エロはないです。
(やはり、と言うべきですか……)
台所はサーヴァントでごった返していた。
予想はしていた。
なにせ食事を終えても席を立つ者がいつもより少なかったからだ。
中には椅子の隣に何やらワケのわからない荷物を置いてある者までいた始末。
何のために、と考える必要もない。明日のため以外の何物でもないのは明白だ。
今時分は2月13日21時30分。
バレンタインデー前日である。
(なんとも煩わしいこと)
ある程度は仮想空間か己が
だが、それも仕方ない。一騎当千のサーヴァントと言えど、文明の利器に打ち勝つのは並大抵のことではないのだから。ましてや期限が定められているイベントだ。何を用意するかなど興味はないが、今更クラシックな調理法に拘って肝心要のイベントに間に合わなくては元も子もない。
もっとも、それは自分にも適用されること。ここでいつまでも様子をうかがっているわけにもいかない。
割れた小瓶を片手に持ったケルトの女王と、己が宝具のミニチュアを指に挟んだ影の国の女王の睨み合いを尻目に、台所の守護者である赤い弓兵に断りを入れる。
「失礼。わたくしも使わせていただいてよろしいですか」
「お前もか、殺生院」
露骨に眉をしかめられる。
態度に険があるのは台所の惨状もあるが、純粋に私を敵視しているのもあるのだろう。その倦怠と嫌悪が入り混じった表情に笑顔を返し、話を進める。
「ええ。恥ずかしながらわたくしも明日の準備を進めとうございまして」
「……勝手にするがいい。もっとも、人類が苦もなく食べられて悪影響を起こさないものを作るのが最低条件だがね」
それは皮肉か警告か――あるいは両方か。
それにしても随分と嫌われたものだ。声のトーンに寛容さがまるでない。
因縁からして仕方ないことでもあるし、今更気にかけたところでどうしようもないが、こういう場面では実に鬱陶しい。
だが、それ以上に不愉快なのは、私をあそこでタコ型チョコレートを作っている娘と同列に見なしているコトだ。
なるほど、日頃ここで鍋を振っているだけあって、料理の腕と目利きには相当な自信があるのだろう。
実際この弓兵の作る料理はかなりのものだ。質・幅ともにプロと遜色ないレベルと評してもよい。その賢しい目利き通り、私が人のために料理を作ることはおろか、台所に立つなどもはや記憶の彼方である。
しかし、私を凡人の努力で測るなど思い上がりも甚だしい。
ぶっつけ本番でも相応のものを作れる自信はあるが、今回に限っては気まぐれで手慰みに作る気概など持ち合わせてはいない。これは彼とあの子に食べてもらうものなのだから。
既に一般的なレシピと私の舌とのすり合わせは完璧だ。短い時間ではあったが既に準備は終了している。
(貴方は持たず、わたくしは持つもの。それが何かをついでに教えて差し上げましょう)
――もっとも、今日はあくまで下ごしらえ。本番は明日だ。
なに、結果など彼の笑顔を見れば一目瞭然となるだろう。その時こそ、コック気取りの陳腐なプライドは超えられない才に膝を折るのだ。
小豆と生クリームを用意する。チョコレートともち米は明日でいいだろう。
「何を作る気かは知らんが……私は明日非番でね。まともな甘味を作りたいのであれば、今のうちに助けを乞いた方がいい」
「でしたら後片付けをお願いできますか」
この男は本当に鬱陶しい。
蓄えられた活力が身体を自然に覚醒させる。
それは決戦を今か今かと待ち望んだ細胞の咆哮。
手早く身なりを整え、いざ女の
それでは、魔性菩薩の本領とくとご覧あれ――
「何故貴方がこちらに?」
「キャット君が急に外してしまってね」
やれやれ、と頭を振る赤い弓兵。それはこちらがやりたいことだ。
……今日ほどあの対処に困る珍獣がいないことを悔いた日はない。あれはあれで困りものだが、目の前にいるつまらない男よりは僅かにマシだ。
昨日顔を合わせただけでもうんざりだと言うのに、何故今日もまたこの辛気臭い顔を拝まなければならないのか。
肺の空気を全て使ってため息をつきたいところではあるが、この赤い弓兵と明確な不和を表面化して彼にいらぬ心労をかけるわけにもいかない。ここは慈悲の心で流さなくては。
途中、凄まじい闘気を噴出させるバーサーカーをあえて無視して、昨日の続きに入る。
「ほう、濃口醤油か? ……そちらは?」
「焼き塩です。一般的な隠し味かと思いますが」
「意外だな。てっきりC21H23NO5でも用意したのかと」
「それは何の映画の引用ですか? それとも楽しい生前のお仕事絡みかしら」
口を開いたと思ったらまたつまらない事を。
昨日の下ごしらえを見て私の腕はある程度分かったのか、どうやら今度は異物混入を疑っているらしい。
この程度の横槍で集中力など途切れはしないが、煩わしいことには変わらない。さっさと自分の仕事に戻るか他の補助にでも回ればよいのに。
ちなみにC21H23NO5とはヘロインの化学式だ。
「いやなに、とうとう強硬手段に出るのではないかと危惧していたのだよ」
「――」
隠蔽と自戒のために意識して真顔を維持する。
見当違いを嗤ってしまっては私達の関係が取り沙汰されてしまうし、そもそもその感情自体が彼と彼女との関係に相応しくないように思う。
それに、彼はそれの発露である表情を悲しんでいたこともある。これからは特に気をつけなくてはならないのだ。
「――いや失敬。重い場を和ます私なりの冗談だったのだがね」
「半端に気取ろうとするから滑るのですよ、正義の味方さん?」
「手厳しいな。だが、それも仕方ないだろう――」
何が仕方ないものか。
無言でごまかしはしたが、不愉快であることに変わりない。
しかし、不本意ながらこの場では仕方ない。実際に場が重いのは否めないのだ。そう――
「何故、頼光様が?」
「私が知るかっ。何を手伝うわけもなし、朝からずっとここにいるんだ」
――世にも恐ろしいあの女に背後から監視されているのだから。
抗菌ビニールに包まれた業物を片手に、割烹着姿でこちらをじっと眺める姿は獄長か何かか。
口元は笑みを形どってはいるものの、眼は完全に素のままなのが恐ろしさに拍車をかけている。
その立ち振舞たるや、現在すぐ隣の流し台で、割れた小瓶を片手に影の国の女王からマウントポジションを奪おうとしてるケルトの女王よりも余程に獄長としての凄みがある。
「……せめて武装解除を申し出ては?」
「彼女に『お構いなく』を何度も言わせたくない。幸い邪魔にはならないようにしているんだ。構わないだろう」
確かに。
この様子では繰り返し申し出たとしても、逆にこの弓兵が邪魔と判断されるだけだろう。もしそう判断された後は推して知るべしである。
「それに、どうやら彼女の目的はお前のようだ」
「わたくしにですか?」
流石に調理を止めて視線を移すわけにはいかないので、背後の重圧に意識だけを傾ける。
「何か不興でも買ってしまったのでしょうか」
「どの口で言うんだお前は」
まったく口煩い。
記憶にあるサーヴァントにならともかく、初見の相手にはこれでも自重をしている。
もっとも、誰も彼も業が深く面白そうであるため時々自重が緩みそうにもなるが、後ろの女は様子見で危険を感じ取って以来細心の注意を払っている。
「……」
どうやらこの弓兵とは違い横槍を入れてくるようなことはなさそうだ。
感じる重圧は凄まじいが、幸い調理は仕上げの段階に入ったところだ。もう少しでこの煩わしい場から去る事ができる。
「小ぶりとは言え数がいささか多すぎはしないか」
「これは後のお茶会に使うものです」
そう、私とマシュさん。ついでにあの悪童の分だ。
あの悪童の好みは知らないが、なに、合わないなら合わないで自分が食べれば良い。
とは言え、この三種のおはぎはいずれも絶品のはず。まともな舌を持っているのならば、口に入れた瞬間膝から崩れ落ちるコトだろう。
「!」
「む」
完成、と一息つこうとした瞬間にゆら、と山が動いた。
誰とは言うまい。後ろで私を監視していたあの女がとうとう動いたのだ。
今まで微動だにしていなかったが、とうとう明確な意思を持ってこちらに近づいてきた。
足音どころか衣擦れの音すら立てず近寄ってくるその様は、さながら獄長から殺し屋に宗旨変えしたと言わんばかりだ。
一歩一歩、確実に近寄ってくる殺し屋。
さて、どう来るかとつま先と手首に軽く力を込めておくと、横に並び立って作ったおはぎをちら、と眺めたかと思えば、こちらにゆっくり視線を移して口を開いた。
「お上手でしたね。ですが、調理中の無駄口は控えたほうがよろしいですよ」
「まあ、お恥ずかしい」
唐突な姑ムーヴ。いや、京都ムーヴなのだろうかこれは。
二重に意表を取られてしまったが、詰まらず無難に返答をする。そんな動揺を知ってか知らずか、諸悪の根源は軽く微笑んで台所から軽やかに出ていってしまった。
誰のせいだと思っているのでしょうね、と思う前に
「何だったのでしょうか」
「私が知りたい」
心からの疑問を二人して零してしまった。
「脂すっごいなー」
サーモンのムニエルを口に運ぶ。
これが俺だ、と言わんばかりの濃厚な魚の味は、ケルトの大英雄フィン・マックールとその忠臣であるディルムッド・オディナからの提供だ。
チョコのお返しに鮭をくれるフィンにもビックリしたが、それを手際よく料理してくれたディルムッドにもビックリした。
---
「サーモンを小麦粉とバターで炒めるだけのこと。こういう男の料理もたまには良いでしょう」
「うむ。サーモンだけにさーもんありなん! 香草は……代わりにお前の白薔薇を使うというのはどうだろうか」
「王よ、多角的に自重されるがよろしかろう」
「はっはっは。多角的な冗談さ」
---
(フィンの冗談は多角的にキッツイからなぁ)
あくまでディルムッド特攻なんだけど。
片や生前での確執によるブラックジョーク。片や昭和に封印されたはずの
これをコントの前菜として出す王の気配りは、さぞやディルムッドの胃酸濃度を高めることだろう。
(ま、前菜さえクリアすれば愉快なイケメン達なんだけどさ)
あの二人の昔話はとても面白い。
時代は違えど男あるあるが結構な頻度で出てくるのでこちらも話題に乗りやすい。
ムニエルを食べ終えて箸を置く。
少量しか食べていないけど脂のおかげか満足感が凄い。
一切れしか出てこなかった時は足りないかもと思ったけどこれで十分だ。
さて、引き続き午後もサーヴァント達に感謝を伝えなければ――
「まだお腹に余裕はありますか、マスター」
声が聞こえた方向に視線を向けると、
「あ、キアラさん」
「はい。こんにちは」
キアラさんがいた。
朝から見なかったから何処に行ってしまったのかと思ってたけど、食堂にいたのか。
と、キアラさんの持っているものに目が行く。フードカバーがかけられたお皿……これは、まさか。
「今日はバレンタインですので。受け取っていただけますか?」
「やったぜ」
(やったぜ)
やったぜ。
正直なところ期待はしていた。しまくっていた。
朝から姿が見えなかったのは、ひょっとしたらひょっとするんじゃないかって。
キアラさんから貰える、恋人から貰えるチョコレート。これで滾らずは男にあらず。それはもう、座っている椅子とテーブルを蹴飛ばして勝利の咆哮をあげたいところだった。
「マスター?」
「あ、うん。嬉しい! とても嬉しい! ありがたく受け取らせてもらうよ!」
セーブするつもりだけどつい声が大きくなってしまった
でもいいか、近くにはスタッフもサーヴァントもいない……ああいや、キッチンには誰かいるのかな。
なんか微かにパリーン、とかスコンッ、とか、ビンが割れたような音やダーツか何かが刺さったような音が聞こえるし。
「早速食べてもいいかな?」
「ええ。デザートにどうぞ」
さっそくフードカバーを取る。
そこにあったのは――
「あっ、おはぎだ。それとお茶まで」
「ええ。わたくしの好物でもあります」
ああ、やっぱりそうだったんだ。
たまに黙々と食べてる姿を見かけていたから、好きなのかな―とは思っていた。
「ですが、今日はバレンタイン。想い人にチョコレートを送る日でございます。
わたくしの好みだけを押し付けるのも如何なものかと思い、三種味を用意してみたのです。
一つは従来のもの、一つはバレンタインらしくチョコレートを、最後はやや邪道ですが生クリームを使っております。どうぞ、お召し上がりなさいませ」
おお、現代風味……!
チョコレートと生クリーム、そういうのもあるのか。
これは嬉しい。バレンタインの用意だけでなく、その心遣いがとても嬉しい。
そこまでしてくれたんだ、是非ともその心遣いに応えなくては。
まずはベーシックなおはぎをつまむ。
本当は生クリーム入りからいきたかったけど、何事も基本からだ。
一口サイズのそれを口に放り込み、ゆっくりと咀嚼する。
――これは、
「美味い! こんなおはぎ初めて食べるよ! キアラさん料理上手なんだ……!」
「まあ、お上手ですこと」
信じられないくらいに美味い。
おはぎの味に間違いないんだけど、それを超越しているような気さえする。
本当にこんなおはぎは初めて食べた。こんなものを食べてしまっては、もう市販品のものに戻ることなんてできやしない……!
覚悟を決めてゴクリ、と飲み込む。
もう口内が味で麻痺するまで咀嚼していたかったけど、まだこのレベルの美味しさが二つも残っているんだ。それを置いてまでするなんてありえない。
さぁ、次の楽園に出発するために二個目のチョコレート入りを手に取り、口に放り込む。
「うん、これも美味い! 本当に美味い!」
「ふふ、そんなに褒めてもおかわりはありませんよ?」
ないのか。
もう食前食後に食べていたいのに。
あんことチョコレートって案外合う……というより、中のものはチョコレートではなく正しくはチョコレート餡だ。
なるほど、ただ単純に合わせるのではなくておはぎ用に作られた餡なんだ。
「うま――」
ああ、口の中が幸せだ。食べれば食べるほど味がわかる、幸せが増していくのがわかる。幸せすぎて、視界がだんだん――
(あれ?)
どこだここは。
急に目の前の景色が変わって……?
いや、違う。
椅子にテーブル、目の前のおはぎとお茶、キッチンから見えるエミヤの苦虫を潰したような顔、その更に奥で声を荒げているメイヴちゃんとスカサハの声。
そうだ、ここは食堂だ。
でも食堂ってこんな景色だったっけ?
以前はここから端にある壁の擦り傷なんて見えたことなかったんだけど。
なんで今日はこんなによく見えるんだ?なんでこんなに視界が開けているんだ?
音もよく聞こえる。
自分の心音がよく聞こえる。
エミヤの舌打ちがここからでも聞こえる。
その奥にいるであろうスカサハの『タップしてはどうだ』という声も、メイヴちゃんの『面白いジョークねっ……』という声もしっかりと聞こえる。
(――――)
まぁ、いいや。
それより三個目のおはぎを食べなくては。
生クリーム入り。はてさて味の程は如何様なものか。
コツコツ、と近づいてくるエミヤの足音と、キアラさんのクツクツ、と喉を鳴らして笑っている声を聞きながら三個目を口に放り込んだ。
(これが現実なのですよ)
そう、これこそが貴方には到達できない境地。
彼を満たすことが出来るのは台所の守護者である貴方ではなく、この私、殺生院祈荒。
同じ境地に並び立てるものなどあの子――マシュ・キリエライトのみ。
近寄ってくる赤い弓兵の貌のなんとも愉快なことか。
今にも双剣を出して斬りかかってきそうではないか。
だが、あのバーサーカーでもあるまいし、このカルデアでそんな事ができるはずもない。こと、秩序と言った立場に縛られている貴方には、とてもとても――
では、鮮やかな幕引きを。
何故この男に対してこんなノリになっているのかは今以って不明だが、せっかくある舞台なのだ。完璧に演じるとしようではないか。
彼がお茶を飲み終えた時こそが全ての終わり。
貴方は、今まで餌付けしていた彼によって全てを打ち砕かれるのです――
(それではご当地ヒーロー様。済度の日取りでございます)
コトリ、と彼が湯呑を置いたと同時に口火を切る。
「如何でしたか、殺生院印の特製おはぎの程は。ご堪能めされましたか?」
「うん。食べれば食べるほど味が明確にわかる。ただ甘いだけじゃない、全体のバランスが素晴らしい。隠し味は塩と醤油だね。甘さを引き立ててる上に引き締めてる。ハーモニーっていうのかな、味の調和っていうのかな。全てのピースが噛み合ってるみたいな。あんこと生クリーム、あんことチョコレートのおはぎも素晴らしい。普通なら甘さに甘さをかけてクドくなるコトなんてわかりきってるのに、丁度いい最適な甘さにキチンと計算されてる。まるで芸術品みたいだ。味だけじゃない。胃に落ちた後も素晴らしい。優しい甘さがそのまま滋養に変わるのがわかるみたいだよ。お腹から四肢に伝わって身体全体に力が漲るような。そして最後のこのお茶。熱く滾る身体を引き締めるようなこの渋さが――」
「マスター?」
「マスター?」
(立香さん?)
立香さん?
これは……何? 突然の舞台変更? いつから食べ歩きグルメ番組に?
いや、違う。これはおかしい。返答内容はおかしくないが返答がおかしい、一体彼に何があったのだ。
助けを乞うがごとく赤い弓兵の方に視線を投げると、私と同じような目をした弓兵その人と目があってしまった。
と、唇が微かに動いているのが見える。「な、ん、で、さ」……なんでさ? それは私のセリフだ。
「二人共どうしたの、少し汗もかいてるようだけど」
「『どうした』は私のセリフなのだが……」
「何かおかしいかな」
全体的におかしい。
彼の表情はいつも以上に澄み渡っている。と言うより、澄み渡りすぎて謎の境地に達してしまっている。
彼は一体、今何処にいて何を見ているのか。
「うん。今日はとても調子がいいや。今なら書文先生に見せてもらった技も形にできそう」
そう言うや否や、彼は踵の力だけ使って椅子からぐん、と立ち上がった。
と思えば、その反動を使って軽やかに空中で一回転し、テーブルの向こう側に見事に着地した。
まるで軽業師のような身のこなしだが、ここカルデアに置いては珍しくもない。そう、サーヴァントが跋扈するここカルデアでは日常茶飯事だ。
だが、サーヴァントでもない彼が食後のデザートを食べた腹ごなしに行うにはあまりにも異常すぎた。
と、赤い弓兵に胸ぐらを両手で掴まれる。
「殺生院、貴様――! おはぎに何を盛ったッ!」
「ま、待ってください!
本当に如何わしいものは何も使っていない。
この殺生院祈荒、食事とセックスは紛うことなきオーガニック派だ。
ましてや恋人である彼に振る舞うものにそんな事をするわけがない。
「ええい、残りを渡せ! 検分する!」
「ああっ、それは
後ろのテーブルに置いてあったタッパーを奪われる。
赤い弓兵は中にあったおはぎを力任せに掴み、豪快に咀嚼する
「ッ――! これは!」
「な、なんでしょう……?」
目を見開く台所の守護者。もとい赤い弓兵。
その迫真の表情に、後ろめたい事がないにもかかわらず不安に駆られてしまう。
「美味い!」
「馬鹿なんですか!?」
馬鹿だった。
「いや、実に美味い。意外だったよ殺生院。マスターの言う通り全体のバランスが――」
「貴方の食レポなんて聞きたくありませんっ、と、あら……?」
ふと見渡せば見事な軽業をキメた彼の姿がない。
しまった、この男にかまけている最中に何処かへ去ってしまったのか……!?
「なんだ殺生院。む――?」
私の焦燥を感じ取ったのか、視線の先を合わせてくる赤い弓兵。
問題の人物が視線の先にいないと見るや、あたりをキョロキョロと見回し始めた。
と、こちらに振り向き口を開く。
「マスターはどうした!」
「貴方、馬鹿でしょう!」
済度しがたき馬鹿だった。
「アンデルセンですか!? 立香さんがおはぎを食べて行方不明なのですっ」
「なにが、どうした」
「い、いいから早く来てっ! 来なさい!」
プツンと切られる内線に沈黙を返す。
「……」
本当にどうしたと言うんだ。
因果関係がさっぱり分からないが、あの藤丸立香の行方がわからないことと、キアラが焦っているのだけはわかった。
それの解決に召喚されたようだが、童話作家の俺が出向いて一体何が出来るというのか。そもそもあのメロン峠が何処にいるのかさえも知らされていない以上、一体どこへ出向けというのか。
「……ハァ」
重い腰を上げる。
まったくもってわからないが、無視するわけにもいくまい。
大方あの女の慌てようを見るに、立香が行方不明になった原因に深く関わっているのだろう。
とりあえずは散歩のついでにあたりを軽く捜索してみるとしよう。
それで見つからなかったらダ・ヴィンチにでも報告すればいい。
ドアに向かい外へ出る。
まったく、何故俺がこんな事を……
「やあ、アンデルセン」
思いの外あっさりと見つかった行方不明者。
だが……
「『やあ』って……どうした立香」
「何かおかしいかな」
明らかにテンションがおかしい。
一体コイツに何があったのか。これがあのメロン峠が慌てていた原因なのか。
こちらの驚きなどどこ吹く風か、無駄な爽やかさを醸し出して言葉を続ける我らが愉快なマスター。
「今日はとても調子が良くてね。急だけど書文先生に見てもらおうと思って」
「そうか。そう言えば、キアラがお前を探していたぞ」
「キアラさんが? ごちそうさまは言ったし、行き先も伝えたんだけどな。ごめんだけど、書文先生の所にいるって伝えておいてくれないかな」
「ああ……」
見た所、面白いだけで害はなさそうだ。
あのメロン峠には行き先だけ伝えればいいだろう。
人を確保する肉体労働なぞ俺の仕事ではないし、何よりこの愉快なマスターが放つ妙な圧はどうにも対処しづらい。
「アンデルセン」
「なんだ?」
「一発でキメてくるよ」
「お、おう……」
やはり確保しておいたほうが良かったのかも知れない。
力強く歩を進める我らがマスターの背中を見送り、そう思った。
「一時はどうなることかと思いました」
「どの口が言うか、どの口が」
彼を担いだ赤い弓兵が悪態をこぼす。
それはこちらの台詞だ。人様の作ったおはぎを強奪しておいて何を言うのか。
そもそもこの男が無駄に騒ぎ立てなければ今以ってこんなことにはなっていなかったのだ。
アンデルセンの情報により李書文のいる仮想空間に向かうも、待っていたのは眠りこけていた彼と、なんとも言えない表情で首を傾げていた拳法家だった。
拳法家が言うには、突如彼が押しかけてきたと思いきや、気まぐれに見せてやった猛虎硬爬山を今から披露するので見て欲しいとがぶり寄ってきたらしい。
あまりにも突拍子もない言動に面食らっていると、返事も聞かずに彼は技を敢行。挙動不審な彼の言動とは裏腹に、普段とは二枚は上手な技の完成度に珍しく褒めようとした所、拳法家が言葉を発する前に彼はひっくり返って眠りだしたというのが事の顛末だ。
---
「さて、儂の疑問は解消できるのだろうか」
「ああ、実に単純明快だ。全てはこの女の作ったおはぎが原因だ」
「なんですかっ! 人の作ったものを毒物みたいにっ」
「そうか。少しそこで待て」
「む?」
「鉄観音茶だ。気休めかも知れぬが、疲労回復には効果が――」
「私は至って健常だ!」
---
軽くため息をこぼす。
よりにもよって彼と懇意にしてるあの拳法家にこんな醜態を晒すとは。無用な悪印象を与えたのは間違いない。
「原因は恐らく――」
と、赤い弓兵が口火を切る。
何をわかったつもりなのかこの男は。
「お前の魔力だ。故意か偶然か、作っている最中に込めてしまったのだろうよ」
「――ええ。思い当たる節がなくもありません」
業腹ではあるが、認めざるを得ない。
思うに、自分はいささかはしゃぎすぎていた。
愛の発露と言えば聞こえはいいかも知れないが、結果として彼が前後不覚に陥ってしまった以上そんな言葉は通用しない。
続くであろうこの男の言葉にため息が出そうだ。
大方、鬼の首を獲ったかのように畳み掛けてくるのだろう。
だがそれも道理。自戒も込めて聞かなくてはなるまい。
「私は今以って貴様を信用などしていない――だが」
「――?」
「私としてもここカルデアに無用な不和を招くつもりはない。加減を覚えろ」
「――ええ。今回はわたくしもその言葉を聞き入れましょう」
拍子抜けと言うべきか……一体どういう心境の変化なのか。
覚悟をしていたがまさかの妥協案。まさかこの男、先程のおはぎで……?
「なんだその目は」
「……いえ」
(まぁ、いいでしょう)
加減。
彼と付き合い始めてから意識し始めた言葉の一つ。
よりにもよってこんな男から指摘されるのは不愉快極まりないが、事実まだ足りていなかったのだ。
これも自身が招いたこと。噛めしめなくてはならないのだろう。
「エミヤさん」
「なんだ、殺生院」
そして、それとはまた別に――
「頼光様には内密に願えますか」
「安心しろ。私も進んで起爆スイッチを押す趣味はない」
ため息をこぼす。
それは先程に比べて疲労以上に安堵が大きかった。