「ほら、いい加減起きなさい」
ゆさゆさと自分の身体を揺らす外部からの刺激が体を伝わる。でも、身体はまだ寝ようとしているんだ。と言うか眠いんだ昨日、と言うより本日までにやらないといけない宿題が多すぎて昨日急いで終わらせたんだ。少年は自分が起き無い事を正当化するように心の中で論じる。だから、ついついお決まりのあのセリフが出てしまう。
「後、18時間…」
「そんな時間まで寝てたら夜になっちゃうじゃない?!いいから起きなさいいってばー!」
朝の肌寒さで深みに陥ってしまいそうな意識の沼に身を沈めようとしていた少年の身体を覆う布団を少女が剥ぎ取る。
「ううぅ…」
「ほら、朝よ。今日はお天気もいいし、良い風だって吹いてるわ」
情けない声を上げながら身を丸める少年とは対照的に、少女はテキパキと雨戸を開け暗かった部屋に朝の光を一杯取り入れる。
「…寒い」
「そんな事言わないの。ほら、良い風でしょ?」
寒さを防ぐものが無くなり、先ほどより強い寒気を覚える彼とは対照的に少女は良い風にご満悦の声色だ。
このまま寝ようとするのは不可能だろう。いい加減に起きよう。
覚悟を決めた彼はゆっくりと瞼を持ち上げる。
一瞬だけ、朝の光に目が眩み強く目を閉じてしまいそうになるが、彼の若い眼の細胞たちはすぐに順応して眩しさを感じなくさせる。
光と風の溢れる窓に視線を向けると、ベッドで寝る彼を見下ろす様に見つめる少女と目が合う。
整った顔立ちだが、いつもちょっと赤い頬。それは意味があるのかと言いたくなるような短すぎる制服のスカート丈。朝の光の奔流のように風に流れる長い銀髪。最後に、少女の幼さに似合わない風に揺れるスカートから覗く黒い下着。
ああ、いつも通りだと彼は謎の安心感を覚える。
目の前に広がる楽園も、彼にとってはもはや見飽きたレベル。と言っても下着はいつも違うのだが。
上半身を起き上がらせ軽く伸びをして、自分を起こした少女と改めて目を合わせる。
「おはよう天津風」
「おはようあなた」
少女、天津風がいつもの挨拶に満足した様に口許を持ち上げた。
少年の両親は一年位の出張でおらず、ただ今少年の家に住むのは少年一人だ。
少年の高校受験が終わり、見事合格通知が出た所に彼の父親に出張の命令が下されてしまった。母親は父親の家事能力の無さと忙しさを理解していた為父親について行くことにしたのだが、少年は編入する為にまた勉強するのを面倒くさがり、自分一人だけ生家に残る事にしたのだ。高校生だし丁度いい一人暮らしの予行演習になると。
と、そんな少年の挑戦心に感心した両親は少年に家を任せ出張していったわけなのだが、対する少年は両親と言う枷が無くなった事を良い事に、夜までゲーム、休日は一日中ネットと、夜更かし族へと早変わり。結果として高校に入学して一ヶ月もしない間に体調を崩した。
通う中学校が彼の通う高校と近く、殆ど毎日一緒に登校していたお隣さん一家の愛娘の二歳年下の幼馴染の天津風は、彼が体調を崩した日に今日は学校に行かないから一人で行って欲しいと言う連絡を受け、不審に思って放課後に彼の家を訪れ、彼の堕落した生活を告白されたのである。
最初こそ突如得られた最高級の自由を謳歌しすぎている話を聞いて呆れていたのだが、また体調を崩されたらこちらも困る(?)と天津風に言われ、ある程度身の回りの事を手伝って貰っているちょっと情けない現状である。
彼の名誉の為に言っておくと、男の子は母親に似るとの言葉の通り家事能力は高い方だ。ただ、父親の血を引いて変な所で面倒くさがりなのと、思春期に得てしまったとびっきりの自由が彼を狂わせたのだ。
「はい。どうぞ」
中学生らしく可愛らしいエプロンをつけた天津風が食卓に朝食を並べる。お皿にのったトーストと、即席のコーンスープに簡単なサラダ。日本人らしくない朝食だが、天津風が作ってくれたありふれた朝食。朝食のメニューを判断すると冷蔵庫からブルーベリーのジャム瓶を取り出して、天津風に習うように瓶を食卓に並べる。天津風はすでに自分の家で食べている為、本日は少年一人分の朝食だけだ。
「いただきまーす」
「はい。召し上がれ」
両手を合わせて食事のあいさつをのんびりとした口調で言うと、天津風が小さく微笑んで食事を許す。
少年は瓶のふたを開け、ナイフでジャムを取り出してトーストに塗り込み、端っこに噛みつく。
「うん。おいしい」
「そ、そう?良かった…」
少しばかり緊張した顔で少年を見ていた天津風が安堵する。
「最初は酷かったもんなー。パンだって見事に丸焦げだったし」
「もう!いつまでその事を言うのよ!」
少年の思い出したかのようなからかいの言葉に少しばかり拗ねたように反論する。
今思い出しても天津風の料理は酷かった。よくあるようなメシマズのアレ程では無いが、料理が出来ないにもほどがあると言った評価だった。
パンの焼き時間は知らない。お米は研がない。挙句の果てに調味料の分量は適当。
料理になれているのなら、ある程度適当でも誤魔化せる技術は獲得していくものだが、料理を殆どしたことがない天津風にはそんな技術は無い。
初めてご飯を作った時に、「ご飯を作ってくれるのは嬉しいけど、これじゃあ…な…」と凄く遠慮がちに言葉を濁す少年の申し訳なさそうな顔にショックを受けた天津風は母親、祖母、挙句の果てに少年から料理を教わり、何とか食べれる料理を作れるようになり、技術を磨いている今に至る。
と言っても、今回の朝食は冷蔵庫に本日の夕飯分しか材料が無い為、簡素なものになったのだが。
「ははっ、悪い。今でもこの前の事の様に思い出すからさー」
「まぁ、確かにあの時反省したから今もお料理を頑張ってる訳だけど…」
「うん。美味しくなった。普通に食べれる」
「うっ…本当に悪かったわよ…」
悪気や意地悪のつもりで少年は言った訳じゃないが、天津風にとってはかなり響いた言葉だったようで、天津風は俯いてしまう。
「その…悪い、そんなつもりじゃなかったんだ」
「わかってるわよ…。でも、素直にそう言う感想が漏れるとちょっと響くわ…」
本音とは何気なく出てしまうものである。最初の頃の料理の事は、天津風としても快く思っていない。なんせ、恥ずべき記憶である。むやみに掘り起こしたらこうなる事はわかっている事だろう。
「あー…ごめん悪かった。いくらなんでもデリカシーが無さ過ぎた」
食べていたパンをお皿に置いて、自分の非を認めて少年は素直に頭を下げて謝る。基本的に悪意のある事は言わないのだが、それで他人の嫌な事を刺激してしまうのが少年の悪い所だ。
素直すぎるのも考え物だとは、自分の性格を顧みてよく思っている事だ。
「わかればいいのよ。わかれば」
顔をあげた天津風は口ではそうは言いつつも、ジトりで少年に疑いの目を向けたままである。
これは、本格的に直さないと不味いかなぁ。
機嫌を直してくれない天津風に苦笑いを浮べながら朝食を平らげ、ごちそうさまと天津風に礼を述べる。
「お粗末でした」
なんだかんだ機嫌もある程度戻った様で、礼を返しつつ天津風は小さく笑みを浮かべてくれた。
その後は、天津風は簡単に後片付けをし、少年は身支度を済ませ、二人で戸締りを確認して登校した。
学校も終わり、入っていたアルバイトもこなして少年が帰る頃は、もうすぐ深夜帯に入ると言う真っ暗な夜。
本来ならこんなに夜遅くまで働かず、夕方を少し過ぎた当たりのシフトが多いのだが、本日は運悪く引継ぎのアルバイトの先輩が体調不良で休んでしまった。翌日は休日なので、働ける時間までは働いても良いとそのまま続投したのだ。
アルバイトが入っている時は天津風は夕飯を作って待ってくれていて、一緒に食べる。彼に何かあった時に用に合鍵を彼女に渡して置いてあるのだが、最近は早くに彼の家に上がって、アルバイトで疲れた彼の為に夕食をわざわざ作ってくれるのだ。
だが、本日はかなり遅くなってしまうため、今日はご飯はいらないと天津風に余計な労力を使わせない為に連絡したのだが、せめてご飯は作ると言い、今日は作らなくても平気だと天津風を説得できなかったので、その言葉に甘えることにした。
「ただいまー」
返事が無い、しんと静まり返った玄関。だけど、玄関から見えるリビングの灯りはドア越しに漏れている。何故?とは思いつつも靴をそろえる為に電気をつけると、天津風が履いていた靴が玄関に残っている。
それだけで、彼はリビングの電気がつけっぱなしの理由を何となく察する。
廊下を静かに歩き、リビングのドアを出来るだけ音を立てずに開ける。すると、リビングに設置してあるソファでラフな服装の天津風が横になって静かに寝息を立てていた。
「はぁ…そこまで俺の心配しなくても…」
この様子から彼女がここに残った理由を察するに、自分が夕ご飯を食べずに寝る事があると心配して待っていてけど、つい寝てしまったと言うところだろう。
机に置いてあるご飯は一人分しかない事から、天津風は自分の分は自分で食べたのだろうと安心した表情を浮かべる。
一緒に食べる為にお腹空かせて待っていたら、彼としてはちょっと嬉しくもあり、悲しくもあるからだ。
「ありがとう天津風」
彼女を起こさないように、小声で礼を述べる。すると、天津風から小さく寝言が漏れる。
「おにい…ちゃん…」
おにいちゃん、それは彼女が今より幼いころの少年に対する呼称。少年と天津風は、それこそ兄妹の様に仲が良く、いつも少年が天津風を引っ張ていた。
それなのに今はどうだ?今の自分は天津風に世話を焼かれてばっかで情けない。
「これじゃあ、おにいちゃんなんて呼ばれなくなるよなぁ…」
今の自分の体たらくを自嘲する。
明日は休みだ。偶には天津風の兄代わりとして、日頃のお礼を込めて何かしてあげることで、兄の尊厳をちょっとは取り戻すか。
明日の予定を妹分に還元する事に決め、少年は眠りを妨げ無い様に天津風を抱えて、自室のベットに優しく横たえさせ、布団をかける。
「おやすみ天津風。いつもありがとう」
少しばかり卑怯だとは思っているが、眠り姫な世話焼きな幼馴染に日頃の礼を述べて頭を一撫で。彼女が昔から頭を撫でられるのが好きだったからだ。
どことなく天津風の寝顔が嬉しそうに見える。
彼女の寝顔に満足した少年は静かに扉を閉めて、天津風の作ってくれた料理を堪能すべくリビングへと向かった。
因みに、天津風がおにいちゃんと呼ばなくなったのは、彼のだらしない姿に幻滅した訳では無いのだが、それはまた別の話。