「健二君、明日は市民会館に行くんかね?」
掃除時間、職員室の床をモップ掛けしていた僕にそんなことを尋ねてきたのは、担任の岸村香子先生だった。
「もちろん行きます。先生の方こそ参加されないんですか?」
「まぁ、今回も難しいところじゃね」
どうやら、先生の参加は今回も望めそうにはなさそうだった。
「でも、健二君は先生のことなんか気にせんでええけえしっかり楽しんできんさい。健二君のチン……いや、心が潤えば先生はそれだけで満足なんじゃけえ」
「先生……」
何か、淫語のようなものが聞こえてきたような気がしないでもなかったが、それでも僕の幸せを望んでくれている、いつもと変わらぬ先生の優しい気持ちに胸が熱くなる。
「ありがとうございます。今回もしっかり楽しんで来ますね」
「うん、じゃけどエッチなのは程々にしちょかんといけんよ」
そうやって、釘を刺しながらも先生の表情は晴れやかでいつになく愛らしく思えた。だから僕は、いつになく幸せな気分でコミケに臨むことが出来たんだ。まさか、あんな格好をさせられたり、あんな事態に直面するなんて、これっぽっちも考えていなかったから――
家に帰ると、隣の部屋の小口留里子さんが、いつの間にやらコスプレ姿で僕の部屋に上がって来ていた。
「ふふっ、どうかしら? 私、明日のコミケでこんな格好しちゃうのよ」
「似合ってます……と言うか、すごく可愛いです!」
留里さんのコスは、とある国民的RPGにて回復魔法要員として限りなく重宝される職業――僧侶の女性版だった。
「健二君にそこまで言ってもらえれば、苦労して作った甲斐があったというものだわ。でも……」
ギュム。
留里さんにジワリと詰め寄られ、やんわりとペニスを握られる。
「明日は健二君もコスプレをするのよ、私と一緒に」
「えぇっ!?」
留里さんの予期せぬ発言に、思わず声を上げてしまう。そもそも僕はコスプレ未経験だし、今から衣装を作ったとして明日に間に合うはずもない。
「いや、するったって僕は何の準備も……」
「じゃーん☆」
その切り返しを待ってましたと言わんばかりに、留里さんが部屋脇の大型紙袋から青を基調とした鎧のような物を披露する。
「あ~~……」
間違いなくそれは、留里さんと同じゲームに登場する主人公――勇者の装備品だった。
「私、健二君に着てほしかったから頑張って作っちゃった☆ ちょっと痛い目も見たけど、完成させたら名誉の負傷ってヤツよね」
「留里さん……」
留里さんの人差し指に貼られた絆創膏が言葉の意味を物語る。
つまり、彼女はそこまでして僕とのコスプレ合わせ(=仲間や知り合い同士で、同じ作品やジャンルなどのコスプレを一緒にすること)を望んでいるというのか。
「……」
だったら僕も最低限、彼女の思いに応えねばなるまい。
「ありがとう留里さん。だったら僕も……」
「おい健二!」
肝心なところを口にする直前で、鍵を閉め忘れていた玄関から大きな声が響いて女の子が入ってくる。 その元気の良さとムッチリとした体つきは、間違いなくコミケ仲間の丸尻桃美ちゃんだった。
「俺、前回に出来なかったこのコスプレで明日は参戦するぞ!」
「ちょっと待ってくれ、その格好でここまで来たのかよ」
「おうよ! 俺様・女ファイター桃美ってなぁ!」
両手で力こぶを作って桃美ちゃんが力強さのようなものをアピールする。桃美ちゃんのその格好もまた、同じゲームにおける打撃戦闘要員として重宝される職業――戦士の女性版だった。
「へへ。どうよ、このセクシー全開なビキニアーマーってヤツは!」
ただ、男戦士と違って女戦士というのは、まるで水着と見まごうかのような肌色率の高い鎧をまとっているのがこのゲームの特徴だったりする。そうすると、自ずと背後からも容姿をチェックしたくなるのが男心というもので……
「あ~」
「おいおい健二、また俺のケツに恋しちまったってオチか?」
案の定、桃美ちゃんがまとっていたのは「Tバック型」ビキニアーマーという、防具と呼べるのかすらも分からないような性的な装備品だった。
「またこんな刺激的というか官能的なコスプレを……」
「どうだ、これなら勃たねーチンポもたちまち元気になっちまうってレベルだろ?」
「……何よ、そんなカッコで外歩くとか単なる痴女じゃないの」
「んだとぉ!?」
留里さんのあまりにも的確な指摘に桃美ちゃんが牙をむく。最も、僕からしてみれば留里さんが言えた口じゃないだろうという話なのだけど。
「大体さ、戦士なんて動きは鈍いし装備品にお金かかるし、効率が悪過ぎるのよね。誰かさんと一緒で、単なるパワー馬鹿というか」
「面白いこと言うじゃねーか、だったらお前にウスノロ戦士の一撃の重みを体感させてやろうか?」
「まあまあ桃美ちゃん、落ち着いて。留里さんもあまり挑発するような言動は慎まなくっちゃ」
桃美ちゃんをなだめながら、留里さんにやんわりと釘を刺す。とりあえず、コミケの前日に僕の仲間内で争いが起きるという事態だけは、何としてでも避けなければならなかった。
「じゃあさ、こうしようよ。明日のコミケは僕たち3人で合わせという形にして……」
「あら、パーティーは4人が基本でしょ?」
「わわっ!」
背後から急に声を掛けられて思わず飛び退いてしまう。振り返ると、そこにいたのはコスプレ衣装に身を包んだトイレの花子さんだった。
「健二、似合うかしら? 少なくとも、そこの脳筋とメンヘラに比べたらサマになっているつもりよ」
「いやいやいや、何と言ったらいいのかさ、うん……」
何の因果か花子さんのコスプレ衣装もまた、僕たちと同じゲームの攻撃魔法要員として重宝される職業――魔法使いの女性版だった。つまり、これでパーティー編成の基本にして、最大数である4人が見事にそろったわけだけど。
「ケッ、小生意気なガキが偉そうなこと言ってんじゃねーっての」
「困るのよね、魔法使いなんて体力も守備力もない、簡単に死んじゃうキャラのコスなんてさ。どうせならイベント中、ずっと棺桶にでも入ってたら?」
「随分と素敵な発言をしてくれるじゃないの。だったらあなたたちを攻撃魔法の実験台にでもして、一足先に棺桶送りにさせてあげようかしら?」
三者三様で互いが互いに火花を散らし合っていて、とてもじゃないけど明日にでも合わせが出来そうな雰囲気にはなりえなかった。
「まあまあみんな、せっかく同じ作品のコスプレで集まったんだからここは仲良く……」
「出来るわけねーだろ! 俺はメンヘラとクソガキ相手に妥協するほど生ぬるい女じゃねーぞ!」
「いくら健二君の頼みでも私、ガサツな痴女と礼儀も知らないお子様は大嫌いなの。打ち解けるなんて不可能だわ」
「あたしは健二と一緒にコミケに行きたいの。こんな迷惑なオマケ女どもとつるむなんてまっぴらごめんよ」
僕の言葉が届くこともなく、ギスギスとした空気のまま3人がそれぞれの帰路につく。
「……」
部屋に取り残された僕は一人大きくため息を吐くと、玄関の鍵を閉めて速やかに風呂場へと向かった。
やれやれ、こんなメンバーをまとめ上げるような勇者の役が僕に務まるのかね。
翌日、僕は留里さんと一緒にコミケの開催地である市民会館に向かった。今回は、自転車を持っていない留里さんに配慮する形での徒歩による来場である。だけど、問題は交通手段なんて生易しいことなどではなくて――
「ふふっ。健二君、こうして歩いてると私たちってアツアツの恋人同士に見られちゃうわよね☆」
「いやこれ恋人違います、紛れもなく変人同士です」
「そうなの? でもでも、勇者くんと僧侶ちゃんなんて、カップリングの基本じゃないのよ」
「だからって、こんな格好して会場に向かう男女がどこの世界にいるって言うんですか」
そう、留里さんの発案で僕たちは、コスプレ服を着て会場に向かっているのである。そりゃあこのまま行き帰りをすれば、荷物にならない上に更衣室で着替える手間も省けるわけだから、都合が良いのは分かるけど、それ以上に恥ずかしい。
「大体留里さん、つい昨日コスプレ服で家まで来てた桃美ちゃんを痴女呼ばわりしておいて、自分がやってちゃ世話ないでしょう」
「あら、あの子はお尻丸出しのTバック姿で徘徊してたから痴女扱いをしただけで、私はコスプレ自体を痴女の服だなんて言った覚えはないわよ」
「まぁ、言ってしまえばそういうことになるんでしょうけど……」
妙に説得力のある屁理屈で妙な納得をしてしまう。こういう話術や時として見せる大胆な行動に関しては、全くもって留里さんという女性は侮れない人である。
「ほらほら、デカ尻女の話はさて置き目的地が見えてきたわよ」
「そうですね……ん?」
市民会館の入り口に差し掛かる手前で覆面を被った男たち(×4)に取り囲まれる。見たところ典型的な不審者の風貌で、AVで例えると痴漢か下手をすればレ〇プ魔を思わせる雰囲気を漂わせている。
「何だお前ら、そのふざけた格好は。うちの親分がそういうコスプレを嫌っているのを知っててやってるのか?」
「残念だけど君たちの親分なんて知らないし、これは立派なロープレキャラの衣装だ。とやかく言われる筋合いは……」
変な質問に受け答えている途中で、問いかけてきた奴とは別の男が僕の胸ぐらをつかんでくる。
「お前、調子に乗ってんじゃねーぞ。似合いもしねー服を着てヘラヘラしやがってよ」
「そうかな。覆面つけて数人がかりでこんなことしてる君たちの方が、よっぽど調子に乗ってると思うんだけど」
「ケッ、減らず口叩いてんじゃねーぞ!」
覆面男Aの拳が僕の顔面に向けて振り上げられたその時だった。
パチン。
「ぎひいぃっ!」
覆面男Aの首筋めがけてスタンガンが発動され、Aがその場に崩れ落ちる。
「も~、いくら健二君がカッコいいからって嫉妬してたらカッコ悪いんだぞっ☆」
言うまでもなく、僕を助けてくれたのは留里さんだった。
「な、なんだこのアマ!」
「ふふっ、次は誰が私の相手をしてくれるのかしら」
目の前の光景にたじろぐ残りの覆面男たちを前に、留里さんがスタンガンを片手に妖艶な笑みを浮かべる。だが、妖(あやかし)の留里さん劇場もここまでだった。
「うらあっ!」
ボゴオッ……!
すぐに桃美ちゃんが現れて、顔面ストレートで覆面男Bを豪快に殴り飛ばす。
「さあ、パーティーアタックでしっかり体力をつけなさいっ!」
程なくして花子さんも現れて、覆面男CとDの体を操り盛大に殴り合わせる。
覆面連中はさて置き、桃美ちゃんも花子さんも既にコスプレ衣装に着替えている辺りに、彼女たちの本気度のようなものが窺える。
「何よ、私一人でこんな奴ら軽く始末出来たのに余計なことしちゃってさ」
もちろん、留里さんにしても自前の衣装に賭けている思いのようなものは十分に伝わっていた。
「間一髪ってところだったな。全く、メンヘラ女が一緒にいて何やってんだかよ」
「ほんと、手ぬるいオツムの女はこれだから虫唾が走るのよ」
魔物の群れもとい、覆面男たちをやっつけた桃美ちゃんと花子さんが口々に留里さんへの愚痴をこぼす。
「いやいや、留里さんも立派に僕を守ってくれたんだから、言いっこなしだぜ二人とも」
僕は、どうにか間に立って彼女たちの仲を取り持とうとした。
「……」
勇者な僕、戦士な桃美ちゃん、僧侶な留里さん、魔法使いな花子さん。それぞれが、同じゲームの仲間同士のコスプレをしておきながら殺伐としていたのでは、あまりにも残念じゃないか。
「ふん、メンヘラ女の顔見てたらケツがかゆくなってきたぜ。俺はさっさと手続き済ませて来るからお前らもすぐ来いよ」
桃美ちゃんは、やや険しい顔つきのまま背を向けると、一足先に会場へと姿を消した。
「……ただでさえ今日は未衣ちゃんが不参加だというのに、こんなことで時間潰してたらせっかくのコミケが最悪になってしまうわ」
「えっ、未衣ちゃん今回お休みなの?」
いつも参加しているコミケ仲間の未衣ちゃんが欠席と聞いて思わず目を丸くする。こういう時こそ彼女のような底抜けに明るく元気な子がいれば、この不協和音も打ち破れると思っていたのだけど。
「風邪で高熱を出していて、下痢が止まらないのよ。『未衣の分まで楽しんできてね、健二お兄さんがいじめられてたら助けてあげてね』なんて言ってたわ、あの子」
「そうなんだ……」
小学生ながら、自分の災難を前にしつつも心から他人を思いやることの出来るその優しさに胸が熱くなる。
「……それじゃあ、僕たちも行くとしよう。未衣ちゃんのためにも今回も楽しいコミケにしないとね、留里さん、花子さん」
「そうね。桃美が言うと胡散臭いけど、未衣ちゃんが言ったのなら全くもってその通りだわ」
「当然よ。今日はエッチなコスプレもエッチな同人誌も、骨の髄までたっぷり満喫するんだから」
僕たちは桃美ちゃんに遅れること数分、彼女の後を追うように会場入りをした。
肝心の開場時間まであと30分、色々と思案するにはまだ余裕が残されていた。
コスプレ参加の手続きを済ませた僕は、会場である4階・小ホール脇のロビーでソファにもたれて頭を抱えていた。ちなみに現在、桃美ちゃんも留里さんも花子さんも既に着替えと手続きは済ませてはいたものの、開場前だったので女子更衣室で待機中だった。
大方みんな、室内では会話どころか顔も合わせようとはしていないのだろうけど。
「はぁ……」
それにしても、彼女たちの馬の合わなさ加減は甚だしいにも程がある。今のところは均衡がギリギリのラインで保たれているものの、下手をすれば余裕でサウ〇ンドウォーズが勃発して黄金もとい、泥仕合が繰り広げらることは必至である。果たして、そんな彼女たちのために僕に何が出来るのか、考えても考えても答えなど浮かんでは来ない。
――こんな時に、ブリリーヌでも居てくれたらなぁ……
ふと、去年発売された純愛スカトロ系エロゲーのヒロインに思いをはせる。そういえば前回のコミケでは、彼女のコスプレをしたまさに強者と呼ぶべき女性が降臨していたが、あの人は今日も来るのだろうか。
「……」
こんなところで思い悩んでいても仕方がないので、僕はひとまずソファから立ち上がり、トイレに向かった。同じ思い悩むにしても、トイレ(洋式)の中ならば何か良い案に行き着くことが出来る、そんな思考に漠然と辿り着いたのである。
「えっ?」
そんな僕の脇を、見覚えのある背の固い女性が小走りで駆け抜ける。
「あっ」
間違いなく彼女は、前回のコミケでブリリーヌのコスプレをしていた女性と同一人物だった。
「あの、あなたは」
「はぁ、はぁ……」
僕の声が届かないほどに切羽詰まっていた彼女は、わき目も振らずにトイレへと駆け込んで行く。視界に飛び込んできた、金色のTバックをはじめとする肌色率の高い彼女の衣装は、間違いなくブリリーヌのコスプレに他ならなかった――つまり、ブリリーヌの人がブリリーヌのコスプレをした姿で、トイレに行ったということは。
「……!」
僕は、すぐに彼女の後を追ってトイレの中へと駆け込んだ。ここ4階のトイレは市民会館で唯一の男女共用なので、それは全くもって自然な行為なのだと自分に言い聞かせながら……
カチャッ!
トイレに入ると、既にブリリーヌの人は個室に入っていたらしく鍵を閉める音が聞こえてくる。
ここのトイレには個室が二つあり、手前が和式で奥側が洋式という造りである。
――和式に入ったな……グッジョブ、ブリリーヌ☆
和式の個室が使用中になっていること(ドアノブ部分の赤色マーク)を確認しながら、すかさず奥側の洋式の個室に入る。そして、体を屈めて個室と個室の隙間に顔を擦り付け、その向こうを覗き見る。
――こ、これはっ!
視界に広がる、和式便器に跨っているブリリーヌのお尻を前に思わず息を吞む。この大きさ、この丸み、この形。全てにおいて想像を絶するエロスが散りばめられていて、考える間もなく股間が熱くなる。
「んっ!」
ブリブリブビビ! ブブビビビッ、ビリビチャッ!! ブッ、ブッ、ブブブッ、ブビビビビッ!!
覗いている僕に気付くこともなく、ブリリーヌが放屁混じりの激しい下痢をする。相当にお腹が痛かったであろうことは想像に難くないが、その激しさに思わずマイク音量で排泄音を楽しみたくなる衝動に駆られてしまう。
流石にそれは可哀想なので、妄想の中に留めておくけれど。
「んんっ……」
ブシャァァァァァ……
放尿をしながらブリリーヌが一つ息を吐く。大小ともに溜め込んでいた分出した後の解放感も人一倍、といった具合のため息が何とも艶めかしい。
「……」
だけど、そんな彼女の排泄姿が僕の中に妙な既視感を植え付けているのもまた事実だった。何と言うか、前に彼女のトイレを覗いたことがあるような、そんな不思議な感覚である。エッチなゲームのコスプレをしている女性のトイレなんて、盗撮系のAVでしか見たことなんてないはずなのに。
「……」
ブリリーヌの手が、これまた艶めかしくお尻を拭いている姿をお尻の毛まで凝視しながら首をひねる。
……こんなシチュエーション、前にもどこかであったような、なかったような。
ザザ~ッ!!
やがて、お尻を拭き終えたブリリーヌは便器の縁にはみ出していた下痢便も拭き取り、全てを水に流して排泄を終えた。彼女が去った後のトイレで、僕は一旦装備を外してそそり立つペニスを処理していた。
とりあえず、彼女が誰であれ気持ちが軽くなったことだけはブリリーヌに感謝したい、そんな開場前の一時であった。
開場後、程なくして桃美ちゃんも留里さんも花子さんも、カメラマンの群がる花形コスプレイヤーとして注目を集めていた。だが、同じゲームの戦士と僧侶と魔法使いでありながら、彼女たちは決して一緒に写ろうとはしなかった。
その一方で、人生初のコスプレ挑戦となった勇者の僕がコスゾーンをウロウロしていたところで、女に飢えたカメラマン連中が声をかけてくるはずもなく――
「ま、男のコスプレなど所詮こうなるのが関の山だ。『参加することに意義がある』とでも考えて割り切ることだ」
僕の気持ちを察していち早く声をかけてくれたのは、同人作家にして自警団・パイナップルパトロールのメンバーでもある漢電池氏だった。
「少なくとも、俺は君の衣装の出来栄えとコスプレに臨む意欲を評価する」
「ありがとうございます。でも、この服というか鎧を作ったのは僕じゃなくて……」
パシャッ。
僕の言葉を待たずして、漢電池氏の携帯電話からシャッター音が切られる。
「製作者が誰であれ、俺は君を高く評価する。今後も精進に努めることだ」
漢電池氏は僕の肩を軽く一叩きすると、速やかにスタッフルームへと引き上げて行った。
こうして、僕は初のコスプレ参加にして最初の撮影を受けたのである。
「何や兄さん、けったいなコスして歩いとるんやなぁ」
サークルエリアで僕を呼び止めたのは、関西弁が特徴的な眼鏡の似合う男性だった。
「あっ、これって……」
男性のスペースに置かれた同人誌が目に留まり、思わず親近感を覚える。
「せやな、見ての通り全部エッチな同人誌や。しかも全部女の子オンリーのスカトロ漫画ばっかりやで」
男性の紹介を受けて、彼の同人誌に一つ一つ目を通す。
「うむむ……」
その作品群は、成人向けでありながら全編を通じてセックス描写が一つも存在しなかった。しかし、そのどれもが少女たちの百合百合しい絡みばかりで、必ずどこかに官能的な排泄シーンが盛り込まれていたのである。
「どないや? 兄さん女の子のお尻が好きそうやから絶対に損しまへんで」
いつも便秘なあの子。お祭りで下痢しちゃう友達。お通じ良すぎて失敗だらけの巨乳ちゃん。そんな彼女たちが織り成す排泄模様の数々で、股間が刺激を受けるなら。
「買います! この『排泄ガールズ』シリーズ既刊9冊全部!!」
「よっしゃあ、お買い上げやぁ!」
僕は代金を払うと、持参していた大型の紙袋に同人誌を全部詰め込んだ。
「兄さん、あんたええコスしとんねんで。そないカッコ良かったら女が放っとかんやろ、な」
「いやいや、今さら遅いですよ、はい」
調子の良い切り替えに手ぶりを交えて突っ込みを入れておく。
「今日はありがとな。ちなみに僕は椎名薙(なぎ)言うねん。サークル『薙路地(なぎろじ)』でオモロイ漫画描いとるから、いつでも見に来たってや」
「僕は現役の高校生で、林葉健二といいます。新刊も期待してますよ」
自己紹介とともに一つ会釈をして、眼鏡の似合う男性・椎名薙氏と握手を交わす。所持金の残りを考えると、今回のコミケではもう何も買えそうになかったが、それでも僕は満足だった。
「何をするんですか、離して下さいっ!」
コスプレゾーンに戻ろうとしていた僕の背後から、そんな声が響いてきた。振り返ると、一般向け同人エリアにサークル参加していた少女が、覆面を付けた男衆(×3)に腕をつかまれ、スペースから追い出されようとしていたのである。
――あれは……奈美子ちゃん!
その少女は、紛れもなく前に漫画家たちの集うアパート『望気荘』で僕に本心から行為を抱いてくれた排泄愛好娘・葉枷奈美子ちゃんだった。そして、覆面男たちは間違いなく先ほど入り口で絡んできた連中と同じ臭いが漂う、レ〇プ魔を思わせるような奴らだった。
先ほどの連中とは別人のようだが、同じ覆面を被っているということは、連中の仲間だったりするのだろうか。
「ここは俺たち『あげマンチョ』の参加スペースに使わせてもらう。もうじき親分が来るからお前はとっとと失せろ」
「何を言ってるんですか、この場所は1か月前に私が当選したスペースですよ! どうして落選したあなたたちに譲らなければならないんですか!」
「そりゃあ俺たちの同人誌の方がお前の糞同人よりもいいモン描いてるからだ……よっ!」
「きゃっ」
つかまれていた腕を乱暴に振りほどかれ、奈美子ちゃんが背中を壁にぶつけてしまう。
「おい、コイツの糞漫画と糞グッズを親分が来る前に全部処分するぞ!」
「やめて下さい……私、それを作るためにこの数か月かけて、ずっと……」
覆面男たちは、呆然としながら涙を流している奈美子ちゃんを尻目に黙々と作業ならぬ、悪行に取りかかろうとする。だが、それは断じて黙認するわけにはいかない事態だった。
「君たち、そのぐらいにしておかないか」
「何だ、てめぇは? 変な格好しやがって」
奈美子ちゃんの同人誌を破り捨てようとしていた覆面男たちに声をかける。正直なところ、口では冷静さを取り繕っていたものの、心臓はバクバクと高鳴りを抑えられなかった。
「パンフレットを見なかったのか? 残念だけど彼女のスペース『G-0721』は『薙回廊』であって『あげマンチョ』とも『さげマンチョ』とも書いていない」
つまり、奈美子ちゃんのサークル名が「薙回廊」と言うのだろうけど、それはひとまず置いといて。
「悪いけど、君たちのサークル名はパンフのどこにも記載されていないんだよ。落選したのか申し込みを忘れたのかは知らないけど、とりあえず君たちの親分とやらに伝えておいてくれ。今回、君たちにサークル参加する資格はないってね」
「うるせぇ!」
バキッ!
言い終えるが早いか、僕は覆面男の一人に右頬を殴り飛ばされる。
「おい、糞漫画の処分は後回しだ。先にこのコスプレ野郎をぶっ潰しちまおうぜ!」
覆面男Eの呼びかけで、FとGがハイエナのように膝を付いている僕へと群がってくる。
「奈美子ちゃん、とりあえず君だけでも逃げてくれ!」
「そ、そんな! 健二先輩を差し置いて私だけが逃げるだなんて……」
せめて奈美子ちゃんの安全だけでも確保しておきたかったが、彼女の性格上、一人で逃がすのは難しそうだった。
「……」
せっかく勇者のコスプレをしておきながら、女の子一人すら守ることも逃がすことも出来ないこの体たらく。そんな僕が、自分の無力さに押し潰されそうになっていたその時だった。
「何してやがんだこのゲスどもがあっ!」
グジャァッ!!
覆面男Eの体が軽々と持ち上げられ、床に頭を盛大に叩きつけられる。
「あっ……」
「待たせたな、健二。でもよ、毎度毎度俺に世話かけさせるんじゃねーっての」
Eに豪快ながらも鮮やかな曲線を描くようなバックドロップを見舞ったのは、戦士のコスプレをした桃美ちゃんだった。
バチィン!!
「ほぎゃあ!」
背後から首と股間にスタンガンをダブルで発動されて、Fが醜い悲鳴とともに崩れ落ちる。
「どうかしら? 二刀流は護身術の世界でも最先端だと思うんだけど」
妖艶な笑顔とともに両手のスタンガンを誇らしげに披露していたのは、僧侶のコスプレをした留里さんだった。
「わあー! 何だこりゃあ!」
Gが勝手にシャツを脱ぎはじめ、そのシャツで自分の首を締めあげる。
「ぐはっ、げはっ、がはっ!」
「大丈夫よ、死ぬ前にはちゃんと止めといてあげるから……多分」
Gの体を操って、自作自演の縊(くび)りプレイをプロデュースしていたのは、魔法使いのコスプレをしていた花子さんだった。
「みんな……来てくれたんだね!」
「いや、お前が気になったんでさっきコスゾーンを抜けてきたんだよ。そしたら案の定、絡まれてやがるからどうにかしねーと、って思っちまってよ」
「私、健二君とツーショットしたくてさっきから探してたの。実を言うとちょっとだけ傍観してたんだけど健二君、なかなか男らしかったわよ」
「勘違いしないでよね。トイレに行こうとしてたら偶然目に付いただけなんだから……」
「何だって良いよ、やっぱり僕たちは最高のパーティーなんだ!」
僕は、嬉しさと興奮する感情をこめて、思ったままを口にする。理由や経緯はどうあれ、彼女たちが僕のために駆けつけてくれたことに変わりはないのだから。
「良かったね奈美子ちゃん、これで安心して活動に……」
「なんであたしのスペースに変な漫画が置いてあるんだぁ?」
「君は……!」
一難去ってまた一難、今度は僕たちの前に忌々しそうな口調で恰幅の良い女性が覆面男(×2)を従えて姿を見せる。これまでの流れから察するに、この女性が退治した覆面男たちの言っていた親分ということか。
「おい小僧、何だその目は。あたしに何か言いたいことがあるんなら言ってみりゃあいいじゃねーか」
女性が早速僕に目を付けて因縁をつけてくる。
「……話は聞いた。君がサークル『あげマンチョ』の親分とかいう奴なのか」
「そうだな。あたしがあげマンの頭をやってる三田(さんだ)令奈だ。愛称は『サンダタ』な。しっかり覚えとけよ」
「僕の名前は林葉健二。アニメとゲームと漫画をこよなく愛する現役の高校生だ」
「林葉ぁ? ふん、葉っぱみてーにすぐ飛んで行きそうな名前で、明日には忘れちまいそうだな」
サンダタの言葉に後ろの子分たちがゲラゲラと笑い声を立てる。自分の名前はしっかり覚えろと言っておきながら、人の名前はすぐに忘れそうなどと宣(のたま)う辺りに、この女性の人間性が見えてくる。
「それよりも、女のあたしがこんなデカいサークルで親分やってるなんておかしいかい?」
「ああ、おかしいね。君のような、見るからに暴力的な支配力で周囲を従えているような女がサークルのまとめ役だなんて、悪質な冗談もいいところだ」
「…………」
僕の一言で、サンダタの目つきが一層険しくなってこっちを見据えてくる。だけど、おべっかを使うのが嫌いな僕にとってはこれこそが偽りのない答えだったのである。
すると――――
「あっはっはっはっは! あんた、見かけによらず随分とハッキリ言ってくれるじゃないの!」
「は、はぁ……」
数秒間の沈黙を経て、サンダタが見せたのは大きな笑い声と案外可愛らしい笑顔だった。
「変に持ち上げるようなことぬかしやがったら、チンポ潰して殴り倒してやろうと思ってたんだけどさ、こりゃ1本取られたわ」
手下の一人に殴られて、内心ざわつきまくっていたこの僕が、たった一言で親分から1本取ってしまうのだから全くもって面白い。
「本当は、サークル抽選に落っこちた腹いせで大暴れしてやろうと思ってたんだけど、もういいわ。薙回廊だか何だか知らねーけど、好きなもん売りな」
どうやら僕の選択は、綺麗事などではなく本当の意味での平和的解決を見出すことが出来たみたいだった。
「サークルのお嬢ちゃん、あたしの命令とはいえ下のモン(=者)が迷惑かけちまって悪かったな。それと……」
ギュム。
「あっ」
「健二って言ったな。あんたの名前とチンポの感触、しっかり覚えとくよ……ほら、お前ら!ボサッとしてないでとっとと帰るぞ!」
『へ、へい!!』
奈美子ちゃんに謝り、僕のペニスをしっかり握るとサンダタは去って行った。サンダタの子分である覆面男たちもまた、先に倒された覆面男たちを担いで去って行った。
そして、サンダタたちは去って行った…………
「……」
「お前、よくやったぞ。正直あの女だけはヤバそうな気がしたから、戦う前に帰らしといて正解だったと思うぜ」
「やっぱり健二君は勇者キャラのお手本のような子ね。あんな怖い人をあっさり納得させちゃうんだもん」
「アイツ、私の念力が全く効いていなかった……健二がいなければ、流石のあたしもどうなっていたか分からなかったわ」
すっかり気が抜けていた僕に、みんなが労いの言葉を送ってくれる。よく分からないけど、これで少しは中身まで勇者に近づけたのかもしれない。
そんなことを考えていると、心身ともに力と自信がみなぎってくる。
「よし! 今この瞬間、僕たちは最高のパーティーになったんだ! コスプレ合わせで撮影ゾーンに突入だ!」
「上等だ! 俺のパワーでメンヘラもクソガキもついでに守ってやるから感謝しろよ!」
「オッケーよ。私のヒーリングオーラで、ガサツ女と礼儀知らずのお子様に最低限の知恵を授けてあげるんだから☆」
「あたしと健二のオマケとして、桃美と留里にはしっかり協力してもらうわよ……」
僕たちは、背中を向けながらジャンプして、互いのお尻をぶつけ合って根底に宿りし深い絆を確かめた。そして、その勢いで再度コスプレゾーンへと直行したのである。
「ホンマ、けったいな人たちやな。せやけど僕もあんなん見たらコスプレしとうなるわぁ」
「あれがコミケのあるべき姿なのだ。昔の彼を知っている手前、今の活き活きとした姿を見ていると俺は心底幸せな気分になれる」
「健二先輩になら私、いつだってウンチしてるところを見せてあげたいな……」
薙氏に、漢電池氏に、奈美子ちゃんに温かく見送られながら。
そして、良識ある数多の参加者たちに優しく見守られながら……
「撮りまーす! 3、2、1、ハイッ!」
パシャ!
コスプレゾーンに戻ってから、これで15回目となるフラッシュを浴びる。撮影を依頼してくるのは、ほとんどが男のカメラマンばかりだったが、時折チラホラと女の子や女性のカメラウーマンもいた。もちろん、いずれにせよ彼らの目当ては桃美ちゃんか留里さんか花子さんであって、僕はオマケに過ぎない。
「はいはーい、単独撮影お願いしまーす!」
その証拠に、僕たちの集合写真を撮り終えた人たちは、決まってその後で彼女たちの誰かを(あるいは全員を)個別で撮りはじめる。まるで、最初から僕などその場にいなかったかのように。
「……」
だけど、それよりも僕の心に引っ掛かったのは束の間の再会を果たしたブリリーヌの存在だった。カメラマンたち聞いたところ、彼女もこのコスプレゾーンに滞在していたそうだが、サンダタが消え失せた時間帯にひっそりと姿を消して、そのまま居なくなってしまったのだという。その節は安堵の表情を浮かべていたという話も聞いたが、そんなに彼女は僕や僕たちのことが心配だったのだろうか。
ギュム。
「おい健二、また全員集合の撮影依頼が来たから行くぞ」
ぼんやりしていた僕のペニスを握って、桃美ちゃんが声をかけてくる。
「良かったわね、今回のカメ子ちゃんは後で健二君を単独撮影したいんだそうよ」
背後から両肩に手を添えて、留里さんが囁くように耳元へと告げてくる。
「さあ、行きましょ。ウンチの大好きな変態娘がお待ちかねよ」
「えっ、それって……」
花子さんが指差したその先には、カメラを提げた奈美子ちゃんがいた。
「やっほー☆ 勇者様ご一行の撮影会やっちゃうぞ~」
手を振りながら愛らしい笑顔で僕たちに呼びかける。
「……」
どうやら、ブリリーヌのことを考える余裕もない程に僕は幸せ者だということらしい。
「よし分かった。みんな、奈美子ちゃんのために最高の表情と最高のポーズでビシッと決めるぞ!」
「ケッ、俺はいつだってコスプレには全力投球なんだっての!」
「あらあら。健二君、私は普段から最高レベルの女でしょ☆」
「同じ嗜好を持つ奈美子が相手なら、少なくともあたしと健二は究極の被写体になれるわ」
「はいはいはい、皆さんのキャラは十分につかめたので撮りますよ~」
奈美子ちゃんの合図に合わせて僕たちはポーズを決める。気がつけば、彼女の後ろには僕たちを撮りたいという人が、何人も列を作っていた。そしてそれは、地方レベルではあったものの、僕たちのコミケにおける伝説の始まりだったのである。