序章 転落の始まり ※挿絵
その日、成瀬澪は眠れなかった。
昼間に寝すぎてしまったとか、部屋が寝苦しかったとか、そういう訳ではない。
季節は一月下旬。部屋一つ一つに小さな電気ストーブを備えてあるため、取り立てて寒いというわけでもない。
今日は、澪の義兄でありサキュバスの魔力を介して主従契約を結んだ相手、更には思い人でもある東城刃更が、外泊して留守にしている。
刃更は同居する澪達――穏健派当主ラムサスの姪にして前魔王ウィルベルトの実娘である成瀬澪、澪の義妹にして彼女の護衛役の成瀬万理亜、刃更の幼馴染にして勇者の一族の一人野中柚希、同じく勇者の一族であり柚希の実妹の野中胡桃、枢機卿「色欲」のゾルギアの元従者にして魔族のゼスト――に、今までの戦闘の疲れを癒すため、一人で温泉旅行へ行くと言った。
少し前まで、刃更たちは自分たちの日常生活を取り戻すために魔界で魔族たちと戦い続けていた。結果的にその戦いは、あらゆる小さいとは言い切れない問題を残しながらも、ひとまず解決を見せた。
その結末は、ここにいる少女誰一人欠けても迎えられなかった。そしてなにより、刃更が尽力してくれたおかげだ。そのことを、少女たちが一番知っている。
だから、彼が休息をとりたいというのなら、止めることは誰にもできないのだった。
正直、澪は彼に付いて行きたかった。他の皆もそうに違いない。
しかし、それは敢えて誰も言わなかった。刃更が何かを隠しているようなのは感じたが、澪達は彼を信じている。彼のおかげで今の澪があるといっても過言ではないので、彼が湯治をしたいというならそれに素直に従うだけなのだ。
「うあっ、うふぅ……んん」
所詮は一泊二日。されども、澪はここ半年間、毎日のように刃更と身体を交わらせてきた。
といってもその行為は決して一線を越えるものではない。それは、サキュバスの魔力による主従契約に基づく、お互いの能力向上が目的だった。澪は、刃更との行為で性的な興奮を感じれば感じるほど、彼に屈服すればするほど、自身の魔力を向上させることが可能なのだ。つまり、この半年間重ねてきた淫らなあれこれは全て、過酷な運命に負けないため強くなる行為なのだ。
澪は未だに処女である。しかし、その過程で、澪の躰は刃更によって調教され開発されてしまっていた。
一日。
たった一日刃更がいないだけ。それだけで、彼女の躰には異変が起きてしまう。彼を思うだけで、寂しさから澪の躰は疼き、一人で部屋にいる時は常に自慰行為に浸るようになってしまった。夜になるとその思いも一層増し、一向に眠れないでいた。
「ふう……ああっ、うあっ」
左手で掛布団を握りしめ、右手をショーツの中へと入れている。ショーツは彼女の蜜液でぐっしょり濡れ、手に布地が張り付いてしまっているが、澪は構わず秘所を愛撫し続ける。
「んあぁっ、はっ……ん、あん♥」
淫裂を指で割り割き、さらにその奥へと二本の指を突き入れる。最も快感が呼び起こされる場所を探し求め、ぐりぐりとかき回す。
クチュ……クチュッ、ジュプ……
一日、いや、もう一日を待たずして刃更は帰ってくる。その短い間を待つだけでいいのだ。しかし、彼女の躰はそれすらも我慢できないほどに開発されてしまっている。
――私ってこんなにいやらしいんだ……。
否定したくてもそれは事実であり、今もそのせいで彼女は眠れていない。
「いあ……はんっ」
いつの間にか左手は自分の胸へと移動し揉みしだきだした。
ここまでくるともう止められない。澪の性感帯は胸なのだ。刃更に揉まれ続け、ただでさえ人よりかなり大きいサイズを誇る澪の胸は、夏に比べると確実に成長している。
先週万理亜に促されスリーサイズを含め身体測定を行ったら、また大きくなっていることが判明した。因みに現在の澪の身体数値は、身長156 cm、体重49.7 kg、バスト95(Hカップ)、ウエスト56、ヒップ85と、かなり好成績だ。
……ぴくん
「あっ……」
これから頂点へ登ろうという時、彼女の下腹部に快感とは別の感覚が生まれた――尿意だ。
流石に尿意を催したまま自慰を続けるのは気が引けた。このまま絶頂を迎えた場合、ベッドの上で失禁してしまうのは目に見えている。絶頂による潮と尿の違いは成分の違いだと聞いた事があるが、迷信だとも耳にした。どちらにせよ、気持ち的に尿と自分で分かっているとベッドを汚すのに潮以上の抵抗があるのは確かだ。
まだ一度も達してはいなかったが、やむを得ず澪はトイレに立った。
足が少しふらついたが何とかトイレにたどり着き、便座に座る。ふうと一息つき下半身の力を抜き尿意を解放する。
テテ、テテテテ……ジョボボ、ジョオォ。
尿が次第に勢いを増し、自分でも聞いていて恥ずかしくなる音を立てる。溜まっていたのか随分と長い。この場に一人しかいないと分かっても妙に顔に血が上った。さっきの不完全燃焼な自慰の余韻が残っているせいかもしれない。
長い放尿を終えてトイレットペーパーで拭き取る。
「………ん」
紙が秘部に擦れるだけで感じて声が出てしまった。流石にそんな自分が嫌になったが、この躰も刃更に調教された結果だと考えると、案外いいかもしれないと考える自分がいた。
――もう少し羞恥心を持つべき……よね。
水を流しトイレから出ると、廊下の寒さに自分が想像以上に汗をかいていたことを気付かされた。
「シャワー浴びよ」
汗で張り付いたパジャマと下着を脱衣所の洗濯機に放り込んで回し、風呂場へと入った。先日この家の地下部をリフォームしたことでかなり広大なバスルームができたのだが、一人で入るのにわざわざそこを使う必要はない。
扉を閉め何気なくシャワーの蛇口を開ける。頭から温水を浴びるつもりで目を瞑り、水が流れ出るのを待った。
―――しかし、水は流れてこなかった。
「あれ……?」
どういう訳か、いくら蛇口を捻ってもお湯どころか冷水も出てこない。まさか水が止められたということはないだろう。
その時、あることに澪は気付いた。今まで気付かなかったことが信じられないほど、それは異常なことだった。バスルームに魔力が充満しているのだ。
「これは……人除けの結界!」
――どうして?
結界はこの風呂場にだけ張られているらしい。局所的な結界を張ることは難しくないとはいえ、柚希や万理亜、ましてこの家には優秀な魔術者であるゼストがいるのだ。こんなことが誰にも気づかれずに出来るはずがない。
「一体どうして……」
「この程度私にとっては造作もないことよ、成瀬澪」
「!」
突如、澪は両腕を強く掴まれ、背中に押さえ込まれた。首にも何者かの腕が回され、完全にはがいじめにされた。
「……ぐっ」
「こんな簡単に後ろを取れるなんてね。まあ所詮は表面だけしか男を知らない、戦いになれてない小娘か」
後ろから躰を押さえられた澪からでは直に相手は見られなかったが、目の前の鏡にはその姿が映った。鏡には、真っ赤な長い髪の、艶めかしく汗ばんだ澪の躰が映っていた。そしてその後ろに、一人の女が立っていた。
法衣に身を包んではいるが、その肌は魔族特有の褐色。尖った耳を持ち、深紫色の長い髪を揺らす彼女は、獲物を捕らえた蛇のような顔で鏡の澪を見ていた。
完全に生殺与奪の権利を握られた状態にある澪は、努めて冷静であろうとした。
ここで変に取り乱してはいけない。何とかしてこの女を倒すか、万理亜達にこの事を知らせなければならない。しかしこの場合、前者は非常に難しい。澪の全力の魔力を叩き込めば間違いなく勝利することが出来るだろうが、それをするには二つ問題がある。
一つはこのピンチの状況下、相手のスキを作らなければならないという事。二つ目は、狭い浴室で魔法を使った場合、澪自身も無事では済まない可能性があるということだ。
「色々考えているようだね、成瀬澪。まあ、自己紹介くらいはしとかないとね。これからあんたの人生は、このあたしによってぶち壊されるんだから」
「誰があんたなんかの好きになるもんですか」
澪は女を睨むが、彼女は全く意に介さない。
「あたしはクローディア。ゾルギア様の臣下だったものさ」
「っ………ゾルギア……ですって?」
ゾルギアとは、澪の義父母を殺した張本人だ。今は崩壊したものの、かつての枢機卿の一つ「色欲」を司った男だった。かつてはゼストもその右腕として仕えていたが、勿論彼に他にも臣下がいてもおかしくない。
「あんたなんかがゾルギア様をそそのかした所為で、あのお方は死んだんだ。あんたにはその報いを受けてもらう」
「報い……? ゾルギアは自業自得じゃない。あんな下劣な男―――」
その瞬間、万理亜の母シェーラに聞かされた彼の過去がよぎった。大切な女性を失ったこと。それを生き返らせられない現実に打ちひしがれ、ゾルギアが欲に塗れたこと。
しかし、それは澪自身には関係ないことだ。彼女の親や刃更達を非道な手を使って傷つけたことは、紛れもない事実なのだから。
「私達の日常を壊そうとしたんだから、当然よ」
「……日常、日常ね。あんたのような常軌を逸した存在に、日常なんてあるのかしらね」
「何が言いたいの?」
「言葉通りの意味よ。大きすぎる力を持っちまった小娘が、普通の人間の中で暮らせるはずないっていうことよ。まあ、そういう意味じゃ、あたしはあんたを助けようとしてるのかもね」
「?」
「まあ、人としてはともかく、女としては終わるけどね」
「説明する気が無いなら後から力づくで話させるけど、所詮はあんた、ゾルギアの一番に成れなかったってことでしょ? 臣下とか言いながら、私が捕まったあの城にあんたはいなかったんだから」
あの時ゾルギアの一番近くにいたのはゼストだった。
後から聞いた話によれば、あの色情狂だったゾルギアでさえ、彼女には指一本触れなかった。彼女の持つ魔力の特性を考えれば別におかしくはないが、それだけが理由じゃないことは明白だった。少なくとも、ゾルギアの一番側に置かれたのは、クローディアではなくゼストだったことは確かだ。
澪の言葉に、クローディアはあからさまに不快感を表情に出した。触れてほしくない所だったのだろう。
「――――黙れ」
静かにそう言うと、クローディアは澪の髪を強引に掴み、いつのまにか張られていた浴槽のお湯へと押し込んだ。
「がぼっ、はぁ、ごぼっ」
突然のことで、大量のお湯が口から肺へと流れ込んだ。反射で水を吐き出そうと大きくむせるが、逆にそれにより肺の空気が押し出され、更にお湯が侵入してきた。
「い、やめ……が、ごぼ、がっ……」
「どうやらあんた、このあたしをなめているようだね。こっちはいつでもあんたを殺せるんだ」
がばっと澪の頭を引き上げると、澪は大きく息を吸い空気を求めた。しかし、肺に入った水の所為でそれすらもままならず、ただむせ返るだけだった。
「呼吸しやすいようにしてやるよ」
クローディアの拳が澪のみぞおちに突き入れられた。
「ぐぁっ……おえっ……げはっ、うぅ」
胃と横隔膜、その上の肺が圧迫され、体内に残った水を吐き出すのと同時に、胃の内容物も浴室の床へ勢いよくぶちまけた。胃酸特有のすっぱい刺激臭が部屋に充満する。
「うわ~臭~い。それでもレディーなの? 醜いわね」
「か、はあっ、ごほ、うぇ……はっ、はっ」
クローディアの手からは離れたが、両腕は魔法で拘束されたらしく自由は利かなかった。澪はそのまま膝を突き、湯船の縁にもたれ掛った。
「あんた……はっ、ゆるさ、がはっ、はあっ、おえ……」
「これでも、儀式の前準備は完了した」
「?」
クローディアは澪に目線を合わせるように屈みこみ、澪の首を掴んだ。魔力により何倍も筋力が増幅されているようで、全く身動きがとれない。少しでも力を入れると、澪の細い首なんてへし折られてしまうだろう。
「いくらか吐いちまったが問題はない。要はあたしの魔力が宿ったものを、体内に一度でも通すことが必要なんだ」
「な、なにを……」
「浴槽の水が、儀式に使われる媒体だったのさ」
澪が何かを言う前に、部屋中に魔法陣が発生した。その瞬間、澪の首に刃更との主従契約印が浮き上がった。しかし、その契約印は次第に形を変え、全く別の印になり、すうと消えた。
「主従契約ってのは他人が解除できるものじゃないが、別の魔法で上書きすることは出来るんだ。今、あの男との主従契約魔法の上から、新たにあたしの呪いをかけた」
「! なんてことを……」
主従契約魔法。サキュバスである成瀬万理亜によって刃更と澪の間に掛けられた魔法だ。
刃更を主人とし、お互いの居場所を感知したり絆を深めることで能力を強くすることが可能だが、従者である澪が刃更にとっての裏切り行為をしたときに催淫の呪いがかかり彼女の躰を蝕む。
その呪いの発動を抑えるには主人である刃更に心から屈服する必要がある。澪や野中柚希、そしてゼストは、これにより己を強くしてきた。
それが全く別のものに上書きされた。
そのことは、澪にとっては心中穏やかではいられるものではなかった。この契約が刃更との絆の全てだと言うつもりはないが、きっかけであり始まり、そして、確かな刃更との繋がりでもあった。
「よくも! あんた百回殺してやる!」
頭に血が上った澪は、この狭い浴室の中であるにも関わらず、ウィルベルトより受け継がれた強力な重力魔法を解き放とうとした。
しかし、結果から言うとそれは出来なかった。魔法を使おうとしたその時、躰が激しく揺れた。
「は、はうっ、え、う……そ、あぁっ!」
それは、まるで主従契約の裏切り行為をしたときに現れる、催淫の呪いそのものだった。
下腹部が猛烈に甘ったるく疼き、妙に躰中が熱を帯びる。澪の頬は紅潮し呼吸は乱れ、いやらしく何かを欲するかのように腰をくねらせた。
「心配しないで。上書きといっても前の主従契約魔法が破棄された訳じゃないわ。あたしがその呪いを解けば元の契約の効果は復活する。でも、その催淫は以前の契約のものじゃなく、あたしが掛けたものの効果」
「これが……呪い」
澪はもうすでに足腰が立たないくらいに躰が疼いてしまっている。気が付いたら澪は、無意識的に自分の秘部を両手で弄っていた。割れ目からは滴るほど愛液が溢れている。それを潤滑油にして指を激しく動かすと、くちゅくちゅと湿った音が響き、ねばねばとした液体が泡立った。
「はあ、んあ、ふう、いぁ……は、うふん」
グチュグチュッ、ジュププ……グチュゥ
澪の自慰行為は止まるどことか激しさを増した。目の前にクローディアがいると言うにも関わらず。
クローディアが楽しそうに口角を上げた。
「催淫の呪いの発動条件は魔法を使おうとすること。まぁ他にも常時発動の別の効果もあるが、それは今は知らなくてもいい。ともかく、催淫を解く方法はたった一つ。何、別にあたしに屈服する必要はないさ。別に主従契約魔法をかけた訳でも何でも無いんだからね。必要なのは、男の精液」
「っ……なんですって?」
「精液を体内に入れる。それが催淫を解くただ一つの方法さ。ただし、ただ体内に入れるだけじゃあだめ♥」
クローディアは澪の下腹部をトントンとつついた。
「男の精液を、子宮に入れることが絶対条件なのさ」
「し……子宮……って」
「ああ、処女のあんたでもその意味が分かるだろう? つまり、男とセックスして膣内出ししてもらえってことね。まあ妊娠してしまうかもしれないが、そのまま悶え死ぬよりはましだろう?」
澪は耳を疑った。
――そんな……。
催淫を解くには男の精液を子宮に取り込まなければならない。
それが本当だとしても、恐らくクローディアを殺せば呪いは解けるだろう。しかし、今の澪には魔法は使えない。魔法を使えばさらに催淫は強まるだろうし、そもそも催淫がかかった状態で集中力を要する魔法が扱えるかどうかは怪しい。まして、ここはクローディアの結界内なのだ。それがいかに実現不可能な方法かは目に見えている。
「さあ、これで最後よ」
再び浴室に魔法陣が生まれた。それは、さっきのものと違う色をしていた。
「これ……以上……はぁっ、な……何を」
「もう一度会えるかどうかは、あんた次第だ。まあ、その頃まで、あんたの心が生きていればな」
風呂場中を眩い光が満たした。澪は、催淫の強さに意識を手放した。