何か仕掛けて来るかもしれない、だからあくまでも『一般人』として振る舞うよう、心掛けて行動するように。
あと、アイオワさんとサラトガさんは大本営に着くまでの間は、俺の事を『マキ』と呼んでくれないかな?」
「え、どうしてマキと?」
「コードネームってやつさ。俺はどうも、
普段と違う服装をしたのは自分達の身分を隠すため。そして名前を『蒔』として欲しいのは、相手に此方の名前を知られないためだ」
名前を公にすれば、観光客の中に混じっているであろう大本営の尖兵に気付かれる。何もしないよりかは、まだマシな方法だった。
「OK。任せて、マキ」
「それじゃ…行きますか」
状況を理解したアイオワが左指で丸を作り、吹雪とサラトガも小さく頷いた。
* * *
同時刻、大本営内某一室…
『牧園 アキラ及び三名の艦娘を視認。内二名は甲少尉の報告通りであれば、米艦娘のアイオワとサラトガと思われます』
「よし、引き続き奴等の監視を続行。何か有れば直ぐに報告しろ」
『了解です』
無線機を手元に起き、数十台並ぶテレビの映像を眺める者達が三人居た。
皆それぞれ、煙草を吸ったり、アイマスクを着けて寝ていたり、真面目に画面を観ていたりと、統一感が伺えない。
寧ろ、やりたくないのにやらされていると言った空気が室内を充たしている。
「おい。今は業務中だ、気を抜くな
「…めんどくせぇ。何で他かが一提督の為に俺等三人、せめぇ部屋ん中で監視カメラを見てなきゃなんねぇんだよ。つーか、何時からテメェが俺の上司になったんだ
「…Zzz…」
テーブルに足を伸ばして重ね組み、サングラスを掛ける三十代半ばの男…
其の二人の状態に苛立ち、怒気を含み注意する眼鏡の男、
「お前達、一つ良いか?」
「あ?何だ、リア充」
「リア充ではない。…大本営にとって『牧園一族』というのが『どうゆう存在』に当たるか…考えた事は有るか?」
眼鏡男の質問。異様な沈黙の後、新しい煙草に火を付け、ゆっくりと味わうように吸った善二郎はこう言った。
「…『災禍と破滅をもたらす悪魔の一族』。俺の家系じゃそう言われてる」
「何?」
「あん?」
薊の発言に善二郎の煙草を吸う動作が止まる。
「…何かちげぇ事言ったか?」
「いや、そうではない。ない…のだが…」
勿体ぶんな、さっさと話せやと善二郎は無言と横目で威圧する。薊は頭を掻いて、視線は其のままにこう言った。
「私が牧園一族について父から教わった事。それは…
彼等が『救世と変革の先導者』であると言う事だ」
先程とは逆の意味を持つ薊の言葉に、善二郎は煙草を三度、山盛りの灰皿に押し込み、新たな煙草に火を着け、煙を吸い込む。
「…どうゆうこったそりゃ」
「家毎に彼等への印象…もしくは彼等と敵対したか、同調したかの二択だろうな」
「…むぅ、ふみゃ…?あぁ、おはよぉ…ふぁあ~…」
空気をぶち壊す、絶対に見計らっていただろうタイミングで八京が目を覚ました。気の抜けきった大きな欠伸に冷静沈着の薊は少し転けてしまう。
「おま、今かよ起きんの!?」
「そだよ~。ねーねー、それよりドーナツ食べようよ~。美味しいお店知ってるんだ~♪」
「…その食欲、私的には仕事に向けて欲しいのだが」
溜息を吐き、薊は尚もカメラに向かい続ける。未知の脅威と何時果てるかも分からない長い戦いを続けている大本営。所属する軍人の一人として、与えられた任務をキッチリとこなす。其れが彼にとって当たり前なのである。
『薊大佐!』
淀んだ空気を突き破る、切迫の一声が無線に飛び込む。ギャーギャーと騒いでいた善二郎と八京も、声の主の状況に仕事モードへ即座に切り替え、ヘッドホンを着用する。
「何があった」
『先程、ターゲットが近くの公衆電話ボックスに入りました。何を話しているかは聞き取れませんが、先程から周囲を警戒しているようにも見受けられます』
「此方の監視に気付いたか、こりゃ?
っうこったぁ、
「対象が移動を開始したら、絶対に見逃すな。見失う可能性が高くなる」
薊は危惧していた。此所で一番してはならないのは『
万が一、彼と話している者が『監視カメラ』を通じて見ている事を知っており、且つ『死角を熟知していた場合』、残された手段が『人間の目で追う』しか無い。
そんな状態で人混みや裏路地等に逃げ込まれれば最後、対象の居場所を知る術は失われ、監視を断念せざるを得なくなる。
即ち『任務失敗』、絶対に避けなくてはならない。
「絶対に気付かれるな。奴が何をしてく」
その時。監視カメラの映像の一つがあるものを捕らえる。電話ボックスに立っていたアキラと監視者の視線が合ったのだ。
『あ…………』
青年の表情が険しい物へと変わり、電話ボックスを出た後、三人に何かを話す。高身長の二人が互いに背中を合わせ、少女が周囲に目を光らせ。そして彼は其の足で、監視者の方向へと歩き始めた。
「…やべぇな。特定されたかもしんねぇぞ、こりゃ」
「いいか、どんなことがあっても『動くな』。一瞬でも動けば、相手の疑念は確信に変わるぞ」
一歩、また一歩。着実に確実に狭まる距離に心臓は高鳴り、生唾が喉の奥へと押し遣られる。
軈て、青年の歩みは監視者の目の前で止まる…。
「…ちょっと良いですか?」
* * *
場面は数分前に遡る。此方は牧園 アキラと艦娘達の視点…
「凄い!凄いわ、何これ!キラキラして、とっても素敵!」
「アイオワ、皆から離れちゃ駄目よ?迷惑を掛けてしまうわ」
路上に建ち並ぶ店々、ショーウィンドーに飾られる服や綺麗な雑貨達を見ては興奮と興味を示すアイオワ。そんな彼女を背に麦わら帽子の角度を変えて、小さく溜息を付くサラトガ。
見た目は大人、心は少女。お洒落や光り物に惹かれるのは変わらないのである。
「楽しそうですね、アイオワさん」
「うん。国や文化が違っても、新しい発見に敏感だったり、興奮するのは人間と同じだね」
大通りの道行く人々の合間を縫い、アキラと吹雪は歩いて行く。通り過ぎる一般人からすれば、アキラと吹雪は『途中で出会って、そのまま家へと帰る父娘』の其れと同じように見え。
米艦娘二人は『念願叶って漸く日本を訪れる事が出来たアメリカからの旅行客』の様に見られた。
しかし、吹雪の表情はどこか固さが伺える。そして其れは緊張から来ているものではないことも…。
「吹ぶ」
「司令官。何も言わず、耳だけを傾けて聞いてください。…
目が丸くなる。覚悟はしていたが幾ら何でも早過ぎる。此方が港に上陸する前から既に、大本営の奴等は待ち構えていたとでもいうのか。
━━━━━━━プルルルルル…!
人混みに混じり、鼓膜を貫く一声の電子音が飛び込む。
鳴り響く音は、通り掛かった公衆電話ボックスの中に鎮座するテレホンカード等にも対応する、新緑をイメージした色を持つ一台の置き電話。
アイオワとサラトガは音に驚き、オロオロあたふたと電話ボックスの前まで近付いたが、間違い電話であったらどうしようかと心配そうに此方を見て立っている。
「…司令官。今鳴ってる電話、どう思いますか?」
「…応答するべき、だと思う。例え…罠だとしても」
四度目のコールが切れ、五度目の鐘の音が響く。半透明の扉を開け、掛けられた受話器を手取り耳に当てる。
「…もしもし」
『おぉ…繋がった繋がった。私だ、アキラ司令』
だらけきった無気力な声が飛び込んでくる。自分はこの声をよく知っている。
声の主は望月…睦月型駆逐艦・十一番艦の
『
「珍しいな、どうしたんだ望月?」
『…いまさぁ、司令官の服に付けといた超小型カメラから周りの様子を観てたんだけどさ。見付けたよ…監視してる奴の場所』
さらりとカメラを付けていると言った望月に、アキラは驚いて衣服を見回し、Tシャツの襟止めボタンに彼女が言ったカメラが付いていた事を確認した。
「これかよ…ボタンにしか見えない」
『おっと、電話を切る前に。アキラ司令、そのまま顔を上げてたら、視線を真っ直ぐに…。そしたら目を凝らして、真っ黒なサングラスを着けた背高のっぽの男が居る筈だから探してみて。
もし司令官を見ていたら…そいつが監視者だ』
望月の言葉を信じ、アキラは目を細めつつ、視界に映る人々の中から対象となる存在を見付けんとする。
「…あ」
『見付けられた感じかぁ…んじゃ、後は司令官に任せる…おやすみぃ…』
ガチャリと切断されると同時に、アキラの顔は険しさを帯びる。
「あ…マ、キ…?」
「サラトガさん。アイオワさん。互いに背中合わせで立合いながら周囲を警戒。吹雪は二人が見れない視界をカバーしつつ、通行人の動き全てに目を光らせて。
俺は少し話をしてくる」
指示を飛ばし、進む歩みはそのまま目標へ。
交錯する人の波を掻き、青年の真っ直ぐな瞳は自分達を見ていた存在へと向けられる。一歩、また一歩。確実に狭まる距離と肌にヒリ付く緊張が彼の心を奮わせた。
そして遂に、アキラは監視者と対面する。
「…ちょっと良いですか?」
絶対に逃がさない。捉えた視線を決して放さず、アキラは一言、監視者の男に対して言った。
「何ですか、急に」
「正直に答えてください。さっきまで私達を監視していたのは貴方ですよね?」
問い掛けに対して、サングラス越しでうっすらではあったが、男の目が横をほんの一瞬向いた。それも嫌そうな目をしながらだ。
「誰と話していたんですか」
追撃に男は無言を貫く。軈て数秒の沈黙が指した後、小さな声がする。
「……はい、はい…。
…了解です。…それでは………はい。
失礼。今、新しい仕事が入り急遽向かわねばならなくなりました。では、私はこの辺りで」
内容までは分からないが、男の話し相手がこの場を脱出する事が出来るように、間違いなく何かしらの策を打った可能性がある。
追及しようにも、逆に此方が不利になる未来しか見えない。
ならば。
「では一つ。言伝てを頼んでも宜しいですか?」
「…言伝て…と?」
男の足が止まった。振り向き様、アキラはその口から自身の言葉を以て、監視者に向けて叩き付ける。
「では…
『サラトガとアイオワを見守って下さって、どうもありがとうございました。
ですが今後、私が彼女達の提督として二人を守りますので、
そう伝えていただければ、幸いです」
「…それでは」
男はそう言ったきり、振り返ることはせず、その姿は人混みに揉まれて消えていった。
アキラもまた、待機している三人の元へと戻る。
「あ、アキラ司令官…大丈夫、ですか?」
険しい表情のまま帰って来たアキラに吹雪が問い掛ける。
「………はぁ~…!!緊張したぁ…!!」
重圧からの解放。空気を排出した風船のように、アキラの体は萎み、膝に顔を埋めながらそう言った。
「…えっと、司令官…。どう、でした…か?」
「吹雪。俺、監視者にちゃんと言えたよ。サラトガさんとアイオワさん、二人の事。
二人は渡さないし、自分が責任を以て守るって。まぁ…あっちは無反応で帰っちゃったけど。
でも…後悔はしてない。言うべき事をちゃんと言えたからな」
フンスと鼻息一つ、堂々と立って胸を張る。
アキラは今回の一言で大本営の怒りを買い、同時に近い内、必ず自分達に制裁を加えに来ると予期していた。
負けるものか、絶対に。
青年は覚悟を固め、予約した民宿に向け、再び歩を踏み出したのであった。
曇り無い蒼天の空は、彼の心を物語るように。
* * *
同時刻、大本営…
「これより、明日行われる最強鎮守府決定戦開会式の最終確認会議を始めさせて頂きます」
競技場のトラックを彷彿とさせる巨大な長円形のテーブル。均等に並べられた席は、およそ五十。
その殆どを人が埋めており、腰掛ける者も老若男女多種多様…会議の初めを宣言するのは眞船 仁中将。大本営内で多くの提督達と連携し、様々な作戦で結果を残してきた確かな実力者。そして何気に後輩提督達に好かれている。
「明日、マルハチサンマルより各出入口より提督達をホールへ入場を開始させ、同日マルキュウゴーマルを区切りとして入場を規制。
開会式はヒトマルマルマルより開始、閉会時間は二時間後のヒトフタマルマルを予定しております。
その後、ヒトサンマルマルから最強鎮守府決定戦の予選受付を開始し、ヒトキュウマルマルで区切りとします。
また、三年前の受付に於ての処理速度の反省から今年は受付人員を四割増強態勢で臨む予定です。
何か質問はございますが?」
スッと小さな手が上がる。白い軍服に一際目立つ赤い髪、小さな子供のような幼さを持つ者。
名を
「…牧園一族」
会議室内の空気が、その一言で一気に緊張を帯びて張り詰める。
「万が一…そいつが受付に現れた時、参加させない算段は在るのか」
怒り…彼から発する言葉や眼差しは其れであった。何故ならば数ヶ月前、彼は牧園 アキラによって屈辱を味わったからである。本来なら資源回収用の大発に仕込んだ爆弾を爆破し、反逆の汚名を被せつつ、持っていた拳銃で脅迫。必要ならば命を奪わぬ程度に傷を負わせて相手を屈伏させ、更なる要求を強引に押し通す…そんな算段であった。
窮鼠猫を噛む。両足を撃たれ追い詰められた
「確かに…非公認鎮守府を参加させ、ありえないだろうけど優勝した場合、
そう発言するのは背もたれに長杖を引っ掛け、眼鏡を動かす齢七十程の白髪の老婆。彼女の名は
「対策はありますとも!皆様方」
一際大声で立つ、肥満体質の大男に女性陣と一部男性陣の表情が一挙に歪む。荒垣 演作中将…口調は一流の劇団員、されど普段の態度と行動はチキンと色々と歪んだ男。中将になれたのは偶然だとか、賄賂を渡している等と真偽の分からない幾多の噂が飛び交い、其の見た目と相まって大本営を含めた提督達からの人望は壊滅的。
おまけに一度でも気に入らない提督に目を付けたら、その者が大本営から居なくなるまで、徹底的に嫌がらせを続けるという、醜悪な性格の持ち主なのだ。
「
どちらを選択しようとも、彼には一生の後悔を与えられる苦渋の決断。我等に逆らう事がどのような結末をもたらすか…見世物として大いに盛り上がるかと」
黒笑を浮かべる演作。ある者は顔をしかめ、ある者は溜息を付く。会議室がどんよりと、重い空気に包まれ始めた。…と。
「参加させても良いのでは?」
一声。室内の空気を変える言葉が響き、皆の視線が集う。其の先に、一人の女性が一際巨大な椅子に腰掛けて居た。
艶やかで全ての光を吸い込む、重力渦《ブラックホール》のような黒。心を見通す綺麗な青の瞳、グレーのコートと茶色のシャツと間から覗く、淡いピンクの肌。
鼠色のズボンと黒の靴を纏い、頭の右側には二本の煙突を模した筒状の物が乗っていた。
この場には不相応の服装にも関わらず、彼女に対して指摘や退室を促す者はいない。何故なら此処に居る者は皆、彼女の事を知っている。
「…何故そう思うのか、答えていただきましょうか?
富士。大本営で其の名を知らぬ提督・司令官・将校は一人としていない。
前弩級戦艦…富士型戦艦の一番艦・
「最強鎮守府決定戦…元を辿れば三十年前、『
彼女の言葉が、更なるざわめきをもたらす。
「知っている者と、そうでない者と、それぞれだろう。少し説明させて貰う。白夜の魔女…本名
ところが、最終調整段階で突如として暴走。勤務中の施設内職員を全員殺害、及び施設内の機器類・資料諸々を灰塵に還すまで破壊の限りを尽くした後、極寒の海へ姿を消した。当時、技術の粋を結集した研究施設の破壊の凶報は、国を絶望の底に陥れたとか」
創造主に対する、残虐無慈悲な行い、反逆。
全てを白く、無へと誘い、冷たき静寂と絶対なる死をもたらす…破壊者。
そうして幾つもの港を
そうしてГангутは、こう呼ばれるようになる。
『
「ロシア海軍は此の問題を国内で解決しようと謀ったが、ことごとく失敗。当時の大統領は自ら責任を取って辞任し、新政権が発足。そして私達、大本営に対してГангут討伐の依頼を要請した。
三十五年前、『最初の』討伐作戦が立案され、艦隊を編成し、北方の海へと向かった。…しかし」
艦隊の八割七厘の大損害による大敗北を喫した。
与市がそう口を開く。
「あんころは艦娘の練度が今より高くも無い、何よりも『
「それから第二、第三、第四と続く作戦でも、一切の戦果を挙げる事が出来ず、大本営内は作戦続行か講和による停戦かの真っ二つに割れ、連日会議になりましたなぁ」
中年の肌黒な巨人と思う程の男…
剛毅は最強鎮守府決定戦で七年連続ベスト4入り、昨年は三位に入った、強豪・横須賀第七鎮守府で持ち前の豪腕を文武共に奮う提督。
湊人は五方包囲電光石火作戦で全作戦甲難度で攻略・甲勲章を獲得し、最近の昇進によって少将となった事で会議への参加を許された人物である。
「そんな折、一人の将校が白夜の魔女討伐作戦への名乗りを挙げた…年配の方々は知っているだろう?」
十数人程が表情をしかめたり、舌打ちをするのに対して、一部の者は納得といった頷きをしている。知らぬ者達は誰なんだと興味と疑問を半々に、富士に視線を向け、彼女は其の名を口にした。
「…『牧園 ジュウゴ』。第三十七代・海軍大本営『総大将』を務めた…提督だ」
牧園。表社会・裏社会にも通じる、それだけの影響力を持つ
室内が更なるざわめきを帯びるが、富士は小さく手を上げ、此れを静める。
「当時は教官を勤めていた身であったが、指揮を取る事が決まると、独自のメニューで訓練を施した艦娘達と共に海を渡り、ロシア大統領と異例とも言える対談をした。
一提督の範疇を越えた此の行動は、絶対に有り得ないとメディアで話題になり、同時に大本営は連日の会見と応対に追われる羽目になったがな。彼はロシア海軍と協力し、北方海域内での戦い方や艤装使用時の注意事項、天候や港の位置等の情報を細かく入手し、実際に同じ状況下で何度も演習を行ったそうだ。
そうして五年の時間を掛けて発動した、五度目の白夜の魔女討伐作戦。
艦娘達とロシア海軍の総力を結集し、Гангутを包囲・強襲し、三日三晩の死闘の末に、撃破・捕縛に成功したのだという。作戦終了後、彼は帰国した足のまま大本営に直行、艦隊全体の練度の低さが露呈した事を踏まえ、最強の鎮守府を決めるトーナメントの立案を直訴した。其れが最強鎮守府決定戦の始まりだと」
皆、何を思うか分からない。しかし、たかが一人の人間が大本営を動かし作戦を終結させ、あまつさえ毎年の恒例行事となった催しの起源を創った。富士は最後にこう言って、自分の話を締める。
「彼は言った。
『
勇気を以て挑戦し、経験を経て、更なる飛躍を成せる場所だと。
牧園一族であるからと、其の好機を奪う事は決して在ってはならない。もし自分が同じ立場に立ったとしたら、果たして同じ事を言えるのか…少しでも考えを改められる事を願い、話を終わりとさせて頂きます」
* * *
それから数時間、開会式で話すスピーチや誘導案内等の細かな確認と不備が有った際の対応策の確認を終え、会議は終わりを告げ、皆思い思いに会話を交わし、部屋を後にする。
「…ふぅ」
「よっ、おつかれ」
眼鏡を外し、眉間を押す仁の後ろから、芳子が軽い口調で話し掛ける。彼女の後ろには片手に杖を握った与市が居た。
「大森中将、宇佐美中将。今回の会議、お疲れ様でした」
「固いねぇ、あたしゃのことは普通に与市さんでエエんよ」
「いえ、そういう訳にもいきません」
「与市おばあちゃん、コイツ私らの同期じゃ一番の頑固者で通ってるし、何言っても無駄よ」
やれやれといった表情で首を振った芳子だが、むすりとした顔で与市は彼女の可愛らしい小さな耳を引っ張る。
「い"だだだだだ!?痛い!痛いから!?」
「おばあちゃんじゃない、何度言ったら分かるんか馬鹿弟子」
真っ赤に腫れた耳を押さえ、涙目で座り込む芳子を尻目に、与市は仁と改めて向き合い言った。
「さてと…仁君。君は『どっち側』の人間かねぇ…?」
「え…?」
「ふふ…いずれ、この言葉の意味は分かるさ。ほれ、行くよ芳子」
素っ気ない微笑で杖を突き、仁の横を通り過ぎた与市。
そしてその後ろ姿を、痛みでひーひー言いながら追い掛ける芳子。
言葉の意味を思考始めるも、意味が分からず頭から煙を吐き出す仁。
思惑は交錯する…。
* * *
大本営内、某一室…
「くそっ!」
薄暗い部屋の中、一人が机を徐に叩き、鈍音が室内に響く。隠しきれない怒りから呼吸は荒く、眼光は鋭い。
「富士め、余計な事を喋りおって…」
「まぁまぁ落ち着きなさいな。確かに奴が言った事も分かるが、『勢力』では我等に分がある。その上、何十年も此所に務める面々…簡単に心変わりするほど、柔じゃない」
「寧ろ良い機会と考えようではないか。『あちら側』に寝返ろうとする連中を炙り出す、絶好のタイミングであると」
「ええ、ならば我々も各自で動く事としましょう。奴等に悟られては、付け入る隙を見せるだけですしな」
くつくつと笑う者、これからの未来を思考する者。各々がそれぞれの目的達成の為、さらに行動を加速させてゆく。
果たしてアキラは無事に、最強鎮守府決定戦へ参加する事が出来るのだろうか?
人物&艦娘紹介
現在は大森 芳子の師として教鞭を振るい、いずれ彼女が女性初の大将の地位に立てるよう奮進中。
また、彼の鎮守府に属する艦娘達も一部を除いて彼と共に筋トレに励んでおり、近距離の
* * *
二之名は有るが、人前では言ってはならないという決まりがある。