人や物、或いは場所なんかにはあだ名や通り名と言った物がつけられる事がある。
『天使』や『聖人』と言う様に称えるものもあれば、『悪魔』や『邪悪』と言った様に恐れから生まれるものまで様々な由来で生まれる物だろう。
ある鎮守府には『コヨーテ』の異名を持つ提督が指揮を執っている。
『コヨーテ』と言うのは欧米に棲息する凶暴なイヌ属の哺乳類。
狐の様に愛らしい小柄なシルエットであるのだが、民家の敷地に侵入してペットを食い荒らしたり、ある時は獲物を誘い込んで集団で襲う、果てには人間にも襲い掛かった事例がある程、凶暴で狡猾な生物である。
『コヨーテ』と呼ばれるようになった由来は、彼の小学生と並ぶような可愛らしい小柄な体型と歯に衣着せぬ物言い、その通り名でよばれるようになった一番の理由は上官にすら手を出すどう猛さ。
彼の上官ですら手を焼き、扱いに困る程に凶暴なのが『コヨーテ』と呼ばれる彼だ。
「おい!」
手を出される前にやる。そんな凶暴さを持ちうる彼なのだが――
「おい!!」
「うん?なんでしょうか?」
サラトガに捕まり、彼女の事を椅子にするかのようにして彼女の膝の上に座らされているのである。
「俺をぬいぐるみの様に扱うな!!!」
「そんな事してないですよ~。よしよし」
背丈と同じように子供の様に甲高い声を張り上げながら体をばたつかせて抵抗するが体格差には敵わず、サラトガの細い腕をお腹に回すだけで提督の抵抗は大分弱まる。
提督の身長が150cmに満たない位だと仮定し、サラトガの身長を170cm未満とすると、性別のハンデがあったとしても提督を体格差だけで抑え込めるのも納得だろう。
「なーでーるーなぁあああ!!!!」
「Oh!I'm afraid」
片手で動きを制圧された状態のまま提督は無防備な頭を全く恐れが現れて無い声をあげるサラトガに撫でられる。
その手つきはまるでハープを奏でる様に滑らかな物で、一瞬だけ意識がとろんと惚けてしまいそうになったが、自分の状況をすぐさま思い出し頭をブンブン振って抵抗する。
提督は昔から小柄である事を嘲けられることや、体格差を意識させられるような事は大っ嫌いなのだ。
小さく育ったのは遺伝的な物が主な要因であったりするし、提督自身のせいでは決してないのだが、小柄な事を他人から意識させられると、まるで理不尽を押し付けられているようでついカッとなってしまうのだ。
だから、サラトガからの頭なでなで攻撃に全力で抵抗する。高身長には屈するもんかと言う彼の覚悟の表れである。
元々今の様な状態になったのは、休憩をとる事を忘れる程仕事に熱中している所にサラトガが現れて、『Break Timeですよー!』と言うなり艦娘特有の腕力で座っていた提督のことを親が小さい我が子に高い高いでもするかのように両脇に手を持ち上げられ、ソファに座ったサラトガの上に無理矢理座らされたのである。彼にとってそれなりに屈辱的なことだ。
獣の様な拒否の咆哮をあげて暴れる提督に対し、サラトガはわざとらしく怖がりつつも撫でる手は決して止めようとしない。
サラトガはわかっているのだ。この『コヨーテ』は身内には優しい事を。気難しい彼の側近として傍に居続けた事で、彼女の心には信頼と余裕が生まれているのだ。
本気で、本当に嫌なのなら、腕を抓るなり、引っ掻くなり、噛みつくなりして本気で逃げ出せれる筈。気が短い彼ならそれが出来る筈。
それをやらずに、身を捩らせたり手足をバタバタと激しく動かして拘束を破ろうとしているのは、彼なりの配慮なのだろう。
だから。彼の配慮だとわかっているから、それに付けこむのだ。こうやって抵抗している内は絶対に逃れる事が出来ないのだから。
暴れるのに疲れたのか、提督はあがっていた呼吸を大きく息を吸って吐いてと繰り返して整える。
「ぜー……ぜー……や……やるじゃねえか……」
「ふぅーやっと大人しくなってくれましたね。提督」
荒々しい呼吸を整える提督に対して、サラトガの方は息を軽く整えるだけで汗一つ流していない。恐るべし体格差。恐るべし艦娘の腕力。
「では、Break timeと行きましょうか!」
サラトガはテーブルの上にあるお皿に盛ったサラトガ特製クッキーを先程まで提督の頭を撫でていた手で取ると提督の口許に持っていく。
「はい、あーん」
提督は大人しくサラトガの誘導に従う気は更々なく、そっぽ向いて指示に反する。
「もう、好き嫌いはダメですよ」
提督は次にサラトガは無理やりクッキーを口にねじ込もうとしてくると予想していた。だから絶対に口を開かないように固く閉じて待ち構える。
しかし、サラトガの取った対策は提督の予想を斜め上回る。
サラトガは提督の事を押さえつけていた手を口許に持っていくと、提督の唇に人差し指と中指を宛がい、口の端から指を僅かに潜入させて中から力を込めるようにして開錠させたのだ。
「モガ?!」
「あーん♥」
斜め上の対応に驚いて余計に口が開いたところにサラトガ特製のバタークッキーがねじ込まれる。
提督の口内にバタークッキーが消えていったことを上から確認したサラトガは抑えの指を離す。提督の唇に込められた力はこじ開けられた時から緩んで無いので、獲物を捕らえたトラばさみの様に勢いよく閉じる。
口の中に放り込まれたクッキーはサクサクと言う小気味いい音をたてながら、口内をバターの香りとたっぷりの砂糖による甘ったるさで蹂躙する。
「どうですか?」
「………うまい」
率直な感想。食感、味共に申し分無しのまことに美味なクッキーだった。
「提督」
「……なんだよ」
「耳、真っ赤ですよ?」
「……うるさい」
「ふふっ」
顔を隠そうとしても上から彼を見下げている事と彼の髪が短い故に耳の赤さを誤魔化す術は存在しない。
そう、サラトガとは付き合いが長いせいでもしかしたらバレているのかもしれない。
心の奥底では子供の様に甘えてみたいと言う彼の願望が。
体格が小さいおかげで片意地ばっか張って生きていた彼なのだが、それは彼の自尊心を守る為にやってきた行動であって、彼の本心かと言われれば決してそうではなかったのだろう。
彼だって心の通った人間だ。『コヨーテ』ではない時間が欲しくなる物である。
サラトガに再びクッキーを口に押し込まれながらも提督はどうしてサラトガこんな風になったのか思い返す。
思えばサラトガが提督の事を変な風に構う様になったのは、この前にサラトガの買い物に付き合った時に立ち寄った洋服屋の店員に『可愛らしい弟さんですね』と言われた事が原因だろう。
背丈的にみれば、完全に姉弟くらい年が離れている様に見える。店員が間違えるのもわかる。
ただ、そう言う風に言われたのが初めて動揺しながら否定した事を覚えている。サラトガにも否定して貰おうと振り返ったら、サラトガの瞳は星が零れそうな程に輝いていた事も覚えている。
それが一番の原因だろう。ちょっとズレた所のあるサラトガは、『提督は弟の様に扱ったら喜ぶ』と勘違いした様だ。
その結果がこれだ。皆が居る時は上司と部下ではあるのだが、二人っきりになるとサラトガは弟を世話する姉になりたがる。
最初は全力で拒否していたのだが、本気で拒否するとサラトガが泣きそうになってしまった為、今は彼の自尊心を守る為に『抵抗に疲れて渋々従ってる』という形に収まっている。
彼が全力で抵抗しないのは、サラトガが泣きそうな顔をみたくないからと言う理由もある。
最初はズルい事をするだのなんだのと心の中で悪態はついていたが、今はご覧の通りにされるがままである。
サラトガは提督の口にクッキーを押し込む作業を止めると、彼の小さい身体を細い腕で包むように抱きしめる。
必然的に彼の後頭部にはサラトガの豊かな実りが押し付けられる事になる。
最初は下着をつけて無い服越しに感じる上質なクッションの様な柔らかさにドギマギとされていたが、今ではドキドキとしながらも彼女の胸の奥の鼓動に耳を澄ませられるくらいには冷静になれる。
ドクンドクンと力強い鼓動を打つサラトガの心臓。極上のクッションと子守唄様に安らかな彼女の鼓動によって、疲れた彼の身体は舟を漕ぎ始める。
これが『シスター・サラ』とも呼ばれたサラトガの包容力。
「サラ……」
「はい」
サラトガの愛称を呼んでくれた嬉しさからか、彼女の声が一段跳ねる。
「寝る……このまま放っておいてくれ……」
「Yes.ごゆっくり寝てくださいね」
彼の小さな身体は相当な疲れを貯め込んでいたようで、彼が寝ると宣言して一分もしないうちに腕の中からスゥスゥと安らかな寝息が聞こえてくる。
彼の乱暴者な気質故かそれとも体が小さいからか、彼の身体はすぐに充電切れを起こすのだ。その癖に限界を超えて頑張ろうとするものだから、最近は無理矢理体力を使わせて眠らせているのだ。
提督を抱きしめると言うのは、サラトガが編み出した必殺技。彼を無理矢理眠らせるためのリーサルウェポン。
やる度に恥ずかしさは感じているのだが、恥ずかしがっているのはバレてないので、そこは彼の低い身長に感謝である。
サラトガは提督の体制を崩させ、自分の腿の上に提督の頭を乗せる。
眼下に広がるのは子供の様なあどけない表情で眠る彼の顔。
表面的には拒否していた彼だが、深層的には満足したと言う現れ。
『サラトガの弟』と思われて拒否しつつも何処かにやけている様に見えた事から、提督の事を弟の様に扱うと本当は喜ぶことはわかっている。
でも――
「サラはあなたの事を弟の様に扱いませんからね?」
サラトガは流れる様に自然な動作で彼の髪へと唇を落とす。
それは彼への隠された想いの表れ。『シスター・サラ』の密かな思慕。
「I love you」
西日が差す執務室の中。サラトガの顔が夕日の様に火照っている様にも見えたのは気のせいでは無いだろう。