桜の花びらが敷かれた鎮守府の正門で佇む影が一つ。
すみれ色の髪に翠緑の瞳の整った顔立ちに、バラ模様のワンピースに薄紫のジャケット姿でショルダーバッグを肩に掛けた可憐な少女。
彼女の名は弥生。睦月型駆逐艦、その三番艦の名を冠する少女。
いつもは無表情で感情表現が苦手な彼女であるが、本日は血色のよい頬で正門の前をキョロキョロと世話しなく見回したり、バッグの紐を強く握っては息を大きく吐いている。
それもその筈、本日は――
「よっと。早いな弥生は」
司令官とデートをするのだから。
「い、いえ……今来たところ……です」
間をあけてゆっくり話すのがいつもの彼女の口調なのだが、今ばかりは別で緊張で言葉を繋げるのに時間を要している。
今来たところと言うのは本当は嘘。心配性な所がある弥生は遅れるのだけは嫌だと思って待ち合わせより40分近く早く着いたのだ。
かく言う司令官も二十分前に来たので早い方の分類に十分入るのだが。
「ははっ、弥生とデートをするの久しぶりだから、楽しみで早く来たよ。遅刻するのはだけは嫌だったからな」
「うん。弥生もずっと……楽しみにしてた」
司令官も同じことを思ってここに来てくれたのが嬉しくて、緊張が少しずつほぐれていくのを感じる。
姉である睦月や如月、妹であり親友の卯月にも色々とアドバイスを授かった。でも、無理に飾ることはしないでも良い。ありのままの自分でも大丈夫なのだと、心が安らぐような感覚。
緊張がほぐされ自然と表情筋も柔らかくなる。が、本人が思っている以上に堅いので大きな変化は無い。
弥生が小さく顔をあげて、上目遣いに司令官を見上げる。
司令官と弥生は数秒間だけ、見合った形になったが司令官が視線を逸らす。
彼が目を離した事に弥生は不安感を覚える。
「あの……弥生、何か……おかしい……?」
もしかして洋服が似合って無かったのだろうか?如月と一緒に一生懸命選んだ服なのだけれど。
そんな不安は司令官からの予想外の言葉で一瞬で拭われる。
「おかしくなんかないぞ?!むしろ……いつもより尚更かわいく感じるなって……」
可愛い。そう言ってくれた司令官の顔は何だか赤くて、耳も温まっている。
「い、いつもはかわいくないって意味じゃないぞ?!その、弥生の私服なんて見た事ないから新鮮で」
慌てる様に釈明する司令官が何だか可愛らしくて弥生は自然と目を細める。
彼女の中で湧き出る喜びの波を伝える様に司令官の来ている青いアウターの裾を握る。
「ありがとう……今日の司令官、とってもカッコいい、です」
司令官の方もまた私服で、青いアウターに白いインナー、ズボンは黒のボトムスにウェストポーチと言う出で立ち。
年若い司令官にあうスポーティーな印象を受ける格好。
普段は書類仕事が主な司令官が動きやすそうな服装をしているだけで、何だかギャップも覚えてくると言う物。
お互いに褒め合い少しだけ気恥ずかしくなって、視線を外したままでいたが、司令官の方から弥生の小さな手を包み込むように握る。
「……行こうか」
「……はい」
どちらともなく小さく喜色に富んだ声を漏らす。
笑みを浮かべる司令官に手を引かれ、弥生たちのデートは始まりを告げる。
二人のデートはとても充実した物だったと言えるだろう。映画に食事にショッピング。定番の事しかしてはいないが、いつの間にか日が落ち、帰路につく今の時間帯は街灯が無ければ暗黒に包まれている位には時間を忘れていた。
それほどまでに、このデートは充実していたと豪語出来る。
「いや~、楽しかったな。まぁ、弥生といると何でも楽しいんだけどな」
弥生の買ったものを収めた袋を掲げながら司令官は満足そうに頷く。
ここでいつもなら、「そんなこと…ない…です」と弥生から謙遜の言葉が聞こえてくるものだが
「……」
弥生は物思いに耽っている様に顔を地面に向けて傾けている。
「……弥生?」
隣にいる弥生から何も反応が帰って来ず、心配になった司令官は脚を止めて、弥生と向き合う形をとる。
「司令官は……」
首を傾げて自分を見つめている司令官に気付いた弥生は、ぽつぽつと言葉を繋げる。
「司令官は……本当に弥生のことを……彼女だと……思って……います……か……?」
不安に濡れた瞳で弥生は訴える。
司令官は一瞬だけ驚いたように口を開けたが、どうしてこんな事を言ってきたのかすぐに思い当った。
弥生とショッピングをしている時に店員にこう云われたのだ、「可愛い妹さんですね」と。
司令官と弥生の身長差は頭一つ分以上ある。傍から見れば、良くて兄と妹、悪くておじと姪っ子の様な関係だと思われるのも仕方ないだろう。
その言葉は弥生の心に陰を落とした。不安の陰を。
それが気がかりになってデートを楽しもうとしても、頭の片隅で何かが囁いている気がしたのだ。『自分は本当に提督と恋人なのだろうか?』『提督は自分の我儘に付き合っているだけなのではないか?』と言う疑念が。
弥生の言葉に提督は、
「思っているのに決まってるだろ」
若干語気に怒りを含ませながらそう即答したのだ。
弥生は提督の言葉に怒りが含まれているのが何となくわかった。
普段は温厚で、愉快で、弥生の事を笑わそうとしてくる優しい人が、怒りを含ませたのだ。
「そうだな。あの時すぐに言ったと思ったけど、もう一度言うぞ。弥生は俺の恋人だ」
そう、ショッピングの時もすぐに提督は店員に言い返したのだ。『この子は俺の恋人だ』と。
でも、その言葉は弥生を不快にさせないように言った方便なのではないか、と思ってしまった弥生がいたのも確かだ。
疑念を晴らすには、心を曝け出すのが一番。だから、司令官は心のままに言葉を紡ぐ。
「確かに俺は、誰にでも優しくするし、誰にでも好意的に接している所はあるけど。誰でも好きになるわけじゃないぞ。俺は弥生が好きだから、弥生を選んだんだ」
真剣に、わざわざ弥生の視線に合わせて語る司令官に弥生は胸を打たれる。
それと同時に、何とかせき止めていた疑念の感情が涙となって表に出てくる。
「や、弥生?!」
慌てたように声を裏返らせる提督をよそに、弥生は胸の内に秘めていた物を口にする。
「弥生は、表情も硬いし、可愛げもないし、おしゃれさんでも、無い…です。だから、心の何処かで司令官は弥生の我儘に付き合ってるだけ、って思ってる弥生もいた様です」
「……」
「でも、司令官はそんな事は、少しも思ってなかったんですね。弥生、とっても恥ずかしい……です」
「弥生……」
「司令官は自信を持って、恋人だと返してくれたのに、疑ってしまった……。そんな弥生がとてもすごく恥ずかしい……です」
苦しい。喉を焼かれたかのような痛みと苦しみを感じる。でも、この想いをするのはこれで最後になるだろう。
表情にだすのが苦手なら、全て言葉にして曝け出してしまえばいい。それだけの事だったのだ。
司令官は敢えて、肯定も否定もしない。それは、慰めにも糾弾にもなりはしないから。だから、受け止めるのだ。ありのままの弥生を。
「だから、いいます…」
「うん……」
「疑って、ごめんなさい。弥生は司令官が、大好き…!!」
それ以上は言葉にする時間も惜しくて、弥生は司令官に飛びつく。
司令官はよろめきつつもしっかりと弥生を受け止めて、彼女の頭を撫でる。
よく頑張ったと褒めるかの様に、ありがとうと言う感謝を込める様に。
弥生の涙の意味は疑念への後悔から、感謝へと変わっていた。
自分の事を好きだと言ってくれたことへの感謝に。
弥生の剥き出しになった感情たちは、司令官の腕の胸の内に収まっていった。
涙が枯れると、弥生は司令官の腕の中から離れる。そして、決意に満ちた目で司令官を見上げる。
「弥生、牛乳を一杯のみます」
「ほーう……」
予想外の言葉に提督の目は点になる。
「早く大きくなって、司令官の恋人だと、誰から見ても、わかる位におっきくなります。立派な女性になってみせます。司令官が誇れるような女性になります」
「……そうか」
珍しく興奮気味に熱弁する弥生。
今のままの弥生でも司令官にとって十分魅力的なのだが、今以上に成長したら、それこそ司令官の方が弥生と釣り合うのかと心配になる程の美人になる事だろう。
でも、そのままでいてくれとは口にしない。弥生がどんな女性へとなるのかは、司令官も楽しみであり、何より彼女の決意に水を差すほど、野暮な男ではないからだ。
「楽しみにしてるよ」
「……はい!!」
司令官が自分の中にある期待を笑顔に乗せると、弥生も自然と笑顔を返す。
心の中の汚泥が取り除かれた事により、表情がある程度は自然に出る様になったのかもしれない。
弥生は自分から手を繋ぐ。せきとめていた物が今は無くなっているので、素直になっているのかもしれない。
「牛乳、一度にどの位飲めばいいんだろう……」
「取りあえず、毎日瓶一つ分位飲めばいいんじゃないか?」
寄り添いながら歩く姿は間違いなく恋人同士の姿。
二人の行く先を照らすように、上弦の月が二人の姿を照らしていた。