無事にマグノリアを送り届けたアキは、館に戻った。
あの広場にも寄ってはみたが、すでにセレネの姿はなく、ただ怪物の残骸が残っていただけだった。
「お帰りなさいませ、アキ様。」
玄関では待ち構えていたかのようにスピカが出迎えてくれた。
帰りが遅くなってしまったことには追及せず、ただ挨拶と一礼をアキに投げる。
「スピカさん、リオスさんの部屋へ案内してくれませんか?報告したいことがあるんです。」
「かしこまりました。」
そう言うとスピカはどこからかカンテラを取り出し、火を灯した。
玄関から広間までは灯りが点いているため、アキにはそれが無意味な行為に見える。
それを気にすることもなく、スピカは案内するべく歩きだした。
先程の行動は、無駄ではなかったことに気付いたのは、居間を出た先のことだ。
廊下の灯りは消え、月明かりが窓から差すだけで、回りはよく見えるとは言いづらい。
だからスピカがカンテラを用意したのだろう。これで辺り全体を照らすことはできないとしても、月光よりははるかに広い範囲を明るくしている。
少しの時間を歩いているうちに、リオスの部屋の前に着いた。
相変わらず相手を威圧するかのようにそびえる扉だが、アキにはいつもより威厳が弱いと感じた。
扉をノックした後、開く。部屋に入るなり、アキのものよりも大きな椅子に座っていたリオスと目が合った
「…この短時間で、いい目をするようになったものだな。何があった?」
珍しくリオスが微笑みながら、アキに尋ねる
「決心が付きました。僕は、夢魔となるために、儀式を受けます。」
「…夢魔となるのにこのような事を聞くのは無粋だろうが、敢えて聞こう。何故だ?朝は人間に戻れることに歓喜していた者が、何故この短い時間で考えが変わったのか、それが聞きたい。」
今までアキに興味を持ってなさそうな振る舞いをしていたリオスが、アキの胸の内を探ろうとしている。
彼がアキの心境の変化に興味を持つようになるほど、アキの変化は目に見えて大きいのだろう。
これに対してアキは緊張も照れも見せることなく、まっすぐリオスを見て答えた
「僕に、守りたい人が出来たからです。」
「守りたい者…?」
「はい。リオスさんの言う通り、最初は人間に戻りたかったです。けど、夢魔になっても、人間になっても、どちらにせよ僕の心が休まる時は来ないことに気付いたのです。でも、ある女の子と出会った時に襲われて、セレネさんに助けられて、僕は思ったんです…」
ここまで話して、初めてアキは自分の体が震えていることに気付いた。
まだ、あのグロテスクな怪物と対面した時の恐怖が張り付くように残っている。
しかし、不思議と自身の中には迷いなど微塵も残っていなかった。
震えを止めるように拳を力一杯握り、リオスから目を離さずに続けた。
「…せめて、この子を助けられるだけの力が欲しいって。たとえお節介でもいい。心の支えを失わない為にも、僕は力が欲しいんです!」
アキの理由を、リオスは黙って聞いていた。その顔から笑みは消え、嘲笑も貶すこともせず、朝と同じく瞳を閉じて聞き入れている。
やがて、リオスは目蓋を開き、アキの様子を確認した。
真剣な眼差しが、じっとこちらを捉えて離れない。
その言葉はただの気紛れや、急拵えの理由ではないと見たリオスは、気が付けば再び相好を崩していた。
「誰かの為、人間に戻れることを蹴り、夢魔になってまで力を求める。理解し難いが…人間とはなんと面白い生き物か。」
そう言うとリオスは立ち上がり、スピカを呼んだ。扉の方から歩いてきたスピカに、リオスが命じる。
「スピカ、儀式の間へ案内してくれ。あまり時間がない、準備は手短に頼む。」
「かしこまりました。ではアキ様、こちらへ。」
納得してくれたのか、アキに知る由はない。が、少しはアキのことは認めてくれたのだろうか。
アキがスピカに連れられて部屋を後にしてからも、しばらくはその変化に乏しい顔に笑みが残っていた。
「…自己犠牲。あまりにも不合理で非効率的な意思だ。彼を助けて、面白い一面を垣間見ることができた。」
リオスは側にある小窓に視線をやる。
雲一つない空の向こうで、煌々と輝く月が見える。
「今宵はいい月だ。…一人の夢魔が生まれるには、うってつけの夜だな。」
そう言うと椅子により深くもたれ掛かり、目を閉じた。
レコードから流れるクラシックを堪能しているように、満足げな表情を浮かべている。
アキが夢魔となることが嬉しいのか、他に何か思惑があるのかは、彼以外に知る者はいない。