――私の勝ちよ、アーチャー。
――ええ、そして私の敗北よ。
私はクリトリスの小太刀を握りしめたまま数秒立ち尽くした。ついさっきまで繰り広げていたコンマ一秒すら気の抜けない死闘を思えば永遠にすら感じられるほど静寂が続いた。
ようやく死闘の終着を実感できたのはみっともなく尻もちをついた時だ。体はとっくに限界を迎えていて、自重を支えることすらままならなかった。辛うじて意識が飛ぶのだけはなんとか堪えられて私は安堵の吐息を溢す。
「――ほむらちゃん!!!」
まどかに思い切り抱きしめられて昇天しそうになる。ああまどかの温もり、まどかの匂い、まどかの感触に包まれる。天国かここは。もういつ死んでもいい。
「うあああああああああああああああ!」
顔をくしゃくしゃにして泣き崩れるまどかを見て、呑気に多幸感に酔っている自分に腹が立つ。まどかにこんなに心配をかけて、さっきまで浮かれていた私万死に値するわ。
「まどか、心配かけてごめんね。もう大丈夫だから」
「謝らなきゃいけないのは私の方だよ! 私がほむらちゃんを守らなきゃいけなかったのに、私なんにもできなくて……! 悔しいよ! どうして私はこんなに弱いの! どうして私には何も守れないの……!」
「……まどか」
ああ、まどかも同じだったんだと今になってようやく気が付いた。大事なものを守りたくて、でも力が及ばなくて、そんな弱い自分にはらわたが煮えくり返るくらい頭に来て……。そんな無力感に苛まれているのは私だけだと思い込んでいた。
涙が溢れる。私はまどかを力いっぱい抱きしめ返す。私達はこんなに似ていたんだ。
「一緒に強くなろう? 大事な人を守れるくらい、運命に負けないくらい強くなって、この地獄の先へみんなで行こう?」
「ほむらちゃんっ……!」
私達は抱き合って泣いた。前の自分より少しでもマシになって互いが互いを守れるくらい強くなれるよう、今はただただ力いっぱい泣いた。流した涙の分だけ強くなれることを信じて。
アーチャーは抱き合って泣き崩れる二人の姿を見て、聖杯よりもずっと眩しい希望を見た。この二人ならあの絶望の運命に打ち勝ち、地獄の向こう側へ行けるのではないかと心の底から思う。
決心した。あとは全部この二人に任せよう。この身、この魂は聖杯の器の礎となろう。答えは得た。もう思い残すことは何もない。
自身の霊核を握りつぶそうとした時だった。走馬灯が見える。きっとあんなに眩しい光景を見たからだ。(私でも、もう少しまどかと歩み寄れていればこんな風になれたのかな……。今まで歩んできた道のりは地獄だった。でもそこにはいつだってあの子がいて……だからここまで来れ、て……?)
なんだ、この違和感は……? 何を見落としている……? 霊核を潰そうとしている手に力が入らない。
「アーチャー! 何してるの!? やめて!?」
マスターの叫び声を聞いてアーチャーの意識が現実に引き戻される。そうだ、まどか……いいや、セイバーだ。あの地獄を生き抜いた百戦錬磨の女神が、令呪で縛られた程度でアーチャーが大人しくなると本気で考えたのか? 否、セイバーはそんな間抜けじゃない。
今こうして暁美ほむらと決着をつけられたこと自体がおかしい。あんな状態のアーチャーをセイバーが放っておくわけがない。いくらアーチャーに負い目があったとしても、あの慈愛に満ちた女神が暁美ほむらを天秤にかけて切り捨てたとはとても思えない。
「お願い! やめてアーチャー! これでお別れなんてあんまりだよ!」
まどかは必死の形相で自主退場をしようとするアーチャーを引き留めようと涙ながらに懇願する。そうだ、鹿目まどかはこういう少女だ。たとえ親友を殺そうとした危険分子でも、アーチャーという救われない魂を放っておくことができないどこまでも優しくて愛に溢れた天使、それがまどか。……そうだ思考を切り替えろ。まどかを疑ってもしょうがない。もっと別の要因があるはずなんだ。
「……おかしいの、マスター」
「え……? アーチャー?」
「何かがおかしい事はわかるんだけれど、でもそれがいくら考えてもわからないの。どうして私はこんなに自由に暁美ほむらと殺し合えたの……?」
『ああ、最高だ……! 絶望のどん底に落とされ、憎悪に塗りつぶされ、それでもまた立ち直って成功と希望の未来を求め這い上がれる不屈の少女よ、君に最上の敬意を表する』
「誰!? どうしてまどかの中から別の魂の波長が……!」
『どうも。僕はまあインキュベーター専門のアドバイザーみたいなものだと思ってくれ』
「ええ!?」
『詳しい説明も自己紹介もあとでじっくりしよう。それより僕の仮説を聞いてほしい』
アーチャーは聞きたいあれこれを今この時だけは飲み込んで神妙に頷く。
『まどかの令呪を見てくれ。彼女の左手の甲には最初三画で構成された魔術的な紋様が刻印されていた。でもアーチャーを止める為に彼女は二画の令呪を行使した。すると彼女の手の甲の刻印は上から順に二画消失している』
それはそうだ。令呪とは元来そういうもので……
「まさか!?」
『ああ、そのまさかだよ。鹿目タツヤの令呪の刻印はまどかと同じように二画消失していて残り一画しか残っていなかった。召喚後にみんなの刻印を確認したから間違いない』
セイバーのあのどこか助けを求めるような……それでいて暁美ほむらに何かを賭けるようなあの眼差しは……。
『鹿目タツヤは≪何か≫を隠していて、それはセイバーにとって重大な≪何か≫で、尚且つその≪何か≫はまどか達に知られると鹿目タツヤにとって都合が悪いものだ。アーチャー、頼む、もう少し力を貸してくれ』
「ああ、くそ、当たり前よもう……!」
アーチャーは顔を悔し気に歪め爪を噛んで苛立ちを隠せない。どうして今まで気づけなかった。セイバーはあんなに助けを求めていたじゃないか。
「多分セイバーはこの聖杯の儀式を無理やり手伝わされている。令呪の命令は告げ口禁止と聖杯の儀式完遂の協力、そういうことでしょう?」
『うん、僕もそう考えている』
まどかが二人の言葉に戸惑ったように言う。ちなみにほむらは力尽きたのかまどかの膝枕の上でだらしなく眠っているだけなので役立たずだ。
「えっ、でもそれっておかしくない? だって未来の私は聖杯を求めてタツヤの求めに応じて召喚されたんだよね? 聖杯の儀式に反対なら求めに応じなければよかったんじゃない?」
「きっと気づいたのは召喚された後だったのよ」
「???」
(ヒントはいくらでもあった。少し冷静になって周りが見えてさえいれば簡単に気づけたはずなのに、どうして私は自分のことばかりにしか目がいかなかったの……?)アーチャーはセイバーの事を思うと胸が引き裂かれそうになる。
「タツヤ君が自分の過去現在未来を担保に聖杯起動の魔力を補おうとしているってことに」
「……え……?」
顔を青ざめて絶句するまどかの頭をアーチャーは優しく撫でる。
「安心してマスター。私が今度こそあなたの大切なものを守って見せるから」
「アーチャー……!」
やっとまどかの顔をまっすぐ見つめることができた。涙を浮かべる彼女の瞳を見て思い知った。今までの暁美ほむらは自分の考える理想の幸せをただ押し付けるだけだった。でもそれではダメだった。大切なのはまどかの心。彼女の思いも信念も心も無視して自分の理想を押し付けても、まどかは幸せになれるはずがなかったのだ。
「今度は、間違えない……!」
アーチャーは全身全霊で守らなければいけないものを、ようやく見つけることができた気がした。