2月14日。
日にちだけ言われれば何のこっちゃと思いがちだが、何かの記念日と言えば思い当る節があるのではないか。
ネクタイの日?ふんどしの日?それとも、煮干しの日?
いや、そのどれでもない。そもそもこの三つの記念日を初めて聞いたと言う方々が殆どであろう。
それは、とある固形物ってに関係する日。
湿った土の様な色をした板状、もしくはパイやパン生地によくサンドされている洋菓子。甘かったり、濃厚なミルクの味がしたり、凄く苦かったりするあのお菓子。
その答えとは、チョコレート。
このチョコレートが一年で一番関係する日と言えば、日ノ本の国で言えばただ一つ。
―――バレンタインデーだ。
モテる男はつらいぜと言わんばかりに素敵な男性には山ほどのチョコが贈られ、貰えない組は母親や姉妹や従姉妹から良いところのチョコを貰ったと、月とすっぽんの様な争いをする日。
女性の思惑と男性の羨望が入り混じり、ネット上では阿鼻叫喚の地獄絵図が形成されるかの日だ!!
このバレンタインと言う風習は、当然鎮守府にもある。
どこぞの『スクープが無いなら起こせばいいじゃない!』と言う危険思想を持つAOBAが広めたからだ。
そのおかげで、バレンタインのチョコは鎮守府に居る唯一の男性である提督に集中し、提督の胃腸と財布が轟沈するのが恒例行事となりつつある。
と言う、愉快なお話は今回は置いておこう。今回は、とある艦娘が提督にチョコを渡したことを描いた単純な物語である。
「はいっ、ハッピーバレンタイン♡」
男受けするようなネコなで声で手に持った物を執務机に置いたのは、球磨型四番艦であり鎮守府に三人しかいない重雷装艦の大井である。
机の上を蹂躙せんとばかりに誕生していったチョコレートの山の谷底から顔をあげた提督は初めて大井の事に気づいたようである。
「ああ、大井か。ありがとう」
「あぁ、とはまたまたご挨拶ですね」
提督からそっけないリアクションをとられた大井は、眉間を引きつらせ、言葉じりに毒を仕込みながらも浮かべていた笑顔だけは崩さない。
とは言っても、提督のリアクションは仕方のないものだろう。鎮守府に着任した艦娘は200隻を超え、年々10隻ずつ新しい艦娘が来るのである。
それに座っている提督より高い山が十峰と少しはあるし、ざっと見ただけでも今あるチョコの数は艦娘の総数を合わせても少々足りない。
最初の頃は自然な笑みを浮かべていたのかも知れないが、この数を受け取るとなると作り笑いになってしまうだろうし、作り笑いをするのも疲れるのだ。
大井なりに気を使って遅めの時間帯に来たのだが、まだ来ると思うと大井の黒い感情も自然と引っ込むと言う物。
寧ろ、態度が崩れたのは気心が知れた最古参の子が来てやっと表情を崩すことが出来たと言う無意識の安心感から言った所だろう。
しょうがない人と言わんばかりに大井はため息をつく。
そんな風に息をつく大井に意識を向けないようにしながら、提督は机に置かれた大井からの贈り物を伺う。
机の上にちょこんと置かれたのは、エクレアを胸元で掲げる大井と魚雷を咥えた北上が描かれたビニールのパッケージに入ったお菓子。イラストの隙間から覗くお姿から予測する限り中身はエクレアだろう。
「おぅ……」
どこからどう見てもコンビニエンスなストアーで買ってきたようにしか見えないスイーツの包装。ここまで露骨に手を抜いた物は初めて(まともなチョコが無いからと惜しみながらチ□ルチョコを貰ったりはしたが)だと言わんばかりに提督は潜んだ声をあげる。
「何ですか?残念がってるんですか?」
「いや、まぁ、いつも何だかんだ手の凝った物を貰ってたから予想外だと言うか…」
いつもは提督に悪態をつきながらも球磨型の中ではいつも一番手の凝ったチョコを提督にあげていたので、隠しきれないくらいのショックを受けている。
「へーそうなんですかー。へぇー」
大井は踵を返し、提督の言葉に興味なさげに受け流しながら、ソファに座って二人の事を静観していた本日の秘書艦である北上の傍に歩み寄る。
「北上さん!私からのチョコレートです♥」
「お、ありがとね大井っち。お仕事してると甘いものが必要だよねー」
大井が北上に手渡したのは、パッケージで北上が咥えていた物とそっくりな魚雷型のチョコレート。
「おぉ、すごー。質感や重さまでそっくり」
「うふふっ、北上さんの為に張り切って作りました!」
北上の反応に満足げに微笑みかける大井。どうやら北上にチョコレートを渡せて満足した様で、スキップでもしてしまいそうな位に軽い足取りで扉の方へと向かって行く。
「おーい。感想は聞かなくていいのか?」
そのまま夢気分で退出して行く大井に提督は軽く呼び止める。
艦娘の殆どはその場で感想を求める為、一口を食べて感想を言うのが恒例化しているからだ。
「あっ、平気です。美味しいのはわかってますから」
「……そうか」
何処か残念そうに笑みを浮かべる提督を尻目に、大井は提督達に小さく会釈をしながら執務室から退室していった。
バタンと無機質な音が響き渡る室内。取り残されたのは、パッケージに入ったエクレアをちょんちょんと触ったり、袋をひっぱたりする何処か不機嫌な提督と魚雷型チョコレートを様々な角度からまじまじと見つめる北上。
沈黙は最後の冬の抵抗の寒さへとエネルギーが変換され、提督の心に冷たい隙間風を刺す。
「北上……」
「ん?なに?」
「大井って仕事の割り振りがこんなに下手だったか?」
自分のコンビニスイーツと北上の本物の魚雷にそっくりのチョコレート。くおりてぃの差を見てしまうと流石にそう疑ってしまうのは無理はない。
「そんな訳ないじゃん。提督の頭、チョコレートで融けちゃった?」
しかし、大井は最古参の艦娘である事を除いても秘書艦としてはかなり優秀。それが数日秘書艦でなくなったから失われたとは考えられない。
「……今日のハイパーズは厳しいな」
大井のチョコレート。それは提督にとってバレンタインにおける一種の癒しだった。
提督は元々甘めの物が好きと言う訳では無い。本当に偶に食べる事が出来ればそれでいいと言う人である。
提督が一日で大量の甘味をとらないといけない日。それがこのバレンタイン。
そんな日の中で提督は大井の持ってくるチョコレートはかなり楽しみにしていた。
最初に大井が提督に渡してきたチョコレートはかなり苦めのチョコレートだった。
当時は鎮守府の運営が軌道に乗って来たのもあって、大井なりの調子に乗るなと言うメッセージと、普段の悪態を料理に詰め込んだつもりだったのだろう。
でも、その苦さは提督の好みをピンポイントで打ち抜いた。打ち抜いてしまった。
他の艦娘から贈られたチョコレートが、ストップって言うまで砂糖を入れるね?と言われてストップと言わなかったらどうなるか、と言う好奇心を満たしたような甘さだったので、その反動で殊更に素晴らしいものに感じたのだろう。
しかし、大井が提督の好みに調整されたチョコを作ったのは間違いない。提督は大井からのビターチョコを大井への感謝を延々と口にし男泣きしながら完食したのだ。
――提督は知らない。そのチョコレートは大井がビターチョコとミルクチョコレートの分量を間違えて逆にしてしまった事によって出来た奇跡の産物であることを
翌年からは提督の好みのビターなチョコ菓子を用意してくれるようになり、バレンタインの中のオアシスであったのだが、そのオアシスはこうして枯れてしまったのだ。
「まーまー、コンビニで選ぶのも時間かかるよ?それに溶けないうちに持ってきてくれたと思えば、このチョコと同じ位の労力だって」
「……明らかに時間のかかり方は倍近く違うと思うが、そうだな。良かったな北上」
少しばかり名残惜しさを残した祝福の笑みを浮かべる提督に、北上もニコニコと微笑み返す。
――提督は知らない。本当に倍以上時間のかけ方が違うのだと
「まぁ、食べてみなって。エクレア、融けちゃうよ?」
「……そうだな。ここは冷蔵庫はないから保存も出来ないし食べるか」
提督は袋を破り、中に入っていたエクレアを取り出す。
表面には薄く塗られたチョコレートの上に薄くスライスしたアーモンドとイチゴのパウダーがトッピングされたエクレア。
この見た目だけで甘い要素が一杯で、甘いものを取り込みたくないと胃は訴え始め、今にも胸やけを起こしてしまいそうだ。
五年目にして本格的な嫌がらせか!?
そう思いつつ、提督は喉を鳴らし、甘さの塊のようなエクレアを一睨みし、敵を見据えながら一口、齧る。
「……うまっっっっ!!!!」
エクレアの表面に塗ってあるのはビターチョコ。シュー生地もしっとりとしているが簡単に歯で切れる程に柔らかく、中に入っているチョコクリームは甘めではあるがビターチョコがいい塩梅になっていて甘すぎだと感じさせない。
いつもの苦めのチョコレート菓子では無いが、苦味と甘さが丁度良い黄金比な好みの味だ。
「でしょー?」
目を見開いてエクレアの味に感動する提督を自分が作ったわけでは無いのに嬉しそうに北上はニコニコと見つめる。
――提督は知らない。その甘さと苦さの黄金比は提督の好みを知り尽くした人物で無いと作れないものであると
「おっ、半分はカスタードか」
北上の艦娘としてすぐれた耳はドアが軋むような音を立てたのを察知したが、敢えて何も言わなかった。
「こっちは……流石に甘すぎるな。だけど、ビターチョコのおかげである程度中和されてる。それに、イチゴパウダーの酸味のおかげで食べやすい。これも悪く無いのかもしれない」
――提督は知らない。提督が食事の感想を述べる声は大きいので、ドア越しにも十分聞き取れる事を
――大井は知らない。北上は執務室のドアの前で大井が耳を澄ませてる事がわかった事を
うむうむと満足げに頷きながら提督はエクレアを食していく。
――提督は知らない。エクレアの味の調整に大井が何日も費やした事を
先程までは食べる事に躊躇していたが、今はうまいうまいと感動しながら食していき、いつの間にか完食していた。
「いやぁ、何時の間にか全部食べてしまった。最近のコンビニスイーツってクォリティが高いんだな!!」
提督の瞳はキラキラとしていて、まるで新しい発見をした子供の様。
それと同時に北上の耳はドアから離れていく足音を感知したが、今回も無視した。ドアの向こうにいた人物は満足したと言う事だろう。
「まぁ、バカに出来ない事は確かだよね~」
――提督は知らない。パッケージは大井が全てデザインして明石に頼み、わざとコンビニスイーツに見える様にした事を
――北上は知っている。今回のお菓子は、提督がどれくらい大井のお菓子を楽しみにしているのかと言う確認の為だった事を
あの時提督に返した返事こそそっけなかったが、北上に歩み寄った時の大井は、期待していたことが実現したとばかりに顔を緩めていたのだ。
(全く難儀な性格だよねぇ)
自分の可愛い妹ながら北上はいつもそう思ってる。
大井がエクレアにしたのは、チョコレートを前面に出したお菓子だとうんざりするだろうからと言う大井らしい気遣いから。
エクレアに決めたのはいいが、焼いた時に全く生地が膨らまなくて四苦八苦してたり、クリームとチョコのバランスをどうするかと散々研究したりと、いたく手間がかかった産物だ。
大井本人は隠しているつもりなのだろうが、提督の事を好きで、もはやそれ以上の感情に届かんとしているのは、鎮守府に居る皆はわかっているのだ。
好きでなかったら、こんなにも好みにあうお菓子を作ろうと努力なんてしないし、確かめるような真似もしない。
大井の気持ちに気づいて無いのは、意中の相手である彼だけ。
「コンビニ行けば、これが売ってるかな?」
「それ、期間限定で人気だから、売ってないと思うよ?」
「そうか……」
「あっ、でも、大井っちなら穴場を知ってるかもよ?」
「……!今度、頼んでみるか」
でも、人気で売り切れ続出の物をなんでわざわざ買って来た上に自分にくれたのか?
密かな疑問を抱きつつも、ここに居ない大井に向かって感謝の合掌をし、仕事に戻る。
皆が度々お菓子をくれるのはいいが、仕事が滞ってしまっているのだ。残し過ぎると、明日の秘書艦である大井にドヤされてしまう。
提督が仕事モードに戻ったのを見届けると、北上は再び自分へと送られた魚雷型チョコレートに目を向ける。
(良かったね大井っち)
北上が大井について詳しいのは、相棒である事と、二月に入った頃から事あるごとに度々抜け出していて気になったから後をつけてみたりをしたからだ。
今頃、大井は自室で安心感に包まれているだろう。今回の試みは何から何まで文句なしに成功したのだから。
北上は魚雷チョコレートの包装を剥がす。
中から露わになったのは、包装と変わらない鈍い色のチョコレート。
提督に渡したチョコレートよりかは時間は使ってないだろうが、これを形にするのにも十分研究したのは想像に難くない。
「これ……流石に食べるの抵抗あるんだけど……」
色づきも光の反射具合もそっくりすぎて、魚雷好きの北上すらいささか引くレベル。
しかし、作ったのが大井であると考えると味は確かであるだろう。
北上は大きく口を開けて魚雷チョコレートに齧り付く。が、魚雷チョコレートが返したのは、北上の歯を拒絶するような堅固な歯触り。
「あれ?」
余りの硬さに北上は一度口を離す。
――大井は知らない。提督へ渡すエクレアの包装に時間をかけすぎた焦りで北上用のチョコレートの確認を怠たり、見本として用意した酸素魚雷をラッピングしてしまっていた事を
――北上は知らない。それは本物の酸素魚雷である事を
「あっっっ」
刹那、執務室が轟音と爆炎に包まれた。
執務室の瓦礫から這い出た提督と北上は瓦礫の上に座りながら互いの事を見やる。
「ぶ、無事だったようだな……」
「な、なんとかね……」
お互いの頭髪はチリチリのスチールウールの様になっており、服は熱でいくらか融け、肌は焼きすぎたトーストの様に真っ黒焦げになっている。
二人とも外見しか異常なし。惨劇は免れた。
異常を察知した艦娘が来るだろうから、二人は大きな瓦礫の上に座って広々とした夜の海を眺めながら待つことにした。
「なぁー北上ー」
「んーなぁに?」
提督は足をプラプラと楽しげに揺らす北上に問う。
「大井はその……俺の事が嫌いなのか?」
「乙女心は複雑だしねー。あたしにはわからないやー」
カラカラと楽しそうに笑う北上に対して、提督は頭を抱える。
遠慮なく元執務室に吹き渡る冬の海風は、提督の痛む頭を癒せる冷たさには程遠いそうであった。