昼時から午後のおやつの時間の間で、食堂の一角を借りて何やら料理をしている艦娘一人。夕焼け空の様な緋色んお髪に桃色の三角巾をつけ、白と黒を基調とした制服の上にデフォルメ化された犬がプリントされたエプロンをつけた少女、江風だ。
普段厨房に立つことなど先ずない江風がわざわざ厨房の一角を借りて料理をしているのかと言うと、本日が11月11日だからと言う事にあるが、今は割愛。
江風は天板の上に乗った10cm位のクッキーの生地で出来た棒状の焼き菓子に恐る恐ると言った様子で触って、粗熱が取れてるか確かめる。
「ンっ。大丈夫そうだな」
粗熱が十分に取れている事を確認した江風はお菓子を一つ持って、小さなチョコファウンテンの装置から湧き出る液状になったチョコの噴水で表面をコーティングしていく。向きを変え、時には押し込むようにして満遍なく持ち手のぎりぎりまでチョコをコーティングし続ける。普段は大雑把なところがある少女の手際とは思えない位に、チョコは均一に乱れなくコーティングされていく。焼き菓子をチョコファウンテンから離すとチョコレートのムラが一つもない焼き菓子が完成した。
チョコレートでコーティングされた棒状のお菓子、このお菓子に見覚えは無いだろうか?
そう、このお菓子はポッキーだ。
11月11日は所謂ポッキーの人言う奴で、1の形がポッキーに似ている事から、某お菓子メーカーが記念日認定を受けられて制定された日なのだ。
記念日と言うが、この日は祝日でも無いし、何かと言えばポッキーの日だからポッキーを食べようとしか思えないのだが、江風が市販のポッキーを買わずに、この日までに間宮達に教えを乞うてまでポッキーを作ったのには別の理由が存在する。
全ての焼き菓子にチョコをコーティングし終えた江風は、ポッキーを一つ一つ手に持ってまた確認作業に移る。失敗してる箇所は無いか?チョコのコーティングが薄い個所が無いか厳しく判定しているのだ。全てのポッキーの検査を終えた江風は、何処か自慢げに鼻を鳴らす。間宮達に弟子入りしたおかげで、今回の脱落者はゼロだった。会心の出来である。
「ンっ、いいね!いいねぇ!!」
思わず声を出して出来栄えを自画自賛する。隠れ努力家気質の江風の成果はこのポッキーたちにかかっていたのだ。思わず声を出すのも仕方ないと言う物だろう。
嬉々とした表情で江風はポッキーを水玉模様がついた袋に入れ、赤いリボンで袋の口を止める。
これで完成。愛しの提督へと送るポッキー。
これを見せたら提督は喜ぶだろうか?そして、自分が作ったと言えば驚いてくれるだろうか?
――いや、変に悩んでいるのは自分らしくない。それに自分には目的があるのだから!!
期待と不安を交互に浮かびあがるが、それを一蹴し目標を果たすことを改めて決意しながら洗い物を終え、江風は袋を胸に抱いて軽い足取りで厨房から去っていった。
執務室のドアの前まで来た江風はドアを叩こうとした所で一度固まってしまう。
今まで提督に渡して、その後の事までシミュレートしてきたのだが、いざ本番となると自分でも認識できない位奥底にあった恥ずかしさが噴き出してきたのだ。
――本当に提督は喜んでくれるだろうか?驚いてくれるだろうか?美味しいと言ってくれるだろうか?
――私の我儘に付き合ってくれるだろうか?
先ほどまでは一蹴した筈の不安がまた鎌首をもたげている。緊張の余り心臓が早鐘を打ち、呼吸のペースも早まる。
不安は確かにある。でも、今日こそ行動を起こすと江風は決めたのだ。
――ちょっと意地悪な所はあるけど、江風の事を好きだと言ってくれた彼に今日こそ
江風を一回大きな息をつくと、扉を叩く。
「入って、どうぞ」
提督からの返事は江風の葛藤を知らんとばかりにすぐに返る。
「提督、入るぜ」
語尾がちょっといつもより高かった気がするが、緊張状態にある江風は気づいていない。いつもより硬い足取りで執務室に入室する。左手を背中に持って行って、ラッピングされた袋を隠す様にしながら。
執務室には応対用の座り心地の良いソファでくつろぎながら書類を流し読みしている――愛しの――提督が居た。
提督は江風の顔を確認すると、どこか安心したような軽い口調で話し始める。
「江風、急に席を外すって言って小一時間いなくなったから心配したぞ」
「あーっと…それは、ごめん。ちょっと大事な様で…さ?」
「ちょっとなのか、大事なのか、どっちの用事だったんなんだか…まぁ、いいさ…」
小さく笑みを浮かべる提督に江風は胸の高鳴りと痛みを同時に覚える。
本当だったら、提督に心配をかけないような建前も用意していたのだが、サプライズ的にポッキーを作りたかったのと、緊張のあまり予め用意した建前が言えなくなって、「ちょっと用事があるから行ってくるわ!」と言って出て行ってしまったのである。
提督の笑う顔は好きだが、あれは純粋な笑みじゃない。だから、胸の高鳴りと痛みを覚えたのだ。
でも、ここで江風は止まる訳には行かない。江風は左手に持った袋の感触を確かめて、決意を固める。
「その…提督…」
「ん?」
書類に目を戻そうとした提督だが、江風に再び視線を向ける。
提督の視線が江風と交じりあう。先ほど堪えた筈の緊張が、胸の高鳴りが再び甦る。
「あ、あの…その…」
「どうした?」
「その…だなぁ…」
「ははっ、どうした?らしくないぞ?」
らしくない。そう言って見透かすように笑う提督を江風は可愛らしく睨む。
もしかしたら、提督は江風が後ろ手にお菓子を隠し持っている事を気付いてるのかも知れない。
そうならば、『後ろ手に持っている物はなんだ』と聞いて欲しい。そうしたら、素直に言葉が出てくれるだろうから。
でも、今の提督はそう言う江風にとっての優しい言葉を言ってくれないのだろう。だって、提督は江風の事が好きで好きだからちょっと意地悪になるのだから。
「い、意地悪…」
「うーん?」
渡す為の言葉より先に、思わず意地悪という言葉が出てしまう。その言葉を敢えて提督は聞いて無かったかのように返事をする。
江風に行動を促すような事を言わないのは、江風が恥ずかしがりながら言うのを見たいから。それが、今の彼のキモチなのだろう。
「こ、これ、作ったんだ!だから、食べて!!」
気恥しさと言葉が出ないやきもき感が限界点を突破した様で、またまた用意した言葉を全てすっ飛ばして、自分の本心を秋色に染まった顔と上擦った声で表現して提督に伝える。
想いのまま行動したおかげで自然と提督に左手を前に持ってきて差し出すような形に持って行けた。
もし、左手が動いていなかったらこの事をからかわれていた事だろう。
対する提督は、差し出されたポッキーが手作りである事に驚きながらもすぐに表情を和らげ、左手で江風の手を取って、右手でお菓子の袋を持ち上げながら、江風の礼を言う。
「そっか、ポッキーの日だもんな。ありがとう」
「う、うん!」
一先ずは喜んでくれたようで、江風も自然と笑顔を浮かべる。
提督は自分の座っていた場所をずれると江風の座れるスペースを確保して、ポンポンと叩く。
何を促しているのかは頭の中がオーバーヒートしつつある江風でもわかる。隣に座って欲しいと言う事だろう。
「し、失礼するよ」
普段は絶対言わないであろう断わりの言葉を言いながら、江風は提督の隣に座る。
提督はリボンを解いて、袋からポッキーを一本取り出して、待ちきれないとばかりに口に含んで咀嚼する。
「うん。おいしい!」
クッキー生地のサクサク食感と甘すぎないチョコレートのバランスが提督の好みに合致していた。
「そっか、よかったよ!」
提督の批評が効けるまで、不安そうな表情で見上げていた江風だが、余りのおいしさに笑みを浮かべる提督に答えるように花が咲くような笑顔を浮かべる。
目標の一つである提督に驚いて、喜んで貰う事は達成した。
でも、これで終わりでは無い。もう一つの目標こそが、彼女の真の目標であるからだ。
「な、なぁ提督」
「ん?」
やめれないとまらないとばかりに次から次へとポッキーを頬張る提督だが、江風に呼び止められて一旦手を止まる。
「その…アレ…を江風と…やって欲しい…」
提督の服の箸を掴んで、消え入る様な声で江風が懇願する。
「あぁ、もしかしてあれか?」
「そう…。その…ポッキーゲーム…って奴…さ…」
「ああ、構わないさ」
顔を反らしながらも、確かに言った江風の願いを提督は快諾した。
ポッキーゲーム。それは、二人が向かい合って一本のポッキーの端を互いに食べ進め、先に口を離したほうが負けとなるゲーム。一種のチキンレースの様なゲームだ。
このゲームの醍醐味として、お互いに口を離さず食べ進んで行けば、二人の唇が重なると言う事。
その醍醐味こそが江風の目的だった。
普段から江風は提督の好意に対して受け身で、自分から提督にキスした事は無いし、好きだと伝えられた事も片手て事足りる位にしか言った事が無い。
江風が提督に好意を伝えようとしても恥ずかしさが勝ったりだとか、提督にそう言う事を言おうとしたら、様々な方法で口封じをされてしまうからとか、理由を探せばそれなりにあるのだが、結局のところ、江風が受け身であり続ける事が行けないと言うのに帰結する。
だから、今日のポッキーの日と、ポッキーゲームを切欠にして『江風』からキスして、好きだと伝えるのだ。自分からキスをしやすいようにわざわざ短めのポッキーを作ったのだから。
二人はポッキーの先を咥える。提督には我儘言って目を瞑って貰った。表向きにはそう言うルールだと言って、本当の理由は一気に食べ進めて提督を驚かす為。
江風は目を瞑った提督の顔をちらりと見つめる。余りの距離の近さに彼女の鼓動が再び早まる。お互いの距離は6cmにも満たないような短い距離。普段ならこんな至近距離で顔を見れる機会はまずない。
だからだろうか、江風が無意識的に提督の顔をじっくりと見てしまったのは。
意外に長い睫毛だとか、前髪に隠れてわからなかったおでこの黒子だとか、――寒い季節で乾いた自分に接近して来る彼の唇とか。
「んぅ…」
本来の目標を忘れ、提督の顔の細部に見入っている内に提督がポッキーを食べ進めていたようで、江風と唇が重なる。
しかし、それだけでは提督の勢いは止まらない。
提督は江風の唇に舌をねじ込んで、チョコレートにまみれた舌で江風の舌を絡めとったのだ。
「んんっ!!!」
そこでトリップしていた江風の意識が戻る。口内に広がるのは提督から送り込まれたポッキーとチョコレートの甘美な食感と中を塗る様に動く提督の絶妙な舌遣い。ぐちゅぐちゅと言うはしたない音が江風の耳朶を侵し、頭を蕩けさせ、口の中を火傷しそうな位に熱くさせる。
江風は残った理性で抵抗するように顔を離そうとするが、提督が後頭部を手で包んで逃げるのを許さない。提督の勢いは段々と強くなり、江風はキスをしたまま押し倒されるような形になる。
「うん。いい甘さだったぞ」
提督がしてやったりと言う表情を浮かべているが、江風は瞳を潤ませている。
「ばか…」
「…えっ?」
「ばか…!ばかぁ!!本当は江風からキスしたかったのに!!キスしてから好きだって伝えたかったのに!!!いつもは江風から出来ないから、今日こそはって思ったのに!!ばかっ!!!」
予想外の返答に提督はたじろぐ。ポッキーゲームがしたいと言った時点で、何かしらの意図があったとは思っては、まさかそんな意図があったとは思っていなかったのだ。
提督の中には、江風が自分を好きだと言ってくれた嬉しさと、同時にぶち壊してしまったと言う罪悪感が胸に積もる。
事実、江風は提督の想像を絶するような覚悟が決めていたらしく、珍しくいじけ始めてそっぽを向いて提督と顔を合わせようとしてくれない。
元々は江風が提督に見惚れていたのが悪いのだが、そんな事は提督の知る由も無いので仕方ない。
「その…ごめん…」
「ふんだ…」
「…こういう事いうのはズルいと思うけど、どうしたら許してくれるか?」
「……今度こそ、今度こそ、江風からキス、させて。それで、好きって言わせてほしい。それでさ、言えたら、その…、江風の事をぎゅって抱きしめて…欲しい…」
「ああ、わかった。今度は江風の事を待つから好きなタイミングでお願いするよ」
「んっ。ありがと」
提督と江風はその場で回る様にして体制を入れかえ、今度は提督が江風に押し倒されたような形になる。
江風は袋からポッキーを取り出し、提督に片方を咥えさせて目を瞑らせ、自分も片方を咥えると、今度は瞳を閉じて自分から少しずつ食べ始め、ついに提督の唇へと到達した。
江風の唇が離れると、二人は自然と同じタイミングで瞼を持ち上げる。
「提督……大好き、だから」
「俺も大好きだよ」
江風のリクエスト通り、提督は江風の身体を抱きしめる。
――やっと言えた。やっと好きだと言えた!
でも、これだけじゃ足りない。普段言えなかった分をここで全て清算する位に好きだと言わないと、江風は収まらない。
江風は自然と袋からポッキーを取り出して咥える。
「もう一回か?」
その答えだと言わんばかりに、江風はポッキーを提督の口許に押し付けた。
こうして、二人のポッキーゲームはポッキーがなくなっても続き、遠征の報告にやって来た海風がくるまで続いたのだがそれはまた別の話。