―――弓を握る。
手に馴染むそれは何度と繰り返して学園のキチガイ共が採寸し、そして計算した一番握りやすく手に吸い付く様にフィットする弓だ。全体的に大きく、ジャンルで言えば長弓のジャンルに入るだろう。その分、中距離戦と近距離戦における取り回しは非常に難しくなってくる。そして大きいという事は重量が存在する事でもある。重く、大きく、頑丈だ―――まさに自分が弓に欲しいと思った事だ。森の中で使う事を考えるとやや使い辛いと言わざるを得ないだろうからサブアームが欲しいが、メインウェポンとしては優秀すぎる弓となった。これでもまだ無銘なのは、これが通過点であり、完成品ではないという事にある。何せ、本気の本気を出せばこの弓も簡単に壊れる。だからこそ、まだ理想の一品ではない。これでさえ求める理想には届かない―――とはいえ、これでも十分すぎるマスターピースだ。
職人技、達人の品、そう呼べるのに相応しいだけの得物だ。学園からこれを持ってきたのは純粋に鍛錬の為だが―――まさか、こんな事に使う事になるとは思いもしなかった。
正面、練兵所の反対側を見れば、そこには一定の距離を開けて立つ一人の男の姿が見える。年齢はまだ若く、おそらくは俺と同じ20、21ぐらいだろう。だが許されている騎士の服装、片手に握る剣とその逆の盾、強い存在感を示すその姿は間違いなく強者である事を表現していた。その視線も油断や慢心する事なく真っ直ぐ此方へと向けられており、一瞬の隙があればそこを食い破るという気概を感じさせる。飢狼の気配だ。力に飢え、満足せず鍛錬を無限に続ける修羅の気配だ、これは。
此方の視線を捉え相手はニコリ、と笑う。殺意は向けてくるが
彼我の距離は―――いや、このレベルの相手なら一歩で踏み込んでくるから距離を考えるだけ無駄か、と距離のアドバンテージを即座に切り捨てながら自分の中で魔力をどれだけ捻り出せるかを考える。軽く観察した辺り、3:7で不利だから3を確実に獲得できるように戦えばいいな、と結論付ける。
―――良し。
「互いに準備は良いな?」
そう言葉を放ったのは練兵場の中央端に立つ姿だった。そして同情の余地はあるも、この状況の元凶とも呼べる人物だった。つまりはルドルフ・ゼイヒマン、彼の騎士である。
お前、次顔面殴るわ。そういう意思を込めて中指を向けると、反対側の騎士が笑い声を漏らしていた。それを見たルドルフが困ったような表情を浮かべた。そんな茶番を経てから、軽く溜息を吐いた。
なんでこんな事になったんだろ。
「―――待たせた。此方でも話を付けるのに少々時間がかかってしまってな」
「いえ、此方こそ教えてもらう立場ですから。察する感じ、背景というかお家の規模が中々厄介そうな気配があるのですが……」
「うむ、流石にそれは察せるか」
帝都に到着してから3日が経過した。帝城での滞在は人生を塗り替えるものだと言っても良かった。帝城での生活、そのスケールは今までの人生の中で最も豪華で凄まじいと表現できるものだった。部屋が一つ一つ高級ホテルの様な絢爛さを保有し、朝食を食べようとすれば食べたいものを一番おいしい作りたての状態でその場で作って提供し、そして時折通りすがりのパイ投げ紳士が学園でのレヴァンの話を聞く為に突撃し、それを鎮圧する為に正室やら側室の人たちがやってくる。
一瞬で帝国のイメージが崩壊した。だが此方の方が親しみやすいのでそれはそれでアリなのかもしれないと納得してしまう程度には楽しい場所だった。
他種族が混在した帝国らしく、帝城にいる人間はシンプルな純人族だけではなく獣人やら蟲人やらと非常にバリエーションが富んでいる他、中には非常に珍しい機人や機械人形の姿さえ目撃出来た。だが彼らは共通して面白い事が一切差別や生まれや育ちで他人を評価しない、という点だった。自分がレヴァンとの学友であると知ると、鍛錬中に積極的に声をかけていたり、混ざろうとしてくる気の良い連中ばかりだった。レヴァンも半年ぶりの帰還という事でもみくちゃにされたり、家族と時間を過ごしていたりする。
―――個人的にアイツに婚約者がいるという衝撃の事実は絶対に許さないと誓った数日だった。
その数日の間にルドルフの方で、母方の生家と話を付けてくれていたらしい。そしてその話が纏まった為、今、こうやってルドルフは漸く会えるようになった。前回同様、威厳や風格すら感じられる騎士であるルドルフは背筋を伸ばした状態で目の前、自分が泊まるのに使っている客室の椅子にテーブルを挟んで座っていた。
相変わらず嫉妬すら出来ない程絵になる男だ。
「すまない、本来であればもう少し早く話を進めたい所だったが……確認などをしていたら時間がかかってしまってな……いや、流石にこれ以上は言い訳なだけか。ともあれ、本題に入ろうかと思う。良いだろうか?」
「どうぞ、お願いします」
この部屋に今、レヴァンはいない。流石にプライベートな話である為、当事者以外はいない。だから、他に配慮する事無く話を聞く事が出来る。数秒ほど無言のままルドルフの話を待っていると、ルドルフが話を進める。
「……君は
「武器の、という意味じゃないですよね」
「あぁ、まぁ、ある意味武器ではあるのだがね」
ルドルフの言葉に苦笑する。剣―――それは初代皇帝が建国する時に一番貢献し、支えた家を示す言葉だ。彼らの血脈は現代まで保たれ、そして今も鍛錬と強化を繰り返し、建国当時よりも
しかし待て、と言葉が出そうになった。
「まさか……」
「あぁ、そうだ―――君の母は剣出身だ」
「親父ぃ……」
両手で顔を覆い隠しながら、なんて相手と駆け落ちしやがったんだアイツ、しかしよくやった、おかげで俺が生まれてきたぜ、と心の中でサムズアップも向けておく。だがやはり、頭が痛くなってくる。剣―――剣出身なのか、母は。そりゃあ貴い血筋に決まっている。そして自分が才能に溢れているのも
「ん……見事藪を突いた感じがする……!」
レヴァン様なのか。これからレヴァン様と呼ばなければいけないのか。そんな事を考えているとルドルフが軽く咳払いをした。それで軽い冷静さを取り戻しつつ、深呼吸で自分を落ち着かせ、良し、と呟いた。
「トドメをどうぞ」
「いや、別に殺す訳ではないが……ただ、そうだな。私の師に当たる人物が剣のお方でな。そのお方と君の瞳が非常に良く似ていた。リュンセルという名も師から聞いたものでな、憎々しそうに呟いていたよ―――良くも娘を攫ってくれたな、と」
「やっぱりトドメを刺しに来てませんかこれ」
そんなことはないよー、とやや目線が泳いでいるルドルフが軽く咳払いをする。
「……そういう訳で私は君の母方の生家を知っている。そして君を現在の当主に引き合わせる準備も出来ている。これ以上の話は私の口からするべきではなく、師と……君の祖父と話し合うべきだろうと私は思っている」
そうだろうな、とルドルフの話には頷く。世間的には駆け落ちの話、一体どういう扱いだったのだろうか? そう考えながらも続く、ルドルフの言葉を待った。数秒ほど、ルドルフはどうするか、そう考えたから口を開いた。
「―――そういう訳で君には戦って貰う」
「待って。何かおかしい」
「いや、言いたい事は解る。私もおかしいと思う」
だがな、とルドルフが言葉を置いた。
「―――孫よ、貴様が真に我が血筋を汲む者であればこの程度の障害を突破するだろう。そしてついでに父親の負債を払え……とは師からの言葉だ」
「会ったら爺さんの事どう呼ぼうか悩んでたけど今決まったよ。クソジジイだ」
無言で中指を持ち上げながらこの祖父とかいうクソジジイを絶対に許してはならないと心の中で深く誓った。そして同時に思った。上等だテメェ、と。
―――クソジジイめ。
思い返し、ルドルフとの会話を思い出して再び軽い怒りを思い出す。だがそれも戦闘の緊張状態に精神が突入している為、即座にフラットな状態へと落ち着く。長年の精神訓練のおかげか、ここら辺の心の簡単な変動はどうとでもなる。感情的な部分は訓練さえすればどうにかなるのだから楽だ。問題は主義や主張、鍛えてもどうにもならない心の奥底の部分だ。どれだけ鍛え、装備を着込んでもそれだけは守れないのだから。
「仕方がない、マジで殺るか。そんでクソジジイの顔面に一発叩き込んでやるか」
「ふふふふ、中々愉快な人だなぁ」
「エミリオ、解っていると思うが」
「あぁ、手加減も手抜きもしないよ―――出来るレベルの相手でもなさそうだしね」
ここで慢心したり見下してくれると楽なんだけどなぁ、と思いながらもさて、と心の中で呟く。戦闘の流れを掴むのは最初の3秒の攻防でかな? と戦闘予測を頭の中で組み立てながら、学園で学んだ、ガラム仕込の対人戦のレクチャーを思い出す。自分は基本的に人型ではなく、獣や魔物亜竜とかばかり狩猟しているから、そこまで人は得意じゃない……なんて事は言えないのだろう。やらなきゃこの先はない、というだけの話だ。
……なんでこんな事になっているのだろうか。実家の話をしたいだけなのに。
というか聞き出すには力を見せよ! とはかなり頭の悪い理論ではないのか?
「クソジジイめ」
「く、ふふ……ふふふ……クソジジイだって……ふふ……あの方をクソジジイ扱い……ふふ……ヤバイですね、これ……ちょっと戦いに集中できそうにありません……面白すぎて……」
「笑うなエミリオ。いや、やっぱり笑おう」
「身内だけで盛り上がるネタは解らない人がいる時はマナー違反ですよ」
半眼になりながらそう言葉を吐けば、ルドルフとエミリオが揃ってそれもそうだな、と素直に笑いながら謝ってくる―――そしてエミリオが一瞬で切り替える様に笑い声を消し去り、剣と楯に少しだけ力を入れるのが見えた。戦闘状態に入ったのだろう。それを察し、此方も少しだけ弓を持ち上げ、矢を番えやすいように構えた。一瞬でお茶らけた気配が消え去る。入れ替わるように静かな一瞬が訪れ、
「では―――」
ルドルフが言葉の間を作り、
「―――始め」
直後、物理的な矢と魔術で生み出された光の矢が同時に炸裂した。その先は正面、3メートル位置まで一呼吸以下で詰め込んできたエミリオの存在であり、その踏み込みが失敗したという事の証明でもある。前に出された盾は的確に此方の矢を2本とも受け止めながら喰いこむ様に体へと向かって押し込まれて行く。動きが見られたか、或いは矢を見たか。だがどちらでも良い。
故に当然の様に命中した―――
―――物理の方が効果が高い……対魔術用の盾か。となると物理の方は剣で切り払うのが基本か?
冷静に射った矢の感触と相手の盾に衝突した時の音、その反動で相手の防御を分析しつつ、迷う事無く矢を手元へと新たにアポートし、それを素早く5連射した。衝撃力へと全てを変換させられた矢は射るのと同時に衝突し、反射的にガードしてしまい、それを受けたエミリオに衝突する。肉体には当たらずとも、盾にぶつかった時点でそれは致命傷だ。化け物染みた筋力でも持たない限り、ドラゴンの頭さえもノックバックさせるだけの衝撃のある一撃は逃がせず―――そのまま、鴨打の様に押し込まれる。
一射一射が砲撃の様な轟音を響かせながらエミリオの盾に衝突し、その衝撃で楯が押し込まれるように庇うエミリオの体に喰いこみ、その衝撃を殺し切れずにエミリオの体が後ろへと押し込まれる。やる事は簡単だ。一度命中してしまえば楽だ。
一撃で倒せないなら数で圧倒すれば良い。簡単な話だ。故に一切手を緩める事なくエミリオの盾へと向かって矢を止める事なく連射する。衝突する度に大気が震える様な轟音が響き、硬直と共にエミリオが後ろへと押し込まれる。そのまま壁に叩き付けるまで押し込めば、衝撃の逃げ場はない―――その時が最後だ。先の動きを考えた所でエミリオの動きが変化する。
その姿が吹き飛んだ。
脱力する様に体が吹き飛ばされたのは力を自分の意志で抜いたからだろう、硬直と肉体へのダメージを天秤にかけた所でダメージの方を選択し、エミリオは吹き飛ばされる事を選んだ。それに続く様に剣が雷を纏った。吹き飛ばされた時点で横へと向かって素早く跳躍しながらステルスと魔術の待機を開始させつつ、矢を抜いた。速射しながら放たれた矢は後から放たれた雷の剣―――魔法剣によって追い越され、迎撃された。
―――攻めが甘かったか……。
獣が相手だとこのハメの状態から復帰する事はないからこのままガン攻めで落とせるか、と思ったが考えが甘かったらしい。しかも相手は衝撃を受けて吹き飛びながらカウンターで大技を素早く繰り出せる、とダメージを受けつつ思考を正常に保てている。強いなぁ、と思いながら相手に距離を詰められない様に魔術を複数展開する。
光の糸をトラップとして縦横無尽に設置、ステルスで自分の姿だけではなく、光の糸を隠す。同時に気配を殺しながら相手が着地する瞬間を狙って矢を番え、音や流れを殺して移動する。だがそれを察するように相手の視線が此方へと向けられた。足元の大地には足跡を残さぬように体重を殺して移動しているのに―――そう思いながら迷う事無く自身のステルスを捨てて矢を放った。一呼吸間に放った矢は合計9本、盾に当たる様に3、剣へと向けて3、そして首へ2、頭へ1向ける。一瞬で射殺すとばかりに放たれた矢が加速され、盾と剣によって即座に叩き落された。全弾命中するが的確に危険なものから切り払われた……上手い。
衝撃矢を混ぜ込んだ連射だったが、良く見れば剣と盾が帯電しているのが見える―――衝撃を雷撃で受け、そのクッションを挟んでから切り払っているのか。
対策を練りあげるまでの時間が早すぎる―――事前に情報か、或いは似た様な攻撃でハメられた事があるのだろうか? どちらにしろ、此方の一手が無駄になったのは痛い。早急に相手のレンジから逃れる様に動く事が重要だな、と冷静に思考を生んだ瞬間、
姿が掠れた。
「―――」
音も言葉もなく、一瞬で踏み込んできた。描く剣の軌跡は鋼の色に紫雷の剣閃を描きながら急所を切り殺す様に振るわれて来る。首を断つ動きにしゃがみながら回避を作れば、正面から盾が迫ってくるのが見える。此方も紫雷を纏っているのが見える。触れたら一発で体が動かなくなるな、と確信しながら後ろへと体を転がした。転がりながらも新たに矢を手に、素早く12連射を放つ。距離を開けない超至近距離からの剛射を放つも、それにエミリオが反応する様に斬り伏せた。そのロスはほぼなく、彼我の距離はほとんど詰められている―――剣のキリングレンジ内だ。此方が引こうとすれば的確に踏み込む、動きを封じこめながらバッシュと踏み込み切りを叩き込んで来ようとしている。
此方が獣を狩り慣れているのに対して、相手が明確に人を狩り慣れているというのが伝わる動きだった。
帰ったら先生に対人戦の練習を増やして貰おう……!
そう胸中で吐き捨てながら一つの動きを作った。
―――跳躍した。
上へと逃げる動きは悪手と言っても良い。中空とは人間の動きが最も制限される空間だ。その為、頭上を取るという事以外では地上からの方が固まった足元で狙い打てるという大きな利点が存在する。相手が早さで此方を上回っている以上、跳躍するのは逃げ道を塞ぐ事であり、悪手、下策の類になる。
ここからつなげる動きがなければ。
当然ながら追撃に入るエミリオの動きが一瞬だけ停止する―――その姿には背後から伸びる光の鎖が絡みついてる。踏み込みという行為はつまり侵略―――時間差で魔術を発動させれば、重なるように位置を調整できるという事でもある。故にエミリオの体が鎖に囚われ、一瞬だけ停止する。直後、抵抗に成功して鎖を破壊するが、その一瞬がこのレベルでは致命傷になる。
その瞬間には既に体は宙にあった。
生み出せる鎖は一本ではない。壁から、天井から、大地から鎖が複数伸び、それが空中で足場として絡みつきながら中空で立つ為の手段となる。それに対してエミリオが剣を振るい、魔法剣を放つ。天井を覆う様に放たれた雷の魔法剣はしかし、それが完全に振り抜かれる前に僅かに引っかかり鮮血を流しながら完全な振り抜きには至らなかった。その原因は明白で、その手に喰いこんでいる光の糸が存在するからだ。それ以上剣を振り抜けば手首が切れ落ちる。その隙に新たな鎖がエミリオを引きずる為に伸び、そして広がり切れなかった魔法剣が横を抜けて行く。対応の為にお互い、同時に動く。
エミリオが下がる動きで魔法剣を振ろうとし、それに対応する様に光の矢を放つ。雷速と光速を比べればどちらが早いか、なんて事は解りきっている。相手の攻撃が発生する前に強制的に防御へと移行させ、攻撃を中止させながら防御行動に入らせ、
エミリオが動きを作る。それに対して迎撃と相殺を同時に行う。鎖と糸の設置を行う。エミリオの領域を狭める。動きを作る。迎撃と相殺。設置。行動がパターン化され、ループに入るのを悟り、エミリオが動きを停止させた。
「……ここで死兵化して突撃した場合、どう対処する?」
「一番楽なパターンですね。獣を相手にする様なもんですし、見えない様に首の通る位置に糸を設置して誘い込みますね」
「うん、だろうね。追い詰められてから飛び込むと集中力がやや乱れるからね……うん、ルドルフ。彼を一人で倒すのはちょっと骨が折れそうだよ」
「素直に無理だと言って良いのだぞ?」
「はっはっはっは」
エミリオが誤魔化す様に笑っている。しかし恐ろしい相手だった。一番恐ろしかった近接戦は一応弓と合わせた体術、格闘術があるからある程度は対応できるが、まさか帯電による接触の完全拒否を行ってくるとは思わず、やや焦ってしまったのは事実だった。あそこを切り抜けるのに失敗していればここまで綺麗に状況を詰みに持って行く事は出来なかったな、と反省しておく。今回勝てたのは光の糸と鎖、この二つの武器に対する相手の知識がなかったという事にある。つまりは思考の奇襲だ。だがこうやってタネが割れた以上、次回までにはしっかりと対策を組んでくるだろう。そうなると地力で負けている以上、此方が勝てない。
辛い話だ。
ともあれ、と言葉を置いた。
「これで……試験はクリアですか? いや、まぁ、戦う意味もあんまり良く解らないんですけど」
なんで俺、帝都まで来て戦ってんだろ、と思いながら軽く息を吐くと、返答の声が返ってきた。
「―――あぁ、これだけ戦えるなら大丈夫だ」
ただ、それは求めた人物からの声ではなかった。ルドルフやエミリオではなく、全く知らない第三者の声だった。そもそもその声が聞こえる瞬間まで気配そのものが察知できなかった故に、軽い驚愕を感じながら素早く振り返った。何時の間にかエミリオと戦った練兵所の隅に、新たな人の姿があった。戦っている間はそこには誰もいなかったはずなのに―――いや、辺境で獲物を追う為に鍛え上げた感覚と索敵能力をどうやって搔い潜ったのか、という驚愕があった。
見たのはひとりの老体の姿だった。歳月の影響を受けて白く染まった短髪と短く揃えられた髭、体全体を隠す様に来ている茶色の緩いローブ姿を腰のベルトで絞めている。ベルトには剣と鞘がぶら下がっており、武装しているのが解るが―――そんなものがなくても、この老体の実力は察知出来た。
そしてこの状況、あんな言葉を投げてきたのだ。
この老体が一体誰なのか、それをおぼろげながら察せる。
「この人が俺の……」
ジッジなのか? と、聞こえない様に小さく呟いたところで、影から出てくる姿が途中で停止し、そして此方を見て、頷いた。
「私がお前のジッジだ―――!」
「聞こえてた……!」
「翁!?」
「じ、ジ……ジッジ……く、ふふふ……駄目だ、ヤバイ、この人面白すぎる……!」
エミリオが腹を軽く抑える様に笑い始めた。先ほどまでは剣呑は雰囲気が漂っていたこの練兵所が一瞬でなんか混沌とした雰囲気に突入しつつあった。えぇ……なんて思いながらも、完全にシリアスに成り切れない辺りがなんとも、自分の学園生活らしく、思わず軽い笑い声を零してしまう。状況はともかく、これで母の話を聞かせて貰えるのだ……焦る必要はないのだ。
―――場所は大きく変わる。
帝城から離れると帝都内の貴族用の高級住宅街、その中でも一際大きな屋敷へと老体によって連れてこられた。そこにはルドルフやエミリオの姿はなく、少しだけ緊張感が体に満ちる。それを知ってか知らずか、屋敷までの間、老体は終始無言を貫いていた。屋敷の入口に門番等はおらず、あっさりと門を抜けて屋敷の扉を開け、屋敷の中に入った。質素とでもいうべき屋敷は飾り付けが少なく、最低限の装飾だけを残しているというイメージだった。その他、人の気配もかなり少ない。それが少し不思議で、首を傾げた。
「……人が少ない事が不思議か?」
「あ、いや」
「良い良い、その反応を見れば大体解る。元々騒がしいのは好きではなくて、な。娘が死去してからは当主に返り咲いたが、此方に居るのが少し辛くなって時間を城の方で過ごす様になった。……まぁ、だから屋敷を維持するのに必要最低限の者以外には暇を出している」
予想以上に重い話だった。開幕からレバーブローを食らった気分になる。だがそれを気にする事もなく、小さく老体が笑った。
「何、その事を若者が気にする事がない。ただ単純に私が女々しいだけだ」
「女々しいと断言できるだけ強いですよ」
「そうか? と、そのように言葉を取りつくろう必要もない。自由に話し、振る舞え。ここはお前の家でもある」
無理です。心の中でそう呟きながら表面上は引きつった笑みを浮かべ、案内されるがままに屋敷内の一室へと連れて行かれる。どう反応すりゃあいいんだよぉ! と心の中で若干キレつつ、案内された部屋は応接間らしく、一つのテーブルを挟む様にソファが置いてあった。案内した老体はソファに座ると、反対側に座る様に促し、そこで漸く腰を落ち着ける事が出来た。
―――心の方は全く落ち着けていないが。
「ふむ」
そう呟きながら反対側に座った老体は呟いた。
「困った」
「……?」
「こういう時、どう話を切り出せばよいのかが解らない」
「えぇ……流石にそれはないですよ……御爺様?」
「ジッジで」
「ジッジ……」
なんだ、帝国の臣民は所々で残念にならなきゃいけないルールでもあるのだろうか。こう、ここ一番! という所で妙なボケを噛ましたりするのが時々帝国で見かけるスタイルなのだが、国全体がこういうスタイルなのは何が原因なのだろう。空気か? そんな事を考えながら軽く溜息を吐くと、楽しそうに老体が笑った。
「顔を良く見せてくれんか?」
「……」
その声に逆らう事無く、少しだけ身を乗り出す様に顔を前に出した。それを覗き込む様に老体は両手を伸ばし、そして頬を両手で包み込み、しっかりと此方の顔を見た。その瞳は僅かにだが揺れていた。
「……髪の色はあの男と一緒だな。だが瞳と顔立ちは間違いなく娘の遺伝だな」
「母さんの……」
写真や、姿は自分も知らない。親父はそこらへん、あまり語ってくれなかった。だが自分の瞳はどうやら母の方から遺伝したものだったらしい。納得したような、満足したような、安堵するような気配を発しながら老体は深く、ソファに座り込んだ。それに倣う様に自分も軽くソファに座り直し、身を沈めた。視線の先で老体は目を閉じながら無言を保っていた。するとそれを待っていたかのように扉にノックの音がした。
「失礼します、紅茶をお持ちしました」
返答はない。だが自然な動作で扉が開き、侍女が一人部屋の中に入ってきた。緑髪の侍女は紅茶を運んでくるとそれを老体と此方の前に並べそのまま足音を鳴らさずに部屋から出て行く。あの足運びは相当出来るな……と、帝都に来てからそういう人ばかりしか見てない、というちょっとした困惑に包まれる。
ちょっとだけ心が折れそう。
それを支える様に目の前に置かれたティーカップとティーソーサーを持ち上げ、軽く匂いを嗅いでから紅茶を口元へと運ぶ。紅茶の味の良し悪しはそこまで解らなくも、学園で飲んでいたものよりは遥かに高級であるのは簡単に伝わる味だった。やっぱり貴族って良いもん飲んでるんだなぁと感心しつつ、更に胃が痛くなってくる思いだった。
……とはいえ、目の前の老体が此方に対して悪感情を抱いていない、という事実が今は解っている。それだけが救いだった。
「あの……」
「うむ、すまんな。少々昔を思い出していた。いや……そうやって昔を懐かしむだけ、私も年を取ったという事か。そうだな、何から話すべきか……何を話すべきなのだろうか……」
呟く老体は言葉を探しているようだった。だからこちらから、聞きたかった事を聞いてみる事にする……その為にこの冬、態々この帝都まで足を運んできたのだから。
「じゃあ、母の事をお願いします。物心が付く頃には既に親父しかいなかったので、出来たら母がどういう人物だったとか、どういう姿をしていたのか、教えて欲しいです」
「そうかそうか……そうだな、そこから話を始めるとしようか」
それが良い、そう言った老体はゆっくりと話し出した。たぶん先ほどまでの無言は、どういう言葉を出せばよいのか、それに困っていたのかもしれない。そして会話の糸口を与えられ、楽しむ様に、嬉しそうに話を始めた。
「娘―――アイシャは才女だった。私さえをも超える武才を持ち合わせていた……惜しむべくは体が弱かった事か」
母は天賦と呼べる才能があったらしい。だが生まれつき、体が弱かった。その為、次代を生む時はその反動で死ぬだろう、と宣告されていた。だがそれを悲壮に思う事はなかったらしい。少なくとも武家の女である。義務であり、その覚悟はあったのだろう。弱い体では求められる役割を果たせるか怪しい。その為、期待はある程度次代へと向けられていた。
そこまで期待されてなかった反動か、体を崩さない程度に鍛錬を続けるも母はそれだけで才覚を発揮したらしい。そのまま時間制限はあるも、近衛に入隊して皇帝陛下の警護を行いもしたという事だった。
「あの男との出会いはその頃になる」
老体はそう言った。
親父は次元回廊に関する実験の際に、偶然に召喚されてしまった。
その時、面倒を見る事になったのが母だった。
「アイシャはな、人一倍真面目な分、自分の好きな事となるとそれに必要以上にのめり込むクセがあってな……帝都から離れる人生を諦めていた分、外の世界の噂話等を心の底から愛していたんだ。だからあの男が異世界からやってきたと聞いて、誰よりもその話に興味を持った。思えばそれがあの二人の関係の始まりだったのかもしれぬな」
そこから、話は少し変わり、母がどういう人物だったのか、どういう事をしていたのか、昔の失敗や経験談の話をしてくれる。
母は長く、美しい金髪を持った女性だったらしい。デスサイス二刀流とかいうイロモノ武装でありながら近衛の中でもトップを飾る程の実力と才覚を肉体に恵まれずとも勝ち得た女傑。だが意外とファンシー好きで、人形とかを部屋に飾ったり、ドレスとかを着るのも好んでいたとか。強すぎる結果男が寄ってこなくて同年代の友人が恋人を作った事に文句を言っていたとか。
母が本当に存在し、生きていたんだという証拠を提示する様に老体は話を続け、
「―――さぁ、次は其方の番だ。私に君の事を教えて欲しい」
と、話す側が切り替わる。だから自分も、今までどんな人生を歩んできたのか、自分から見て親父がどんな人だったのかを話し出す事にした。
辺境に生まれ、辺境で育った。母の事は……良く知らなかった。だけど親父は不器用ながらも俺の事を愛してくれていた。今も愛してくれている。間違いなく俺が不幸にならない様に、俺が一人でも考えて生きていける様に、それを考えて育ててくれた。それが上手だったわけじゃないし、いっぱい失敗もした。だけどその度に二人で何とか笑ったり改善する方法を相談したり、偶には近所の力を借りたりして何とか問題を乗り越えてきた。
親父は俺を愛してくれている―――そして、母も俺の事を愛してくれていた。残された道具、大切に保管されていた思い出の品の数々、存命だった頃に用意されたベビー用品。それを見ていれば解るのだ、
母は、母さんは俺の事を待ち望んでいたのだ、と。疑う必要もないし、間違える事もない。だから自分の屑っぷりは別として、親父にも母にも感謝している。産んでくれてありがとう、と。当たり前の様でそうではない話だ。今の今まで母の話などまったく知らなかったし、それを親父はたぶん……罪悪感で語ろうとはしなかった。
「とはいえ、親父も親父で責任感を感じているのか、母に操を立てているようで」
「ふん……まぁ、その程度はしてくれんとな」
そう老体は言うも、どこか楽しそうな声を零していた。素直じゃない爺さんだなぁ、と思いつつ自分も苦笑を零してしまった。もし、ずっと辺境にいたままだったらおそらくは絶対に知る事のなかった事実だろうし、こうやって自分の祖父と会う事もなかっただろう。いや、或いはこうやって会う可能性がある事を知っていて親父は学園へ行けと、知見を広げさせたのかもしれない。本人がどう思い、どういう思惑を抱いているのかは辺境に戻って本人に聞きださない限りは解らない。だけどそれはそれとして、
ここは悪くなかった。
「……帝都に来て良かった。こうやっておじい―――」
「げふんげふん」
「……ジッジに会えたし。というかその前提で戦わされるとは思わなかったけど」
「アイシャの息子だからな。ちゃんと育っているのか見たかったしな……なによりも私の家に連なる者で力がないとそれはそれで問題だからな」
そこまで言われて流石に気になって来た。そういえばまだ家名を聞いていなかったな、と思い出し、思い切って聞いてみる。
「あの、ジッジ、家名と名前を……」
「うん? あぁ、そうか……そう言えば辺境暮らしからの学園生活ならば知らないか」
うむ、と頷きながら祖父が言った。
「―――私の名はアデルバルト、アデルバルト・ガーランド、世間では勇者殺しとも、帝国守護とも呼ばれている」
「そっかぁー……」
どっかで聞いた事あるなぁ? うーん、誰だっけ? あ、帝国の凄く偉い人じゃん! やったぜ、凄い血筋だったね! おじいちゃん実は凄い人だったんだね! わぁい!
現実逃避完了。
ソファからゆっくりと立ち上がり、テーブルの横に正座で座った。此方の行動を見た祖父が首を傾げたが、無言のまま上着を脱ぎ、そして魔術で光の矢を生み出し、それを刃物の代わりに握った。それで準備を整えた所で、
「腹を切ります……御爺様、父と私の無礼をお許しください……!」
「その極端へと飛ぶ辺りに娘の血を感じるが死ぬには早すぎるぞ―――!」
「―――という事が一昨日あってな」
「笑って良い?」
「いいよ」
許可を出すとレヴァンが腹を抱え乍ら床に転がってバンバン、と床を叩きつつ爆笑し始める。それを真似してレグナも床に転がり始めるので軽くウザさは2倍に跳ね上がった。とはいえ、笑うだけの理由はあるし、自分も関係のない他人だったら間違いなく笑っているので、そこはそことして許す事にした。
場所は再び帝城、自分の部屋に戻る。あの後祖父アデルバルトに切腹を止められ、そのままガーランド家で一泊した。貴族の家にはしてはやはり色々と質素だったのは事実だが、それでも初めて行う祖父との交流のアレコレは楽しく、夜通し話し合っているだけで時が過ぎ去った。聞いた話では将軍は苛烈で恐ろしい程に強い人物だったが、自分の前に出た祖父は、ジッジ呼びを求めてくる愉快な爺さんだった。或いはそれが素だったのかもしれないし、母に会えなくなってからそうなったのかもしれない。
ともあれ―――良縁だった。祖父は優しかった。切腹はしなくていいと許された。
「しかしそうか、意外なところで身近な奴が身近な所の血筋と考えると色々と悩むなぁ……」
「そうか?」
まあな、と床からレヴァンが起き上がりながら言う。レグナを捕まえるとそれを持ち上げ、軽くぶらぶらと振り回して遊んであげながらソファに座る。此方もほぉ、と声を零しながらベッドの上に座っている。片手に弓を、もう片手に磨く為の布を握りながら、丁寧に弓の手入れをしながらレヴァンの話に耳を傾ける。
「まぁ、まず俺は皇位の継承に興味がないのは知ってるよな?」
レヴァンの言葉に頷く。レヴァンが皇位の継承に興味を持っていないのは知っている。前々からそれを言っているし、それだけではなく既に自分よりも優秀な兄や姉が存在するという事をレヴァンは知っているらしい。なので態々競ってまで皇位を得ようとする事は考えていないらしい。そもそもそれが国の分割と弱体化の原因となる。後に名君が生まれると解っているのであれば、それを引きずり落とす努力よりも支える努力をした方が万倍役立つ。そういう訳でレヴァンは皇位に対して興味を持っていない。
「まぁ、だから父上は俺とかに妙に構うんだけどな。父上からすれば与えられるものの中で一番良いものが皇位なんだから、それを与えられない他の子にはなるべく、その代りとなる様にたっぷり構って愛情を注ぎたいんだろう……傍迷惑な……!」
「パイ投げ紳士……」
いや、まぁ、世の中、関係がこじれる親子や死別しているのが原因で二度と会えない親子なんてザラにいるのだし、それに王族・皇族の関係は非常にこじれやすい環境でもあるのだ。だからここまで綺麗に整って美しい関係を築けている帝国の皇室関連は奇跡の様な物なのだから、もうちょっと―――あ、いややっぱり駄目だ。パイ投げは許さない。何時か絶対にパイを投げ返す事を誓う。
「まぁ、それはともあれ……俺が皇位継承を辞したとしても、俺の血筋が変わる訳ではない。皇族という事実はどこまでも付きまとう。そしてそれを見て自分を売り込んで来ようとする連中も少なからず、どの時代にも存在する。担ぎ上げようとする馬鹿とかもな。必然的に俺が将来、職について国の為に働く様になったら信頼できる部下や仲間が必要になる」
そこまでレヴァンが語った所で意味を理解する。あぁ、と言葉を吐く。
「
「話を聞く限り、翁の方は乗り気なんだろう?」
その言葉に頷く。そうすると満足そうに話しをレヴァンが続けた。
「まぁ、お前が選択としてガーランド家の相続を行った場合、お前が当主になる訳だが下積みや経験、後は経歴作りの為に色々と便利に使われるのは見えているからな。その場合は俺が引き取り先として名乗り上げれば皇子の傍付き、護衛、そして学友として名声を稼ぐ事が出来るし、俺としても気心の知れた友人を横に置けて損のない選択になるから、色々と将来の事を考えてしまう」
「意外と考えてるんだなお前」
「俺をただのメイドフェチと思うなよ」
レヴァンのその言葉に二人で揃ってげらげらと笑い声を零しながら、適当にクッキーをテーブルの上からアポートで手繰り寄せ、口の中へと放り込む。紅茶の葉を僅かに混ぜたらしいこの紅茶クッキーは普段食べている甘いクッキーとはまた別の、控えめの甘さに紅茶の風味を効かせた、世間一般では中々食べられないものだ。こっちにいる間にこんなものばかりを食べている舌が肥えて困ってしまうなぁ、と思いながら食べる事を止められない。
これは太る。クッソくだらない考えだった。
「ただ……今のお前を見ている感じ、前向きに考えている……って訳じゃないようだな?」
「前向きに、というか―――」
―――将来、何をしたいか、というビジョンがまるで見えないのが事実なのだ。
正直な話、小さなコミュニティで生きてきたという自覚はある。だから基本的にその狭い世界での生き方しか知らなかった。だけど今、自分の世界はもっと大きな世界へと開かれた。学園を通して様々な出会いを経て、そしてたくさんの知識を得た。そしてこうやって帝都まで足を伸ばし、祖父と会う事で自分のルーツを知る事も出来た。ハッキリ言えば俺は恵まれているのだろう。才能、環境、背景、友人、現在。その全てで俺は恵まれている。
それを自分の意志で腐らせている、という自覚は確かにある。
だがそれにしたって、明確になりたいと思える未来がない。このまま自分が卒業すればどうなるのだろうか? おそらくそのまま辺境に戻るか、或いは世界を旅する冒険者にでもなるだろう。このまま、ガーランド家を継ぐ事はない―――いや、祖父が許さないだろう。義務感だけで、惰性で家を継ぐようならば、向こうが断るだろうと思う。だがどの未来も自分が望んだものではなく、なんとなくそんな風になる、と思える未来だ。何かを選ばなかった場合、自分が取得する未来は流されて用意されるものだ。そして上の世界といいうものは少なからず当人の意志が重要になってくる。
そこまで強く思うものが自分にはない。
強くなりたいとは思う―――だけど、そんなのどこでも出来る。
「全く恥ずかしい話だよ。2年生にもなれば後輩が出来て、そして俺達も明確に将来を……進路を考え始めなきゃいけない頃だろ? そうなってくると明確に取得する授業や内容、活動が将来を考えての事になる」
だけど、俺が生きる上ではそういう事を学んだり準備する必要はないのだ。俺はこのまま学園を止めて自由になったとしても、ぶっちゃけた話、何も問題ない。一人で生きるだけの力はあるし、自分でお金を稼ぐ手段もあれば、どうやって必要以上の苦労をせずに生きて行けるかの知恵と知識、それに経験も存在する。だからそこまで必死にならなくていいのだ。もう既に、社会に出る上で必要な知識や技術は取得し終わっているのだから。
だけどそれは期待を向ける親父や祖父に対して不誠実ではないのか? そんな考えが自分の中に浮かび上がる。だけどそんな考えで、情熱もなく、惰性のままに学んで目指す、というのも相当失礼な事でもある。
「目的もなく強くなって……目的もなく頑張って……いや、それでいいんだろうけどさ、学生は。だけどそれが許されない年齢に俺はある訳だろ? お前とは違って。お前は16で、俺は21だ。お前のその年齢なら俺が言っている事もまだ許されただろうよ。だけど俺は21だぜ? 結婚して妻子持っててもおかしくない年齢だぜ? こんな世迷言を言ってるのがそもそもおかしいんだ」
そう考えると更に自分が嫌になってくる。他人の期待が、自分の暗愚さに。しかもこの話の内容は簡単だ。
「
結局のところは俺の意志の弱さの問題だ。パンダの様な破天荒ではないし、サアキの様に明確に到達したい目標がある訳ではなく、レヴァンの様に強い覚悟がある訳でもなく―――システィナの様な燃え上がる願いがある訳じゃない。自分だけ、あの集団の中ではメンタル的な部分では劣っているのだという自覚がある。武芸ばかり磨いたところでまるで意味がない。それを支える精神力が足りていない。人間性を削った所で大丈夫なのは戦っている間だけだ―――削った分だけ、自分を見失い、まともな生活から外れて行く。
いや、自分がこうだったのは前からの話だ。言い訳なんてしない。
「……まぁ、だから今返事を返したところで迷惑にしかならないからな」
「成程な」
納得するかのように腕を組んだレヴァンは頷きながらそうだな、と呟き、視線を返した。
「―――お前、卒業したらウチに来い」
「おい」
「煩い。俺がお前の事情等知ったものか。というかそもそも俺は皇子だからな、欲しいものがあったら己の力で手に入れる。そして俺には欲しいものがある―――強く、頼りになる味方だ。そして俺にはそれに心当たりがある。多少人間的に馬鹿なのが玉に瑕だとも言えるが、まぁ、人間完璧な者よりも多少粗のある方が愛嬌がある」
「援護しているようでボロクソ言ってるなこいつめ」
無言のまま、レヴァンが中指を持ち上げて突きつけてきた。そのままもう片手も中指を持ち上げる様にポーズを決めた。これでも皇子なのだからこの国は凄い。威厳もクソもない。品もない。大丈夫か、帝国。そう思いながら思い出すのはフライングネックハングを食らうパイ投げ紳士の姿だった。アレが国を統治しているならこれもアリだな、と納得する。
「いいか―――お前の悩みなんてどこにでもあるくだらないもんだ。そんなもの簡単に答えが出る訳じゃないし、納得する答えは生活している内に見つかるものだ。大体誰だって人生で妥協を覚え、それをこなしている内に慣れ、適応して、そしてそれを楽しく思えたりするもんだ。お前に必要なのは無駄に考える事じゃなくて行動だろう」
「バッサリと言いやがってこいつ」
「お前の友人だからな!」
レヴァンの自信満々の言葉に小さく笑い声を零してから、勢いよく吹き出す。レヴァンの心の強さが羨ましかった。だが同時に心強かった。自分よりも若いこの皇子はしっかりと未来を見ていた。何をやるべきなのかをしっかりと見つめていた。だけど同時に、それ以外の事を見る事の出来る視野の広さも持ち合わせていた。それはとてもとても頼もしい友人だった。ふふ、と笑い声を零しながら、
「俺には勿体ない友達が多くて困ったもんだ」
「はは、だけど困ってる暇なんてないぞ―――来年からは色々と大変だからな」
レヴァンのその言葉に首を傾げる。それを見てあぁ、とレヴァンが声を零す。
「そう言えば基本的に秘密にされていたな」
「何がだ?」
「いや、来年の話だよ。俺達が2年生になるだろ? それで後輩が増えるだけじゃないんだよ、来年は」
それはどういう意味だ、と聞けば、レヴァンが話しを繋げてくる。
「いや……ほら、少し前に戦争しただろ? その時異世界人を使ってたって話は知っているよな? 確かチキュウ人だっけ? 連中、どうやら校舎ごと此方へと召喚されたみたいでな? 戦争で土地をふんだくるついでに連中を
「
「
まぁ、保護だよな、と納得しておく。
「とりあえず、予想通り間違った知識と考え方で此方を悪として認定しちゃってるから正しい情報を与えて、ひも付きにして飼う余裕はないし、本人の為にもならないから最低限の教育を今行っている最中だ。それが終わったら来年……つまりは春季からその意欲があるものだけ、奨学金でヴェルグの方で受け入れる手はずになっている」
「めんどくさい事をするんだな」
「それにそれだけじゃないだろ。お前の血縁が露わになったんだから、事情を知る人間が出れば間違いなくお前に対する何らかの接触を行おうとするし、その……アデルバルト翁」
「ジッジ」
「うん……も、なんというか、話を聞いている感じ凄いアレだし……なんというか、普通にそのままにしておく気がしない。というか絶対にしないだろうアレ。お前から聞いた話だけでももうなんというか俺の知っている人物とは別人だぞ」
「あの皇帝であの将軍」
「止めろ、納得してしまう理論を出すのは止めろ」
「所で宰相はどんな人物なの?」
「理論の対象を広げようとするのは止めろ……止めろ。帝国の政治に関わってる連中は総じて結構いい性格しているんだからホント止めろ」
そこまで話したところで笑い声を零しながら、はぁ、と溜息を吐く。どう足掻いても平和で穏やかな学園生活、というものは存在しないらしい。その事実に軽く溜息を吐きながらも、新年を楽しみにしている自分がいる事に気付いた。だが不思議とその事実には驚きを感じなかった。だから……そう、自分は楽しみにしているのだ、あのハチャメチャな学園での生活を。
辛い事もあるし、楽しい事もある……だけどそれを全部ひっくるめて学園での生活である、という事なんだろう。なんだかんだで、自分もあの学園を自分の人生の一部として考え始めている、という事なのだろう。
「来年から後輩に、選択授業が増えて、そして将来の事か……」
「ま、色々と考える事はあるけど……今は冬休みだ。そう、日々の勉学を忘れて俺達が遊ぶ事を許された時間だ。何時もとは少し違う遊びに行かないか」
そう言ってレヴァンが一枚のカードを取り出した。それは、と声を零して、
「―――最近オープンした貴族向けの高級娼館の名刺」
「高級娼館」
「父上の部屋からパクってきた」
「パイ投げ紳士……」
「まぁ……ほら、父上も偶には特殊なプレイとかやってみたいだろうし……」
「それ、フォローになってねぇから。知りたくない情報増えてるから」
パイ投げ紳士は高級娼館で特殊プレイに挑む―――絶対に民に知られてはならない情報だった。嫁が複数いるんだからお前そっちで我慢しろよ、とは思わなくもないが人間、毎日牛肉を食べていれば偶にはラム肉だって食べたくなる。そういう感じなのだろう。
クッソ不敬な考えだった。
「それはそれとして、それどうするんだよ」
「普通は紹介がないと無理だが―――これで父上を脅迫してみるのはどうだろうか」
「パイ投げの時の復讐にはなるな……やろう」
「この冬は退屈しそうにないな!」
とりあえず今は馬鹿になろう―――馬鹿になって遊んで冬を過ごそう。まだなりたいものは解らないが、相談し、一緒に悩んでくれる友はいるのだから、そこまで深刻に考える必要はないのかもしれない。ただ今は、
―――パイ投げ紳士へのリベンジのみを考える。
帝国は今日も地獄です(ネタで
という訳で次から春季、或いは新年、或いは新学期ですぞ。新キャラ、新モブ、新パイ、そして季節の代わりによって毛が変わったパンダ、と新しい事ばかり。
後輩増えつつ2年も頑張ろう。