※この作品はR-18です。

将来を有望視された青年が、冤罪で問題山積みの鎮守府に着任されました。 ~地獄の底からこんにちは~   作:ガリアムス

66 / 67
・前回の続き、アキラの過去の回想になります。

コロナウイルスがヤバイですが、作者と其の家族は元気です

別小説の執筆作業をするため、次回更新は遅くなります。


将来を有望視された青年が、冤罪で問題山積みの鎮守府に着任されました。~再会せし恩人とアキラの暗い過去 其之弐~

これはアキラの過去…其の中に眠る、ある記憶にまつわる話。

 

 

 

彼自身が己の人生で最も嫌悪しており。

 

困難と絶望の中で人間不信を患い。

 

人が持つ温もりと優しさを喪い。

 

世界に要らぬ存在だと卑下し。

 

自分の命等、蟲よりも価値の無い物だと思い込み。

 

全てを拒絶する程に己を呪った。

 

 

 

彼は其れを『最悪の時期』…そう読んでいる。

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

東京都内某所…其の日は、日本に上陸した大型台風の影響で、都心部は暴風と豪雨に見舞われていた。

 

「━━━━━━━!━━━━━!!」

 

とある中華飲食店の厨房。コック達がたゆまなく料理を作って提供を行う、料理人にとっての聖域であり、日々苛烈を極める戦場の最前線。

 

「オーダー入ります!三卓様、レタス炒飯一丁!焼売一丁、回鍋肉一丁!」

 

「七卓のフカヒレスープ、二卓の海鮮焼きそばと餃子出来ました!」

 

御昼時に豪雨も相まって、店は雨宿り次いでに食事を取ろうとする人々で満席だった。

 

「五卓様、料理出来ました!…『アキラ』!さっさと運べ!こぼすんじゃねぇぞ!」

 

「は、はい…━━━!」

 

手渡された料理を御盆に乗せ、慎重に運ぶ『少年』が此の店には居た。年は11歳、背丈は110cm程で顔や腕には『痣』や『火傷』の痕が点在。

彼の顔色は悪く、寝不足による黒隈が目元に顕れ、身体は痩せ細り、歩きもおぼつかなかった。

 

この少年が『牧園 アキラ』…最悪の時期の中で『最も最悪な状態』に在る。

 

彼は友による裏切りで、此迄居た学校で謂われ無き差別や虐めにあった事で転校し、別の学校へと移った。自分を知らない場所で、静かに暮らそうとしたのだ。

 

だが、其の行動は無と化した。

 

転校した場所でも彼に対する虐めは続いた。寧ろ悪化の一途を辿り、彼は学校に行くことを恐れ、生きるため働く事を決意する。

 

しかし、其れすらも無意味になった。

 

働き始めた場所でも身に覚えのないミスや、店の金を盗んだ等の言い掛かり、無茶苦茶な仕事を押し付けに、果ては強制解雇を言い渡され、店を…居場所を無くし続けてきた。

 

《今日頑張れば…お金が、貰える……そしたら……》

 

食材を仕込み、注文を取って、料理を作って運び。

店内と厨房の全てを『たった一人』で『毎日』久間無く掃除する。

食事は昼か夜の『一度』のみ、上司の命令には『絶対に従う』。

 

其れがアキラが、此の店に『置いて貰うために』二ヶ月間ずっとし続けてきた事だ。

 

《お金が入ったら、ご飯が…食べられる…━━》

 

慎重に…慎重に…。ゆっくりと一歩ずつ進み、漸く注文を受けたテーブルが見えてきた。

 

《もう少し…もう、少…し━━━》

 

が。そんな彼の横を、他の定員が通りすがり。

 

彼の行き先に爪先を絶妙なタイミングで『置いた』のである。

 

「うわぁ!?」

 

身体が前のめりに転倒。其れにより御盆は前に放り出され、テーブル下に着弾。飛び散った料理で座っていた客のズボンが汚れてしまった。

 

「おぉ、大丈夫かね!?」

 

「あ…ご、ごめ『申し訳ございません!家の新入りが!ちゃんと叱っておきます!料理も作り直しますので!少々御待ち下さい!』

 

謝ろうとしたアキラを立たせようとした客の前に、彼を転ばせた店員が立ち、代わりに謝罪し、アキラの首根っこを掴んで店の奥へと引っ張って行く。直ぐに他の店員が来て、溢した料理の後処理を行い始める。

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

「は、放して…!何で…」

 

「この馬鹿野郎が!!」

 

厨房奥の非常用出入口まで引っ張られ、自分の荷物とボロボロの衣服と共に、外のゴミ棄て場所まで連れていかれたアキラは、其処で其の店員から鉄拳を食らった。

 

「これでッ!お前は『十回目』!だっッてんだ!」

 

激しい雨音の中、バキッ…!バキッ…!と肉が叩かれ、骨の軋む音が響き、アキラの顔面は腫れてゆく。

 

「言ったよなぁ…?ハアッ…ハアッ…『料理を十回溢した奴は店に入る資格を失う』って…よォ!!」

 

「あぅ…い、痛い…!やめて…ください………痛い………」

 

「止めるかよバーカ!」と彼は、アキラの鳩尾に前蹴りを叩き込む。其の瞬間、少年の肋骨が二本、ベキリ…と鈍い音を立ててヒビが入った。

 

「あ…が…………」

 

口から空気と共に汚物を吐き、アキラはずぶ濡れの壁に凭れ伏す。これが、この店でアキラが働く中で受けた『制裁』。

 

この店だけではない。此迄、転々としながら働いてきた『二年弱』…彼は店に入る度、其の店の同僚や先輩店員、店長等から謂われ無き『暴力』を受け、身に覚えの無い『言い掛かり』や『罪』を背負わされ、追い出されてきたのである。

 

「店長にはお前が『十回目』だと伝えておく。…二度と店に来るな、この『疫病神』が!」

 

水溜まりへ乱雑に投げ棄てられた、自分の持ち物達。バタン!と扉が閉まり、後には雨音と雷が高層建物の谷間で鳴り響くのみ。

 

「………『また』、クビに…なっちゃった……」

 

バタリとアスファルトの地面に、小さな身体が倒れた。

 

「うっ…ううう…………!ううううううううう…………━━━━━━!!!!!」

 

どうして?どうして自分が、こんな酷い目に遇わなければならないのか?

 

泣けど泣けども、誰も答えを教えてはくれなかった。

 

分かっているのは、只一つ。

 

アキラは職を…自分の居場所を『失った』のである。

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

店をクビにされ、追い出されたアキラは、傘も無く独りぼっちで豪雨の中をフラフラと歩いていた。

 

本来なら今日の仕事終わりに給与が入り、今後の生活の為の安価な服と、暫く食い繋ぐ食糧を手に入れる予定が全て台無しになり、また貧相な生活に逆戻りとなった。

 

《ボクは…いらない子……》

 

何度も職場を失い、人々から酷い仕打ちに合い続けたアキラは何時からか、自分は此の世界に不要な存在なのかと思い始めた。

それでも彼は人を信じ、社会を生きるために必死になって働いて、店に貢献しようと努力してきた。

 

だが…

 

『アキラ君が入ってから売上が酷く落ちたんだよね。明日から来ないでくれる?』

 

『お前が店の品物を盗んだんだろ!』

 

『君の契約は打ち切りだ』

 

『もう、此処で働かなくて良いから』

 

身に覚えの無い罪や理不尽な理由で、何度も何度も居場所を失い、アキラは心身共に追い詰められ、困窮の一途を辿り続けてきた。

 

食事は一日に一回か二回取れるかどうか。賄いが無い時は廃棄された料理を隠れて摘まむ、店の仕込みで切った野菜片を噛り。運が悪いと四日は食事にありつけず、水で空腹を紛らわせる事が殆どだった。

 

《おなか、すいた…━━からだ、いたい…よぉ………》

 

殴られ、蹴られた場所が雨に濡れて傷み、雨を吸って重くなった衣服が全身にへばりついて、足取りを悪くする。行く宛も無くし、ただ風に吹かれ、飛ばされた木葉の様にフラリ…フラリ…と都心を漂うだけ。

 

《おかね…━━、もらえなかった…━━━。かえるもの…なんにもない………》

 

空腹と疲労で歩く力を失い、叩き付ける雨が少年に残された僅かばかりの体力を、無慈悲に奪い取る。

 

《さむいよぉ……くるしいよぉ……》

 

ずぶ濡れの髪から滴る水滴に涙が混ざる。雨宿り出来る場所を見付けなければ、きっと死んでしまう。

 

《しんじゃう……しにたく、ない………━━━━?

 

ボクは…いらない……じゃあ、…しんで…いい……?》

 

ふぅと脳裏を過った、冷静な頭でなら絶対に思い浮かばない事。絶対にしてはいけない事。痛いでは済まされない事。取り返しの付かない事。

 

だが、アキラには。

 

全てを失って、否定され。

 

生きる理由も無く、自分は必要とされてない。

 

何もない、空っぽな状態。

 

『失う物は何もない』。其れが『最後の一線』を越えるに、十分過ぎる理由と化した。

 

《ボクは…しんでいいんだ…》

 

辛い事から解放される。

 

苦しみから解放される。

 

死ねば…全てが『終わり』になる。

 

《……しんじゃおう、もう………いいや………》

 

アキラは静かに裏道へと入る。

 

誰もいない場所。一年前、裏路地で見た猫の死体と同じ、誰にも看取られる事無く、孤独の中で自らを終える事を決めた。

残された力を振り絞り、裏路地の奥まで歩き、アキラは静かに雨濡れの地面に身を横たえる。

 

《おじぃ…ちゃん……ボク…もう、…いい……よね………?

 

がんばって………いきた………よね…………?》

 

重く、霞んだ視界を、自らの意思で…閉じる。

 

肉体も、精神も、全ての感覚が身体から徐々に失われ、四肢の末端から消えて行く。

 

《ぼく………もう…………━━━━━━━》

 

やっと…解放される。

 

苦しみも、悲しみも、辛さも。

 

傷みや、空腹や、疲労からも。

 

少年の命の灯火が消失し、人生は終わりを告げる……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……親父も無茶させるぜ。季節の野菜を使った御摘まみを一人一品、一時間で作れって…。無理ゲーだろあんな………ん?」

 

「何だ……━━━!?」

 

「お、おおお…親父!大変だ、人が!人が倒れてる……!!」

 

『何だと?………マジじゃねぇか!!おい、コイツを中に入れろ!ひでぇ怪我だ!!」

 

「━━━━━━━━!!!!!」

 

「━!?━━━━━!━━━━━!!」

 

「━━━━!!!!!━━━━━━!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…筈だった。

 

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

日本料理亭・徳丸亭。戦後間も無く、戦火の傷痕が癒え無かった東京都心部に店を構えて、五十年を向かえた知る人ぞ知る、創作日本料理の名店だ。

 

会席料理をベースとしながらも、季節毎に織り成す様々な食材を料理長の篤之助が調理し、三ツ星に負けずとも劣らぬ最高の逸品に仕上げ、提供している。

 

そんな料亭は今、未曾有の存在に戦々恐々となっていた。理由は唯一つ。自分達の店の裏口に、年端もいかない少年が一人、傷だらけで倒れていたからだ。その上、体温も低く、栄養失調に陥っており、もう一か二時間発見が遅れていれば取り返しの付かない事態になっていた可能性があった事も、彼等の不安を煽り、行動を掻き立てる呼び水となっていたのである。

 

「坊主!おい、大丈夫か!?親父、ヤバイよ!全然答えねぇ!」

 

「貸せ!」

 

弟子が抱えた少年を篤之助は自分の元に抱き寄せ、ペチペチと頬を叩くが、ピクリとも反応しない。其処で少年の首筋の脈を測ると、今にも途切れてしまいそうな程、か細く小さな脈を感じ取った。

 

「…板番以外で手が空いてるのは、今すぐ布団を敷いて、湯を沸かせ!救急待ってたんじゃ間に合わねぇ!急げ!!客への対応も怠るなよ!!!」

 

『『『はい!親父!』』』

 

直感と共に判断。声が響き、弟子達は一斉に行動を開始する。

 

湯を沸かし、牛乳粥を作り、布団を敷き、衣服を取っ払い、タオルで濡れた身体を吹き上げる。

 

ちらし寿司で使う大きな木製の桶に湯を注ぎ、水で人肌より少し高い四十三度に調整すると、アキラ少年の足を桶に浸からせ、小さな椅子に座らせつつ、ドライヤーで頭を乾かす。

 

固く拒むように閉じた口を無理矢理に開いて、ミキサーにした牛乳粥を飲み込ませながら、痣が出来た場所に塗り薬を練り込んでガーゼを張り付け、ヒビが入った肋骨部分を包帯でぐるぐる巻きにする。

 

そして敷かれた布団に彼を寝かせ、休ませた。

 

「ふぅ、これで何とか…か。まだ油断は出来ねぇが、取り敢えず一時凌きにはなったろう」

 

汗だくの額を腕で拭い、篤之助は天井へ腹の底から息を吐いた。其れを見て、弟子達も運びの者も、皆胸を撫で下ろし、少年が危篤を脱した事を喜びあった。

 

「初。すまねぇが、この坊主を見てやってくれねぇか。まだ仕事が残ってるんだ」

 

「任されました、篤さん」

 

篤之助は己の二歩後ろに立つ、薄空色の短髪に割烹着を纏った女性へ頼み、厨房という戦場へと舞い戻る。

そして彼女はアキラの近くに正座し、冷水で浸したタオルを彼の額に乗せ、顔色に変化がないか等の様子を見続けたのであった…。

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

アキラの意識の奥深く。漆黒に満たされた暗闇の中で目を固く綴じ、耳を塞ぎ、少年は身を丸くくるめてじっとしていた。

 

《もう…いいんだ。しんで…いいんだ。ボクは…━━━》

 

自分は空っぽ、無価値な存在。

 

生きる理由も、必要とされる事も失くなった。

 

人間にも、世界にも否定された、哀れな子供。

 

其れが自分だと。

 

《…しのう…もう、らくに…なりたい………》

 

潜在意識下で構成された己の身体が、砂のように崩れて消えて行く。全てが消えれば、自分の命は完全に消える。そうすれば己という存在は、此の呪われた世界から解放され、自由になれる。

 

誰も、自分の死を悲しむ事はない。

 

生きていても、辛い事しかない。

 

希望など何処にも無い。

 

無価値な自分は、いらないのだ。

 

《アーアー…マァタ、シノウト…シテル》

 

そんな少年の空気を読まない存在(モノ)が居た。彼が綴じた瞼の裏側からグツグツと湧(わき)き出(い)で、グニャリと形を変えながら、彼と同じ丸まった状態に成り、そう呟いた。

 

物心付いた頃から、アキラの心の中に住み着いていた存在は、彼の心が弱くなったり、傷付いてたりして暗くなると現れては、嫌な言葉を耳元で投げ掛けたり、身体を乗っ取ろうとしてくる。

 

《…うるさい…ぼくはしぬ、もう…おまえなんかと、はなさない》

 

《ハァ…ゴウジョウ、ダネェ…モウヒトリ、ノ、…ボクハ…。ソンナニ…クルシイ、ナラ…ボクガ、ゼンブ…コワシテ、ム…ニ、シテ…アゲルノニ》

 

怖い、悪魔の様な笑みを浮かべ、黒い無形の怪物は崩壊してゆく身体に重なり、欠損した部分に自分という存在を纏わせる。

 

《ボク…二、マカセテ…キミハ…ネムルト、イイ。キミガ、メザメル…コトハ、モウ…ナインダ》

 

身体が、魂が、もう一人の自分に染め上げ、上書きされて行く。このまま無抵抗のまま侵食され、身体を完全に乗っ取られれば永久に自分の意識は、もう一つの存在の手中に囚われる。

 

『普段ならば』、其の存在の力に抵抗し、波根退ける事が出来るアキラ。だが、積み重なった疲労に加え、生きる意味を失い、絶望している事が対抗する為の力を弱め、付け入る隙を与えていた。

 

身体が黒く染められ、もう一人の自分により、己という存在が完全に消失するのも、時間の問題に思われた。

 

《……ア、レ?》

 

纏わせた部分が、少しずつ熱くなってゆく。同時に黒くなっていた場所にヒビが迸り、茹で卵の殻が剥けていくかの様に破壊され、消失されていた身体の末端は徐々に元へと戻っていった。

 

《ドウヤラ…ウン、ガ…ヨカッタ…ミタイ。モウヒトリノ…ボク、キミハ…マダ…シネナイ、ヨウダ…ネ。

 

マァ…カラダヲ、ウバエル…ノハ…カンタン、ダシ…キカイヲ…ジックリ…マツノモ、ワルクハナイ…》

 

フフフ…と微笑した後、形を崩して液体化すると静かに暗闇の中へと溶けて、見えなくなった。其の数秒後、アキラの意識はゆっくりと、暗闇から光が射す場所へと押し上げられていった…。

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

「うっ…うん…━━━━━」

 

徳丸亭の和室…曇りガラスの窓へ轟々と殴り付ける雨音で、アキラは目を覚ました。

 

「此処…何処、だろ…?いっ━━」

 

目を擦り、辺りを見渡すが、胸から鈍い痛みが押し寄せ、思わず胸を押さえる。そして彼は、自分が着ていた衣服は何処にも無く、新品同然の綺麗なパジャマに変わっており、更に負傷箇所は包帯やガーゼで適切な処置を受け、有ろうこ事か、柔らかくふかふかの布団で眠っていた事を知った。

 

「え…?え、…ええ?」

 

自分に何が起きたか分からず、困惑しオロオロする。見れど其処は、木製の箪笥や折り畳み式の丸卓に、少し大きめな勉強机が配置された、一般的な和室の間取りでしかない。

 

と━━━━━━━

 

 

『知らねぇよ!』

 

『何かの間違いじゃないのかい!?』

 

部屋の外から怒号が響き渡り、アキラの身体は驚きで跳ねると、ズキン!と負傷箇所が軋む。

 

痛みが残る場所を押さえ、恐る恐る慎重に壁に耳を当て、情報を得ようとする。そして、其の声が聞こえた時、アキラの心は深く傷付いた。

 

「知らない訳無いでしょう?此処に『牧園一族』の子供が逃げ込んで来たと、確かな情報を得ています」

 

「大人しく其の子供を『我々』に差し出してください」

 

「彼等は『存在してはいけない』者達です。近い内に日本が『大変な事』になります」

 

牧園一族…

 

存在してはいけない者達…

 

二年弱…店と職場を変えても、常に自分の背中に纏わり付いていた言葉。其の言葉が放たれてから、店においての自分の環境と職場の人々の当たりを、百八十度完全に変えてしまった。

 

そうして…共に働く人々の意識が変わった瞬間から、自分の居場所は、希望から絶望に成った。

 

《…僕が居たら、此処にも迷惑が掛かっちゃう》

 

誰にも気付かれないよう、そっと出て行く決意を固め、此の和室の窓から、豪雨止まぬ外へ飛び出す事にした。自分が居なければ、此の店に災いや不幸が降り掛かる事は無いのだから。

 

「…へっ。そんなこった、俺は知らないね」

 

だが。年配の男の声が響いた時、アキラの身体は無意識の内に止まっていた。

 

「お前等が牧園一族をどう思おうが、どうしようが、俺達徳丸亭には関係無い」

 

「だけどな」と、男の…篤之助の言葉が、アキラの枯れ果て、荒野の様に荒んだ心に優しい雨を降らすように、沁みて行く。

 

「俺達の店の近くで腹減らせて、今にも死にそうな奴が居た。己の希望も。生きる力も。自分の存在理由も。何もかも失った顔してたんだよ。

そんな奴がいるんならよぉ…俺はソイツに、いやソイツ等によぉ…」

 

『温かい飯を腹一杯食わせてやりてぇだけなんだ』。

 

何時以来だろう。こんなにも暖かい、優しい言葉を投げ掛けられたのは。自分の事を、普通の人間として見てくれたのは。

 

「腹が減ったら、何もかも上手く行かなくなっちまう。何もかもマイナスに考えて嫌になっちまう。

 

だから…お前等が牧園一族を渡せとか何とか言おうが、此の店に来た奴は全員俺の『客』だ。其の客を取り上げようってんなら、俺達料理人は黙っちゃいねぇ。

 

ソイツが腹一杯になるまで、手出しはさせねぇぞ」

 

気付けば先程と同じように、壁に耳を当てながら話を聞いていた。

 

「……良いでしょう。我々も『今は』、大人しく退くとしましょう」

 

「ですが。貴殿方が牧園一族の子供を抱え、庇護している強情さを変えぬ限り、必ず『不幸』が訪れる事を御忘れなく」

 

「子供を手放すと決めたなら、何時でも御連絡を。直ぐに駆け付け、回収に伺いますので」

 

『では』と声の後、バタン!と扉が勢いよく閉まる音が鳴り響いた。

 

「………はぁぁぁぁ!ヤバかった、いやマジで!本当にヤバかったッスよ、親父!」

 

「なぁに、大した問題じゃねぇ。何時も通りに振る舞って、何時も通りやれば良いさ。さぁ、今日もあと少しだ!皆、頑張るぞ!」

 

『『『はい、親父!』』』

 

ワイワイと声がバラけてゆく。其れを聞き終え、アキラは静かに布団の中へと入る。

 

其の顔は無類の感謝と表現し難い温かさに包まれ、そして歓喜の涙でぐしゃぐしゃになっていた…。

 




・
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。