十月最後の日には何が起こるだろうか?
そう、最近日本にも浸透しつつあるハロウィンである。
元々は古代ケルト人の収穫を祝う行事、或いは死者の霊が家族を訪れるような日本で言うお盆的な側面、若しくは悪霊を追い払うようなイベントが起源と言われているのであるが、この行事の起源については割愛させて頂こう。
今、世界中で行われているハロウィンの主な行い方は、ジャック・オー・ランタンと呼ばれるかぼちゃをくりぬいて目、鼻、口を作って飾る。仮装した子供たちが『トリック・オア・トリート』と唱えて、お菓子を集めてまわったりと可愛らしいイメージが強いイベントである。
このハロウィンは提督と艦娘が所属する鎮守府でも執り行われ、駆逐艦娘達は空母・戦艦艦娘や提督の元を訪れてはお菓子を貰う、と言った風に執り行われていた。
そんな『お菓子』を貰うと言うイベントにて、『いたずら』を行おうと画策する艦娘が一人。
「すぅー……はぁー……」
見上げてしまう位大きな執務室の荘厳な扉の前で大きく息を吸うのは、朝潮型駆逐艦一番艦の朝潮。
長く鎮守府に勤めている朝潮は去年度まではハロウィンに大した興味を持たずハロウィンの日もパーティーを楽しむだけでお菓子を貰いに回る方には参加はしていなかったが、今年は違う。
今年の朝潮は改二の制服であるボレロは脱ぎ、代わりに小紫のマントと彼女の顔位の大きさはあるウィッチハットをつけている。
そう、今年の朝潮は立派なハロウィンの参加者なのだ。
「すぅー……」
目的はただ一つ。提督に悪戯する事。朝潮の目的はトリートでは無くトリックの方なのだ。
「はぁー……」
朝潮とて恋に恋する年頃の一人の少女。いつも頼りにして憧れていて――ちょっぴり気になる提督にアタックしようと考えていたから。
今の時間は午後の六時。艦娘の殆どはお菓子巡りを終え、食堂で行われているパーティーで舌鼓を打っている真っ最中だろう。
そんな祭りの様な盛り上がりムードな鎮守府であるが、提督だけはお菓子を配布しつつもしっかりと仕事をしている。
だから、今はチャンス。皆が提督の元を訪れず、提督と二人っきりになれる千載一遇のチャンス。
「すぅー……」
と、言う風に妹である荒潮からアドバイスを貰ったのだ。『イタズラ』の内容についても。
更に荒潮は秘書艦を務めたときに提督が配るお菓子の発注を頼まれ、発注数を『うっかり』数え間違えて若干少なめに発注してしまったと言われた。
「はぁー……」
だから、アドバイスをくれ『偶然』にも悪戯を仕掛けることが出来る状況を作ってくれた荒潮に報いるためにも、悪戯を成功させる必要がある。
「すぅー……」
だが、朝潮は執務室の扉を開き、中に入る事をしない。いや、出来ない。
何故なら、胸が高鳴りすぎて今にも心臓が破裂しそうだから。
「はぁー……」
爆発しないように、強い刺激を与えないように、朝潮は何度も何度も息を整える。ドクドクと全身に一秒でも早くと血液を送ろうとする心臓を収める為に。
「すぅー……」
だが、心を落ち着かせようとするたびに、朝潮の頭にはある考えが過る。
――司令官にイタズラをしてもいいのか?
と。
「はぁー……」
司令官はいつも通り仕事をしている最中なのだ。この鎮守府を円滑に運営する為に。皆が心置きなくこのハロウィンを楽しめるように。
他の誰でも無い。朝潮達や守るべき人達、『皆の為』に今日も休まず仕事をしている。
「すぅぅ……」
――それなのに自分は
自分の勝手な思惑の為に、提督の業務に水を差すような真似をしていいのか?
そんな葛藤が朝潮の中に生まれる。
「はぁぁあ……」
落ち着かせる為に繰り返した呼吸は乱れ始めると、段々と朝潮の目頭が熱くなる。
そう、朝潮は段々と許せなくなったのだ。皆が楽しくハロウィンを過ごせようにと仕事の合間を縫ってまでお菓子を配布してくれた提督の思いを無下にしようとした自分に。
「……スン」
人一番生真面目で、人一番規律に厳しく、自分にも厳しい朝潮は抜け駆けしようとする自分を許せなくなる。
鼻を鳴らし、雫が零れ落ちようとする目元を手で押さえると――執務室の扉に突撃してぶち開けた。
扉を開けた先に居たのは、休憩がてらパーティーの様子を見に行こうとしていた提督だった。
「どうし――朝潮?」
突如扉が開け放たれ緊急事態が起きたのかと身を固くする提督の腰に朝潮は飛びついた。
「っと!どうした朝潮?」
普段は見せない朝潮からの激しいスキンシップを提督は若干よろめきながらも受け止め、ポンポンと優しく頭を叩く。
言葉より先に行動で朝潮を落ち着かせようと背中を叩く。
「ひっぐ……」
「……よしよし」
暫し、朝潮は声を上擦らせてすすり泣くばかりだったが、提督は何も言わず、背中をポンポンと優しく叩く。
話そうとしなかったら理由を聞かずに待ってくれる。優しく自分を落ち着かせようとしてくれる。
提督のその誠実さと包容力は朝潮が彼を好きになったポイントの一つ。
朝潮の背中から頭にかけて、提督が叩いてくれている内に朝潮も心の整理がついた様で、提督の腰から顔を離す。彼女の小さな手は提督の服をキュッと掴んだままで。
「司令官……申し訳ありません……」
泣きはらして真っ赤になった目元で提督に謝罪する朝潮。
「何が?」
が、謝罪された提督は朝潮に謝られる心当たりが一つも無い。
寧ろ、自分の方が朝潮に迷惑をかけてないかと心配になってしまう位に、朝潮は優等生だ。
「朝潮は司令官に『イタズラ』をしようとしました……」
「……そうなの?」
「はい……『イタズラ』しようとしました……」
提督は心の中で取りあえず大きな問題は無さそうだと安堵する。
朝潮が執務室に突入してきた時は、普段の朝潮からは想像できない位に大泣きだったのだ。彼女の生真面目さゆえに、誰かの軽はずみな発言で衝突したのかと勘ぐってしまったから。
「だから……朝潮には処罰をお願いしたいです……」
「でも、してないでしょ?そんなに深く悩んだり考えたりする必要は無いって」
そう、実害は何もない。これは未遂と言えるのかも怪しい段階で終った。
「ですが……」
朝潮の心の中にあるのは、提督の時間を自分の為に使って貰おうとした罪悪感。
今のこの状況こそ、彼女の為に提督の時間を割かせている物なのだが、それを言うのは野暮というもの。
提督は朝潮の瞳を覗きこむ。澄み渡る空の色をした潤んで揺れる彼女の大きな瞳を。
その眼差しは潤んで歪んでいるが真剣そのもので 生半可な許しでは彼女は納得してくれないだろう。
ならば、
「わかった……。処罰を言い渡す」
許さなければいい。
「……はい」
「俺にそのイタズラをしてくれ」
罰を欲した彼女に、褒美を与える形で
「……はい?」
「イタズラ、したくないのか?」
「そ、それは……」
「じゃあ、罰は無しにするぞ?いいのか?」
朝潮を無理矢理納得させる術は提督も心得ているつもりだ。その方法とは簡単、畳みかける事と撤回しようとする事。
朝潮が考え込んで深読みされる前に、撤回しようとすることで思考能力を正常に働かなくさせる。
真面目一辺倒である朝潮は、罰を無かった事にする事は出来ない。
「……わかりました」
「うん。よろしい」
提督の読み通り、朝潮は罰を受け入れた。
ただ、その罰を受け入れたことで、沈んでいた羞恥心が浮上してきたので、朝潮は提督の服から手を離して、顔を下に向けてモジモジとしながら『イタズラ』の第一段階を口にした。
「しゃ、しゃがんでくださいますか?その朝潮と目の高さを合わせる感じで」
「こうか?」
朝潮の指示通り、腰を折って朝潮の高さに目線を合わせる。
普段は見上げてしまう位に身長差がある提督が同じ目線になってくれている。朝潮の為に。
その事実が、朝潮の胸の高鳴りを強くする。見れば見る程、提督の顔を隅々までみたくなってしまうから。長い睫毛に、血色の良い頬っぺた。吸い込まれるような黒の瞳。
彼の顔のパーツを一つ一つ何時間かけてみても飽きないだろう、と言う確信を朝潮は得ていた。
しかし、長く時間をとらせるわけには行かない。
時間と言う物は有限。提督には提督の為に使いたい時間がある筈なので、自分の為に長く時間を割きすぎたら困ってしまう、と真面目な朝潮は心の片隅で思っていた。
「目を閉じてくれますか?」
そのお願いに提督は無言で答え、瞬時に瞳を閉じる。
朝潮の心臓の高鳴りが最高潮に達する。先ほどまでは目頭が熱かったのに、今は頬が融け落ちてしまいそうなくらいに熱い。体温も上がっている様でまるで微熱を出した時の様にクラクラとして、眩暈すら感じてくる。
でも、ここでやめるわけには行かない。朝潮は諦めない。
何故なら、アドバイスをくれた荒潮と罰と言う形で『イタズラ』を許してくれた提督に報いる為に。
「すぅー……はぁー……」
執務室の前でずっとやってた様に息を整える朝潮。
提督は目を瞑りながら、朝潮の使用とする悪戯とはどのようなものなのか考えていた。
――頬をひっぱたりだろうか? それとも落書きをしてくるのだろうか?
その提督の思考を遮るように、提督の鼻腔がふんわりと柑橘系の香りで満たされ、刹那――提督の頬に花びらが触れるような柔らかい感触が落とされた。
「い、悪戯させて頂きました!!!!」
いつもははきはきと喋る朝潮が、つっかえながらそう宣言し、バタバタと大きく足音を立てながら退室していく。
「……あれまぁ」
何とも情けない言葉をごちる提督の頬は熱を持ち、あの柔らかい感触を思い出すかのように自らの頬に手を当てていた。
熟れたトマトの様になった顔を両手で隠し、廊下を疾走する朝潮。
心臓の脈拍は最高潮から引くことなく、寧ろ、もっともっと強まった感じさえする。
朝潮は『イタズラ』したのだ。気になる異性である提督に。
「あ、朝潮、悪い子になっちゃいました…!」
そうは言いつつも、提督の迷惑になると言う考えは彼女の頭の中に一切なく、彼女の口許は甘い砂糖菓子を口に含んだ時の様に緩んでいた。