※この作品はR-18です。

寝る前に読むには長すぎる艦これ噺   作:なぁのいも

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あなたの涙が枯れても

 

 日が沈み、月が春先の肌寒い海原から顔を見せ始める時間帯。遠征に向かった艦娘も無事に帰投した事で、一日の任務を無事に終わらせる事が出来たとある鎮守府。

 

「提督、お疲れさまでした」

 

 その鎮守府で長く秘書艦を任されている重雷装艦の大井は、執務机で書類の確認作業を行っている提督に向かって頭を垂れてお世辞を述べる。

 

「ええ、お疲れさまでした」

 

「もう少し効率よく仕事が出来てくださると……いえ、何でもありません!私も頑張ります!」

 

 口許を手で隠し、表情を伺われないようにする大井。彼女の悪態も二人にとって恒例行事の様な物。それに関しての対応も提督にとって馴れた物。苦笑を浮かべて、ちょっとした謝罪と感謝を述べる。その後に大井が北上の世話をするからと改めて言って部屋を出て行く。

 

 それが二人の毎日の別れ方。何時の間にか定着していた何気ないやり取り。日常の証の一つ。

 

 なのだが、

 

「…そうですね。迷惑をおかけします」

 

 提督が決まり文句になった謝罪の言葉を苦笑交じりに口にするが、その表情は何処となく薄暗くはっきりとしない。

 

 まるで月明かりで浮かび上がる夜の影の様。目を凝らさなければ、違和感を感じなければ見逃してしまうよなほんのりと浮かび上がる陰がかった表情。

 

 その陰りは他人には簡単に気づかせない程巧妙な物で、提督と生半可に付き合いがある人達は勿論、この鎮守府に長く着任している艦娘ですら見破れない。

 

 それこそ、目の前にいる大井を除いては。

 

「うん?どうしました?北上さんが待ちくたびれてるんじゃないんですか?」

 

「……ええ、そうですね」

 

 苦笑を解き、やんわりと退出を促す提督に大井は勃然とする。

 

 ――何度も何度も注意し、何度も何度も言い聞かせてるのにまた……!

 

 大井は踵を返し提督の方に再び向かうと、指先をピンと伸ばした掌を執務机に叩きつける。

 

 その衝撃で書類の山が崩れ、数枚の書類が宙を舞うがその書類に目を向ける者はこの場には居ない。

 

 二人の視線は互いの瞳へと結ばれているからだ。鋭く睨みつけている大井の視線から目を離すことはできても、大井の茶色い瞳に閉じ込められた提督の姿は消えることは無い。

 

 大井はわかっている。わかっているのだ。提督の表情が陰っている理由なぞ。大井がこの鎮守府の中で一番提督と共に居たから。

 

 彼の陰の正体を知るのにニ年もかかったのだ。尻尾を見せたならもう逃がしはしない。

 

 大井の真剣な眼差しに耐え切れなくなったのか、提督は知らぬ間にか張り付いた笑みを浮かべる。

 

「どうしました?」

 

 ――どうした?どうして欲しいのかわかっているくせに!!

 

 提督を糾弾する言葉が喉元まで出かかったがグッと堪える。

 

「一時間後」

 

「えっ?」

 

 突然時間を指定される事が予想外だったのか、提督は素っ頓狂な声をあげる。

 

 だが、その反応を大井は無視して言葉を連ねる。

 

「一時間後、いえ、一時間半後、空いてますよね?」

 

「あ、ああっと…何も…無いですけど…。でも、良いのですか?北上さんと――」

 

「じゃあ、一時間半後にまた来ますのでお風呂とかご飯はそれまでに済ましてくださいね」

 

 それだけ言うと大井は鋭い目をしたまま落ちた書類を拾い、整えてから提督に手渡し執務室から去っていく。

 

 大井から手渡された書類を改めて纏め、一時的に冷え切った執務室の空気が暖房器具によって再び温まって来た頃合いに、提督はやっと大井の行動の意味を理解する。

 

「そうか…。また……」

 

 深いため息をつきながら、先ほどまでの自分を客観視する。

 

 ――そうか、だから、大井は

 

 提督はまた疲れたように大きな息をつくと、大井が一方的に取り付けて来た約束を果たす為に完成した書類を持って執務室から退室した。

 

 

 

 

 

 

 打音検査と言う物をご存じだろうか?

 

 これは検査員がコンクリートをハンマーで叩くことでコンクリートの強度を調べる検査方法である。

 

 音の違いによってコンクリート内部に亀裂が走ってないか、空洞が出来てないか、或いは鉄筋が腐食していなかを音の違いで異常を検知する立派な手法の一つ。

 

 コンクリートの表面を見て、ひび割れやかけた所が無くとも、内部ではこう言った劣化や損傷が出てしまっているのだ。

 

 このような劣化がトンネルで起きている場合、突如地震が来たときにトンネルが崩落する可能性が大幅に高まる。

 

 そのようなリスクを防ぐために、目に見えない内部の異常が無いか検査しておくのだ。

 

 何で打音検査の質問を始めたのか?

 

 その理由は簡単、大井は提督に対して打音検査を仕掛けたからだ。

 

 打音検査と言うのは語弊があるが、似たような確かめ方をしたからそこは許して頂きたい。

 

 大井が提督に仕掛けたのは提督の『心』の打音検査と言うべきモノ。

 

 敢えて悪態をつくことで、提督の出方を伺い、彼の内に秘めている物の重さを図るための検査を先ほど仕掛けたのだ。

 

 普段の提督は懇切丁寧で冷静沈着、それでいて柔和温順で品行方正。

 

 これでもかと言う程に人間の鏡であり、理想の上司であり軍人である彼だが、彼の心はそれ故に繊細。

 

 軍人として優秀な戦績を残し続ける提督では、その立場故の上司・部下・同僚たちの羨望、嫉妬、畏敬、それと理不尽な命令を一人で受け止め続けていた。

 

 誰にも相談することなく、ずっと一人でその重しを背負い続けていた。

 

 直接誰かを責めることなく、誰のせいにすることなく、ずっと一人で。

 

 そんな完璧な仮面に隔されていた提督の陰を、繊細な心を、大井が知ったのはほんの一年前。

 

 提督の陰に気付いたのは、創設期から一年後、そこから探りを入れる事二年、やっと提督の心を知ることが出来た。

 

 創設期から五年間、ずっと提督の秘書艦を務めていた大井にすら計三年間隠し続けていた陰が姿を現したのは、本当に運が良かったとしか言い様が無い。

 

 

 

 

 一時間半後にまたくると宣言した通り、一時間半をかけて北上達の世話をある程度終えた大井は執務室の前に居た。

 

 執務室のドアは閉じ切っておらず、僅かに空いた隙間から照明の仄かな灯りが漏れている。

 

「失礼します」

 

 大井はノックをする事はせず、気持ち荒々しくドアを押し開く。節電意識の高い薄暗い設定の照明に照らされた廊下と、夜間でも満足に作業を行うために眩い光に照らされた執務室との照度の違いに目を細めながら。

 

 真っ白な世界に目が慣れ始め、輪郭だけだった世界ははっきりとした形をとり始める。

 

 形作られた執務室で

 

「……いらっしゃい」

 

 嫋やかな、しかし困った様に口角の下がった提督が両手にグラスを掲げて佇んでいた。

 

 

 

 

 大井が提督から得も知れない陰を感じる事は何回かあった。その陰の正体を掴むことは中々できなかった。

 

 陰の正体を知ることが出来たのは本当に些細なきっかけだった。

 

 それは、業務が終了し、大井が書類を事務の方に運び込んだある日の事。

 

 大井が運んだ書類の不備を長々ネチネチと事務の方から指摘され、陰湿さにぶーたれながら書類の不備を正そうと執務室に戻った時の事だった。

 

 執務室のドアが微かに開いていたのだ。

 

 それだけなら特別不思議では無いのだが、微かに空いた扉からは光以外にも、漏れている物があった。

 

 漏れていた物とは声。低くしゃがれた、何かを堪えるような弱々しく助けを求めるような。

 

 大井が意を決して扉を開くと、そこには顔を両手で覆いながら座っている提督が居た。

 

 だが、ただ座っている訳では無い。袖口は黒く染み、手と顔の隙間からは噛み殺すような嗚咽交じりの声が。

 

 その様子を見て大井は彼がどういう状態なのかを理解した。

 

 泣いているのだ。誰に対しても弱い側面を見せない提督が、誰にも見られないように声を押し殺して只々涙を流していた。誰も見ていないと言うのに、顔を隠すと言う強がりだけは忘れずに、たった一人で涙を流している。

 

 強がりながらも、しかしそれ以上にか弱い提督を見てしまった大井は、手に持った書類を放り出して、彼の事を受け止める様に正面から抱きしめた。

 

「えっ……?」

 

 誰も居ない筈の執務室、感じる筈の無い温もり。それに驚いた提督は覆っていた手を外して、顔をあげる。

 

 一瞬だけお互いに見つめ合う形になった二人だが、大井は気恥ずかしそうに顔を背けて、提督を胸元に押しつける様に抱きしめ直した。

 

「いいんですよ」

 

「いいって……」

 

「私は何で提督が泣いているのかは知りません、ですがその理由を聞きはしません。それに、提督がこの事を忘れろと言ったら、潔く忘れます」

 

「…………」

 

「だから、今だけは、好きなだけ、ここで泣いてください。泣いていいんです」

 

「……なんで」

 

 よく耳を澄ませないと聞き取れないような小さい声。その儚い疑問に大井は何処か弾んだ声で答えた。

 

「何でって、独りっきりで泣くのって寂しいでしょう?泣きたい時って言うのは淋しい時や心細いとき、あとは辛いときね。こういう時は一人で抱え込むように泣くより、誰かの胸を借りて泣いた方が気持ちもスッキリするわ。だから、好きなだけ泣いちゃいなさい」

 

 いつもの丁寧な口調では無く、姉妹や北上達に向けるような砕けた口調。

 

 その言葉の一つに乗っていたのは彼女の慈愛の精神。提督の事を気遣い、何処までも心配を孕ませたもの。

 

 しかし、それ以上に、心細く一人寂しく涙を流す提督を一人にさせないと言う決意に満ち溢れた言葉。

 

 大井が心から提督の事を想うからこそ、出る言葉の温かさに提督は胸を打たれ、再び声をあげ、彼女の胸に縋りつく様に再び泣いた。

 

「ごめん……!おおい……ごめん……」

 

「よしよし……」

 

 大井は彼の孤独な心を癒すように短く切り揃った髪を撫であげる。人肌を感じたことで安心感を得たのか、提督は自分で声を押し殺すことを段々と止め、大井の中に埋める様に泣きつく。

 

「謝らなくていいの。私が好きでやってるんだから」

 

「ありがと……!ありがとう……!」

 

 優しく諭すような大井の言葉に促され、提督は謝罪の言葉を羅列するのをやめて大井に対する感謝の言葉を述べる様になった。

 

 散々泣いた事で、ある程度の心の余裕を取り戻した提督は、枯れた声で涙を流していた理由を話し始める。

 

 ずっと色んな人に期待されてた事が重かった事、皆の期待に応える為に頑張り続けるのが辛くなって来た事、上層部からの無理難題も何も言わずにこなしてきたが本当はもう二度とやりたくない事、出世街道を突き進んでいるが故に同期や先輩からの嫉妬が絶えず人と関わるのも怖く感じている事。

 

 彼からの告白の一つ一つに大井は驚きを隠せない。皆の前は表情を引き締めて指揮を執り、大本営の会議に参加している時も参加した大将たちにも物怖じせずに具申する、そんな誰もが憧れるヒーローの様な彼が本当はここまで弱っていたとは思ってなかった。

 

 いや、もしかしたら弱ってなどないのかもしれない。単純な話だ。彼は、皆が想像していたよりもずっと弱い人間だったのだ。

 

 彼が責任感の強い人間だという事は大井もよくわかっていた。その責任感の強さこそが、提督自身や皆が自然と提督の精神を追いつめていたのだろう。

 

「よしよし……」

 

 胸の中で嗚咽交じりの涙を流す提督の頭をそよ風の様に撫でる。

 

 辛いのを我慢する子供を安心させるかのように。

 

 提督は、こんなにも弱っていながらも、誰の悪口も言わなかった。

 

 ずっと、ずっと、言葉の最後にこう付け足すのだ。

 

「僕が……僕がもっと……もっと……強ければ……」

 

 全ての理不尽や不利益を受け入れる様な言葉を。

 

 自分が弱いのが悪い。自分の能力が足りないのが悪い。

 

 誰のせいにするわけでも無く、ただひたすらに自分を追いつめる言葉。自分で自分を傷つける優しくて残酷な言葉。

 

 この言葉を糧に、彼はずっと孤独に戦っていたのだろう。理不尽な環境と、不利益を押し付ける世界と。

 

 自分が強ければ辛い現状を乗り越えられる。皆に迷惑をかける事も無い。皆の期待に応えられる、と。

 

 強ければ、この言葉で自分を戒め続けていたのだろう。

 

 その結果が、たった一人で涙を流す様な孤独な結果となるとは思わずに。

 

「バカね……。一人で出来る事には限界があるものよ」

 

 言葉こそ悪いが、提督を諭すような優しい大井の口調。

 

「だから、皆で協力し合うのよ。自分じゃ出来ない事も誰かなら出来るかもしれない。誰かと一緒にやれば答えは見つかるかもしれない。自分一人じゃ心細くても誰かが一緒なら一歩踏み出せるかもしれない。一人で何でもできると思うのは傲慢でしかない。一人だけじゃ何も出来ないのが普通なのよ」

 

 大井の胸の中で提督は小さく頷く。大井の言葉の一つ一つが心に沁みすぎて、それに耐える様に小さく声を漏らしながら。

 

「提督、わかったでしょ?一人で戦い続けるのはとても辛いことなのよ。だから……もっと人に頼りなさい。色んな人に頼り辛かったら……私だけを頼ってもいいから……」

 

 その言葉が、彼がまた築き上げようとしていた涙をせき止める堤防をもう一度崩壊させた。

 

「ごめん……!ごめん……!」

 

 この涙は独りっきりで泣いてた時の、氷を心臓に突き立てるような冷たい涙ではない。自分より高めの温度に包まれ、自分の望む救いの言葉を貰えたことの喜びの涙。

 

「もう……謝るんじゃないわよ」

 

 大井はまた謝りだした提督に呆れたようにため息を吐き出しながらも、先ほどより一段と強く提督の頭を抱きしめる。

 

 辛い事を告白した事を褒めるかのように、独りっきりじゃない事を、頼れる人が居るのだとわからせるように。

 

「ありがとう……!おおい……ありがとう……!」

 

「そう。それでいいのよ」

 

 ポンポンとあやす様に提督の背中を叩きながら、提督が泣き止めるように促す。

 

 泣きすぎて嗚咽混じりだった声は段々と小さくなり、大井の胸元からは小さな息遣いが聞こえて来た。

 

 自分の中で溜めていた物を一時的に全て吐き出した結果、提督は疲れ果てて眠ってしまったようだ。

 

「仕方のない人……」

 

 大井は抱えてた提督の頭を下ろし、自身の腿の上に提督の頭を置く。

 

 提督の寝顔は子供の様に安らかで、大井は心の何処かでその顔を可愛いと感じた。

 

 三年間、提督の秘書艦として傍らに居たが、提督の寝顔を始めてみたのだ。生真面目な彼は、前日にどんな事があろうと執務中に居眠りをする事は無く、誰かが起こしに行こうとしてもそれより前に絶対に起きていた。

 

 そんな提督の寝顔にどことなく愛おしさを覚えた大井は彼の髪を擽るように指を絡ませて撫でる。

 

 すると、提督の口許が僅かに持ち上がった気がして、気がついたら夢中で髪を撫でていた。

 

「かわいい……」

 

 提督の寝顔を堪能しているうちに、疲れが溜まっていた大井も知らずの間に眠りに落ちていった。

 

 

 

 

 

 翌日の朝、起きてそうそう昨夜の事を思い出し、提督にどう顔向けすればいいかとあたふたしていた大井だが、件の提督は昨夜、何事も無かったかの様にいつもと同じように振る舞っていた。

 

 そんな提督に悶々としていた大井ではあったが、提督の顔つきが何処となく晴れ晴れとしていたので、大井もいつも通り振る舞う事にした。

 

 その日から提督は積極的に誰かを頼る様には――全くならなかった。染みついた強がりは中々取れないという事だろう。

 

 提督が泣いていた半年後位に、同じように書類の不備で戻った大井が前回と同じように独りで泣いていた提督を発見した。

 

 その時の提督は、悪戯が見つかった子供の様に、ギョッとした後、渾身の苦笑いを浮かべていたので、あの日の事は提督の中で何かしらの進展があったと言う事だろう。

 

 取りあえず、アドバイスを何も活かさなかった提督に腹が立ったので、大井は突き返された書類で提督の頬を叩いた。

 

 それからは、大井が長年付き添った仲として、提督の心の機微に反応して、貯め込まないでいい様に愚痴らせる事で無理矢理発散させるようにし、今に至る。

 

 

 

 

 

 この二人っきりの晩酌は提督が貯め込まないようにする為の物。彼が独りっきりで泣かないようにする為の大井の策。

 

 お酒の力も借りつつ、提督の心に沈む汚泥を吐き出させる。

 

 怖かったこと、辛かったこと、苦しかったこと。その全てを提督と共有するかのように大井は聞き入る。

 

 最近は他者に関しての愚痴や軽い悪口も増えてきた。決していい事では無いが、全てを自分のせいだと背負い込みすぎる方こそ、自分を追い込む結果となる。人の責任まで全てを自分のせいだと背負い込むから違えそうになる。偶には人のせいにして、自分の心の安寧を図るのは誰にだってあるのだから。そういう形で人を頼る事は誰にだってあるのだから。

 

 結局は、酔いと人の悪口を言うのに慣れて無いせいで提督は泣いてしまうのだが。

 

「仕方のない人……」

 

 そんな風にいつまで経っても自分から素直に人を頼れず、人を傷つけてしまう事に過敏すぎる提督に呆れつつも彼の事を抱きしめる。子供をあやすかのように。そこまで傷つかなくていい様にとわかって貰うために。

 

「ありがとう……」

 

 昔は大井が提督を抱きしめると、最初は謝って来たのだが、謝らなくていいと言い続けたおかげか、今は謝らず礼から言う様になった。

 

「いいのよ。無理はしないで」

 

 あやす様に背中を叩き、泣き止むことができるように頭を撫でる。そうすると、提督は段々と泣き止むが、同時に寝入ってしまう。

 

 これもいつものこと。膝に彼の頭を下ろすと、子供のような無防備な彼の寝顔。

 

「仕方のない人……」

 

 その言葉は彼だけではなく、大井自身にも向いたもの。

 

 誰かを頼れと、大井は提督に言った。色んな人も頼れなかったら、自分だけを頼っていいとも大井は言った。

 

 今の様に提督は、大井に心を晒すことはできてはいるが、他の人に心を晒すのは中々出来てはいない。

 

 そう、本当は現状維持ではいけないのだ。いつかは提督自身でもっと沢山の人を頼るようにならなくては。

 

 しかし、それが出来ていない。それが出来ていない要因は大井にあると言ってもいい。

 

「私もバカよね……。あんなことを言っておきながら、この人の事を皆に知られたくないって思うなんて……」

 

 大井は、皆には提督の弱い面を見て欲しく無かった。自分だけにその面を出して欲しいとすら思っている。

 

 大井の瞳は、とろんと熱を帯びていて、提督の短い髪を梳きながらも、時折自分の手の形を残すかのように握りしめる。

 

 簡単な話だ。大井は提督の傍に居すぎた。その心に触れすぎた。提督の重荷を解放したいと願うと同時に、もっと知りたいと思ってしまった。

 

 好きになった、恋焦がれた、愛してしまった。それだけの話。

 

 提督にはもっと他の人を頼れるようになって欲しい。でも、自分だけに弱い姿を見せて欲しい。

 

 相反する想いが大井の中を渦巻いているのだ。

 

 この時間は特別な時間。大井が提督の心に寄り添う事が出来る特別な時間。大井だけに涙を見せてくれる掛け替えのない時間。

 

 二人だけの特別な時間。提督がみんなに頼り始めたら、この時間が無くなってしまうのではないかと言う恐怖と疑念が大井には拭い切れなかった。

 

 ――もし、あなたが他の人にも頼ることで涙を流すことが無くなっても

 

「私にとって特別な場所と時間は、そのまま残しておいてくれる?」

 

 その問いかけに眠る提督は答えを言うことは無い。

 

「……バカね、私」

 

 大井は立ち上がり、執務室に隣接した仮眠室から布団を持ってくるとソファに提督を横向きに寝かせ、ソファの空きスペースを埋める様に自分も横向きに寝て、二人の身体に布団を掛ける。

 

 最近は二人だけの晩酌をした後は、勝手にこうやって寝ている。提督が起きるより前に、一度大井は起きて自室に戻るようにしているので、提督にはバレてない筈といつもドキドキしながら眠っている。

 

「おやすみなさい……」

 

 大井はすり寄るように彼の胸に収まると、提督が独りで寂しがらないように彼の手を握りしめて、目蓋を閉じた。

 

 

 

 

 

 






「ねぇ」
「なんだ北上姉さん?」
「あの二人、いつになったらくっつくのかね?」
「あの二人って?」
「アレ」
「提督と大井姉さん?あの二人が?まさかな」
「キソ―にはこういう話は早かったかな……」
「どういうことだそれ」
「まぁ、いいや。キソーはさ、大井っちが傍にいる時の提督はどんな印象?」
「そうだな……何というか、表情豊かな人だと思う。基本は大井姉さんに謝ってばっかりだけどな」
「他の人といる時の提督は?」
「ちょっと硬いか。まぁ、俺はそんな提督も真面目で良いと思う」
「そう思うよねぇ……。じゃあ、提督の傍にいる時の大井っちは」
「呆れてる事も多いけど、結構笑ってる事のが多い気もするな。それこそ、北上姉さんの世話を焼いてるときよりも自然な笑顔が多い気がするぞ」
「で、そんな二人がくっつくことは」
「まさか、表情が豊かで笑顔が多くても、普段は謝ってばっかな提督と小言が多い姉さんがくっつくってことは無いと思うぞ」
「キソーは観察眼は凄くいいんだけど、なんと言うか、想像力が足りないと言うか、本質を見る力が弱いと言うか……」
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