聖夜の死神と聖夜の奇跡 前編
聖夜の死神と聖夜の奇跡 前編
2000年12月25日
赤と白の靴、赤と白の衣服、緑と白と、光で彩られた露店。街はクリスマス一色に染まっていた。
通りを行き交う恋人たち、親子で揃って出掛けている人、みんな幸せそうに笑っている。
でも、そんなただ中にあって、ただ一人俺の心は、後悔と悲しみに満ちていた。
為せば成るを成し遂げ、でも為さねば成らなかった事に気付かず、機を逸し。
全てを掛けなければ成らなかった事を成し遂げず、この一年を過ごし来た俺。
一体何をしてきたのだろう。俺の夢は大切だ。だが、“彼女の”代わりになる者なんて、代えられる物なんて。この世には無い。
そう、彼女の代わりなんて、この世には無いんだ。喪ってから始めて気が付いた。遅きに失したそれを今。
一年という時を経ても尚、俺はこの胸と記憶に、後悔として焼き付けていた。
◇
行く当てもなく街を彷徨っている内に、ふと気がつくと教会の前に立っていた。
来るつもりも無かった場所。
来ても意味の無い場所。
もし、有るのなら。有ったのならば。
彼女とこそ来たかった場所に。
俺は唯一人、足を止めて佇んでいた。
ひょっとしたら無意識の内に此所へと足を向けていたのかも知れない。
聖夜のあの日。あの一年前の聖夜の日。正しく奇跡として出逢えたのだろう彼女の存在を想い、求めて。
「クリスマス……か」
クリスマス、聖なる夜には奇跡が起こるなんて昔話がよくある。
奇跡…… それは、それは実現不可能なあり得ないことが起こることを、一纏めにして表す現象。
起こりえない事、在ってはならない、起こらざる現象。この世の理を曲げてしまう、別種の理。
在ってはならない事なのだろう。
願っても意味の無い事なのだろう。
しかし、いま、俺は、願わずには居られなかった。
それを、それだけを願わずには居られなかったんだ。
偶然にして必然、この教会の前に立っていたのだから。神に祈らずに居られなかった。
「もし……、もし奇跡なんてものが本当にあるなら……、俺を……あのときに……あの瞬間に…っ!」
神様なんて、奇跡なんて、信じていない俺だけど。もしも、もしも本当に。そんなものが存在するのなら。
あいつが、彼女が消えてしまう原因になった、あの瞬間に戻りたい。
そしてあいつと……、あの、名前も知らないあの子と……。
君と――。
「ははっ……、ははははっ……」
乾いた嗤いが漏れる。
誰がソレを願うのか。他ならぬこの俺がソレを願うか?
「何が、何が君とだよ……君を、君を死へと、消滅へと追い遣ったこの俺が……」
柄にもなくそんな事を願っていた。
他ならぬ俺自身が、彼女を死へと、消滅する運命へと追い遣ったというのに。
何という恥知らず。何という傲慢さ。俺が、おまえが彼女を死なせてしまったんだ。それなのに、彼女を想うだなんて。
ああ、だがなんて、なんてバカバカしい、俺はもう23だぞ。
そんな、子供が夢見るような事を考えたりしても、あの子が帰ってくるなんて事。あの子とまた逢えるなんて事、有るはずが無いんだ……!
そもそもあの子を失った原因は、イライラする感情に任せて、あの子の忠告を聞かなかった、この俺に有るじゃないかっ!
それなのに、今この時を以ても、一年という時を経ても尚、自分に都合の良いように考えてる自分が、俺は何よりも許せなかった……。
それでも――それでも俺は、願わずにはいられない。祈らずにはいられない。
あの日あのとき、曇りのない綺麗な笑顔を浮かべて静かに消えていった、あの聖夜の死神に逢いたいと……。
不平も不満も無く、ただ俺を想って消えていった、彼女を、彼女だけを想い、逢いたいと。
神様よ。
なあ、神様よ。
本当に居るのなら、この聖夜に願いを叶えてください。
ずっと欲しかったジャズ・ピアニストに成れなくて良い。
その為に必要なピアノも要らない。
俺の望む、去年の聖夜のあの日にまで望み来た一切の全てを捨てても構わない。
“そんな物たち全てと引き換えに出来るなら”
もう一度、今一度、彼女と。
あの死神と出逢い、あの日からの全てをやり直せれば。
不可能な事。
時も法則も何もかもをねじ曲げてしまう事を、俺は聖夜の神様とやらに祈った。
教会の前で。
跪き。
ただ一心に。
「神様……、俺は、もう一度彼女に……、あの、名前も知らない死神の女性に、逢いたいよ……!」
不可能だ、神なんて居ないんだと思いながらも、願わずには居られなかった。
通りを歩く人達の、不審な者を見る視線を感じる。
何をやっているのか、頭がおかしいのか、警察を呼ぶか。そんな声が聞こえる。
それはそうだろう。道端のど真ん中で跪き、教会の神に向けて希う。端から見れば不審者だ。
だがそれでも、願わずに居られようか。この一年の後悔。
1999年12月24日のクリスマス・イブ。JAZZコンテストの会場へと至り、そして……。
その道程へと至る前。全てを手に入れる道へと至る前へと戻り、そして彼女と出逢えるのなら。
俺はこの一年の成功の全てを捨てて良いと、引き換えとして良い、命すら。
そう願い……。
そして――。
◇◆◇
どこまで、いつまで、願っていたのだろう。周りのざわめきも、不審人物を見る目も、いつしか消えていた。
一瞬、目眩がして、目の前が真っ暗になったかと思うと、さっきまで見上げていた教会が忽然と消え、横断歩道のど真ん中に立っていたのは。
それは、それは、どのタイミングだったのだろうか。
――そこに立ち止まっちゃだめだ!!
同時に、その不可思議な現象と共に、もう二度と聴く事は叶わなかった筈の―――あの子の、あいつの、彼女の声が聞こえたのは。
それは、神様からの慈悲なのか、それとも罰なのか。
彼女の声が聞こえるのと同時に、俺の目の前には車が迫っていた。
これは―――これはあのときだ……。あの日の、あのときだ。
はっきりと思い出せる。忘れられようか。彼女との永遠の別れとなってしまったその瞬間を。
どうして此所に居るのか?
どうして彼女の声が聞こえるのか?
聞きたい事、問いたい事、でも分からないだろう答えと疑問。
その全てが“どうでも良かった”
瞬時に浮かんだその疑問は、百分の一秒にも満たない一瞬だった。
そんなことを考えている場合じゃない。
今が、この瞬間が、本当にあの時だと言うのなら。
紛う事なきあの一瞬だというのなら。
これが、これが聖夜の奇跡の答えだと言うのなら。
もし、こんな、こんな自分勝手な俺なんかの願い事を、神様が聞き届け、叶えてくれたというのならば。
俺が為すべきはたった一つの事しか無いのだから。
プアアアアア――!!
けたたましいクラクションの音。
眼前に映るは大きな車の姿。
目の前に迫る車を前にして俺は焦っていた。
焦っている、確かに焦りだけがあった。だけど、それは、自分が車に跳ねられる事なんかじゃない。
事、自分の事に対してだけ言えば、今の俺は異常なくらいに冷静だった。
そう、俺は車がぶつかる事なんて怖くもない。
“そんなどうでも良い事に恐怖するのはこの一年で消えていた”
俺が怖いのは……、ただ一つ。
“彼女をまた失ってしまうことだ!”
“プァァァァァァ!!”
車のクラクションが鳴り続けているが、その音さえ俺には聞こえなかった。
いや、今の俺には、きっと世界中のどんな音も聞こえないだろう。
JAZZのピアノの音。世界最高のJAZZピアニストの旋律でさえも。
ただ一人の声を除いて――聞こえる訳が無い。
「光一!!」
俺の耳に聞こえたのは――俺の名を叫ぶ彼女の声。
そして目に映るのは、俺を突き飛ばそうとこちらに向かって飛び込んでくる、“彼女”の姿。
もう二度と見ることは叶わない筈の、彼女の姿が、そこには有った。そこに確かに彼女は居たのだ。
この一年を希い、想い尽くしてきた彼女の姿が、そこに確かに在ったのだ。
その認識と共にする咄嗟の行動だった。
彼女の手が俺を突き飛ばしたその瞬間――。
キキイイイイイイイ!!
俺もまた……彼女の手をつかみ、自分の元へと引き寄せていたのは。
強引に、二度とは離れないように、聖夜の神様への感謝の想いと共に。
◇◆◇
「いきなり飛び出しやがって!! てめェら死にてえのかッッ!!」
車を運転していた男が“俺達”に向かって怒鳴りながら、しれっと走り去っていく。
本来なら思わず萎縮してしまいそうな程大きな声。だけど、全く気にならない。
なにせ、男は“てめェら”と言ったのだ。
俺一人にでは無い。
そう、“俺達二人が”怒鳴られたのだ。
その事が逆に嬉しくて、俺は苦笑いどころか、満面の笑みをすら浮かべて、走り去る車を見送っていた。
もし、あの車の運転手が今の俺を見ていたら、激昂するよりも気持ち悪がっているだろうな、そう思いながら。
「光一!! 光一!!」
そんな、端から見れば変に思われるだろう俺の顔をのぞき込んで、必死に俺の名前を叫んでいるのは、他ならぬ俺が求めていた“彼女”だった。
膝下まで届く青みがかった真っ直ぐな長い黒髪に、喪服のような印象を抱かせる髪と同じ色のコートを着た、俺と一緒に怒鳴られた女。
もう一度会いたい、もう一度声が聴きたい、ずっと一緒に居たい。そう願い続けた彼女は、一年前の12月24日――あのクリスマス・イブの日に消滅したときと変わらない姿で、俺の目の前に居た。
あの時との違い。それは、それは彼女の顔に擦り傷も、汚れも、埃も、冷や汗すらも浮かんでいない事。
有りの儘の、初めて出逢ったその瞬間と変わらない、可愛らしい姿であった事だ。
「こうい――キャ…ッ!」
彼女の姿を見た俺は、思わず力いっぱい、彼女の身体を抱き締めていた。
俺の名を呼ぶ途上のであったのだろう、彼女の言葉すらも遮って。
それはそうだろう。こうする以外に何をしろって言うんだ?
ずっと、ずっと想い続けていた。ずっと恋い焦がれていたこの死神の女を目の前にして……、俺は他に何をすれば良いというんだ。
何も無い。彼女を抱き締める以外に、何も無い。
そうさ、何も無いんだ。掴んだ栄光も何も、今のこの俺には何も無い。要らない。彼女以外の全てが要らない物なんだから。
「こ、こういち、……?」
不思議そうに俺を見る彼女。不思議その物な筈の彼女。
そして、不思議、奇跡その物な今の俺の、居場所。
一年前の、あの瞬間の、あの横断歩道。
誰にとも無く呟いていた。
「なあ……俺、これからクリスマスには……神様に感謝する事にするよ。必ず祈りを捧げるよ」
そんな俺に。確かにこの腕の中に存在している、あり得ざらざる事態の中にあった、彼女自身は、頬を赤く染めて俺を見遣りながら。
「神に、感謝?」
不思議そうに呟き、俺の腕の中で身をよじっていた。
「ああ、神様に感謝を。アーメン、ハレルヤ、だな」
若しくはクリスマスだけにサンタクロースにかな? それともその両方か?
彼女にもう一度逢わせてくれて、俺に彼女を助けさせてくれるという、この、このあり得ざる今の瞬間という奇跡をくれた神様とサンタクロースに。
どうか、どうか、これが夢で無いようにと願いながら。
「え…? え…?」
「初めて見たよ。おまえの、おまえのそんな動揺した顔。最高の……最高のプレゼントだ」
その後、訳が分からないという反応をする彼女を連れて、俺は一年前と同じ――いや、一年前とは違う、JAZZコンテストに参加して、準優勝を果たした。
一年前は優勝で“今日”は準優勝だったけど、そんな事はどうでもいい事だ。
彼女が俺の演奏を聴いてくれた。彼女の存在がそこに在る。
ただそれだけで、俺に取っては優勝以上の、何物にも代えがたきご褒美なのだから。
至上の喜びなのだから。こんな奇跡、こんなあり得ない奇跡をありがとう、神様、サンタさん。
◇◆◇
「死が、死が、消えている……」
彼女は部屋に帰ると開口一番そう言った。
言われて思い出した。そういえば、俺はさっきの車にひかれて、死ぬ運命だったという事実を。
一年前のあの日、今日という、今という一年前のこの時。実際は彼女が俺の身代わりとなって車にひかれ、死んだ。
彼女は消滅した、そうなる運命だったんだ。でも、そうなる事を知っていた俺が、それを回避して彼女を助けた以上、元の通りに俺が死ぬ事になる筈だったのだろう。
だけど、蓋を開いてただ思いのままに行動した結果としては、彼女は助かり、俺も生きている。
「光一っ、おまえの死ぬ運命が消えているのだ!」
絶対に有り得ない事だという彼女だったけど、俺には何となく原因が分かった。
これもまた、聖夜の奇跡なのだろうと。
時間を飛び越えたんだ。タイムリープなんて奇跡が一つ起きたんだ。彼女を助けるっていう不可能な奇跡が起きたんだ。もう一つくらい某かあっても不思議じゃ無い。
ひょっとしたら、もしかしたらだけれども、神様とサンタクロースが、それぞれに一つずつ願いを叶えてくれたのかもな。
彼女と逢いたいという願いと、彼女とずっと一緒に居たいという願いを。
「そっか」
「そ、そうかって……、おまえ何とも思わないのかっ!? 死なないのだぞっ、助かったのだぞっ!?」
「ああ、それはもちろん嬉しいけど、それ以上に嬉しい事があったからな」
「そ、それ以上とは一体何だっ!?」
捲し立てるように聞いてくる彼女だったけど、本当の事を言う必要なんてない。
俺の目の前に彼女が居る。それだけで十分だからな。
というよりも、死神である彼女でさえ有り得ないと驚く奇跡が、今日たった今、複数同時に起こってただなんて、とても信じてもらえないと思うんだ。
神様とサンタクロースさんってのは、随分と粋な計らいをしてくれるじゃないか。
だから俺は、その奇跡の結果によって生まれた嬉しい事だけを伝える。
「それは……、それはな、それは――、俺の大好きな君が、俺のそばに居てくれる事だよ」
純粋な気持ちを、それだけを口にしていた。
「なっ?!」
言葉に詰まる彼女に、俺は唯々一方的に、自分自身の気持ちだけを伝えるんだ。
「俺は君が好きだ」
「こ、光一が、私を……、す、好き……?」
戸惑う彼女に今一度。
「ああ、好きだ。出会ったときから… ずっと…」
一年前は君が告白してくれた。君の告白を受けて、自分の君への気持ちを知ったんだ。思い知らされたんだ。
だから、だから運命って奴が変わったのだろう、狂ったのだろう今ならば、俺からこの一年、君だけを想い続けたこの気持ちをぶつけるべきで。
この奇跡に感謝しながら、俺は俺の気持ちを彼女に向ける。
「君が好きだ。俺は、俺は佐野光一は死神、君の事を愛してる。出逢った瞬間から(ああ、そうさ、この一年間の間ずっとな)」
「なっ!? なっ!? こ、光一!?」
混乱を極める彼女に、こうして君と一緒に過ごせるようになったこの聖夜。去年という名の今、俺は俺から告白する。
そう決めたんだ。丁度話しの流れ的にもいいタイミングだしな。
「君は……、俺の事を、どう、思っているんだ?」
分かりきっている答え。去年のあの時に聞いた彼女からの想い。
それを俺は問い質す。去年では無い、一年後の去年たる今この時だからこそ。
改めてとなるその気持ちを、彼女の口から聞きたかった。
「こ、光一……、あ、あの……、わ、私もおまえが……その……、す、好き……だ……。な、何故かと問われても困るぞ? おまえを見ていると、胸のコドウがおさまらないんだ……」
寒さからじゃない真っ赤な顔をして、胸の前で組んだ手を握りしめながら、恥ずかしそうに俺を好きだと言ってくれる彼女。
「一昨日も言ったが、どこか体の調子がおかしいのか? そう、思っていたが、改めておまえから好きだと言われて、私がおまえに抱いているこれが“好きだという気持ち”だと気が付かされたから……」
分かってる、分かってるさ。あの時の答えと同じだから、でもあの時とは決定的に違う。消滅を前にした彼女では無い、今この瞬間の彼女からの言葉だから、だから嬉しいんだ。
大好きな君が、ここにこうして居るんだから。
大好きな君が消えてしまったりしないから。
大好きな君との別れの際ではなくなったこの瞬間だから。
だから俺は、一年前に君に言われた言葉を口にしてみた。
口にして、涙を一つ、流していた――。
「缶、コーヒーで、祝杯を、あげたい……気分だな……」
笑顔で、嬉しくも涙を流しながらそういう俺に、彼女は少しだけ眉間にしわを寄せて、どこか不満げな表情になっていた。
ああ、本当に、どんな顔をしても、君は可愛いんだ。
聖夜の死神と聖夜の奇跡 前編
2000年12月25日
赤と白の靴、赤と白の衣服、緑と白と、光で彩られた露店。街はクリスマス一色に染まっていた。
通りを行き交う恋人たち、親子で揃って出掛けている人、みんな幸せそうに笑っている。
でも、そんなただ中にあって、ただ一人俺の心は、後悔と悲しみに満ちていた。
為せば成るを成し遂げ、でも為さねば成らなかった事に気付かず、機を逸し。
全てを掛けなければ成らなかった事を成し遂げず、この一年を過ごし来た俺。
一体何をしてきたのだろう。俺の夢は大切だ。だが、“彼女の”代わりになる者なんて、代えられる物なんて。この世には無い。
そう、彼女の代わりなんて、この世には無いんだ。喪ってから始めて気が付いた。遅きに失したそれを今。
一年という時を経ても尚、俺はこの胸と記憶に、後悔として焼き付けていた。
◇
行く当てもなく街を彷徨っている内に、ふと気がつくと教会の前に立っていた。
来るつもりも無かった場所。
来ても意味の無い場所。
もし、有るのなら。有ったのならば。
彼女とこそ来たかった場所に。
俺は唯一人、足を止めて佇んでいた。
ひょっとしたら無意識の内に此所へと足を向けていたのかも知れない。
聖夜のあの日。あの一年前の聖夜の日。正しく奇跡として出逢えたのだろう彼女の存在を想い、求めて。
「クリスマス……か」
クリスマス、聖なる夜には奇跡が起こるなんて昔話がよくある。
奇跡…… それは、それは実現不可能なあり得ないことが起こることを、一纏めにして表す現象。
起こりえない事、在ってはならない、起こらざる現象。この世の理を曲げてしまう、別種の理。
在ってはならない事なのだろう。
願っても意味の無い事なのだろう。
しかし、いま、俺は、願わずには居られなかった。
それを、それだけを願わずには居られなかったんだ。
偶然にして必然、この教会の前に立っていたのだから。神に祈らずに居られなかった。
「もし……、もし奇跡なんてものが本当にあるなら……、俺を……あのときに……あの瞬間に…っ!」
神様なんて、奇跡なんて、信じていない俺だけど。もしも、もしも本当に。そんなものが存在するのなら。
あいつが、彼女が消えてしまう原因になった、あの瞬間に戻りたい。
そしてあいつと……、あの、名前も知らないあの子と……。
君と――。
「ははっ……、ははははっ……」
乾いた嗤いが漏れる。
誰がソレを願うのか。他ならぬこの俺がソレを願うか?
「何が、何が君とだよ……君を、君を死へと、消滅へと追い遣ったこの俺が……」
柄にもなくそんな事を願っていた。
他ならぬ俺自身が、彼女を死へと、消滅する運命へと追い遣ったというのに。
何という恥知らず。何という傲慢さ。俺が、おまえが彼女を死なせてしまったんだ。それなのに、彼女を想うだなんて。
ああ、だがなんて、なんてバカバカしい、俺はもう23だぞ。
そんな、子供が夢見るような事を考えたりしても、あの子が帰ってくるなんて事。あの子とまた逢えるなんて事、有るはずが無いんだ……!
そもそもあの子を失った原因は、イライラする感情に任せて、あの子の忠告を聞かなかった、この俺に有るじゃないかっ!
それなのに、今この時を以ても、一年という時を経ても尚、自分に都合の良いように考えてる自分が、俺は何よりも許せなかった……。
それでも――それでも俺は、願わずにはいられない。祈らずにはいられない。
あの日あのとき、曇りのない綺麗な笑顔を浮かべて静かに消えていった、あの聖夜の死神に逢いたいと……。
不平も不満も無く、ただ俺を想って消えていった、彼女を、彼女だけを想い、逢いたいと。
神様よ。
なあ、神様よ。
本当に居るのなら、この聖夜に願いを叶えてください。
ずっと欲しかったジャズ・ピアニストに成れなくて良い。
その為に必要なピアノも要らない。
俺の望む、去年の聖夜のあの日にまで望み来た一切の全てを捨てても構わない。
“そんな物たち全てと引き換えに出来るなら”
もう一度、今一度、彼女と。
あの死神と出逢い、あの日からの全てをやり直せれば。
不可能な事。
時も法則も何もかもをねじ曲げてしまう事を、俺は聖夜の神様とやらに祈った。
教会の前で。
跪き。
ただ一心に。
「神様……、俺は、もう一度彼女に……、あの、名前も知らない死神の女性に、逢いたいよ……!」
不可能だ、神なんて居ないんだと思いながらも、願わずには居られなかった。
通りを歩く人達の、不審な者を見る視線を感じる。
何をやっているのか、頭がおかしいのか、警察を呼ぶか。そんな声が聞こえる。
それはそうだろう。道端のど真ん中で跪き、教会の神に向けて希う。端から見れば不審者だ。
だがそれでも、願わずに居られようか。この一年の後悔。
1999年12月24日のクリスマス・イブ。JAZZコンテストの会場へと至り、そして……。
その道程へと至る前。全てを手に入れる道へと至る前へと戻り、そして彼女と出逢えるのなら。
俺はこの一年の成功の全てを捨てて良いと、引き換えとして良い、命すら。
そう願い……。
そして――。
◇◆◇
どこまで、いつまで、願っていたのだろう。周りのざわめきも、不審人物を見る目も、いつしか消えていた。
一瞬、目眩がして、目の前が真っ暗になったかと思うと、さっきまで見上げていた教会が忽然と消え、横断歩道のど真ん中に立っていたのは。
それは、それは、どのタイミングだったのだろうか。
――そこに立ち止まっちゃだめだ!!
同時に、その不可思議な現象と共に、もう二度と聴く事は叶わなかった筈の―――あの子の、あいつの、彼女の声が聞こえたのは。
それは、神様からの慈悲なのか、それとも罰なのか。
彼女の声が聞こえるのと同時に、俺の目の前には車が迫っていた。
これは―――これはあのときだ……。あの日の、あのときだ。
はっきりと思い出せる。忘れられようか。彼女との永遠の別れとなってしまったその瞬間を。
どうして此所に居るのか?
どうして彼女の声が聞こえるのか?
聞きたい事、問いたい事、でも分からないだろう答えと疑問。
その全てが“どうでも良かった”
瞬時に浮かんだその疑問は、百分の一秒にも満たない一瞬だった。
そんなことを考えている場合じゃない。
今が、この瞬間が、本当にあの時だと言うのなら。
紛う事なきあの一瞬だというのなら。
これが、これが聖夜の奇跡の答えだと言うのなら。
もし、こんな、こんな自分勝手な俺なんかの願い事を、神様が聞き届け、叶えてくれたというのならば。
俺が為すべきはたった一つの事しか無いのだから。
プアアアアア――!!
けたたましいクラクションの音。
眼前に映るは大きな車の姿。
目の前に迫る車を前にして俺は焦っていた。
焦っている、確かに焦りだけがあった。だけど、それは、自分が車に跳ねられる事なんかじゃない。
事、自分の事に対してだけ言えば、今の俺は異常なくらいに冷静だった。
そう、俺は車がぶつかる事なんて怖くもない。
“そんなどうでも良い事に恐怖するのはこの一年で消えていた”
俺が怖いのは……、ただ一つ。
“彼女をまた失ってしまうことだ!”
“プァァァァァァ!!”
車のクラクションが鳴り続けているが、その音さえ俺には聞こえなかった。
いや、今の俺には、きっと世界中のどんな音も聞こえないだろう。
JAZZのピアノの音。世界最高のJAZZピアニストの旋律でさえも。
ただ一人の声を除いて――聞こえる訳が無い。
「光一!!」
俺の耳に聞こえたのは――俺の名を叫ぶ彼女の声。
そして目に映るのは、俺を突き飛ばそうとこちらに向かって飛び込んでくる、“彼女”の姿。
もう二度と見ることは叶わない筈の、彼女の姿が、そこには有った。そこに確かに彼女は居たのだ。
この一年を希い、想い尽くしてきた彼女の姿が、そこに確かに在ったのだ。
その認識と共にする咄嗟の行動だった。
彼女の手が俺を突き飛ばしたその瞬間――。
キキイイイイイイイ!!
俺もまた……彼女の手をつかみ、自分の元へと引き寄せていたのは。
強引に、二度とは離れないように、聖夜の神様への感謝の想いと共に。
◇◆◇
「いきなり飛び出しやがって!! てめェら死にてえのかッッ!!」
車を運転していた男が“俺達”に向かって怒鳴りながら、しれっと走り去っていく。
本来なら思わず萎縮してしまいそうな程大きな声。だけど、全く気にならない。
なにせ、男は“てめェら”と言ったのだ。
俺一人にでは無い。
そう、“俺達二人が”怒鳴られたのだ。
その事が逆に嬉しくて、俺は苦笑いどころか、満面の笑みをすら浮かべて、走り去る車を見送っていた。
もし、あの車の運転手が今の俺を見ていたら、激昂するよりも気持ち悪がっているだろうな、そう思いながら。
「光一!! 光一!!」
そんな、端から見れば変に思われるだろう俺の顔をのぞき込んで、必死に俺の名前を叫んでいるのは、他ならぬ俺が求めていた“彼女”だった。
膝下まで届く青みがかった真っ直ぐな長い黒髪に、喪服のような印象を抱かせる髪と同じ色のコートを着た、俺と一緒に怒鳴られた女。
もう一度会いたい、もう一度声が聴きたい、ずっと一緒に居たい。そう願い続けた彼女は、一年前の12月24日――あのクリスマス・イブの日に消滅したときと変わらない姿で、俺の目の前に居た。
あの時との違い。それは、それは彼女の顔に擦り傷も、汚れも、埃も、冷や汗すらも浮かんでいない事。
有りの儘の、初めて出逢ったその瞬間と変わらない、可愛らしい姿であった事だ。
「こうい――キャ…ッ!」
彼女の姿を見た俺は、思わず力いっぱい、彼女の身体を抱き締めていた。
俺の名を呼ぶ途上のであったのだろう、彼女の言葉すらも遮って。
それはそうだろう。こうする以外に何をしろって言うんだ?
ずっと、ずっと想い続けていた。ずっと恋い焦がれていたこの死神の女を目の前にして……、俺は他に何をすれば良いというんだ。
何も無い。彼女を抱き締める以外に、何も無い。
そうさ、何も無いんだ。掴んだ栄光も何も、今のこの俺には何も無い。要らない。彼女以外の全てが要らない物なんだから。
「こ、こういち、……?」
不思議そうに俺を見る彼女。不思議その物な筈の彼女。
そして、不思議、奇跡その物な今の俺の、居場所。
一年前の、あの瞬間の、あの横断歩道。
誰にとも無く呟いていた。
「なあ……俺、これからクリスマスには……神様に感謝する事にするよ。必ず祈りを捧げるよ」
そんな俺に。確かにこの腕の中に存在している、あり得ざらざる事態の中にあった、彼女自身は、頬を赤く染めて俺を見遣りながら。
「神に、感謝?」
不思議そうに呟き、俺の腕の中で身をよじっていた。
「ああ、神様に感謝を。アーメン、ハレルヤ、だな」
若しくはクリスマスだけにサンタクロースにかな? それともその両方か?
彼女にもう一度逢わせてくれて、俺に彼女を助けさせてくれるという、この、このあり得ざる今の瞬間という奇跡をくれた神様とサンタクロースに。
どうか、どうか、これが夢で無いようにと願いながら。
「え…? え…?」
「初めて見たよ。おまえの、おまえのそんな動揺した顔。最高の……最高のプレゼントだ」
その後、訳が分からないという反応をする彼女を連れて、俺は一年前と同じ――いや、一年前とは違う、JAZZコンテストに参加して、準優勝を果たした。
一年前は優勝で“今日”は準優勝だったけど、そんな事はどうでもいい事だ。
彼女が俺の演奏を聴いてくれた。彼女の存在がそこに在る。
ただそれだけで、俺に取っては優勝以上の、何物にも代えがたきご褒美なのだから。
至上の喜びなのだから。こんな奇跡、こんなあり得ない奇跡をありがとう、神様、サンタさん。
◇◆◇
「死が、死が、消えている……」
彼女は部屋に帰ると開口一番そう言った。
言われて思い出した。そういえば、俺はさっきの車にひかれて、死ぬ運命だったという事実を。
一年前のあの日、今日という、今という一年前のこの時。実際は彼女が俺の身代わりとなって車にひかれ、死んだ。
彼女は消滅した、そうなる運命だったんだ。でも、そうなる事を知っていた俺が、それを回避して彼女を助けた以上、元の通りに俺が死ぬ事になる筈だったのだろう。
だけど、蓋を開いてただ思いのままに行動した結果としては、彼女は助かり、俺も生きている。
「光一っ、おまえの死ぬ運命が消えているのだ!」
絶対に有り得ない事だという彼女だったけど、俺には何となく原因が分かった。
これもまた、聖夜の奇跡なのだろうと。
時間を飛び越えたんだ。タイムリープなんて奇跡が一つ起きたんだ。彼女を助けるっていう不可能な奇跡が起きたんだ。もう一つくらい某かあっても不思議じゃ無い。
ひょっとしたら、もしかしたらだけれども、神様とサンタクロースが、それぞれに一つずつ願いを叶えてくれたのかもな。
彼女と逢いたいという願いと、彼女とずっと一緒に居たいという願いを。
「そっか」
「そ、そうかって……、おまえ何とも思わないのかっ!? 死なないのだぞっ、助かったのだぞっ!?」
「ああ、それはもちろん嬉しいけど、それ以上に嬉しい事があったからな」
「そ、それ以上とは一体何だっ!?」
捲し立てるように聞いてくる彼女だったけど、本当の事を言う必要なんてない。
俺の目の前に彼女が居る。それだけで十分だからな。
というよりも、死神である彼女でさえ有り得ないと驚く奇跡が、今日たった今、複数同時に起こってただなんて、とても信じてもらえないと思うんだ。
神様とサンタクロースさんってのは、随分と粋な計らいをしてくれるじゃないか。
だから俺は、その奇跡の結果によって生まれた嬉しい事だけを伝える。
「それは……、それはな、それは――、俺の大好きな君が、俺のそばに居てくれる事だよ」
純粋な気持ちを、それだけを口にしていた。
「なっ?!」
言葉に詰まる彼女に、俺は唯々一方的に、自分自身の気持ちだけを伝えるんだ。
「俺は君が好きだ」
「こ、光一が、私を……、す、好き……?」
戸惑う彼女に今一度。
「ああ、好きだ。出会ったときから… ずっと…」
一年前は君が告白してくれた。君の告白を受けて、自分の君への気持ちを知ったんだ。思い知らされたんだ。
だから、だから運命って奴が変わったのだろう、狂ったのだろう今ならば、俺からこの一年、君だけを想い続けたこの気持ちをぶつけるべきで。
この奇跡に感謝しながら、俺は俺の気持ちを彼女に向ける。
「君が好きだ。俺は、俺は佐野光一は死神、君の事を愛してる。出逢った瞬間から(ああ、そうさ、この一年間の間ずっとな)」
「なっ!? なっ!? こ、光一!?」
混乱を極める彼女に、こうして君と一緒に過ごせるようになったこの聖夜。去年という名の今、俺は俺から告白する。
そう決めたんだ。丁度話しの流れ的にもいいタイミングだしな。
「君は……、俺の事を、どう、思っているんだ?」
分かりきっている答え。去年のあの時に聞いた彼女からの想い。
それを俺は問い質す。去年では無い、一年後の去年たる今この時だからこそ。
改めてとなるその気持ちを、彼女の口から聞きたかった。
「こ、光一……、あ、あの……、わ、私もおまえが……その……、す、好き……だ……。な、何故かと問われても困るぞ? おまえを見ていると、胸のコドウがおさまらないんだ……」
寒さからじゃない真っ赤な顔をして、胸の前で組んだ手を握りしめながら、恥ずかしそうに俺を好きだと言ってくれる彼女。
「一昨日も言ったが、どこか体の調子がおかしいのか? そう、思っていたが、改めておまえから好きだと言われて、私がおまえに抱いているこれが“好きだという気持ち”だと気が付かされたから……」
分かってる、分かってるさ。あの時の答えと同じだから、でもあの時とは決定的に違う。消滅を前にした彼女では無い、今この瞬間の彼女からの言葉だから、だから嬉しいんだ。
大好きな君が、ここにこうして居るんだから。
大好きな君が消えてしまったりしないから。
大好きな君との別れの際ではなくなったこの瞬間だから。
だから俺は、一年前に君に言われた言葉を口にしてみた。
口にして、涙を一つ、流していた――。
「缶、コーヒーで、祝杯を、あげたい……気分だな……」
笑顔で、嬉しくも涙を流しながらそういう俺に、彼女は少しだけ眉間にしわを寄せて、どこか不満げな表情になっていた。
ああ、本当に、どんな顔をしても、君は可愛いんだ。
短編集内の各お話と投稿予定(未定)の続きやお話で読んでみたい作品はありますか?(ご期待に副える事が出来るかどうか分かりませんが、一ご意見としてお伺いしたいと思います)
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FF4×FF6
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