潮騒を運ぶ窓辺。赤みがかった西日だけが光源の薄暗い寝室。その一室のスペースを占領するスプリングの反発力が強い安価なベッドに身体を沈め、整った貌を何の柄も無い白い真っ白な枕に埋める少女が一人。
「……ばーか」
少女の名は白露。白露型一番艦である白露の名を冠した艦娘。
彼女の居る部屋は何を隠そう提督の寝室。白露は家主の許可を得ずに、部屋に忍び込んでベッドを占領したのだ。
もちろん、密かに反抗的な行為をしたのには理由が存在する。一つ、白露と提督は男女の、所謂恋仲と言う奴である。一つは、最近白露が改二を迎え、無事に戦闘能力の強化が成功した事。そして、一番重要な最後のファクターは、『彼に構って貰えてないこと』。
提督と言う立場故に、忙しいのは白露にだってわかる。燃料の調達、弾薬や鋼材などの資材の確保、装備の開発、艦娘のケア、戦術の提案、戦闘の指揮etc。白露にとって仕事の内容を聞いているだけでも目が回りそうなタスクの多さ。それを全て並行してこなしている訳なのだから、艦娘達が敬意を払うのも当然である。白露だってその一人なのだから。
だから、提督が白露に構っていられないのはわかっている。その相手が恋人であろうと。
提督が居なくなるだけで、鎮守府の運営に大きな支障を来す。彼の時間は、彼だけのものでも、白露だけのものでも無い。鎮守府皆の物だから。
ただ、それがわかっていても不満と言うモノはたまる。頭では納得していても、心は納得できていないのだ。
「……バーカ」
顔を埋めていた枕を胸元に持ってきてギュウゥっと力強く抱き留める。枕は白露の腕の力と豊かな胸部の弾力に負けて真ん中がペシャンコになる。
先程、提督の時間は皆のものだと言った。確かにその通りだ。提督の時間は皆の為に有効に使われなければいけない。例えば、仕事を終えた艦娘達と労う為にだとか、親睦を深めるためにコミュニケーションをとる為に使うだとか。
誰かの為に使われる時間。それは最近の白露にも同じ。手短に褒められたり、軽くいなされたり。他の艦娘への扱いと変わらない。恋人への態度としてはあんまりではないかと思う。冷静に考えれば、仕事とプライベートの区別が出来ていて、恋人であっても仕事中は特別扱いしないだけ、と考えられる。
しかし、ここ最近、白露と提督は特別扱いされるべき時間が取れていない。主に提督の都合によって。
区別はすべきとわかっていても、特別な時間が無い以上、恋人としてフラストレーションが溜まっていくのは年若い少女にとって避けようがない事だろう。
それと、改二となった事が部屋に忍び込んだ理由となったのにも訳がある。それは白露が強くなったから態度が大きくなったとか、調子に乗りやすい白露らしい理由では無い。答えは単純、『あまり褒めて貰えなかった』のである。
改二となって提督に一番にお披露目した時のリアクションだって『何か大人っぽくなったか?』で終ったのだ。
その時は、子供っぽいとよく言われていた自分が、大人になったと喜んでいた単純思考な白露であったが、今思い返すと腹が立ってきた。
「ばーーーか!!!!」
枕で口許を押さえて無理矢理声量を殺す。眉間に皺が寄る程の怒りに染まった表情で一段と強く枕を抱きしめる。余りの力強さに枕はふっくらとした長方形を保っていられず、潰された食パンの様にぺったんこに縮まる。
見て欲しい所は沢山あった。強くなると誓い願掛け代わりとして伸ばしていた髪、妹達とお揃いのグローブ、改二に合わせて新調した装甲(制服)。大人っぽくなったと褒めてくれたのはいいが、どんな風に大人になったのか詳しく言って欲しかった。
「……あたしのことなんかどうでも良いのかな」
スキンシップの頻度の低下、改二になって大幅に変わった自分を深く褒めてくれなかった事による自信の低下。
確かに提督は忙しいのはわかってる。鎮守府と言う場所に欠ける事はできず、許されない存在であるのはわかっている。
それでも、
「ちょっとだけでも……構ってくれてもいいじゃん……」
胸を穿たれたようにぽっかりと空いた穴は、今は満たされぬ彼からの愛を求めているよう。
潤み始める白露の朱色の瞳。目元が熱くなっているのは、果たして西日に晒されているからだろうか。
枕を抱きしめる力を幾分か抜き、ごろんと横向きになり、瞳を閉じて鼻先を枕に埋めて胸いっぱいににおいを嗅ぐ。汗と爽やかなシャンプーの香り。余り格好や洒落と言った物を気にしない提督らしい匂い。
頭の奥底にある提督との記憶を抱きしめるかのように再び枕に力を込め、この不満を押し殺す為に寝付いてしまおうとしたその矢先、白露の身体を預けていたベッドが軋み、傍らが沈んだ。
「こんな所に居たのか」
頭上から落ちてくる声に呼応し白露が顔を上げると、そこに居たのは提督。彼がベッドに座ってくるまで全く気配に気づかなかったのは、彼女の注意が散漫になっていたからか、それとも微睡みに身を任せようとしていたからだろうか。
「提督?!」
驚きながら身体を起こす白露の声には喜びが混じっている。それもその筈、理由はわからないが提督から白露に会いに来てくれたのだから。それも、探してまで。
「後三十分で演習だろ?白露がミーティングに来なかったから探したんだよ」
呆れたような色にそれに混じった心配の色の提督の声。
その声色こそ、白露の中にある恋人の部分を刺激するものはあるが、彼の言葉の本質は仕事のために白露を探していたと言うモノ。その心配は、部下の心配をする上司のそれと同じ。
不満だった。間違いなく白露は不満だった。何故なら、今の白露は部下から上司へと向ける感情ではなく、想いの通じ合った者同士の感情を向けられる事を望んでいるのだから。
「……バカ」
胸に秘めようとしたいた不満が再び爆発しかけていた白露は、提督からそっぽを向く。
「白露……?」
首を傾げ、白露の様子を伺う提督。対する白露は、提督が構ってくれる事に微かな喜びを感じながらも相変わらず提督からは顔を背ける。
互いに何も語らない時間が訪れ、部屋には窓から流れる潮騒のみが反響する。
白露はわかっているのだ。提督が良くも悪くも回りくどい事は得意でないのは。この態度に隠された真意をくみ取ってくれると願うのはあまり意味を為さない事を。
提督は待っている。白露がこんな態度をとった理由を話してくれることを。
だから、白露はそっぽを向くのを止めて、自分の指を擦り合わせながら、ぽつぽつと心の中を明かす。
「寂しかった……」
第一に白露が口にしたのは、心の中の全てを支配していたもの。
「最近、ずっと構って貰えなかったし……、改装したときも全然感想を言ってくれなかったし……、一緒の時間だって全然ないし……」
提督は、白露の心からの言葉達を聞き逃さないように、目を逸らさずに聞き入る。
「寂しかったんだよ……。でも、提督は忙しいから迷惑かけちゃいけないと思ってたけど、でもやっぱり寂しくて……胸が痛くて……だから――」
その先の言葉を白露が連ねる事はない。何故なら、白露の身体は逞しい提督の腕の中に閉じ込められてしまった。
提督は何処かおかしそうにくすりと声を漏らす。
「な、なんで笑うの?!」
「白露って猪突猛進な所があるけど、案外、周りの事をみてるんだよな」
「だって、私はお姉ちゃんだから……」
「俺は、周りの事を思いやる事は出来るかも知れないけど、真意まで推し量るのは苦手だ」
「うん……良く知ってる……」
「だから、言ってくれれば、その真意を出来るだけ叶えてあげる様にしてるつもりだ。特に」
――お前のためなら
その言葉と共に提督から白露に口づけが贈られる。
それだけで、一言と口付けだけで、白露の背中に電流が奔り、火がついたかの様に身体に熱が生まれた。
「はぁ………」
二人が一つになった時間は提督が離れた事によって数秒で終ったが、その微かな時間だけでも白露の意識は別の世界に飛ばされた様で、彼女の瞳は焦点が合って無いようにも見える。
それだけでは終わらない。提督は出来るだけ叶えると言ったのだ。それも恋人のためなら特にと。
提督は白露の左手を掬うとまじまじと見つめる。
「今まで気づかなかったけど、白露の手って結構白いんだな」
新しい気づき。白露は彼女の妹達の様に黒いグローブを着用している。グローブの黒色と対になっておかげで改めて気付けたのだ。白露の白磁の様な美しい指に。
提督は彼女の手の平を右手で支え、左手で柔軟な指を折り曲げると、彼女の指の付け根に口づけを落とす。
「あっ……」
まるで、騎士が姫に誓うかのような、童話の世界の出来事みたい。
思考を放棄しつつある頭の中で白露が夢見がちな事を考えていると、提督は白露の手を解放し、彼女の背中と後頭部に手を回し、白露の頭を提督の胸に押し付ける形をとる。
「んっ……」
白露は提督から与えられる愛の数々にされるがままになっている。感謝の言葉も、愛の籠った言葉も発する余裕はなく、提督から与えられる全てを余すことなく感じたくて余計な事に気を回す余裕が無いのだ。
白露の枯れ葉色の髪に提督は指を通す。しゃらしゃらと音を立てながら白露の長くなった髪は提督の指の間をすり抜けていく。
「髪、すっかり伸びたな」
「うん……」
「今まで白露の髪が短かったから気づかなかったけど、柔らかい髪をしてるんだな」
「お手入れだって頑張ってるんだよ」
「そっか」
肌から提督の手が離れたからか、白露にある程度の余裕が戻りつつあったが、正面から抱きしめる形となっている為、先程よりも顔同士の距離は近くそれを意識してしまった為に、また余裕がなくなりつつある。
彼は、白露の事をまっすぐ見つめていたから。改二となり容姿的にも変わった自分から目を逸らすことなく、新しい魅力を見つける為に見つめている。
その瞳に映るのは自分だけ。自分だけを見てくれている。自分を褒めてくれる。触れてくれている。
空いていた胸の穴は提督からの想いで埋まっていき、満たしていく。でも、まだ足りない。それだけじゃ。もっと、欲しい。彼が自分を愛してくれていると言う証拠が。
白露は提督の首に腕を回す。彼にぶら下がるかのように、子供が甘えるかのように。
この時ばかりは、提督も白露が何を求めているか察し、白露の後頭部と首を手で支えると、
――白露の左瞼に口づけを落とし、彼女の朱色の瞳をよく血の通った紅赤色の舌で舐めたのだ。
「あっ……あぁ……」
白露から言葉として口から出る事が出来なかった息が漏れる。
彼女の左目を支配するのは唾液が眼球に接触した染み入る様な痛み。だが、白露は痛みだけを感じている訳では無い。その刺激が眼球から脳へと伝わる頃には、提督からの愛へと変換されているのだ。
「あっ、はぁ………!」
提督に白露を痛めつけるような趣味は無い。ならば、この行為の意味は何か?答えは、簡単。マーキングだ。白露は自分の物だと、『白露に』わからせるための、彼の独占欲の発露。
回りくどいのは苦手なくせに、好きだとか愛してるとか、中々言わない提督なりの『素直な』愛情表現。
白露だけが知る痛みと隣り合わせの愛。白露だけが知っている彼だけの愛情の表現。
満たされていく。空っぽだった貯水池に恵みの雨が降り注いだかのように。
だけど、すでに貯水池は限界を迎える寸前。今にも溢れ出てしまいそう。
なら、出してしまえばいいのだ。彼から受けた愛を、そっくりそのまま、彼に返す形で。
白露の瞳から一筋の水流が生まれた。瞳から涙が零れた理由は、舐められた痛みを癒すためか、それとも――
「提督、好きっ!!」
溢れる、零れる、滴るばかりの想いからか。
「大好き!!だ、大好き!!」
心の奥底に沈んでいた彼への好意が、思慕が、愛が。
「好き!好き!!大好き!!!」
情熱的に、或いは猛進的に、
「愛してる!提督のこと一番愛してるの!!」
一途に彼へと愛を返す。
不満と不安で飾られた白露は剥がれ落ちた。ここにいるのは白露型一番艦ではない、提督を愛する一人の少女の白露だ。
白露による愛からの叫喚を受け止めた提督は、頬を吊り上げて、
「大好きだ。愛しているよ白露。一番に白露のことを」
彼から捧げられ、返した筈の愛を、それ以上で返される。言葉で返しても、返してもそれ以上で帰ってきてしまう。
最近、提督との交わりが少なかったおかげで、尚更好きになりたくて、欲しくて、愛して欲しくて、白露の身体と心はもっとと求める。
だから、白露は無意識の内に、提督の唇に自らのそれを重ねていた。
全ての不満が剥がれ落ち、提督に対する好意と愛だけが剥き出しになった自分を、もっと提督に愛して貰いたくて。
「ちゅっ……ん」
白露の脳内をじんわりと犯す、桃色の幸福感。それだけでは飽きたらず、更なる幸せを得る為に白露は提督の唇を舌で割った。
流石に舌を潜り込ませてくるのは予想外だったのか、提督は小さく背筋を震わせたのが、白露の手から伝わる。
――かわいい
初めて優勢になって余裕を取り戻した白露は、提督の後頭部を手で抑え、角度を変えてより深くへ。上あごを舐め、磨く様に歯列をなぞり、糸切り歯の尖った感触を舌先で楽しんだ後に、彼の舌に結びつく。
「ふぅ……」
提督もこのままされっぱなしではいられない。白露の舌に蛇の様に絡みつき、押し返して、そのまま白露の口内を蹂躙する。
荒くなる鼻息、脳髄を侵すはしたなく唾液が絡まる音、どちらからともなく自然と繋がれていた手。
「ふわっ……」
舌の絡ませ合いに負けたのは白露だった。白露は腰を引き、顔を反らせるようにして戦線から離脱する。二人の間に生まれた透明な架け橋は、一欠片の水晶となってベッドの上に滴った。
西日に照らされた白露の瞳は涙を零しながらもとろんと蕩け切っていて、熟れた果実の様に赤い顔、ぷっくりと潤った唇からは先程滴った水晶の原液が顎を伝って落ちていく。
目の前にいる艶やかな乙女に心を奪われた提督は、自らの意志で考える事を放棄した。
白露の肩を押して、彼女をベッドへと押し倒す提督。
「あっ……提督……」
弱々しく相手を呼ぶ白露。これから何が起こるのか、勿論彼女は理解している。だから、彼女は蕩け切ったはしたない表情で両手を広げ―――
「お願い……」
彼を誘った。
演習の為に白露を呼ぶと言う当初の目的を完全に忘れ去り、欲望に身を焦がす覚悟を決めて白露の制服のジッパーに手をかけた提督であったが、
~~~~♪♪♪
彼のポケットに仕舞ってある携帯端末が、爆音を奏でた事で、その覚悟は露と消え去った。
バツが悪そうに眉根を寄せながら提督はベッドから降りて電話に出る。
「ああ。ああ――――」
相手は言わずもがな、白露を探してた他の艦娘だろう。
提督は白露の事をチラリとみる。その眼には、『続きをしたいか?』と書かれているようだった。
提督の沈黙の問いかけに白露は首を横に振る。拍子が抜けてしまったのは白露も同じだから。
「見つけた。白露と共に向かう。ありがとうな」
白露の捜索を手伝ってくれたことに、労いの言葉をかけつつ、提督は通話を切る。
どことなく気まずそうに眉を下げて白露を見つめる提督。その目は本当に良かったのかと言いたげだ。
あの時、首を縦に振っていたら、続きをしてくれたのだろうか?
自分で否定した選択肢に思いを馳せても仕方ない。白露は何回も深呼吸して、火のついてしまった身体を内側から冷まして、跳ねる様にベッドから飛び起きた。
「うん、行こう!」
少しばかり、いや、大分名残惜しさはあるのだが、今の白露の心はかなり満たされた事には間違いはない。
それに提督から愛されてるといことは確かにわかったし、忙しくても白露の願いなら叶えようとしてくれる事もわかった。今、これ以上を求めるのは我儘が過ぎると言った所だろう。
白露は太陽の様な溌剌な笑みを浮かべる。それに呼応するかのように、提督も頬に皺を作って微笑んだ。
提督の横を通り抜け、寝室から出ようとした白露を提督は呼び止める。
「白露」
「うん……んっ!?」
白露は唇に柔らかさと温かさを感じとる。そう、一瞬の隙に白露は提督に軽く口づけを落とされたのだ。
「フタサンマルマルだ。フタサンマルマル位にこの部屋に来てくれ。それで……白露が望むなら『続き』をしようか?」
「……うん」
不意打ちの口付けと誘惑の台詞で、治まりかけてた熱が僅かにぶり返した白露は顔を真っ赤にしながら頷き、提督は悪戯が成功した子供の様な笑顔を浮かべた。