バンとはいえ車には変わりない。人が全力で走ったところで、60km/h以上走る車に追い付くことなど、あるはずがなかった。
しかし、マグノリアを拐った男が乗るバンを、アキは振り切られることなく追うことができた。たった二本の足だけで車を追えるほど、夢魔の身体能力は高いのだろう。
また、マグノリア以外の人間が、アキを見ることが出来なかったのも都合がよかった。男に警戒されず、アキを惑わせる行動も起こさなかったからだ。
人通りの少ない、細い路地を無理矢理通っていく巨体を追っているうちに、工場のような施設の前に辿り着いた。
廃工場故か、人ひとり見当たらず、不気味なまでに静かだ。ゲートを通過し、少し奥へ進んだところで、ようやく車が停まる。姿が見えないのを覚えていないのか、こっそりと着いてきていることを自覚しているためかは定かではないが、アキは見を潜めながらマグノリアを抱える男達についていった。
錆びだらけの鉄骨や設備が、重油と僅かな埃を混ぜた匂いを放っている。
閉鎖して久しい工場のようだが、それにしては不自然なほど埃が少ない。
おそらく、誰かが、あるいはあの男達が頻繁にこの廃工場に立ち入っているのだろう。
鉄製品を扱っていたのか、幸い凶器になりそうな物はいくらでも転がっている。自分でも振り回せそうな鉄棒を無造作に拾い上げると、引き続き男達を追う。
彼らはベッド一つが寂しそうに置いてある部屋に入ると、そのベッドにマグノリアを乱雑に放り投げた。
解れの目立つ硬いマットが鈍い音をたてて、口をテープで塞がれ、両腕を結束バンドで戒められたマグノリアを受け止める。男達は怯える彼女をなめ回すように眺めた
「へぇ、これは結構…上玉じゃん?」
4人の中では背が低く、横に大きい男が言う
「しかも、目が見えないんだって?あの臭くて鬱陶しい覆面も被らなくていいな!どこで見つけたんだよ?」
「定期的に孤児院を訪問する機会があってな、その時に見つけたんだ。顔も悪くないし、目も見えないとなれば都合がいいってな。」
針金のような男に返したのは、その男ほどではないが背も高く、人より肉も付いた恰幅の良い男だ。悪い目付きと顔付きが、その頬と右肩には誇示するような模様も相まって凶相をより目立たせている。
「兄貴お前、慈善活動中にそんな目で見てたのかよ!ホント兄貴のロリコンは死なないと治んねぇな…ヒヒヒッ!」
聞いていられない。下品な笑い声をあげる眼鏡の男も、その他の3人も、皆アキを"可愛がって"くれた連中だ。
トラウマから来る恐怖を足蹴にするように、憎悪が先に湧き出てくる。自分ならまだしも、守るべき子を手にかけようとしているのだ。鉄棒を握る力に、自然と力が入る。
マグノリアの品定めも終え、丸い男が彼女の服を脱がせようとしたところでアキは駆け寄り、男に向かって鉄棒を振り下ろした。
鈍い音と共に軽い衝撃が手に伝わり、生ぬるい血が顔にかかる。今の一撃で、男の皮膚を裂いたようだ。
後頭部を抑えながら悶える男にもう一撃、投げられたボールを打ち返すように食らわせる。さっきと同じ衝撃が手に走ったかと思うと、男は突然殴られ、へし折られた鼻から蛇口のように血を噴きながら倒れた。
「なんだぁ!?」
「ゲイツ!なに血ィふいて倒れてんだ…」
突然の事態に男達は混乱。それに構わず、アキはより近くにいた男、眼鏡の男に向かって、棒を振るう。
アキが見えないのだから、身構える間などなかった。ただ突っ立っている男の脇腹を捉えることは、服を着るとこよりも容易かった。
何かが折れる感覚が棒に伝わったことから、肋骨が2本ほど折れたのだろう。脇腹を抑え、悲鳴を挙げながらうずくまる。
一人、また一人と打ちのめし、残るは筋肉質の男だけとなった。
繰り返すが、彼にはアキが見えない。男からしたら、鉄の棒が勝手に動き回り、仲間を痛め付けているようにしか見えないのだ。
混乱、恐怖が男の中を駆け回り、顔から血を引かせていく。アキはそんな男を、殺意に似た感情を含ませた目で睨むだけだった。
アキが踏み込み、棒を振り上げる。丸腰の男は反射的に頭を守ろうとしたが、所詮は無駄な抵抗だった。腕で防がれようと、アキはただ一心不乱に棒を上げては下ろす動作を繰り返す。
次第に男の腕が下がり、固そうな頭にひしゃげた棒が当たる。
男はそのまま倒れ、気を失うが、アキがそれに気付くことはない。棒を捨ててそのまま馬乗りになり、男の顔に拳を何度も浴びせた。
幻覚の中でこちらを嘲笑う男と、恐怖に顔を歪ませて気絶している男の姿が重なる。それがアキの中の憎悪をより膨らませ、この男を攻撃するよう命じさせる。
返り血と涙でくしゃくしゃになった顔で、野獣の咆哮を思わせる雄叫びをあげながら、アキはひたすら男の顔を殴り続ける。
そのうちに、始めは向かれていた怒りの感情の中に、喜びが混ざりだした。
あれほど自分を嘲り、辱しめた男を今、自分が弄んでいる。
このまま殴り続ければ、男は間違いなく死ぬだろう。
が、それでいい。
こんな男は死んだほうが世のためだ。
雄叫びが笑い声に変わり、嬉々として男を殴り続けたアキを止めたのは、人の手だった。
振り上げられたアキの手首を掴み、軽々と体ごと放る。
唖然とするアキに映ったのは、山のように大きな体躯の女だった。
メッシュのかかった赤い髪に、凛々しく尖る目付き、女にしては高く、やや過剰に付いた肉が、女が人より鍛えられていることを教えていた。
「坊主、そこまでやることはないッスよ。これ以上殴れば、こいつ死ぬッス。」
気の強そうな目で、アキを見据える。男には見えないアキを見ることができるのは明らかであった。
「うるさい…そんな奴…死んじゃえばいいんだ!どけ!どかないならお前も…!」
興奮の覚めないアキは、散々男を殴ってひしゃげた鉄棒を手に取り、女に襲い掛かる。
が、女は軽々と身を翻すと、アキの後ろに回り、丸太のような腕をアキの首に回した。
首こそ絞められているが、あまり呼気に支障はない。痛みも息苦しさもないのにも関わらず、何故だか視界がぼやけ、そのままブラックアウトしていく。
そんな中で聞こえたのは誰かが担がれる音、そして言い聞かされるような女の声だった
「確かに、こいつはクズ野郎には変わりないッス。ただ、どんな野郎でも守るのがおれの使命なんで…悪く思わないで欲しいッス。」
「ホラ、起きろ
* * *
気がついたら、辺りは闇に包まれていた。
マグノリアも、男達も、あの女も、この部屋にはいない。ただ、拳に残る鈍い痛みだけが残っていた。
目が慣れるまで待ち、外に出てみる。
門の前に「POLICE」と書かれた車が何台か停まっているだけで、あまり騒がしくなっていなかった。
野次馬もいない中、ただ若い警察官が眠い目を擦りながら、面倒くさそうに書類を書いている。
「少女をレイプしようとした男達が、なんらかの原因で仲間割れ。そのまま共倒れになった」と処理されて、この事件は早々に解決されるのだろう。棒が勝手に動き回ったなんて言ったところで信じてもらえる訳がない。
心のどこかでマグノリアを心配しながら、アキは館を目指した。
彼女の安否もそうだが、何より狂ったように暴れるアキを見て、マグノリアは今までと変わらず自分に構ってくれるのだろうか。そちらのほうが大きかった。