序幕 罪悪感
長谷川千里は私立聖ヶ坂学園の養護教諭である。
学園中の生徒や教師達からも信頼が厚く、色んな相談を持ち込まれることも多々ある。『才色兼備』や『容姿端麗』のような誰もが聞きなじみのある言葉では到底筆舌に尽くしがたいほど、彼女は女性として誰もの目を引くほど美しく、また知的であった。
そんな彼女の教師としての姿はあくまで、人間の中で暮らすための仮の姿である。彼女はもともと、フィクションの中でよく語られるような、勇者、魔族に並べられるような超常的な存在である。
その名前は『神族』。
しかも、その中でも『十神』と呼ばれる実力者の中の一柱であった彼女は、とある理由で人間界で生活をしている。その理由の詳細を語るときに明らかにしておくべき事実は、刃更との関係に関してである。
千里には姉のように慕っていた従姉がいた。その名前をラファエリーネというが、彼女は東城刃更の『母親の一人』である。その辺りの事情を説明すると本筋からいささか外れてしまうため今は割愛するが、つまり千里にとって刃更は、自分にとって大切な存在が様々な思いを残し産み落とした、かけがえのない男なのである。
しかし、刃更と言う存在は、とある事情で神界のみならず魔界からすらも隠す必要があった。だから千里は、誰の目も届かない人間界へと神界で産まれた刃更を連れて行き、そして一時期幼い彼の面倒を見たのだ。
だから、千里は刃更を幼少期から知っていて、ずっと見守っていたのだ。そのうちに、心に抱える思いが、赤子に向ける保護欲から男性に向ける愛情へと変化していった。
それでも千里はずっと刃更を影ながら支え続けていた。
以前まで、刃更と千里の関係は、少しスキンシップの過剰な生徒と教師にとどまっていた。しかし、それが大きく変化したのが、ちょうど成瀬澪が失踪する直前のことだった。
刃更は澪たちに一人で湯治として旅行に行くと言っていたが、実際は千里との二人旅行だった。その先で、刃更は千里から全ての事実を明らかにされた。そして、完全にその関係は男女のそれとなり、主従のそれとなった。ちなみに注釈を付けるなら、男女の関係と言っても、結局千里の処女は守られたままである。
刃更は特殊な結界の中で約一年間掛けて神族である千里を屈服させ、そして契約の儀を果たした。そのちょうど直後だった。刃更の耳に澪が失踪したという話が届くのは。
刃更を湯治に誘ったのは千里だった。
しかし、その結果として刃更は澪たちから離れることとなり、クローディアという性悪女が近づく隙を作ってしまったのだ。
そして最終的には、澪たちはクローディアを初めとした多くの男達の魔手に絡め取られてしまった。誰もが刃更に捧げるはずの処女を奪われ、妊娠させられ、ついには彼女たちの心までも刃更から離れていった。
――全ては……私の所為だ……。
千里は一連の悲劇を、全て自分が原因だと考えていた。もちろん、暗躍したクローディアたちがもっとも『悪』なのではあるのだが、その『悪』が近づくきっかけを作ったのは自分であると考えたのだ。
クローディアによって復活を果たしたゾルギアから、なんとか刃更が殺されることは防ぐことはできたものの、全ては手遅れだった。
――本当にすまない、東城。
それは、彼に対する罪悪感。
千里は神族として刃更に自分の力を使わせる契約の儀の他に、主従契約もしていた。サキュバスであるマリアの魔力の波動を分析し、同じ効果をもたらす契約として自分にかけたのだ。
それは澪たちへの対抗心からだった。しかし、それは主である刃更に対して裏切り行為をすれば呪いが発動する。それは、彼に対する罪悪感でも同じだ。
それはつまり――――
***
~10月27日~
目の前のベッドで、刃更が目を覚ました。
ここは千里の住む高層マンションの一室だ。
「先生…………?」
「はっ…………良かった……東城、目を覚ましたんだな」
「…………ゾルギア!」
刃更は咄嗟に起き上がろうとした。しかし、千里はそれを彼に抱きつくことで制止した。
「止めてくれ、東城。お前は大けがを負っているんだ。今は安静にしておくんだ」
「ダメだ……澪たちを助けないと……くぅ……」
槍で貫かれた傷が痛むのだろう。刃更は顔をしかめた。
「成瀬達は……もう手遅れだ」
「っ……そんなこと……だって、澪たちは……」
刃更は唇から血が出るほど噛んでいた。どうしても認めることが出来ないのだろう。
「ゾルギアは虚数次元へと隠れてしまっている。こちらからではどうやっても彼の場所へ行くことは出来ない……」
「それじゃ……他の手で……主従契約の場所探知なら……」
「それが無理なのはお前が一番分かっているだろう。どちらにせよ、澪たちとお前のとの間に結ばれた主従契約は何らかの方法で無効化されている」
刃更はうなだれた。
千里は辛かった。彼に告げる真実の一つ一つが、彼を苦しめる刃にしかならないのだから。
――でも……私には……。
「…………先生、契約の呪いが……」
「っ……これは」
千里はずっと、主従契約魔法による催淫の呪いに犯されていた。それは、自分の行動が刃更を苦しめる結果になったのだという罪悪感からだった。
「わた、しは…………」
幸い、催淫の度合いはまだ軽かった。何とか普通に会話できる程度には、千里は躰の疼きに耐えられていた。
「すまない……東城。こんなときに、お前に……頼めるはずないのに……」
主従契約の催淫を解く方法は 、主人に屈服することだ。通常なら、刃更が千里の躰を慰めてやり、それにやり彼女の心が彼に屈することが必要だ。
しかし、澪たちがあんなことになっている現状、千里は刃更にそのことを頼むことが明らかに場違いであると躊躇われていた。
「謝らなくていいです、先生……これは……」
「東城……」
――成瀬たちは刃更以外を選んだ。それなら、もう彼女たちに後ろめたさを感じる必然はない。
そう考え、千里は彼に本音をぶつける。とても非情な言葉と知りながらも、それを抑えることが出来なかった。
「お前には、私がいる……私だけがいる……。成瀬たちとは違う。どんなことがあっても、お前のそばを離れたりしないから……今は私だけを見てくれ」
その言葉は、刃更の心をなんとしても澪から離すための言葉だった。彼の澪たちへの執着を消し去らなければ、彼の心はどんどん闇へと堕ちて行ってしまうと考えたからだ。言葉だけを聞けば、まるで女に振られた男に取り入る女のようであるが、彼を傷つけない精一杯の言葉だった。
「先生……」
刃更は今にも壊れてしまいそうなほど弱々しい表情をした。肩は震えてもいた。
――東城、私が……。
そんな刃更をなんとしても救ってやりたかった。それが本当に自分に出来るかどうか分からなかった。でも、今それが出来るのは自分しかいないと思えた。
だから、千里は刃更にキスをした。
唇の間に舌を割り入れ、自ら唾液の交換を求めた。
――――――――それが、引き金になってしまった。
突然刃更が白目を剥いて痙攣し始めた。
「っ…………東城⁉」
躰が光り始め、それらが集合した光の塊が彼の胸から生まれ出た。
一体何が起こっているのか分からない。ただ、嫌なことが起ころうとしていることだけが分かった。
「待て!」
千里は咄嗟にその光に手を伸ばした。しかし、時はすでに遅かった。
光は数え言えないほど小さな断片になり、まるでそれは霧のように四方八方へと爆散した。
刃更は目を開けたままベッドに倒れ込んだ。その目には生気がなく、何も映していなかった。
「東城! どうした東城!」
しかし、一切の反応を彼は示さない。
――一体どうしたというのだ……これは。
「あ~あ、やっちゃった」
「っ…………」
寝室の扉の前に、小さな少年が立っていた。もちろん、その少年の名前を千里は知っている。
「クリント……」
――おかしい……この空間には特殊な結界を張っていたはず……なのに……。
その結界は単純に、外敵を排除するタイプの結界だ。クリントはそれを突破したというのだろうか。しかし、千里は全くそのことに気づかなかった。彼女は神族としてもかなりの実力者だ。その彼女にどうして気づくことが出来なかったのか、彼女自身にも分からなかった。
即座に千里は目の前の敵を殺そうと動いた。
「待って待って、一体東城刃更に何が起こったのか知りたくないの? 千里お姉ちゃん。それは、正しい対処をしないと一生元に戻らないタイプの呪いなんだよ」
「っ…………この私に、本当に解呪出来ないと思っているのか?」
千里の力は桁違いのものだ。刃更にかけられた主従契約魔法の魔力を解析し、同様のものを簡単に再現してみせるくらいに。
「出来ないよ。確かに千里お姉ちゃんはすごく強いけど、この呪いは澪お姉ちゃん達にかかけられたような、主従契約の上書きなんかとは訳が違う。どんなに魔力の性質を解析できようと、千里お姉ちゃんがどれだけ桁違いの力技に出ようと、この呪いは解けない。そんな生やさしい呪いを、クローディアお姉ちゃんは仕掛けないよ」
「…………」
――クリントの姉……クローディア。
つまり、現在刃更にかけられた何らかの呪いは、クローディアによるものだと言うことだ。澪たちを貶め、ゾルギア復活をまんまと成功させた女だ。
――それにしても……この状況で催淫とは……。
相変わらず、千里の下腹部には主従契約魔法の催淫の疼きがのさばっている。程度としてはまだ弱いが、それでも敵を前にこの状況は少し厄介だった。
「ふふふ」
「何がおかしい。悪いが私は教師だ。子供といえど、甘くは指導してやれんぞ」
「指導? いいね、エロい養護教諭にあんなことやこんなことを指導してもらいたいよ。まぁ、それは後々、だね。それより、千里お姉ちゃんに良いことを教えてあげようと思ってね」
子供が手遊びをするように、クリントは人さし指を空で泳がせた。
「今、東城刃更の『心』は肉体と切り離されているんだ」
「心……」
まぶたを開けたまま光を映さない瞳の彼の見ると、確かにその事実はしっくりくるものだった。
「さっき、光になって霧散したのが東城刃更の『心』。霧散って言うのは、言葉の綾でも何でもない。本当に、彼の『心』は細かくバラバラに、それこそ霧のような小さな水みたく極小の欠片となり、あちこちにばらまかれたんだ」
「っ…………」
「彼を元に戻すには、単純に一つ一つ『心』を集めなければならない。だけど、それにも特殊な方法が必要だ。そして、こんな呪いが発動したのは、実は千里お姉ちゃんの所為なんだよ」
「どういうことだ……何が言いたい!」
クリントは空で泳がせていた人さし指を、自分の唇に触れさせた。彼が何者か知らない人間がその仕草を見たら、ただの無邪気な子供にしか見えないだろう。
「引き金は、キスだったんだ」
「――――――!」
「千里お姉ちゃんが東城刃更にキスをしたその瞬間、クローディアお姉ちゃんは呪いが発動するようにした。だから、現在彼がこうなっているのは、千里お姉ちゃん、君がきっかけだ」
「そん、な…………」
ドクン
最悪の事態が起きた。
自分の行動がきっかけで、主である刃更を苦しめている。
その事実は、主従契約魔法の催淫の呪いを最大限に発動させるには十分すぎるほどのものだった。
「はあぁぁん♥」
全身を駆け巡る甘いしびれが、千里の正常な感覚を陵辱した。それは、本格的に強力な催淫だった。さしもの千里でも、これほどの催淫は味わったことが無かった。
「くそ……はぐっ♥」
千里の右手は自然と自分の陰部へと伸びていく。
現在の千里はシックな紺色のワンピースを着ていた。そのスカートをたくし上げ、中に履かれているショーツの中に手を突き入れた。すでにぐしょぐしょに濡れている陰部に、二本の指を入れてかき混ぜていく。
チュプッ…………じゅぷぷぅ……
愛液が泡立ち、淫裂から指の間へと溢れていく。ショーツの隙間から泡だった愛液が滴り、床を塗らした。
――ダメだ……あまり激しくしたら……。
そんな思考も意味がなさないほど、自分の欲望のままに指が動き、陰部を弄り続ける。
「こんな……疼きっ……!」
しかし、千里は必至に自制心を働かせ、何とかショーツから手を引き抜いた。すでに汗だくで、立っていることもやっとだ。
――まずいことになった……。
もともと自分自身でかけた魔法だが、すでに主従契約のレベルはかなり高いところまで引き上げられている。かけて間もない段階だったならば契約を解くことも可能であったが、ここまで深く結ばれてしまった契約は千里の一存では決して解けない。
つまり、この催淫は千里にはどうしようもないのだ。それこそ、刃更に屈服させられる以外に術は無い。しかし、肝心の刃更にそれを求めることは不可能だった。
「このままじゃぁ千里お姉ちゃん、催淫で悶え死んじゃうよ?」
「っ…………こんな……程度の……はぁぅん♥」
精一杯強がって見せるが、湧き上がる甘いしびれにどうしても抗うことが出来ない。どんどん思考が麻痺し、呼吸が浅くなる。このままでは本当に命に危険が及ぶだろう。
「そこでなんだけど、僕と面白い取引をしないかい?」
ここでクリントの人柄や発言の傾向を知っている者ならば、またこの少年は変わらないことをしているとあきれ顔をする事だろう。しかし、肝心の千里はクリントとの内面を全く知らない。つまり、彼の手の内を知らないのだ。
「っ…………戯れ言を……」
「僕なら千里お姉ちゃんを催淫をきれいに消し去ってあげられるよ。その上、東城刃更の『心』をどうやったら元に戻すことが出来るのかも教えてあげる。本当はクローディアお姉ちゃんに怒られちゃうけど、このままだとあまりにも不平等だからね」
クリントは至極楽しそうに笑った。子供のような無邪気で、邪悪な顔だった。
「その代わり、僕の言うことに従って欲しいんだ。具体的には、千里お姉ちゃんにいやらしいことをたくさんしたいんだ♪」
「っ…………それを、この私が呑むと思っているのか?」
「呑むよ、絶対に。例えば、ここで千里お姉ちゃんが僕を力尽くで脅して東城刃更を助ける術を聞き出そうとする。でも、僕は人形遣いなんだ。ここにいる僕は本物であるとは限らない。つまり、ここで強行に出るには君にとってリスクが高すぎるんだ。だってそうでしょう? ここでもし君が僕に牙を向けたなら、もう二度と僕は君の前に現れない。そうなれば、もう一生東城刃更を助けることは出来ない。そして、君の命も時間の問題だ。僕が東城刃更を傷つけることはないけど、クローディアお姉ちゃんなら分からない。
さて問題です。乗れば自分の尊厳を失う代わりに愛しの東城刃更と自身の命も助けられる。反れば自分の尊厳は失わないけど、大切なものの全てを失う。ここで千里お姉ちゃんは、どちらの選択肢をとるべきでしょう?」
「そんなの……」
必至に頭を回転させる千里。しかし、催淫に犯されている現在、冷静な思考が出来るはずもない。それでも、簡単に自分の貞操を捧げるような選択肢をとれるはずが無い。どんなに切羽詰まっていても、千里は刃更以外に体を許したくは無い。
――だけど……東城を助けるには……。
「迷っているね。それじゃ朗報を教えてあげよう。僕が千里お姉ちゃんの貞操を奪う際は、ちょっと特別な空間で行ってあげる」
「っ……」
クリントは千里に耳打ちをした。そこで囁かれた言葉に――――
「…………………………分かった」
千里は頷くしか無かった。
――私は東城のためなら何だってしてやる。すぐにこいつから東城を助ける方法を聞き出して、そして、全員を皆殺しにしてやる。隙を見付けたら、すぐにでも強攻策に打って出ればいい。
「大丈夫。私なら、成瀬達のようにはならない。私の心も体も、全ては東城の所有物なのだから」
自分なら大丈夫。
そう千里は信じて疑わなかった。自分は刃更が小さいときから側について見守っていたのだから、彼を裏切るはずが無い。
自分さえ耐えれば全てが片づく。
しかしそんな思考は、すでに快楽に陥落した少女達と同じものだった。
本番は壱幕へ。